大角修 訳・解説「法華経」を読む ― 5 法華経は、もっとも難信難解であり、 信じることも理解することも難しい!? どうすりゃいいの??
大角修 訳・解説「法華経」を読む ― 5 法華経は、もっとも難信難解であり、
信じることも理解することも難しい!? どうすりゃいいの??
大角修 訳・解説「法華経」「無量義経・妙法蓮華経・観普賢経」を読んでいます。
すべて現代語訳になっています。
p154
法華経でもアーナンダは過去の誓いをすっかり忘れているというのだから、やはり、
いま一歩の感がある。
ところで、仏教経典は「如是我聞」(このように私は聞いた)という言葉で始まるものが
多い。 この「如是我聞」の「我」はアーナンダが想定されている。
アーナンダはシャーキャ族の貴族の出身で、釈尊のいとこにあたり、ずっと釈尊の身近に
あって、もっとも多くを教え聞いた者(多聞第一)とされる。
釈尊の滅後まもなく教えを確認する仏典結集が催されたとき、「このように私は聞いた」
と唱えたのが、もっぱらアーナンダだったらしい。
これが重要なところである。 「如是我聞」のアーナンダは、まだ修行の道なかばで
普通の人に近い。その人が「このように聞いた」と語ることで、さとった人(ブッダ)と
普通の人をつなぐのだから。
==>> こりゃあまた、かなり不安な要素が出て来てしまいましたね。
物覚えが悪い普通の人に近い修行者だそうです。
そのアーナンダしかいなかったんですかねえ、お釈迦さんの側近は・・・
古事記の稗田阿礼みたいなプロの記憶力抜群の人はいなかったんだろうか。
一方で、普通の人じゃなくて、ほとんどお釈迦さんに近いぐらい悟った弟子
だったら、自分の信念なり解釈を小難しく加えて口伝したかもしれないので
普通の人であったのが幸いしたかもしれません。
難しいことは分らないけど、こんなことをお釈迦さんは言ってましたよ、と
いう感じ。
p160
わたしはこれまでに多くの経を説いてきました。 今も説いていますし、これからも
説きつづけます。 そのなかで法華経は、もっとも難信難解(なんしんなんげ)であり、
信じることも理解することも難しい経典です。
医薬の王たる菩薩よ、この経は、諸仏のもっとも重要な秘密が納められた蔵なのですから、
みだりに人に与えてはなりません。 仏の威力によって堅固に守られてきたものです
から、これまで顕わに示されることはなかったのです。
==>> ここでまた、法華経は最も難信難解(なんしんなんげ)な経であると出て
きました。 だから、「みだりに教えてはいけない」そうです。
余程の仏じゃないと「取り扱い危険」ということなのでしょう。
法然さんはこれをそのまま受け取った。そして、その弟子である親鸞さんも
法華経のことは語らなかった。
一方、日蓮さんは、果敢にこれに挑んだということなのでしょう。
p161
塔は仏の遺骨を納めて建立するものとばかり考えてはなりません。 なぜなら、妙法
蓮華経が如来の全身なのですから。 その塔の中に如来が在すのです。
・・・もし、その塔に礼拝し、敬いと祈りをささげる人があれば、その人は無上のさとり
に近づいています。
在家であれ出家であれ、菩薩の道をゆこうとしているのに、もし法華経を見ることも
聞くこともなければ、その人はまだ、無上のさとりから遠く離れています。
逆に、法華経を見、聞き、信受する人は阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみやく
さんぼだい)が近いと知りなさい。
==>> 塔はストゥーパのことですね。
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%91-84296
「仏陀 (あるいは阿羅漢など)
の遺骨 (あるいは髪,持物など) を埋納し,
仏教徒たちが尊崇の対象とした半球形,またそれが変化発展した形の建造物,
すなわち仏塔。 中国,日本などの卒塔婆 (そとば,そとうば) または卒都婆
(そとば) ,塔婆,塔という語もストゥーパに由来する。」
「【阿耨多羅三藐三菩提】(あのくたらさんみやくさんぼだい)
〘名〙 (anuttara-samyak- saṃbodhi の音訳。「無上正遍知、無上正等覚」とも
訳す) 仏語。仏の悟り。真理を悟った境地。この上なくすぐれ正しく平等である
悟りの境地。阿耨菩提。
※顕戒論(820)上「此三菩薩必二定阿耨多羅三藐三菩提一不レ退二無上智道一」
〔般若波羅蜜多心経〕」
・・・さてここで、前から私は混乱しているんですが、
法華経はそんじょそこらの修行者には教えちゃいけないほど難信難解な経で
あるのに、ここでは「法華経を見、聞き、信受する人は阿耨多羅三藐三菩提
(あのくたらさんみやくさんぼだい)が近いと知りなさい。」
と一見矛盾するようなことが書かれているんですね。
そこで、よくよく読んでみると、「見、聞き、信受する」と書いてあるわけです。
つまり、「分らなくて良い、理解しなくて良い」。 「分るわけがない。理解
できるわけがない」、だけど、「法華経を見て、聞いて、信じて受ける」ことを
すれば、仏の悟りに近づけます、と読めますね。
まあ、信仰というのは元来そういうものだと言われれば、それは分かります。
p162
法華経に出会えば、それは近くにあると確信できるのです。 なぜなら、菩薩の無上の
さとりは皆、この妙法蓮華経から生じるのですから。
この経は方便の門を開いて、真実の姿を指し示すものです。 真実は幽遠のかなたに
あって人のよく近づけるものではありません。 それゆえ諸仏は、求法者たちを導く
ために妙法蓮華経を開示するのです。
==>> 「妙法蓮華経から生じる」「妙法蓮華経を開示する」とあるその意味をどう
読めばいいのかが分かりません。
さとりが妙法蓮華経から生じる。 導くために開示する。
だから、日蓮宗では「南無妙法蓮華経」という題目を唱えるということか。
念仏のように唱えることで「生じる」、そして、導くためにその鍵となる
妙法蓮華経を求法者に開示する・・・ということでしょうか。
念仏の場合は、南無の後に阿弥陀仏とか大師遍照金剛とか、仏様の名前
みたいなのが続くんですが、法華宗の場合は妙法蓮華経という経典に
帰依しますというお題目になるわけですね。
p163
如来の座とは、すべては空であること。 すなわち、どんなものも互いに関わりあいながら
常に変化しているという万物の真理です。
==>> おお、ここまで読んできて、初めて「空」とか「万物の真理」とかいう言葉が
出て来ました。
中身がないとも言われている法華経のその中身は、ここなのでしょうか。
p166
法華経は一字一句、真実である。 とすれば、「法師品」にある受難の予告も現実にならね
ばならない。 智顗も最澄も法華経を受け継いだけれども形ばかりのもので、日蓮に至って
ようやく法華経の予告が完結した。 約された救済も現実のものとなろう。 これが日蓮
の確信であった。
==>> 「一字一句、真実である」とするならば、何度も書かれている「修行者であって
も理解はできない」ということも真実ということになるんでしょうからねえ。
日蓮さんの強気の性格がここでも出ていると思います。
p168
声聞・縁覚は自身のさとりをめざす出家修行者で、在家の男女はさとることができない
という。 ・・・「小乗」とよばれる。 それに対して大乗仏教は、・・・さとりへの
道は在家の信徒にも開かれているとする。その立場の修行者をとくにボーディサットヴァ
(さとりを求める人)、すなわち菩薩とよんだ。
法華経では声聞・縁覚・菩薩の三乗の道も究極的には一つの至高の仏道に統合されると
いい、それを「一乗」という。
==>> 三乗と一乗との関係が今一つはっきり分らないので、ここで百科全書で
確認します。
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E4%B9%97-70827
「大乗仏教ではそれに声聞(しょうもん)乗(仏弟子の乗り物)、縁覚(えんがく)
乗(ひとりで悟った者の乗り物)、菩薩(ぼさつ)乗(大乗の求道(ぐどう)者の
乗り物)の三つがあるとする。」
「初期大乗経典の『法華経(ほけきょう)』では、三乗は一乗(仏乗、一仏乗とも
いう)に導くための方便であり、真実なる一乗によってすべてのものが等しく仏
になると説いている。」
・・・つまり、大乗仏教の中でも3つの乗り物があったけど、
法華経の中では、その三乗=一乗だよってことですかね。
そして、小乗仏教の場合は、
「ただし、部派仏教(いわゆる小乗仏教)ではこのうちの菩薩乗を説かず、
かわりに仏乗(仏の乗り物)をたてる。」
と言うことになっていますので、声聞・縁覚・仏乗という3つのランクが
はっきり区別されているということのようです。
p169
アショーカ王によって仏教はマウリヤ帝国の国教になったのである。 といっても、
帝国内の諸民族の神々が排除されたわけではない。 諸民族の神々の祭りはブッダの
もとで存続した。 それらの神々は経典ではブラフマー(梵天)、インドラ(帝釈天)など
の御法尊として語られ、法華経にも数多く登場する。
語り伝えられた経典の言葉が文字に記されるのは紀元前後である。 紀元一世紀から
数世紀には阿弥陀如来や観音菩薩などの救いを説く大乗経典も数多く編纂され、その
なかに法華経もあった。
==>> Wikipediaによれば、
阿弥陀経は1世紀ごろ、
法華経は「近代文献学に基づく仏教学によって紀元後に成立した創作経典で
あることが明らかにされている。その具体的な時期については、以下に述べる
如く諸説ある。」と書いてありまして、中村元さんの説では「法華経が成立した
年代の上限は西暦40年である」だそうです。
ところで、観音経なんですが、観音経で検索すると、「妙法蓮華経観世音菩薩
普門品」ということになってしまうので、結局法華経の一部ということに
なりそうです。
p170
大乗経典の編纂者たちは、おそらく、そうして寺院の学僧たちだっただろう。 かれらの
身分は上座部の比丘だっただろうが、在家の男女が熱心に仏に供養し、祈るのを見れば、
かれらのほうが仏に近いのではないか。 少なくとも、いつか仏に成ること(作仏)の道
に出家も在家も区別はない。 そのように思った修行者たちが、それを釈迦如来の声と
してうけとめて大乗仏教を開いたのだろう。
そして、比丘を重んじる上座部系の立場を声聞・縁覚の二乗とし、大乗仏教は菩薩の
道だとしたのだった。
==>> この辺りは、実際のところはどうだったのか文献などはないでしょうから
推測だとは思いますが、実際問題として様々な形でいわゆる乞食とされた
修行者を支えたのは在家の人たちでしょうから、その在家の人たちに
なんらかのメリットがなければ宗教としては成り立ちませんからね。
p171
日本での法華経の解釈は、聖徳太子の「法華義疏」にはじまる。
太子の周囲には朝鮮半島の百済などからわたってきた学僧が多数おり、共同で編纂したの
だろう。 ・・・その序の冒頭に、法華経は釈迦如来の最終的な教えであり、三乗の別
を超えて一乗の理を説くものだという。
p173
法華経は出家・在家の区別なく仏道を完成させることができるという。 聖徳太子の
「三経義疏」の他のふたつの経典、勝鬘経(しょうまんぎょう)と維摩経はさらに在家主義
が強い。
==>> この日本での聖徳太子の影響については、先に読んだ「親鸞と聖徳太子」に
詳しく書いてありました。
島田裕巳著 「親鸞と聖徳太子」
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/08/blog-post_58.html
・・・と言うよりも、この「親鸞と聖徳太子」を読んだからこそ、この「法華経」
を読んでみようという気にもなったのですが。
そして、「在家こそ日本仏教のあるべき姿である」というのもその理由が分って
きました。
p174
こんどはヴィマラキールティが文殊菩薩に「さとりの種子とはなにか」とたずね、
菩薩が答えた。 「欲望や迷いなどの煩悩こそが仏となる種である。 蓮が泥の中にこそ
芽生えて花を咲かせるように。 澄んだ空に種をまいても、芽が出ることはない」と。
迷いがあるからこそ安らぎがある。 それを煩悩即菩提(煩悩がさとり)といい、
日本仏教の大きな柱になる。
・・・日本仏教の起点におかれる聖徳太子は世俗の人だった。 そして日本は、世界に
まれな在家仏教の国になり、「どんな悪人にも仏心がある」とか「本心は悪くない」と
いった性善説がはぐくまれることになった。
==>> ここで出て来たヴィマラキールティは、維摩経のでてくる維摩詰という商人
のことです。
聖徳太子と、法華経や維摩経、そしてさらには性善説を育んだであろう
仏教説話である「日本霊異記」などについても、「親鸞と聖徳太子」に
述べられていました。
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/08/blog-post_33.html
そして、「今昔物語集」にも、非常に面白い仏教説話として語られています。
ビギナーズ・クラシックス「今昔物語集」
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/09/blog-post_12.html
伊藤比呂美著「作家と楽しむ古典:日本霊異記・発心集」
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/09/blog-post_14.html
このような仏教説話を読んでみると、今の感覚ではまったく理解できない
話もあるんですが、平安時代ごろの庶民感覚の一端を知ることが
できるような気がします。
このような庶民が喜ぶような話が当時のどんな階層の人たちに実際に
出回ったのか興味あるところですが、おそらくはお寺などでも
語られたのでしょうね。
== その6 に続きます ==
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