ギャラップ著・丹波哲郎訳「死後の世界」を読む ― その2 夢と臨死体験はどう違う? あなたはあの「走馬燈」を見たことがありますか?

ギャラップ著・丹波哲郎訳「死後の世界」を読む ― その2 夢と臨死体験はどう違う? あなたはあの「走馬燈」を見たことがありますか?

 

ギャラップ著・丹波哲郎訳「死後の世界―人は死んだらどうなるか」を読んでいます。

 


 

「4 臨死体験を分析する」に入ります。

 

p058

 

最近、死にかけた時に不思議な体験をした人の話を集めてそれらを分析する研究者

の数が次第に増えている。 そしてそのような人々の行った研究の結果は、超次元的

世界との接触を色濃く暗示している。 われわれの大規模な調査はそうした研究の

中でも最も新しいものであると同時に、現実の世界と重なりあって存在するある種の

世界に迫るいくつかの傾向を明らかにしている ―― ただし見すごすことのできない

解釈ミスもいくつかある。

 

==>> 立花隆さんの「臨死体験」の本によれば、このギャラップ調査が出る前

     からいくつかの研究はあったようですが、この大規模なギャラップ調査の

     後には、ある程度公けにも認められる形の研究が増えたようです。

     つまり、怪しげな研究から、ある程度は科学的な研究に移行していった

     ということなのでしょう。

 

p059

 

― 魂が肉体から抜け出る、幽体離脱の感覚 ―― 生死の境をさまよう経験をした

  成人のうち、9パーセントにあたる約200万人。

― このうえなく平和で、苦しみのない感覚 ―― 11パーセント近く、およそ250

  万人。

― 生死の境をさまよっている時、すでに亡くなった人とは別の生命体(単数あるいは複数)

  の存在を感じた ―― 死にかけた時に不思議な体験をした人の8パーセント近く、

  60万人弱。

 

==>> ここでは10の事例のうちの3つを抜き書きしています。

     いわゆる幽体離脱や天国のような感覚を経験した人たちが、死にかけた人たち

     のおよそ1割ぐらいはいるということです。

 

 

p066

 

こういう体験というのは非常に不思議で超自然的なできごとであるだけに、わたしたちが

日常使っている言葉のふつうのカテゴリーでは、そうしたできごとを的確に説明

することはできないということである。

 

p067

 

神に人間でいういわゆる手や背や顔がないということについては、大部分の聖書研究者

が同意するだろう。 だが、そのように不十分な表現ではあっても、出エジプト記を

書いた人にとっては、それはモーセが実際に観たことにできうる限り迫った描写で

あっただろうし、―― 自分の見たものを伝えるのに人間の言葉というものがいかに

不十分なものであるかがわかるのはモーセだけなのだ。

 

p068

 

魂が肉体から抜け出る現象は、そういう体験をした人々にとっては非常に重要な

ことであるが、死にかけた時に不思議な体験をした人の話全体からみるとそれはほんの

一部分でしかない

 

==>> 「非常に不思議で超自然的」であるという表現が妥当であるのかどうかは

     おそらく非常に稀な現象であるということがひとつの尺度になるのでしょう。

     しかし、上記のように、死にかけた人たちの中の1割ぐらいの人たちが

     似たような経験をしているということが、「非常に稀な現象」と呼べるか

     なるといささか疑問にも思えます。

     もしかしたら、「ごく普通の現象です」と言えるのかもしれません。

     (ただし、私が一度死んだ時には、幽体離脱は経験しませんでしたが・・・)

 

     モーセが体験したことはモーセにしか分からないし、それをモーセが表現

     しようが、他の誰が表現しようが、その体験そのものを言葉に置き換える

     ことは無理というものでしょう。

     現代あるいは未来の、脳細胞に直接アクセスして、モーセと同じ感覚体験を

     やれるような時代になったら、その感覚を共有できるのかもしれませんが。

     それまでは、言語に頼らざるを得ないでしょう。

     もっとも、言語に頼っている間が幸せなのかもしれませんが・・・・

 

 

p072

 

わたしたちは今、非常に不安定な基盤に立って話を進めていることになる。 なぜなら、

いったいどこまでが夢でどこからが不思議な体験なのか知っている人は誰もいないから

である。 また、どういう場合に、死の間際の不思議な体験だと思っていたことが、

すべて単なる夢だったということになるのかも明確ではない。

それに、夢にはその人の眠りの段階や深さによっていろいろな種類があることを示す

医学的研究もある。

 

==>> 「どこまでが夢でどこからが不思議な体験なのか」というのは興味深い

     ポイントですね。

     死ぬ間際だけにみる特別な夢というものがあるのか、あるいはそもそも、

     そんなものはないのか。

     一般的な夢という夢があるのかどうか。 そして、一般的な夢と呼べる

     ものは、幽体離脱のような感覚とどれくらい違うものなのか。

     一般的な夢であっても、めちゃくちゃ不思議な夢というのはあるわけで、

     その不思議さは、死ぬ間際の夢の不思議さと際立った違いがあるのかどうか

     もしかしたら、肉体が死に瀕している時だけ、脳の特別室で、特別な夢を

     上映するというプログラムがあるのかもしれません。

 

p073

 

ノンレム睡眠の時の夢は、奇妙で、ぼんやりしていて、宙に浮いているようで、不思議な

世界 ―― あるいはそれなりにつじつまが合っているため、夢を見た本人に、自分は

眠っていたのでも夢をみたのでもなく、ちゃんと目ざめていてものごとを考えていたのだ

と思わせる、という特徴のある世界を見せるようだ」

 

眠りが深い時にも浅い時にも生じるノンレム睡眠の夢についてのこのような説明は、死に

かけた時に不思議な経験をした人々の体験談を思い起こさせる。 反対に、より鮮明で

物語性をもったレム睡眠の夢の要素が死にかけた時の不思議なできごとを示唆している

こともある。

 

==>> ノンレム睡眠とレム睡眠の違いを復習しておきましょう。

     https://bed205.com/column/rem-nonrem

     「ノンレム睡眠・レム睡眠では大脳の管理の仕方が異なります

単純に言うと、ノンレム睡眠は大脳を保全(修復)、レムは活性化(情報の

再編成)が主な役割です。

「夢の定義を「眠ったときに見る鮮明な映像とストーリーがある幻覚」

(いわゆる「夢」)とするなら、レム睡眠時に見られることが多く、夢再生率は

レム睡眠で約80、ノンレム睡眠で約20%と言われています。」

 

ついでに、ノンレムとレム睡眠で、夢に違いがあるのかどうかを検索して

みました:

https://gigazine.net/news/20201128-dream-structure-difference-sleep-stage/

「レム睡眠とノンレム睡眠の違いによって見る夢の内容が変わることが示され

ました。」

「いくつかの研究では、レム睡眠中に目覚めた人は一般的に「鮮やかで精巧かつ

感情的な、物語に似た夢」を報告する傾向があった一方で、ノンレム睡眠中に

起きた人は夢の内容をあまり覚えておらず、物語よりも思考に近い内容の傾向

があると示されています。」

 

・・・つまり、目の玉が動いているレム睡眠の時の夢は、鮮やかでストーリーが

あるってことになりそうですね。そしてそれは、脳が情報の整理をしている時で

あるようです。 それって、目が脳内の映像ファイルを実際に見ているってこと

なんでしょうかねえ。そしてそれが、奇想天外な夢として見える。

臨死体験の場合にも、似たような脳内の動きがあるのでしょうか。

 

 

p081

 

医者の中には、人間の体は痛みや緊張をある程度までは受け入れるけれども、限界を

超えるとその抑圧を断ち切って、苦痛のないというよりむしろ心地よい状態に導く

ようなメカニズムが備わっていると考える人がいる。 魂が肉体から離れる現象が起きる

場合でも、おそらくそのようなメカニズムが作用して、苦痛があまりにも激しくなると

意識をもった心が何らかの方法で肉体から離れ、傷ついた肉体に対しては別個の存在と

して関わっているものと思われる。

 

==>> この本は1992年の発行なんですが、最近の医学系の情報を見ると、

     脳内モルヒネという言葉が、上記に関連する体内物質として揚げることが

     できそうです。

 

     https://forzastyle.com/articles/-/54625

     「エンドルフィンとはいわゆる脳内ホルモンです。またこのエンドルフィンの

特徴とは、モルヒネが摂取されたときと同じ受容体と結びつくことで人体に

多幸感を与えることが挙げられるため「体内性モルヒネ」、「脳内麻薬」と呼ばれ

ることもあります。実際にエンドルフィンにはモルヒネの約6.5倍に及ぶ鎮痛

作用があると言われています。」

「エンドルフィンは「ランナーズハイ」、鍼治療のように肉体や精神が極限状態

に追い詰められたときに分泌される一方、食事をした時や性行為の後など癒し

を感じた時に分泌されることもあります。」

 

 

p081

 

生死の境をさまよう経験をした人で光を見たという人は比較的少なく、全体の5%

すぎない。 したがってこの種の現象は、中にはそういう体験の典型的な、標準的な

ものとみなしている人もいるけれども、そうみなすことはできないのである。

 

p082

 

しかし、5パーセントというと115万人にあたるわけだから、それだけの人間がある

特別な体験をしたとなるとやはり相当な人数といえる。 それにほとんどの場合、その光

が不思議なできごとの中でかなり重要な部分になっている。

 

p083

 

死後の世界に足を踏み入れかけた人が見たという光は、科学的立場からも神学的立場

からもさまざまな説明をすることができる。

 

==>> この「光」体験については、立花隆さんの「臨死体験」を読んだ時にも

     こちらに書きました:

     

     立花隆著「臨死体験」を読む 

― アメリカ・ギャラップ調査であぶり出された数百万人の「臨死体験者」

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/10/blog-post_29.html

     「p447

アメリカには、ベトナム戦争に参戦して、戦場で臨死体験をしたという人が珍し

くない。アメリカの研究を見ると、たいてい体験の何例かはベトナム帰還兵の

体験から取られている。

・・・1965年に、ベトコンの迫撃砲攻撃にやられて右脚を失った人である。

・・トンネルの向こうには光が見えました。 ・・・光しかありませんでした。

三百六十度、光しかありませんでした。

・・・そのとき、声はしないのですが、私に質問が投げかけられました。 お前

はここにとどまりたいか、というのです。 私は大声で「ノー」と叫びました。 

「私は息子に会いたいんです」と叫びました。 妻が妊娠していて、予定日が

二週間後だったんです。

・・そう叫ぶと、私は意識を取り戻して、野戦病院のベッドの上にいました。」

 

p084

 

また、脳に何等かの発作が生じた時にも、目の前に光がぱっと広がって見えるようだ

これと関係があるのが、心理学者や生理学者が共感覚と呼んでいる現象である。

共感覚というのはまったく別の感覚が刺激されたにもかかわらず、内面的、主観的に

ある特定の感覚が生じることである。 例えば肉体を強打されて触覚が刺激されたのに、

その結果、何かが見えたり聞こえたりすることをいう(もちろん、痛いという感覚もある

だろう)。

 

・・・哲学者で宗教研究家でもあるウィリアム・ジェームズは、・・・「宗教体験の諸相」の

中で、多くの劇的な改宗というできごとの裏にはフォティズムの発生が関与している可能

性があると述べている。

 

==>> ここでは、宗教的な出来事の中に、光が出てくるというものとして、

     フォティズムがあるという話なのですが、ちょっと確認しておきましょう。

     この本には、フォティズムの意味が、

     「フォティズムというのはまったく別の関連もないような感覚に伴って

     生じる視覚で、明るく輝く光を見る場合もある」

     と書いてあるのですが、インターネットで検索してもフォティズムについての

     解説はひっかかってきませんでした。

     なので、とりあえず、「共感覚」についてチェックしましょう。

 

     「共感覚とは」

     https://kotobank.jp/word/%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A-52526

     「共感覚とは,ある感覚刺激によって,ほかの感覚を得る現象である。たとえば,

音を聞いたり文字を見たりすると,色を感じる現象であり,ごく一部の人だけが

経験できる。さまざまなタイプの共感覚が存在することが知られているが,

共感覚者の7割近くは色字共感覚者である。」

「共感覚者の割合は,1990年代には10万人に1人といわれていたが,最近で

1%程度存在すると考えられている。以前は共感覚をサバン症候群と同様の

天才的能力ととらえがちであったが,現在は共感覚がいわゆる天才的能力とは

異なると考えられている。多くの芸術家が共感覚者だったという主張にも,疑問

を提起する研究者が少なくない。」

     

     【共感覚の特徴】の一部を抜き書きしてみますと:

     https://psycho-psycho.com/synesthesia/     

「発達性起源:共感覚は物心がつくころからずっとあり、何かの原因で生じる

ようになったという出来事を本人は自覚していない

一貫性:刺激とそれに呼応する感覚の結びつきは長い間(生涯)変わることは

ない

 

・・・解説を読む限り、音や字に色を感じる人が多いということのようです。

100人に1人ぐらい、こういう人がいるということになれば、

「光体験」をする人たちがいるというのも、そんなに珍しい現象ではないと

いうことにもなりそうです。

 

 

p086

 

<これまでの人生が走馬燈のように脳裏によみがえった

われわれが調査した中で最も多くの人が ―― 死にかけた経験をした人の約12%

およそ280万人のアメリカの成人が ―― そういうことを報告している。

 

p087

 

もうひとりの意志は、次のように語っている。

「水に溺れて、もうほとんど死んでしまいそうになった時のことです。 時間がゆっくりと

流れ、これまでの人生のこと、友人のこと、いやなやつのことなどをゆっくりと思い返す

ことができました ―― ほんとうはほんの2,3分のあいだのことだったのですが・・・」

 

==>> 皆さんはこのような経験をお持ちでしょうか?

     私は、なんども言いますが、幼い時に一度死にました。「ご臨終です」と宣告

     されました。 しかし、崖から落ちた時に、「走馬燈」も何も脳裏には浮かび

     ませんでした。 それまでの人生があまりに短すぎて、編集するほど十分に

     長い映像が作れなかったのかもしれませんが・・・・

     それにしても、映画の影響だか、テレビドラマの影響だか知りませんが、

     死にそうな時にはこの「走馬燈」が廻るんだという観念は、完全に刷り込まれて

     いるような気がします

 

p089

 

次に出くわした天国の特徴と思われるのは、定義しにくく、他の概念と重複するところの

ある現象である。 しかし、死にかけた時に不思議な経験をした人の12パーセント

約280万人もの人が体験したと言っているからには、それなりの重要性があると

思われる。

 

==>> 日本において、どのくらいの割合の人たちが天国あるいは極楽浄土の

     ようなものを経験したかは分かりませんが、立花隆さんは、下のような

     ことを書いています:

 

     立花隆著「臨死体験」 

― 延暦寺や高野山の修行者は死に方のマニュアルをもっていた。

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/10/blog-post_23.html

     「p108

臨死体験の解釈の一つの立場に、心理学的解釈がある。 臨死体験で見る

イメージは、夢と同じように、その人の心理状態の反映だとする説である。

・・・この説に従えば、天国に行きたいという欲求がその人に天国に行く

イメージを見させたということになる。」

==>> ここで例示された日本人のケースでは、「そういう事実は全くない

ということなので、心理学的解釈はこの場合成り立たない」と書いて

あります。 ただし、後ででてくる海外のケースなどを読むと、日本

人の宗教に対する淡白さと、外国人の熱心さとのギャップがあるの

かもしれません。

 

     「p116

小森さんによると、呼吸を止めるとともに、胃の動きも止まり、腸の蠕動も止ま

り、ただ心臓だけが動いているという状態になる。 すると、まず「太陽の何倍

もの白光」が見え、つづいて、体外離脱が起こる。 自分の体が二つにわかれて、

一方は上昇していく。

p117

「天に昇って行く、天井も屋根も何の抵抗もなく抜けて上って行きます。 

春夏秋冬が一時に現れた下界が見えます。天女もいます」

時には映画女優が裸体で浮遊してきます(高峰秀子が出た)。 だから幻覚と

思います」というのである。」

 

==>> この小森老人は、宗教の勉強をしたとか、禅の修行をしたとかいう

のではないと自ら断っています。 そして、本人が「いろんな現象は、

身体の機能がそうさせるものだと思います」と話したそうです。

 

     ==>> このような日本人の証言を読むと、頭だけで考えているような

          人たち、つまり私のような人、の神秘的とか不可思議だとか思う

感覚とは違って、肉体を修行で鍛えた人たちの方が、

          実際の現実の現象を冷静によく分析しているように見えます。

 

p091

 

死にかけた時に不思議なできごとを経験した人々の8パーセントが、この現象を体験

したと報告しており、それがすでに亡くなっている身内の者であったという場合もあれば、

天使であったとかイエス・キリストであったという場合もある。

 

p093

 

・・・トンネルを見たと報告していることがとかく重視されがちであるが、われわれの

調査では、これは比較的少ない現象であることが明らかになっている。 ・・・わずか

2.5パーセント、およそ50万人のアメリカの成人がこの現象を報告しているにすぎない

ので、全体からみるとささいな意味しかもたない。

 

P096

 

科学者であり宗教家でもあるケネス・ボアもそのひとりで、天国は多次元的な世界で、

現実の世界のすぐ隣にあり、時には現実の世界の領域まで侵犯することがあるのかも

しれないという見方をしている。 

 

==>> 神や天使などのイメージや、天国とか極楽浄土のイメージは、古代の昔から

     徹底的に刷り込まれてきたものでしょうから、そういう宗教的な文化とは

     まったく関係のない国や地域の人たちがどのような経験をするのかが

     気になるところです。

 

 

では、次回は「5 死後の世界と「天国」の関連性」に入ります。

 

 

=== 次回その3 に続きます ===

 ギャラップ著・丹波哲郎訳「死後の世界」を読む ― その3 「地獄を信じる」アメリカ65%、ギリシア62%、西ドイツ 25%、イギリス23%、フランス22%、日本は? (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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