半村良著「妖星伝」を読む ―5― 天道の巻 ― 醜悪な地球人を宇宙に拡散させてはならない。時間は物の変化の量である。

半村良著「妖星伝」を読む ―5― 天道の巻 ― 醜悪な地球人を宇宙に拡散させてはならない。時間は物の変化の量である。

 

 

半村良著「完本妖星伝3―天道の巻・人道の巻・魔道の巻」を読んでいます。

 


 

「天道の巻」

 

p34

 

時間とは、実は物の変化の量でしかないのです。 物みなすべて変化します。

したがって物であるところ時が流れます。そしてそれは、物のないところには時の

流れもないことになるわけです。

 

無限に膨張する宇宙の過去にさかのぼれば、膨張するという事実があるために、

過去が有限になっているのです。 つまり時間がなくなる場所があるのです

時間とは物の変化の量ともうしました。

 

==>> いきなり宇宙物理学のような話が出てきました。

     江戸時代・吉宗の頃の、日円と静海という二人の僧侶の会話です。

     しかし、私がいままでいろんな宇宙論的な本とか、時間というものに

     関する哲学書のような本を読んできた中で、この小説の中の表現が

     一番分かり易くてすっきりする感じがします。

 

p37

 

この捺落迦(ならか)の時は早いに違いない。 この星は妖星であると聞いた。

そしてたしかに儂もそのように思う。 命で溢れ返り、互いに激しく啖らい合っておる

まるで命がけのいくさのなかにいるようではないか。 変化につぐ変化で、おのずから

時の流れは早い。

 

==>> ここにある「早い」というのは「速い」の方がいいのではないかと

     私は思います。 そして、この星というのは地球のことであり、地球は

     妖星であるという話になっています。 そして、それは捺落迦でもある。

     宇宙の星々の中で、地球という星は、妖しい星だということです。

 

p061

 

日円は打ちひしがれたように目を下に落として肩の力を抜いた。

無漏離垢とは煩悩からのけがれない離脱をいう。

「すべてが夢幻空華であるというのだな」

捺落迦には真の平和などあり得ませぬ。 そのような星に作られているのです。

しかし捺落迦の人間は、いつもそのような理想をかかげて生きています」

 

「・・・・人は理想をめざして進むのが正しい。 そして子、孫、あるいはその先ざきに、

理想の世界が築かれると、はかなくも思い定めてみずから夢魔のとりことなるのです」

 

==>> 難しい言葉を辞書で調べてみると、下のような説明があります。

     「【無▽漏】 の解説

《「漏」は煩悩(ぼんのう)の意》仏語。煩悩のないこと。また、その境地。」

「【離×垢】 の解説

仏語。けがれを離れること。煩悩(ぼんのう)を離脱すること。」

「【空華/空▽花】 の解説

仏語。煩悩(ぼんのう)にとらわれた人が、本来実在しないものをあるかのよう

に思ってそれにとらわれること。病みかすんだ目で虚空を見ると花があるよう

に見えることにたとえたもの。」

 

・・・つまりは、奈落のような地球という星に住んでいる生き物は、

煩悩にとらわれるのが本来の姿であって、そこから逃れるためには、

実在しない夢の世界に理想を求めるしかないということでしょうか。

そして、それが、ドーキンスさんの「神は妄想である」にあるような

宗教という世界でしょうか。

 

 

p109

 

髑髏の声が告げるのは、この星の現在位置、自転速度、公転周期、時間因子、時間量、

時間流偏差、時間方位、所属する系の世界線進行方位、生命量、進化度等であるが、

時折りそれとは異質な情報がまじるようになった。

時間の経過と因果の決定性について語り出すのだ。

 

==>> ここでいう「髑髏(どくろ)の声」とは、宇宙人である補陀洛人が大昔に地球に

     逃亡し? そこで地球に起こっている異常な事態を宇宙全体に知らせるために

     地中にある洞窟の中に作った「カタリ」と呼ばれる、地球観測システムであり

     情報発信システムでもあるようです。(多分)

     いわば、そのAIシステムみたいなものが、上記のような項目を観測して、

     発信しているという設定ですね。

 

p111

 

もし時間が意志を持ったなら、時間はすべてが始まる方向へ働きはすまい。

終わる方向にのみその意志は向けられるのだ。

それは巨大な時の奔流となって、すべてを終末へ押し流して行くのだ。時間が単なる

物質の変化の量であった時代が終わりを告げ、時間それ自体として存在しなおかつ

意志すら持ったならば、すべての因果律は無に等しい

 

==>> これがどういう意味なのか、私にはさっぱり見当がつきませんが、

     著者・半村良さんの独創なのか、あるいはこのような考えの基に、

     何らかの宇宙物理学的な理論があるのか・・・分かりません。

     ただ、「物質の変化=時間」が終わって、時間が意志を持ったとした

     ならば、「因果律は無に等しい」というのは、おそらくそうなるだろう

     とは思います。因果律に従って物質が変化しているということから

     言うならば、そうなるのでしょう。

 

p124

 

半割を飼っている小さな泥池のあたりには、山椒の匂いが濃くたちこめていた。

半割すなわち大山椒魚。 魚と呼ばれながらこの星最大の両生類なのである。

半割とはその口が耳まで裂け、あたかも体が上下一対に裂け分れているからだといい、

またその半分に引き裂いてもまだ生き延びる生命を有しているためだともいわれている。

 

==>> この場面は、日天と信三郎が山の中を歩き回り、ナガルの小太郎とムウルの

     星之介の遺体を埋める場所を探しているところです。

     小太郎と星之介というのは、宇宙人が人間の身体を借りていた時の名前で

     何等かの大きな変化によって、その身体が脱け殻(つまり死体)になっていた

のでした。

     そこに何故か山椒魚の話が出てくるのですが、その理由は、遠隔三法という

     鬼道衆が得意とするコミュニケーションのための秘術を、この山椒魚が

     察知する能力を持っているため、その秘術を封じる目的で飼われているという

     設定です。

 

     辞書にはこうあります:

     「はん‐ざき【半割/半裂】 の解説

《二つに裂いても生きている意から》オオサンショウウオの別名。」

 

 

p150

 

彼はかつて補陀洛が送りだした調査隊の空間分析家なのだ

「その調査隊とは、我々の文明がまだ肉体からの解脱を果たしていなかった頃のものでは

ないか」

「よく生きのびていたものだ」

「彼はこの星へ漂着し、自力で肉体からの解脱を果たしている」

「いや、それは正しくない。 たしかに彼は解脱したが、それは捺落迦というあの

天体上に限ってのことだ。 補陀洛の文明は自在に宇宙を霊としてとびまわることが

できるではないか」

「独力でやりとげたのだぞ」

「今はそのような評価にこだわっている場合ではない」

「そうだ。 問題は彼がもたらした情報だ」

「彼は捺落迦自体をひとつの信号と化した。・・・・・・」

 

==>> これは地球の空に浮かぶ宇宙船の中での、補陀洛人たちの会話という

     ことになっています。

     やっと、大昔に地球にやってきた宇宙人の正体が明らかになったわけです。

     逃亡者ではなかったんですね。

     ストーリー的には、敵か味方かというような流れでここまで進んできたので、

     てっきりいわゆる亡命者あるいは逃亡者のような補陀洛人なのかと

     思っていました。

     (その意味では、いわゆる「ネタバレ」の部分でしょうか。)

 

     ところで、肉体を持っていた宇宙人が、肉体から解脱して霊的な存在に     なったというのは、以前読んだ「臨死体験」とか「幽体離脱」などを

     思い出します。

     そして、一番物理学的な内容としては、「神の物理学」や

     「神と人をつなぐ宇宙の大法則」という本です。

     

     理論物理学vs仏教哲学 「神と人をつなぐ宇宙の大法則」

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/06/blog-post_10.html

     「p58

・・・死んで魂だけの存在になれば、距離も時間も関係なくどこにでも行ける

わけですね。

そうです、魂は完全ですから。 完全調和の一部ですからね。

魂の状態になって見てきたとき、認識力はまったく同じですか。

同じにあったそうです。 ただ、個性はだんだんなくなるといっていました。

 

・・・それで彼(木内さん)は「ヤバイ、このままだと完全調和と合体して

しまう」と思って、東京の病院にある自分の身体のほうを意識して、やっと戻れ

たそうです。

・・・死ぬと個性はだんだん消えるんです。」

 

こういうぶっ飛んだ物理学的な本を読んでいると、もしかしたら遠い未来には

この小説にあるような「解脱」が出来るようになるのかも、と思いたく

なってしまいます。

 

 

p152

 

「いずれにせよ、彼は捺落迦を生命で溢れる妖星に仕立ててしまった。多すぎる生命

は必然的に闘争を繰り返し、生き残るための進化を早める」

それが信号なのだ。 このままその進化が進めば、あの醜怪な姿の人間どもが、

やがて原始的な方法でこの星の外へ出てくることになる」

「やめてくれ。 そんな恐ろしい情景は想像したくもない。 捺落迦人がやがて他の天体に

住むようになるというのか。 彼がやったように、そこでまた生命を作り出しはじめると

いうのか」

「少なくとも彼はそう設定している。 捺落迦人が自星の外へひろがっていく時点で、

我々と必ず接触すると考えているのだ」

 

==>> ああ、なんという真実でしょうか。

     捺落迦とは地球のことですからね、念のため。

     「妖星伝 5 天道の巻 単行本」が出版されたのは1979年になっています。

     今から40年以上前の出版です。

     その時点で、このような発想ができる半村良とは、一体全体、何者でしょうか。

     今であれば、他の天体に人間を送り込むなどという話も現実的なことに

     なっていますが、この小説でいうところの「恐ろしい情景」が今や始まって

     いるわけです。

     出来ることなら、この補陀洛人たちが期待しているように、「解脱」した上で、

     宇宙に出ていってほしいもんです。

     奈落を宇宙に拡げて欲しくありません。

     そうでなくても、未だに地上で醜い争いをしている捺落迦人ですからねえ。

     というよりも、すでに、宇宙空間でも「恐ろしい情景」が始まっているようです。

 

 

p349

 

新しい神は争いをやめよと説く。 この星が妖星である以上、生命同士の啖い合いは

唯一の掟であり、争いをやめよということは、生をやめよということにほかならない

ではないか。

人に五穀の豊穣を祈られる神こそまやかしの神であろう。 五穀もすなわち生命である。

人と争わず鳥獣を殺さず、虫を踏まず草木を啖わぬ生命が一瞬たりともこの妖星で

生きられようか。

 

p350

 

太古の神はそのようなまやかしを説かなかったに違いない。 人におのれの獣性を

のぞかせ、妖星の中での生死の掟を教えたに違いなかろう

ただ、新しい神の圧迫によって、鬼道はその影をみずから濃くさせたのだ。

地獄祭は歌舞を捨て、音曲を止めた。

なぜなら、それらは人間のものであり、けもののものではないからである。

 

==>> 新しい神、太古の神というのが何のことを言っているのか、私には読み取れ

ません。

     私の頭に浮かぶのは「エロチックで残酷な古事記の神々」というイメージです。

     例えば、こちらのサイトから少し拾ってみますと:

 

     「古事記の神々とエピソード」

     https://nukenin.site/japanese-myth/

     「黄泉の鬼女・黄泉醜女(よもつしこめ)を引き連れ、猛然と追いかけてくる

イザナミ。それをなんとか振りきるイザナギ。」

「イザナギはスサノオを勘当、追い出されたスサノオは姉の太陽神アマテラス

を訪ねます。渋々アマテラスは高天ヶ原での滞在を許しますが、荒ぶるスサノオ

は傍若無人に振る舞い、死人が出る事態に。」

「彼らはオオクニヌシをだまして、真っ赤に燃える岩石を山の上からころがし、

実の弟を殺害。しかし母が神様に祈り、なんとか復活。」

「母強し!炎の中から、三人の子供を出産したサクヤヒメでしたが、この一件が

原因で亡くなりました。不貞を疑われたサクヤヒメは、その身を挺して潔白を

証明したのです。」

 

・・・まあ、いろいろあるんですが、これらの神話の話と、この小説の発想が

関係あるのかないのか、どういう構想なのかは、さっぱり分かりません。

少なくとも、喰らい合うという意味の掟のようなものは感じますが・・・

もしかしたら、太古の神=神道の神で、新しい神=仏教の神のことでしょうか。

だから、鬼道とよばれるものが生まれたと・・・・

 

 

p408

 

「皇帝は急ぎました。 人がおのれの知恵を育てて自在に天翔けるようになるまでは

待てなかったのです。」

「それで・・・」

「因果の種をさまざまに組み合わせ、人の知恵でなく因果の組み合わせで、この星から

究極の天翔ける者を生み出そうとなされたのです。 外道皇帝とはその真意を測れぬ者

が奉った名、まことは大日・・・・」

 

p409

 

「結果を急いだため、邪魔外道にも見えたというわけか」

「この星ひとつがいかに妖星となり果てようと、大日は外に向かって告げなければ

ならぬことを持っておられたのです」

「大日はこの星のために在った者ではないのか」

・・・

「互いに命を喰らい合い、ひしめき合っていきている星の者は、それ故にただひとつの

天翔けるものをはやばやと生み出して、あとは醜怪邪悪な様相を呈したまま、大いなる

者によって消滅させられてしまうわけか」

・・・

「因果の組み合わせが大日の定めた通りに運んで、いまその天翔ける者が生じようと

しているのか」

 

==>> 「外道皇帝」というのは、大昔に地球にやってきた補陀洛人を指すものと

     思います。 それが、本当は「大日」だと言っているわけです。

     大日というのは、おそらく大日如来のことだと思います。

     著者がなぜ、ここで大日如来を出してきたのか、それははっきりとは

     分かりませんが、真言密教の曼荼羅が宇宙空間をイメージさせるもので

     あることが、ひとつの理由なのかなと想像します。

     そして、「天翔ける者」というのが、またまたよく分かりません。

     多分、この後の巻に出てくる宇宙船に乗って、宇宙を巡る人たちの

     ことなのかなと推測します。

     そして、「消滅させられてしまう」というのが気になるのですが、

     もしかしたら、「天翔ける者」というのは「ノアの箱舟」みたいなもので、

     「消滅させられる」のは地上に残った「醜怪邪悪な者たち」という構図

     なのでしょうか・・・・分かりませんが・・・・

 

p411

 

我々はすでに肉を離れて存在するまでに進化した。 肉を持たない我々にまだ何かの

危険が残されているのだろうか」

「それを彼はどこかで見たのだ。 それを知って教えようと急いでいるのだ」

この星はたしかにひとつの信号にもなっているようだ。 危険を知らせているのだ

「それは何だ。 ここにあるものは生命の渦だ。 醜悪で悲惨な世界ではないか」

・・・・

 

「弱肉強食は進化を促進する。 しかしけっして昇華はしない。 この星ではすべてが

終焉に向かって疾走しているのだ」

「何のためにそのような星にしてしまったのだ」

 

p413

 

「何のためにみんな生きているんだろう」

 

・・・この星で、その真の答えを得た者はいまだかつて、ただの一人もいないのである。

 

 

==>> さて、上の宇宙人同士の議論に回答は書いてありません。

     私には、著者が何を示唆しているのかも、さっぱり分かりません。

     肉体から解脱するという進化を経た補陀洛人たちに、外道皇帝と呼ばれた

     昔の補陀洛人は、どんな警告を発信しているのでしょうか。

     物質の変化が時間だという中で、霊的な存在である宇宙人には、未来がないと

いうことを言いたいのでしょうか。

 

これで、7巻の内の第5巻を読み終わりました。

 

次回は、第6巻である「人道の巻」を読んでいきます。

 

 

===== 次回その6 に続きます ====

 半村良著「妖星伝」を読む ―6― 人道の巻 ― 時間が空間に対して支配力を持ち、終末が近づく (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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