「意味とはなにか」「意味の意味」を読書テーマにして・・・やっと分ったことを狂歌に書いてみた

 

「意味とは何か?」というとんでもないテーマですから、結論が出るわけもなく。

しかし、いろんな本を読み漁っている内に、内堀までは行けなくても、外堀の一部

ぐらいまでは様子が分かったような気がしてきました。

なので、今の時点での私の理解を、狂歌といういい加減な形で残しておきます。




「ああ、そうか!」という言葉は、
例えば、誰かの話を聞いている時や、何かの本を読んでいる時に、
最初の内はなんのことだか意味が分からずに聞いたり、読んだりして
いるわけですが、ある時点で、相手の言いたい事、意味していることが
すっと理解できた時に出てくるコトバです。

その話者あるいは著者には、伝えたい意味があって、
それを言葉を通じて聞き手、読者に伝えようとするわけです。
理解できるまでは、その意味は分からないわけですがから無意味ですが、
ある時点でスポンと聞き手・読者側にもその意味が浮かんでくる
ということになりそうです。


話でも本でも、もやもやしたまま終わる場合があります。
その場合は、その話や本は私にとっては無意味だったということに
なりますが、その時点でなくても、翌日なり一週間後に、一瞬にして
理解ができることもあります。




私は出来るだけ実証的な科学的な理解をしたいと思って
本を読んでいますので、意味というのは脳の中に生まれてくるもので
あるはずだと思っています。
それがどのようなプロセスで起こるのかについて、今後の脳科学などの
研究に期待したいと思います。



・・・と言いながら、脳科学やら物理学的な本というのは
私には理解不能な場合がほとんどですので、それを素人である私にでも
理解できるレベルで、つまり喩えで分かり易く説いてくれる本が
あれば、その方が有難いということです。



私は、詰め将棋やら囲碁の詰めがとても苦手なんです。
理詰めで最後まで行くことがダメなんです。
なので、このような狂歌で漠然と、今の時点での理解を
書くしかありません。




話者や著者の脳内では、ある意味を表わすシナプスのネットワークが
出来ていると思うんです。
そして、聞き手や読者である私の脳内にはそれが無いわけです。
そして、話を聞き、本を読んで、咀嚼している内に、
もやもやとしていたものが脳内で繋がっていって
意味のネットワークという形で私の脳内にもそれが姿を現すという
ことなんじゃないかと思います。



「意味とはなにか?」というテーマについては、
古代から、哲学者や科学者がさまざまに議論をしてきたにも
関わらず、まだまだ結論は出ていないようです。
そうなんだったら、とりあえず、言ったもん勝ちってことで・・・・






  

           






























 




             





































































・・・と言うことで、いろんな本を読んできた結果、
今日の時点では
狂歌に書いたようなことが
読書の感想ということになりました。

・・・・

上記の個別の本の読書感想文は
下のサイトのリンクからお入りください。



今後は、読書のテーマを、意識とか志向性とか自由意志の方に
向けていきたいと思っています。











































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