スティーブン・ピンカー著「言語を生み出す本能」を読む ― その1 手話にもいろいろ、 独立した文法をもつ言語、日本手話は日本語ではない

スティーブン・ピンカー著「言語を生み出す本能」を読む ― その1 手話にもいろいろ、 独立した文法をもつ言語、日本手話は日本語ではない

 

 

スティーブン・ピンカー著「言語を生み出す本能(上)」を読んでいます。

 

 

リチャード・ドーキンスとチョムスキーがこんな言葉を寄せているんですから、

読まなくちゃいけないですね。

 

・・・と言いながら、なかなか難しい箇所も多いので、私が興味のある分かり易い部分

だけをつまみ食いしながら、勝手な印象を書いてみます。

 

p025

 

チョムスキーは、言語に関する基本的事実を二つ指摘した

第一に、・・・・脳のなかに、有限の単語リストから無限個の文を作り出す処方箋なり

プログラムがあるに違いない。  このプログラムを(従来の、教育上の、あるいは

名文を書く助けとしての「文法」と区別するために)心的文法と呼んでさしつかえ

なかろう。 

 

第二に、子どもは正式の指導を受けることなく、この種の複雑な文法を短期間に

身に付け、はじめて出会う新しい文の構造をも一貫したやり方で理解するようになる。

したがって、子どもは生来、あらゆる言語に共通する文法の青写真ともいうべきものを

備えているに違いない。 このいわば「普遍文法」によって・・・・

 

==>> チョムスキーさんに関しては、私は生成文法がらみでその名前を知ったの

     ですが、今までに読んだ本といえば、社会活動家としてのチョムスキーさんの

     以下の二冊です。

 

     チョムスキー著「メディア・コントロール: 正義なき民主主義と国際社会」

読む ― その1 PR産業の目的は「大衆の考えを操作する」こと

https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/05/blog-post.html

 

     ノーム・チョムスキー著「誰が世界を支配しているのか?」を読む ― 日本を

恐れたアメリカ。 巨大金融機関と多国籍企業のマネーによる政治支配

https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/02/blog-post_18.html

 

     そして、元日本語教師として読んでおくべきだった生成文法については、

     やっとこちらの本で知ったばかりでした。

     福井直樹著「自然科学としての言語学:生成文法とは何か」を読む 

― その1 「普遍文法」とは脳の初期状態? 言語学は今や理系の学問

https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/03/blog-post_25.html

 

     ただし、日本語教師としての文法と、この生成文法は、根本的にその対象    

     とするものが異なる様子でした。

     そして、興味を惹かれたのは、生成文法の方が、私が今読書テーマと

     している「意味とはなにか?」という点では、近いのではないかと感じた

     のでした。

 

p028

 

チョムスキーの言語能力についての理論は、単語と文構造の学問的分析に基づいて

おり、形式主義の難解な表現が多用される。 血のかよった発話者についての議論は

おざなりで、それもかなり観念的である。 私はたまたま、チョムスキー理論のかなりの

部分に賛同しているが、精神についての理論が説得力を持つには、多方面からの現実に

即した証明が不可欠だと思う。

 

したがって本書では、DNAが脳を作り上げる過程から、言語を云々する新聞コラムニスト

の尊大さまで、広範なテーマを取り上げる。

 

==>> この本の著者が、こんなことを書いているのですから、チョムスキーさんの

     書いた本はかなり難解であることは想像できます。

     それを言い訳にして、私はできるだけ素人にも分かり易くかかれている

     本を読んで、周辺から攻めてみるしかありません。

 

 

p031

 

地上のあらゆる場所に複雑な言語が存在するという事実は、言語学者を厳粛な気持ちに

させる。 言語は文化の産物などではなく、人間の特定の本能によって生み出される

ではないか、という疑問がわく最大の理由でもある。 

 

文化の産物は、文化圏ごとに精緻さの度合いが大きく異なる。一つの文化圏のなかでは、

精緻さの度合いはほぼ等しい。 

・・・・しかし、言語はこの法則には当てはまらない。 石器時代さながらの部族は

あっても、石器時代さながらの言語は存在しないのだ。

 

==>> つまり、文化のような後天的なものではなく、言語は生まれながら人類が

     持っている能力なのではないかという仮説です。

     

 

P041

 

今世紀に入る直前、ハワイの砂糖キビ生産がブームを迎え、・・・中国、日本、朝鮮、

ポルトガル、フィリピン、プエルトリコから労働者が集められ、当然ながらピジンが発生

した。 ピッカートンが聞き取り調査をしたのは1970年代で、・・・・・

 

彼らの話し方の典型例・・・

 

わし、コーヒー、買う。 わし、小切手、作る

(Me cape buy.  Me check make.)

 

・・・・

いい、ここ。 カウカウ なんでも ここ。 フィリピン島 よくない。 お金 もうない。

(Good dis one.  Kaukau any-kin dis one. Philippine island no good. No mo money.)

 

最初の文の発話者は、92歳の日本人移民で・・・

「彼は私のコーヒーを買って、小切手をきった」といいたいのだな、と見当がつく。

 

三番目の発話者は69歳のフィリピン人で、

「ここのほうがフィリピンよりいい。 ここではいろいろな食べ物が手に入るが、

フィリピンでは買いたくても金がない」といっている。

 

p042

 

ピジンには一定の語順や接頭辞、接尾辞から、時間的、論理的関係を示す手段まで、

通常の文法的表現手段が欠けているうえに、単純な句を並べるだけで、それ以上複雑な

文構造は存在しない。

 

しかし、1890年代以降、ハワイで育ってピジンに接した子供たちの世代となると、

話し方が大きく様変わりする。

 

・・・・

 

p043

 

英語の単語を勝手気ままに使ったわけではなく、ハワイアン・クレオールの文法に則って

いるからだ。

 

==>> ここでは、ピジンとクレオールという用語が出て来ました。

     この二つの言葉の意味を確認しておきましょう。

     https://www.nihongo-appliedlinguistics.net/wp/archives/7891

     「ピジンは「異なる言語を話す人々の共通語として、互いの言語が混合して生ま

れた新たな言語」と言われます。ただ、一般にピジンというと、16世紀以降

アフリカ・東南アジア・中南米・カリブ海などの欧米諸国の植民地で、ヨーロッ

パ系言語と現地語の接触で生まれたものを指すことが多いです。」

「日常生活でピジンが使用されるようになり、その地域の人の母語として使わ

れるようになったものをクレオールといいます。

クレオールは、語彙・文法・発音ともに複雑化することがわかっています。

なお、クレオールは、フランス語で(Créole)、スペイン語(Criollo)、ポルト

ガル語(Crioulo)といい、「植民地に生まれたヨーロッパ人」という意味です。」

 

・・・これらの解説から判断すると、ピジンには文法らしいものはないが、

クレオールになると一定の独自の文法が出来上がっているといえそうです。

 

そして、その一定の文法を作り上げるのは、第二世代以降の子供たちで

あるということになりそうです。

その能力こそが、生得のものであるのではないか、ということでしょうか。

 

 

p044

 

手話というのは身振りやパントマイムの一種だろうと思っている人が多い。 教育者が

発明したとか、周囲の話し言葉を暗号化したものだとかいう思い込みもある。 

が、すべて間違っている。 聴覚障害者の共同体があれば、必ず手話も存在する。

手話はそれぞれ、独立した完全な言語であり、世界各地の話し言葉で使われるのと同様

の文法的仕組みに則っている。 

 

たとえば、米国の聴覚障害者が使うアメリカンサインランゲージ(ASL)は英語にも、

英国手話にも似ていない。 むしろ、数、人称、性、格の一致などの仕組みは

ナヴァホやバントゥーの言語を思わせる。

 

p045

 

校庭やスクールバスのなかで、子どもたちがそれぞれの家庭で使っていたその場しのぎの

身振りを持ち寄って、独自の手話を発明していったからだ。

 

p046

 

年少の子どもたちが年長の子のピジン手話に触れて一足飛びに作り上げたISNは、

まさにクレオールに相当するように思われる。

 

==>> ここに書かれている手話の話は、いままでまったく知識の無かった

     私にとっては、非常に驚きです。 専門家などが作ったわけでもなく、

     普通の言語と同じように、いわば自然発生的にそれぞれの共同体の中で

     発生するということのようです。

     

     日本の手話については、wikipediaには以下のように書いてあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%89%8B%E8%A9%B1#%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%A8%98%E8%BF%B0

     「現在確認できる最も古い日本手話(の原型)の記録とされているのは、古河

太四郎が1878年に開設した京都盲唖院に関するものである。そこでの教育は

「それまで古河が実践してきた自然的身振りをもとにした手勢法(手真似)で

行われ」とあり、創立時の31名のろう生徒のコミュニティで、少なくとも日本

手話の原型と言えるコミュニケーション方法が用いられていたことがうかが

える。」

日本手話は、日本語とは全く異なる言語学的特性を備えている。 (それに対

して、日本語対応手話は、日本語の通りに口を動かしながら手話単語を並べる

ものであり、文法は基本的には(音声言語・文字言語の)日本語のそれと同様の

ものである)。」

「日本手話は、手や指、腕を使う手指動作だけでなく、非手指表現と呼ばれる、

顔の部位(視線、眉上げ・眉寄せ、目の見開き・細め、頬を膨らませたりすぼめ

る、口型や口の半開き、舌出し、首の傾きや首ふり、あご引き・あご出しなど)

が重要な文法要素となっている。」

 

・・・これを見る限りは、手話というものも、一般の言語と同様に、

様々な手話があって、それは一般の言語とはまったく異なる文法的特徴が

あるようです。

 

こちらのサイトを参照してみると、

http://syuwawonarau.info/entry4.html

日本手話(伝統的手話)

 ろう者が伝統的に用いてきた手話で、日本語との対応はなく独自の

 文法を持っています。 産まれたときから、あるいは日本語を学ぶ以前に失聴

したろう者は日本手話を母語としています。」 

日本語対応手話は、日本語通りに単語が並ぶので日本語であり、手話

 ではないという意見もあるようですが、手話と呼ぶと日本語対応手話

 か中間型手話を指しているのが現状です。

 日本語を母語とする健聴者が使い、ろう者は通常使いません。」

 

・・・つまり、ろう者にとっては、日本手話と日本語対応手話は、まったくの

外国語並みの別物であるようです。

 

     ところで、国際的な共通語としての手話はあるのでしょうか。

     Wikipediaには以下のような解説がありました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%89%8B%E8%A9%B1

     「国際手話(こくさいしゅわ)は、国際補助語のひとつで、ろう者が国際交流を

行う際に公式に用いるために作られた手話。各国の手話を元にした一種の

ピジン言語。世界ろう連盟やデフリンピックをはじめとするろう者の公的な

国際交流の場や、他国への旅行・交流などのより私的な場でも意思疎通を図る

ために用いられる。」

「近年、ヨーロッパにおいて別の手話統一の動きが見られる。これはヨーロッパ

統一の動きのなかでろう社会の交流が盛んになり、ヨーロッパ全体でのピジン

またはクレオール手話の形成が始まりつつある。国際手話の語彙と概念の影響

を受けているものの、欧州での統一手話は、国際手話が人工言語であったの比し

て、むしろ自然発生的なものであり、いまだ初期段階にある。」

 

・・・つまりは、人工的なものである限りはどうしてもピジンのようなものに

留まってしまうが、自然発生的なものになればクレオールにつながるという

点でも、一般の言語がピジンからクレオールになるためには、その地域の

第二世代の子供達が必要だということなのでしょうか。

 

私が手話に惹かれたのは、音声言語でなくとも、概念が形成され、それによって

思考が可能だということです。

私の場合は、音声言語でものを考えているようなので、その際の脳に浮かぶ概念

のようなものと、手話言語の場合の概念は 脳の機能としては同じなのかと

いうところに興味があります。

     そして、その概念というものが「意味」とどうつながるのか。

 

p059

 

言語の座や言語遺伝子を確認した人はまだ存在しないが、研究は続いている。

ある種の神経や遺伝子が損傷を受けると、認知力は損なわれずに言語能力だけが減退する。

あるいはその逆の現象がおきる、という例がいくつかすでに見つかっている。

 

 

p063

 

特定言語障害(SLI)」・・・SLI患者の治療にあたる言語療法士は、一家族中の

数名に治療を施す経験などを通して以前から、SLIは遺伝するのではないかという

印象を持っていたが、最近の統計調査でこの印象の正しかったことが実証された。

 

p064

 

この仮説上の遺伝子は、なにをするのだろうか。 知能全般を損なうとは思えない。

非言語分野のIQは皆、正常なのだ。 (それどころか、ゴプニクによると、K家とは

関係のないあるSLI児の場合、数学ではクラスで一番になるのがしばしばだったと

いう)。 ・・・・あえてたとえれば、外国の町で苦労する観光客のような印象がある。

話し方はゆっくりしていて、頭の中で文章を組み立ててから口に出す

 

==>> ここを読むだけの範囲で感じるのは、言語になる前の概念の発生と言語に

     変換される機能は、もしかしたら別なのかもしれませんね。

     と言うことになると、上記の手話の場合の概念形成も合わせて考えると、

     思考というのは、特定の言語に置き換えられた後ではなく、その前の段階で

     概念というもやもやしたものの中ですでに実行されているってことに

     なるのでしょうか。

 

 

それでは、次回は第III章の「思考の言葉 ― 心的言語」に入ります。

私が知りたいことが書かれていそうなタイトルですが、さてどうなんでしょうか。

 



 

==== 次回その2 に続きます ====

 スティーブン・ピンカー著「言語を生み出す本能」を読む ― その2 思考の言語、心的言語、概念に対応するシンボル、 そして人間を騙すコンピュータ (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

 

 

 

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