前野隆司著 「脳はなぜ「心」を作ったのか」 を読む ― 3 昆虫の気持ち、「クオリア」の正体、そして臨死体験

  

前野隆司著 「脳はなぜ「心」を作ったのか」 を読む ― 3  昆虫の気持ち、「クオリア」の正体、そして臨死体験

 

 


前野隆司著 「脳はなぜ「心」を作ったのか ― 「私」の謎を解く受動意識仮説」

を読んでいます。

 

 


 

p129

 

脳が生み出すクオリアのことはまだ何もわかっていないといわれている

 

・・・三つの疑問とは・・・

0. なぜ、人の心にはクオリアが生じたのか

1. クオリアはニューラルネットワークによってどのように表現されているのか

2. 「私」はどのようにしてクオリアを感じているのか

 

 

p130

 

クオリアとは、個人的な体験に対し、これらの実感を付加し強調するものだといえる。

確かに、私たちの思い出――エピソード記憶――を振り返ってみると、感情のクオリアや

決断のクオリア、感覚のクオリアが強調されて記憶されているときに、鮮明な思いでと

して心に刻まれている。

 

p131

 

クオリアとは、エピソード記憶のどこを強調するかを決め、索引をつけるため

ものなのだ。

 

==>> 確かに、これはその通りだとうと思います。

     特に私の場合は、若かった頃の記憶はほとんどないのですが、

     嬉しかったり、悲しかったり、恥ずかしかったりしたことなどがエピソード

     記憶として記録された場合にはなんとか覚えているみたいです。

 

     本を読んでも、すぐに忘れてしまうので、私の外付けメモリーとして

     このような感想文のブログを作成しているわけです。

     そして、過去に読んだ本の内容と今読んでいる本の内容を外付けの

     ニューラルネットワークで関連付けて、私の思考が少しでも前に進む

     ように振り返っているってことになります。

     つまり、私の中の小びとがあまり優秀でもなく、働き者でもないので、

     やむを得ず外部の派遣小びとに一部を外注しているってことになりそうです。

 

 

p138

 

クオリアの断面をある瞬間について取り出してみると、脳の「私」の前に広がった

鮮やかな空間であることがわかる。 しかもそこには、縦横高さからなる実際の三次元

物理空間以上のものが付加されている。

 

視聴覚や触覚で認識した外界の情報に、風が気持ちいいなあ、子供はかわいいなあ、

幸せだなあ、といった、心から湧き出てきた情報もオーグメンティッドリアリティーの

ように加えられている。 そして、この多元的な断面が時間とともに展開していくのが、

時空間に広がるクオリアなのだ。

 

言語に比べて、なんて豊かなんだろう。

 

==>> さて、知らない言葉が出てきました。

     AR Augmented Reality

拡張現実感 / オーグメンテッドリアリティ / 強調現実感

https://e-words.jp/w/AR.html

ARとは、現実の環境から視覚や聴覚、触覚などの知覚に与えられる情報を、

コンピュータによる処理で追加あるいは削減、変化させる技術の総称。」

 

・・・過去に何冊か「クオリア」について書かれた本を読みましたが、

こんなに長い文章で簡潔に説明されているのは初めてのように思います。

それに、IT用語で「拡張現実感」などと表現されているのも、なんだか

コンピューター用語と現実が逆転したような説明で、不思議な感じもします。

もちろん、脳の機能を説明するには、そのように説明することの方が解り易い

ということなのでしょうが。

 

 

p139

 

人間の「自然クオリア」を表現するためには、「コンピュータクオリア」を開発すれば

よい。 そのためには、従来型のコンピュータよりもパターン情報処理が得意な

ニューラルネットワークを、うまく使えばいい。

 

p140

 

人の自然クオリアが100パーセント解明されていなくても、その基本構造さえ明らか

にできれば、コンピュータクオリアを作るのはさほど難しいことではないのだ。

 

==>> 著者はシステム・デザインの教授ですから、こういうことが言えるの

     でしょうが、それにしても「コンピュータクオリアを作るのはさほど難しい

ことではない」と言い切れるのが凄いと思います。

そのコンピュータクオリアを誰がどのように確認できるのかという興味が

湧きます。

 

 

p142

 

ここで不思議なのは、質感は大脳内の感覚野や連合野で知覚されているにもかかわらず、

材質感のクオリアは指先で感じる、という点だ。

 

p143

 

こう考えるしかない。

大脳内に、「感覚野で知覚した指先の触感のクオリアは指先で感じるものとする」という

錯覚の決まりが書かれているために、人はあたかも指先に触感があるかのような幻覚に

浸っているのだと。

 

p144

 

私たちの「意識」は、生き生きとしたクオリアがここにあるかのように錯覚するように

作られているに過ぎない、と考えざるを得ない。

 

人の触感覚や自己意識が、錯覚であるにしろ、どのように定義されたなら一人称的

なクオリアを感じる意識体験になるのか、というアルゴリズム上の疑問は残されている。

 

 

p145

 

もちろん、デザイン上の未解決問題ではあるけれども、もはや、最大かつ手の届かない

謎だというほどのものとは言いがたいということだ。

 

==>> 著者はチャーマーズや茂木など多くの学者が「難しい問題」だと呼んでいるが、  

     システム的にみれば、解けない問題ではないと言っています。

     要するに「クオリアは錯覚である」という考え方をシステムに置き換え

     可能だと考えているのでしょう。

     実際に、この本の中では、人間に起こる様々な錯覚の例が示されています。

 

p149

 

すべての脊椎動物(魚類も、両生類も、爬虫類も、鳥類も、哺乳類も!)は、「知」「情」

「意」「記憶と学習」を少なからず行っていると思われる。 もちろん、人の知性や

感情に比べると、魚類の知性や感情は単純だが、少なくとも昆虫よりも複雑な行動を

行なっているようだ。 では、「意識」はどうだろうか。

 

 

今わかっている範囲では、鳥類と哺乳類あたりが意識を持っているといえそうだ。

 

==>> 犬、猫は、もちろんそうでしょうが、カラスは人が悪さをすると

     かなり根に持って反撃するそうですから、要注意ですね。

 

     「カラスの知能!最も賢い頭脳を持つ鳥類の知能指数は?」

     https://cherish-media.jp/posts/10991

     「脳の発達度合いを測る「脳化指数」というものがありますが、この脳化指数で

カラスは犬、猫よりも大きい指数なのです。もちろんインコやオウムなどよりも

脳自体が大きく、脳化指数も高いレベルです。」

「もちろん個体差はありますが、小学校低学年くらいの知能を持っていると

言われています。知能指数で言えば話は違ってくるのでしょうが、6歳~7

くらいの人間程度の知能ということは、鳥類に限らず動物の中でも相当高い

レベルの知能を持っていることがわかりますね。」

 

 

p149

 

エピソード記憶を行う動物はなんだろうか。

鳥類も、いつ何が起こったかを記憶しているという研究結果がある。 したがって、

今わかっている範囲では、鳥類と哺乳類あたりが意識を持っているといえそうだ。

 

幼児はエピソード記憶を長く保てない、という研究結果もある。

ただし、意識は持っているようだ。

 

==>> 私に関する限りでいえば、保育所に通っていたころが一番古いエピソード

     記憶です。お遊戯会みたいなものが記憶にあるのが最初です。

     カラスに劣るレベルですね。

 

p150

 

ギャラップは、霊長類に鏡を見せたときに彼らが鏡の中の猿に対して起こす行動が、

他者を威嚇するような行動なのか、自分を見るような行動なのかによって、自己意識の

有無をしらべた。

 

・・この結果から、オランウータンとチンパンジーの自己意識はゴリラよりも人のそれに

近い、という人もいる。

 

ちなみに、最近では、ゾウやイルカなど、霊長類以外の動物も鏡のテストにパスすること

が知られている。

 

==>> ミラーテストについては、下のようなサイトがありました。

 

     https://gigazine.net/news/20180125-dolphin-mirror-self-recognition/

「鏡に映った自分の姿を見て自分だとわかる能力は「ミラーテスト」と呼ばれて

おり、動物の知能の高さを測る尺度の一つとして使われています。イルカは

ミラーテストをパスする動物のひとつですが、なんと人間の赤ちゃんよりも

早い時期から鏡の中の自分を理解できることが研究から明らかになりました。」

「ハンター大学の心理学者のディナ・レス博士は、ボルチモア国立水族館の2

のイルカを3年間観察することで、イルカがミラーテストに合格する時期が

いつかを調べました。なお、人間の子どもは生後約1年で、チンパンジーは生後

2年で鏡の中の自分の姿を認識し始めることが知られています。」

「もう1頭のメスのベイリーは生後7カ月になるころに、鏡の前で旋回したり、

普段は見せない仕草を見せるなど、自分を認識し始めることが確認できました。」

 

 

p156

 

昆虫の気持ち(感じ)とは、ただ立っているときやものを把持しているときのような

感じだ。 そのような無意識の反射行動しかできなくなった自分を想像してみていただき

たい。 何も考えなくても、何も意識しなくても、夢遊病のように、何らかの運動や

行動が達成されている。 そして、それが昆虫の行動のすべてだ。

 

p157

 

つまり、生物のデザインとは、船を金づちでトントンたたいて無理やり形を変え、自動車

を作ったり飛行機を作ったりするような場当たり的強引な作り方なのだ。

身体だけでなく、脳の神経系も同様と考えるべきだろう。

もともと下等な生物が持っていたニューラルネットワークを、トントンたたく(というか、

追加のたこ足配線をしまくる)ことによって、新しい情報処理ができるように設計変更

しているのだ。

 

==>> はい、進化を前提とするならば、そういうことになると思います。

     昨年からのステイホームの生活を考えれば、寝て、食べて、テレビを見て等の

     繰り返しで、ほとんど昆虫のような生活なのかもしれません。

     それをなんとか抜け出すために、写真を撮るために散歩をしたり、毎日読書

     をしたり、パソコンを使ったりして、哺乳類になっている感じです。

 

 

p158

 

ブルックスのいう昆虫的な行動生成法の拡張といっていい。 ・・・・単に、昆虫の脳

の中の小びとの数百万倍の数の小びとが、人の脳の中にいるだけだと考えればいい。

 

違う点は、小びとたちの仕事のしかたではなく、川の下流に「私」がいるということだ。

 

==>> はい、そこで、その川の下流の「私」というのはなんなのかが問題ですね。

     そして、どのように働いているのか。

 

p160

 

夢のように、ではなく、実体験のように。 しかも、脳の同じ場所を電気刺激すると、

クオリアに満ちた彼女の個人的体験は、何度でも同じように再現されたという。

 

なんと、私たちが現実だと思っている今のリアルな体験を、実は脳で作り出せるという

ことだ。

 

p161

 

膨大な記憶は編集したほうがいい。 つまり、エピソード記憶をもとに作り上げられた

順モデルを実際に脳の中で使ってみて、どれを保存しどれを消去するか決めたり、

チャプターマークを入れたり、プレイリストを作ったり、いろいろと編集しておくと、

後で便利だ。 そして、編集作業こそが、夢という脳内シュミレーションなのだ

考えれば納得がいく。

 

==>> ここでは、私たちが生の現実であると思っているものが実は脳によって

     作られていること、そして、夢とは脳内のシュミレーションであると言って

     います。

     一応理解は出来るのですが、夢の荒唐無稽さを思い出してみると、

     単純にシュミレーションといっていいのかなと個人的には思います。

 

     ところで、「夢のように、ではなく、実体験のように。」と書いてありますが、

     時々「生々しい夢を見た」という話も聞きます。

     夢にはクオリアはないのでしょうか

     たまたまですが、こんな夢ものがたりを書きました。

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/09/blog-post_6.html

 

 

p163

 

離脱体験というのもある。 生死をさまよった人が言う。自分の魂が体から抜け出して、

ベッドに横たわる自分の姿や病院の周りの景色を上空から見た、と。 

 

・・・しかし、見えたものと実際にあったものがちゃんと一致しているかどうかを詳しく

調べた結果、実際に精神が離脱していたとは立証しがたいと立花隆(「脳死体験」)は述べて

いる。 むしろ、・・・脳への血流不足や脳内物質の異常によって脳機能が変調し、離脱

体験の夢をリアルに感じる状態が脳によって作り出されていたと考えるほうが妥当だろう。

 

p164

 

宗教体験も同様だ。 キリスト教にも仏教にも断食という行がある。面白いことに、

どちらの場合も、三十日間くらい断食して瞑想していると、神秘体験をするという。

ある牧師に聞いた話によると、・・・キリストの姿を見たとか・・・・

・・・仏教では、自分と宇宙が一体化し・・・

 

==>> 幽体離脱問題です。

     この部分を読んで、やはり脳の作用によるものだろうと私も思います。

     そういうことを調査能力と論理的推論の凄さで右に出る人がいないと

     思われているあの立花隆さんが言うのであれば、それが正しいのだろうと

     思います。

 

     


 

     一応、この「臨死体験」を買ってあるのですが、分厚くて上・下巻なので、

     当分はツンドクになりそうです。

 

     ところで、私は小さい頃に崖から落ちて、掛かりつけの医者から「ご臨終」を

     宣告されたことがあります。

     意識が無くなり、瞳孔が開いていたからです。

     その時には、私に幽体離脱、臨死体験はありませんでした

     もし、脳の作用と無関係に臨死体験があるのだとしたら、私にもそれが起こった

     だろうと思います。

     魂が身体から抜け出ることが臨死体験であって、脳の誤動作と無関係であれば、

幽体離脱は誰にでももれなく発生する現象でなくてはならないと思うからです。

     完全に死んだ人には、臨死体験は語れませんからね。

 

     一方で、臨死体験については、さまざまな科学者がさまざまに解釈していること

     も事実のようです。

     過去に読んだものでは以下のようなものがありました。

 

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2018/01/post-b971.html

     「C02

ハーバード・メディカル・スクールに在籍するアメリカの著名な脳神経外科医

のエベン・アレグサンダーが・・・・・彼自身も髄膜炎によって・・・不思議な

世界を体験しています。 これも「第二次臨死体験」といっていいでしょう。

この状態では、意識が完全に肉体を離れ、時間と空間を超えてさまざまな世界を

体験します。」

 

「C05

おそらく人は死ぬと意識が肉体を離れ、大きな「我」に吸収されるのではない

でしょうか。そこでは個々の意識が持っていた記憶も失われ、一つの大きな「我」

という意識体に合流してしまうのだと思います。この空間こそが五次元の世界

なのです。五次元の世界とは 「縦」「横」「高さ」「時間」「意識」の五つで構成

される空間です。

 

C06

意識と肉体が分離した時点で・・・大きな「我」に吸収されてしまうのだと思い

ます。あるいは意識だけの状態になったまま、過去や未来をさまよい、どこにも

戻れない人(意識)も出てくるのではないでしょうか。それが亡霊とか幽霊とか

いわれるものではないかと思います。     

 

・・・以上が 臨死体験を経験した人の記録なんですが、・・・これに関係し

そうな科学者の理論が (E)から・・・拾う事ができます。

 

E02

驚きの理論を提唱しているのは、英グラスゴー大学などで教鞭を取り、現在は

著述家として活躍している化学者のデイヴィッド・ハミルトン博士。博士による

と、全ての意識は肉体の誕生以前から宇宙に存在し、死後も存在し続けるという。

一体、どういうことだろうか? 英紙「Express」(713日付)の記事から

博士の発言を引用しよう。

「我々一人一人は人間として地球上に誕生する前から存在しました。我々は

純粋な意識ですが、現在は身体的・物理的レベルで存在しているということです」

(ハミルトン博士)」

 

・・・このような仮説は私は大好きなので、素粒子レベルで意識があったら

面白いなとは思うんですが、今のところは、脳の誤動作が一番私の腑に落ちる

ストーリーだと思います。

     もし、素粒子レベルの話になったら、それはもう、仏教の密教の曼荼羅みたいな、

     法華経の世界のような話になってしまいます。

 

     断食の際に見るものが、キリスト教ではキリストの姿を見る、仏教では宇宙と

     一体化する・・・という異なるものを見るというのは、やはり脳の作用みたい

     ですね。脳と関係なく人類一般の現象なら、同じものを見る筈ですから。

 

 

p166

 

独立し、自分の考えを持って主体的に生きる能動的な人間が正しいように思えるかも

しれないが、ほんの百年前、いや、一、二世代前の日本人はそうではなかった。

他人の気持ちをうかがい、目立つことはせず、社会と一体化して自分の役割を静かに

果すことが美徳だった。 よくいえば、美しい共生社会、悪くいえば主体性の足りない

人たちの社会だ。

 

p167

 

ここでは、心の天動説と地動説が、ちょうどアメリカ的・西洋的な世界観と日本的・

東洋的な世界観に対応しているようにも見える、ということを述べたい。

 

・・・従来の心についての考え方、つまり、能動的な「私」を仮定する心の天動説は、

キリスト教や西洋的世界観にあい通じるものがある。

 

・・・一方、受動的な「私」を仮定する心の地動説は、仏教的または東洋的な世界観

に通じるものがある。 東洋的世界観では、「私」たちは生きているのではなく生かされて

いるのだ、と考える。 世の中は諸行無常であり、流れに逆らおうとしてもしょうがない。

 

==>> この対比の譬喩は、よく読むと確かにそう言えるかなと思います。。

     著者もちょっと乱暴かもしれないがと断ってはいるのですが。

 

     キリスト教はそもそも地動説を唱えたガリレオ・ガリレイが異端審問にかけ

     られ、その後の一生を軟禁状態になったことや、創造論に於いても地球の

     創造については書かれているものの、そこで生み出されたすべては

     人間の為に生みだされたという話で、人間中心、つまり地球が中心の天動説

     地球以外の天体については語られていない。

一方で、仏教の法華経や密教には多宇宙論を思わせるような荒唐無稽な壮大さ

がありますので、天動説が西洋的であって、地動説は東洋的だと見えるからです。

     もちろん、諸行無常は東洋的で受動的で、すべては人間の為に造られたという

キリスト教の考え方が能動的な西洋人を作っているようには見えます。

 

p171

 

「記憶と学習」の機能をコンピュータに置き換える場合と、「私」および<私>を

置き換える場合ではどちらがいやだろうか。

 

前者は、意識もクオリアも今までどおり感じるのだが、自分の記憶は失ってしまい、

コンピュータに蓄えられた他人のエピソードを思い出すようになってしまった状態だ。

 

 

p172

 

<私>とは、・・・自己意識のクオリアだ。  ・・ああ、これが自分の意識だ、と実感

し続けることのできた、その主体そのものだ。

 

一方、「私」の中の<私>以外の部分とは、「意識」のうち自己意識以外の意識、つまり、

「知情意」のさまざまな事柄に注意を向け、見たものや聞いたものについて生き生きと

感じる「意識」の部分だ。

 

==>> ここでは、いわゆる思考実験をやっているのですが、この中で<私>だけが

     残って、他の記憶をすべて失ったのがこちらの坪倉さんのケースです。

 

     坪倉優介著「記憶喪失になったぼくが見た世界」

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2020/09/post-51fabb.html

 

     ただし、この坪倉さんのケースでは、自他の区別も、記憶も、知情意もなにも

     かもがまっさらの状態で意識が戻ったとなっています。

     そこには「私」も<私>も無いように読めます。

     つまり、五感の小びとたちだけが末端で働いている感じです。

     そして、周りの人たちから過去の「私」やその「記憶」について学んでいく

     ことになりました。

     そうしている内に、その知情意を見る<私>が出てきているような感じが

     します。

 

p173

 

思考実験の結果、私たちが失いたくないものは、結局、<私>だということがわかった。

私たちが永遠の命を望むとき、それは<私>というシステムを永遠に生き永らえさせて

ほしい、という願いなのだ。

 

ああ、何十億人もの我が人類は、何千年もの長い時間、死を恐れ続けてきた。それは、

<私>という存在のこのあまりのはかなさを知らずして、その存在の終焉を恐れていた

ということだったのだ。

 

p175

 

むしろ、安心していい。 古今東西、世界中に広がった、<私>のネットワークは、

なんて普遍的で超時間的であることか。

そんな<私>を集合体として見たとき、これが永遠でなくてなんだろう

 

==>> つまり、自分の自己意識である<私>だけを考えれば、実に儚いもので

     あるけれど、見方を逆にするならば、その無個性の<私>というものは

     あちらこちらに居るじゃないか・・・ってことですね。

     それがネットワークとして、人類の歴史として営々と築かれてきた。

     もしかしたら、人類になる前の生物の段階からかもしれませんが・・・・

  

 

=== その4 に続きます ===

 前野隆司著 「脳はなぜ「心」を作ったのか」 を読む ― 4 ニューラルネットワークの小びとたちの学習法、「クララとお日さま」が実現する未来 (sasetamotsubaguio.blogspot.com)



 

 

 

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