半村良著「妖星伝」を読む ―1―鬼道の巻 : ハードポルノ小説か、宇宙人来襲SF小説か・・・

半村良著「妖星伝」を読む ―1―鬼道の巻 : ハードポルノ小説か、宇宙人来襲SF小説か・・・

  

半村良著「完本妖星伝1―鬼道の巻・外道の巻」を読んでいます。

 

 

この3巻を読んでいきますが、これは元々は全7巻のものを全3巻にまとめた

構成になっていて、その分厚さは下の写真のとおりです。

 


一般の文庫本の厚さと比べると、2~3倍はある、超長編小説になっています。

この本は完結までに20年かかったそうですが、そのあたりのことは、こちらに

書いてありました。

https://honcierge.jp/articles/shelf_story/3317

1975年からシリーズが始まり、完結したのはなんと20年後の1995という超大作

です。途中休載を挟み、最終巻を書く際には半村が何度も書き直したほどスケールの大きい

作品になりました。

何がそんなにスケールを大きくさせているのかというと、この小説は哲学書のような側面

を持っているからです。」

 

私は元々、あまり小説は読まない方なんですが、上記にあるように「哲学書のような」

ものであったり、密教的なことを含むSF小説だとの知人からの紹介で興味を持ちました。

これを読んだ後の私の感想としては、いろいろなタイプの小説がテンコ盛りになっている

という感じなんですが、たとえば、ハード・ポルノ小説、江戸伝奇小説、神道密教小説、

宇宙物理学小説、生命誕生歴史小説、宇宙人来襲SF小説、などなど、いろんなラベルが

貼れそうな超大作でした。

ちなみに、3月23日に読み始めて、4月8日まで掛かりました。

 

では、まず第一巻を読んで、気になった部分を引用しながら、勝手な感想を書いて

いきましょう。 第一巻は757ページあります。

 

 

============

 

p020

 

たしかに見たと証言する者の現われたためしのない、恐るべき鬼道の信奉者たちの

崇拝の対象なのである。

人はそれを破戒仏と呼んでいる。

 

p025

 

いつの世からか、恐らく神の体系ができあがりはじめたころ、すでに鬼道も同じように

その体系と理論をかためはじめていたのである。

ということは、鬼道を信奉する集団が、神を信ずる人々と同じように存在したことで

ある。 いまその鬼道集団の一部が、この稲荷ノ馬場を根城に、幸福な土屋家に

襲いかかろうとしているらしい。

 

==>> まず、「破戒仏」という言葉は、インターネットで検索しても出てきません。

     破戒僧という言葉は良く知られた言葉ですから、その僧を仏にかえたぐらいの

     イメージを持てばいいのでしょうか。

     その「破戒」から出てくるものが、初っ端からのハード・ポルノの

     展開なのでしょう。

     全三巻を通して、なんどもハードポルノの場面が出てくるのですが、

     これは密教の理趣経的世界あるいは古代インドの宇宙観を思い出させます。

     定方晟著「インド宇宙誌 ― 宇宙の形状、宇宙の発生」 

― 「エロ本」のような密教の世界

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/12/blog-post_14.html

     

     鬼道については、こちらの辞書に以下のように書かれています。

     https://kotobank.jp/word/%E9%AC%BC%E9%81%93-474944

「①  仏語。六道の一つ。地獄の次に苦痛が多く、飢餓に苦しむ。餓鬼道。

② あやしげな術。妖術。魔術。〔魏志倭人伝〕」

     「中国において,鬼とは本来死者の霊魂,幽冥の世界における霊的存在を意味し,

天界,人界を貫く原理法則をそれぞれ〈天道〉〈人道〉というのに対して,

鬼神の世界を貫く原理法則を〈鬼道〉という。」

 

・・・この本をすべて読んだ後で振り返ると、この本での鬼道の意味は

もちろん妖術使いの面もあるのですが、上記の中国の「鬼神の世界を貫く

原理法則」としての鬼道に近いのではないかと思います。

 

 

p049

 

抽象化を拒否し、神の実在を信ずる者にとって、神の実体を呼び招くことは、

自己の正当性を確認する当然の行為なのであった。

神道側はそれを否定した。 異端が呼び招くことに成功したものは、実は神ではなく

鬼であったと主張したのだ。 神道側の主張は今日の科学に通じる、一種の実証主義

であろう。

とすれば、それと対立する異端の行手には、当然神秘主義の深淵が口をあけている。

事実、鬼道の歴史はそう進んだ。 神道側が与えた鬼道の悪称をみずから敢然と

名のり、仏典の流入後はことに密教と強く習合しながら、キリスト教社会における

黒魔術的色彩を濃くしていった。

 

==>> 日本の鬼というものがどのような歴史を持っているのか、ちょっと

     検索してみますと・・・・

     https://kotobank.jp/word/%E9%AC%BC-40829

     「本における鬼は『古事記』のなかの黄泉醜女 (よもつしこめ) という隠形の

鬼に始り,時代や思想の流れとともに変化していった。一般に鬼が人畜に与える

危害は,陰陽道,仏道修行,経典によって退けられると考えられている。一方,

これら観念上の鬼とは異質なオニが民俗上信じられている。これは山人 (やま

びと) ,大人 (おおひと) などと同じ性格のオニが山中に住むというもの。」

 

・・・このような辞書的な意味での日本の鬼のイメージから考えてみると、

小説の中での上記のような異端の神道という位置づけは、小説の中で

現われる宇宙人の所業に展開するための布石なのかなと感じます。

     ところで、この本のタイトル「妖星伝」の「妖星」なんですが、

     妖星=地球なんです。 それに気が付いたときには、おお~~っとなりました。

 

 

p108

 

日蓮宗不受不施派が、徳川体制下において切支丹同様の弾圧を蒙り、幕末に至るまで

多くの殉教者を出していることは、ここに詳述するまでもないが、日天の師日円も、

その時代にあって地下に潜んだ不受不施派の一人であった。

 

==>> この歴史は知らなかったので、ちょっとこちらで勉強しておきましょう。

https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8D%E5%8F%97%E4%B8%8D%E6%96%BD%E6%B4%BE-124540

     「不受不施派【ふじゅふせは】

日蓮宗の一派。派名は《法華経》を信じない人からは布施を受けず,法を施さ

ないとする教義に由来。1595年豊臣秀吉の千僧(せんそう)供養の際,日奥(にち

おう)1564-1630〕が不受不施を唱えて参加しなかったことに起源。以後,日蓮

宗は日重の摂受派と不受不施派に分かれて,正統性を争った。1665年その排他

性のゆえに幕府の禁圧を受け,キリシタン同様地下生活に入った1682年には

清濁論争が起こり,日指派と津寺(つでら)派に分裂,日指派はさらに奥方,里方

に分裂した。江戸時代を通じて数次の弾圧を受け,明治維新後1876年日正は

岡山県金川(かながわ)妙覚寺を本山に日指派を,1882年日心は津寺派を再興

した。」

 

     ・・・こういう日蓮宗の隠れキリシタン的な歴史は知りませんでした。

     小説というのはいわゆる雑学としてはかなり大切ですね。

     私は、雑学はからっきしダメで、学生時代は教科書しか読まないような

     知識の少ない男でした。 今も雑学はほぼダメですが・・・・

     たまにぶらぶらと寺院を歩き回っていて感じたのですが、日蓮宗のお寺の中に

     はかなり閉鎖的な雰囲気を持ったお寺があるのは、このような歴史的背景が

     あるのでしょうか。

 

p221

 

伊勢、熊野、高野・・・。 紀伊には神々の聖域が多い。 だが、伊勢の御師

伊勢講など、伊勢信仰を拡める今のやり方は、かつて熊野や高野が行なっていたやり方

によく似ている。 高野聖、熊野比丘尼がそれだ。 それに、考えてみれば、鬼道は

修験道と一脈通じている気配もある。 山伏とくれば、これはもう紀伊が本家のような

ものではないか。・・・・・・役小角がひらいたという熊野あたりの山伏道こそ、

鬼道のカタリが住むにふさわしい場所だと思わぬか」

 

==>> 熊野比丘尼は知りませんでした。 こちらでチェック。

https://kotobank.jp/word/%E7%86%8A%E9%87%8E%E6%AF%94%E4%B8%98%E5%B0%BC-484979

     「熊野三社に参詣して行をつとめ、熊野の牛王宝印(ごおうほういん)の札を売り

歩いた尼。もとは、地獄と極楽の絵解きをして、仏道にはいるようすすめ、小歌

や俚謡などをうたって米や金を乞い歩いたため、歌比丘尼と呼ばれた。のちには、

売春も行なうようになった。」

「鬼道のカタリ」というのはこの小説の中で鬼道の歴史を語るものとして

出てくる地下の秘密基地みたいなもののことなんです。

そして、それは、遠い昔に宇宙人が作ったというような話になっているわけ

なんです。

 

 

p232

「お恵さまと満天星(どうだん)はやがて結ばれて夫婦になりました。 鬼道と

神聖咒禁(じゅごん)経も一緒にされて、自分たちのうらみをはらすため、この世のしあわせを焼きほろぼす新しい鬼道になったのです。 そこへお恵さまと満天星の子供が生まれ

ました。 その子供こそ、外道皇帝だったのです。」

 

==>> ここに出てくるお恵さまというのは、百済の聖明王の子ということに

     なっています。

ここで外道皇帝という名が出てくるのですが、これがどうも宇宙人の

     仮の姿という設定のようです。

     ただし、あくまでも地上における仮の姿であって、本来は霊あるいは知性と

     言うべきものとして描かれています。

 

     ところで、神聖咒禁(じゅごん)経という言葉で検索してもなにも出て

     きません。 しかし、呪禁 (じゅごん)という言葉には以下のような

     解説がありました。

     「百済の呪禁師と薬師信仰」

     file:///C:/Users/yiu18/Downloads/AHSUSK_HS_46_425.pdf

     「百済には仏教医学に関する注目すべき記録がいくつか残っている。それが,

まさに呪禁師である。呪禁師の活動が仏教の内容のなかに登場し,ここに見られ

る医学的な内容が,疾病の治癒を追及する薬師信仰と結び付いているのである。

特に,仏教医学に見える呪術的機能は呪禁師と関係が深いからである。」

 

 

p235

 

「・・・とにかく家は賀茂の神職で、はじめ賀茂の小角と呼ばれていたらしい。

神道初期の鎮魂帰神の法に長じ、のち密教を会得して修験道をひらくとされている。

韓国広足(からくにのひろたし)という、のちに典薬頭(てんやくのかみ)となった

男の師として知られ、文武帝に一度伊豆に流されたりもしている。 

・・・・役小角には帝とは絶対にあいいれない何かがあったのだろう」

 

「その役行者がひらいた熊野だからな」

 

==>> この人物は実際にいた呪禁の名人だったようですね。

     韓国広足

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E5%BA%83%E8%B6%B3

     「韓国広足(からくに の ひろたり、生没年不詳)は、7世紀末から8世紀の

日本の呪術師である。姓(カバネ)は連。氏は物部韓国(もののべのからくに)

ともいう。役小角を師としたが、699年に小角を告発した。呪禁の名人として

朝廷に仕え、732年に典薬頭になった。外従五位下。」

役小角は修験道の祖として有名だが、確かな歴史事実はこの事件のみで、他の

事績は伝説に包まれている。」

 

 

p238

 

諸行無常は」

するとまた光之介が口をはさんだ。

時間とは物質の変化の相だ。 物質の密度の高い所では時間は速く、薄い所では遅い。

逆説すれば、時間の中にある限り、物質はすべて変化する。不変のものはこの宇宙に

存在しない」

 

p239

 

涅槃寂静

俊策はほとんど禅僧に似た叫びをあげていた。

「さきの二項のことを理解すること。 すなわち時間を理解することだ。 時間を解明

しない科学はただの道具だ。 時間を征服した時、光速の限界はなくなる。 過去、未来

へ自由に往復し、しかもみずからは変化しない。 そういうことだ。 残念ながら

我々もまだそこまでは行っていない

 

「石川ッ」

俊策が片膝立てて鋭くいった。

我々とは誰のことか

光之介は答えにつまった。

 

==>> さて、この時代背景は江戸なんですが、この光之介というのは何者でしょう。

     これが人間の姿を借りた宇宙人なんですね。

     そして、「我々」と口走ったわけです。 複数の宇宙人がいるわけです。

     それにしても、いきなり宗教と物理学の話ですからねえ。

     そんなにたやすく理解が追い付くわけではありません。

 

p247

 

婆羅門は生涯を四つに割って生きるという。 第一期は浄行、第二期は家居、

第三期は林居、第四期は棄世だ」

 

「何のことだ」

「浄行は十歳から二十四、五までで学を修め身をつつしんで暮らす。 次の三十年は

妻を持ち子を育て国に尽くす。 そして老いれば家を譲り林に入って静かに暮らすのだ」

 

「くだらん。 すると棄世は死んでしまうということだろうが」

「この世は棄てるが天上界へ行く」

 

==>> これは仏教の元になったバラモン教の生活パターンを書いているようです。

     もともとお釈迦さんはバラモン教徒だったようですから、おそらく

     部派仏教というか小乗仏教とされるタイの仏教では、現在でもこちらの

     サイトの解説のように、一生のうちの適当な時期に出家するのが割と普通に

     行われているのでしょう。

 

     https://namakerie.me/travel/tankisyukke-bouzu/

     「タイ仏教では、生涯に一度は出家することが望ましいので、雨季に3か月から

半年ぐらい出家する「短期出家」が一般的です。

都合のよいときに得度式(とくどしき / 僧侶になるための最初の儀式)を受け、

寺で仏の教えを学び、出家期間が終わると還俗(げんぞく/俗世間に戻る)し

ます。」

 

それにしても、「老いれば家を譲り林に入って静かに暮らす」というのは、

なんだか良さそうな感じがしませんか? 介護付きかな?

 

 

p264

 

「そうだ。 生命が生きていくための技術だ」

たぶん光之介は科学とか文明とかいう言葉を用いたかったに相違ない。

補陀洛の世界はここよりずっと古い。 その分だけ技術が進んでいる。 補陀洛人は

肉体が滅んだあとも生き残れる技術を持っている

 

==>> さて、ここで光之介が補陀洛という星からやってきた宇宙人であることが

     述べられています。

     そして、霊あるいは知性だけで生きられる存在であるという設定です。

     おそらく、著者は、将来の人類の生命科学やロボットなどの技術の発展を

     描きながら、それを文明が大きく進んだ生命体としての宇宙人を描いて

     いきます。

     この本は1995年に完成したことになっているんですが、

     今でこそ、生命科学や遺伝子操作や人型ロボットの技術について、その

     将来が議論されているわけですが、20~30年ほど前の段階で、このような

     小説が書けるというのには驚いてしまいます。

 

p331

 

赤目は・・・いや、いつの世にか地の底に封じこめられた鬼道衆の一部は、石川のいう

ように退化して赤目になったのだろうが、それでも生き続けるために岩を刻む仕事を

見出したのだ。 ・・・・」

 

「・・・岩を刻むという目的は、赤目にとってあまりにも当たり前すぎるから、

何のために生きるのかと問われても、急には答えることができないのだ。

・・・俺たちが、義のために生きるとか、百姓たちのために死ぬとかいう時の気持ちと、

少しもかわりはなかったのだろうな」

 

==>> 赤目というのは地下深くに住む小人族のことで、いわば蟻あるいはモグラの

     ような暮らしをしている身体的に退化した人類というような設定になって

     います。 宇宙人が地球にやってきてその血筋を鬼道衆という形で残し、

     その秘密を「カタル」ものとして地下に残されていたというような感じです。

 

p339

 

神仏とは補陀洛人のことか。 そんな以前から人間は補陀洛人のことを知っていたのか」

「ひょっとすると、今の我々よりはるかによく知っていたのかもしれん。」

 

==>> 補陀洛人というのは宇宙人のことですから、その宇宙人が地球における神仏

     のことだったのではないかという神仏=宇宙人説になっているようです。

 

 

p359

 

「俺は神の存在を信じる。 これは神の仕業だ。 不思議なことだが、俺にはこれを

作った者はどうしても神でなければいけないような気がするのだ。 けっして仏では

ない。 仏ならもっと丸味を帯びた有情の形を創る気がしてならない。直角、直線

・・・この非情なまでに鋭い構成は、仏ではない。・・・・」

 

==>> ここでは、赤目が住む地下の世界を描いているのですが、まるでピラミッドの

     ような雰囲気の地下の秘密基地の様子が描かれているところです。

     抽象的幾何学模様のような地下空間の設計が「神」を感じさせるものであり、

     「仏」ならばもっと丸味があるだろうという発想は、私にもなんとなく

     感じられるものです。

     一神教と多神教の違いからくる感覚なのでしょうか。

 

 

p361

 

なんと、その巨大な髑髏は、肉質の舌を有していて、さながら生ける巨人の首のように、

物をいっていたのである。

何を喋っているのだ

・・・

「この星の今日の位置、自転速度、公転周期、時間因子、時間量、時間流偏差、時間方位、

所属する系の世界線進行方位、生命量、進化度・・・・・」

 

==>> これが「カタリ」と呼ばれていたものの正体なんです。

     宇宙人が作った地球に関する物理的解析装置のようです。

 

 

p365

 

俊策の記憶からよみがえってきたものは、あの有名な日本霊異記という古典であった。

・・・問題は、その下巻に納められた一節ある。

・・・すなわち、法花経を憶持する者の舌、曝りたる髑髏(ひとかしら)の中に

著きて朽ちざる縁、という記述がある。

 

==>> 日本霊異記については、その入門書みたいな本をちらっとよみました。

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/09/blog-post_14.html

     このリンクのページは書いていませんが、確かに法華経を唱える髑髏の話が

     ありました。

     それにしても、このリンクのページにあるように、仏教説話はかなりエロい

     内容の話が多いようです。

     「p047

 学校で教わる古文はクソおもしろくないんですよね。 「源氏物語」も

「方丈記」もさわりしかやらないし、仏教説話は毒にも薬にもならない話ばっか

りだし。 だから、大人になって「日本霊異記」を読んだとき、ひっくり返って

驚きました。なんとエロい、そこらのポルノ小説より、ずっとエロくておもし

ろい。

・・・これを高校のときに知っていたら、どんなに楽しく古文の勉強がはかどっ

ただろうと思います。

 

p048

お経の中にもセックスにかかわる話がいろいろと出てくる。 お経というの

もまた、語り物の一つですから。 景戒さんには、セックス話はみんな生きる

死ぬるの根源的な話だと思えるわけです。 それで、ついメモをとって書きとめ

る。 そのうちに、セックス話の入った説話がたくさん集まった。 それを一冊

の書物にしたのが「日本霊異記」です。」

 

・・・ここに「セックス話はみんな生きる死ぬるの根源的な話だ」と書いて

ありますが、この本「妖星伝」についてはまさにこの路線をモロに走っている

感じになっています。

 

 

p382

 

「鴉たちよ、生きるがいい。 命を食い合い、死ぬまで争って生きるがいい。 

愛すといい、殺すというも、所詮生きることにかわりはないのだ。 なまじ知恵など

持たぬほうがしあわせだぞ」

 

==>> ここでは、宇宙人の地下の秘密基地に入って、「カタリ」の髑髏などを見て

     しまった三人の人間と一人の宇宙人の言葉が書かれています。

     しかし、そこでみた、人類の未来の凄惨な姿というものを詳しくは

     描かれていません。 

     そして、その一人に「愛よりほかに逃げ道はなさそうだ」と言わせているのです。

 

 

これで「鬼道の巻」を終わります。

次回は「外道の巻」を読みましょう。

 

 

=== 次回その2 に続きます ===

 半村良著「妖星伝」を読む ―2― 外道の巻 : あるがままに生きることが美しいと される世にあっては、鬼こそ有徳の者 (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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