酒井邦嘉著「言語の脳科学」を読む ― 1 ― ヒトとチンパンジーの遺伝情報は約1.2%しか違わない、 認知脳科学と認知言語学は反対側を向いている? 生得説vs学習説

酒井邦嘉著「言語の脳科学」を読む ― 1 ― ヒトとチンパンジーの遺伝情報は約1.2%しか違わない、 認知脳科学と認知言語学は反対側を向いている? 生得説vs学習説

 

 


酒井邦嘉著「言語の脳科学:脳はどのようにことばを生みだすか」を読んでいます。

 

 

チョムスキーの生成文法に基づく言語生得説と最新の脳科学がどのように展開している

のかが知りたくて読んでいます。

 

 

iii

 

本書では、言語がサイエンスの対象であることを明らかにしたい。 言語に規則がある

のは、人間が規則的に言語を作ったためではなく、言語が自然法則に従っているためだ

と私は考える。 この考えは、一般の常識に反したものであろう。しかし、この問題提起

がなければ、言語の脳科学は始まらないし、それが正しいかどうかは、科学的に検討

してみなくてはならない問題である。

 

iv

 

生得説を裏付けるための脳科学からの証拠が未だ不十分なため、チョムスキーの革命的

な考えは、多くの誤解と批判にさらされている。 本書は、チョムスキーに対する誤解

を解き、言語の問題を脳科学の視点からとらえ直すことを目標とする

 

==>> これが「はじめに」に書かれている著者の趣旨のようです。

     いままでに何冊かの言語学系の本を読んできましたが、チョムスキーの

     生成文法が言語学に大きな影響を与えてきたのは理解できましたし、

     多くの賛否両論があることも感じてきました。

     この本では、明確にチョムスキーの生成文法を裏付けるための脳科学

     アプローチを描いたものですので、科学的な説明を求めたい私としては

     ありがたい本であるということになりそうです。

 

     ところで、上に「一般の常識に反したものであろう」という言葉がありますが、

     元日本語教師として授業の中で日本語の文法を意識的に考えてきた私としては、

     「常識に反した」というふうには思いません。

     元々、言語の文法などというものは、すでにある言語を分析して帰納的に

     でっちあげた文法と呼ばれるルール集みたいなものだからです。

     特に日本語の文法などは、学者の数ほど文法があるとも言われているぐらい

ですから。

 

p004

 

情報が下の段階から上の段階へ送られることをボトムアップと言うが、ボトムアップの

情報処理の行き着く先が言語なのである。 

 

・・・言語を手段として使うという命令そのもの(言語化の意志)が、言語の能力に

よって支えられていることを忘れてはいけない。

 

 

p006

 

脳から心までを対象にする学問の必要性から生まれたのが、「認知脳科学」である。

ここで言う認知とは、認識過程を含めた心のはたらき全般を指す。

 

 

p007

 

心とは脳のはたらきの一部であって、「知覚―記憶―意識」の総体であると位置づけ・・

 

==>> 著者は、「心」の解明のために脳科学でアプローチしようとしているわけです。

     この著者による講演の動画がありましたので、ささっと知りたいかたは

     こちらでご覧ください。

     東京大学公開講座: 「脳から見る人間の言語と心」

     https://www.youtube.com/watch?v=wPXLUxkqEt8

 

 

p009

 

言語化を必要としない心のはたらきがあることからあきらかなように、言語と心を比べ

たら、心の方がはるかに広い現象を含んでいる。 実際、言語化できる心の部分は、

氷山の一角にすぎない。

 

言語は心と密接に結びついているので、言語を心の外にある実体と考えるよりも、心の

はたらきの一部と考えた方が自然であろう

 

==>> 本には、図が描いてありまして、中心に言語という円、それをとり囲むように

     心という円、さらにそれをとり囲むように脳という円があります

     最初にこの図を見た時には、逆ではないかと違和感を感じたのですが

     解説を読んで納得できました。

     私が直感的に図をみて思ったのは、中心に脳があって、そこから心が生まれ、

     さらにその外側に言語が出てくるのではないかと感じたからでした。

 

 

 

p011

 

チョムスキーは古今東西の人文科学で引用されるトップ・テンの第八位に挙げられ、

そのうちでただ一人健在である。 ちなみにそのリストは、第一位から順に、マルクス、

レーニン、シェークスピア、聖書、アリストテレス、プラトン、フロイト、チョムスキー

ヘーゲル、キケロだった。

 

チョムスキーは、七十歳を超えてもなお、MIT(マサチューセッツ工科大学)の言語・

哲学科を中心に活躍を続けている。

 

==>> 聖書よりも、マルクスとレーニンが筆頭にくるとは驚きました。

     人類は、神話よりも科学の方を選んだということなのでしょうか。

     そして、チョムスキーさんも、心・言語という掴みどころのないものを自然科学

     の対象として捉えようとしているわけですね。

 

チョムスキーさんについては、こちらのwikipediaでどうぞ。

     1928年生まれで2022年現在でも健在であるようですから、今年94歳

     ということになりそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

 

     生成文法については、こちらの本が分かり易かったと思います。

     福井直樹著「自然科学としての言語学:生成文法とは何か」

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/03/blog-post_25.html

 

 

p020

 

自然言語は、あいまいさに満ちている

 

文法的な文の構造は、単語の列と意味のどちらとも、一対一の対応がない。

例えば、「みにくいアヒルの子」は、「みにくいアヒル」の子なのか、みにくい「アヒルの子」

なのかがあいまいであり、どちらの構造をとるかで、意味が全く変わってしまう。

もちろん、どちらも文法的には完全に正しく構成的である。

 

・・・文法性は、一義的な意味や単語の並び方を保証しないことがわかる。

多くの場合、文脈でどちらの意味かが決まる・・・・

 

p022

 

言語とは、心の一部として人間に備わった生得的な能力であって、文法規則の一定の

順序に従って言語要素(音声・手話・文字など)を並べることで意味を表現し伝達できる

システムである。

 

==>> 特に日本語は文脈で意味が決まる言語であると言われているようです。

     こちらのサイトでは、言語による「文脈依存度」について書かれています。

     日本語が「営業に不向きな言語」である理由!文脈依存度と行間理解

     https://www.sapuri.co.jp/144skill/textbook/communication/20180129_231

     「日本語は言語学上、超文脈依存言語(図版)に分類されるのだが、文脈や行間

に強く依存するというわけだ。数年前に流行った「KY(空気読めない)」という

単語の空気の部分がその文脈の正体だとすれば分かりやすいだろう。」

 

私が日本語を教えていた時に注意していたのは、ホワイトボードに例文を書く

際に、出来るだけ前後の文脈が分かるように書くことでした。

特に、新しい語彙や文型を教える場合には、その前提となる場面を日本語の文章

として書くことにしていました。

     英語などを使わない日本語だけで教える直接法でしたので、その場面設定が

     非常に重要でした。

 

p033

 

大多数の生物学者は、人間と動物の違いがほとんどないと考えており、言語を持つかどうか

を人間と動物の明らかな境界だとは見なしていない。 それは、人間と動物の言語能力や

知的能力の差を説明できるような脳のメカニズムが未だわかっておらず、脳の大きさや

行動以外で生物学的な違いが証明されたことがないからであろう。

 

実際、ヒトとチンパンジーのDNAは、ゲノム(遺伝情報)全体の平均で約1.2%しか

違わない。 人間の個人差は、もちろんこれよりも小さく、約0.07%の違いだと

言われている。

 

p034

 

さらに重要な問題は、全く同じ遺伝子でも、別の遺伝子と相互作用をすることで、その

はたらきがヒトとチンパンジーで大きく異なるという可能性である。 

・・・この問題は、言語の脳科学が直面している最大の壁でもある。

 

==>> 今読んでいる本は、2002年に出版されたものですが、

     ヒトとチンパンジーの違いに関しては、2009年にこのような新聞記事

     が出ていました。

     人間が話せるのは1個の遺伝子の小さな変異による?米研究

20091112 18:16 発信地:パリ/フランス [ ヨーロッパ フランス ]

     https://www.afpbb.com/articles/-/2662870

     「■言語障害を引き起こす遺伝子「FOXP2

研究者らは約10年前、ある家系の珍しい先天性言語障害のある全ての人におい

て、FOXP2という遺伝子に同じ欠陥があることを発見した。その後、発達性不

全失語症という別の言語障害の患者のグループでも、FOXP2が変異している

ケースがあることが分かった。

一方、チンパンジーのFOXP2遺伝子を研究していた生物学者は、この遺伝子に

よってコーディングされたタンパク質を構成する数百のアミノ酸のうち、2つが

ヒトとチンパンジーで異なっていることを突き止めた。

ここから、人間とチンパンジーの言語能力の違いはFOXP2の違いによるのでは

ないかとの説が生まれ、論争が続いていた。」

 

FOXP2については、こちらの2012年の記事でも解説があります。

「言語遺伝子」が学習速度を速める

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 1 | doi : 10.1038/ndigest.2012.120104

https://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v9/n1/%E3%80%8C%E8%A8%80%E8%AA%9E%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90%E3%80%8D%E3%81%8C%E5%AD%A6%E7%BF%92%E9%80%9F%E5%BA%A6%E3%82%92%E9%80%9F%E3%82%81%E3%82%8B/58222

50万年以上前に出現した1つの変異によって、ヒトは言葉を話すための筋肉

運動を身につけたのかもしれない。

マウスでの研究から、FOXP2遺伝子に生じた変異により、ヒトは発話や言語に

重要な、複雑な筋肉運動を身につけることができた可能性が示唆された。ヒトの

FOXP2遺伝子を発現するように遺伝子操作したマウスは、通常よりも学習速度

が速いというのだ。」

 

 

p041

 

言語の本質をめぐっては、認知科学を二分するような激しい論争がある。

一方の立場は、生得的な言語の能力に基づいて母語が「獲得」される、という

生得説(獲得説)」である。・・・言語は、生後の条件付けや学習だけで身に付く能力

ではないと考える。

 

他方の立場は、一般的な「学習」のメカニズムに基づいて言語も説明できる、とする

「学習説」である。 

 

p042

 

チョムスキーは生得説のリーダーであり、スキナーは学習説の代表者であった。

 

==>> ここで著者は、チョムスキーの評論文が、スキナーの行動主義心理学に

     致命的な打撃を与えたと書いています。

     これに対して、スキナー側の話としては、wikipediaには以下のように

     書いてあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%8B%95%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6

     「スキナーは、行動の科学の哲学的基盤を考察する過程で、人間の言語に関心を

持つようになった。そして、著書『言語(的)行動』(Skinner, 1957)の中で、

言語(的)行動を関数分析(機能分析)するための概念と理論を発表した。この

本は、言語学者のノーム・チョムスキーのレビュー(Chomsky, 1959)によって

厳しく酷評されたが、スキナー自身は「チョムスキーは、私が何について話して

いるのかを分かっておらず、どういう訳か、彼はそれを理解することができない」

というコメント(Skinner, 1972)を残している程度で、このレビューに目立った

反応をしていない。・・・・・スキナーは、言語獲得よりも、言語と顕在的行動

の相互作用への興味が強かった。」

・・・とありますので、興味のポイントがズレていたのかもしれません。

 

p043

 

生得説と学習説の論争は、言語学ばかりでなくさまざまな認知科学の分野を巻き込んで、

最近さらに盛んになっている。

 

こうした行動主義の研究の特徴は、ハトやネズミのように、内的プロセスを仮定せず

に扱える動物に実験対象を限っていることだ。 チンパンジーや人間を対象にすると、

意識や記憶の問題を避けて通れないので・・・・

 

 

行動主義で説明できない言語の問題の一つに、「プラトンの問題」がある。

言語の発達過程にある幼児が耳にする言葉は、多くの言い間違いや不完全な文を含んで

おり、限りある言語データしか与えられない。 それにもかかわらず、どうしてほとんど

無限に近い文を発話したり解釈したりできるようになるのだろうか。

 

これが、ギリシャ時代の哲学者、プラトンの考えた問題であり、幼児に与えられる言語の

刺激が貧困であるという事実を指して「刺激の貧困」とも呼ばれている

この問題は、今なお古くて新しい問題である。

 

==>> 行動主義心理学は、その後も健在で議論は尽きないようですが、

     著者によれば、行動主義心理学は、心の内面の話にはタッチしないように

     実験などでも気を使っているようだと見ているようです。

 

     それにしても、プラトンは、今の脳科学にヒントを与えるようなことを

     すでに考えていたんですね。流石に大哲学者です。

 

p050

 

もちろん、言語能力の獲得には後天的要素も必要であるし、認知能力の一部には大脳一次

視覚野の感受性期のような獲得過程も存在するが、言語能力の本質は、言語知識の生得性

にある。

 

これは、音声や手話による母語の獲得が、文字や第二言語の学習と比べていかに短期間で

容易に行なわれるかを見れば、明らかだろう。 幼児は、類推などの一般的な認知能力が

未熟であり、学校で教わるような明示的な文法の知識を学習するわけでもないのに、

四歳頃には母語を巧みに操れるようになる。

 

ただし、ここでいう遺伝的要因とは、「幼児が遺伝的に決定された人間の言葉を理解し

話す」という意味であり、「日本人の遺伝子を持っているから日本語を話す」のではない。

 

p051

 

チョムスキーは、自然言語には文を作るための必然的な文法規則があり、これが普遍的

かつ生得的な原理であることを提唱した。  一方、意味や概念の学習は後天的であり、

単語と意味のつながりは連想に基づくものであって、その連想関係は偶然的である。

 

==>> この辺りに書かれていることは、非常にすんなりと私には入ってきます。

     実際に、幼稚園や小学校に入る前には、学校で教えてもらう言葉の知識や概念

     を理解できるほどには言語能力があるわけですからね。

     そして、幼稚園や小学校で日本語の文法なんて時間はありませんし・・・・

 

     日本語を教えていて、あるいは学生時代にいわゆる国文法を習った時には、

     文法というのは本当に何の役に立つんだろうと感じたものです。

     単なる知識であって、その文法を使って日本人が日本語を話しているわけじゃ

     ないですからね。

     (日本語を教える時は、日本語で日本語を教える直接法でしたので、

      英語を使って日本語の文法の説明をするというようなことは一切やりません

      でした。そして、英語で文法を説明してくれという学習者もいませんでした。)

     もちろん、私が英語を書いたり、話したりするときには、文法を意識はします

けど。

 

 

p058

 

(1a) 無色の緑の観念が猛烈に眠る

(1b) 眠る猛烈に観念緑の無色の

 

どちらも意味のおかしい文だが(1a)の語順は文法的に正しい。

つまり、意味がなくても文法がある文を作ることができる。

 

p059

 

・・・単語自体も新しく作ってしまった非単語を使うと、もっと意味不明な文が作れる

そのような文は「ジャバウォッキー」と呼ばれている。

・・・「鏡の国のアリス」に出てくる詩の題名である。

 

==>> こういう変てこな文については、母語であれば誰でも気づくわけですよね。

     (1a)の意味不明な文は、見方を変えると、非常に詩的なものにも見える

     わけですが。

     面白い例としてはタモリのこういう天才芸でしょうか。

     7カ国バスガイド編】タモリさん中国語&外国語ものまね・台湾人の反応

     https://www.youtube.com/watch?v=Y6EcWWcuhT8

 

     

p063

 

意味論の主要な問題は、意味がどのような構造や体系をとり得るかを明らかにすること

である。 言語の特徴として、「意味とは何か?」ということ自体も問題となる。

意味のまとまりのことを、カテゴリーと言うが、生き物・食べ物・道具などのカテゴリー

とその要素を簡単に思いつくことからも明らかなように、意味が大まかに分類されて

保持されていることは確かである。

 

 

p064

 

一方、内包とは、ある外延の要素が持っている共通の性質のことである。 

例えば、動物の内包は、感覚と運動の神経機能を持った生物である。だから、単語の意味

とは、その内包そのものである。

 

==>> 「意味とは何か?」というのが、今までの私の読書テーマでしたが、

     いつまでも何らかの結論を出さないと気持ちが悪いので、先日こちらの

     ようなあいまいな結論を書いたばかりです。

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/07/blog-post_31.html

 

 

p068

 

文章の理解とは、発話傾向を手がかりとしながら、他人の言わんとすることのモデルを

自分の心の中に作ることである。 他人の心の中の状態を推測し、その推論に基づいて

他人の行動を解釈したり、予測したりする能力は、「心の理論」」と呼ばれる。

従って、意味論の本質的な問題は心の理論に帰着するだろう。

 

==>> ここで著者が意味しているところを、上記の私が書いた狂歌の中から

     選ぶとするならば、おそらくこれではないかと思います。

 

     

     つまり、他人のニューロン・ネットワークに似た物を、自分の脳の中に

     組み立てるということではないか、ということです。

 

 

p069

 

1960年代の後半から、生成文法に対立する理論として、アメリカのレイコフらが

提唱したのが「生成意味論」である。 生成意味論では、逆に知覚などの言語以外の

認知的要素が与える影響を考慮した観点から、言語の問題にアプローチする。

 

この立場は、「認知言語学」や「認知意味論」とも呼ばれている。 同じ「認知」がついて

いても、認知脳科学の「認知」は言語を含んでいるのに対して、認知言語学の「認知」は

言語を含まないので、学問の方針が全く違う。

 

私は、認知脳科学の中で言語を独立のシステムとして切り離す努力をしているのだが、

認知言語学では言語の独立性をなくす方向を目指しているようである。

 

==>> おお、これはやややこしい話になっていますねえ。

     いろんな人達がいろんな研究をいろんな視点からやっているから、論を示す

     名称が複雑に入り組んでしまうのでしょうが、素人の読者としては

     今まで読んできた本の中でもウロウロしてしまいます。

 

 

p076

 

言語は、知覚・記憶・意識の各モジュールから独立したモジュールであるという立場を

私はとっている。 「言語機能は、他の認知機能と独立している」という意味の

モジュール性は、言語機能の特異的な障害である「失語症」の存在によって裏付けられ

ており、脳における言語の機能局在に対応する。

 

p077

 

言語が思考の表現として使われ、思考の媒介として必要とされることは、経験的事実で

ある。 しかし、幾何学の問題や囲碁・将棋の「次の一手」のように、言語を使わずに

すむ思考があるように、思考は言語と異なるはたらきである。

 

==>> 「言語を使わずにすむ思考」というのはどういう思考なんでしょうかねえ。

     言語ではなくフォトグラフィック・メモリーのようなイメージ処理みたいな

     ものがあるんでしょうか。

     もしそうだとすれば、言語で思考する人と画像で思考する人のふたつのタイプ

     の人たちに分かれるのか、それとも、一人の中で両方の思考が交じり合うのか。

 

     

p084

 

「失文法」とは、文法的な文を構成する能力の障害であり、失語症の一部と考えられている。

 

p085

 

失文法の存在は、文法機能がモジュール性を示す重要な証拠であることには変わりがない。

前頭葉のブローカ野と統語処理との対応関係は、長く決着のついていない重要な問題で

あったが、最近の脳機能イメージングで、統語モジュールとしてのブローカ野のはたらきが

明らかになってきている。

 

==>> 様々な脳の損傷を原因とする病気の臨床データから、言語と脳の関係について

     いろいろな推測が導き出されているようですが、臨床データだけから明確な

     結論を出すのは難しいようです。 それに、仮に科学的な実験ができたと

     しても、それをどう解釈するかという部分で異なる見解も多いようです。

     

 

p087

 

クリストファという一人のサヴァンは、20カ国語を使いこなす「言語天才」であり、

著名な言語学者による詳細な研究とともに有名となった。 

生後六週で脳損傷と診断され、後に水頭症による脳の萎縮が確認された。

言語性の知能指数(IQ)は平均レベルだが、非言語性のIQは42~76点(平均が

100点)と低く、29歳のときの精神年齢は9歳と見積もられた。

 

しかし、3歳頃から「読む」ことに強い関心を示すようになり、6,7歳で

外国語に対する強い執着が決定的になった。

 

p088

 

次に、自然言語の規則に従わない構造を持った「エプン語」を作って試してみた。

・・・実験では、言語学科の学生を統制群として、エプン語を「第二言語」として学習する

過程と比較した。 結果はあまり単純ではないが、クリストファは統制群とは違って、

エプン語をマスターすることに難しさを示した

 

 

==>> ここでサヴァンと言っているのはサヴァン症候群のことです。

     その中には、「音楽や美術で優れた芸術表現を示す人や、並外れた記銘力や

     視覚イメージの再現力(直感像)を持つ人が知られている」という病気です。

 

     その中で上記のクリストファのデータについて、著者は、自然言語に関しては

     天才的な能力を発揮するクリストファが、非自然言語であるエプン語では

     普通の学生と比べて学習能力が落ちたことを示唆しているようです。

     

     そして、もう一点は、普通ならば一定年齢を超えると自然言語を自然に獲得

     できる能力は各段に落ちるはずなのに、クリストファの場合は、二十代に

     なっているのに幼児と同じように自然言語をどんどん吸収できたということ

     です。

 

では、次回は「第4章 普遍文法と言語獲得装置」に入ります。

 

 

===== 次回その2 に続きます =====

 酒井邦嘉著「言語の脳科学」を読む ― 2(完) ― 「遺伝子―脳―言語」という認識が、言語の脳科学の前提、ブローカ野が文法処理に特化している、 7歳までが勝負 (sasetamotsubaguio.blogspot.com)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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