橋爪x大澤x宮台 「おどろきの中国」 を読む ―2― 共産党は大嫌いだが、中国は好きであるという留学生

橋爪x大澤x宮台 「おどろきの中国」 を読む ―2― 共産党は大嫌いだが、中国は好きであるという留学生

 

 

「第1部 中国とはそもそも何か」に入ります。

 

 


 

p016

 

以前、中国人の留学生から、「宮台さん、中国人だけは絶対信用してはいけません」と

言われました。 でも、彼が中国のことを嫌いかというと決してそうではない。

 

あるいは、・・・「中国人はほとんどの場合、共産党が大嫌いだ」と何度も強調しながら、

しかし同時に「中国のことは好きである」とも言う。

この忠誠心の宛先は何なのか?

 

 

p020

 

これは、ヨーロッパのものさしで、中国のことが測れるか、という疑問なわけです。

 

国家はまず、世俗のものである。 教会じゃない。 国家は宗教ではなくて、政治だけ

を行なう。 これはキリスト教文明の伝統のなかで、だんだんそうなってきたんです

けど、このものさしは中国を測るのに適当ではないんです。

 

少なくとも二千二百年前にさかのぼる。 秦の始皇帝のときです。 ここで、

統一国家としての中国が、出現した。 ・・・中国を理解するには、それだけ

長い時間が必要なんです。 ・・・・ヨーロッパのものさしでは、理解しにくいもの

なんです。

 

p022

 

もうひとつは、中国が「国家だけれど国家ではない」がゆえに、採用できない

政体区分があるのかどうか。 たとえば、中国は民主制を採用できないという

ことがあったりするのかどうか。 独裁制であれ、寡頭制であれ、民主制であれ、

こういった政体区分はヨーロッパの近代を前提にしたものだからです。

 

p024

 

観察者が外から理解するしかないのですが、その責任は第一に、日本人にある

思う。 でも日本人は、これを怠ってきた。誤解に誤解をかさねて、愚かな戦争まで

ひき起こした。

 

==>> まず、話は、中国という国は、ヨーロッパという短い歴史しかもって

     いない地域のものさしでは測れないことを議論しています。

     つまり語彙そのものが欧米の概念でできているということです。

     その点で、千年以上の中国との付き合いをしてきた日本には一定の

     アドバンテージがあるはずだということなんですが、明治以降の日本は

     欧米の思想に偏り過ぎて理解困難になっていると言いたいようです。

 

 

p029

 

EUはまあ、中国みたいなもの。 逆に、中国は、二千年以上も前にできたCU、

中華連合なんです。 「なんで、中国がそんなに昔に中国になったのか」という

質問は、「なんで、EUがこんなに遅くにやっとEUになったのか」という質問と、

裏腹なんです。

 

==>> そのEUは、ロシアのウクライナ侵略で結束が危ぶまれています。

     その一方で、中国は、世界の紛争国の中に入って仲介の役割を担おうと

     しています。

     個人的には、そういう役割を民主主義国家である日本にやって欲しいと

     思うのですが・・・・

 

p030

 

政治的結合のコストが安い。 政治的統合とは、戦争をしないですむ、ということ

その前は、戦争が常態化していたわけです。・・・・不幸な時代の経験を踏まえて、

全体がひとつの政権に統一されるべきだ、という人々の意思一致ができあがった。

この意思一致が、中国なのだと思う。

 

==>> これは日本という国ができる前の倭国大乱でもいえることですね。

     卑弥呼を立てて安定をはかったけれども、ながくは続かなかった。

     そして、中国大陸での戦争が、朝鮮半島や日本列島にも大きな影響を

     及ぼして、いわゆる戦争難民みたいな形で、渡来人なるものが増え、

     日本という国を形づくることになったようです。

     もっとも日本の戦乱は、徳川家康が幕府をつくるまで続くわけですが。

     

     そのあたりのことは、こちらの本で読みました。

     熊谷公男著「大王から天皇へ」を読む

渡来人が我々の祖先 倭の五王と中国王朝の権威

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2023/02/blog-post_5.html

 

 

p033

 

キリスト教を母胎にした文明の同一性のようなものが、EUを可能にした一番重要な

核になっている。

それと対比したときに、中国という統一性を支えている要素は何なのか?

 

「共産党は嫌いだけど、中国は好きなんだ」と言ったときの、その「中国」の

内実がよくわからない。

 

p036

 

秦の始皇帝は、李斯(りし)の法家を採って、儒教を斥けた。 この政権が短命で

失敗したあと、漢は、儒家を採って、法家を隠し味にした。 唐は、儒教を相対化する

ため、仏教と道教もとり入れた。 宋は、儒教に純化した。 

このように、ときどきの統一政権は、統治のイデオロギーや政策オプションをどうするか

選択できる。 ヨーロッパのシステムとはちがいますね。

 

だからこそ、儒教を捨てて三民主義を採用したり、三民主義を捨ててマルクス主義を

採用したり、マルクス主義をしてて改革開放政策を採ったりできる。

 

==>> こうやってみると、ヨーロッパの方が融通が利かないように見えてきますね。

     中国の場合は、王朝が変わることによって、統治のイデオロギーは変化した

     けれども、それで統一が保たれた。

 

     さて、日本の場合はどうなのでしょうか。

     統治のイデオロギーというのはあったのでしょうか。

     Wikipediaでチェックしてみると、以下のような記述があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%80%9D%E6%83%B3

     「日本の古代・中世思想は仏教と強く結びついていたが、近世では豊臣秀吉の

朝鮮出兵の際連れ帰られた姜沆が朱子学を日本に広め、儒教(宋学)が盛んに

なった。」

朱子学は家族的な封建制の社会的地位の秩序を尊重した。中世以来五山文学

の中で学ばれてきた朱子学は、藤原惺窩や弟子林羅山により復興し、江戸幕府の

将軍により重宝された。」

「山鹿素行は儒教的倫理学に基づいた武士道を打ち立て、武士を最も高貴な

階級だと強く信じた。」

「明治維新の後、日本の政府は神道を保護して、それをしばしば単なる一個の

宗教ではなく国家神道として扱った。政府は神道を天皇と密接に関連させ、

神道を国家運営の道具として利用した。国家神道は明らかに民間的な神道の

教派とは区別される。国家神道を組織して教育勅語を公布することはイデオ

ロギー的な国家運営のモデルであった。」

 

つまり、鎮護国家ということで仏教が入り、封建制度・武士社会を支える

思想として、朱子学や儒教が採用されたということになりそうです。

     明治維新の後は、上記にあるとおり、国家神道が統治のイデオロギーと

     して採用された。

     要するに、中国と同じように、その時代時代で都合のよい宗教を採用した

     ということになりそうですね。

 

p038

 

ようするに、中国人の態度やメンタリティを見ていると、彼らは、統一ということに

もっとも不向きな人たちに思えるわけです。

 

それに対して、日本人はどうか。 日本人は、「場」に合わせますよね。つまり、

一緒にいる人たちの集合的な意思や欲望を読み取って、それに自分の言動を適合

させる。 いわゆる「空気を読む」というやつです。

 

==>> 私は中国人の知人はいませんから、中国人の性格というのは全く分かり

     ませんが、上記のような感じなんでしょうね。

     「空気を読む」ということに関しては、私自身もそういう傾向があるのは

     認めますし、自分自身の信念、特に政治的には風見鶏なので、しっかりした

     考えは持ち合わせていません。

     最近のアメリカの政治的分裂の様子などをみていると、非常に民主主義の

     危機を感じて、中国式の統一の仕方が、未来の管理社会に繋がっていく

     のではないかという恐怖を感じます。

     多分、「空気を読む」日本人は、それでも適合していくのでしょうね。

     私は、昔から、もしかして日本は社会主義の国なんじゃないかと

     感じたりしてきました。

 

 

p039

 

ある中国人の留学生がこんなことを教えてくれました。

「中国には交通ルールはない。 強いて言うと、事故を起こさないというのが

交通ルールである」と。

これは究極の帰結主義です。

帰結主義とは「終わりよければ、すべてよし」という考え方です。

 

==>> これを国際ルールというものに置き換えるとどうなるでしょうか。

     中国は、それを無視するって話になりますね。

     しかし、結果がよければよい。 つまり、戦争にならなければ良い、と

     思いましょう。

 

 

p046

 

儒家(儒教)というのは、中国の基本的で正統的なイデオロギーとして一番よく

知られていますが、・・・歴史的に見れば、表向きは儒教を中心に、裏では法家という

二重体制が基本になっていると思うんですね。すくなくとも漢以降の中国の王朝では

そうですね。

秦朝が短命に終わったのは、やっぱり法家だけではなかなかうまくいかないという

証拠だと思う。

 

==>> 儒教は確かによく歴史の授業でも学んだのですが、法家というのは

     学んだ記憶がありません。(多分、苦手だったから忘れているだけかも。)

     そこで、ちょっと、こちらのサイトでお勉強。

     法家とは何か

     https://rekishinosekai.hatenablog.com/entry/houka1

     「法家は法と術とを重んじ,法は賞罰を明らかにして公開し,特に厳刑主義を

とって人民に遵守を促すものであり,術は人主の胸中に秘して臨機応変,その

意志に人民を従わせる統御術とされた。政治を道徳から切り離した実定法至上

主義であり,儒家が徳治,礼治を強調したことと顕著に対立する。」

「「法」は近代法とは別物だ。近代法は国民だけではなく為政者も束縛する力が

あるが、法家の「法」は前近代のそれであり、為政者が一方的に庶民を束縛し、

法解釈も役人が持っている(三権分立など無い)。」

 

・・・つまり、人民を強制的に従わせるための法ということのようです。

 

 

p049

 

政治的統一とは何かといえば、強大な軍事力の独占、強力な官僚機構の支配

官僚がなぜ人びとを支配できるかというと、軍隊が背後にいるからです。

 

武士は武器も、兵糧も自己調達する領主ですから、政府に反対できる。 政権を奪取して、

武家政権をつくることもできる。 この点は、ヨーロッパの封建制も同じです。

 

でも中国の軍隊は、武器や食糧を政府に依存する。 正規軍のかたちに固定されている。

これこそ、中国の政治の原則なのです。

 

p050

 

中国の民衆は、矛盾した感情をもっている。 いっぽうで、政府は強力であって

ほしい。 強力な政府は多くの税金と、労務の提供を要求する。 それは負担だ。

でも、税金や労務の提供を惜しんだらどうなるかというと、弱い政府になり、

侵略者がやって来て、とんでもない結末を迎える。

 

p051

 

たぶん、中国の政権交替は、民衆がその負担の重みに耐えられなくなったときに

起こるんでしょうね。

 

 

==>> 軍事力というのはなかなか難しい問題ですが、基本的には他国の自国への

     侵略を阻止するということでいえば、上記の中国の形はあるべき形かな

     と思います。

     軍隊が武器や食糧を政府に依存するという形が、いつから中国で始まった

     のかに興味があります。

     日本の軍部が暴走した歴史は、その形が壊れたからということなのでしょうか。

     そして、民衆が負担の重みに耐えられなくなったら、政権交替がおこると

     言うのは、民主主義っぽいですね。

 

 

 

p055

 

「幇(ほう)」というのは、典型的には三国志の劉備と関羽と張飛に見られるような

関係性です。 仲間のためなら、自分のすべてを犠牲にしてもかまわないという猛烈な

友情によって結ばれたグループで、互いに兄弟以上の兄弟になり、そこでは究極の

利他性が発揮される。

 

小室さんによれば、これが中国の社会関係の核になっていて、幇の内と外ですべてが

変わってしまう。 幇の中では、約束や規範は、もちろん絶対的です。

しかし、逆に、幇の外は極端に言えば無法地帯になる。

 

==>> まるでヤクザの内と外みたいな雰囲気ですね。

     日本人は明らかに外だから、その外から見れば、中国は無法地帯に見えて

     しまうってことのようです。

     

     ここで幇を確認しておきます。

     幇(読み)パン

     https://kotobank.jp/word/%E5%B9%87-606017

     「中華人民共和国成立以前の中国における同業者・同郷者などの相互扶助組合

また、これに類似した団体。厳格な規約があり、強い団結力で外部勢力に対抗

した。」

「古くから文献にみえる,社や会あるいは社会と称される共通の祭祀を中核

とした擬制氏族的集会がいわば古式ギルドにあたるが,唐・宋以後になると,

都市内部にも各種の社,会が出現する。」

 

・・・ここでは、中華人民共和国成立以前と書いてはありますが、

今現在でもその実質的な仕組みは残っているということなのでしょう。

それにしても、元々が共通の祭祀を中核として擬制氏族集会といったものが

あったと言うことになると、日本で言うならば縄文時代まで遡るような

精神的な支柱になっているということもありそうです。

 

 

p056

 

中国を見ていてつくづく思うのは、安全保障の優先順位がきわめて高い。 政府が存在

する理由は、安全保障のためと言ってもいいぐらいで、そのことを誰もが深く理解

しているんじゃないか。 法家や儒家も、基本はやっぱり、安全保障をどうするかと

いう問題だった。

いま話のあった「幇」も、それが結ばれる動機は安全保障です。

 

==>> 私が生まれたのは1950年で、警察予備隊が出来た年です。

     そして、朝鮮戦争がおこったのもこの年。 

その特需で私は育ったようなものです。

     そんな中で、私の故郷の佐世保は元々は寒村だったものが、軍港として、

     米軍基地のある町、造船業の盛んな町として、発展したのでした。

     私自身は、戦後生まれですから、今現在まで戦争というものを知らずに

     来ることができて、運がよかったと言うべきなのでしょう。

     ですから、安全保障というものはほとんど考えてこなかったと言って

     いいでしょう。

     そういう私が従来から漠然と考えてきたのは、政府というのは

     軍事的な安全保障というよりも、社会保障を実行するものだという

     ものでした。

     しかし、思えば、社会保障は国内的、安全保障は対外的なものですから、

     危機的な状況になれば、安全保障に重点が移るのは自然なことかと

     思います。

 

     鹿児島に住んでいた私の叔父が生前に語ってくれました。

     彼はビルマ戦線で、航空隊の隊長の運転手として戦争を体験したのですが、

     今一歩河を渡るのが遅かったら、生きては帰れなかっただろうという話

     でした。

     その叔父が、「戦争をすることは愚かなことだ。しかし、常に準備を怠っては

     いけない。」と力を込めて言ってくれました。

     

 

p057

 

トクヴィルはこう考えました。

アメリカは、各宗派が形成する信仰共同体という中間集団の、契約的集まりだ。

州の集まり=ユナイテッド・ステイツという形はそれを投射している。 それが、

欧州よりずっと明示的な民主制への固執として現れる。

どうしてかというと、民主制の健全な働きを支えるのは個人の自立だ。 自立した

個人を生み出すのは共同体の自立だ。

だから、州の集まりが契約的に形成した連邦政府といえども、各州の自立を脅かせ

ない、となる。

 

ただ、中間集団が政府よりもえらいというのは、中国とはちがいますよね?

 

==>> 私は過去に読んだ何冊かの本で、なんでアメリカ人はこんなにも

     宗教的なんだろうと感じたことがあります。

     その筆頭に挙げられるのは次の本です。

 

     リチャード・ドーキンス著「神は妄想である」

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2021/03/post-5d9d05.html

     「この本の第一印象を私の結論として書いてみますと、以下のようなものに

なろうかと思います。

1.      アメリカという国がいかに恐ろしい宗教国家であるのかを初めて

知った。 進化論を信じている人がアメリカ国民の10%にも満た

ないということは驚き以外のなにものでもない。

日本が曲がりなりにも政教分離を保って、科学教育を実施していることを

有難いと思う。

2. 欧米で「私は無神論者です。無宗教です。」と発言することがいかに

恐ろしい結果を招くことになるかを知っておく必要がある。

3.アメリカの前大統領が、根拠のない陰謀論を背景に国民の半数の支持を

得られた理由が、この本によって腑に落ちた。 今後のアメリカも、科学

と宗教のどちらを信じるかといういわば内戦に揺れ続けるのではない

と危惧する。」

 

 

p059

 

よく考えてみると、中国共産党も、「幇」の一種だと考えられる。 中国共産党や

人民解放軍は、官僚機構である以前に、「幇」なんじゃないか。

その「幇」が、まず軍事力を手に入れる。 そして、実力闘争によって政府を乗っ取り、

官僚機構に転換していくという順序を踏んでいる

 

国家主席とか党総書記とか中央委員とかいろいろ言うけど、その内実は「幇」である

という側面を、中国建国のあとも残している。

 

p060

 

日本にも昔は、長州閥や薩摩閥があった。 学閥もあった。 でも、中国とはその

あり方がだいぶちがっている。

 

そうすると、毛沢東が存命中は、毛沢東「幇」に入っているかどうかが、生き延び

られるかどうかを分けたのですね。

 

==>> 考えてみると、中国の人口は14億

     アメリカは 3.3億人。 日本は 1.2億人、ですからねえ。

     おそらく中国は民主制にするとまとめ切れなくなるんでしょうね。

     3.3億人のアメリカですらほぼ分裂状態ですからね。

     それにしても、その14億人を特定の人物の「幇」でコントロールしている

     というのは奇跡的にしか思えません。

     

 

 

では、次回は官僚機構を支えていた「科挙」の話などを読んでいきます。

 

 

==== 次回その3 に続きます ====

 橋爪x大澤x宮台 「おどろきの中国」 を読む ―3― 漢字の呪力、中国は文民統制、日本人は「自分次第」が35%、武士はアメリカへ (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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