安本美典著「日本民族の誕生 ― 邪馬台国と日本神話の謎」を読む ―2(完)― 揚子江流域から戦火を逃れて稲作と共にやってきた倭人? 遺伝子分析結果と比べてみれば

安本美典著「日本民族の誕生 ― 邪馬台国と日本神話の謎」を読む ―2(完)― 揚子江流域から戦火を逃れて稲作と共にやってきた倭人? 遺伝子分析結果と比べてみれば

 

 


 

「第4章 弥生文化と日本語の発祥の地は、九州北部と朝鮮半島南端の地」に入ります。

 

p187

 

日本の文化も、言語も、ともに、朝鮮半島からその北方へとつながる要素と、中国の揚子江

(長江)流域からその西や南への延長上へとつながる南方的な要素とをもつ

 

そして、この南方的な要素は、おもに、弥生時代の幕開けとともに、稲作文化とともに

到来したものであろう。

 

「原倭人」は、古朝鮮語とある程度、共通の特徴をもつ言語であった。

「原倭人」の言語は、のちの「大和ことば」、あるいは、現代日本語とも親近性をもつ

言語であった。

 

弥生時代の初めにかけて、中国の揚子江(長江)下流地域から、ビルマ系言語を使う

人々を主とする人々が、稲作文化をたずさえてやってきて、「原倭人」と混交し、「倭人」

が成立した。

 

==>> 下はp236に掲載されている絵図ですが、基本的には著者の主張する

     ところは、ここにある初期古極東アジア語から、どのように古日本語系の

     言語が形成されていったのかを、文化的な融合をもとに解説しているかと

     思います。

 

     


 

     そして、中国の戦国時代の江南から、漢民族に圧迫された主に呉の人々が

     避難民となって、稲作文化を携えて倭国にやってきたという筋書きです。

 


 

p188

 

日本語の周辺の諸言語との近さの度合いを測定してみると、日本語は、朝鮮語にくらべ、

ビルマ系言語、カンボジア系言語、インドネシア系言語などの南方の諸言語の語彙を

とかしこんでいる度合いが大きい

 

p192

 

いまから、およそ2千5百年ていどまえに、弥生時代にはいるころから、九州の人口が、

他の地域にくらべ、相対的に大きくなりはじめる。

・・・朝鮮半島方面や揚子江下流域方面からわたってくる人たちもふえたとみられる

ユーラシア大陸からおしだされる形で、朝鮮半島の南部、対馬、壱岐、北九州に住みついた

人々が、「原倭人」で、日本語をもちいる日本人の祖先である。

 

「原倭人」の文化は、それまでの縄文人の文化とも関係があった。

 

==>> つまり、日本語の側からみると、弥生時代に揚子江下流域方面からやってきた

     人たちが南方系の言語を持ち込んだので、それが朝鮮語との違いをもたらした

     ということのようです。そこで古極東アジア語が古日本語へと変化があった

     ということになりそうです。

 

p196

 

わが国で、弥生稲作(水稲栽培)が一般化し、それが、租税制度などをともない、国家

権力の萌芽のようなものが発生するのは、呉(紀元前473年滅亡)、越(紀元前334

年滅亡)、楚(紀元前223年滅亡)などの、揚子江流域国家の滅亡とあるていどの関係

があり、それは西暦紀元前5世紀~紀元前3世紀ごろのことであろう・・・・

 

 

p197

 

最近の研究では、日本型のイネの起源地は、揚子江の中・下流域であろうといわれている。

 

1983年に佐賀県唐津市の菜畑遺跡で、日本最古の水田跡が発見された。

 

==>> ここで著者は、稲作は江南から直接九州に来たのだろうと述べています。

     朝鮮半島を北から廻ってくるというのは、半島の気候がイネの生育には

     向いていないから植物学的には困難だという見方のようです。

 

 

p203

 

朝鮮半島の南部にも、北九州にも、もともと、日本語の祖先となる言語を用いていた

「原倭人」が住んでいたのであり、朝鮮半島と北九州とに、共通の遺跡・遺物を残したのは、

おもに、その原倭人たちであったと考える。

 

「三国志」の「魏志」の「東夷伝」の「韓条」に、つぎのような文がある。

「韓は、帯方(郡)の南にあり、東西は海をもって限りとなし、南は倭と接す。」

「その(弁辰の)瀆慮(とくろ)国は倭と界を接す。」

この文は、韓が、南は、海をへだててではなく、陸つづきで、倭と接していたと、読み

とれる文である。

 

p204

 

「随書」の「百済伝」などにも、「百済の人のなかには、新羅・高句麗・倭などの人が

まじっている」と記されている。

 

そして、「日本書紀」に記されているように、継体天皇の六年(512)に、任那の国の

四つの県(これは、朝鮮半島の西南部の全羅南道のほぼ全域にわたる地域)を、日本は、

百済に与えている(つまり、それまでは、割譲権を日本がもっていた)。

 

==>> ここでは、倭人とよばれる人々は、今の日本列島だけに住んでいたのでは

     なく、朝鮮半島の南部にも住んでいたということを、文献に基づいて述べて

     います。

     「倭人」については、wikipediaでも様々な説が紹介されていまして、

     下のような説もあります。

     https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E4%BA%BA

     「倭・倭人を日本列島に限定しないで広範囲にわたる地域を包括する民族概念と

して「倭族」がある。鳥越憲三郎の説[4]では倭族とは「稲作を伴って日本列島

に渡来した倭人、つまり弥生人と祖先を同じくし、また同系の文化を共有する人

たちを総称した用語」である。鳥越は『論衡』から『旧唐書』にいたる史書にお

ける倭人の記述を読解し、長江(揚子江)上流域の四川・雲南・貴州の各省にか

けて、複数の倭人の王国があったと指摘した。」

 

 

p206

 

北方人基層説

 

現在の日本語の、「私は、本を、読む。」などの、あきらかに、中国語や英語と異なる

語順は、そのような北方からきた人々によって、もたらされたものである。 これらの

人々が、縄文人につながる

 

p207

 

稲作の技術をもった人々が、南方からやってくる。 稲作などは、本来アジア大陸南方

起源のものである。 稲作、高床、高倉、千木、カツオ木、羽子板でのはねつき、竹馬、

げたなどの文化複合体は、アジア大陸南方に、わが国と共通するものを見出しうる。

 

歴史時代にほぼはいってから、多量の中国語からの借用語が、日本語のなかに流れ込む。

しかし、この中国語からの借用語は、それまでの日本列島でおこなわれていた大和ことば

の文法(たとえば語順)や、音韻(あとえば、単語はすべて母音で終わる)などに、本質

的な変化を与えなかった。

 

 

==>> ここで著者は、北方の言語とは、「現在のモンゴル語、ツングース語系満州語、

トルコ語などの祖先のことば、すなわち、アルタイ諸言語の祖語に結び付く

言語」であったろうとしています。

     

     日本語の起源はどこにあるのか、どの言語系統に属するのかについては、

     様々な説があって、定説というのはいまだにないようです。

     とりあえずは、「アルタイ語族説」が多数であるようですが・・・・

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90

     「日本語をアルタイ系言語、アルタイ諸語の一つとする説。現在に至っても

アルタイ語族説の主張する学者は他の語族説を主張する学者より多く、

グスターフ・ラムステッドやエフゲニー・ポリワーノフ、 ニコラス・ポッペ

などがいる。この説の基礎理論的な課題は、ツングース諸語、朝鮮語(古代朝鮮

語)の内的再構がどの程度まで可能かである。」

 

 

p210

 

従来の、「縄文人は、基本的には北方系、弥生人は、基本的には南方系」とする「北方

基層説」からうけつぐところは大きい。

 

p212

 

稲作が、江南から直接日本、特に九州地方へ渡来したとする説は、多くの農学者も

支持するところである。 ・・・・日本の水稲に最も近似する品種は(朝鮮半島の

ものよりも)華中のジャポニカの一群であることなどが証明されている。

 

・・・朝鮮半島を経由したとする考えは、考古学者のなかに支持の多い説といわれて

いる。しかし、陸路を揚子江流域から遼東半島に至って鴨緑江を渡り、文字通りに

半島を南下したとは、農学者や植物学者にとっては容易に賛同し難い推理であろう。 

遼東半島付近は北緯40度、盛岡よりも北である。

 

p214

 

外来の民族で、現代の日本民族や日本文化の形成に、もっとも古くもっとも大きな

影響をもたらしたのは、北方騎馬民族ではなく、南方就船民族であったようにみえる。

 

==>> さて、この本で述べられていることと、最新のDNA解析での日本人のルーツ

     の解説とは、どの程度違いがあるのかを見てみましょう。

     かなり似ていると思いますが、この動画には、非常に面白い分析も

     あります。

     教科書には無いDNA解析で分かった古代日本人の起源〜後半〜|茂木誠

     https://www.youtube.com/watch?v=-liE1A6cr4I&t=63s

     「中国や朝鮮半島の人たちのY染色体(父系DNA)の中には、縄文人の

     痕跡はほとんどない」

     「縄文人と同じDNAをもっているのは、なんとチベット人」

 

p232

 

ビルマ系江南語は、おそらくは、はじめ、北九州に上陸したであろう。 そして、すでに

北九州に存在していた朝鮮語祖語との関連をもっていた古極東アジア語の系列をひく

言語(原倭人語)とむすびつき、日本語祖語(倭人語)を形成したと考えられる。

 

p233

 

なお、現在でも、ビルマ系諸言語の基本的な語順は、日本語などと同じく、「私・本・読む」

式の語順である。

 

 

p241

 

縄文文化は、極東アジア語民族の上に成立したようにみえる。

そして、弥生文化は、縄文文化の上にかぶさったものであるが、長江流域文明の外延上に

ある。 雲南、ヒマラヤ文化も、また、長江流域文明の、別の外延上にあるようにみえる。

 

==>> 要するに、元々は古極東アジア語みたいな広い範囲の言語があって、

     それが縄文時代には原倭人語になっていったんだけど、その後、稲作を

     もたらした江南からの戦国時代の避難民が加わることによって、

     弥生文化とともに倭人語が形成されたという筋書きのようです。

 

p244

 

日本語祖語は、「クレオール語」とみられる

 

およそ2500年ていどまえにおきたとみられる、つぎの二つのことがらは、大略、

重なり合うようにみえる。

(1)   北九州において、弥生時代が水田稲作によってささえられるようになった時期。

(2)   長江下流域から、ビルマ系江南語が渡来したとみられる時期(日本祖語が成立

したとみられる時期)。

 

==>> ここで著者は、絵図を示して、日本祖語ができたのは、おそらく朝鮮半島

     南部から北九州・日本海沿岸地域の辺りに、クレオール語として生まれたの

     ではないかとしています。

     この範囲は、おそらく倭寇が作っていた文化圏にも重なるものなのでしょう。

     クレオール語とは:

https://kotobank.jp/word/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%AA%9E-486726

     「二つ以上の言語が接触してピジン語が形成された後に、それが使用地域の人々

全体にとっての母語となってしまった場合の言語をいう。」

「植民地などで外来の移住民の言語と土着の言語が接触した結果生じた言語

混交語,混成語ともいう。」

 

p248

 

「琉球諸方言を含む現代日本語方言の言語的核心部の源となった日本祖語は、西暦紀元

前後に北九州に栄えた弥生式文化の言語ではないか。 そして、紀元後2,3世紀の頃、

北九州から大和や琉球へかなり大きな住民移動があったのではないか」とのべている。

私は、この服部四郎の見解を、大略において支持する。

 

p249

 

松山納は・・・・

「例えば、フィリピンでは総数2700もの島々に、最低に見積もって八種、普通には

55種の、そして方言まで入れると137種の土語が分布している。 よく言われる

ことだが、“インドでは十マイルごとに言葉が違う”というほどではないにしても、

フィリピンにこんなに多種の土語があることが国語統一を妨げていることは間違いない。」

 

==>> ここでフィリピンの言語の話が出てきましたので、実際にどんな状況なのか

     をこちらのサイトで見てみましょう。

     フィリピンの言葉は100種類以上。セブならビサヤ語を覚えよう

     https://arekoreph.com/culture/language/

     「フィリピンでは、公用語のフィリピノ語(タガログ語)と英語以外に、地域ごと

に別々の言葉が存在し、その言語の種類は約170あると言われています。」

 

日本が言語を統一できたのは、やはり徳川時代の参勤交代で地方と中央の

行き来が頻繁にあったからなんでしょうかねえ。

それとも、NHKの功績でしょうか。

 

こちらのサイトに、この疑問に答えていました。

https://shuchi.php.co.jp/article/1987

「細長い日本列島の1億2000万人もの日本人が、同じ日本語で話し、同じ日本

文字で読み書きしている。これは決して当たり前ではなく、世界的にも珍しい。」

「この参勤交代は、次第に諸大名の単身赴任の習慣をつくっていった。江戸へ

単身赴任をするのではない。「自分の領地へ単身赴任」するのである。

 つまり妻子は江戸に住まわせ、大名だけが自領へ2年に1度行くのだ。

諸大名たちは2、3代目になると、ほとんどが江戸生まれになっていた。なにし

ろ、母親が江戸に住んでいるのだから。大名が帰属する土地は自分の領地である。

しかし、江戸生まれで、江戸育ちの大名たちの心の帰属先、つまりアイデンティ

ティは「江戸」にあったのだ。」

 

・・・やはり、参勤交代ですね。そして、近年ではテレビだそうです。

その前にはラジオがあったと思いますが。

 

     ところで、フィリピンなんですが、確かに現在でも地域によっての言語の

     違いは大きいようです。 私がフィリピン人の同僚から聞いた話では、

     マニラから250キロ離れたバギオ市から、管理職としてマニラより南の

     地域に転勤になった人は、転勤先の工場の部下とのコミュニケーションに

     非常に苦労したとの話でした。

 

     私が直接経験したことで言えば、ある日本語の文書を英語に翻訳した関係で、

     バギオ市の裁判所に証人として出廷したことがあります。

     その時は、原告が地元の言葉で証言し、それを英語にする通訳がいて

     裁判官は公用語のひとつである英語で話していました。

     もちろん、公用語はフィリピン語と英語のふたつあるのですが、この

     裁判所では英語を使っていました。

     フィリピン語と言ってもマニラ近郊のタガログ語がベースのフィリピン語

     ですから、英語ほど広くは使われていないのでしょう。

     ちなみに、政権が変わると、学校教育において、フィリピン語と英語

     どちらを主たる言語とするかで時折議論が起こるようです。

     

     私が勤務したバギオ市にある工場では、食堂にいけば狭い地域の言語

     あるいはルソン島北部で共通語となっているイロカノ語、そして、

     会議で使われる言葉は共通語としてのフィリピン語、さらに外国人が

     一人でも参加すると英語、という具合でした。

 

     そして、遠くの地方から来た夫婦などは、隣近所の人たちとは言語が

     異なるので、近所づきあいもままならない、と聞いたことがあります。

 

p254

 

「古極東アジア語」は、また、日本海をとりかこむ「環日本海語」でもある。

・・・極東アジアにおいて、日本海のまわりに、日本語祖語、アイヌ語祖語、朝鮮語祖語

などの、「古極東アジア語」が分布していた・・・

 

 

p255

 

日本列島内の、太平洋側の、インドネシア系言語などを使っていた人々は、文献上の、

隼人、熊襲などとあるいは関係するかとも思われるが、歴史時代にはいってから、

比較的早く、古日本語系の人々に、同化、吸収されたようである。 そのさい、日本語の

なかに、南方系の単語をもたらした。

 

p257

 

西暦1500年ごろには、英語の使用人口は、約500万人、日本語の使用人口は、

約1800万人と推定されている。 ・・・・英語は、500年ほどのあいだに、

使用人口が、およそ50倍になった。

 

・・・500年ほどのあいだに、ロシア語は、15倍以上、スペイン語は、14倍以上に

使用人口が膨張した。

 

・・・急激に膨張したのは、政治的な事情による。 植民地政策をとった結果、生じた

現象である。

 

==>> 島国であった日本は、いわば奇跡的に大きな勢力を誇る日本語圏を作ることが

     できたということですね。 

     ちなみに、近年では、中国語、英語、ロシア語、ヒンディー語、スペイン語に

     続いて日本語は世界で6番目なんだそうです。

 


 

p268

 

日本語の音韻特徴、文法構造に関する12の項目・・・・

 

p269

 

(7) <重母音が本来なかった> 現在の日本語東京方言では「aoi(青い)」

「kuroi(黒い)」「moeru(燃える)」「sio(塩)」「warau(笑う)」

など、母音が二つ以上つづくことも、しばしばある。

しかし、古くは、上にあげた語は、それぞれ、「awoshi(青し)」「kurosi

(黒し)」「moyu(燃ゆ)」「sifo(塩)」「warafu(笑ふ)」であった。

母音はつづかなかった。

 

==>> 上記の件を古語辞典でひとつ確認しておきましょう。

     https://kobun.weblio.jp/content/%E5%A1%A9

     「しほ 【塩】名詞   

食塩。塩加減。

参考古代の塩作りは、海水をそのまま煮詰めたり、海藻に海水を注ぎかけて乾か

し、それを焼いて水に溶かしたものを煮詰めたりする方法が用いられ、その光景

を「塩焼く」「藻塩焼く」と表現した。⇒藻塩(もしほ)

 

p282

 

上古日本語では、語頭に濁音が立たない。 そして、日本語の首里方言や東京方言に

おいても、濁音が語頭に立つ語の数はすくない。

 

ちなみに、東京方言において、語頭に濁音が立つのは、「bookkire(棒っきれ)」

「doobutsu(動物)」「dare(だれ)」「doko(どこ)」「doo(how

意味のどう)」の五つだけである。

このうち、「棒っきれ」の「ぼう」、「動物」の「どう」の発音は、いずれも中国の呉音

から来ている。 借用語であって、本来の日本語ではない。

 

p283

 

「だれ」は、むかしは「たれ」であった。 「どこ」は、古く俗語に「いずこ」と

ならんで「いどこ」という形が行なわれ、その語頭の「い」が落ちたものであろうと

考えられている。

 

日本語以外で、語頭に濁音の立ちにくい言語としては、まず、朝鮮語、アイヌ語など

日本語の周辺の言語があげられる。

 

==>> この濁音が語頭にこないという話は、不真面目な日本語教師だった私と

     しては、恥ずかしいしだいですが、 気づきませんでした。

 

     そこでひとつだけ思い出したことがあります、もう20年以上も前の話

     ですが、大分・別府駅で、国際交流観光ガイドのボランティアをしていた

     ころに、韓国人学生が「いぬをたく」と言ったことが思い出されます。

     私は一瞬「犬を炊く」という漢字を頭に浮かべたのですが、すぐに

     「犬を抱く」という意味なんだなと分かりました。

     つまり、上記にあるように、動詞の語頭に濁音が立ちにくい韓国語で

     あったということになりそうです。

 

     ここで、昔の日本語の発音はどうやったら分かるのか? ということが

     不思議に思えます。 こちらのその解明の仕方についての動画がありました

     のでご参考まで。 日本語教師としては、勉強しておくべき内容でした。

     あな、恥ずかし・・・・

     なぜ古代日本語の発音がわかる?昔の言語の発音を知る方法を簡単に解説!

     https://www.youtube.com/watch?v=qFMl8rYBfwA&t=260s

     

     ここで、せっかくですから、古代の発音を復元した動画を聞いてみましょう。

     【古代日本語】春はあけぼのを書かれた当時の発音で読んでみた

     https://www.youtube.com/watch?v=gXovnw_OwZY&t=75s

 

     ・・・驚くほど現代とは違いますね。なんだかふわふわした発音に聞こえます。

 

 

p291

 

日本語の場合、上代にさかのぼるにつれ、濁音のもちいられる度合いは小さくなる。

たとえば、「食べる」は、古くは、「くふ」であったし、「こわがる」にあたることばは、

「おそる」であった。

なお、朝鮮語には、濁音、清音の対立はなく、それとは異なった三つの音の系列

(平音、激音、濃音)の対立がある。 また、中国語も、濁音、清音の対立はなく

有気音(強く息を出す音)と無気音との対立がある。

 

==>> 日本語も古代には濁音が少なかったということは、朝鮮語の方が古代の

     発音のなごりを今も残しているということになるんでしょうか。

     

     ここで、濁音がどこから来たのかが気になって、検索してみたところ、

     下のようなサイトがひっかかってきました。

     ≪呉音までは「濁音」があったのですが≫

     https://ameblo.jp/denjiro-jp/entry-12501648902.html

     「日本漢字音概論(高松 政雄センセ)によると、呉音までは「濁音」があった

のですが、「漢音」には清濁の区別がなくなってしまうというのです。そうした

らどういうことがおこってくるか想像できますか。中国発音で日本人に「が」と

聞こえる漢字が無くなったのです。」

 

・・・呉音には濁音があったということは、これまで読んできたこの本の

ストーリーから考えると、江南地域から九州に避難民として移住してきた

人たちが濁音をもたらしたということになるんでしょうか。

時代の後先が混乱してしまいそうですが・・・・

 

・・・そこで、p291にある表33「濁音が何回あらわれるか」という

のを見ると、アイヌ語0、日本の上古語25、中国語31、日本語の東京方言

42などにくらべて、ツングース系満州語105、ベトナム語110、

インドネシア語137、モンゴル語139などに濁音が多いとなっています。

(200語中の濁音の回数です)

 

     しかし、朝鮮語の中期語で85回というのが、ピンときません。

     「語頭に濁音の立ちにくい言語としては、まず、朝鮮語、アイヌ語など」という

     ところでひっかかっています・・・・

 

 

p314

 

現在、遺伝人類学者や計量言語学者の多くは、つぎのように考えている。

 

アイヌと縄文人とは関係をもつとみられるが、北方アジア起源、または、東北アジア人

の集団群にふくまれる。 現代日本人も、基本的には、この集団のなかにふくまれる

(ただし、現代日本人の一部には、インドネシア系など南方系の血をひく人たちがいる

とみられる)。

 

「弥生文化」は、おもに、水田稲作とともに、長江下流域方面から来た文化の刺激に

よって生じた。 

 

==>> これが著者の結論となるようです。

     さて、ここで、最近流行りの遺伝子検査のサイトで、日本人のハプログループ

     の割合をチェックしておきましょう。

     この本の著者の結論と、どこまで同じなのか、あるいは大きく異なっているのか

     を見てみたいと思います。

     日本人のハプログループ

     https://first-genetic-testing.com/gene/haplo.html

     ここでは「ミトコンドリアDNA」の解析結果を掲載していますので、

     母系の遺伝情報ということになります。

     

     1番多いのはD

     日本人の4割弱を占める。東アジア全体で最大のグループ。

     特に中国東北地方、朝鮮半島では人口の3~4割。     

     

     2番目はB

     約4万年前に中国南部で誕生したと推定。

     中国南部から東南アジアにかけて、割合が多い。

 

     3番目はM7

     黄海から東シナ海にかけて存在していた陸地、スンダランドで4万年以上前に

     誕生したと推測。 Maは日本、M7bは大陸沿岸から中国南部、M7cは

フィリピンやインドネシアに多い。 

沖縄に多く、日本へは南から入ってきたではないかと推測。

 

4番目はA

中央アジアから北アジアに分布。

誕生は約3万年前、場所はバイカル湖周辺

 

この検査結果をみると、この本の著者が主張していることとさほど違いは

ないのではないかと見えます。

 

・・・・では、ついでに、父方の遺伝子である日本人のY染色体のハプロ

グループ分析も見ておきましょう。

日本人のハプログループ

https://u-gene.jp/ancestor/#01-4

「日本人の主なY染色体ハプログループは、グループOが最も多く日本人の

55%、次いでD35C6%、N2%、Q1%と続いています。」

 

https://first-genetic-testing.com/gene/y-haplo.html

グループO

東アジア、オセアニアに広がっている。O2O3bは主に朝鮮半島や華北地域、

O3は主に華北から華南にかけて分布。」

グループD

日本以外では、チベットで男性人口の約3割を占める」

 

・・・Y染色体の説明だと分かりにくいですね。

 

 

この本は、さまざまな角度からのアプローチがあって、図表、絵、写真などもたくさん

掲載されていて、理解を助けてくれたと思います。

また、遺伝子分析の結果なども、或る程度反映されているようなので、最近の新しい

情報からのズレもあまりなさそうだなと感じました。

これは、おすすめの本です。

出版は平成25年(2013)になっています。

 




===== 完 =====

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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