ビギナーズ・クラシックス「今昔物語集」を読む ― 1 帝釈天が、けなげなウサギを月にアップした
ビギナーズ・クラシックス「今昔物語集」を読む ― 1 帝釈天が、けなげなウサギを月にアップした
角川書店編 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典「今昔物語集」を読んでいます。
今更なんで・・・とお笑いでしょうが、
先に読んだ「親鸞と聖徳太子」に下のようなことが書いてあったので、興味を引かれて
入門の本を読むことにしました。
「「今昔物語」と言えば、芥川龍之介が「鼻」などの小説を書く際に活用したように、
人間の愚かさをあぶり出すような逸話の集成というイメージがあるかもしれない。
ところが、「今昔物語」の本質は、仏教の歴史を描き出すことにあった。」
・・・と書いてあったからです。
こちらのサイトでは、以下のような解説があります。
https://kotobank.jp/word/%E4%BB%8A%E6%98%94%E7%89%A9%E8%AA%9E%E9%9B%86-67264
「1120年(保安1)以降まもなく、白河(しらかわ)院政のころ成るか。編者未詳。」
「すべての説話に文献資料があったとみられる。中国の仏教説話集『三宝(さんぼう)感応
要略録』『冥報記(めいほうき)』『弘賛法華伝(ぐざんほっけでん)』および船橋家本系
『孝子伝』、日本の『日本霊異記(りょういき)』『三宝絵詞(さんぼうえことば)』『日本往生
極楽記』『本朝法華験記(ほっけげんき)』『俊頼髄脳(としよりずいのう)』が主要な確実な
資料である。」
「巻1~5を天竺(てんじく)(インド)、巻6~10を震旦(しんたん)(中国)、巻11~31
を本朝(日本)のごとく3部に分け、各部をそれぞれ仏法、世俗の2篇(へん)に分ける。」
・・・つまり、「日本霊異記」などからの説話などを再編した仏教説話集と思われます。
一度ざっと読みましたところ、分かりやすく現代語訳され、おまけに漢字にはふり仮名が
つけられ、さらにストーリーが分るように抜き書きと抜き書きの間を繋ぐ要約も入れて
あります。
こういう読みやすい形であれば、この本の2倍ぐらいの厚さでもいいのになと
思いました。
では、私が気になった面白い話をピックアップして、連想したことなどを
書いてみたいと思います。
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p15
シャカは答えた。
「宇宙のすべてのものは変化してやまないものなのです。 そこで、私も、まもなく
天上界から人間界へと移り住むことになるのです。」
シャカの返事を聞いた天人たちはみな嘆き悲しんだ。
さて、釈迦は、誰を父母にしようかと、人間界を見わたして、カビラエ国のジョウボン
(浄飯)王とその妃マヤ(摩耶)夫人を選んだ。
==>> まずは、お釈迦様が人間界に来るところから書いてあります。
これは「釈迦如来、人界に宿り給へる語(巻第一第一話)」となっていまして、
さあ、今から仏教説話を始めるぞという感じです。
しかし、自分が生まれる家を選べるっていいですね。
まあ、生まれてみたら、こんな筈じゃなかった、なんてこともあるでしょうが。
イエス・キリストと違って、王様のところに生まれるってのはどうなんだ、
という意見もあるでしょうが。
p18
トソツ天(兜率天)の内院は、将来ブッダとなるボサツのエリートが住む天上界の
ひとつ。 ここから、シャカはブッダとなるための修行を積む目的で、人間界に転生した。
==>> 兜率天については、こちらでどうぞ:
https://kotobank.jp/word/%E5%85%9C%E7%8E%87%E5%A4%A9-105250
「須弥山(しゅみせん)の上空、夜摩(やま)天の上にあるが、欲界の6種の天
(六欲天)の一つとされ、美しい風景や天女や子供が存在する。この天は、
下界に降(くだ)る菩薩(ぼさつ)(未来の仏)が待機する場所として有名で、
すでに釈迦(しゃか)が降下し、いま弥勒(みろく)が待機中であるという。」
・・・なんと、次に人間界に下りるエリートの待機場所だそうです。
菩薩は修行中の人たちだと思うんですが、「美しい風景や天女や子供が存在する」
ような恵まれた環境でいいんですかね?
p19
シャカとは、出身種族であるシャカ族にちなんだ名前で、出家して悟りを開いてから用いる。
尊称ムニを加えて、シャカムニともいう。 ふつう、悟った人という意味の「ブッダ(仏陀)」
またはそれを略した「仏」(日本語で「ほとけ」と読む)と呼ぶことが多い。
==>> シャカムニはお寺さんなんかでは釈迦牟尼という表示になっていますね。
いずれにしても、ブッダの場合などは、狭義と広義の意味があるようなので
お釈迦様というのか仏陀と言えばいいのか迷うことがあります。
p20
四月八日に行われる「灌仏会」(花祭り)は、シャカの誕生日を祝う儀式である。
シャカ誕生のとき、竜王が吐いた聖水に浴したという伝説にならい、甘茶や香湯を
シャカ像にかける慣習がある。
==>> 私の生家は両親が浄土真宗でしたので、このようなイベントには馴染みが
ありませんでした。 最近は、あちこちのお寺散歩などで、たまたま
この花祭りに出くわすことがありました。
p21
二月七日の夜、これらの天魔をすべて降参させた太子は、大光明を放って、大真理を
瞑想する境地に入った。 その夜、・・・深夜になって暗い迷いの根を断ち切る知恵の
光を獲得し、永久に煩悩を断ち切って、ブッダの知恵を完成させた。 これ以来、
シャカ(シャカムニブツ)と呼ばれることになった。
==>> これはシッダールタ太子がシャカヌミブツになった瞬間を描いた話です。
「菩薩、樹下に成道し給へる語」の一部です。
やっぱり瞑想が一番いいんですかね。
p23
ついに、魔王は、恐ろしい姿をした魔の大軍に武器を持たせて、太子を脅迫し始めた。
だが、太子は眉毛一本動かすことはなかった。
やがて、天空に神の声が響きわたり、太子の悟りを妨害してはならない、と叱り
つけた。 魔王はあきらめて、自分の宮殿に退散した。
==>> こういう仏教説話とか仏典を読んでいて、頭の中が混乱するのは、
魔王とか神とかが出てくることなんですよねえ。
仏教なのになんで神なんかが出てくるのか?って話です。
まあ、元々がバラモン教の時代に生まれた仏教なので、バラモン教の
世界観があちこちに出てくるんでしょうけど。
そこで、バラモン教・ヒンドゥー教の神様たちをちょっとチェック:
http://www.gregorius.jp/presentation/page_58.html
「四世紀頃、古代インドにおいて、ヴェーダの宗教であるバラモン教と民間宗教
が融合することによりヒンドゥー教が成立します。
ヴェーダの時代に重要な神であった「インドラ、アグニ、ヴァルナ」に代わって、
ヴェーダでは脇役に過ぎなかった「ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ」が重要な
神となります。
ヒンドゥー教の汎神論的な教義の許では、ヴェーダの多神教的な神々には従属
的な地位しか与えられませんでしたが、ある人々はこれらの神々に愛着を持ち
続け、中でも卓越した神々に護世神としての役割を付与します。」
このサイトの中に書いてある神々の中で、日本でも有名な神さまたちは
下のような感じでしょうか。
雷神インドラ(帝釈天)
冥界神ヤマ(閻魔天)
財宝神クベーラ(多聞天、毘沙門天)
他にもいろいろな神様たちが日本に来ていると思いますが、それは追い追い。
p24
シャカは弟子に語った。 彼は酔ったいきおいで出家した。 けっして本心ではない。
それでも出家したことが縁となって、やがて悟りを得ることになろう、と。
そのうえ、仏教には飲酒を禁じる不飲酒戒があるのに、飲酒が出家の動機になったこと
を認めて、この男には特別に飲酒を許した。 とりわけ出家を重視したためである。
「偽りても賢を学ばむを賢といふべし」(「徒然草」第八十五段)の実例。
==>> これは「人を見て教えを説くという方便を重んじた」シャカが、
「酔ったはずみで出家した」男を許してあげたというお話です。
それにしても、飲酒を特別に許したというのはいかがなものか? とお堅い
私は思います。
戒はあるけど、おおらかな昔だから許されたんでしょうか?
p26
煩悩のけがれのないシャカでさえ、父と子の愛情というものは、弟子たちへの愛情とは
異なるものなのだ。 まして、濁りきったこの世の親たちがわが子への愛情に迷うのは
当然である。 シャカもそのことを示したのだ、と語り伝えられているという。
==>> ブッダが息を引き取る前に、周りの人たちに息子のことを頼んだという
お話です。 これは天竺・震旦部の説話なんですが、多分元々はインドの
説話なんでしょうね。 上の飲酒の話も合わせて、結構ゆるい感じの
話になっています。 建前や戒律よりも現実主義でしょうか。
p27
事実、正式な経典には、こうした俗人シャカの言葉はないという。 とすれば、この
最期のシャカは、日本人が独自に発想したシャカ像ということになろう。
==>> おやおや、日本での創作ですか。
理屈よりも情に流され易い日本人・・・ですかね?
考えてみれば、日本以外では上座仏教で出家が基本であるのに対し、
在家中心である日本においては、そうならざるを得ないということに
なりますか。 そのベースを作ったのは聖徳太子であったというのが
先に読んだ「親鸞と聖徳太子」のメインテーマでした。
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/08/blog-post_33.html
p32
男は、いくら嘆き悲しんでもどうにもならず、すごすごと帰って行った。
してみると、現世を離れて死後の世界に移れば、もとの人間の心は消えてしまう
のだろうか。 父親はまだ現世に行きているので、こうも親子の情愛に苦しむのだろう、
と語り伝えているとか。
==>> これは息子を亡くした父親が、閻魔大王に掛け合って、あの世にいる
息子に会う場面です。ところが、庭で遊んでいた息子は父親に気づかず
呼びかけても全く反応がなかったというお話です。
この話が本当ならば(本当であるわきゃないんですが)、やはりこれは、
最先端の哲学か科学で言われているように、あの世に行った霊魂は、
個々人の記憶はなくなり、大きな魂の一部になってしまうということ
なんでしょうか(こちらも信じられない説ですが)。
その最近の説を振り返ってみます。
「保江邦夫著 「神の物理学 甦る素領域理論」」
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/06/blog-post_2.html
「p140
人間の死というものがどういうものかというと、 その人間の身体細胞組織を
作り上げているすべての分子・原子の構成要素である素粒子のそれぞれが
入り込んでいる空間の素領域をすべて取り囲んでいたはずの完全調和の一部分
としての霊魂が、その人間の身体組織がある空間の素領域を取り囲まなくなって
しまうことに他ならない。」
p33
空海も、生と死のはては暗いと述べて、過去世・現在世・未来世の三つの世界の間には、
ふつう人間である以上は行き来することのできない絶対の壁があることをさとした。
ここの親子の話は、そうした転生の実態を映し出している。 子は転生したのに、親は
もとのままである。
==>> 「絶対の壁がある」のはすんなり理解できるのですが、
「転生の実態」と言われると「あれっ」と思います。
転生、輪廻は誰かが確認したんだっけ、と思うわけです。
p37
すると、ウサギは、「ぼくには食べ物を探し出す能力がないんだ。 だから、どうかぼくの
体を焼いて食べてください」と言うや、たちまち炎の中に躍りこんで焼け死んだ。
このとき、老人に変身していたタイシャク天は、もとの姿におどり、このウサギが火に
飛び込んだときの姿をそのまま月の中に移して、命あるもののすべてに見せるために、
月面に刻みこんだ。
==>> ああ、なんと良い話なんでしょうか。
我が子と山にキャンプに行った時に、月を見ながらこんな話が出来たら
良かったのになあ・・・と思いますか?
遅すぎますが、私はそう思います。
五十年ほど前に読んでおけばよかった。
p40
「今昔物語集」は、江戸時代の終わりごろまで、ごく少数の知識人にしか、存在を知られて
いなかった。 「今昔物語集」の文芸価値を最初に発見したのは、芥川龍之介であると
いってよい。
・・・彼は・・・・この生々しさは、「今昔物語」の芸術的生命であると言っても
差し支えない。 この生なましさは、本朝の部には、一層野蛮に輝いている。
・・・それは紅毛人の言葉を借りれば、brutality(野生)の美しさである。
或いは優美とか華奢とかには最も縁の遠い美しさである。・・・・
==>> ここでは、芥川龍之介の今昔物語への評価を書いています。
平安後期の日本人がどんな人たちで、これを読んだ、あるいは聞いた人たち
がどんな階層の人たちなのか分かりませんが、少なくとも宮廷文学では
なさそうですので、一般庶民に仏教というものを教えるものとして
語る人たちがいたのでしょう。
そういう意味においては、ざっくりとした生々しさが庶民に訴える力と
なったのかもしれません。
p47
同じ盗賊の話でも、本朝部の日本版と読み比べると、まるで異質な印象を受ける。
逃亡にあたって、捕縛されて生き恥をさらさせないためにと決断して、親の首をはねるなど、
日本の盗賊には無理である。 肉親愛の表現のしかたがじつにドライだ。
==>> この話は、親子の盗賊が王家の蔵に泥棒に入って、父が蔵の中から外にいる息子
に宝物を手渡している場面です。息子が警備兵が来るのに気づいて、このまま
では、必ず父が捕まってしまうと観念し、窓から頭を出した父の首をはねて、
その頭を持って逃げるというお話です。
親が捕まって顔が割れ、家族に禍が及ぶ生き恥をかくことを恐れてのことだと。
確かに解説者が言うように、今の日本人の感覚ではドライというよりも発想が
凄すぎる結末だと思います。
ただ、この話は、震旦(中国)の話と語られているものの、その源流は、インド
あるいはエジプトにまでさかのぼるのではないかということです。
であるとするならば、その地域での古代人の感覚ではどうだったのか、はたまた
その当時の泥棒への刑罰はどうだったのかが、その息子の判断に大きく影響
するのではないかと妄想できます。
死罪が決まっているのであれば、古代の日本人でも親の首を斬るかもしれ
ないし、そうでなければ、父が息子に逃げろというかもしれないし、あるいは
父子いっしょに捕まることを観念するかもしれません。
しかし、それにしても、これが何故仏教説話に入っているのかの真意は理解
出来ません。
p48
聖人クマラエン(鳩摩羅焔)は、なんとかして中国に仏法を伝えたいと願うあまり、
この仏像を盗みだした。 追っ手に捕まらないように、昼も夜も、険しい道を急いだ。
シャカはあわれに思い、昼はクマラエンが仏像を背負い、夜は仏像(シャカ)が
クマラエンを背負った。
・・・王は深く同情した。 ・・・この聖人は年老いている。 中国まで仏像を運ぶのは
無理だろう。
・・・やがて、王女は子を宿し、クマラエンは死んだ。
・・・生まれた子は男の子で、クマラジュウ(鳩摩羅什)と名付けられた。
==>> 有名な鳩摩羅什のお父さんの話です。
しかし、まあ、そのお父さんですが、年寄りだというのに、亀茲国の国王の
王女と結婚させられて子を生むとは・・・・さすがに聖人です。
この鳩摩羅什さんについては、こちらでどうぞ。
https://kotobank.jp/word/%E9%B3%A9%E6%91%A9%E7%BE%85%E4%BB%80-55996
「中国の仏典翻訳僧のうち,最も偉大な者の一人。父はインド人,母は亀茲国
王女という。7歳で出家し仏教を学び,さらに北インドに学んだ。その後中央
アジア諸国をめぐり,大乗仏教に接し,亀茲国に帰国。のち,中国に招かれて
長安に行き,訳経事業に従事,その間仏教を講じたりした。」
・・・しかし、これって、史実なんでしょうかねえ。
翻訳したのは史実なんでしょうけど、お父さんの話がねえ。
さてさて、これから下は日本(本朝)部に入ります。
== その2 に続きます ==
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