ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」を読む ―8(完)― 大きなブラックホールは優しい、そして誰もいなくなる、 ヒッグス場の絶壁の上にテントを張っている

ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」を読む ―8(完)― 大きなブラックホールは優しい、そして誰もいなくなる、 ヒッグス場の絶壁の上にテントを張っている

 

 


 

「第10章 時間の黄昏、  量子、確率、永遠」を読んでいきます。

 

 

p451

 

とうの昔に思考は終結し、ものを考える存在はひとつとして見当たらなくなってからも、

物理法則はそれまで通りに実在の成り行きを記述し続けるだろう。

やがてあらわになるのは量子力学と永遠とががっちりと手を結んだ世界だ。

 

量子力学は一風変わった夢想家のようなところがあって、起こりうる未来を膨大に想定し、

そのうちのどれかの未来がどれだけの確率で実現するかを具体的な数値で示すことにより、

現実離れしたヴィジョンに現実的な基礎を与える

 

==>> この夢想家のような量子力学については、その4で以下ように読んで

     きました。

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/09/blog-post.html

     「p238

量子的な記述では、電子のような粒子が50パーセントの確立で第一の場所に

存在し、50パーセントの確立で第二の場所に存在するとわかっていても、実際

にその粒子がどこに存在するかを実験で確かめるまでは、その粒子はどちらか

一方の場所にあるのではない。 量子力学によると、その粒子はそれぞれの場所

にあるふたつの状態があいまいに混じり合った状態にあるのだ。

・・・電子は、たくさんの状態がぼんやりと混じり合ったものとして漂っている

のだ。」

 

もちろん、思考するものが人類だけだとしたならば、思考が終結する未来は

かなり近いんじゃないかと私は危惧します。

     もともと、138億年の宇宙の歴史からみれば、些細なことですが。

 

 

p459

 

粒子―反粒子ペアがそんな環境に出現しても、ほかの場所に出現したときと同じように、

すぐさま打ち消し合って消滅することもあるだろう。

しかし、ここが重要なところだが、消滅しない場合もあるということにホーキングは

気が付いた。 ペアの一方が、ブラックホールに吸い込まれることもあるだろう。

生き残ったほうは、打ち消し合うべき・・・相手がいなくなり、ブラックホールに

背を向けて一目散に逃げだすだろう。

 

そんな逃亡劇が、球形をした事象の地平面のいたるところで繰り返し起これば、

ブラックホールはあらゆる向きに粒子を放出しているように見えるだろう。

それが、今日われわれが<<ホーキング放射>>と呼んでいるものだ。

 

==>> この「ホーキング放射」は、下のように解説されています。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E6%94%BE%E5%B0%84-628876

     「ブラック・ホールは光を含むすべてのものを飲み込むと考えられていた。

しかし事象の地平面(光や物質がブラック・ホールに吸収される限界の領域)

付近で量子効果を考えると、真空のゆらぎによって粒子・反粒子という粒子の

対生成が発生して、その半分は事象の地平面内へ、もう半分は事象の地平面外へ

と放出されることがわかった。

「ブラックホールは放射によりエネルギーを失い、最終的に蒸発することが

指摘されている。ホーキング輻射。」

 

     ・・・ここで、著者は面白いことを書いていまして、もともとは

     ベッケンシュタインの提案があって、ホーキングはそれに真向から反対

     唱え、いろいろと計算をしてみたところ、ホーキングには衝撃的な

     結果が出てしまったというのです。 つまり、ベッケンシュタインのほうが

     正しくてホーキングは間違っていたことを、ホーキング自身が計算で

     明らかにしてしまったのだそうです。

     一般人だったら「墓穴を掘った」ということなんでしょうが、そこは

     科学の世界の公正なところですね。 自らが間違っていたことを数学で

     証明してしまって、自分の名前を冠する「ホーキング放射」が歴史に残る

     ことになったのですから。

 

 

p460

 

・・・熱力学第二法則に完全に従う。 しぼんでいくブラックホールもまた、この

法則に従う。 ブラックホールがしぼめば、事象の地平面の面積は減少し、ブラック

ホールのエントロピーも減少する。 しかし、ブラックホールから出た放射は大きな

球形の空間に広がることで、空間のエントロピーを増大させる。 その増大分は、

ブラックホールのエントロピーの減少分を補って余りあるほどだ。 これはまさしく、

いまやおなじみのダンスの振り付けにほかならない。 ブラックホールは放射を出し

ながら、エントロピック・ツーステップを踊っているのである。

 

ホーキングの結果は、以上に述べたことを数学的に厳密なものにした。

 

==>> エントロピーが増大するのが大きな流れであって、無秩序へ向かうという

     話なんですが、その中で、流れに棹差すものがしぼんでいくブラックホール

     ということになるのでしょうか。エントロピーが減少する方向なんですから。

     ・・・ってことは、しぼんでいくブラックホールは、星や生命みたいな

     ものと同じような状態にあるってことですかね? 秩序へ向かう状態。

     そう考えてしまうと、なんとなくブラックホールがいとおしくなりますね。

     なりませんか?

 

p463

 

一般相対性理論によると、ブラックホールを作るレシピはいたって簡単だ。

 

・・・果物のグレープフルーツからブラックホールを作るためには、直径10-25センチ

メートル(マイナス25乗)にまで圧縮する必要があるし、地球からブラックホール

を作るためには直径2センチメートル、太陽からブラックホールを作るためには

直径6キロメートルまで圧縮する必要がある。

 

p464

 

ブラックホールの平均密度(質量/体積)は、質量の二乗に反比例して小さくなる

つまり、質量が二倍になれば、密度は四分の一になり・・・

ブラックホールを作るときには、質量が大きければ大きいほど、あまり圧縮しなく

てもよくなるということだ。 

 

天の川銀河の中心にある、太陽質量の400万倍ほどの質量を持つブラックホールを作る

ためには、鉛の密度の100倍ほどの密度にする必要があるから、集めた物質をかなりの

力で圧縮しなければならない。しかし、太陽質量の一億倍ほどの質量をもつブラックホール

を作るのであれば、水と同程度の密度にすればよい。

 

つまり、太陽質量の40億倍の空気を集めることができたら、グレープフルーツの

場合とも、地球や太陽の場合とも異なり、あなたはそれを一切圧縮する必要がない。

その空気に作用する重力だけで、ブラックホールができるだろう。

 

==>> このあたりの話は、分かるようでわからない、感覚がつかめません。

     著者は素人にもわかるような具体的な例をあげてくれてはいるんですが。

     一応「平均密度は質量の二乗に反比例して小さくなる」というのは

     数学でならったからわかるには分かるんですけどね・・・

     数学的には理解できるのに、それを易しく言い直した文章が感覚的に

     捉えられないっていうのも変な感覚ですね。

 

p465

 

この例は、ブラックホールの特性は、一般的なイメージとは大きくかけ離れている

場合もあることを鮮やかに教えてくれる。 質量とサイズは巨大でも、平均密度では

かそけき存在のブラックホールは、間違いなく心優しい巨人だ。 大きなブラック

ホールは小さなブラックホールほど過激ではないというのは、その意味においてなのだ。

 

そしてそれを理解することが、ブラックホールが大きくなればなるほど温度は低く、

放射は穏やかになるという、ホーキングの発見への直観的な説明にもなる。

 

==>> 「かそけき」などという言葉が出てきたので、オヨヨと思って確認

     しました。 国語辞典によれば・・・

     「かそ‐け・し【▽幽し】 の解説

[形ク]光・色や音などがかすかで、今にも消えそうなさま

「わがやどのいささ群竹(むらたけ)吹く風の音の・きこの夕(ゆふへ)かも」

〈万・四二九一〉」

・・・なんと、物理学の説明に、古文の言葉ですからねえ。まさに幽玄の宇宙

と言うべきか。

 

一般的なイメージとは大きくかけ離れているとわざわざ言っているという

ことは、私のようなど素人には理解できなくても大丈夫ですよと

著者が言ってくれているように感じます。 優しい方ですねえ。

 

 

p467

 

初期宇宙の塵は、すぐにもエントロピック・ツーステップを踊りだせる状態にあり、

重力に駆り立てられて秩序ある天文学的構造をどんどん作っていったのに対し、

末期宇宙における塵は、あまりにも希薄に広がってしまい、虚空の中をひっそりと

漂うことしかできない。

 

物理学者たちは、未来のこの時代を「時間の終わり」と言うことがある。

時間の流れが止まるわけではない。 しかし、広大な空間の中で、孤立した粒子が

あちこちに移動する以外には何も起こらなくなったとき、宇宙はついに忘却の彼方

に去り、宇宙のことを知る者は誰もいなくなったと結論するのは妥当だろう。

 

==>> 時間の流れが止まるわけではないが、「何も起こらなく」なってしまったら、

     誰もそれを見るものはいなくなるということでしょうか。

     宇宙が膨張する速度が光の速度よりも速くなってしまったら、望遠鏡で

     星を眺めてもその離れていく速度に追いつかないから何も見えなくなる

     ってことなんでしょうか。

     例えば、自分の隣に居た筈の人が、光の速さよりも速く遠ざかっていったら、

     その人の姿を見ることさえできないわけですね・・・・

     私の妄想ですが・・・。

 

p475

 

ヒッグス場は、「からっぽ」という言葉の意味を再定義するーー観測可能な宇宙の中で

最大限にからっぽな空間にさえ、246という値のヒッグス場が含まれているのだから。

したがって、ヒッグス場の値が量子トンネル現象を起こすことから、からっぽの空間

それ自体が不安定であることが明らかになる。 からっぽの空間でさえ、十分に長く

待ちさえすれば変化する。 

 

その変化が起こって宇宙が崩壊するまでの時間スケールはあまりにも長いため、気に病む

ことはないと思うかもしれないが、ここで注意したいのは、それは今日起こるかも

しれないということだ。 あるいは、明日かもしれない。 それがいつになるかわから

ないということが、未来の出来事が確率に支配される量子的宇宙に生きることの難しさだ。

 

==>> このヒッグス場で起こることが予測されている宇宙最後の時については、

     こちらの動画の一番最後にちょっとだけ説明されています。

     宇宙はどのように生まれ、どうやって終焉するのか?【日本科学情報】【宇宙】

     https://www.youtube.com/watch?v=K4RwCObSllE&t=933s

     動画の下にこのようなコメントが書いてあります。

     「※ナレーション訂正です。ごめんなさい、、、ビッグス場⇒ヒッグス場」

 

     この本の著者は、「いつ起こるかわからない」とちょっと悲観的な結論を

     書いていますが、こちらのTEDSの動画では、それよりも楽観的な結論を

     見ることができます。

     ヒッグス場は、今にも崩れ落ちそうな崖の上にテントを張っているキャンパー

     みたいなものだということは同じなのですが・・・

     ヒッグス粒子が語りかける宇宙の運命

     https://www.youtube.com/watch?v=r8zmq26-Zms&t=21s

 

p483

 

もしもひとつの脳が、自分がもっている記憶と信念は、実際に起こった出来事の正確な

反映だと信じることができなければ、科学知識の基礎をなす測定や観測や計算は、

なにひとつ信じられなくなる。

 

・・・もしも私が、こうした記憶は、それと結びついた実際の出来事によって刻まれた

のだと信じることができなければーーー一般相対性理論や量子力学は、心が作り上げた

虚構などでは断じてないと信じることができなければーーー、これらの理論が示す結論

 

はひとつとして信じることができない。

 

 

p494

 

もしも意味があるのなら、われわれの宇宙以外の多くの宇宙は実在するのか、それとも

有益な数学的虚構にすぎないのかについて、もう半世紀以上も論争を続けてきた。

ここで説明している宇宙論の多宇宙理論と、量子力学の多世界解釈との本質的な違いは、

宇宙論の多宇宙理論では、他の世界――他の領域――が実現するかどうかは、解釈の

問題ではないということだ。 もしも宇宙空間が無限に広がっているのなら、他の領域

は、間違いなくどこかに存在するのである。

 

==>> 「信じる」ということの意味が再度語られています。

     著者は、「実際に起こった出来事の正確な反映だ」と言えるならば、

     さまざまな科学的実験や測定などの結果を信頼することはできると言って

     いるようです。

     そしてそれは、すでにアマゾンの未開の民族「ピダハン」の文化で学んだ

     ような実証してくれる人がいたり本人が実際に体験したりしたものしか

     認めない直接性のようなものを共通項として感じます。

 

     D.L.エヴェレット著「ピダハン : 言語本能を越える文化と世界観」

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/07/dl_24.html

     「p368

わたしの話に耳を傾けた者たちは、ヒソー(イエス)という名の男がいて、彼は

ほかの者たちに、自分が言ったとおりにふるまわせたがっていると理解していた。

次にピダハンが訊いてくるのは、「おい、ダン。 イエスはどんな容貌だ? 

おれたちのように肌が黒いのか。 おまえたちのように白いのか」

私は答える。「いや、実際にみたことはないんだ。 ずっと昔に生きていた人な

んだ。でも彼の言葉はもっている」

「なあ、ダン。 その男を見たことも聞いたこともないのなら、どうしてそいつ

の言葉をもっているんだ?

 

======

 

 

「第11章 存在の尊さ、 心、物質、意味」

 

p500

 

パターンを感知する能力は、人類がこれまで繁栄してきた理由のひとつでもある。

・・・規則性を心に留め、ものごとに意味を与える。 しかし、われわれが与える

意味のうち、証明可能な実在の特徴を詳しく説明するような、慎重な分析から

得られたものは一部にすぎない。

 

意味の多くは、混沌とした経験に秩序らしきものを与えたいという、感情的な傾向

から出てきたものなのだ。

 

 

p505

 

進化は、自然選択の力を介して生命の行動のレパートリーを増やし、生き延びて繁殖

を容易にする行動を広める。 そんな行動にはさまざまなものがあるが、その究極が

思考だ。 記憶を形成し、状況を分析し、経験を回想する能力は、生き残りをかけた

軍拡競争においては強力な武器になる。 

 

・・・そして生物はついに自意識を獲得し、「考える種」になった

 

==>> 粒子の集合体は、たまたまその配置が、進化の自然選択によってものを

     考えることのできる配置になった。 そして、その配置によって

     身のまわりに起こる現象に意味を与えるまでに進化した。

     しかし、その秩序のようなものを与えたいというものは、感情的な

     傾向から出たものらしい。 多分そこには、例の意識下の小びとたち、

     つまり粒子なり分子なりから構成された脳の分散システムみたいなもの

     の働きがあるのでしょう。

 

 

p512

 

年配の女性が、人類という種にいつまでも存在してほしいという、彼女が言うところの

「誰もが持つ本質的な欲求」を乱暴に踏みつけにしているとして、私をたしなめたのだ。

そして彼女は、私にこう問いかけた。

「あなたにとって、余命一年と宣告されるのと、地球はあと一年で破壊されると

知らされるのとでは、どっちがショックですか?」

 

==>> さあ、あなたがこういう質問を直接されたら、どう答えますか?

     著者は、ここで迂闊な返事をしてしまったと後悔したことを告白して

     います。 そして、以下のように、深い意味があったのだと述べて

     いるのです。

 

p513

 

私は、自分の死期を知ったときに示すであろう反応との、この違いに驚かされた。

一方の日付を知ることは、生命の価値をすっかり奪ってしまいそうだった。

 

それに気づいたことが、それからの年月、未来についての自分なりの考えを組み立てる

うえで役立った。

 

私にとって未来は、方程式と定理と法則が住まう世界であって、岩や木や人びとの

住まう場所ではなかったのだ。

 

地球最後の日のシナリオは、そんな私の考えを鍛えなおし、われわれの方程式と

定理と法則は、たとえ根本的な真理につながっているとしても、それら自体として

価値を持つわけではないことを教えてくれた。

 

==>> この女性の質問にいい加減な答えを出して、反省した著者は、

     根本的なところで自分が間違っていたことを深く反省したようです。

     ちなみに、私だったらどう答えるだろうと考えました。

     自分が死ぬことに関しては、この歳になってしまうと、いつでもいいや

     と思うのですが、地球が破壊されて無くなってしまうということになると、

     当然のことながら、自分の家族を含め友人知人もすべていなくなってしまう

     わけですから、私がこの地球に生きていた痕跡のかけらすら無くなって

     しまうってことですね。

     それは、考えてみれば、先祖代々繋がって進化してきた今の私で終わりって

     ことになりますし、すべての人類が終わりってことですから、何のために

     ここまで何億年も進化してきたのか、という空虚な思いは抱くかと思います。

 

 

p520

 

意識を持つわれわれは、ひととき宇宙の一隅に無断居住するだけの存在なのだ

そんなわれわれを温かく受け止めてほしいと願う気持ちはわからないではないが、

端的に言って、それは宇宙のやることではないのである。

 

 

p523

 

冷え切った不毛な宇宙に向かって突き進んでいけば、「大いなるデザイン(神の

計画)」などというものはないのだと認めざるをえなくなる。 粒子に目的が与え

られているのではない。 最終的な答えが深宇宙にぽっかりと浮かんで、発見される

のを待っているのでもない。 

 

そうではなく、ある特定の粒子集団が、考え、感じ、内省する力を獲得し、そうして

作り出した主観的な世界の中で、目的を創造できるようになったということなのだ。

 

そういうわけで、人間の条件を明らかにしようという探求の旅で、われわれが

眼を向けるべき唯一の方向は、内面に向かう方向である

 

 

==>> この宇宙は、そして地球は、少なくとも人類の為に作られたものではなく、

     たまたま粒子の集団たる星や命が物理法則によって生み出され、進化に

     よってたまたま生まれてきたのが意識を持つことになった我々のような

     生き物だったということになります。

     そして、理論物理学者である著者は、最後の最後に、今後はますます

     人間の内面に向かうべきであろうと述べています。

     それはおそらく、この著者が、科学によって人間の内面の不思議を

     解き明かすことができるはずだという楽観的な科学の未来を心に秘めている

からではないかと思います。

少なくとも、ここでスピリチュアルな世界に飛ぶことはしていません。

 

さて、これでこの貴重な一冊を読み終わることができました。

 

私は、いままで、主に、宗教的な本と物理学的な本の両方を読んできました。

それは、宗教的な本、形而上学的な本は、面白くて興味深いことがいろいろと

書かれてはいるのだけれども、数えきれないさまざまな考え方が際限なくあって、

どれもそれなりに理屈はありそうなんだけれども、検証もしようのない、いわば

自分勝手な物語に終始しているという虚しさを感じるのです。

ちなみに、有名な「般若心経」などは、多くの本が出版され、著者それぞれの

解釈にあふれています。どこに仏陀の真意があったかなどわかりもしない。

そういう勝手な物語ならば、誰にでもどんな話でも作れてしまう。

 

その点、科学、特に物理学は、さまざまな仮説があったにしても、それは年月を

かけて、多くの科学者によって研究され、実験され、検証されていくべき運命を

背負っているために、ある一点に収斂していくという潔さと公正さがあると

私は思うのです。

 

その意味で、この本は、あくまでも物理学という世界を基礎において、普通ならば

科学者が手を広げない分野にまで、果敢に攻めたところが心に残りました。

 

このようなスタンスで、私も、人間の意識や心などの不思議を学んでいければ

いいなと感じています。

 

 


===== 完 =====

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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