半村良著「妖星伝」を読む ―7の2(完)― 魔道の巻 ― 平和とは殺すべき相手が存在しなくなること? 局地的な小規模核戦争?
半村良著「妖星伝」を読む ―7の2(完)― 魔道の巻 ― 平和とは殺すべき相手が存在しなくなること? 局地的な小規模核戦争?
半村良著「完本妖星伝3―天道の巻・人道の巻・魔道の巻」を読んでいます。
「魔道の巻」、これで7巻すべてを読み終わります。
p908
「悪魔はあの星を酸素という毒で満たし、その係累だけが住む世界に変えてしまったのだ」
「膜に包まれた真核細胞が生まれましたね。 そしてそれがヒトを生んだのですよ」
「そのころには、ナラカは酸素を大量に含んだ大気に包まれ、生命は水中でなくても、
降り注ぐ宇宙線から守られて、安全に暮らせるようになった」
「オゾン層のことですね」
p910
「オゾン層の破壊は、ナラカの生命を再び強い宇宙線にさらすことになった。
しかしそれでもなお、生命進化は続いていたのだ」
・・・
「光合成より遥かに効率のいいシステムだ」
「紫外線合成は、互いに他を啖い合う必要のない生命を作り出した。 人類は至上の
生命ではなかったのだ。 ・・・人類の次に、オゾン層の保護なくして生じた生命は、
それ以前にくらべたら、個体の一つ一つが神にも仏にも等しい、優雅で知性に溢れた
存在なのだ」
「大きく前進したのですよ、ナラカの生命は。 色即是空の純粋知性に向かって」
==>> おお、凄い話になってきました。
ここはあくまでも、日円と青円という、江戸時代の二人の僧の会話です。
「ナラカ」とは捺落迦、奈落のことのようで、地球のことなんですが、
これは宇宙人である補陀洛人が地球に付けた名称なんです。
宇宙人からみたら、お互いに喰らい合うことでしか生きられない生き物の
住む地獄のような天体だということですね。
酸素というのは、そもそもが生き物にとっては毒であったそうです。
そして、今の人間などは、オゾン層によって守られて生きている。
しかし、オゾン層による保護がなくても、紫外線合成というシステムで
生きていけるものがあるらしい。
では、その紫外線合成とはどんなものなのか。
「紫外線合成」という言葉では、インターネット検索ででてくるものはあり
ませんでした。 しかし、wikipediaには紫外線の説明のところに下のような
短い説明がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E5%A4%96%E7%B7%9A
「紫外線の有用な作用として、殺菌消毒・ビタミンDの合成・生体に対しての
血行や新陳代謝の促進、あるいは皮膚抵抗力の昂進(こうしん)などがある。」
唯一「ビタミンDの合成」というのが紫外線による合成という文脈に合致します。
・・と言うことは、この部分は半村良さんの創作なのでしょうか。
そして、さらに、半村良さんの想像力は、それが色即是空まで展開しています。
ついて行くのが大変です。
しかし、生命の発生という何億年も前の話と科学的説明を考えれば、
今後、人類が思ってもいない方向へと生物と言われるものが進化する可能性
はいくらでもあるわけですね。
そのひとつが、この紫外線合成で生きる色即是空な生き物なのかもしれません。
p914
日円も同じ不安にとらえられていたようだ。 肉体を離脱し、純粋知性として存在して
行くことのむずかしさ、危うさを、ようやく実感しはじめたのだろう。
安定して色即是空の世界に存在するには、知性がもっとずっと強固であらねばなら
ないらしい。 未熟な知性がその境地に短絡させられた場合、連続性が破綻して存在
そのものが消滅する危険性があった。
「人間は茫然自失の状態にあっても、肉体維持機構が連続して作動していれば、それに
依存して存在することができました」
==>> ここでは、生きたまま霊的あるいは知的存在にされてしまった二人の僧が、
宇宙船の中でとまどっていることを示しています。
肉体を離脱、解脱して霊的な存在になったのですが、その状態を維持する
ためには精神的、あるいは意識的な連続がなければならないらしい。
肉体がある場合ならば、意識が連続していなくても、肉体が勝手にその
存在を維持してくれるというわけです。
確かに、私自身を振り返っても、ほとんどの場合は、無意識の意識で
行動していると思います。 自由意志を使っていると思う場面はたまに
しかありません。
p915
貌(かお)である。 どうやら不動明王を思わせる・・・
・・・
「去れ」
・・・
「汝らの棲むところに非ず」
p916
不動明王という、二人にとってきわめて判り易い、安易な貌の形を示したあの純粋知性は、
霊などと呼ぶにはあまりにも高度すぎる存在なのである。
だが未成熟、発展途上のこの星へ戻れた二人はほっとしていた。たとえ霊化したとはいえ、
ここは二人の星であった。
==>> 二人の僧は、霊になって宇宙船であちこち飛び回っていたのですが、
不動明王のような顔をした存在によって、地球に戻されたようです。
まだまだ、霊あるいは知性だけの存在として生きるには未熟すぎると
判断されたようです。
p920
「ただいま」
「お帰りなさあい」
娘が元気よくいった。
「あの男、駅から自分の家まで、ほとんど意識なしに来てしまったな」
・・・
「狐に化かされたとあとで思った、あの鮎運びの百姓と同じだ。 何か考えてはいたが、
それは脳のメカニズムの漫然としたリフレインのようなもので、何かに集中し、知性を
前進させるような働きとは全然異質だ」
日円と青円は、人間の意識の連続性を見るために、適当な時代を覗いてまわっているのだ。
==>> 二人の僧は、時空を超えて、現代に来てしまったようです。
ここでは、肉体をもった生き物が、意識の連続性もなく、無意識に
日常を生きていることを述べています。
これは、過去に読んだ本でいうならば、こちらの解説でしょうか。
前野隆司著 「脳はなぜ「心」を作ったのか」 を読む
― 2 小びとが分散処理するニューラルネットワーク
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/09/blog-post_97.html
「p76
カリフォルニア大学サンフランシスコ校・・医学部・・神経生理学教室の
リベット教授・・・
p77
リベットの実験結果を信じるならば、人が「意識」下でなにか行動を「意図」
するとき、それはすべてのはじまりではない。 「私」が「意識」するよりも
少し前に、小びとたちは既に活動を開始しているのだ。 言い換えれば、「意図」
していると「意識」することを人に感じさせる脳の部分は、脳内の小びとたちの
活動結果を受けとって、自分が始めに「意識」したと錯覚していると考える
しかない。
・・・ついに、最後の砦、「意」も、「知」や「情」と同様、無意識にいる「運動
準備」や「意」の小びとたちの結果を、「意識」が受動的に見ている作用に過ぎ
ないらしいという事がわかった。」
・・・また、「阿頼耶識」という仏教における唯識の考え方も、
意識下で肉体を自動運転するということが読み取れるかと思います。
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/01/blog-post_27.html
「p120
深層心である阿頼耶識のはたらきの一つに、「阿頼耶識は身体を作りだし、その
身体を生理的・有機的に維持している」 という考えがあります。 そしてその
維持は相互因果関係にある、すなわち、深層心が良い状態にあれば、身体も良く
なり、逆に悪い状態にあれば、身体も悪くなる。また身体が良い状態であれば、
深層心も良くなり、逆に悪い状態にあれば深層心も悪くなる ―― と、相互に
因となり果となる関係にある、というのです。」
p929
「結果的に緩慢なスピードで、旧生命を死に追いやるのだ。 すると、死に追いやられよう
とする生命の中から、オゾンホールを失った環境に適応して生きのびようとする、新しい
生命が生じるのだ」
「それが紫外線合成」
「やがては宇宙線合成をする生命だ。 動物、植物の境界はその時点で解消する。・・・」
「人類とはまったく別個の、穏健な生命が生まれるのですね」
==>> ここで再度「紫外線合成」とか「宇宙線合成」という言葉が出てきました。
やはりこれらの言葉は半村良さんの創作のようです。
そして、紫外線合成は光合成よりもはるかに大きなエネルギーをもたらすので、
意識の連続性も各段によい生命が出てくると展開しています。
つまり、霊的・知的生命体により近づくということのようです。
p930
「神は・・・仏はどうなるのでしょうか」
「必要なくなるのだ。 それだけははっきりといえるな」
p931
「生命は知性を育て、その知性がやがて純粋知性として、色即是空の境に至るのだ。
それは努力でもなければ研鑽でもない。 自己複製の末にそこへ至るのだ」
==>> 半村良さんは「無神論者」であることを公言していますので、これはそういう
ことになるのでしょう。 そして、生命の進化がどのようなものであろうと、
DNAがその進化の種として存続するだろうと述べています。
DNAというものが暗号とかコードとか呼ばれるようなものであるのなら、
それが肉体的なものを構成する設計図であろうが、知的なものを作る
設計図であろうが、どちらにでも展開できるような気がします。
そして、知的なものになるということならば、「神の物理学」で書かれて
いるような「完全調和の宇宙」いう話に辿り着くのかもしれません。
p966
人より弱い獣などをあわれんで、それを保護しようとする輩は、おのれを優れた知性と
信じ、他の生命を尊重する慈悲心溢れた善人と思いたがる。鳥や獣や魚などを殺して食う
権利は人間にないと主張し、それらを食わずに生きようとして、草や穀物を食う。
それでは鯨や海豚を殺すのはいけないが、牛や豚なら大好物というのと違いはないだろう。
牛を囲いの中にとっじこめて、人間に都合のいいような交配をして、家畜として発達させた
のだからこの種は食用にして差し支えないと決定を下すのが、愚かなことでなくてなんと
する。
==>> 私の本音を言うならば、私は鯨を食べますので、この半村良さんの意見に
賛成です。 実際に、小学生の時の給食では、度々鯨肉を食べました。
食べましたというよりも食べさせられましたという方が正しいでしょう。
給食用のクジラ肉はめちゃくちゃ硬くて、歯が立たず、それでも
食べ残してはならぬという厳しい風潮があったので、涙ながらに
飲み込んだものです。
しかし、私の父親が酒の肴にしていた鯨肉や、大人になって居酒屋で
食べるようになったクジラ肉は、美味しいものでした。
つい先日も、何十年振りかで、食べることができました。
柔らかくて美味しい鯨肉でした。
ところで、「家畜として発達させたのだからこの種は食用にして差し支えない」
という考え方は、非常に大きな問題を孕んでいます。
それは、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」
を読み、同名のこの映画を観ればおのずと分るはずです。
https://www.youtube.com/watch?v=LE9ny5VDt1c&t=6s
p972
「物質文明に偏りすぎることが、人類の幸せにつながらぬどころか、知性の進化をさまたげ
ている」
・・・
「猿の臓器を人間に移植する技術を開発しましたぞ」
「自己否定につながりはせぬかと案じているのはそのことだ。 ひとつの生命を救うのに、
人道を超えることが許されると思い込んでいる者がいる。 誤りだ、それは」
==>> まさに、これですね。 カズオ・イシグロが暗示している人間の未来は。
さらに、「クララとお日さま」も別の角度から課題を指摘しています。
こちらにアニメでそのストーリーを紹介している動画がありました。
カズオ・イシグロ著「クララとお日さま」をアニメで読破!
https://www.youtube.com/watch?v=l0FOo2Xln14
私がこの本で一番心に残ったのは、AIロボットであるクララが、信仰のような
ものを持っていたことです。
そして、「サピエンス全史」を書いたハラリさんも「ホモ・デウス」で
人類に警告をしています。
【9分で解説】ホモデウス【衝撃の未来】神になる人類と家畜になる人類
https://www.youtube.com/watch?v=yyZ349p5hSI
私の個人的読後感を言うならば、この本は、「サピエンス全史」とともに、
高校の歴史の副読本として、全国の高校で採用すべき内容であると思い
ました。 それほど、今後の世界のあり方を左右する内容だということです。
p978
「思索と記憶はつながっている。 一つのものだ。 だが肉体を持っていれば、記憶は
脳の組織がほとんど司って、知性とは分離している。いや、脳の組織による記憶を
利用することで、知性が発動するともいえよう」
「あ、そうです。 記憶と想像は分離していました。 それを意識することはなかった
ですが」
「よほど印象に残ることだけが、知性による記憶だといってもよい」
p979
なぜ儂らが不可欠かといえば、それは宇宙になぜ知的生命が存在するかということに
つながってくる。 観察者が存在しない宇宙は、存在しないのと同じだ。
・・・そして意識は知性の本質であり、霊とは意識そのものなのだ。
色即是空、霊即意識
==>> いままでにいろいろと本を読むたびに、感想文に書いてきたことですが、
私の今の読書のテーマは、「意識とはなにか」「志向性とはなにか」そして
それから派生して「意味とはなにか」というものでした。
その観点からいうならば、この「妖星伝」という小説は、ここにきて、
まさしくこれだ・・・とも言えるような内容になってきました。
「よほど印象に残ることだけが、知性による記憶だといってもよい」と
言う言葉は、私の場合もまさしくその通りです。
そして、なぜか、いま過去70年ばかりを振り返ってみても、印象に
残っているのは、非常に恥ずかしいことばかりであることが多いのです。
穴があったら入りたいと思うような恥ずかしいことが記憶に残っていて、
思い出す度に赤面してしまいます。
知性による記憶というよりも、痴性による記憶と言ったほうがいいかも
しれません。
また、「肉体を持っていれば、記憶は脳の組織がほとんど司って」という部分に
関していうならば、私の場合は、記憶できる量がすこぶる少ないので、
肉体の脳の記憶を補うために、このように感想文を書いて、外付けメモリー
であるパソコンやWEBサイトに、考えたことを保存しているという状態に
なっています。
「観察者が存在しない宇宙は、存在しないのと同じだ。」というのは、正に
その通りだと思います。
私がいない宇宙は、存在しないという意味です。
そして、先に書いたとおり、雨や雪の日に、重い雨合羽の中に籠って、
世界を覗き込むようにしていた二十歳の頃の記憶は、大袈裟に言えば、
私の人生観を象徴するものかもしれません。
そこに苦痛のようなものはなく、遺伝子が、この世界を覗き込んでいるような
その覗き窓が私自身であったように思います。
この妖星伝を読んで、かなり妄想が激しくなっているようですが・・・・
p986
「それよりも、外道皇帝の進化介入が発見できました」
「地球の生命が脊椎動物のかたちに進んだとき、皇帝は性交の苦痛を快楽にすりかえて、
進化を加速させたのだ」
「快楽物質」
「エンドルフィン」
p987
日円が地球の滅びをいったとき、青円も日円も親しい者の接近を感じた。
・・・
「外道皇帝」
「目的を果たしたのですね」
「警告はすべての知性に受け取られた」
p988
「・・・しかし虚時間は意識を必要としない。 意識すら無化するからだ。
知性否定が虚時間の特質だともいえる。
いま虚時間が発生し、無化へ向かって変化を加速させている。終末は無化だ。
無化することで虚時間は物質を創造するのだ。 知性も消去されてしまう」
「霊までも無化」
==>> さあ、大変です。 これは宇宙物理学の最新理論の話になってきている
ようです。 理解が追い付かないところにやってきました。
しかし、この小説の壮大な話のポイントの部分なので、なんとか理解しなく
てはいけません。
どうも、生き物の進化は、霊的・知的存在へと向かっているのだけれど、
その知的な存在も消去されてしまうようなことが起こっているから、
それを全宇宙に警告して、受け取ってもらったという、外道皇帝の話で
あるようです。
p989
「虚時間はこの宇宙で発生した。 放置すれば多元宇宙構造にまで拡大する。 それを
阻止するには、この宇宙を消去することだ」
・・・
「お前たちの母星を妖星化したのはそのシグナルとしてだった。 生命過多の天体は、
終末に向けての加速を現わす。
・・・すなわち思念を送る方法を観察して、仏陀が同じ方法をとっていたということを
事実だったと理解した。
皇帝は二人に対して理解しやすい形をとりはじめていた。
それは白い道服を着た、白髪白鬢の老爺の姿である。 そして日円と青円は、鬼道衆
と同じ山野を駆け巡っていた頃の、黒染めの衣をつけた旅の僧に戻っている。
==>> おお、なんと「多元宇宙」という言葉が出てきました。
過去によんだ本の中にそのような最先端宇宙物理学の本がありました。
ブライアン・グリーン著「隠れていた宇宙」
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2020/10/post-8d8ca6.html
「p157
ひも理論が次の、そして最後の一歩になる可能性がある。この理論は相対性理論
と量子理論が主張する領域を、一つの枠組みで扱う。 ・・・・ひも理論はそう
するにあたって、先行する発見をすべて完全に包含するのだ。
==>> 既に読んだペンローズさんの本のなかで強調されていた統一理論に
なる可能性があるということですね。
p159
空間が九次元と時間が一次元、合わせて時空が10次元ある宇宙でなら、
ひも理論の方程式は問題なくなる。どうしてこうなるのか、専門的でない用語
だけで説明したいのだが、私にはできないし、できている人にお目にかかった
こともない。」
・・・ともあれ、多元宇宙というのは、宇宙が沢山あるということなのですが、
その中のひとつである我々の宇宙を消さないと、他の宇宙も消えてしまうと
いう危機が迫っているので、それを全宇宙に警告したというお話です。
そして、その大役が終わったので、外道皇帝と呼ばれる宇宙人が、
二人の坊様に気軽に声をかけてくれているという情景ですね。
二人の坊様も、地球に戻れて、元の姿に戻れて、ほっとしているという場面です。
p991
「しかしヒューマニズムは人類の幸福な幻想に過ぎまい。 地球最大最強の殺戮者は
人類なのだからな」
p993
「過剰生命の中で進化をとげた人類が、他の天体に到達して、そこをあるがままに
しておけるか。 侵略、征服、そして新たなる大繁殖。 そこを過剰生命にしてしまう
のはあきらかだ」
「儂が進化に介入した生物は、消去されねばならぬ」
==>> まっこと、半村良さんのおっしゃる通りです。
今、この時にも、世界のあちこちで人類が人類を殺しているわけですから。
消去されるべきは人類なのかもしれません。
p1007
地球規模の最終戦争などというのは、幼稚なおとぎ話にすぎなかった。
実際には局地的な小規模核戦争が、同時にあちこちで勃発し、その勝敗は簡単についた。
片方が絶滅に近いほど被害を受ければ、その相手との戦争の再発はなくなるのだ。
勝利とは相手を皆殺しにすることであり、平和とは殺すべき相手が存在しなくなることだ。
==>> ああ、なんということでしょうか。
今まさに、このような局地的な核戦争が懸念されているロシアによる
ウクライナ侵略が、毎日のニュースになっているこのタイミング。
このタイミングで、この「妖星伝」を読むことになろうとは。
人類は、本当に「平和とは殺すべき相手が存在しなくなることだ」というほどに
愚かな存在なのでしょうか。
それはひとえに プーチンという男にかかっているようです。
====== 完 =======
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