渡辺正峰著「脳の意識、機械の意識」を読む ― 4 サーモスタットに意識が宿る? 人工ニューロンに置き換えてクオリアを見る   

渡辺正峰著「脳の意識、機械の意識」を読む ― 4 サーモスタットに意識が宿る? 人工ニューロンに置き換えてクオリアを見る   

 

 

渡辺正峰著「脳の意識、機械の意識」

なぜ人間は感じるのか? 「意識の問題」とは?

人工的に意識は作りだせるのか? ・・・・を読んでいます。

 

 


  

「第4章 意識の自然則とどう向き合うか」

 

p173

 

ニューロン単体としての働きは高が知れている。 他のニューロンからの電気スパイクを

重み付けしながら足し合わせ、それが一定以上の値(閾値)に達したときに自らも電気

スパイクを出力する。 これらの仕組みは、イオンチャンネルや神経伝達物質などの

ナノレベルの生体機構によって体現されており、おおよその原理は解明されている。

 

ニューロン単体に、意識の源になるような未知の仕掛けが存在する可能性は極めて低い。

 

p175

 

多くの実験結果が指し示すのは、意識と無意識が、脳の広範囲(第一次視覚野はのぞく)に

わたって共存しているということだ。 ・・それぞれの部位の中に複雑なインターフェース

(界面)を織り成しながら存在している可能性が高い。

 

・・・意識を担う神経メカニズムが、特定のニューロンや神経回路網といった、脳の

ハードウェアによってのみ規定されるものではなく、持続的なニューロン活動といった、

動的な性質によっても規定されることを指し示している

 

==>> ここれは、おそらく、脳の広範囲にわたるネットワークが、物理的なものだけ

     ではなく、ある種の動的な性質、もしかしたらソフトウェアみたいなもの

     で動いているってことになるのでしょうか。

 

 

p180

 

最大の問題は、我々が、客観と主観とを結びつける科学的原理を一切もたないことだ。

片や、神経回路網を第三者的に観測して得られる物理現象、片や、その神経回路網に

なりきり、それが一人称的に感じていること。 この両者を因果的に説明する述を

我々はもたない。

 

・・・客観と主観の間の隔たりとは、三人称的視点による神経回路網の電気的活動(表)

と、神経回路網に一人称的に生じる感覚意識体験(裏)との間のミッシングリンクだ。

 

・・・この仕組みは、およそ人智の及ばないところにある。

 

==>> ありゃりゃ、なんだか元の木阿弥いたいな話になってきましたね。

     心身二元論に戻ってしまったような。

 

 

p182

 

そして、サーモスタットに意識が宿ると主張するのは、・・・哲学の第一人者、

デイヴィッド・チャーマーズその人だ。 彼の哲学の中心にあるのは、「すべての情報は、

客観的側面と主観的側面の両者を併せもつ」とする「情報の二相理論」である。

 

これに従うなら、室温情報を自らの曲がり具合として保持するサーモスタットにも、

ミニマルな感覚意識体験が宿ることになる。 もちろん、弛緩する筋肉や毛穴をもたない

以上、我々の「暑い・寒い」とは似ても似つかない代物となる可能性は高いが。

 

==>> せっかくですから、ここでデイヴィッド・チャーマーズの講演を聴いて

     みましょう。

 

     TED - デイヴィッド・チャーマーズ: あなたは意識をどう説明しますか?」

     https://digitalcast.jp/v/20701/

     この講演でも、主観と客観の話が出ています。

     「脳内のすべての物理的処理は、なぜ意識を伴っているのか」

     「いったいどうして、すべての行動が、主観的な経験を伴うのか」

     そこで、ふたつのクレージーなアイデアを紹介しています。

     意識を基本的な概念として認める。例えば、時間や空間などのように。

     意識は普遍的なものかもしれない。万物に意識が存在するという仮説

     (つまり、「汎心論」です。 素粒子にも意識があるという。)

      ジュリオ・トノーニによる情報統合理論という数学的な方法論も紹介され

ています。(ファイが意識を持つという理論)

 

 

p185

 

既存の科学は、三人称的な視点から現象を捉えてきたにすぎず、すべて客観の中で閉じて

いる。 対する意識の科学は、客観と主観とを結びつけることを宿命づけられている。

後者の主観は、神経回路網になりきり、それが一人称的に何を感じているかという、

これまでの科学にはない新たな視点だ。

 

その意味において、意識の科学は既存の科学から逸脱する。

 

==>> まさにこの点が、上記のチャーマーズの講演で語っているところですね。

     クレージーな発想を持ち込まないと突破口はないという話。

     そして、もしかしたら、そこに汎心論という哲学があるのかもしれない。

 

 

p186

 

認知神経科学では、絶妙な言葉遣いによって、意識のハード・プロブレムを巧妙に避けて

いる。 「意識内容の変化とニューロン活動が連動する」「実験操作により当該ニューロン

活動を阻害すると、意識に影響が及ぶ」といった物言いまでは許されるが、

「このニューロン活動によって意識が生まれる」とは決して言わない

 

p188

 

言うなれば、あらゆる科学の土台部分に、ある種の非科学が存在する。ならば、意識の

科学にそれがあったとしても何ら不思議はない。 その可能性の一つを提案してみせた

のがチャーマーズであり、彼の主張する「すべての情報に意識が宿る」は、一つの仮説

としてならば立派な自然則であることに違いはない。

 

==>> おお、出て来ましたね。

     まさに、上記でリンクを張ったチャーマーズの講演内容と重なります。

 

 

p192

 

脳を用いた意識の自然則の検証を難しくするのは、余計な要素を取り除くことに

大きな制約があるからだ。 チャーマーズの「情報の二相理論」で言えば、その検証には、

ニューロンの発火・非発火といった情報の側面だけを脳から抽出してやる必要がある。

 

・・・自然則の検証において大きな制約となる一例として、ロジャー・ペンローズ

(1931~)とスチュワート・ハメロフ(1947~)の手強い対立仮説を紹介しよう。

彼らはマイクロチューブルと呼ばれるニューロン内部の微小構造を意識の担い手とみな

している。 

 

・・・量子脳理論の体系に含まれる二人の仮説は、意識の仕組みを脳の情報処理の仕組み

から切り離すため、一般の脳科学者からはあまり歓迎されない。

・・・熱心なファンと同じくらいアンチファンも存在する。正直なところ、筆者自身は

後者に属するが、意識の一つの可能性であることは間違いない。

 

==>> さてさて、今度は、ペンローズが出てきました。

     このマイクロチューブル理論に関する本も既に読みました。

 

     ベンローズ著「心は量子で語れるか」

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2020/09/post-c6981c.html

     「p204

チューブリンの二つの異なる構造が、デジタル・コンピュータの0と1を表現

していると考えてみよう。 すると一個の微小管が、それ自身でコンピューター

のように振る舞うことができるから、ニューロンがどんなことを行っているか

を考察する際には、この点を考慮しなければならない。 各ニューロンは単に

スイッチのような働きをするのではなく、非常に多くの微小管をもっていて、

それぞれの微小管は極めて複雑なことをやってのけるのである。

p205

管内部では、何か超伝導体のような、ある種の大規模な量子的干渉が生じている

のだろう。・・・この量子的振動は脳の広範な領域にまで及ぶ必要があろう。

・・・微小管は、その内部で大規模な量子的干渉が生じている構造と考えて

差支えないと思われる。」

 

==>> 本に描いてある図をみますと、チューブリンと呼ばれるたんぱく質

から出来たものが集まって微小管(マイクロ・チューブル)という中空の管を

構成しているとあります。 つまり、著者は、細胞の骨格の役割を果たしている

     微小管が、量子的な何等かの作用をしていて、 それがゾウリムシやアメーバに

おいては、人間の神経系に相当するような働きをしているのではないか・・・

そしてそれが、意識のようなものを生み出しているのではないか・・・と推測

しているようです。

     

     ・・・さて、ここに来て、チャーマーズやペンローズの話が出てきたことに、

     私は驚くと同時に嬉しく感じています。

     「意識とは何か」ということに関連して、いままで様々な分野の本を芋づる式

     に読んで、見当もつかないままに外堀を手当たり次第に攻めていた感じだった

     のですが、この本を読んでいる内に、なんだか内堀が少し見えてきたような

     ある程度焦点が絞れてきたような心持ちになってきたからです。

     もちろん、内堀の先は全く見えないんですが。

 

 

p195

 

実は、「人工意識」の名のもと、コンピュータやロボットに意識を宿す試みはすでにはじ

まっている。 そのキーワードはアナリシス(解析)・バイ(による)・シンセシス(創成)

創りながら、その仕組みをも明らかにしてしまおうという、ちょっと欲張りな手法だ。

 

創ることの利点は、あさに、どうとでも創れてしまうことだ。 人類の空への挑戦も然り、

必ずしもお手本を忠実になぞる必要はない。

 

p196

 

意識の宿る機械を作ることなど、そもそも可能なのだろうか。 多くの科学者や哲学者

は、それが原理的には可能であるとの立場を今日とっている。 その理由の一つとして

あげられるのは、ニューロン単体への理解が進み、その振る舞いが明らかになってきた

ことだ。

 

・・・チャーマーズによる「フェーディング・クオリア」と呼ばれる思考実験だ。

 

・・・最初のステップは、あなたのニューロンを一つだけ人工のものに置き換えてしまう

ことだ。 仮に、この人工ニューロンが生体のものと寸分違わぬ機能をもち、さらに、

元の神経配線を完全に再現することができたなら、他のニューロンはその置き換えに

一切気づくことなく、以前とまったく同じように活動を続けるはずだ。

 

==>> ほお~~、シンプルだけど凡人には思いつけない方法ですね。

     次々に人工ニューロンと置き換えていって、どこでクオリアが消えてしまう

     のかを実験しようというわけです。

 

 

p108

 

出来上がるその機械は、個々のニューロンが抽象化されているとはいえ、ニューロン同士

の接続関係という意味では、元の脳をそのまま再現したものになる。

 

p109

 

ヒトの脳には、千数百億個のニューロンが存在し、それぞれが数千個のニューロンから

入力を受け、数千個のニューロンへと出力している。 半導体技術に劇的な進展がない

限り、人工物で、ヒトの脳の規模と複雑さを実現するのはほぼ不可能だ。

 

それならば、コンピュータでシミュレーションされた人工神経回路網に意識を宿すことは

できないだろうか。

 

この場合、ヒトの脳の規模に匹敵するものがすでに実現している。

 

==>> つまり、半導体のような物理的に実体のあるものに回路をつくるのは

     ほぼ不可能だけれども、コンピュータ・ソフトとして作ることは可能だと

     いうことのようです。よくイメージできませんが、つまりは仮想空間の

     中に脳を作り込むということなのでしょう。

 

 

p200

 

まずは、・・・100%の生体脳からはじめる。 そして第一ステップとして、一つの

ニューロンを、コンピュータ・シミュレーションによるニューロンに置き換える

 

・・・この接続さえきちんと築ければ、この一個目の置き換えに関しては、オリジナルの

フェーディング・クオリアと何ら変わりはなく、他のニューロンがその置き換えに気づく

ことはないはずだ。

 

p202

 

そしておそらく、元の脳に宿っていた意識は、今はコンピュータの中だけに存在する

仮想的な神経回路網に、変らず宿り続けることになる。

 

==>> う~~ん、思考実験とはいえ、なんだか恐ろしい話になってきました。

     恐ろしいというのは、つい先日、テレビ番組の中で、もしコンピュータの

     中になんらかの意識、あるいは人間と同じような思考ができるものが

     出来上がってしまったばあい、その電源を落とすことは殺人をすること

     と同じと見なされ得るのかというような話でした。

     なんだか、映画「2001年宇宙の旅」を思い出します。

 

p204

 

フェーディング・クオリアの論考が正しければ、意識の自然則は、記号化され、高度に

抽象化され、同時性のない因果性に対しても働くような、それ自体、非常に抽象化

されたものになるはずだ。

 

p206

 

機械に宿る意識のテストが難しいのは、「哲学的ゾンビ」を仮定する必要があるからだ。

哲学的ゾンビとは、チャーマーズが提唱した概念で、外見や行動は人とまったく見分けが

つかない中、意識だけをもたない仮想的な存在である。

 

・・・現在のロボットはおそらく意識をもたない。 また将来、意識をもたないまま、

限り無く人に近づけていくことも可能だろう。

 

==>> 「同時性のない因果性」の意味が解らないのですが、おそらく数学的な

     抽象性のことを言っているのではないかと感じます。

 

     「哲学的ゾンビ」という概念が、チャーマーズの提唱によるものとは

     知りませんでした。 その議論は、「汎心論」の雑誌の中で読みましたし、

     私がさっぱり理解できないまま「ツンドク」状態になっている本の中でも

     議論されていました。その本というのは、永井均著の「なぜ意識は実在しない

のか」や「ウィトゲンシュタイン入門」などの本です。

少なくとも2回読んだんですが、感想文も書けないほど理解不能です。

「理解不能でした」という感想文になってしまいます。

 

 

p209

 

蛇足ながら、哲学的ゾンビの概念を突き詰めていくと、一つのおそろしい現実に突き

当たる。 未来の人型ロボットはおろか、実際は、隣人の意識をも疑わなければならない

確実に意識をもつことが保証されているのは、自分の感覚意識体験を自ら体験できる

自分のみである。

 

==>> ロボットを人間に似せて造ればつくるほど、人間の不思議さが表に出てくると

     いうことだと思うのですが、そこに汎心論なるものを前提に置けば、もしかして

     あっと言う間に謎が解けるということになるのでしょうか。

 

p210

 

では、機械に意識が宿ったときにのみ、感覚意識体験が生じるような、うまい接続条件

はないだろうか。 大脳生理学と解剖学によって、そのような接続条件を求めるのが、

筆者の提案する「人工意識の機械・脳半球接続テスト」の肝である。

 

p214

 

・・・種明かしをするなら、発話と言語理解を担う複数の脳部位(言語野)は左半球

に集中している。 そのため、左半球の声しか聴くことができないのだ。そして、この

左半球による供述のポイントは、赤の他人に左半身を乗っ取られているかのような、

その供述内容にある。 あたかも、左半身を司る右半球と、右半身を司る左半球に、

それぞれ独立した意識が存在するかのごとく

 

p219

 

自身の片方の脳半球を機械の半球に置き換え、一つの統合された意識、すなわち、統合

された左右視野が出現するかを自らの主観をもってテストする。仮にそれが出現した

ならば、機械半球が意識を宿し、それが残った脳半球の意識とリンクしたことになる。

 

==>> ここではこの実験の詳しい内容を書かれていますので、それは読んで

     いただくとして、脳の右半球と左半球をつないでいる脳梁を切断すると、

     上に書かれているように右半球=左半身vs左半球=右半身という二つの

     人格に分れてしまうことが、神経科学の分野で確認されています。

 

     R・ダグラス・フィールズ著「もうひとつの脳」

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2020/12/post-181a46.html

「p376

私たちの頭蓋の中には、実際には二つの脳が収まっている。とはいえ、話が

できるのはそのうちの片方だけだ。この事実は、理性的であるはずの意思決定

プロセスを、自分では必ずしも説明できない方向へと突き動かしているのが、

潜在意識での直感や感情であることを説明できるかもしれない。

・・・巧妙な検査をすると、脳梁による結合を喪失したあとでは、ひとつの頭部

に収まる二つの脳が互いの存在にまったく気づいていないことが明らかに

なる。」

 

==>> これは、いわゆる右脳と左脳の話なのですが、仮にその間を繋ぐ脳梁

を切断すると、一人の体の中に、まったく異なる性格の二人が、

片方の脳の人間に気づかずに存在することになると言っているの

です。言ってみれば、芸術的な右脳人間と、分析的で発話能力を

持つ左脳人間が 別々にひとつの身体に存在するということです。

          これは想像するだけでも混乱しそうですが、少なくとも、右目に

入った映像を左脳で説明できる発話能力とつながった側が、表面的

には外部の人間にはアピールできそうです。

しかし、この分離脳の意思決定はどちらが握ることになるので

しょうか。

 

さて、次回は 「第5章 意識は情報か、アルゴリズムか」を読んでいきます。

 

 

=== 次回その5 に続きます ===

 渡辺正峰著「脳の意識、機械の意識」を読む ― 5 情報が意識だ。 脳の回路網をみれば、学習到達度が分る!? (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

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