ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」を読む ―4― シュレーディンガーも自由意志を許さない、ぼんやりと混じり合って漂っているのだけれど、粒子集団にありがとう

ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」を読む ―4― シュレーディンガーも自由意志を許さない、ぼんやりと混じり合って漂っているのだけれど、粒子集団にありがとう

 

 


 

「第5章 粒子と意識、 生命から心へ」

 

p193

 

多くの科学者にとって、また長きにわたって、意識は科学研究で取り組むべきまっとうな

テーマとは見なされていなかった。

 

・・・科学が意識を無視するのは、われわれのひとりひとりがまさに頼りにできるもの、

唯一頼りにできるものを見捨てることなのだ。

 

==>> 「我思う、ゆえに我あり」という唯一の確かなものがあるのに、なぜ科学は

     まともにこの意識を対象としてこなかったのかを著者は問うているのですが、

     まあ、それは哲学とか宗教では深く考えられてきてほとんど形而上学と

     しての分類にされるしかなかったからなのでしょう。

     それは、研究する手段というか道具がなかったことが大きいのでしょう。

     でも、近年は、さまざまな脳を対象とした研究も増えてきたので、

     これが意識だという結論にはまだなっていないようですが、科学的な

     アプローチが増えて、それなりに本も出ているので、私としても

     読み甲斐があります。

 

p196

 

MRIを使って、ニューロンの活動を支える血流を細かく追跡したり

・・・電磁波がさざ波のように伝わる様子をモニターしたり・・・

そうして得られたデータが、被験者の実際の振る舞いと、その被験者が内的経験

について語ることの両方を反映したパターンを示せば、物理現象としての意識に

アプローチしていると考える根拠はかなり強まる

 

==>> このような意味で科学的アプローチをした精神神経医学的な本があって、

     今までに読んだ本の中では、これが一番記憶に残っています。

 

     村本治著「神の神経学―脳に宗教の起源を求めて」

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2021/04/post-31d1bf.html

     「p14

・・・精神神経医学の臨床に関わるにつれて、精神病や薬物による妄想や

幻覚、てんかんに伴う精神的体験の中に、宗教書に描かれている宗教体験と

酷似するものがあることに、私は深い興味を覚えざるを得なかった。

p15

宗教には全て共通するものがあり、それは宗教を持たない人にも共通する

人間の基本的特性ではないだろうか、という疑問であった。」

 

「p67

私は、この特有の人格変化と行動パターン、・・・前頭葉型ピック病の診断

下した。G氏の宗教活動について言えば、この診断の前後から、彼は生涯を通じ

て献身してきたキリスト教に興味を失ったように見えた。彼はクロスワード・

パズルを飽きることなく一日中遊んでいたが、聖書を紐解くことはほとんど

なかった。 ・・・礼拝の参加は全く形式だけになった。」

 

・・・いわば、形而上学的な意識のありかたと、脳の関係がかなり解明され

てきたということではないかと思います。

 

p196

 

私は番組の司会者に向かって、あなたは物理法則に支配されている粒子たちが詰め込ま

れた袋にすぎない、と言い放った

冗談のつもりではなかったのだが、司会者はあっさりそれを冗談にしてしまった。

 

それは冗談や愚弄ではなく、私の心に深く根を下ろしている、還元主義へのコミットメント

から飛び出したセリフだった。

 

==>> もしわたしがその司会者だったら、たまたま、最近はこの系のいろんな本を

     読んできて、私自身がかなり還元主義者っぽくなっていますので、

     冗談とはしなかったでしょうね。

 

 

p198

 

エントロピーは、たくさんの粒子からなる集団・・・の、乱雑さと組織化の物語

語るために役に立つ。 進化は、分子集団・・・・が複製したり変異しながら、環境に

適応していくにつれ繰り広げられる、偶然と選択の物語を語るために役に立つ。

 

p200

 

私は、意識というものは、思うほど謎めいてはいないのではないかと考えている。

いずれは、物質の構成要素である粒子と、それらの粒子を支配している物理法則に

ついての通常の理解をいっさい超えることなく、意識を説明できるようになるだろう

と思うのだ。

 

物理法則は、客観的な実在からなる外なる世界にどこまでも手を伸ばしていくだけで

なく、主観的な経験という内なる世界にも、どこまでも深く入り込んでいくだろう

 

==>> この著者のあくまでもポジティブな考え方には勇気づけられるとともに

     ワクワクしてきます。

     まあ、実際にそうなるのは、まだまだ先のことなんでしょうが。

     その際に、2本柱になりそうなのが、エントロピーと進化という、いわば

     相反するベクトルをもつ力ということなのでしょうか。

 

 

p203

 

次の夜、彼はまた同じ夢を見て、今度はすぐに起きだして実験室に行き、夢の指示に

したがって実験を行った。 それは、細胞のコミュニケーションにとって決定的に

重要なのは、電気的なプロセスではなく、化学的なプロセスだという、彼が長らく

抱いていた考えを検証する実験だったのである。

翌週の月曜までには、夢にヒントを得た実験が首尾よく成功し、最終的にレーヴィは

ノーベル賞を受賞した。

 

==>> 夢にヒントを得て、ノーベル賞をゲットした人はこちらにもいました。

 

     理論物理学vs仏教哲学 「神と人をつなぐ宇宙の大法則」

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/06/blog-post_0.html

     「p161

夜、寝ていた湯川先生は、雷の音でふと目が覚めた。そのとき、目覚める直前に、

夢の中の自分が「中間子理論」というものを考えていたのを覚えていた。 雷の

音で突然目覚めたから、まだ鮮明に記憶に残っていたんでしょうね。湯川先生は、

常に枕元に、・・・・あれ(紙)を置かれていた。

・・・夢の中で自分が考えた中間子理論を、その紙に書き留めて、また寝た。で、

翌朝見たら、「あっ、これはすごい」というので論文にして、それがノーベル賞

ですよ。 論文はわずか2~3ページで、すごく短いんです。確か数式は三つ

くらいしかなくて、非常に初歩的。 それでノーベル賞なんですよ。」

 

・・・・実験方法の夢だったり、中間子理論の数式だったり、そういうのが

夢の中でポンと現れるんですねえ。 きっとニューロンだかなんだかが

ピッと繋がった瞬間にそういうことが起こるんでしょうね。

ただし、この保江さんが書いている「神の物理学」という本は、かなり神がかり

な本なので、ちょっと・・・という感じです。

素領域論はよいとしても。

 

 

p204

 

映画館で、「コークを飲もう」というサブリミナルなコマが挿入されたために、

ソフトドリンクの消費量が増えたという有名な主張は、1950年代の末に、結果を

あせった市場調査担当者が広めた都市伝説だった

 

しかし、巧みに工夫された実験が行われた結果、秘密裡に進展する心のプロセスの中

でも特定のタイプのものに関しては、たしかにそんな効果があるという説得力の

ある根拠が得られている。

 

==>> コカ・コーラのこの話は、私も知っているくらいですから、誰でも知っている

     話でしょうが、後段の「市場調査担当者が広めた都市伝説」というのは

     知りませんでした。

     この話については、こちらに詳しく事の次第が書いてありました。

 

     【心理学】映画館でコーラの販売数を倍増させたサブリミナル効果とは一体?

     https://knowledgeofcreate.com/2021/11/21/subliminal-effective/

     「まさにサブリミナル効果で、視覚的に意識できない中で潜在意識に語りかけ

売上を伸ばしたということです。

しかし実はこの話には続きがあり、この実験を発表した彼はのちに「サブリミ

ナル効果は捏造です」と公言したのです。なぜ捏造をしたのか聞くと、実は彼が

経営する広告会社が業績不振で会社が倒産しそうだったため起死回生ででっち

上げの話をしたのです。」

 

     ・・・でっち上げの話にはご用心ですね。

     1950年代の終わりだったとすると、私は少なくとも60年間ぐらいは

     騙され続けていたってことになりますからねえ・・・

 

 

p210

 

粒子のレベルや、細胞や神経といった、より複雑な構造のレベルでは、原理的なアプローチ

を明確に示すことができて、そのアプローチは全体として統一が取れているように見える。

 

一方、意識については、そういう解決策を思い描くのは難しいというのが、チャーマーズが

それを「ハード」とした動機だった。

 

彼はこう講じた。 心を持たない粒子たちと、意識的な経験の間のギャップを渡らせて

くれる橋をわれわれは持たないばかりか、もしも還元主義の青写真・・・でそのギャップ

に橋をかけようとすれば、われわれは失敗するだろう、と。

 

==>> チャーマーズのハードプロブレムに関しては、過去に読んだ本には、下のように

     出てきました。

     渡辺正峰著「脳の意識、機械の意識」

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/11/blog-post_19.html

     「p186

認知神経科学では、絶妙な言葉遣いによって、意識のハード・プロブレムを巧妙

に避けている。 「意識内容の変化とニューロン活動が連動する」「実験操作に

より当該ニューロン活動を阻害すると、意識に影響が及ぶ」といった物言いまで

は許されるが、「このニューロン活動によって意識が生まれる」とは決して言わ

ない

p188

言うなれば、あらゆる科学の土台部分に、ある種の非科学が存在する。ならば、

意識の科学にそれがあったとしても何ら不思議はない。 その可能性の一つを

提案してみせたのがチャーマーズであり、彼の主張する「すべての情報に意識が

宿る」は、一つの仮説としてならば立派な自然則であることに違いはない。」

 

そして、また、汎心論に関する議論の中で、チャーマーズのこんな議論も

出ていました。

「汎心論 : 21世紀の心の哲学」

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2020/12/post-3ec8ec.html

「組み合わせ問題(抄)汎心論の取り組むべき課題

デイヴィッド・ジョン・チャーマーズ 

p27

汎心論とは、基礎レベルの物理的存在が意識経験をもつという見方だ。 

・・・汎心論はおそらく、唯物論と二元論の両方の長所を兼ね備えるとともに、

いずれの短所も共有しない。とりわけ、じゅうらい二元論の根拠としては認識論

的な直観が、そして物理主義の根拠としては因果論的な直観があげられてきたが、

汎心論はこのふたつの直観の両方と合致しうるのである。」

 

・・・心の哲学とか汎心論というから、チャーマーズはやっぱり哲学者で

あって、形而上学的な話になってしまうのかと思いきや、wikipedia

チャーマーズのサイトを読むと、下のようなことが書いてありました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BA

内面的な心的体験(クオリアと呼ばれる)を、ひとつの実体(entity)として

導入し、その振る舞いを記述する新しい法則を見つけることで意識の問題を解

決すべきだとする。つまり意識体験を、質量やエネルギー、電荷、スピンなどと

並ぶ、他の何かには還元されない、この世界の基礎的な性質(根本特性、

Fundamental property)のひとつとして扱っていくべきだとする。そしてこの

内面的な心的体験(クオリア)の振る舞いを記述する、探索すべき未知の自然法

則のことを、チャーマーズは精神物理法則(Psychophysical lawと呼ぶ。」

・・・ということであって、物理学を拡張することで、この問題を乗り越え

ようとしているらしいです。

 

p220

 

チャーマーズは、心を持たない粒子たちが飛び交う中から意識が出現することは

ありえないと確信して、電磁気の物語の教訓が繰り返されるのを覚悟したほうがいいと

言う。 19世紀の物理学者たちは勇敢にも、普通の科学を使って電磁現象にこじつけ

の説明をすることの不毛さを直視したが、われわれもまた、意識を脱神秘化するためには、

既知の物理学的な質の向こうを見なければならないことを認める勇気を持つ必要が

あると彼は言うのだ。

 

・・・シンプルかつ大胆なひとつの可能性は、個々の粒子が、意識という固有の属性、

すなわち、より基本的なものに還元することのできない属性を持つというものだ。

 

p221

 

私は、質量や電荷といった粒子の特性が「何であるか」という問いには答えることは

できないが、それが「何をするものか」という問いには答えることができる

 

原意識についてもそれと同じく、研究者たちは、それが「何であるか」は説明できなく

ても、それが「何をするものか」を説明する理論――原意識はいかにして意識を

生み出し、意識に応答するかを説明する理論――なら作ることができるかもしれない。

 

==>> ここで著者は、チャーマーズの考え方を全面的に支持するというよりも、

     そういう考え方も含めて考えたほうがいいというスタンスであるようです。

     ところで、上記の原意識というのは粒子が元々もっている属性としての

     意識ということです。

 

p223

 

チャーマーズは、情報にはふたつの面があると言っていることになる。

情報には、客観的で、当事者以外にもアクセスできる特質があるーーその情報は、

これまで何百年にもわたり、伝統的な物理学の領分にあったものだ。 それとは別に、

情報には、物理学がこれまで考えてこなかった、主観的な、一人称によってアクセス

できる特質がある。 完全な物理理論は、外なる情報だけでなく、内なる情報をも、

もれなく取り入れる必要があるだろう。内なる情報を処理することによって、意識的

な経験に対し、物理的な基礎を与えることができるだろう。

 

==>> つまり、チャーマーズは情報には内なる情報もあるのだから、それを

     外なる情報と同じように処理することで、物理学的な理論の枠内に

     取り込むことが可能だと言っているようです。

 

 

p225

 

あらゆる物理系は、ある意味では情報処理装置だといえる。 では、情報を処理した

結果として意識をもたらす情報処理は、その他の情報処理とどこが違うのだろうか?

精神科医にして神経科学者でもあるジュリオ・トノーニは、まさにこの問いに導かれて、

・・・・トノーニらの研究から生まれたのが、「統合情報理論」と呼ばれるアプローチだ。

 

 

p226

 

トノーニの提案は、心を直接観察することから得られたこの事実を、意識経験を特徴

づける特質の地位に昇格させようというものだ。 意識は、高度に統合されていると

ともに、高度に区別されてもいる情報である。

 

p230

 

彼の観点からすると、われわれがなすべきは、意識経験はいかにして膨大な数の

動き回る粒子たちから出現するのかを説明することではなく、系が意識経験をする

ようになるために必要な条件を決定することであり、そしてそれが、統合情報理論

がやろうとしていることなのだ。

 

==>> トノーニの統合情報理論については、過去にこのような議論を読み

     ました。

     マルチェッロ・マッスィミーニ/ジュリオ・トノーニ著

「脳の謎に挑む総合情報理論、意識はいつ生まれるのか」

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2020/11/post-249733.html

     「p111

統合情報理論とは、・・・・意識の謎を解く鍵である。この理論の肝となる事実

は、まさにわれわれの主観的な経験をダイレクトに観察することで得られた。

哲学であれば、さしずめ「現象学」といったところだ。統合情報理論の基本的な

命題は、ある身体システムは、情報を統合する能力があれば、意識がある。とい

うものだ。」

統合情報理論は「わたし」という主観的な意識は、その意識が体験する身体の

所有者としてのみ存在するという考え方からスタートし、主観的に人々が体験

する情報が統合されてはじめて意識が芽生えるという理論

・・・意識が生まれるためには、原因と結果が構造化されて相互に接続された

複雑な関係が必要だという。・・・統合情報理論によれば、たとえAIが高度に

発達したとしても、意識は生まれないと予測する。」

 

・・・今の時点では、どのように意識が発生するかについてはっきりしたこと

はわからないようですが、いろんな仮説があるようです。

著者はバリバリの還元主義者のようなので、やっぱりきっちりと物理的法則

で説明できる理屈がないと喜べない様子です。

 

 

p234

 

ハードプロブレムがハードに思われる、つまり、意識が物理的なものごとを超越して

いるように思われるのは、われわれの模式的な心のモデルは、われわれの思考と感覚

を物理的な基礎に結び付ける脳のメカニズムに関する認知を消し去っているからなの

である。

 

p235

 

物理主義的探検の難しさは、見知らぬ世界を調べることではなく、われわれ自身の世界

――脳――の地図を、かつてないほど詳細につくらなければならないという点にある。

 

科学を超えた生気のようなものをいっさい必要とせず、物質の特質として目新しい

ものは何ひとつ持ち出さずに、意識はただ出現するだろう。 普通の法則に支配され、

当たり前のプロセスを遂行する普通のものたちが、考え、感じるという、普通ではない

能力をもつことになるだろう。

 

==>> ここで、著者は、あくまでも物理還元主義を貫きたい、それできっと

     意識の問題も解けるという信念をもっているように見えます。

     私もそうであって欲しいと思います。

     少なくとも、神秘的な物理学というのは、どうも納得できません。

 

p237

 

量子論の核心部分には、容易には解けない難問が横たわっている。

量子力学の新しい特徴の中で、もっとも重要なのは、この理論の予測は確率的だ

いうことだ。

 

 

p238

 

量子的な記述では、電子のような粒子が50パーセントの確立で第一の場所に存在し、

50パーセントの確立で第二の場所に存在するとわかっていても、実際にその粒子が

どこに存在するかを実験で確かめるまでは、その粒子はどちらか一方の場所にあるのでは

ない。 量子力学によると、その粒子はそれぞれの場所にあるふたつの状態があいまいに

混じり合った状態にあるのだ。

 

・・・電子は、たくさんの状態がぼんやりと混じり合ったものとして漂っているのだ。

 

==>> ああ、なるほど。やっと私にはわかりました。

     どうも生まれてこのかた「ぼんやりと、漂って」いるような人生だと感じて

     きたのは、それが原因だったんですねえ。。。。。

 

p240

 

・・・・ぼんやりした量子の確率論的な世界から飛び出して、一瞬のうちに確定した

実在を身にまとうという見方なのである。 ひとつに確定した実在を出現させるのは、

意識ではなく、相互作用なのだ。 

 

もちろんそれを証明するためには、あるいはそれに関していえば、なんであれ何かを

証明するためには、私は自分の意識を働かせなければならない。

 

p241

 

量子力学の教科書に、意識だけのための特別な指示が書き加えられることはないだろう。

意識は素晴らしいものだが、あくまでも量子的宇宙に生じる物理的特質のひとつとして

理解されるだろう。

 

==>> なんだかこの部分を読んでいると、仏教の「空」とか「縁起」の話を

     読んでいるような気持になります。

     「空」というのは「相依り」つまり相互作用だという説明もありますから。

     まあ、そういう解釈は私のようなど素人の連想なんでしょうが、

     最先端物理学は仏教と似ているという偉いお坊さんも実際にテレビで見ました

     から、素人考えということだけではないのかもしれません。

 

 

p246

 

量子力学の数学であるシュレーディンガー方程式は、古典的なニュートンの物理学の

数学とまったく同じぐらい決定論的なのだ。

違いは、ニュートンの物理学は、現在における世界の状態を入力すると、明日の世界

の状態をひとつ決定するのに対し、量子力学は、現在の世界の状態を入力すると、明日の

世界の状態を確立のリストとして決定することだ。

 

量子力学の方程式は、起こりうる未来をたくさん提示するが、それぞれの未来が実現

する確率を、数学的な石にしっかりと決定論的に刻みつける。

 

シュレーディンガーもまた、ニュートンとほとんど同じぐらいに、自由意志が入り込む

余地を残さないのである。

 

==>> 自由意志については、いままでに何冊かを読んできたのですが、

     どちらに分があるかというならば、「自由意志はない」方に分があるように

     私は感じています。

     それは、私自身が還元主義であってほしいと思っているからかもしれません。

 

     スキナー/デネット/リベット著「自由意志」

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/06/blog-post_24.html

     「p007

論者ごとの細かなニュアンスを捨象し、最大公約数な要約をするなら、それは

次のようになる。 われわれは普段、自分の自由意志によって行為をしていると

信じているが、行為への意志を自覚するより前に脳が活動を始めているなら、

実際には脳が行為を開始させているのであり、自覚された意志によって行為が

選び取られたとは言えない

p008

そして、脳の在り方は、・・・遺伝と環境の強い影響下にあり、さらにその影響

は、生物学の法則や物理学の法則などに基づいている。 要するに、人間のいか

なる行為もまた自然現象の一部であって、それは自然法則によって決められて

いるのであり、ここにはもはや自由意志の存在する余地はないーーー。」

 

 

p249

 

超人間的な視覚を持っていたとすれば、そして、実在の基本構成要素のレベルで、

日常の実在を分析することができたとすれば、われわれには自由な意志で考えたり行動

したりしているように強く感じられるとしても、実のところそれは、物理法則に完全に

支配されて動き回る粒子たちの複雑なプロセスであることがわかるだろう

 

==>> つまり、著者は、人間が分子や原子レベルの細かいところまで見ることが

     できる眼をもっていて、日々の自分の行動を観察できたとしたら、

     原子や分子や細胞などがそれぞれ「小びと」として各所で働いていて、

     それが集まって人間のひとりを操作しているのがわかるだろうってこと

     のようです。

     このような「小びと」説について、すでに読みましたが、私はこの

     考え方がなかなかいいなと思っています。

     

     前野隆司著 「脳はなぜ「心」を作ったのか」

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/09/blog-post_97.html

     「p76

カリフォルニア大学サンフランシスコ校・・医学部・・神経生理学教室の

リベット教授・・・

p77

リベットの実験結果を信じるならば、人が「意識」下でなにか行動を「意図」

するとき、それはすべてのはじまりではない。 「私」が「意識」するよりも

少し前に、小びとたちは既に活動を開始しているのだ。 言い換えれば、「意図」

していると「意識」することを人に感じさせる脳の部分は、脳内の小びとたちの

活動結果を受けとって、自分が始めに「意識」したと錯覚していると考えるしか

ない。

・・・ついに、最後の砦、「意」も、「知」や「情」と同様、無意識にいる「運動

準備」や「意」の小びとたちの結果を、「意識」が受動的に見ている作用に過ぎ

ないらしいという事がわかった。」

 

 

 p252

 

寄り集まって岩になった粒子たちには、多少ともそれに似たことはできない。 そして、

これら驚くべき思考、感情、振る舞いの流れとして現れる能力こそは、人間であることの

本質――人間の自由の本質――を捉えているのである。

 

物理法則によれば自由に意志されたわけではない振る舞いについて「自由」という言葉

を使うのは、詐欺のように思われるかもしれない。 しかしここで重要なのは、両立論

という哲学の一派がだいぶ前から提案してきたように、こと自由と物理学に関するかぎり

まだ打てる手はあるということだーー物理学と調和するような別の種類の自由を考える

ことで、得られるものは多いのである。

 

p253

 

私を構成している粒子集団には、途方もなく多様な振る舞いができるということなのだ。

実際、これらの文章を書いているのは私を構成する粒子たちであり、私の粒子たちが

作文をすることを、私は嬉しく思う。

 

==>> 要するに、物理学的に説明すれば「自由意志はない」ってことになっちゃう

     けれども、それじゃああんまりだから、見方を変えて前向きな解釈を

     考えたほうがいいんじゃないかってことですかね。

 

     著者にならって、私も、こういう難しい本を読んで、訳が分からないという

     自分を構成する粒子のレベルの低さにはがっかりするけれども、とりあえず、

     それなりに読んで、このように感想文を書いている粒子の集団には、ちょっと

     感謝をしたほうがいいのかなと思うわけですね。

 

 

p259

 

エントロピック・ツーステップは、無秩序に向かう世界の中で、秩序ある物質の

集まりはいかにして形成されるのか、とくに、恒星はいかにして何十億年ものあいだ

安定的に熱と光を生み出すことができるのかを説明する原理である。

 

進化は、恒星という安定した熱源に恵まれた惑星のような好ましい環境の中で、粒子の

集まりはいかにして、複製と修復に始まり、エネルギーの抽出と代謝へ、さらには運動

と成長という複雑な振る舞いを容易にこなすパターンを構成するのかを説明する原理

である。

 

==>> 無秩序へと向かう流れに棹差して星や生命が生まれ、それらが進化して

     その頂点と人間自身が言っている人間になって、岩ではなく、割と自由気儘

     に動き回って勝手なことをやっているんだから、「自由意志がない」なんて

     ことは言わせないぞ・・・って話でしょうか。

 

 

p260

 

粒子そのものを支配する法則に焦点を合わせるのではなく、それぞれの粒子集団

――つまりは個々人――が行い、経験できる、驚くばかりに豊かで複雑きわまりない

振る舞いに焦点を合わせるのだ。

 

p262

 

生命の起源がそうであるように、意識が出現したり、内省が生まれたり、自由意志の

感覚がはじめて感じられたりしたのがいつのことかは、はっきりとはわからない。しかし、

考古学的な記録が示唆するところによれば、10万年まえ、あるいはそれ以前に、

われわれの祖先はこうした経験をしはじめたようだ。

 

 

==>> 人類がそんなことになったのは、二足歩行ができるようになってから久しい

     ころだったそうです。

     内省とか自由意識の感覚はしりませんが、すくなくとも意識に関しては

     人類だけじゃなく、他の生き物にもあったんじゃないかと思うんですけど、

     どうなんですかね?

     少なくとも、犬、猫、カラス、イルカ、猿、そのほかいろんな動物にも

     意識はあるでしょうからねえ。

 

     恐竜とかマンモスなんかにも意識ぐらいはあったんじゃないんでしょうか。

     まあ、意識をどう定義するかにもよりけりなんでしょうけど。

 

 

って、ことで、第5章を終わりました。

 

次回は、「第6章 言語と物語、心から想像力へ」に入ります。

 

 

===== 次回その5 に続きます =====

 ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」を読む ―5― 音楽で考える? 八万年前から言語で考えはじめた? 物語・神話はパイロットのシミュレーション? (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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