川崎真治著「謎の神 アラハバキ」を読む ―1― 日本のすべてはシュメール語とギルガメシュ叙事詩から始まった? 「東日流外三郡誌」(とかるそとさんぐんし)ってなに?
川崎真治著「謎の神 アラハバキ」を読む ―1― 日本のすべてはシュメール語とギルガメシュ叙事詩から始まった? 「東日流外三郡誌」(とかるそとさんぐんし)ってなに?
この本を読む気になったのは、前回読んだ武光誠著「古代日本誕生の謎」に
「p252
現在でも日本神話にない神を祭る神社がある。 そのようなところには、かつて朝廷
の支配を受け入れない勢力がいたと考えてよい。 最も広く分布する縄文的神を
荒脛巾(あらはばき)神(荒吐(あらばき)神)という。」
という一節があったからでした。
つまり、大和朝廷によって日本という国が統一される前には、人びとの間にどんな信仰が
あったのかに興味が湧いてきたからです。
そしてもちろん、邪馬台国と大和朝廷との関係にもなんらかのヒントがあるのでは
ないかという気持ちからです。
まず、この著者、川崎真治氏なんですが、下のサイトには次のようなことが書かれて
います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E7%9C%9F%E6%B2%BB
「川崎 真治(かわさき しんじ、1921年 - 2007年)は、日本の言語学者、考古学者。大学や公の研究機関には所属していない在野の研究者。
世界各国の古代言語や古代文字(ペトログリフ)と日本語との関係を、極めて大胆な発想で
結びつける説を多数提唱している。古くから著作が多く知名度は抜群に高いが、提唱された
説が学会で発表されたり、他の考古学者等から支持を得たりすることは少ない。」
・・・と言うことですので、かなり個性的な在野の研究者であるということらしい。
そして、私の読後の感想を一言でいうならば、
「私が期待していたアラハバキに関する内容の本ではなかった」
と言う結論でした。
では、それを踏まえた上で、読んでいきましょう。
p004
神がいるとか、いないとかの問題は、いわば哲学者の「遊び」であって、庶民の問題では
ない。 庶民は神がいると信じて毎年祭礼を行っている。ただし、祀る神の本質、信奉の
対象としての神の本質が、庶民の目に見えなくなっているだけなのだ。
いや、状況は、そればかりではない。 神々を祀ることを職業とする神官たちの目にも、
日本の神々の真の姿が映らなくなっている。
p005
そういう日本神道の実相が「東日流外三郡誌」(とかるそとさんぐんし)に記録されている
父・ガモ・アヤ、母・イペ・アパ、子・アラ・ハバ・キ神の解明を通じて述べようと思う。
==>> まず、まえがきにこのように謳ってあるのですが、前段はともかくとして、
後段にある「東日流外三郡誌」に関しては、いろいろと問題があったようです。
その問題とは、こちらに詳しく書いてあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%B5%81%E5%A4%96%E4%B8%89%E9%83%A1%E8%AA%8C
「古代における日本の東北地方、特に現在の青森県のほか岩手県、秋田県を含む
北東北などの知られざる歴史が書かれているとされていた、いわゆる和田家
文書を代表する文献。ただし、学界では偽作(偽書)説が確実視されており、
単に偽作であるだけでなく、古文書学で定義される古文書の様式を持っていな
いという点でも厳密には古文書と言い難いと言われている。」
・・・つまり、様々な論争もあり、論文盗用をめぐる裁判などもありという
かなり世の中を騒がせた文書がこの本の元にあるということを留意しておく
のがいいかと思います。
p014
縄文後期の作といわれる津軽の遮光器土偶は、その文化的系譜が紀元前三千年紀の古代
オリエント、紀元前二千年紀の中国文化につながっていたのである。
==>> いきなり縄文の遮光器土偶が古代オリエントにつながっているという話が
出てきましたので、まずこれをチェックしておきましょう。
遮光器土偶とは?
https://media.thisisgallery.com/20229252
「その制作意図やモデルは未だ解明されていません。」
「目にあたる部分がイヌイットのが雪から反射光線を防ぐために着用する
遮光器(スノーゴーグル)のような形をしていることからこの名称がつけられ
ました。」
「現在では、遮光器をつけているのではなく、目を誇張した表現だと考え
られています。」
「主に東北地方から出土し、縄文時代晩期のものです。」
・・・一般的、学術的には、少なくともその土偶のルーツがどこにあるのかと
いうような定説はなさそうです。
p014
歴史的事実なのか、それとも、いわゆる偽史、偽書のたぐいなのか。 ・・・再読しても、
やはり、真贋は判らなかった。
p015
真実の部分というのはアラハバキ神に関することである。
アラハバキ神の本質は父が天神(もしくは獅子神)、母が地母神、その両親のあいだに
生まれたのがアラハバキ神。 この神統譜こそ「東日流外三郡誌」の真髄だったのである。
==>> ここで著者は、元とする本の真偽については判断を保留していますが、
少なくともアラハバキ神の部分に関しては真実であると断言しています。
p018
このように、紀元前三千年紀のメソポタミアのウル市やバビロン市、そして紀元前
二千年紀の中国においても王の名、子孫の名、氏族の姓が「○○神の子」「○○神から
生まれた人」という一種の定型に従って命名されていたのである。
日本の江戸時代「姓は丹下、名は左膳」などといった姓(セイ)も、つきつめてゆけば
「○○神の子」、あるいは「父が○○神」という古代アジアに存在した命名の定型に
たどりつく。
p020
人の姓なり名には、その人の奉祭する神の名が入るという命名の原理の一端を述べたが、
日本の古代津軽に君臨した荒吐王朝のアラハバキにも、原理どおりに神名が入っていた。
==>> ここで著者の主張が一気に出てくるのですが、荒吐王朝をさっそく検索
してみました。
検索にひっかかってきたサイトの中で、一番まとまった話を書いてあるのは
こちらのサイトでした。
また、それらしき王朝なり王国ということで、東北地方にあったとされる
ものに関して書いてある本もいくつかあるようです。
二つの国譲りと津軽の荒吐
http://maakata.holy.jp/2022/01/31/2298/
「荒吐とは古代東北国の名称であると同時に、その国が信仰する自然神の総称で
あるとしています。」
「秋田氏による後世の知見がかなり混濁していると思われる東日流外三郡誌で
すが、荒吐の由来を
“日向国に追われ津軽に逃げ延びた安日彦、長脛彦の二王が、現地民の阿蘇部族、
津保化族、そして王族を含む晋からの移民を統一した国家が荒吐である”
という点については、古代篇を通して全くブレがないのです。」
・・・・私は、この王朝なるものについては、深入りしないことにします。
p034
日本語方言の「父」と比較してみよう。
「東日流外三郡誌」の唱文中にあったガモ・アヤのアヤ(父)、そして石垣島、青森、
岩手方言のアヤ(父)は、ドラヴィダ語のアヤ(父)と完全に同じである。
また、アヤに転訛する以前のアヂャ、アチャ、アッサ、アサなどの宮古島、与論島など
の南島方言と、津軽・秋田方言の「父」も、インドのドラヴィダ語の「父」と同系である。
・・・今述べたアヂャ、アヤ系の「父」が、シュメール・インド・南島・日本本土という
コースで伝播してきたということだけは、疑問の余地がない事実である。
==>> 著者の略歴のところには、「歴史言語学開拓をめざす」と書いてありまして、
歴史を踏まえた言語学の立場から、このような類似性について延々と
持論を展開しているのですが、これが正しいのかどうかは私には勿論判断
できません。
しかし、多くの説明の中で、「転訛」という言葉が何度も出てきていて、私は、
正直なところ、そんなに都合よく「なまる」ものなのかとやや懐疑的です。
もちろん、人類がアフリカを出て、オリエント、インド、中国、日本へと
流れてきたことを思えば、全否定をする勇気はありませんが・・・・
p040
養沢(ヨーザワ、別訓アラハバキ)
養父は、夜父とも書くが、地名としては養父が一般で、肥前国養父郡養父郷、但馬国
養父郡養父郷、近江国愛智郡養父郷、参河国八名郡養父郷など(註・以上は平安時代の
地名)。そして東京都武蔵五日市の養沢神社は、ヨーザワのほかに、アラハバキとも読む。
では、なぜ、ヤフ(ヤブ)ザワが、アラ・ハバ・キ(荒吐)なのか。
・・・養父が「父(イアブ)、佐和が「獅子と獅子」のウヂャヌバーから転じた
ザワ、サワなのだ。
==>> ここで養沢神社が紹介されています。
その神社を確認しておきましょう。
養澤神社
「養澤神社は1915年(大正4年)養沢地区の熊野神社、八幡神社、日天神社、
門客人(あらはばき)神社の4社を合祀し、」とあります。
また、こちらのサイトには:
http://www.jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=1545
ご祭神の中に、
「手摩乳命/手名椎命(てなづち)
脚摩乳命/足摩乳命/足名椎命(あしなづち)」
という記述があります。
Wikipediaで調べると、
アシナヅチ・テナヅチ
「氷川神社(埼玉県旧大宮市)の門客人神社は元々荒脛巾(あらはばき)神社と
呼ばれ、謎の神アラハバキを祭る神社であるが、ここには何故かアシナヅチ、
テナヅチの2神がアラハバキと共に奉られている。」
==>> 要するに、上記のリンク先の情報から判断すると、
養澤神社 = てなづち・あしなづち = 門客人神社 = アラハバキ神社
という繋がりになりそうです。
ただし、私には、著者が述べている言語的な転訛による繋がりの説明は
すっきり理解できません。
p051
歴史的現実は、「父」と「母」がセットになってシュメールから伝播し、受容されて
いたのだ。 そしてその伝播の延長線上に、ビルマ(ミャンマー)語の「母」のアメイ
があり、タイ語の「母」のメーがあり、ラオ語の「母」のマァがあり、ベトナム語の
「母」のメーがあり、中国雲南省ロロ語の「母」のエーマがあり、時代をさかのぼった
紀元前千四百年頃の大邑商に甲骨文字の「母」(アマ)があった。
==>> そしてこれらが、日本方言の「母」である、南島の「あま」などに転訛して
行ったと著者は主張したいようです。
もちろん、大元はシュメール、バビロン、エジプトなどの地域です。
p058
インド・ドラヴィダ語の「米」とか「食事」は古代東アジアへ伝播した。
ビルマへ入って「米」のイ・ママとなり、縄文後期の日本列島へ入って「米」のア・ママ
となり、「ご飯・食事」のオ・マンマ、あるいはマンマともなった。
==>> ちなみに、国語辞典・語源辞典などで「まんま」をひいてみると、
「飯を意味する幼児語。おまんま。」と出てきます。
インドから伝播したと考えるか、幼児語だと考えるか・・・・
p067
村山氏は、ツィンツィウス女史の論を根拠にして、母のオモはアルタイ系と結論されて
いる。・・・・
ツィンツィウス女史が、どのような言語学者かは、よく知らないが、人類言語の起源に
ノータッチであったことだけは確かで、「その乳房が吸われる成熟した者」が「母」であるというような解釈は「ひとりよがり」としかいいようがない。「母」ということばは、
今から五千年も前に「生む」と同音だったのだ。
したがって、朝鮮語、韓国語の「母」オモ・ニが、いちがいに、満州語系、ひいては
アルタイ語系だとはいいきれない。
==>> ここで著者は、村山氏、そしてツィンツィウス女史を上から目線で批判して
います。どちらに言語学的に分があるのか私にはさっぱり分かりませんが、
少なくとも「いいきれない」と言うのであれば、それはお互い様なんじゃ
ないかなと感じます。
日本語をとっても、語族にかんしてはいろんな学説があるようですし、
おそらくきっちりと検証できる方法もないのでしょう。
言語にDNAが入っていれば解析もできるんでしょうけど。
おそらく、批判された相手からは「ひとりよがり」という言葉を返された
のではないかなと邪推します。
p069
今ならば、「乳母」をウバというが、万葉時代はオモだったようである。しかし、オモ
であろうとウバであろうと、結局はシュメール語の「乳母」からの転訛語だったし、
また、「乳人」メノトも同系語だった。
・・・um-me-ga-lal ウム・メ・ガ・ラル 乳母 (シュメール語)
乳が充満しているところの「母(ウルメ)」というのが「乳母」の語構成であり、
造語原理であった。
==>> 著者はこのような説明をして、シュメール語の乳母ウム・メ・ガ・ラルが
転訛して、オモにもウバにもなったと言っているようなんですが、
言語学的にそれはありなんでしょうか・・・・
ここを読んだだけでは私には理解できません。
p070
大局的にみれば、倭人語(古代日本語)と古代韓国語は、いわゆる、兄弟姉妹の関係
にあった。 それをいまさら古代韓語で古代日本語が解けるといい出されても、私の
立場――歴史言語学者としての私の立場からいえば、あっそうですかと答えるしかなく、
逆に、古代日本語で古代韓語が解けるという切り返しもできる。
なぜできるかといえば、両国語とも、その起源が、古代オリエントにあったからである。
==>> この最後の著者の主張には、びっくりしました。
倭人語=古代日本語かどうかも分かりませんが、古代韓語から解けるという
方が実際的であるように、素人には思えます。
著者の主張からすれば、すべての言語が古代オリエントに源流を持つという
感じですから、世界中の言語が解釈できるということのようです。
そして、それは転訛、つまり訛って変化した道筋を辿れば分かるんだと
いうことのようです。
世界中のすべての言語は古代オリエントに通ずという主張なんでしょうか。
p076
良渚文化の時代は紀元前2700年ごろから前2000年ぐらいとされている。
反山遺跡は後期なので前2000年ぐらいか。 そういう時代に神人・猛獣紋の玉環が
出土したというのである。中国の考古学界では「人」の顔があったので驚いたというが、
しかし、この神人の名までは推察できなかったようである。
p079
いったい猛獣の虎とか獅子とか、あるいは頭に日輪をいただく猛獣とかを両腕に抱く
「神人」が、古代のどこにいたのだろうか・・・紀元前2000年前後の中国大陸に
いたことは、考古遺物があるので歴史的事実といえるが、しかし、もっと古い時期に
おける「神人」が、地球上のどこかにいたにちがいない。
==>> 良渚文化というのは初耳でしたので、検索したところ、本にある挿絵に
描いてある「反山玉琮に描かれた神人・猛獣紋」の写真もこちらの
中国語サイトにありました。
定了!申遺成功!中華文明5000年,從良渚文明算起!比夏朝還早
https://kknews.cc/other/zpmvayg.html
世界遺産登録の良渚古城遺跡 「中華文明五千年」の証し
https://www.afpbb.com/articles/-/3235027
「中国の新石器時代後期、長江下流域に優れた稲作農耕文化圏=良渚文化が存在
することを示し、長江文明を裏付け「中華文明五千年」を証明する遺跡として、
その価値と真実性、保存性を国際社会に認められた格好だ。」
もうひとつ、著者が使っている「神人」という言葉の意味なんですが、
辞書的にはこちらのような意味があるようです。
著者がこれと同じ意味で使っているのか、やや疑問が残りますが・・・
https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E4%BA%BA-74595
「じ‐にん【神人】 ①
神社に奉仕する下級の神職や寄人(よりうど)。神主、
禰宜、祝(はふり)などの祠官の下に置かれ、年中神事の雑役や社頭の警備などに
当たったもの。 ②
神社に隷属して、芸能・商工業あるいは卑賤な役に従事
するもの」
「しん‐じん【神人】 ①
神と人。② 神のようにけだかい人。また、神通力を
得た人。仙人」
「じん‐にん【神人】 ①
=じにん(神人) ② 神的存在。」
・・・著者はおそらく「神的存在」という意味で使っているんじゃないかと
思います。
p080
「父」ということばと「母」ということばが、紀元前3000年紀初頭のメソポタミア
から、インドを経由して中国、日本へまで伝播していた。
それと同じように、世界最古の長編叙事詩「ギルガメッシュ叙事詩」が、メソポタミア
のウルク市城から発して世界へと拡がっていた。
・・・その物語が当時の古代メソポタミアはいうに及ばず、エジプト、インド、さらには
中国まで伝わっていたのである。
p085
漢字の「㚒」も「鬼」も「獣」も、その造字原理は、すべてギルガメッシュ・モチーフに
あった。
p087
新石器時代から周代にかけて、黄河上流の甘粛省、陝西省には、メソポタミアのウルク市
城の英雄王ギルガメッシュを自族の神人として祠った人びと、鬼方(きほう)、驪戎(リジ
ュウ)、犬戎(けんじゅう)などが住んでいた。
==>> さて、著者はここで、言語の伝播に加えて、ギルガメッシュ叙事詩が
世界中に伝播して、古代中国のある地域の神様として祀られていたとして
いるんです。
いろいろとたくさんその理由も書いてあるんですが、難しすぎてその真偽を
判断することなどど素人には無理です。
上記にある古代中国の地域で、本当にギルガメッシュを神として祀った
民族がいたのか、確認する手立てもないですからねえ。
古代の中国語が理解できる人なら、古文書を紐解いて研究もできるので
しょうが。
著者は、シュメール語やメソポタミアから、日本へ伝播したと主張
しているのですが、私が先に読んだこちらの本を振り返ってみますと、
疑問が湧いてきます。
吉田敦彦編「世界の神話101」
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/09/blog-post_12.html
「p012 メソポタミアの神話
人間が地面から自生してくるという神話も一部にあるが、多くは神々によって
粘土から、あるいはある神を殺害してその血から人間が創造される。 人間創造
の目的はたいていの場合、神々の労働を肩代わりさせるためである。 このこと
は、人間が担うべき重労働こそが人間の存在理由であることを暗示している。」
「p016 洪水神話
あるとき神々は、洪水を起こして人間を滅ぼすことを決定する。
しかし、知恵の神エンキ/エアは滅亡を逃れる方法をひとりの人間にひそかに
告げる。その人間はシュメール語の洪水神話ではジウスドラ、 アッカド語の
「アトラ・ハシス」の神話ではアトラ・ハシス、 「ギルガメッシュ叙事詩」
に取り入れられた洪水神話ではウトナビシュティムである。
そしてイスラエルに伝えられた「旧約聖書」の洪水神話ではノアとなる。」
・・・そして、上記のサイトでは引用していませんが、あらためて「世界の神話
101」のメソポタミアの神話のところを読んでみますと、下のような
コメントがありました。
「その絵文字をさらに楔形文字に発展させ、複雑な記録のシステムを作り
上げたのはシュメール人であろう。 しかしシュメール人がどこから来たのか
は不明である。 またシュメール語も独特であり、現在知られている地球上
のどの言語とも関連させることができない。
・・・シュメール語で書かれた神話もアッカド語に訳されたり、または
アッカド語の神話のなかに取り入れられたりした。しかしシュメール人と
セム系民族は早くから混在していたため、神話についても由来を厳密に特定
することはできない。」
また、wikipediaにはシュメール語について、以下のような説明があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%AA%9E
「シュメール語と同系統と考えられる言語は発見されておらす、孤立した言語と
される。 シュメール語圏にはセム語を話す人々が混住していたが、セム語との
系統関係は認められない。近年エラム語とシュメール語の系統関係の存在を
主張する者もいるが、立証されていない。」
・・・・これらのことを考え合わせると、著者・川崎真治さんが言っている
「歴史言語学の開拓」がどのようになされ、上記のようなシュメール語から
日本語への伝播をどのように転訛というものによって関連付けたのか
はなはだ疑問に思えてしまいます。
p091
神戸市桜ケ丘出土の第5号銅鐸には、いわゆるギルガメッシュ・モチーフの絵画が
A面左下区画にある。 ・・・この絵は確かに「猛獣と戦う英雄王」である。
・・・もし「人間」ならば、この絵のモチーフはギルガメッシュ王とは無関係で、単なる
戦闘図の一部でしかない。
が、ここで中国古文字の「㚒」「鬼」「獣」を早期すれば、・・・右側のモノが「人間」で
なく「猛獣」であることが理解してもらえると思う。
==>> 著者はここで、日本にも著者の言うところのギルガメッシュ・モチーフの
絵柄が伝播してきていると主張したいようです。
絵柄と中国の甲骨文字の形からそれを証明しようということのようです。
その銅鐸の写真が、こちらの神戸市立博物館のサイトに掲載されています。
桜ヶ丘5号銅鐸
https://www.kobecitymuseum.jp/collection/large_image?heritage=365151&apiHeritage=401431&digital=1
この銅鐸に4つの四角の絵がありますが、左下の絵が、著者がここで述べている
「猛獣と戦う英雄王」ということになります。
写真は拡大できますので、じっくりご覧になってください。
私の感覚では、猛獣とみるのは難しいかなという感じです。
真ん中に人がいて、左側にも人が立っているのに、右側は猛獣だというのは
どういうシチュエーションなのかと疑問がわきます。
その絵の右側にある絵は、鹿と人間というのがはっきりわかるような描き方
ですから、獣であればもっと獣らしく描けるのではないかと思います。
p096
弥生時代の銅鐸絵画の中に、ギルガメシュ・モチーフがある・・・というと、従来の
尺度、歴史観からでは、拒絶反応が起きる。 だが、綿密に古代オリエント、インド、
中国、夫余・高句麗、馬韓、弁韓、辰韓・・・沖縄などなどを調べると、日本列島の
まわりには、ギルガメシュ・モチーフが充満していた。
p098
日本の考古学界にとっては私の発言はコペルニクス的と受け取られるかもしれないが、
歴史の真実というものはコペルニクス的思惟によって明るみに出ることが多いのだ。
==>> 私はここで思わず笑ってしまったのですが、考古学とか古文書学のような
分野でコペルニクス的という概念が当てはまるのか、疑問に思います。
しかし、一方で、この著者川崎真治さんは、自分の立場をしっかりわきまえて
いるという点では、正直に書かれていると思います。
「ギルガメシュ・モチーフ」という言葉が一般的な言葉なのかを
インターネットで検索してみたのですが、発見できませんでした。
つまり、この著者の独自の用語なのかなと感じます。
さて、第三章の途中ですが、次回は「第三章 虎的人面埴輪」から読んでいきます。
===== 次回その2 に続きます =====
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