吉田敦彦編「世界の神話101」を読む ―4- 中国と韓半島、ペー族の生命起源論、 八百万の神々はどこで生まれた? 天の岩戸はプーラン族から? 天孫降臨は当たり前
吉田敦彦編「世界の神話101」を読む ―4- 中国と韓半島、ペー族の生命起源論、 八百万の神々はどこで生まれた? 天の岩戸はプーラン族から? 天孫降臨は当たり前
p158
中国
盤古天地を闢く(漢族)
大昔、天地はいまだ開けず、宇宙は混沌として暗く、巨大な卵のようであった。
その卵の中に巨人盤古が眠っていた。 盤古は眠りつづけ、成長をつづけた。
こうしておよそ1万8千年。 巨人盤古は、長い眠りからさめた。
盤古は天を支えながら、毎日一丈ずつ背丈がのびていき、そのたびに天も、毎日一丈
ずつ高くなった。 ・・・・地もふみ固められ、厚さを一丈ずつましていった。
こうして、およそ1万8千年が過ぎた。
それからまた、どれほどの年月が過ぎたであろうか。・・・世界最初の神である巨人盤古
の仕事は、終わったのだ。
==>> 卵ということになると、すでに読んだインドの「ブラフマー神の卵」が頭に
浮かんできます。 インドが先なのか、中国が先なのか、どうでしょう・・・
定方晟著「インド宇宙誌 ― 宇宙の形状、宇宙の発生」
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/12/blog-post_6.html
「p72
ヒンドゥー教の聖典「ヴィシュヌ・プラーナ」によると、宇宙に巨大な卵の殻が
浮かんでいる。 この卵の殻は「ブラフマー神の卵の殻」と呼ばれ、そのなかが
ブラフマー神の創造の場であり、そこにわれわれの生活する大地や、日月星辰の
運行する天界や、聖仙たちの修行する聖界が存在する。」
しかし、こちらのサイトでいわゆる四大文明の年代をチェックしてみると、
中国文明が一番古いとされています。
「現在、人類最古の文明は「中国文明」であると考えられています。長江文明の
遺跡である玉蟾岩遺跡(ぎょくせんがんいせき)では、紀元前14000年から
紀元前12000年頃のものと思われる建造物や稲モミが発見されました。」
一方のインドのインダス文明については、
「この文明において、最も有名なのが最大級の都市遺跡であるモヘンジョダロ
遺跡です。この遺跡は紀元前2500年から紀元前1800年頃にかけて繁栄し、
多くの人々が居住していました。」
はたまた、こちらのサイトではさらに古い人類移動の話の中から、二系統の
神話群のことを提唱しています。
最古の神話を読み解いたら、世界の不思議な「共通項」がわかってきた
ベストセラー『世界神話学入門』を語る
(urlが長いのでリンクを省略します。)
「近年一つの有力な学説として提唱されているのが、ホモ・サピエンスがアフリ
カを出た後、アラビア半島からインド亜大陸の海岸部を通り、スンダランド
(氷河期にあった東南アジア島嶼部を含む大陸)を通ってオーストラリアまで
4万から5万年前に一気に移動したという説である。
それは主に遺伝子の分析から主張されているが、ゴンドワナ型神話群はこの
南回りルート移動経路によく一致した分布をしている。」
・・・つまり、この説から言えば、人類は中国よりも前にインドを通過して
いるわけですから、神話も古いはずだということになりそうです。
「ゴンドワナ型神話」については、こちらのサイトに詳しい解説があります。
https://aomatsu123.blog.fc2.com/blog-entry-348.html?sp
このルートの地図をみると、アフリカーインドー東南アジアーフィリピン
―日本・中国―アラスカーアメリカ・・・というルートになっています
ので、もしこの時代に神話があったとするならば、インドの方が先に
神話が発生したと考えるべきなんでしょうが・・・どうでしょうか。
p159
盤古の天地開闢神話は、文献的には漢以後の三世紀に入った三国時代、呉の徐整の
「三五暦記」に初めて記されている。・・・この話はもともと南の非漢民族の伝承で、
当時ようやく南方へ関心を寄せ始めた漢族の筆になるものと思われる。
・・・現在口承による天地創造神話が少なからず採録されているが、いずれも西南
少数民族である。 インドのプルシャ神話なども死体化生型としては酷似しており、
この神話の広がりが注目される。
==>> このような記事の内容から推測すれば、インド方面から伝わった神話で
ある可能性が高いように見えてきます。
ところで、「死体化生神話」の解説は、こちらでどうぞ;
https://kotobank.jp/word/%E6%AD%BB%E4%BD%93%E5%8C%96%E7%94%9F%E7%A5%9E%E8%A9%B1-73704
「神または人間が死に、その死体からさまざまな事物が発生したという形式の
神話。その代表的なものは、死体から宇宙あるいは世界が発生したという「盤古
(ばんこ)型神話」と、死体から栽培植物が発生したという「ハイヌウェレ型神話」
である。」
p160
人間をつくった女神(漢族)
女媧(じょか)は、黄土をほりおこし、水をくんで土をこねあげた。それから、
小さくちぎってまるめ、形づくっていった。 こうして、最初のひとつができあがった。
女媧はこの愛する小さな生きものを「人間」と呼び、自ら造形したこの作品に
対して満足した。
豊かに富み栄えているものは、女媧が黄土をこねて造った人間の子孫であり、心の貧しく
賤しいものは縄からしたたり落ちた、泥の人間の子孫なのである。
そして、女性と男性を配合させることによって、かれら自身に子孫を創造させる
ことにした。 後世女媧が子授けの神として祀られたのもそのためである。
==>> ここでは、人間には二種類あることが書いてあります。
富栄えている人間は、女媧が直接手作りした人間で、貧しく賤しい人間は
大量生産方式(縄をぶんまわして泥がしたたり落ちてつくられる)で
生まれた人間なんだそうです。
土から作られたというのはキリスト教などの創世記と似ていますが、
ここには男女の作り方に違いはなさそうです。
男女間に差別はないけれど、貧富に関しては生まれたときから差があるよ
という発想は、いかにも中国的な感じがしないでもありません。
p166
ラオタイとラオクー(ペー族)
その昔、この世には人類も万物もなく、天と地が連なる混沌の闇の世界であった。
天と地の間には果て知れぬ大海原がひろがり、海水がまるで煮えたぎっているか
のように沸き立って、天にぶつかり、地を揺るがしていた。
太陽が落ちたために海水は沸騰し、海底で眠っていた大金龍を目覚めさせてしまった。
金龍は何事がおきたかと、海の中を泳ぎ回っていたが、波間を漂う大きな火の玉を
見つけて、そのまま飲み込んだ。
太陽は大きな肉塊となって龍のえらから飛び出し、・・・飛び散った無数の肉片は、
雲になり、鳥になり、草花になり、獣になった。
肉塊の真中の部分は・・・・二つに割れた。 先に地面に落ちた左半分が女になり、
後の右半分は男になった。 こうして人類がこの世に現れたのである。
女の名はラオタイ、男はラオクーと言った。
==>> この神話をいわゆるたとえ話だと考えると、地球上の生物たちが
どのように生まれたかの現代の科学的仮説を思い起こさせる点も
感じます。
つまり、小惑星が地球に落下して、生命体の元になったとか、
深海にある熱湯のような熱水噴出口の周りで生命体が生まれたとか、
その微小な生命体が、海や陸を満たす植物や生き物に進化していった
ということを語っているようにも聞こえます。
そして、もちろん、その一切の熱源は太陽であるということです。
p167
人びとはラオタイとラオクーを天地開闢の始祖として祀っている。
その子たちも、長女と長男は狩りの神、次女次男は火の神、次は木の神、織物の神、
魚の神、農業の神、花の神、竈の神、薬の神、歌の神として人びとから祀られて
いる。
ペー族の神話には、漢族の「盤古神話」に似た天地創造神話、「九隆神話」と
同系列の南詔の建国神話などがあるが、ラオクー、ラオタイを始祖とするこの
創世神話は、これまで紹介されたことがなく、複雑であるが・・・・
==>> このあたりの神々の役割分担は、かなり日本の八百万の神々に近い
ように感じます。
しかし一方で、漢族の盤古神話の卵説は、日本の神話とは違うなという
感じですね。 ペー族の混沌説のほうが似ているなと思います。
p168
天女の子孫(ナシ族)
天地がまだ開闢していないころ、声と気が化して三滴の白露ができた。この白露が
変化して、人間の始祖ができたのである。
それから数えて九代目のツォゼルウの時代に、洪水が地を覆った。ツォゼルウだけは
天神の教えにより、白いヤクの皮で作った革袋の中に潜んで洪水を逃れることが
できた。
==>> 洪水の後生き残っていた人類は一人だけだったとあるのですが、
他に生き残っていたのはネズミだと書いてあります。
鳥ならわかるけど、なんでネズミなんですかねえ。
そして、ネズミに教えられて天女を嫁にするという話になっています。
p169
ツォゼルウは天女をつれて、ンジュナシロ神山の頂から人間界へ降りて、人類の祖先
となった。
この話の中には、わが国の羽衣説話によく似た、天女の羽衣を隠すというモチーフが、
天女の翼を切り取る、あるいは嚙み切るという形で極めて明確に示されている。
==>> このあたりまで読んでくると、ますます日本の神話に近づいてきますね。
やっぱり、インドから東南アジアを経由して日本へやってきた神話が
多いのかもしれません。
p170
巨人グミヤー(プーラン族)
大昔、天もなく地もなく、獣や人間もいなかった。何処もかしこも黒々としずみ、
雲霧の如く漂っていた。
これをみた巨人グミヤーと十二人の息子は、天地を分離し、万物を創造しようと
思い立ち、材料をさがしはじめた。
当時、犀に似た巨大な獣が現れ、空中を浮遊していた。 グミヤーはさっそく
その獣の皮をはいで、天をつくった。犀の二つの目をとって星をつくり、天に
ちりばめた。二つの大きな星は明るく、しかもまばたいていた。
・・・そして、最後に犀の脳みそで人間をつくり・・・・
==>> なぜか最初に巨人がいて、材料として犀みたいな獣と大ウミガメが
使われています。その大海亀が地面の下に使われているので、大地震が
起こると書いてあります。
地球は大海亀の背中、甲羅の上ってことですね。
二つの星というのは、おそらく太陽と月のことだと思うのですが、
明確には書いてありません。しかし、この後に・・・
p170
この幸せな世界は、太陽と月の妬みをかい、彼らはこの天地を破壊しようと、
いっせいに燃える光をなげつけてきた。 九つの太陽と十個の月の強烈な光の下に、
地は干上がり、あらゆる生き物は苦しみあえいだ。
月と太陽は身を隠した。 世界はにわかに暗く寒くなり、人も生き物も困り果てた。
==>> なんとまあ、これも、地球に降り注いだとされる流星群やら、それに
よって引き起こされたとされる地球の冬の時代を連想させますね。
もしかして、その頃から人類が生きていたのかな?
p171
太陽と月が岩屋の中に隠れていると、外から鳥や獣たちのさわぎたてる声が聞こえて
きた。
雄鶏が太陽と月を呼び出そうとしてやさしく歌いかけた。
岩屋に隠れた太陽に対して、雄鶏が鳴き、さらに力持ちが岩戸を開けて導き出す
という、日本神話に類似のモチーフも存在する点で、このプーラン族の話は注目に
値する。
==>> ここまでいっちゃうと、もう、天の岩戸の神話はこれで決定ですね。
このプーラン族は、中国雲南省の最南端、ビルマと国境を接した
シプソンパンナの山岳地帯の民族だそうです。
また、諸民族のなかでも最も古い民族のひとつとされているそうです。
プーラン族については、こちらです。
「言語はモン=クメール語族に属するプーラン語を用いるが,一部でタイ語や
漢語も併用され,地域によりタイ族や漢族の影響を強く受けている。稲を主作物
とし,焼畑での陸稲栽培が中心であるが,水田も若干みられる。また,茶や綿花
の栽培も行われる。宗教的には上座部仏教徒とされるが,精霊信仰や祖先崇拝も
みられる。」
p176
漢半島
檀君神話
「今から二千年前、檀君王倹(タングンワンコム)が都を阿斯達(アサダル)に
立て、国を開いて朝鮮と名付けた。 これは中国の尭と同じ時である」(「魏書」)
「昔、恒因の庶子である恒雄は天から降下して、人の世に行きたいと願った。
父は子の願いを聞き入れて、地上に送り、・・・・ 恒雄は徒三千を率いて太伯山
の山頂にある神壇の樹木の下に降り立った。
熊女は神壇樹の下で結婚相手を探していたところ、天から降臨してきた恒雄と
結婚し、彼の子をはらみ、檀君王倹を生んだ。
==>> これを読む限りは、まったくの天孫降臨物語ですね。
ところがこの檀君神話には、謎が多いとして、著者は次のように
続けています。
p176
檀君神話を伝える現存最古の資料が、1280年代刊行の「三国遺事」と「帝王
韻記」(1284年)に残された記事であるだけに、檀君を主人公とする神話が
古代神話であるかどうかである。
・・・決めてを欠く憶測であるという批判を受けているが、高句麗や新羅・百済に
しても、一度たりとも檀君を民族の建国王としての取り扱いをしておらず、むげに
古代神話否定論を葬り去ることもできない。
==>> ここでは、檀君神話がいつからあるのかについて、明確な資料が不足
していることが議論されています。
また、日本神話との類似性について、著者は以下のようにも述べて
います。
p177
三点の神宝で王権を象徴する「天符印三個」は、三というシンボリカルな数字から
して、誰しもすぐに、日本天皇家の「三種の神器」を思い浮かべるはずである。
人間の男と熊女との結婚モチーフにしても、・・・華北・アムールランドのツングース
諸族・朝鮮という地域に連続的に分布しており、決して朝鮮に孤立して伝えられて
いるわけではない。
恒雄の天降シーンは日本古代神話の根幹をなす天孫降臨神話とよく類似する。
・・・天界と地上界との結合・融和がなされるばかりでなく、その子孫である
建国王が地上の正当な支配者であることを権威付け、国内外に広く承認を求める
点まで、よく似ているのである。
==>> このあたりのややこしい話になると、学問的には文献ありきの話で
しょうが、文献がないからそれはなかったという話にもできないところ
が、面倒ですねえ。
いずれにしても、ある特徴的な話がある特定の地域にだけ神話として
残っているというのは、人類の流浪の旅を考えれば、非常に珍しい
ことになるのでしょう。
p178
高句麗神話
「天帝の子が地上に降臨し、その子孫が河、あるいは海を渡り、建国する」という
一連の筋は、何も高句麗の朱蒙神話のみならず、日本の神武東征神話とも共通することになる。 この理由は、高句麗国の支配者が北扶餘を本源地とするツングース族か、
それと極めて近い関係にあった内陸アジアのアルタイ系部族であり、支配下に群居した
韓・穢・中国人集団・契丹・粛慎などとは一線を画す異種族であったからとは
考えられないだろうか。
==>> ここで「扶餘」という場所は、wikipediaには以下のように書いてあります。
「満州南部から発し、紀元前4世紀 - 494年に中国東北部, 朝鮮半島東北部に
あった国家又はその主要構成民族。→夫余
百済の王族名。→扶余氏」
つまり、その北部にいたツングース族などが、韓・穢・中国人集団・契丹・粛慎
などの異民族を支配下に置くための遠征をしたことが下敷きになって
いるのではないかと考えているようです。
ところで、朱蒙神話の朱蒙という人物については、こちらにある通りで、
ほとんどわかっていないようです。
Wikipediaより;
「朱蒙という名前は史書に実在するが、その生涯に関する確実な史料はほとん
どなく、紀元前37年に高句麗を建国したということ以外、実際にどんな人物で
あったかは全くわからない。」
p180
新羅神話
新羅には王位につくべき家柄は、朴・金・昔の三姓と定まっていた。 これら三姓は
「天降姓」と呼ばれ、王位につけない「土姓」たちと区別されてきた。いわばインドの
カースト制に類する血縁による身分制度が確立していたが、面白いのは昔氏の神話では、
海の彼方からの渡来を語るだけで、まったく天降モティーフを語っていない。
ところで、不思議なことに、新羅神話のどこにも「神」という漢字が使われていない
にもかかわらず、突然に「神官を奈乙に置く、奈乙は始祖の初生の処である」という
記事が出現する(「三国史記」)・・)
新羅の「カミ」はどのような存在であったのであろうか?
新羅の朴氏神話にせよ、金氏神話にせよ、天から降臨してくる「聖なる御子」が
いずれも穀霊の性格を帯びていることは、・・・・
この点でも、日本の天皇家神話における「ホノニニギ」(豊かな実りを約束する神)の
天からの降臨とピッタリと符合するからである。
==>> いよいよ新羅神話に入ってきましたが、歴史的にも日本とのかかわりが
深いだけに、建国神話の中でも複雑な関係が示唆されているようです。
Wikipediaで「日羅関係」を検索してください。
(urlが長いので省略します)
「『三国史記』新羅本紀によれば、新羅には朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系が
あり、それぞれ始祖説話を持つが、倭国または倭人との関連伝承が多い。建国初
期に倭人勢力との関わりを伝えることや複数の王統を持つことなどは高句麗・
百済の始祖説話体系とは異なるところである。新羅の始祖説話は紀元前後に
繋年されたものではあるが、実際に新羅で姓が用いられるようになったのは
6世紀からである。」
「昔氏は現在の日本の但馬、丹波、肥後、周防のいずれかの地域から船で渡った
倭人と見る向きが多く、その後、昔氏の末裔のアメノヒボコが日本に戻ったと
される。『日本書紀』によると、アメノヒボコは菟道河をさかのぼり、若狭を
へて、但馬にいたり、ここに居を構えた。
アメノヒボコについては、こちらのサイトで。
「アメノヒボコは、新羅の国の王子として、奈良時代に記された古事記や日本書
紀、播磨の国風土記などに登場します。それぞれの書物によって若干の違いがあ
るものの、朝鮮半島からやってきた渡来人で、最終的には但馬に定住したという
ところは一致しています。」
「アメノヒボコの伝説が残る土地に、土器作りや製鉄に関係する場所が多いの
は、アメノヒボコが渡来系の技術者集団と関係があることを示しています。
そして、その伝説の中心に豊岡市の出石神社があります。」
ところで、韓国における姓の中で、朴(パク)や金(キム)はいくらでも聞く
のですが、昔という姓を聞いたことはありませんでした。
「昔」の読み方は「ソク」だそうです。
ちなみに、韓国では、金さんは21.6%で李さんが14.8%、朴さんは
8.5%だそうです。 昔さんはランク外になっています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%90%8D
ところで、日本にやってきたという「昔」さんですが、
日本の人名検索で探したところ、読み方は「せき」で、日本におよそ10人
ほどいるそうです。
そして、その住所としては石川県に集中しているようです。
渡来した当時は但馬の国に定住したと上にありますが、今は少し東の石川県
に移っているようです。
p182
伽耶神話
加羅諸国とは、四世紀の半ば、馬韓・辰韓・弁辰の三韓合わせて八十余国のうち、
新羅・百済に併呑されなかった国々を示す。 伽耶(かや)国とも、駕洛(からく)国と
も言う。元来、この八十余国に君臨した国王それぞれが独自の建国神話を保有して、支配の
正当性を誇示していたに違いない。
==>> 伽耶国には別名がいろいろあるようですので、こちらで確認しておきます。
https://kotobank.jp/word/%E5%8A%A0%E8%80%B6%E2%88%A5%E4%BC%BD%E8%80%B6-1292999
「別名は伽耶をはじめ加耶,伽倻,加良,駕洛,任那など多数あるが,いずれも
同じ国名を異なる漢字で表記しようとしたためである。」
p183
今の段階では、これら二つの加羅国神話がどのような関係にあるのか、にわかに解明
できない。しかしながら神話学的に見ると、自然と日本神話に描かれた天孫が真床追衾
に包まれて高千穂峰に降臨する光景を思い比べるはずである。
==>> この言葉「真床追衾」は、天皇が行う大嘗祭との関連があるようです。
https://kotobank.jp/word/%E7%9C%9F%E5%BA%8A%E8%BF%BD%E8%A1%BE-388424
「ニニギが降臨することになったのは,王たる者は新たに生まれる者でなくては
ならないという観念の表れであった。このことと関連するのが《日本書紀》本文
にある,高皇産霊(たかみむすひ)尊がニニギを真床追衾(まどこおうふすま)
なるもので覆って天降らせたという記述である。真床追衾は大嘗祭(だいじよう
さい)の儀式で天皇がふす衾と関係する。」
ちなみに、大嘗祭とは、「天皇が即位の後、初めて行なう新嘗(にいなめ)の祭。」
「政府は「極めて重要な伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」として宮廷費を
支出する方針を決めている。」とされています。
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%98%97%E7%A5%AD-39450
p184
韓半島
天地創造神話-民間神話1
天地創造に関する神話は、文献には見当たらず、シャーマンが語る巫歌の中に多く
残されている。
・・・確かにこの伝承の文脈は必ずしも明確ではなく、しかも仏教的要素がかなり
混入しており、その変容の度合いが激しいと認めざるを得ない。
p185
民間伝承の形で、・・・一つは「世界巨人型」であり、多くは笑い話化しており、
巨人の排泄物や自由な遍歴で山川がつくられたという内容である。
・・・この話は日本各地に伝承されている「ダイダラボッチの話」と酷似している
ことに驚くだろう。
もう一つの話は、日本の出雲神話として有名な「国引き神話」を髣髴させる、いわゆる
「流れ島伝説」である。・・・中国やポリネシアに広く分布する「浮島モティーフ」
の系譜を引くに違いない。
==>> 巫歌については、口承なのでかなり仏教などの影響を受けて変わって
しまっているようです。歌の中に、弥勒さまなどの名が出てきています。
さすがにお隣の国だし、古代には国境なんてものはなかったわけですから、
多くの神話に共通点がない方がおかしいでしょうね。
p186
韓半島
人類起源神話――民間神話2
人間の誕生を語る神話にしても、現存する資料は巫歌にのみ残されている。
この巫歌は咸鏡道で採録された資料であるが、「旧約聖書」創世記や中国の女媧神話
と同様な内容になっていることは注目に値する。
p187
朝鮮半島にはいくつかの人類起源神話が語り伝えられているが、仏典からの強い
影響を受けたものもある。
一見して聖書の洪水伝説と良く似た神話は、朝鮮半島から多数報告されている。
半島南部だけでも、その数は百五十近くに達している。
・・・西南中国型と酷似することである。 朝鮮半島への神話の流れは確実に
西南中国と同じ源流にたどり着けるのではないだろうか。
東アジアに視野を限定しても、なぜ上記のような広大な地域に類似神話が分布する
のかはいまなお謎である。
人類起源神話と言えば、朝鮮半島の南方に浮かぶ済州島の「三姓穴神話」を忘れては
ならない。 どいうのも済州島には、陸地とは異なる独自なタイプのそれが語り
伝えられているからだ。
この神話で注目される点は、三氏族の始祖が大地の穴から出現したことにあろう。
つまり朝鮮半島では一般的であった天上界に対する関心が、この神話には薄い。
それは文化史的系譜の違いに理由を求めるべきであろう。
==>> ここでは韓半島の神話が、旧約聖書、中国の女媧神話、仏教からの影響、
西南中国型などなど、さまざまな神話にも共通するところがあると
書かれていて、なにがなんだかわけがわかりません。
あえて考えれば、それだけ、半島という地理的な特徴を持っている
地域には、さまざまな文化が流れ込むということなんでしょうか。
中国の冊封体制は、「秦の成立以降徐々に形作られ明朝や清朝まで続いた
東アジアの国際秩序でしたが、19世紀の清の末期に崩壊します。」とされて
いますので、アジアはもとより、ヨーロッパなどからの様々な文化が
流入した中国の隣国であった韓半島の国々にもそのような文化が流れ
込んだことは当然なのかもしれません。
https://manapedia.jp/text/2377
そのことは、空海さんが、唐の長安でキリスト教(ネストリウス派・景教)
を含む様々な宗教や文化を学んだことからも推測できます。
さて、世界の神話を読んできて、これで日本神話の外堀を埋めたような気がします。
あとは、次回 いよいよ日本神話を攻略してみたいと思います。
=== 次回その5 に続きます ===
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