吉田敦彦編「世界の神話101」を読む ー1ー 古代オリエント、聖書・グノーシス、ギリシア、ローマ、 「輪廻転生」はインド発祥じゃないの??

吉田敦彦編「世界の神話101」を読む ― 古代オリエント、聖書・グノーシス、ギリシア、ローマ、 「輪廻転生」はインド発祥じゃないの??

 

 

 

先に読んだ、理論物理学者が書いた「時間の終わりまで」に、神話というものは

宇宙や生物の進化の中でどのように位置づけられるのかを見ました。

それは、以下のようなものでした。

 

ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」

https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/09/blog-post_4.html

 

「p380 

芸術は、独創性を磨き、創造性を鍛え、ものの見方を拡張し、団結を強めることによって

自然選択に関係しているという考えが、私はとても気に入っている。 

この観点に立てば、芸術は、言語、物語、神話、宗教と並び、人間の心が象徴的にものごと

を捉え、事実ではない状況を想定し、自由に想像力を羽ばたかせ、他の心と協力して

働くための資源になる。 

・・・人類の歴史を通じ、実に多様な芸術形態が価値あるものとしてつねに存在していた

ということだ。 それはつまり、内的生活と社交において、言語に媒介される事実情報を

それほど重視しない取り組みが受け入れられてきたということだ。」

 

==>> 「自然選択に関係している」そして「言語に媒介される事実情報をそれほど

     重視しない取り組み」がずっと受け入れられてきている。

     それはどういうことを意味しているのか。

     事実ではない、いわば幻想・虚構の世界を必要とする人間、とは何なのかという

     話なのでしょうか。

     人類の歴史は幻想・虚構の上に成り立っているという論もありますし、共同幻想

     論という本などもあります。

     人間は、事実は見えなくても生き続けられるらしい。

 

つまり、人類というのは、どうも幻想とか虚構の中でも生きられる、というよりも、

そういうものの中じゃないと生きられないと言ったほうがいいくらい、物語が

好きだってことのようです。

 

そこで、今回は、普通の私だったら絶対に読まないだろうと思っていた「世界の神話」

を読む気になったのです。

もちろん、日本の神話に関しては、漫画を含めて入門的な本を何冊か読んできたのですが、

今回は、宗教の前段階としての神話という物語を人類がどんだけ好きなのかを、世界規模で

眺めて、ついでに、それらが日本の神話にどのような影響を与えたのかも、見てみたいと

思います。

 

 

上記のように、目次を見ると、これだけたくさんの国々の神話について書いてあります。

著者はそれぞれの国の専門である12名の研究者が分担しています。

 

 



では、ヨーロッパは特に気になったものだけをピックアップし、アジアの神話を中心に

読んでいきます。

 

===========

 

 

p008

 

クロマニヨン人たちは、・・・・それらの絵の描かれた場所を大地母神の子宮に、そこに

行き着くために通らねばならぬ地下道を、その母神の産道に見立て、その子宮の内に入り

その壁や天井に野獣の群れを描くことで、彼らの生活に不可欠だったそれらの獣を、

地下の子宮に妊娠しては地上に生み出して、自分たちを養ってくれている、大地の有難い

働きを表現しようとしていたことが、明らかだと思われるからだ。

 

 

==>> 上記の理論物理学者グリーンさんは、この洞窟壁画については、下のように

述べていました。

ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/09/blog-post_2.html

     「p317

もしかすると、こうした絵を残した先祖たちは、狩りの成功を祈って魔術的な

セレモニーを行ったのかもしれない。 これは1900年代初頭に、考古学者

ソロモン・ライナッハが提唱した説である。セレモニーを執り行うことで、

美味しくて生存に必須の夕食が保証されるなら、洞窟を進んだり絵を描いたり

する苦労ぐらいは、たいしたことではなかったかもしれない。」 

==>> ここでは、この前段として、洞窟壁画が、真っ暗闇の狭い通路を

1キロメートル以上も這いつくばって入った先の、濡れた岩場という

過酷な環境に描かれていたことを、なぜそこまでして・・・と不思議

に考えられることが述べられています。

 

==>> 上記のような洞窟壁画から推測される人類のメタファーづくりというか、

     現実世界をなんらかの納得できる物語にたとえてみないと収まらない人類の

     性質が説明されているように感じます。

 

     ところで、この物語づくりというのは、人類の言語脳と呼ばれる左脳の

     働きなのか、それとも音楽脳といわれる右脳の仕業なのでしょうか。

     たぶん、その答えのヒントは、こちらの脳科学者の経験談から推測でき

     そうに思います。

 

     「左脳の機能失った脳科学者が発見、凄い脳の使い方」

https://toyokeizai.net/articles/-/614620?page=2&fbclid=IwAR25-_CPtnZtWAj4hWTSIK9BDuuNso983MZz_8mNgQmnuEjrxWG0qcd5t8I

     「私は、脳出血によって左脳の機能を失ったとき、言葉を失くしていました

言語能力は左脳が司っているからです。また、左頭頂葉の細胞群がオフラインに

なってしまったので、自分がまるで宇宙と同じくらい大きくなったように感じ

ていました。その細胞群は、自分の体がどこから始まり、どこで終わるのかと

いう境界を認識する役割を果たしています。その機能がシャットダウンした、

つまり、私は「私」という個の感覚を失っていたのです。」

     「もちろん、それが心理学なのだということはできます。しかし、心理の動きは

すなわち脳の機能であり、その出力の仕方なのです。神経解剖学者である私は、

脳細胞を見て「この細胞がもっている能力に基づいて、その人の性格が決定づけ

られる」と考えます。」

 

     この学者のTEDSでの講演の動画はこちらです:

     「奇跡の脳」脳卒中体験を語る / ジル・ボルティ・テーラー

     https://www.youtube.com/watch?v=BsSWaYITW4g

 

     ・・・これらの話を踏まえると、人類の物語好きは、個を持たない右脳では

     なく、自意識を生み出し言語を操る左脳の機能であるように思えます。

     おそらく、自意識を持たないとされている生き物たちは、右脳の機能だけで

     生きているのではないかと考えられます。

 

p012

 

メソポタミアの神話

人間が地面から自生してくるという神話も一部にあるが、多くは神々によって粘土から、

あるいはある神を殺害してその血から人間が創造される。 人間創造の目的はたいていの

場合、神々の労働を肩代わりさせるためである。 このことは、人間が担うべき重労働

こそが人間の存在理由であることを暗示している。

 

==>> これは完全に人びとを為政者の下に管理するという意図が大昔からあった

     ということを述べているようです。

     神話を誰がつくったのかが問題だってことですね。

 

p016

 

洪水神話

あるとき神々は、洪水を起こして人間を滅ぼすことを決定する。

しかし、知恵の神エンキ/エアは滅亡を逃れる方法をひとりの人間にひそかに告げる

その人間はシュメール語の洪水神話ではジウスドラ、 アッカド語の「アトラ・ハシス」

の神話ではアトラ・ハシス、  「ギルガメッシュ叙事詩」に取り入れられた洪水神話

ではウトナビシュティムである。

そしてイスラエルに伝えられた「旧約聖書」の洪水神話ではノアとなる。

 

==>> さて、ここにあるシュメールの神話ですが、下のサイトには次のように

     書いてあります。

     (urlが長いので、「人文科学 シュメールの洪水の話」で検索してください)

     「ノアの箱舟の物語は、紀元前1000年頃に、ユダヤ人の律法と旧約聖書の

一部となった作曲で最初に登場しました。この描写の1000年以上前に、古代

シュメール文明の学者は、洪水について非常によく似た説明を書きました。」

 

     アトラ・ハシスの神話については、こちらです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B9

     「紀元前18世紀3枚の粘土版にアッカド語で記された叙事詩(邦訳例

『アトラ・ハシース神話』、或いは『アトラ・ハシース叙事詩』)の主人公。

いわゆる『大洪水伝説』に登場する、『旧約聖書』の「創世記」6章以降に収録

されている『ノアの方舟』の主人公ノアに当たる人物。」

 

ギルガメッシュ叙事詩も紀元前2000年ごろとなっていて、

     いずれにせよ、旧約聖書の洪水伝説の話よりも800年から1千年くらい前に

     洪水神話が書かれていたということのようです。

 

p016

 

古代オリエント

神話的な歴史記述ともいえる「シュメール王名表」によれば、「天から王権が下った

とき王権がエリドゥにあり、アルリウムが王となって28800年治めた」とある。

そして十人目のシュルバク王ジウスドラの時に洪水が起こったとのことである。

 

==>> なんとまあ、2万8千8百年間も王の座にあったとあります。

     日本書紀に出てくる天皇の年齢をこちらのサイトで見ると、なんと

     100歳を超える天皇が12名もいるんだそうです。

     https://kodaishi.net/lecture/emperor-age

     まあ、100歳程度で驚いちゃいけないってことですね。

 

 

p022

 

「ギルガメシュ叙事詩」は、シュメール人の古い伝承をもとにバビロニア人が前2千年

紀前半をまとめたものである。・・・前3千年紀のウルクに実在した王をモデルとして

いるため、神話ではなく、叙事詩と呼ばれる。

 

==>> 前3千年紀ということは、現在から数えると4~5千年前ってことですね。

     その頃に実在していたウルク王のことが分かっているんですね。

     日本の場合はどうでしたっけ?

     日本には戦前の紀元節というのがありますが、神武天皇は歴史的実在が

     確認されていませんから、古事記・日本書紀は神話ということになりそうですね。

     https://kotobank.jp/word/%E7%B4%80%E5%85%83%E7%AF%80-50249

     「『日本書紀』に神武天皇が「辛酉 (しんゆう) 年春正月庚辰朔」に橿原

(かしはら) に即位したとあるのに基づいた。・・・神武即位は歴史事実ではない

が,大日本帝国憲法の発布など近代天皇制確立の一環としてこの日が利用され

た。」

 

ちなみに、神武天皇が即位したとされるのは紀元前660年にあたるそうです

から、今年2022年は 皇紀2682年ということになるようです。

紀元前660年ということは紀元前7世紀ということですから、

そのころは、こちらのサイトによれば、日本は縄文時代ということになりま

すね。

https://www.petitmonte.com/contents/rekishi/nihon/joumon_zidai.html

「縄文人は石器を新石器と進化させ、石を磨いた磨製石器を使用。

竪穴式住居、高床式倉庫の建物を用いて集落の形成(ムラ)や縄文式土器、土偶、

貝塚、漆製品、装身具、農耕具(木製、石製)を作るようになった。」

 

     歴史的に実在したとされている天皇は、第十代の崇神天皇以降だそうです。

     「実在した天皇・実在しなかった天皇:歴史か神話か」

     https://murao-jp.com/jloyal/realnotreal/

     「崇神天皇は、3世紀から4世紀にかけて即位したとされています。当時、日本

各地にそれぞれ王朝があり、独自の政治が行われていました。日本で最初の統一

王朝といえば、一般的には大和朝廷の名で知られていますが、崇神天皇の治世に

初めて全国が統一されたという説が有力です。」

 

ちなみに、大和朝廷については:

https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%9C%9D%E5%BB%B7-144216

3世紀の日本について魏志倭人伝は 30余国の小国家が分立していたことを

記しているが,その後の文献で,それらがしだいに統合され 4世紀末には大和,

河内を中心とする地方に強力な統一国家が成立し,朝鮮にまで出兵するにいた

った,とある。」

「大和朝廷の成立については神武天皇を初代とする伝承が記紀に見えるが,

実際には第10代の崇神天皇が初代の天皇であったとする説が有力である。崇神

天皇は三輪に都し,大神神社(おおみわじんじゃ)と関係が深かったため,

ミワ王朝と呼ぶ説もある。」

 

 

p027

 

シリア/カナンの神話

天候神バアルについて語るいくつかの神話文書・・・・テーマは・・・

混沌と創造、王権、神々の戦い、神殿建設、そして豊饒多産などである。

バアルは七頭の蛇ロタン(レヴィヤタン)を退治した。 死神モートはこれに怒って、

バアルを冥界へ呼び出した。 バアルが冥界に行き、モートに屈服して死んでしまうと、

自然界の生殖と生産活動は停止してしまった。

 

==>> 七頭の蛇ロタンについては、こちらに説明があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%A0_(%E3%82%A6%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%AE%E7%A5%9E)#%E9%96%A2%E9%80%A3%E5%9B%B3%E6%9B%B8

     「矢島文夫は、リタン(ロタン)とはヤムと同じ種類の生き物で7つの頭を持つ

竜であり、旧約聖書に登場するレビヤタンであると言う。」

 

多頭の蛇と言えば、もちろん日本神話のヤマタノオロチを思い出すわけですが、

多頭の蛇というのが世界神話の中でどう扱われているのかをチェックしてみる

と、下のサイトが出てきました。

http://www.toroia.info/drakon/index.php?%E9%80%80%E6%B2%BB%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E5%A4%9A%E9%A0%AD%E8%9B%87-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB#:~:text=%E9%A0%AD%E3%81%AE%E6%95%B0%E3%81%AF7%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA,%E3%83%A9%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%A4%9A%E9%A0%AD%E8%9B%87%E3%80%82

「神話のなかでの機能からすると、日本では8が重要視される。インド・ヨーロ

ッパ語族だと3であり、社会階層は支配者・戦士・生産者の3つに分類され、

神々や神話もこの3という数によって説明できるものが多い。アリゾナから

メキシコにかけての諸民族は世界の方位としての4という数字を大切なもの

だと考えていた。」

メソポタミアでは7が神聖な数字だった。7つの「メ」、7人の賢者、7種の

悪霊、冥界の7つの門、天の7つの層など、世界観や集団の数にその思考が

はっきりと現れている。」

「シュメール時代からアッカド時代にかけて(2922世紀ごろ)つくられた

円筒印章や陶器などには、7つの頭を持った怪物が描かれている。」

 

・・・いずれも、勇者が多頭の蛇を退治するという話としては共通しますが、

話の前後は日本とはかなり違いがありますね。

 

 

p034

 

創世記の天地創造神話

 

モーセ五書のこのストーリーは、口から口へ伝えられてきた家族、氏族、部族、民族の

古伝承が数百年にわたって編集を繰り返されることによって初めて成立した。

そのために、細かくみると話のつじつまが合わない点が少なくない

 

創世記の冒頭に置かれた天地創造神話もその例の一つである。

すなわち、そこでは成立年代も内容も異なる二種類の創造神話が踵を接して並べられ

ているのである。

 

その内、成立年代がより古いのは後者の方で、古典的な学説に従えば紀元前の十世紀

ごろに初めて今あるような形に文字化(文書化)されたものである。

 

p035

 

二つの創造神話の間の食い違い・・・・

一方では人間は他の動植物に先んじて創造されるのに対して、他方ではそれらがすべて

造られた後の第六日に創造される。 

一方では男から女が造られるのに対して、他方では男女が同時に造られる

 

一口に旧約聖書の天地創造神話と言っても、その背後にはイスラエル・ユダヤ民族

の長い歴史の中での多様な経験と思考の変遷が潜んでいるのである。

 

それはちょうど、わが国の大古典である「古事記」と「日本書紀」がそれぞれの冒頭で

同じように天地初発の神話を語りながら、二つは決して同じ話ではなく、・・・・

 

==>> 私が旧約聖書の天地創造について観たのは、アメリカ映画として観たものが

     ほぼすべてと言ってもいいぐらいです。 いくつか本や漫画で読んだ記憶も

     ありますが、印象的に残っているのはやはり映画です。

 

     その中での描写は、「男から女が造られる」、「すべてが造られた後に人間」

     というバージョンであったように思います。

     考えてみると、この二つは、現代の時代にあった考え方から言えば、

     「男女は同じ」「人間は自然の生き物のひとつにすぎない」という考え方で

     映画を作り直すのがよさそうですね。

 

私が観た映画「天地創造」については、こちらで:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9C%B0%E5%89%B5%E9%80%A0_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

「『天地創造』(てんちそうぞう、英: The Bible: In the Beginning...;

: La Bibbia)は、1966年のアメリカ合衆国・イタリアの叙事詩的映画。」

「神は初めに天と地を創造し光と闇で昼夜を生み出し、2日目に空を、3日目に

大地と海、草木を、4日目に星を、5日目に魚と鳥を、6日目に地の獣を作り、

そして土の塵で神様自身の姿に似せて最初の人間となるアダムを造り、続けて

イヴを造る。」

・・・このように、アダムが先に造られているバージョンですね。

最近のyoutubeで創世記をいくつか観てみましたが、ほとんどがアダムとイヴ

が同時に造られたバージョンになっているようです。時代ですね。

 

 

p036

 

創造神話の枠内から、新たな神話を紡ぎだす。その主人公は擬人化された女性的存在

としての「知恵」(ヘブライ語ホクマー、ギリシア語ソフィア)であり、万物に先立って

神のもとにあって、その創造のわざに参与する。

 

主は、その道の初めにわたしを造られた/いにしえの御業になお、先立って。

永遠の昔、わたしは祝別されていた。/太初、大地に先立って。」

 

==>> ここではソフィア「知恵」という存在が出てくるのですが、これは

     上記の天地創造の順番でいうならば、「神は初めに天と地を創造し」よりも

     前に神がソフィアを造ったということになりますね。

 

p037

 

初めにことば(ロゴス)があった。 ことばは神と共にあった。 ことばは神で

あった。 すべてのものはこれによってできた。」

 

「この賛歌を歌うキリスト者たちにとって、「知恵」は歴史上の存在としてのイエスに

他ならなかったから、「知恵(ソフィア)」(女性名詞)を「ことば(ロゴス)」という

男性名詞に置き換えて、その「受肉」(ことばは肉体となり)について語るのである。

 

==>> 「始めに言葉ありき」ということを何度も聞いたり読んだりしたことが

     あって、それは、もしかしたら唯名論みたいなことかなと私は思って

     いたんです。 つまり、

     https://kotobank.jp/word/%E5%94%AF%E5%90%8D%E8%AB%96-144573

14世紀前半のオッカムは概念が普遍であるとしたが、その概念はことばで

あって、ものの自然的な記号にほかならない。アベラールやオッカムは概念論に

近い主張とみられることもあるが、両者とも結局、ものではなくことばの側に

普遍を帰する立場であり、より洗練された唯名論の主張を代表する。」

 

私なりの理解で言い換えると、言葉を与えられることによってそのモノは

認識される、存在が可能になるという考えです。

なんとも呼ばれない、名称がないものは、認識されないということです。

 

ところが、どうも、こういう理解はキリスト教的な理解ではないみたいだな

と感じまして、検索してみたところ、こんなサイトがありました。

「はじめに言葉ありき」を99%の日本人は誤解している。

https://novel-shoten.com/archives/1217

「聖書(ヨハネ福音書)では「はじめに言葉ありき」と言います。

言葉が最初なんですよ。

言葉があるから、人は世界にある全ての物を、認知できるのです。

言葉って、大事ですよねー!」

     ・・・・・これが99%の日本人の大間違いだってことです。私もです。

  

     「アルケーはロゴスなり」=「根源的原理は、キリスト(神の言葉)である。」

・・・・これが正しい意味だということですね。

 

上にあるように、「ことばは神であった。」ということなんですね。

 

 

p046

 

「バルクの書」の神話

他のグノーシス神話においては、造物主の世界創造が「つくる」という言葉によって

描かれていたのに対して、「バルクの書」において世界は、男女の造物主の「共なる

満悦」、すなわち交合によって産み出されるのである。 

 

その創造行為には、日本の「古事記」に描かれたイザナキ・イザナミの国産み神話

想起させるものがある。

 

==>> 日本神話のエロい内容は、私もいくつか読んで知っていますが、

     エロいだけではなく、グロかったり、残虐過ぎたりしますから、

     まず教科書なんかで教えるわけにはいかないですね。

     それだけ大昔は性に関してはおおらかであったと考えるべきなのかどうか。

     「世界最古のエロ本? 神様たちが性に奔放過ぎな古事記」

     https://rekijin.com/?p=14614

     

 

p056

 

ギリシア 世界の始まり

 

世界各地のさまざまな民族のうちで開闢神話を持たない民族はほとんどない

古代ギリシアも無論、例外ではない。 ギリシア神話には少なくとも三種類の宇宙生成

論があった。

 

一つはオケアノス(大洋)を重視する海洋民族タイプのもの・・・・

 

二番目のタイプのものは、宇宙と世界のすべては原始卵から始まったと説明する。

・・・どのオフフィック詩でも世界形成の初期の段階で卵が登場し、卵が割れることに

よって神々が誕生し始める。

 

・・・第三の、そして最も重要なタイプは、前八ないしは前七世紀頃の詩人ヘシオドス

の「神統記」に記されている。「「神統記」で最初に生じるのはカオスである

・・・・世界の成立以前の最も原初的なこの状態は、旧約聖書の「創世記」第一章

第二節に似ている。

だが、ユダヤ・キリスト教思想のような超越的な創造主はギリシア神話には存在せず

世界の生成は自然発生と分離・結合によって説明される。

 

p057

 

世界の成立に最も重要な役割を果たすのは、「神統記」においてはガイアである。

農耕民族ギリシア人にとってガイアは生命を生み出し育むとともに、死者を受容する

神格でもあった。

 

==>> 上記の3つのタイプの3番目は、カオス=混沌から天と地が生じるという

     ことになっているんですが、この最初に混沌があって、そこから天地が

     生まれてというのは、日本の神話にも共通するストーリーですね。

     こちらの動画で確認しておきましょう。

     【古事記】神代の系譜(人の代に入る前に神様の系図をおさらい)

     https://www.youtube.com/watch?v=heCtCGSR8gw&t=7s

     「混沌の中から、天と地が分かれて、最初の神々が誕生」

     ・・・ここには、造化三神というのが日本神話で最初の神々ですね。

     普通にはイザナギ・イザナミから始まる物語になっている場合が多いの

     ですが、その前に十代ばかりの神々がいたんですねえ。

 

p060

 

ゼウスの恋

 

ギリシア神話の最高神ゼウスは三代にわたる王位簒奪劇で勝利をおさめ、さらに

ティタン神族とテュポンを打ち破ったあと、神々の支配者として女神や女性と

次々に関係を持ち、たくさんの子どもをもうけた。その結果、多くの英雄たちの

系譜をたどると、その先祖はゼウスに行き着くことになる。

 

・・・人間にしてみれば究極の祖先を最高神とすることによって部族や家柄に権威を

つけ加えることができた。

 

p061

 

英雄伝説の主人公の多くも、ゼウスと人間の女性との間に生まれた子どもである。

 

==>> これはまさに日本神話の場合も同じですね。特に日本書紀の場合は、

     ほぼ政治的な意味を多く含んだ編纂になっている、特に外国を意識した

ものと理解しています。

     日本書紀については、こちらをチェック:

https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80-110190

     「成立の動機は,大陸や朝鮮との関係をふまえての国家意識からの政治的要求

あったと思われる。用いられた資料には,歴代天皇の皇位継承の次第を記した

〈帝紀(ていき)〉,伝説・説話・歌物語等を記した〈旧辞(きゅうじ)〉,舶載(はく

さい)された漢籍特に《漢書(かんじょ)》《後漢書》《淮南子(えなんじ)》,諸氏の

伝えた物語,寺院の縁起等がある。」

 

ただし、神話としては、こちらにあるように、古事記の方がオリジナルの

神話に近いのではないかと思います。

「古事記と日本書紀 7つの違いと2つの共通点」

https://jpnculture.net/kojiki-nihonshoki/

私は古事記の入門本を読んだだけなので、日本書紀に神話の部分がどの

ように書かれているのか気になります。

古事記はかなりエロいですからねえ。海外向けとされる正史には不向きで

しょうね。

 

p064

 

ギリシア、 デメテル

 

テメテルは地中海世界にあまねく広まっていた大地母神の系統を引き、ギリシアでは

とくに穀物の豊穣を司る女神として崇拝を受けた。

 

p065

別の伝承によると女神の笑いを誘ったのは、バウボという侍女が自分の性器を露出

して滑稽なしぐさをしたためである。

この伝承は日本神話における天の岩戸の話を思い出させる

 

・・・アメノウズメは女神を招き出すために岩戸の外で滑稽な踊りをしながら女性器を

見せた。神々はそれを見てどっと笑い、アマテラスは哄笑に誘われて岩戸から身を乗り出

したのだった。

アマテラスを怒らせたスサノヲが彼女の弟であったように、デメテルの怒りを招いた

のもこの女神の兄弟であるハデスと夫のゼウスである。

この点でもギリシア神話と日本神話は驚くほどよく似ている。

 

==>> 私は、この感想文を、ある程度はヨーロッパの神話と日本神話の間にも

     似たところがあるだろうと期待しながら書いているのですが、

     ギリシア神話の中に、ここまで似ているものがあるとは知りませんでした。

 

p072

 

ギリシア、 ヘラクレス

 

天の川の起源はこの英雄と結びついている。 ヘルメス神が赤子のヘラクレスに

睡眠中のヘラの乳を吸わせた。 ヘラは赤子を払いのけたが、白い乳がほとばしり

出て銀河となった。

 

==>> ああ、なるほど。 それでミルキー・ウェイと言うわけですね。

     知らなかった。

 

 

p082

 

ローマ

トロイア陥落とアエネアスの地中海放浪

 

ローマの詩人ウェルギリウスは、同じ神話的戦争のトロイア方の武将アエネアスの伝記を

集大成し、ローマの起源をめぐる叙事詩「アエネイス」を作った。敗れたトロイアを脱出

して地中海を放浪し、艱難辛苦の旅の末イタリアに到着して、ローマの礎となる都市を

建設する英雄の物語である。

 

p083

 

ホメロス以後、アエネアスは地中海を放浪する英雄になり、やがてローマ人の祖先とみなさ

れた。 老父を背負う姿に象徴されるように、この英雄がローマ人の尊ぶ忠孝・敬虔の精神

(ピエタス)を体現していたためである。

 

==>> トロイの木馬で有名なトロイア戦争については、これもアメリカ映画で観た

     ことがあるだけで、それ以外のことはほぼ記憶にありません。

     そのトロイア戦争で敗れたトロイア側の英雄がアエネアスだというわけです。

     そして、そのアエネイスがローマ人の祖先とみなされることになったようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9

     「アイネイアースはトロイア戦争におけるトロイア側の武将で、トロイア滅亡後、

イタリア半島に逃れて後のローマ建国の祖となったといわれる。古代ローマで

は敬虔な人物として知られていた。彼を主人公とした作品に詩人ウェルギリウ

スの叙事詩『アエネーイス』がある。」

「古代ローマにおけるアイネイアース神話は、紀元前4世紀にラティーヌス

神話をそっくり模倣したものであると考えられている。ラティーヌスは、ラテン

人が毎年アルバーノ山(現カーヴォ山)でユピテル・ラティアリス神に犠牲を捧

げるとき、神話上の父祖たる王を呼ぶとき使った名称である。現に、ラティーヌ

スの名が記された紀元前6世紀の文字が記された土器の破片が出土している。」

 

ところで、「トロイア戦争」は、歴史なのか神話なのかについては、wikipedia

には以下のように述べられています。

考古学におけるトロイア戦争

ギリシア神話それ自体は歴史書ではなく、あくまで神話である。トロイア戦争に

ついては、紀元前1250年頃にトロイアで実際に大規模な戦争があったとする説

もあれば、紀元前1700年から紀元前1200年頃にかけて、小アジア一帯が繰り

返し侵略をうけた事実から形成されたという説もある。そもそもトロイア戦争

自体が全くの架空であるという説もないわけではない。」

 

・・・このアイネイアース神話は紀元前4世紀ごろに作られたようなんですが、

その元になっているトロイア戦争は紀元前1700年から1250年ごろ

戦争のことだったかもしれないと書いてあるので、およそ1千年のギャップは   

あるみたいです。

それにしても、トロイア戦争で負けた武将が大ローマ帝国の祖先になったと

いうのは、ちょっと不思議な気もします。

 

 

p084

 

アエネアスの冥界下りとイタリアでの戦争

 

・・・アエネアスは・・・冥界に下る。 薄暗い闇の道を進んで行くと、まずステュクス

川に近づいた。 死者たちは渡し守カロンの小舟に乗って彼岸へ運ばれていくが、川岸

には墓に埋葬されなかった死霊が群がっていた。

 

・・・門をくぐって冥界に入ると、地獄の裁判官ミノスが法廷で死霊たちの罪を裁いて

いた。

 

p085

 

左を行くと、罪人たちが閉じ込められる奈落の底のタルタルスだが、アエネアスは

そちらへは行かず、シビュッラの指示で右手の道を急ぐ。

この道の前方には、いよいよ目的地のエリュシウムがあった。 そこは、祝福された

人生を送った人びとの霊が住む至福の野原である。

 

・・・多くの霊魂はそれで終わりにはならない。 エリュシウムで千年の時を過ごした

あと、魂はレテ(忘却)の川の水を飲んですべてを忘れ、地上に帰って新しい肉体の中に

再び宿るのである。 こうして霊魂は未来永劫に輪廻転生を繰り返す

 

==>> ここでは、なかなか面白いことが、仏教のあの世に似たことが書かれています。

     まずは、賽の河原と三途の川ですね。そこで、この世からあの世へ渡る。

     そして、あの世の入り口に閻魔大王がいて、裁判をやるわけです。

     そこで、極楽行きか地獄行きかが決められる。

     このローマの神話では、右に行くと天国らしいのですが、日本の仏教では

     極楽は天に上ることになっているようですね。地獄に落ちるのの反対ですから。

 

     問題は、上に書いてある「輪廻転生」という言葉です。

     輪廻転生という思想は、インド発祥の思想だと思うんですが、いろいろ検索

     してみると、ヨーロッパでもピタゴラスが輪廻転生を唱えていたらしい

     しかし、さらに検索してみると、そのピタゴラスはインドに旅行していて、

     そこで輪廻転生という思想を学んだのではないかという記事もあります。

     ヨーロッパでは「転生」という考え方はあるようですが、もともと「輪廻」

     いうインド的思想と同じものがあったかというと、かなり怪しいのではないか

と思います。

 

     しかし、こちらには、こんなサイトもあって、オルペウス教というのが

     気になります。

     輪廻転生からの解脱を目指す 古代ギリシアのオルペウス密儀

https://www.phantaporta.com/2017/10/blog-post305.html?fbclid=IwAR1A_sLfmTA-Bp7K3GrpXCZsprq5wbRjlK3PEi5EZFoYoxQGEgvePDFrl4Y

    「オルペウス教では、人間の霊魂は神性を持つと考えます。霊魂は人の肉体の中

に閉じ込められて輪廻転生を繰り返しており、輪廻から解脱し、肉体から霊魂を

解放することを目指していました。

その手段は静かで知的なことが特徴です。信者たちは菜食主義や禁欲主義と

いった道徳律や、秘儀的儀式、瞑想や音楽の力によって神的熱狂に導かれたと

いいます。

こうした考え方は、近代的数秘術の基礎を作ったとされる哲学者ピタゴラスへ

と受け継がれました。」

 

生まれ変わりということだけであれば、こんな説明もあります。

「生まれ変わり、生贄の儀式 ケルトの人々の信仰とは?」

https://www.phantaporta.com/2019/03/blog-post15.html?fbclid=IwAR3sKDBDS78Magpi3_dr6LhU_eKOHVTxK7YjVYqdCnOc4Xzjxli6oyaTN6Y

     「【ケルト人はどんな宗教観を持っていたの?】

・基本は祖霊崇拝・精霊崇拝。

・魂は不滅で、死後は別の人間に生まれ変わると信じていた。

神々や妖精の住む異界と現実世界の区別が曖昧だった。」

「ケルト人たちは、魂は不滅で、死後は別の人間に生まれ変わると信じています。

天国や地獄といった概念は薄かったようです。

また、彼らの中では神々や妖精の住む異界と現実世界の区別も曖昧でした。」

 

 

ピタゴラスと「輪廻転生」との関係はこちらに解説がありました。

http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-487/?fbclid=IwAR2DO1P1cvuXBxVFk2_YlnSpZdLD6eA5Ld6bSWtjLyMfEYwjxi4ufl0At3g

ピタゴラスがインドを旅した紀元前6世紀半ばには、ウパニシャッド哲学も

仏教も成立していた。つまり、ピタゴラスがインドで輪廻転生を仕入れた可能性

が高い。というわけで、地中海世界で異質の輪廻転生が普及した原因は、

ピタゴラスのインドの旅?」

 

     気になるオルペウス教とピタゴラスの関係については微妙な感じです。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A6%E3%82%B9%E6%95%99-41673

     「古代ギリシアの密儀宗教。紀元前7世紀ごろから前5世紀ごろに栄え、

とくに南イタリアのギリシア植民都市、シチリア島にかけて広く信仰された。

プラトン、ピンダロス、アリストファネスなどもそれに言及しているが、

オルフェウス教の特色は、輪廻(りんね)転生の教説にあり、肉体は牢獄(ろう

ごく)であり、それに対して魂(プシケ)は永遠不滅の本質であるとみなして

いる点であろう。」

ピュタゴラス学派とは密接な関係にあると思われ,古代末期まで存続,新プラ

トン主義者などからは高い評価が与えられた。」

 

・・・いずれにせよ、私の感覚としては、仏教で言うところの

六道、つまり地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つの迷いの世界を巡る

という意味の輪廻は西欧にはなく、人間が死んでその後にまた人間に生まれ

変わるという「転生」という発想ではないかとみえます。

 

Wikipedia「転生」をみると、以下のような説明がありますが、

私はこのような違いがインド発祥の思想と西欧の思想にはあるのではないかと

思えます。

「生まれ変わりには、ヒンドゥー教や仏教の輪廻のように人間は動物を含めた

広い範囲で転生すると主張する説と、近代神智学のように人間は人間にしか

転生しないという説がある。現代の欧米のニューエイジ系の思想・新宗教や南米

の新宗教、日本の新宗教やスピリチュアル、漫画・アニメで見られる生まれ変わ

り思想「リインカーネーション」は、西洋近代に由来するもので、インドに由来

する輪廻とは異なる概念である。」

 

 

以上、古代オリエント、聖書・グノーシス、ギリシア、ローマの神話を見てきました。

私としては、輪廻転生の話とp085のところでみたケルト民族の「神々や妖精の住む異界

と現実世界の区別が曖昧だった」という点が、先によんだ「ピダハン」の話と

日本の自然崇拝、ジブリの世界を思い起こさせるものがあって、印象に残りました。

 

その「ピダハン」の内容は下のようなものでした:

D.L.エヴェレット著「ピダハン : 言語本能を越える文化と世界観」

https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/07/dl_23.html

「p186

夢は、直接体験されたことだけを語るというイビビーオの法則からはずれていない。

実際にはさらなる補強証拠でもある。 夢と覚醒のどちらも直接的な体験として扱う

ことで、ピダハンは、わたしたちにとってはどう見ても空想や宗教の領域でしかない

信仰や精霊という存在を、直接体験として扱うことができるわけだ。

・・・夢のなかの精霊はわたしにとって直接的な体験であり、イビビーオなのである。」

 

「p190 

ピダハンが神話に「実証」を要求するという点で、大きな違いだ。 物語が語られるとき

には、その時点で生存している証人が必要なのだ。 

ピダハンが見ているのが目には見えない精霊ではないことがわかる。 われわれを取り巻

自然のなかに実在するものの形をとった精霊なのだ。

ピダハンはジャガーを精霊と呼び、木を精霊と呼ぶ。

・・・「聖霊」はわれわれが想像するものとは違っていて、ピダハンが口にすることは

すべて、実際に体験できるものでなければならないのだ。」

 

・・・つまり、南米のピダハン民族には、いわゆる神話なるものがないということを

記録しているのでした。

 

 

 

では、次回は ゲルマン、中世ヨーロッパ・ケルトなどを読んでいきます。

 

 

===== 次回その2 に続きます =====

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

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