スティーブン・ピンカー著「言語を生み出す本能」を読む ― その2 思考の言語、心的言語、概念に対応するシンボル、 そして人間を騙すコンピュータ
スティーブン・ピンカー著「言語を生み出す本能」を読む ― その2 思考の言語、心的言語、概念に対応するシンボル、 そして人間を騙すコンピュータ
スティーブン・ピンカー著「言語を生み出す本能(上)」を読んでいます。
さあ、いよいよ、「III 思考の言葉 ―― 心的言語」に入ります。
「意味とは何か」という私の読書テーマにかなり近づけるんじゃないかと思えるタイトル
なので、期待して読みましょう。
p074
人間は本当に、英語で、チェロキー語で、キヴンジョ語で、あるいは、2050年には
ニュースピークで、考えるのだろうか。 脳中の無音の媒体――思考の言語とでもいう
べきものが考えの流れを作っているということは、ありえないだろうか。
後者の場合、私たちは自分の考えを聞き手に伝える必要が生じるごとに、その流れに
言葉という衣を着せて口に出していることになる。
==>> さて、核心部分に入っていくようです。
ところで、ニュースピークとは何でしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%AF
「ニュースピーク(Newspeak、新語法)はジョージ・オーウェルの小説『1984年』
(1949年出版)に描かれた架空の言語。作中の全体主義体制国家が実在の英語
をもとにつくった新しい英語である。その目的は、国民の語彙や思考を制限し、
党のイデオロギーに反する思想を考えられないようにして、支配を盤石なもの
にすることである。」
・・・この小説「1984年」を、私もちょうど読み終わったところですが、
心まで支配する為には、そのような言語も必要だという発想なのでしょう。
しかし、小説の中では、党員とその外殻にいる人々にはそれが強制されても、
一般庶民には強制されないという設定になっていました。
つまりは、支配層に含まれる人間は、ニュースピークという言語によって
一党独裁を維持する必要があるという考え方のようです。
そこでふと頭に浮かぶのは、いわゆる「言葉狩り」と呼ばれる現象です。
こちらのサイトに放送禁止用語などの一覧があります。
言葉狩り~放送禁止用語・出版禁止用語一覧
http://www1.odn.ne.jp/drinkcat/shigo/m_kinshi.html
このリストをざっと眺めると、こんなものまでと思うものがたくさんあって
驚いてしまいます。
これらの言葉は、私が過去70年ほど生きて来た文化を形作ってきた言葉でも
あるからです。
言ってみれば、小説「1984年」の中で語られているように、過去を消す
ようなものでもあるわけです。
おそらく、言葉はさまざまに変化していくのでしょうが、その変化の中で
新しく禁止用語として追加されるものも広がっていくのでしょう。
それは、言葉自体にではなく、そこに込める意味の問題であろうと思います。
p077
なにかいったり書いたりしているとき、どうもこれは自分が本当にいいたかったこと
ではない、という気がしたことはないだろうか。 誰でもそんな経験があると思う。
・・・それをうまく伝えられる言葉を探すのが難しいことも少なくない。
また、なにかを聞いたり読んだりしたとき、私たちの記憶に残るのは正確な言葉そのもの
ではなく、主旨だけである。
思考が言語に依存するとしたら、新語が誕生するはずはない。 子どもは言葉を覚え
られないはずだし、ある言語からべつの言語への翻訳も不可能なはずである。
==>> 「どうもこれは自分が本当にいいたかったことではない」という経験は
ありますが、元々、「いいたいこと」自体がしっかりまとまっているわけ
でもなく、ぼんやりしたものなのに、なぜ「いや、これは違う」という
感覚が残るのでしょう。
主旨というのは、確かにそうだと思います。
例えば、本を読んで、「ああ、これが私が知りたかった主旨だ」と感じる
部分をつまみ食いするような読み方をやっているなと思います。
その主旨を自分なりの言葉で言い換えることができれば、その主旨を
理解したということになるような気がします。
おそらく、言い換えることによって、その主旨を自分のものに出来るの
かもしれません。
そして、その主旨というのは、もしかしたら、エピソード記憶に似ている
ものなのかもしれません。 というのは、エピソード記憶以外の記憶は
ほとんど私の脳に残らないみたいだからです。
私がこのように、読書感想文を書いているのも、読んだだけではなかなか
繋がらず、記憶にも残らない主旨を、なんとか繋がらせて記憶に残し、
自分なりの考え方といえるようなものを、ボワッと発生させたいがため
かもしれません。 ・・・なかなか、まとまるものでもないようですが。
p078
思考の仕組みがわからず、どこから研究の手をつけたらいいかさえわからなかった時代
には、言語が思考を規定するという説もそれなりの魅力があった。
・・・しかし、認知科学が進歩して、思考の仕組みにどう取り組めばいいかがわかって
きたいまとなっては、言語と思考を同一視する説の魅力も薄れている。
p091
私は認知科学者であるおかげで、思考と言語は別ものだという常識が正しく、言語決定論
が間違っている、といいきることができる。
いまでは新しい手段が二つ登場して、この問題が明快な形で検討しやすくなったからで
ある。
==>> ここで著者は言語決定論は間違っていると断定しています。
私は今まで、言語決定論かなと思っていたんですが、あっさりと否定され
すがすがしい感じさえします。
そして、ここで、新しい手段として二つが提示されています。
ひとつは、「非言語的思考を調べる実験研究」であり、もうひとつは
「思考の仕組みについての理論」が登場したということだそうです。
p095
創造力に優れた人はよく、素晴らしいひらめきがあるときはたいてい、言葉ではなく
心的イメージで考えている、と主張する。
p096
物理学者はもっと強硬に、言葉ではなく図形で考える、と主張する。
電場、磁場の概念を導入したマイケル・ファラデーは、数学を正式に学んだことが
なかったが、細い管が空間に曲線を意が居ているイメージを浮かべて、力線などの
概念に到達した。
電磁場の概念を方程式化したジェームズ・クラーク・マクスウェルは、・・・頭のなかで
紙片と流体のイメージをさんざんひねり回し、さまざまなモデルを思い浮かべたうえで、
ようやく方程式を書いたのだという。
・・・アインシュタインはこう書いている。
ある種の標識やぼんやりしたイメージなどの心理的単位が、思考の要素の役を果たす
ように思える。 ・・・この段階ではまだ、他者に伝えうる言葉やその他の記号を
使っての論理的構築作用はまったく関与しない。
==>> 過去に読んだいくつかの本の中でも、特に数学者や物理学者などが、いわゆる
「ひらめき」が天から降りてくるような話を書いていました。
理論物理学vs仏教哲学 「神と人をつなぐ宇宙の大法則」
湯川秀樹の「素領域論」と素粒子
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/06/blog-post_11.html
「p97
この宇宙には、すべてが記録された膨大な記録ともいうべきアカシックレコード
があって、ある人たちは自在にそこにアクセスして読み取れるという・・・・
行動も残るし、感情も残るし、魂の状態も全部残るということですか。
それが宇宙のどこかに集積されているのでしょうか。
・・・・ そこにアクセスすればすべての知識が得られるということ?
・・・
そうそう、そうやって学問をつくったのが、たとえば日本人なら数学者の
岡潔。 彼は数学的なすごい大理論をどんどん発表しましたが、それらは
全部、意識を失って寝ている間に数学的真理の世界から盗んできたらしい
ですよ。」
p099
心的表現説が科学的市民権を得るには、イギリスの傑出した数学者、哲学者の
アラン・チューリングの登場を待たなければならなかった。
チューリングは、推論能力を持つとされる装置の仮説を提示した。 この単純な装置は
発案者にちなんで「チューリング・マシン」と呼ばれているが、きわめて強力で・・・
チューリング・マシンは、一寸法師やその他のオカルト的操作なしに、内的シンボル
表現(一種の心的言語)を使いこなす。
==>> チューリング・マシンについては、こちらで確認してください。
https://www.yukisako.xyz/entry/turing-machine
「いまいちよく分からない人向け」なんですが、私にはそれでもピンと
きません・・・・
要するに、人間を騙せるほどのコンピュータであるかどうか、ってこと
のようですが・・・・
p109
人間は、英語や中国語やアパッチ語で考えているのではない。 思考の言語で考えている。
・・・概念に対応するシンボルがあり、・・・誰が誰になにをしたかに対応するシンボル
配列があると想像される。 しかし、どれか一つの言語と比べてみると、心的言語の
ほうがある面で豊かであると同時に、べつの面で貧弱なはずである。
英語の一つの単語(たとえば、スツール)に複数の概念シンボルが対応するという意味
では、心的言語のほうが豊かといえる。 ・・・・
一方、心的言語のほうが貧弱な面もある。 文脈の中でしか特定の意味を持たない単語
や構造(たとえば、aとthe)は存在しないし、・・・単語を文法どおりに並べる
ための情報も不要である。
==>> 「心的言語」でインターネット検索をしたところ、こちらの説明が
出て来ました。
(URLが長いので省略)
「より具体的には、存在論的相対性とは、我々が世界に存在すると信じるものは、
私たちの主観的な「心的言語」に完全に依存していると主張するテーゼである。
「心的言語」とは、端的には、我々の心の中の概念を指示する言葉が、世界に
おける対象にマッピングされる方法のことである。存在論的相対性についての
クワインの主張は、おおよそ次のようにまとめられる。」
クワインとは、ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインのことのようです。
「思考の言語で考えている。・・・概念に対応するシンボルがあり」という所が
ポイントになっているようです。
それが別の本では、概念メタファーとかイメージ・スキーマなどと呼ばれる
分野の研究になっているのかな・・・と繋がってきました。
いずれにしても、かなり分析的なので、読んで理解するのは大変です。
p110
ある言語を知っているというのは、心的言語を単語の列に、単語の列を心的言語に翻訳
するすべを知っている、という意味になる。 言語を持たない人間も心的言語は持って
いる。 赤ん坊や人間以外のさまざまな動物も、単純な形ではあれ心的言語を持っている
と考えられる。
赤ん坊の場合はとくに、母語を翻訳する心的言語を持ち合わせていないとしたら、なぜ
母語が覚えられるのかがわからなくなる。
==>> 「心的言語」の意味がかなりはっきりしてきました。
「動物も」というのが端的にそれを表わしているように思います。
動物にも心的言語はあるが、それを人間が理解できるような言語に翻訳する
ことはできない、ということになりそうです。
動物番組などを見ると、動物にも心はあるな、と分かります。
九官鳥やオームのように人間の声の真似をする動物がどうだかはしりませんが。
p145
すべての言語に共通する句の構造
・・・最近の言語学的発見のなかでもとりわけ興味をそそるのが、世界のあらゆる言語
の、あらゆる句が共通の構造を持っているらしい、という発見である。
p152
チョムスキーによれば、順序を規定しないスーパールール(原理)は普遍的、かつ、
人間生得のもので、子供が特定の言語を習得するときも、生まれつきスーパールールを
持っているから、ルールの長いリストを覚える必要がなくてすむ。
知るべきことはただ一つ、自分の母語のパラメータ値が、英語のように「ヘッドが先」
なのか、日本語のように「ヘッドがあと」なのか、ということだけである。
これは、両親の話し言葉に登場する文のなかで、動詞が目的語の先に位置するか、うしろに
位置するかに注目するだけで、答がだせる。
==>> チョムスキーが提案した生まれながらに持っている普遍文法が、赤ちゃんの
母語となるべき言語とどう繋がるのかというところに、句の構造がヒントに
なって、パラメータとよばれる句の特徴によって、特定の言語の文法に
翻訳されていくというような話でしょうか。
このパラメータについては、既に読んだ本の中に詳しい説明がありました。
福井直樹著「自然科学としての言語学:生成文法とは何か」
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/03/blog-post_28.html
「p040
この難点を克服するために考え出されたのが「パラメータ」の概念である。
・・・実際の言語資料にさらされることによって、各原理に組み込まれた
パラメータの値がセットされて、個別言語の文法に仕上がっていくわけである。
英語のデータにさらされれば「英語風に」パラメータがセットされ、日本語の
データにさらされれば「日本語風に」パラメータがセットされて、それぞれ英語
の文法、日本語の文法が出来上がっていく。」
・・・ただし、このパラメータについては、パラメータが多くなりすぎて
微に入り細に入りになってしまっているとの話をどこかで読んだ記憶が
あります。
p262
最近、新しい年次コンクールが発足した。 ユーザーをだまして、人間と対話している
と思わせるようなコンピュータ・プログラムのコンクールである。
ローブナー賞と呼ばれるこのコンクールの目的は、アラン・チューリングが1950年
の有名な論文で提起したことを実行することだった。
チューリングは、「機械は思考できるか」という哲学上の問題を解決する最善の方法と
して、審判がある端末から人間と、べつの端末からコンピュータと対話する「人真似
ゲーム」を提案した。 審判が人間とコンピュータを見分けられなければ、コンピュータ
が思考できることを否定する根拠はなくなる、とチューリングは主張したのだった。
==>> ローブナー賞については、こちらでどうぞ。
日本からの優勝はまだ出ていないようですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%8A%E3%83%BC%E8%B3%9E
「ローブナー賞(英: Loebner prize)は、人工知能として最も人間に近いと判定
された会話ボットに対して毎年授与される賞である。競技の形式は標準的な
チューリングテストである。」
こちらに、NTTドコモで「しゃべってコンシェル」の関係者らしき人が
ローブナー賞などについて書いています。
file:///C:/Users/yiu18/Downloads/IPSJ-MGN550904.pdf
いずれ、様々な会社が顧客のクレーム処理などに関して、電話対応をこのような
コンンピュータに任せる時代が来るのでしょう。
もしかしたら、医療相談のようなものまで、そうなってしまうのでしょうか。
p309
聞き手が補足して意味を持つ会話
文が織り合わされて談話になり、文脈のなかで解釈される仕組みについての研究
(「用語論」とも呼ばれる)あら、興味深い発見が生まれている。
・・・話し手と聞き手がお互いに協力し合うことを期待していることが、意思疎通という
行為の基盤になる。
話し手は、聞き手の耳を独占した時点で、意味のある情報を伝えることを、暗黙裡に
保証したことになる。 「意味のある」というのは、既知のことではなく、しかも、
聞き手が考えていることとある程度関係があって、聞き手が高度の心的努力をしなくても、
推論を通じて新しい結論が導けるような情報、ということである。
一方、聞き手は、話し手が正直、明快に順序良く、手短に意味のある情報を伝えてくれる、
と暗黙裡に期待する。・・・・邪魔な意味を排除し、断片的な発話をつなぎ合わせ、
言い間違いを許し、・・・・推察し、論理の筋の抜けたところを補足することができる。
==>> なるほど、確かにいろいろと協力し合って意思疎通をしているわけですね。
「意味のある」会話というのは、「聞き手が考えていることとある程度関係が
あって」、推論ができないといけないわけですね。
確かに、全く無関係な話をされても聞く方は困ってしまいます。
「それ、何の話?」ってことになりますね。
しかし、それにしても、心的言語がかなり漠然としたイメージであるところから、
自分の中で言葉を探して音声にして、あるまとまった意味のある文章を作って、
それが聞き手の耳に入って、聞き手の経験や知識に基づいて理解されると
いう工程は、なんとも、もたもたして、歯がゆい感じもします。
でも、不思議と、そんなことは気にも留めず、売り言葉に買い言葉でいろんな
おしゃべりをしていることを考えれば、そんなに大事な意味などないのかも
しれません。 そういう会話が一番楽しいのかも・・・・
==== 完 ====
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