川崎真治著「謎の神 アラハバキ」を読む ―2(完)― 日本の古神道はメソポタミアからの外来種? 伊勢神宮のハハキ神、 ギルガメシュ・モチーフとは

川崎真治著「謎の神 アラハバキ」を読む ―2(完)― 日本の古神道はメソポタミアからの外来種? 伊勢神宮のハハキ神、 ギルガメシュ・モチーフとは

 


 





 

「第三章 虎的人面埴輪」から読んでいきます。

 

 

p105

 

その秩父神社にある神降石の線刻画についてであるが、ここでは、その黒白線画と

中国の「神人・双日・双猛獣紋」の比較を通じて・・・・

 

p107

 

・・・そういえば猫のようにも見えるが、しかし、八女市立山山古墳出土の虎的人面

埴輪のケースもあるので、秩父の神降石の動物の耳は猫ではなく虎である。

そのうえ、虎的人面埴輪と同じように、秩父神降石の「神人」が左右の腕に太陽を

抱えている。 ・・・・「日神」(ビリグ)、イコール「獅子」(ビリグ)なので、

秩父神降石の動物は「獅子」―>「虎」といえるのだ

 

==>> ここで著者は、秩父神社のものと中国のものとを比較して、

     日神は獅子だから同じ内容のものであると主張しているようです。

     秩父神社の神降石の写真は、こちらのサイトにあります。

     https://grutto-plus.com/area/chichibu/297/

     「秩父神社の境内には、不思議な力を感じるスポットがいくつかあります。末社

の柞稲荷神社(ははそいなりじんじゃ)の前にある大きな石は「神降石

(じんこうせき)」と呼ばれていて、神が降り立つ石と言われています。」

 

こちらのサイトには少し大きめの写真がありますが、この本に説明されて

いるような線刻画がどこなのかは非常に分かりにくくなっています。

https://funse.net/gurucomi/?id=2486976

 

おそらく、現場で、よくわかっている人に、「これが線刻画で、ここが神の

顔で、ここが猫(虎)の耳ですよ」と指し示してもらわないと無理だと

思います。

     一応、本にはその「図解」が掲載されてはいるのですが・・・

 

 

p108

 

巨岩を神の依代にしての祭祀、いわゆる磐座(いわくら)祭祀は、宗像神社の沖ノ島を

はじめ、日本の各地に存在する。

 

・・・静岡県引佐町井伊谷・・・渭伊神社(いいじんじゃ )・・・磐座祭祀場(天白磐座)が

あり・・・韓国南部のリーバウイ(双獅子岩)と似ているし、秩父神社の神降石とも深く

つながっていると思う。

 

==>> ここでやっと磐座祭祀のことが出てきたので、私的には、「おお、やっと

     出てきたか」という感じです。

     せっかくですから、渭伊神社(いいじんじゃ )の天日磐座遺跡の写真をみて

     みましょう。

     井伊家の氏神、渭伊神社・天白磐座遺跡

     https://hamamatsu-lab.jp/goout/151.html

     「天白磐座遺跡は、これらの巨石を神の拠り所とした古代の巨石祭祀場の遺跡で

す。西、南、北の三方を、神宮寺川とその支流に囲まれていることから、水霊を

祭る祭祀の場所だったと推測されています。

巨石のある地面からは、大きな土器の破片や鉄鉾、和鏡などが発見されており、

4世紀(古墳時代)から13世紀(鎌倉時代)まで続いた祭祀場だったことが

わかっているのだとか。」

 

残念ながら、インターネットでは、韓国の双獅子岩のサイトは見つかり

ませんでした。

 

     磐座祭祀に関しては、先に読んだこちらの本にいろいろと述べられていました

     ので、私は、川崎真治さんの「アラハバキ」の本には、その関連での深堀りを

     期待していたのですが・・・・・

     岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/09/blog-post_30.html

     「p144

三輪山には山頂から麓にかけて三つの磐座(いわくら)群があり、山頂の奥津

磐座に大物主、中腹の中津磐座に大己貴(おおなむち)、麓の辺津(へつ)磐座

に少彦名(すくなひこな)を祀っているのである。 ・・・・大物主と大己貴は

同神とされることが多い。」

 

 

p112

 

要するにガモ父(あや)とイベ母(あば)の子であった「荒吐(アラハバキ)」神は、父神

が「双獅子」神だったということーー父神が双獅子を抱くギルガメシュ神だったということ。

ことばを替えていえば、中国の良渚文化にあった「神人・双日・双猛獣」が父神であり、

秩父神社の神降石に彫られてあった「神人・双日・双猛獣」が父神である。

 

・・・荒川の上流のチチブ盆地にあった磐座(いわくら)の、その石や岩にほられてあった

「神人・双日・双猛獣」が荒吐(アラハバキ)神の父神だった。

してその中の双日が◎XXという記号であらわされていた

埼玉県花園町荒川神社の石囲いの中の線刻石にあった◎X◎X ・・・

熊本の千金甲古墳・久留米の日輪寺古墳の◎X◎X ・・・

 

==>> 著者はここで、◎X◎Xという記号があちこちに書かれているとしているの

     ですが、それは、上記の「双日」を表しているのだというわけです。

     そして、そのようなものが、著者のいう「ギルガメシュ・モチーフ」つまり

     「神人・双日・双猛獣」の模様ということであるようです。

     要するに、ギルガメシュの神が日本でも祀られているということを

     主張しているようです。

 

p114

 

――以上、双日、双獅子の種々相にふれながら、古代日本の神道の一端について述べた。

日本の古神道は、日本列島内で自生した宗教ではなかったのだ。

 

本稿で論じた「神人・双日・双猛獣」を祠る宗教は、「三国志」倭人伝の編者・陳寿の

筆法を借りていえば「鬼道」、あの卑弥呼女王の鬼道であるーーそもそも、中国語の

「鬼」がギルガメシュ王のことなのだから、ギルガメシュ王を祠る宗教は、鬼道そのもの、

そういっても、まちがいではないはずである。

 

==>> おお、著者の結論らしきものが躍り出ました。

     古神道は外からやってきたという説は、日本という国がいわゆる渡来人に

     よって作られたという説を基にすれば、全否定することは難しいと思うの

     ですが、後段の部分については、「ほんとかな?」という感じです。

     「神人・双日・双猛獣」を祠る宗教を卑弥呼は行っていたのか・・・・

     中国語の「鬼」は、ほんとうに「ギルガメシュ王」という意味があるのか・・

     その繋がりの部分が、私にはかなり強引な感じに見えます。

 

     そこで、中国語で「鬼」はどういう意味なのかを確認してみました。

     日中辞典 第3版の解説

     https://kotobank.jp/jazhword/%E9%AC%BC

     「1〔想像の〕魔鬼móguǐ鬼怪guǐguài

[注意]中国語でというと,ふつう死者の魂や幽霊のことをさし,

日本のように角のある恐ろしい怪物のイメージはない.

2〔残虐な人〕[冷酷な人]~鬼のような人間|魔鬼一般〔石心〕的人.

3〔執念にとりつかれている人〕 嫉妬の~鬼 仕事の~鬼|

4〔かくれんぼの〕~鬼さん,こちら」

 

また、weblioの辞書サイトでは、

中国で鬼(拼音: guǐ〈グゥイ〉)という場合、死霊、死者の霊魂のことを指す

日本で言う「幽霊」の方がニュアンスとして近い」

中国では幽魂・幽霊・亡魂・亡霊などが人間の形で現れたものを鬼といい

多くは若い娘の亡霊で、この世の人間を恋い慕って情交を求めてくる。」

日本でも教養ある平安貴族の中には、死霊の意味で「鬼」という言葉を用いて

いる事例があり、藤原実資は関白藤原頼通が伯父藤原道隆の「鬼霊」[* 3]

よって病に倒れた(『小右記』長元2913日・18日条)と記し[12]、藤原

頼長も鳥羽法皇の病が祖父白河法皇の「鬼」に憑かれたものである(『台記』

久安元年124日・11日条)と記している[13]。」

 

「中国では鬼とは亡者(幽霊)に限らず、この世のものでないもの、化け物全般

を指す言葉でもあり、貝塚茂樹によれば、鬼という字は「由」と「人」から成り

立っており、人が由、すなわち大きな面をかぶっている形を表したもので、古代

国家の祭祀の主宰者であった巫が降霊術を行うとき、異形の面をかぶった姿を

象形化したものであろうとされている[14]。」

 

・・・少なくとも、これらの辞書サイトなどでチェックすると、

「鬼」=「ギルガメシュ王」という構図は出てきそうもありません。

 

 


p136

 

「銅鉞」図は、殷墟婦好墓から出土したものの一つであるが、よく見ると、上の絵の

構図が左右に猛獣、中央が神人の顔なので・・・あのギルガメシュ・モチーフに相違ない

 

p138

 

もう一度、銅鉞図を見なおしてほしい。

銅鉞の中央部分に文字が彫られている。 金文と呼ばれる三千年以上も前の文字で、

「夫婦好」と書き込まれている。 

 

・・・現在の中国の考古学界では「夫婦好」から「夫」を落として、この銘文を「婦好」

と読んでいるが、正しくは「夫婦好」と読むべきなのだ

 

「夫婦好」の実態は、中国神話でいえば「夫」が人身牛首の炎帝神農、「婦人」が蛇身人首

の風姓女媧に当たる。 

・・・正確な「夫婦好」の実態は、紀元前三千年紀初頭のメソポタミアのウルク市の

守護神だった七枝樹二神、すなわちハル(牡牛神)とキ(蛇女神、地母神)であった。

 

==>> 銅鉞というのは銅製のまさかりの意味だそうです。

     https://kotobank.jp/word/%E9%89%9E-36744

     「木を伐るのに用いる大形の斧(おの)。中古には兵器にも用いた。」

     https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%A7

「日本語では伝統的に、大きい斧や、特に刃渡りの広い斧(丸太の側面を削っ

     て角材を作るためのもの)を鉞(まさかり)と呼びわける。」

 

==>> 殷墟婦好墓については、こちらのサイトで。

     https://kotobank.jp/word/%E5%A9%A6%E5%A5%BD%E5%A2%93-124277

     「中国、河南省安陽(あんよう)西郊にある殷墟(いんきょ)で発掘された中型墓。

墓室は地下7.5メートルのところにある。多数の遺品のなかから「婦好」という

銘のある青銅器が発見されており、殷墟早期の帝王、武丁(ぶてい)(前11世紀

ころ)の妃(きさき)(妣辛(ひしん))と考えられている。」

 

     また、wikipediaには、「婦好(ふこう)」について、下記のように書いてあり、

     妃の名前であるということのようです。

     https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A9%A6%E5%A5%BD

     「殷の王武丁の妻であるが、『史記』などの伝世文献には婦好の記録はない。

甲骨文を中心とする商代の文字資料にのみその存在が確認でき、特に1976年に

墓が発見されたことから広く知られるようになった。」

 

・・・つまり、著者・川崎真治さんは、中国考古学界は「夫婦好」を「婦好」

と読み誤っているとしているのですが、婦好が人名を表すという中国考古学界

の説が正しいとすれば、川崎さんはトンチンカンな説を唱えているということ

になりそうです。

     こういうのが川崎さんの言う「コペルニクス的」説だということなんでしょうか。

 

==>> 七枝樹二神についても、その写真を確認しておきましょう。

     http://kenshin2013.blog.fc2.com/blog-entry-138.html?sp

     「イペ・アパについては、少々複雑であるが七枝樹二神を意味する。

     即ち夫婦神であり、男神が牡牛神ハル。女神が蛇神キ。」

 

 

p149

 

「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)の伝えるところによれば、この「婚礼」

によってアラ・ハバ・キ神が生まれたという。

 

・・・荒吐神の両親は次のようになる。

ガモ・アヤ・・・双獅子・父。

イペ・アパ・・・蛇女神・母。

津軽古語を解釈するためには、以上に述べたような古代アジア全般にわたる知識が

必要であった。 単なる思い付きとか、似たような音からでは、絶対に解けない

なお、以上の解釈の「検証」については最終章で行う。

 

==>> これはまさに、著者がいうところの「歴史言語学の開拓」というところ

     なんでしょうが、どのように世界中の古語が繋がるように解釈したのか

     その手法がどのようなものなのかに興味があります。

 

 

p153

 

日本民俗学者・吉野裕子氏は、その著「日本人の死生観」・・・の中で、「ハハキ」に

ついて・・・・

 

天照大神の鎮まられる伊勢神宮の御敷地には、ハハキ神が祀られている

・・・それは波波木(ははき)神は伊瀬神宮のなかでも、もっとも神聖な天照大神

の宮の御敷地の守護神ということである。

 

p154

 

土地の守護神は、エジプトやその他の例でもわかるように、一般に蛇神であって、聖域

の外側に鎮祭される。 伊勢神宮における波波木神の在処も、内宮の御垣の一番外側

の荒垣の東南隅である。 東南は辰巳、竜蛇を象徴する方位であって、その神格は、

その祭祀方位にも暗示されているのである。

 

「古語拾遺」(807年)に、「古語に大蛇を羽羽といふ」と記されている。

 

p155

 

蛇の古語は「ハハ」である。 直立する樹木は、その姿から蛇に見立てられ

「蛇木(ハハキ)」あるいは「竜樹(ハハキ)」として、祭りの中枢にあった。

 

この御敷地の外側に顕現するハハキ神は、その内から外へあらわになった意味で、

「顕波波木(あらははき)」といわれるようになり、ここに「アラハハキ」の神名が

新しく生まれることになる。・・・・「荒波波木」となり、やがて・・・「荒神」となり

それが「コウジン」と音読みされるにいたったのではなかろうか。

 

――以上が、吉野裕子氏のアラ・ハハキ解である。

 

==>> ここで川崎真治さんは、他の学者の説を紹介しているのですが、

     私の感覚としては、「顕わになった」から「顕波波木」と呼ばれるように

     なったというのは、ちょっと苦しくないかなと感じます。

 

 

p156

 

吉野裕子女史が、日本古語「ハハキ」の実体を蛇神と判断したことは素晴らしい。

素晴らしいが、しかし、ハハキが「蛇の女神」であったことまでは洞察できなかった

ようで、その点が惜しまれる。

 

==>> さて、こういう同業者に対するコメントはどうなんですかねえ。

     ここでは「惜しまれる」とコメントしていて、前に出てきたツィンツィウス女史

     への辛辣なコメントとはかなり違うのではありますが・・・・

     かなり上から目線で、相手が二人とも「女史」であることがひっかかります。

 

「p067

村山氏は、ツィンツィウス女史の論を根拠にして、母のオモはアルタイ系と結論

されている。・・・・ツィンツィウス女史が、どのような言語学者かは、よく知

らないが、人類言語の起源にノータッチであったことだけは確かで、「その乳房

が吸われる成熟した者」が「母」であるというような解釈は「ひとりよがり」

しかいいようがない。」

 

 

p161

 

吉野女史は、蛇木、竜樹がハハキであると解釈した。

それに対して、私はハハキを「ハハ」と「キ」に分け、「ハハ」は「母」であると

解釈した。 

 

また吉野女史は、ハハキの「キ」を「木」「樹」と解したが、私は木、樹ではなく「地」

であると解した。 すなわち、シュメールの地母神、蛇女神のキ(地)が、ハハ・キの

キであると。

 

==>> この二人の学者の説のどちらを自然な説かと訊かれたら、私は吉野女史の

     説の方が納得しやすいと思います。

     実際にその古代に、日本列島に住んでいる人々が、どのように発想したかが

     問題であって、なにもシュメールまで飛ぶことはないでしょう、という意見です。

 

     「ハハ」は蛇の古語であり、「き」(木)が蛇に見えるというのは、私にも

     そう見えると言えるからです。

     少なくとも、私には、「母」+「地」が「ハハキ」だと言われてもピンと

     きません。

 

 

p233

 

前段で行った「シュメール語、バビロニア語から日本語へ」という伝播と、後段で

行なった「日本語から、その語源をシュメール語、バビロニア語に求める」という

逆探知によって、・・・・荒吐神の荒(アラ)が、シュメール語のアラの獅子神である、

と確信できるようになった。

・・・アラ()は獅子神、ハバ・キ(吐)は地母、蛇の地母神であるーーと確信を

もって答えることができるようになったのである。

 

p234

 

アラ・ハバ・キ神族が、もし私のいうように「獅子神」族と「蛇の地母神」族であると

するならば、津軽地方に、その証拠がなければならない

そういう観点から、改めて「東日流外三郡誌」を見ると、・・・・獅子神族と、地母神族

を含めた七枝樹二神族の名が、安東浦をかこむ部名の中にあった。

 

==>> ここで、津軽地方になんらかの王朝みたいなものが存在したことを臭わせる

     ことが書いてあるのですが、内容な特に考古学的な事物もなさそうだし、

     かなり都市伝説っぽい感じなので、パスします。

 

 

 

p256

 

論証という学問上の手つづきは、以上ですべて終わったと思う。

要約に要約を重ねていえば、アラ・ハバ・キ・カムイ、荒吐神とは、

父・鬼神(獅子神)、<ギルガメシュ王>

母・地母神(蛇女神)<七枝樹二神の女神>

――の間に生まれた子神である。

 

p260

 

『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)の中には、まだまだ謎の部分が多い。

偽書説が出るのももっともなことだと思うのだが、それにしても、謎が多いのだ。

 

たとえば、長髄彦、安日彦らが居た近畿大和が、あの「邪馬台国」だという。

 

==>> ここで、著者は、偽書と言われてもしょうがない文書を、謎が多いので、

     さらに他の研究者とは違う角度から研究したいと書いています。

 

この本は、最初にも断ったとおり、私にとっては、期待していた内容がなく、

一般的、常識的には、「トンデモ」本の部類に入るのではないかという感じでした。

しかし、それにしても、著者のいう「歴史言語学を開拓する」という点については、

この本に書かれていることが本当に「検証」と呼ぶに値するものなのかは

ど素人の私には判断ができませんが、はなはだ「ぶっ飛んでいる」という研究に

対する執着心はひしひしと感じました。

 

 


この世界地図は、どのように「母」という言葉が世界中に伝播していったかを表した

著者の研究手法の一端を示すものかと思います。

 

 

===== 完 =====

 

 

 

 

 

 

 

 

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