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知念実希人著「機械仕掛けの太陽」の感想 ― パンデミック小説というよりコロナ・ドキュメンタリー?

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知念実希人著「機械仕掛けの太陽」の感想 ― パンデミック小説というよりコロナ・ドキュメンタリー?     通常であれば「xxxx」を読む・・・として、ダラダラと読みながら気になったところを つまみ食いする処ですが、今回は時間の都合で一般的な感想文を書くことにしました。   まず最初に、私が過去に読んだ パンデミック小説 は、下のサイトにある10作品の中で 2冊のみです。   パンデミック(ウイルス)小説 のおすすめ作品 10 作 https://fictionpot.com/pandemicnovels   まず第一には、 なんと言っても、カミユの「ペスト」 ですね。 ひとつの町が完全に封鎖されて、様々な人物がそれぞれの思いを抱きながら活動します。 それぞれの人生観を描く物語という感じです。 100分de名著 アルベール・カミュ“ペスト” https://www.dailymotion.com/video/x7taeu5   そして、日本人の作品では、 松本清張の「復活の日」 です。 映画にもなりましたが、やはり小説の方が面白かった。 これは完全に SF としての面白さでした。 https://www.youtube.com/watch?v=P0l6KRziz0U&t=29s   さて、そこで、今回の 「機械仕掛けの太陽」 ですが、概略は下のアマゾンサイトで ご覧ください。   機械仕掛けの太陽 単行本 – 2022/10/24 https://www.amazon.co.jp/%E6%A9%9F%E6%A2%B0%E4%BB%95%E6%8E%9B%E3%81%91%E3%81%AE%E5%A4%AA%E9%99%BD-%E7%9F%A5%E5%BF%B5-%E5%AE%9F%E5%B8%8C%E4%BA%BA/dp/4163916083 「 現役医師として 新型コロナを目の当たりにしてきた人気作家が満を持して描く、 コ ロナ禍の医療現場のリアル 。 2020 年初頭、マスクをして生活することを誰も想像できなかった ―― これは未

熊谷公男著「大王から天皇へ」を読む ―7(完)― 「乙巳の変」と「壬申の乱」 天武からが天皇だ 伊勢神宮はいつできた? 天武が作った日本と神話と現人神

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熊谷公男著「大王から天皇へ」を読む ―7(完)― 「乙巳の変」と「壬申の乱」 天武からが天皇だ 伊勢神宮はいつできた? 天武が作った日本と神話と現人神       「第五章 律令国家への歩み」 を読みましょう。     p249   カキの分割領有は、恣意的な収奪や中間搾取の温床 となっていあ。 さらには、この ような タテ割り的支配体制 は、・・・(国中の民の心は、 氏族の別にこだわり、他族の ものと対立し 、それぞれ名(自己の氏族への帰属意識)に固執した)・・・とあるように、 人々の間に自己のウジへの強烈な帰属意識を生み出し、諸氏の構成員はたがいに対立感情、 対抗心をもつようになっていた。 ・・・ 排他的な同族意識を助長して、この支配体制 はしだいにうまく機能しなくなって 、その歴史的使命を終えようとしていたのである。   ==>>  「カキ」 はその5に出てきました。       https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2023/02/blog-post_64.html 「「カキ」とは、垣根のカキに通じ、区画するという意味で、ここでは諸氏族      によって区画され、 囲い込まれた人間集団 ということである。」      「カキ(民・民部・部曲などと書き、カキベ、カキノタミともいう)・・・」      ・・・となっています。   p251   倭国では、 蘇我蝦夷・入鹿父子の独裁体制が敷かれ、権力の私物化 が進行していた。 これでは、風雲急を告げる半島情勢に迅速に対応することができないーーそのような 焦燥感が、 中大兄皇子ら反蘇我氏派にクーデターの実行を決意させ 、さらには支配層の 権力の一元化を核とした 改新政権の諸政策の方向性を規定する 要因の一つになったこと はまちがいないであろう。   p254   皇極のかたわらでクーデターの一部始終をみていた古人大兄皇子(ふるひとのおおえの みこ)は、 「韓人が鞍作を殺した」と謎めいたことば を発して私邸に引きこもってしまった。 「三韓

熊谷公男著「大王から天皇へ」を読む ―6― 天孫思想は推古朝にはあった 神話は借り物か 廃仏vs崇仏と言うけれど  神仏調和の時代  作法知らずの倭王だったけど

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熊谷公男著「大王から天皇へ」を読む ―6― 天孫思想は推古朝にはあった 神話は借り物か 廃仏vs崇仏と言うけれど  神仏調和の時代  作法知らずの倭王だったけど       「第四章 王権の転機」 を読んでみます。     p199   『書紀』によれば、 仏像・経巻を目の当たりにした欽明天皇は、群臣にその受容の可否を 問うた 。  蘇我稲目は「西蕃諸国(西隣の朝鮮諸国)はこぞって礼拝しております 。  倭国だけが拒絶するわけにはいきません」と答えたが、 物部尾興(もののべのおこし)と 中臣鎌子(なかとみのかまこ)は「わが国の王が蕃神(あだしくにのかみ、外国の神)を 礼拝されれば、きっと国神(くにつかみ、 わが国古来の神)の怒りをうける でありま しょう」といって反対した。 いわゆる崇仏論争のはじまりである。   p200   本来、仏教は個人の解脱を主題とする超世間的な宗教 であるが、伝来した仏教は、まず “外国の神”の教えと受け取られ、人々が仏教に求めたものは治病延命などの現世利益 と死者の供養であった 。 これは現代の日本人の宗教に対する接し方に、基本的には そのまあ通じるといってよい。   ==>> まあ、中国経由で渡ってきたのが大乗仏教ですし、いろんな仏様が入って      きたわけですから、外国の神と思われても仕方なかったんでしょう。      密教になるとほとんど仏教というよりヒンドゥー教みたいな感じですし。      そのあたりは、こちらのサイトでサラッと見ておきます。       仏教とヒンドゥー教は同じ神々を祀っている ⁈ https://kamibutsuyoku.hatenablog.com/entry/2017/06/22/%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%A8%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E6%95%99%E3%81%AF%E5%90%8C%E3%81%98%E7%A5%9E%E3%80%85%E3%82%92%E7%A5%80%E3%81%A3%E