アーサー・C・クラーク著「2001年宇宙の旅」を読む ― その1 ― 300万年をへだてたすれ違い、地球外生命体と人類

アーサー・C・クラーク著「2001年宇宙の旅」を読む ― その1 ― 300万年をへだてたすれ違い、地球外生命体と人類

 

 

映画「2001年宇宙の旅」の小説版を読んでいます。

 

 

映画「2001年宇宙の旅」が日本で公開されたのは1968年だそうです。

その時、私は18歳で、映画館で観た記憶があります。

 

その映画を観た時は

「なんじゃこれは???」という衝撃でした。

そして、72歳になろうという今までに観たすべての映画の中で、この映画が今でも

断然1位に君臨しています。

 

映画は、SF映画ということになっていますが、私の中では訳の分からない芸術です

「訳が分からない」けれど、なんだか物凄いことが描かれているアートだ、と感じて

そのまま今に到っています。

その後も、テレビやビデオで何度も観ましたが、その「訳の分からなさ」はずっと

つきまとっていました。

 

そして、その小説があるというのに気づいたのは、つい最近のことでした。

もやもやした衝撃をなんとか謎解きしたくて、小説「2001年宇宙の旅」を読んだのです。

 

そして、その感想をここで簡単に書いてしまうとするならば、

― なるほど、そういうことだったのか、と映画のストーリーが腑に落ちました。

― 映画は芸術でしたが、小説はSF小説になっていました。

― 小説からは、先に読んだ半村良の小説「妖星伝」のテーマと内容が、かなりだぶって

  私の胸に迫ってきました。

 

では、その小説から、なるほどそうだったのか、と思った箇所を抜き書きしながら、

私が連想したことなどを書いていきます。

(映画をまだ観たことがない方にとっては、ネタバレになりますので、ご用心ください)

 

 


 

p005

 

「語り草になるようないいSF映画」をつくりたいのだが、なにかアイデアはないかと

問合せてきたのは1964年の春のことだ。

 

p010

 

この長編小説は・・・しかし映画をつくろおうというのに、なぜ長編を書くのか?

 

p011

 

映画脚本では、全ディテールをしつこいほど細かく指定しなければならないので、

読むのも書くのも大変な作業となる。

 

・・・スタンリーは、・・・脚本という骨折り仕事にかかるまえに、長編小説を

まるごと書いて、想像力の翼を思いきりはばたかせようと提案した。脚本はそこから

ひねりだせばいい・・・

 

・・・最後には小説と脚本は同時進行となり、・・・・

 

 

p014

 

映画のほうが小説よりも先に出るようなことはない、と。 だが事実はーー数カ月の

ずれでーー恐れていたとおりになり、映画は1968年の春封切られた

 

・・・小説の出版(1968年7月)・・・

 

==>> ということで、この「序文」に書かれているように、本来なら小説の方が

     早く出るはずだったものが、映画の方が先に公開されたようです。

 

     ところで、私は上に、半村良さんの「妖星伝」と内容が似ていると書きました。

     そこで、その制作がいつだったかを振り返ってみますと、下にあるように

     「1975年からシリーズが始まり、完結したのはなんと20年後の1995年という

超大作です。」ということでしたので、「2001年・・・」が半村良さんに

影響を与えたのではないかと思ってしまいました。

https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/04/blog-post_11.html

(まったく関係なかったら、私の単なる憶測ということになりますが・・・)

 

================

 

p035

 

数は30ぴきほどで、こちらの群れと区別はつけかねる。<月を見るもの>たち

水辺に近づくと、彼らは向こう岸で跳ね、両腕をふり、叫びはじめた。 彼の側も

おなじようにして応じた。

 

だが、それがすべてだった。 喧嘩や組み打ちはヒトザルもよくするが、争いがひどい

怪我にいたることはめったになかった。 

 

==>> この<月を見るもの>とは、ヒトザル、つまりは類人猿のことでしょう。

     その時代には、類人猿同士で殺し合いをするようなことはなかったことが

     描かれています。

 

p037

 

地上に足跡を印したあまたの生物のなかで、月を見る習慣を持ったのはヒトザルが最初

だった。 覚えてはいないが、小さなころ<月を見るもの>は、山々の背にのぼる

青白い顔を見て手を上げ、それにさわろうとしたものである。

 

==>> 月を見て、それにさわろうとして、それに触れなかった類人猿。

     しかし、そこには他の動物とは違う何らかの芽生えがあったということの

     ようです。

 

p039

 

日がのぼるころ、群れをひきつれて川へ向かう途中、<月をみるもの>はいままで見た

こともない岩と対面した。 ・・・外形は角ばった縦長の厚板というところ。

高さは彼の背丈の三倍もあるが、幅は伸ばした両手の先におさまるほとで、なにか完全に

透きとおった物質でできていた。

 

p040

 

二、三度なめたり歯を立てたりして、たちまち失望した。 食べられる代物ではなかった

のだ。 ・・・・透きとおった直立石(モノリス)のことはきれいに忘れてしまった。

 

p041

 

単純な、狂おしいほど反復の多い振動で、それは透明な岩あら脈打ち広がると、圏内にいた

者をひとり残らずとりこにした。 アフリカの大地に、最初にして ―― 以後300万年

を通じて、最後の ―― ドラムの音がひびいたのである。

 

 

p042

 

血が呼応するのか、彼らの子孫が長い時をへて作りだすリズムにのって、ときには

軽くダンスのステップさえ踏む。 すっかり魅了されて、彼らはモノリスをかこみ、

昼間の労苦も、すきっ腹も、せまりくる夜の危険も忘れた

 

 

p043

 

見えない力が彼らの心を探り、肉体を精査し、反応を調べ、可能性を測っているとは

考えもしなかった。 

 

・・・別の一ぴきに生気がもどり、同じ動作をはじめた。 こちらはもっと若くて

順応性のある被験体だったので、年上のヒトザルの失敗をくりかえさなかった。

この地球という惑星の上で、稚拙ながらも最初の結び目がつくられたのである。

 

==>> ここで、あの「モノリス」が描かれています。

     映画では、なんとも正体不明の直立石であって、わけが分からない物として

     描かれていますが、この小説では、原始的類人猿を調査するような観測機器

     のような物として描かれています。

     そして、そのモノリスが、類人猿を教育するということまで書かれているの

     です。 ちなみに、映画では、ドラムの音やらダンスをするとか、教育を

     するというようなシーンは出てきませんでした。

 

 

p046

 

岩は有望な被験体だけに狙いをしぼったようだった。 <月を見るもの>は選ばれた

一ぴきで、ふたたび彼は、せんさく好きな触手が頭脳の埋もれたわき道を探るのを感じた。

やがて幻覚がはじまった。

 

それはモノリスの内部に見えたのかもしれないし、心のなかだけに生じたのかもしれない。

 

p048

 

いまの暮らしへの満たされぬ思いから来るものだった。 ・・・しかし不満は心に忍び

いり、彼は人間性に向かって小さな一歩を踏み出していた

四ひきの太ったヒトザルの情景は、夜ごとくりかえされた。・・・永遠の飢餓をいやがうえ

にも高めた。・・・遺伝子が、将来の世代にそれを伝えるであろうからだ。

 

==>> ここでは、「選ばれた」類人猿が、モノリスによって映像を見せられ、

     四匹の太った類人猿が快適な生活をしている様子があたまに刻み込まれ、

     それによって、「人間的欲望」が植え付けられる過程が描かれています。

     「選ばれた」類人猿が、モノリスによって教育され、他の類人猿に

     をれを教えていくという構図は、なにやら宗教の創世記にでてくる

     物語を想い起させます。神と予言者の関係のような

 

p050

 

見つかったのは重いとがった石で、長さは15センチほど。 ・・・ふりあげた腕が急に

重くなったのにとまどいながら、力と権威の味をこころよく噛み締めた。

 

p051

 

<月をみるもの>の石のハンマーがふりおろされ、そいつのおぼろな意識を抹殺

した。 残った群れはこわがりもせず草を食みつづけている。 それほど殺しは、

すばやく音もなくおこなわれた。

 

==>> 映画では確か、類人猿が仲間を殺すシーンだったような気がします。

     いずれにせよ、ここで人類が武器を手にして、食糧を獲得し、そして

     人類同士での戦いを覚えていく過程が描かれています。

 

p062

 

透きとおった岩がアフリカにおりて十万年ののちも、ヒトザルは何も発明していなかった。

しかし彼ら変わりはじめており、ほかの動物にはない技術を持つようになっていた。

 

・・・もはや競争相手の肉食獣に対しても無力ではない。 

 

p063

 

氷河が去ったとき、惑星上にいた前時代の生物は ―― ヒトザルも含めて ――

ほとんど消え去っていた。 しかしヒトザルがそうした大半の生物と違っていたのは、

子孫を残したことだった。

彼らは絶滅したのではない ―― 変貌をとげたのだ。 道具を作った者が、道具自体

によって作り直されたのである。

 

==>> 人類が他の動物と異なることになったのには「道具」を使うように

     なったことが大きい。 そして、その道具によって、人類も変わって

     いったことが書かれています。

     もっとも、最近の動物に関する研究結果をテレビなどでみていると、

     道具を使うのは、人類だけではなさそうですが・・・・

 

 

p064

 

彼らはもうひとつ、見ることもふれることもできないけれど、何にもまして重要な

道具を発明していた。 ことばを使うことをおぼえたのである。

それは時間に対する最初の大きな勝利であった。

 

・・・現在だけしか知覚しない動物とは異なり、ヒトは過去を手に入れた

そして未来へと手探りをはじめた。

 

p065

 

肉体が無防備になるにつれ、ヒトの攻撃手段はますます恐ろしいものになった

石と青銅と鉄とはがねのおかげで、・・・・ 槍、矢、銃から、ついには誘導ミサイルの

登場によって到達距離は無限にのび、ヒトは無限の武力をにぎった。

  

==>> 言葉・・・人類が発明したとは思いませんが、言葉をつかえるようになった。

     ただ、最近読んだ本で、「生成文法」などの関連本を読むと、言語というのは

     ヒトの身体に元から備わった器官のひとつであって、人体から離れた道具と

     いう見方は、どうも古い考えかたなのかもしれません。

     つまり、生まれた時から備わっている身体の能力ということですね。

 

     しかし、いずれにせよ、人類は言語と武器を持った

     どちらも使いようによっては、酷い道具になったと言うべきでしょうか。

 

 

p099

 

人類が二千年来夢見てきた信じがたい旅は、まったく何ごともなく、わずか一日と

すこしばかりで終わった。 型どおりの平凡な飛行ののち、フロイドは月に到着した

のである。

 

p100

 

基地に住む男性千百人と女性六百人は、みんな高度の訓練を受けた科学者や技術者で、

地球での入念な選抜を通り抜けてきた者ばかりだ。

 

p105

 

クラビウス基地へようこそ

アメリカ合衆国宇宙工兵隊 1994年

 

==>> フロイド博士が、緊急にそして極秘任務の為に、月のアメリカ軍基地に

     呼び出され、到着したところです。

     地球の人々には、極秘扱いであるため、さまざまな噂が流れ、月基地で

     感染症が発生したとか、他国との軍事的な脅威があるのではなどの

     ストーリーがいろいろ書いてあります。

     映画では、他国の脅威というような話は出て来ませんが、小説では

     なぜかロシアではなく中国の軍事的脅威みたいなストーリーがちらっと

     出てきます。 小説が書かれた時代には宇宙開発については、ロシアとの

     競争はあっても、中国との競争はなかったはずですが。

 

 

p112

 

しろうと目にも、月面のこの地域で磁場に何かが起こっているらしいのはわかる。

地図の下段には、大きな文字でこうあった。 ティコ磁気異常1号(TMA・1)

そして右上には、<極秘>のスタンプがおされている。

 

 

p113

 

宇宙服の男がポーズをとっているうしろには、細長い厚板状のまっ黒な物体があった。

高さ3メートル、幅1.5メートルぐらいで、いささか不吉なことに、フロイドは巨大な

墓石を連想した。

 

 

p114

 

フロイド博士、わたしも同僚も、これに科学者としての名声を賭けてもいい。

TMA・1は中国とは無関係です。 それどころか、人間とは何のかかわりもあり

ません。 ―― これが埋められた時代、人間はいなかったからです。

 

およその見積もりでは三百万年まえ。 いまごらんのものは、地球外生命体の存在を

立証する最初の証拠なのです。

 

==>> さて、映画でも出て来た印象的な場面です。

     月面基地で発見されたモノリスが極秘の正体なのでした。

     しかし、映画で観た時には、それが中国の秘密兵器みたいな扱いであったのか、

     はたまた宇宙人が置いていったものなのか、などの具体的な話はなかった

     ように思います。 そのあたりは全くの謎のような扱いであったため、

     単純なSF映画には見えなかったのだろうと思います。

     (この辺りの映画での扱い方がどうなっていたかは、もう一度映画を

      観てみないと正確なことは言えませんが・・・)

     <<DVDで確認してみたところ、中国の兵器というような話にはなって

       いません。 地球外生命体が400万年前に埋めていったのでは

       ないかというストーリーになっています>>

 

 

p118

 

とうとう人類の最古の疑問のひとつが解かれた。 宇宙が生みだした知的生命はヒトだけ

ではなく、それを示す証拠が、あらゆる疑いの余地なくここに存在する。

だがそれと同時に、茫漠とした時の広がりもあらためて痛感させられることになる。

何がこの方面にやってきたにしろ、それは三百万年の誤差で人類とすれちがってしまった

のだ。

 

==>> 最初に書いた、半村良著の「妖星伝」に通ずる内容があるというのは、

     遠い昔に地球に宇宙人がやってきていたという設定です。

     妖星伝の中では、それは補陀洛人の調査隊員が残した「カタリ」と呼ばれる

     地中の洞窟にある計測発信装置と似ていますが、この「2001年・・」では

     モノリスという直立石というかなり抽象的なモノになっています。

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/05/blog-post_6.html

     「p150

彼はかつて補陀洛が送りだした調査隊の空間分析家なのだ

「その調査隊とは、我々の文明がまだ肉体からの解脱を果たしていなかった頃

のものではないか」

 

 

p130

 

とつぜんヘルメットのスピーカーから、突き刺すような電子的絶叫がほとばしった。

それは猛烈な過入力でひずみを起こした時報信号を思わせた。 とっさに宇宙服の手で

耳をふさごうとし、我にかえると、レシーバーの音量調節にあわてて手をのばした。

まさぐっている最中、さらに四つの叫びが真空をつらぬき、やがて慈悲深い沈黙がおりた。

 

三百万年を闇のなかで過ごしてきたTMA・1が、月面の夜明けを迎えて発した悦びの声を。

 

 

p133

 

新雪に残された一直線の足跡のように、一目瞭然であった。 なにか得体のしれない

エネルギーのパターンが、高速モーターボートさながら放射線のしぶきを周囲にまきちら

しながら、月面を起点に星々へと向かったのである。

 

==>> さて、月面のモノリスの不可解な反応が描かれています。

     映画の中でこのような説明的な描写があったかどうかは、再度観てみないと

     わかりませんが、私の記憶にはありません。

     <<DVDで確認したところ、宇宙服のスピーカーに強烈な電子音が

       入ってくる場面だけがありました>>

 

 

さて、月面のモノリスの話はここまでです。

次回は、いよいよ宇宙船ディスカバリー号での木星計画に入っていきます。

ボーマンとHALの、あの息詰まる物語が展開します。

 

 

==== 次回その2 に続きます ====

 アーサー・C・クラーク著「2001年宇宙の旅」を読む ― その2 ― HAL9000を狂わせた密命とは何か (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

 

 

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