斎藤成也著「核DNAでたどる日本人の源流」を読む ―1― ヤポネシア人とは何か  日本人の二重構造に追加されるものとは  縄文人はどこから 弥生人は揚子江から? フィリピンとヤマト人の関係

斎藤成也著「核DNAでたどる日本人の源流」を読む ―1― ヤポネシア人とは何か  日本人の二重構造に追加されるものとは  縄文人はどこから 弥生人は揚子江から? フィリピンとヤマト人の関係

 

 


 

この本は、2016年に放映されたNHKサイエンス・ゼロへの反響を受けて

一年がかりで執筆された本だそうです。

 


 

こちらに、著者の講演の動画がありましたので、内容的にはほぼ同じかと思います。

遺伝子解析から見た東アジアの民族関係 I

斎藤成也 敎授(国立遺伝学研究所 集団遺伝研究室)

https://www.youtube.com/watch?v=nb5euntzGa0&t=6s

 

 


では、毎度ながら、私は右往左往しながら読んでいきたいと思います。

 

p007

 

かつて人種の名前として使われていたモンゴロイドとコーカソイドも、彼らがおもに

住んでいる地域にしたがって、「東ユーラシア人」「西ユーラシア人」とよぶことが、

現在では一般的である。 そもそも、「人種」という言葉も、人間の起源をさぐる

研究分野では、死語となりつつある

 

私は『日本列島人の歴史』のなかで「ヤポネシア人」とよんだ。 「ヤポ」は日本を

ラテン語ではヤポニアとよぶことから、「ネシア」は「ポリネシア」や「ミクロネシア」

というように、島々を意味する この言葉は、長く奄美大島に住んだ作家の島尾敏雄が、

1960年代に提唱したものだ。

 

==>> なるほど、科学が進むと昔習った名称もしだいに使われなくなって

     いくんですね。 今の教科書にはどのように書かれているんでしょうか。

 

p008

 

4万年まえごろから日本列島に住みはじめていたヤポネシア人、彼らから現在の日本人

まで、DNA的にどのようにつながっているのか。さらには、ヤポネシア人が日本列島

に渡来してきた以前の彼らの先祖はどうだったのか。

 

==>> 私の場合は、遺伝子解析を民間企業でやってみたところ、

     「ハプログループ A : Aグループは約23千年前にロシアのバイカル湖

周辺で誕生したと考えられています。その後東アジアに広がり、またシベリアや

ベーリング海峡を通ってアメリカ大陸にも進出しています。

※誕生年は約15千~31千年前ともいわれています。」

・・・という結果でしたから、4万年まえごろから列島に住み始めた

ヤポネシア人から見れば、私の祖先はは2万年ぐらい遅れて列島にやってきた

渡来人ということになるのでしょうね。

こちらに「バイカル湖」という文字があったので、とりあえずリンク:

(19) 【起源はロシア?】古代日本人の起源はバイカル湖にあった!?【ゆっくり解説】 - YouTube

 

 

p009

 

以上の歴史的地理的な状況から、日本列島の南と北には、それ以外の地域と比べて、

縄文時代人の血をより色濃く伝えている人々が存在しているのだとするのが、二重構造

モデルだ。

わたしたちの研究グループは、日本列島の三集団(アイヌ人、オキナワ人、ヤマト人)

DNAを調べた結果を2012年に論文として発表し、基本的にこの二重構造が

存在していることをしめした。

 

p010

 

わたしたちの研究グループは、縄文時代人のゲノムDNAの情報を決定することに

はじめて成功し、論文を2016年に発表した。 そして、その結果、縄文人は

現代の東南アジア人とも、北東アジア人とも近くなかったのである。

縄文人の起源をさぐる旅は、振出に戻ったのだ。 謎は深まるばかりである。

 

==>> このあたりの議論を整理した動画があったので、こちらでささっと

     見ておきましょう。

     私が個人的にひかれたのは、

     「長崎県の遺跡・・・縄文人が持つ遺伝情報に加えて、現在のロシアの

     バイカル湖や中国の遼東半島周辺の北東アジアにルーツを持つ集団の

     遺伝情報が含まれていた・・・」

     というところです。

     もちろん私は長崎県出身なので・・・・

     「日本人」は何処から来た?

「最新DNA解析」でわかった「古代日本人」の起源

     https://www.youtube.com/watch?v=yqWQvhhh70g

     「現代人のルーツについては 縄文・弥生・古墳の少なくとも3つ

     異なるルーツを持つ集団の存在を重視する必要がある・・・」

     「縄文人はきわめて古い時代に他のアジア人集団から分かれ独自に進化した

     特異な集団だった・・・」

     ・・・この部分がこの本の著者である斎藤成也教授らのグループの

     研究結果として述べられています。

 

p011

 

「ヤマト人のうちなる二重構造」は、現代日本列島の大多数を占めるヤマト人のなか

にも二重構造があることを、別の核ゲノムデータから浮かび上がらせ、あたらしい

三段階渡来説を提唱した。

 

 

 


 




目次は上記のようになっています。

 

私の興味は、主に3,4と5章の部分なのですが、いままで読んできた神話や邪馬台国、

そしてヤマト朝廷などの関連本に照らし合わせて、特に渡来系といわれる人たちが

どのように現代の日本を創ってきたのかを妄想してみたいと思います。

 

 

p021

1997年に、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAが現代人とははっきり

異なることがしめされた。

 

・・・そして、せいぜい数%ではあるものの、アフリカ人以外の現代人には

ネアンデルタール人のゲノムが伝えられているという結果が得られたのである。

 

==>> ネアンデルタール人関連のニュースとしては、日本人が深く関係して

     いるらしいというものもあります。

     ネアンデルタール人の遺伝子を最も多く持つ日本人

     http://sciencenews.co.jp/2016/02/22/post-1042/2/

     「このように、現代人のTLRを含む領域のゲノム配列を詳細に調べ比較して

ネンデルタール人とデニソワ人由来だと突き止めた。

そして、機能が非常に重要性なので、数万年という自然選択を受けてもほとんど

変わらずに高頻度で残っていたと考えた。

実はこのネアンデルタール人由来のTLR1TLR6TLR10遺伝子を最も多く

持つのが日本人。どの集団よりも高く、約51%が持っていた。

 

 

p027

 

10年ぐらい前までは、現代人の進化をさぐる場合には、ミトコンドリアDNA

Y染色体を調べる研究が一般的だったが、現在では、・・・「革命」がおこったあとなので、

両親から伝えられる常染色体のDNAを全部調べる研究が一般的になっている。

 

ヒトゲノムは、全体としては塩基数にして32億個あるが、両親から伝わる常染色体上で、

遺伝的個体差がある部分に限れば、その塩基数は400万個ぐらいになる。

最近の技術では、これらのうちの100万か所ぐらいを一気に調べている。

 

==>> さて、初耳の言葉 常染色体とはなんでしょう。

https://kotobank.jp/word/%E5%B8%B8%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93-79450

     「性染色体以外の染色体。雌雄で数・形・大きさに差がない。」

     「対をなす相同染色体の一方は父親から,他方は母親からきたものである。雌雄

の性には関係なく,すべての接合体に対で存在する染色体を常染色体という。

当然ながら,常染色体に含まれる遺伝子も対をなしている。」

・・・う~~ん、これを読んでもピンときません。

上の本からの引用の「遺伝的個体差」という部分。それも性差以外の部分の

染色体ということなのでしょうか。

     もちろん、個体差を含み、性差を含まないということなのでしょうが。

 

p028

 

このように、DNAそのものの多様性をとっても、系統数をとっても、常染色体は

圧倒的な情報量を持っているのである。

 

==>> そして、この本は、この常染色体のデータの解析をもとにして、

     日本人の源流を考えるとしています。

 

p034

 

しかし新人は、あきらかに海を渡る技術を発見した。 オーストアリア北部に現代人の

遺跡があることから、6万年ほど前には、海をかなり長いあいだ渡らないとたどりつけ

ないオーストラリア(当時はパプアニューギニアおよびタスマニアとくっついた

サフール大陸の主要部分)に、東南アジア方面から渡ったことが知られているからだ。

 

 

p042

 

一方、ユーラシア大陸の東に移動していった人々の一部は、東アジアに移った後、揚子江

流域で9000年ほど前に稲作を始めた。これによって食糧が安定して供給されるように

なると、人口が爆発的に増加した。 稲作をおこなった人々は東南アジアに南下したり、

台湾島に移ってさらに南下したり、あるいは北上していった。 日本列島に、弥生時代以降

に移ってきた人々の大部分は、これらの系統だと考えられる。

 

==>> 6万年前以降は筏のようなもので海を渡ることができた。

     そして、揚子江周辺で稲作をやっていた人々が、弥生時代以降に日本列島に

     入った可能性があるらしい。

 

     以前読んだこちらの本の中で、これに符号する内容がありました。

     武光誠著「古代日本誕生の謎」を読む

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/10/blog-post_25.html

     稲作文化を携えて九州にやってきたのは江南の人びとだという話は、

     先に読んだ本の中にも出てきました。

     アニメ「キングダム」の戦乱の時代に、北から圧迫された呉を含む江南の

     人々が九州に避難してきたという筋書きです。

 

     安本美典著「日本民族の誕生  邪馬台国と日本神話の謎」を読む 

 揚子江流域から戦火を逃れて稲作と共にやってきた倭人?

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/10/blog-post_10.html

     「p187

日本の文化も、言語も、ともに、朝鮮半島からその北方へとつながる要素と、

中国の揚子江(長江)流域からその西や南への延長上へとつながる南方的な要素

とをもつ

弥生時代の初めにかけて、中国の揚子江(長江)下流地域から、ビルマ系言語を

使う人々を主とする人々が、稲作文化をたずさえてやってきて、「原倭人」と

混交し、「倭人」が成立した。」

 

 

p043

 

ここでいう耳垢型遺伝子の「機能」とは、細胞内の老廃物を細胞外にくみ出すポンプ

機能である。 このタンパク質は細胞膜のなかに埋まっている膜タンパク質である、

トランスポーター(物質の輸送を担当する)の一種なのである。

 

図8で、耳垢型遺伝子の・・・・あるとき、この遺伝子の特定のDNA塩基に・・

突然変異が生じて・・・機能のない乾型のタンパク質をつくりだしてしまったのである。

 

日本人では乾型の人が80%以上なので、これらの人にはショックかもしれない。

しかし東アジアには、この乾型遺伝子ばかりをもっている集団がいることがしられている。

ところが、ヨーロッパでは湿型の頻度がずっと高く、アフリカではほぼ100%が湿型

である。

東南アジアや南米の先住民でも湿型の頻度はけっこう高い。

 

==>> これも、初耳です。

     耳垢型遺伝子とはなんでしょう。

     高校生物の物語 耳垢遺伝子とメンデルの法則

     https://biomedicalhacks.com/2020-01-16/mendel/

     「カサカサした耳垢(乾性)とそうでない耳垢(湿性)という2種類の形質

     があり、これは遺伝子によってきまっています。」

     ・・・ほほ~~、今の高校生物では、ひとつの例として取り上げられて

     いるんですか。 55年ぐらい前、私が高校で生物を学んだときには

     こういう例はなかったと思います。

 

     ちなみに、私の耳垢は乾型みたいです。たまに湿っていることがありますが、

     それは単に濡れていたんでしょうね。

 

 

p052

 

フィリピン諸島は最大のルソン島を含めて多数の島々から構成される。 それらの

いくつかの島には、ネグリトとよばれる人々が住んでいる。 ネグリトはもともと

スペイン語であり、「黒い小人」という意味だ。

 

==>> ここでは例として、ルソン島北部のアグタ人、 ルソン島中央部のアエタ人、

パラワン島北部のバタク人、ミンダナオ島北部のママヌワ人が例示されて

います。 これらの先住民族は、最近まで採集狩猟の生活をしていた

そうです。

また、フィリピン以外では、マレー半島の中央部やインド洋のアンダマン諸島

にも存在すると書かれています。

 

ちなみに、アエタ人については、wikipediaにも書かれているとおり、

ピナトゥボ火山の大噴火の後、大きな被害を受けたようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A8%E3%82%BF%E6%97%8F

「アエタ族はピナトゥボ山中で移動焼畑農耕と狩猟採集によって自給自足する、

外部との接触の少ない人々だった。しかし、1991年に発生した噴火によって、

アエタの人々は罹災してしまう。」

 

     アグタ人という名前は、ルソン島に住んできた私なのに知りませんでした。

     こちらにNGO関係のサイトで紹介されていました。

     フィリピンの先住民族「アイタ(AetaまたはAgta)」 についてご紹介します!

     (リンクが長いので、一番下にリンクを貼ります。)

     ・・・この本では「アグタ」と書いてありますが、「アイタ」とも呼ぶよう

     です。

     「アイタは25千年から3万年ほど昔に、インドネシア方面からフィリピン

諸島に移住してきた先住民族です。特徴は暗い褐色の肌、低い身長、天然パーマ。」

「アイタの人々を尋ねるため、マニラ首都圏から北西に80km

オロンガポシティ(Olongapo City)を訪れました。」

 

・・・これを読むと、「アグタ」と「アエタ」は同じ扱いになっているの

ですが、 フィリピンのwebサイトでは、別のグループとして扱って

いるように見えます。

 

AGTA

http://www.ethnicgroupsphilippines.com/ethnic-groups-in-the-philippines/agta/

Commonly referred to as Negritos, Agtas do belong to the Negrito ethnolinguistic

group. There are many Agta tribes, scattered over Regions I to V in the island of

Luzon.

 

The Aeta People of the Philippines

https://www.yodisphere.com/2022/03/Aeta-Culture-Customs-Tradition-Indigenous-People-Philippines.html

It's possible that "Aeta" is derived from the Malay term "hitam," which means

"black," or from its cousin in the Philippine languages, "itom or itim," which means

"people." Aeta, also known as Ayta, Alta, Atta, Ita, and Ati in early ethnographic

records of the people, were sometimes referred to as "little blacks" because of their

dark skin.

 

・・・これを読み比べるとフィリピンサイトでは、AGTAAETA

異なるグループのように見えます。

 

p060

 

非ネグリト人のグループは、中国、マレー半島、ボルネオ島、ルソン島、ミンダナオ島

を含む広大な地理的分布を持つが、これは稲作を中心とした農耕の発展によって人口増加

がおこり、ひろい地域に人々がひろがった結果である。 

日本列島のヤマト人もこの農耕集団に含まれる。

 

このネットワークを信じれば、これら農耕集団は、マレー半島とフィリピンのネグリト

祖先集団から出現したことになる。

 

==>> つまり、ネグリト人は、ヤマト人の遠い祖先の可能性があるという話です。

 

 

p070

 

人間がはじめてヤポネシアにやってきたのは、いつごろだろうか?

直接の証拠は人骨だが、一番古いとされているのは、沖縄本島那覇市内にある山下町

第一洞穴遺跡出土のもので、炭素14法を用いておよし3万2000年前と推定されて

いる。 人骨よりもずっと残りやすい石器は、およそ4万年まえから、ヤポネシアの

あちこちで発見されている。

 

 

p073

 

7000年ほど前に、縄文式土器が九州からヤポネシア南部の奄美諸島と沖縄本島に

もたらされた。 一方先島諸島では、土器を含めて、台湾やフィリピンなどから影響が

あったことがわかっている。

 

==>> 20年ほど前に、フィリピン・ルソン島北東部の遺跡からでた石器が、

     日本の太平洋岸の遺跡でも見られたというのを何かの本で読んだことが

     あったので、興味を持っていたのですが、いろいろとインターネットで

     検索してもそれらしき情報のサイトは発見できませんでした。

     たしか、磨製石器じゃなかったかと思うのですが・・・・

 

p074

 

1万6000年前ごろ、ヤポネシアに土器がはじめて出現した。

・・・その表面に「縄文」(縄紋と書く場合もあり)という模様が登場し、これらを

典型例として、縄文のない無紋土器なども含め、作成法が似通った土器を「縄文式土器」

とよんでいる。

 

この形式の土器はヤポネシア全域で長く制作されたが、3000年前以降、ヤポネシア

中央部で弥生式土器が使われはじめ、3世紀には土師器(はじき)や須恵器(すえき)

登場した。

 

==>> この土器の歴史が、縄文人、弥生人、そして古墳人などの歴史と

     重なっていくようです。

     そして、それらの形式の土器が、どのようなグループによって

     もたらされたのかがポイントですね。

 

 

p074

 

これらの地域が地理的にまとまっているのは、山脈などで区切られて人間が往来

しにくいことによる、地形の影響が大きい。

ただし、海はヤポネシア人にとってそれほど障害ではなかったようだ。

 

==>> ここでは、津軽海峡や瀬戸内海はさほど障害になっていなかったことが

     述べられています。

     この延長で考えれば、朝鮮半島とヤポネシア列島との間の海も

     さほど両者を隔てる障壁にはなっていなかっただろうということですね。

 

 

p075

 

ヤポネシアから海を渡るとすぐそこにユーラシア大陸がある。 旧石器も縄文式土器も

もとは大陸から伝えられたようだ

縄文時代には、逆に縄文式土器が朝鮮半島に影響をあたえた場合もあった。

 

縄文時代前期に九州から沖縄にかけて分布した曽畑(そばた)土器は、朝鮮半島南部

の櫛目文(くしめもん)土器と類似しており、研究者によっては、なんらかの交流が

あったと考える。

 

==>> 私のイメージとしては、縄文式土器はヤポネシア独自の土器かと思って

     いましたが、元々は大陸からという説のようです。

     Wikipediaには下のような解説があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E5%9C%9F%E5%99%A8

     「日本の土器の出現は氷期が終了する前の事であり、世界的にみて非常に古い

ものだが、大陸側の極東地域には、作成技法が異なるものの、同時期の土器文化

の存在が知られ、東アジア一帯で世界最古期の土器が同時並行的に出現した

みられており、相互の関係が注目される。」

 

 

 

p077

 

しかし、ヤポネシアの中央部に長く居住してきたヤマト人のなりたちを、「縄文」

という言葉で象徴される土着の要素と、「弥生」で象徴される大陸からの新しい

渡来人の要素で説明する二重構造モデルは、単純化されているので、あくまでも

第一近似としてとらえるべきだろう。

 

アイヌ人とオキナワ人の現在の様相、さらにはヤマト人そのものについても、

これら二大渡来要素に追加して考えることで、基本的には説明できるのである。

その意味で、二重構造モデルはヤポネシア人成立についての定説である

 

 

p078

 

ただし、縄文と弥生の二大要素の起源が問題として残る。

弥生時代以降の渡来人は、考古学的・歴史学的な研究とも合致して、朝鮮半島や

半島北部、あるいは山東半島などの現在の地域に居住していた人々の一派だと

考えられるが、旧石器時代から縄文時代にかけてヤポネシアに渡来した人びとの起源

については、大陸のわずかな数の遺跡から発見された人骨の形態をもとに、東南アジア

だろうとだけいわれており、遺伝学データの解析からは、この点は否定・肯定の両者が

存在してきた。

 

そこで、過去の直接的なしかも膨大な証拠となる、古代ゲノムDNAデータの登場

である。

 

==>> さてさて、ここまで読んできたのはイントロだったということですね。

     いままでに定説となっている二重構造モデルはそのままで、

     ここから、DNAデータの解析をもとにしたヤポネシア人の源流に

     迫っていこうというお話です。

 

 

===== 次回その2 に続きます =====

 斎藤成也著「核DNAでたどる日本人の源流」を読む ―2(完)― 国津神=縄文人、天津神=弥生人、 現代日本人は12%縄文人、ヤマト人は混血集団、 三段階渡来モデル、 Y染色体D系統は日本だけ (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

フィリピンの先住民族「アイタ(AetaまたはAgta)」 についてご紹介します!

https://iconicjob.jp/blog/philippines/aeta-people_philippines#:~:text=%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%80%81%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%BF%EF%BC%88Aeta%2FAgta%EF%BC%89%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%85.%20%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%81%AF2%E4%B8%875%E5%8D%83%E5%B9%B4%E3%81%8B%E3%82%893%E4%B8%87%E5%B9%B4%E3%81%BB%E3%81%A9%E6%98%94%E3%81%AB%E3%80%81%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%96%B9%E9%9D%A2%E3%81%8B%E3%82%89%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E3%81%AB%E7%A7%BB%E4%BD%8F%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82.,%E7%89%B9%E5%BE%B4%E3%81%AF%E6%9A%97%E3%81%84%E8%A4%90%E8%89%B2%E3%81%AE%E8%82%8C%E3%80%81%E4%BD%8E%E3%81%84%E8%BA%AB%E9%95%B7%E3%80%81%E5%A4%A9%E7%84%B6%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%80%82.%203%E3%81%8B%E3%82%896%E5%AE%B6%E6%97%8F%E3%81%8C%E9%9B%86%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E6%9D%91%E3%82%92%E4%BD%9C%E3%82%8A%E3%80%81%E9%80%9A%E5%B8%B8%E3%81%AF%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%97%E3%83%86%E3%83%B3%E3%81%8C%E6%9D%91%E3%81%AB1%E4%BA%BA%E3%81%AF%E5%BF%85%E3%81%9A%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%81%E6%9D%91%E5%85%A8%E4%BD%93%E3%82%92%E7%B5%B1%E6%8B%AC%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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