定方晟著「インド宇宙誌 ― 宇宙の形状、宇宙の発生」 ― その3 米と肉をまぜて食べたもの、猫、鶏、山羊、犬、豚、鳥を育てたものは 地獄ゆき
定方晟著「インド宇宙誌 ― 宇宙の形状、宇宙の発生」 ― その3 米と肉をまぜて食べたもの、猫、鶏、山羊、犬、豚、鳥を育てたものは地獄ゆき
定方晟著「インド宇宙誌 ― 宇宙の形状、宇宙の発生」を読んでいます。
「ヒンドゥー教の宇宙観」
「第一章
プラーナの宇宙観」
p72
ヒンドゥー教の聖典「ヴィシュヌ・プラーナ」によると、宇宙に巨大な卵の殻が浮かんで
いる。 この卵の殻は「ブラフマー神の卵の殻」と呼ばれ、そのなかがブラフマー神の
創造の場であり、そこにわれわれの生活する大地や、日月星辰の運行する天界や、聖仙たち
の修行する聖界が存在する。
・・・卵を「地」とすると、・・・「地」「水」「火」「風」「エーテル(空)」「元素の初源」
「「大なるもの」の七つの層が形成されることになる。
・・・最後の「大なるもの」は「根本原因」あるいは「根本原資」と呼ばれる原理によって
とり囲まれている。
・・・「根本原資」のなかには「精神」が宿っている。 ・・・しかも、「根本原資」と
「精神」は万物の支持者ヴィシュヌ神に支持されている。
==>> 私はキリスト教の世界創造はアメリカ映画でしかみたことがないのですが、
このヒンドゥー教の宇宙の構造なるものを読んでいると、なんだか
現代科学の宇宙論を読んでいるような気になりますね。
少なくとも、こういう話を紀元前に聞いたとしたら、なんだか科学的な
もののように聞こえて、信じてしまいそうです。
今の時代であっても、既に読んだ理論物理学者が書いた「神の物理学」という
本もあるぐらいですから、訳も分からず信じてしまいそうになります。
上記の「「根本原資」と「精神」」というものは、下の素領域理論の中の
完全調和の宇宙に似たもののように思えます。
保江邦夫著 「神の物理学 甦る素領域理論」
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/06/blog-post_3.html
「p59
「神」の完全調和が自発的に破れて生じたものが「素領域」であり、従って
「素領域」そのものは「神」ではない。 一つの「素領域」は「神」である
完全調和に接している。 つまり「神」である完全調和はどの「素領域」の様子
も、それを取り囲むようにして「知る」ことができると考えてよい。
==>> ここで何度も「神」という言葉が出てくるんですが、私は「神」=
「完全調和である真空(の物理学)」と読み替えます。したがって、ビッグバン
により真空の対称性が自発的に破れて素領域ができ、その素領域は完全調和で
ある真空に取り囲まれている。だから、その真空は素領域の中の様子を知ること
ができる、ということのようです。素領域が集まったものが我々が住む宇宙空間
ということなんですが、その宇宙空間は完全調和の真空によって周りを包み
込まれているという話のようです。」
・・・もうひとつ、面白いと思ったのは「エーテル」という言葉が出てきて
いることです。
昔は宇宙空間を満たしているのはエーテルであるという仮説があったよう
ですが、今はそれは否定されています。
このエーテル仮説がどのような経緯でヒンドゥー教に取り込まれたのが
それが知りたいところです。
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB-36876
「古代ギリシア時代から 20 世紀初頭までの間に想定されていた全世界を
満たす1種の物質。・・・ついに 1905年 A.アインシュタインが特殊相対性理論
を提唱し,エーテルの存在は否定された。」
ちなみに、アリストテレスは紀元前384年 - 前322年の人であり、
ヒンドゥー教は紀元前200年代、その前身であるバラモン教はwikipediaでは
「紀元前13世紀頃、アーリア人がインドに侵入し、先住民族であるドラヴィダ
人を支配する過程でバラモン教が形作られたとされる。」とあります。
しかし、この聖典「ヴィシュヌ・プラーナ」を見ると、以下のように書かれて
います。
「ヒンドゥー教ビシュヌ派,とくにパーンチャラートラ派の聖典・・
世界の創造,マヌの世紀,日種および月種に属する王族の歴史,クリシュナの
伝説,世界の破滅などの古伝,古い物語が説かれ・・・この派の存在は,
前5~前4世紀以降の文献などによって確かめられるが,・・・この派の神学は
ベーダーンタ派の哲学に基礎づけられることが多く・・・」
・・・このベーダンタ学派については、「インドの六派哲学中でもっとも有力な
学派。ベーダーンタとは「ベーダ聖典の終わり」「ベーダ聖典の極意(ごくい)」
の意味で、本来はウパニシャッドをさしたが、のちにウパニシャッドの体系的
解釈を行うベーダーンタ学派の名称となった。本学派は紀元前3世紀ころ
すでに存在していたと考えられ・・・」とありますから、時代的には
アリストテレスからの流れなのかなとみえます。
p77
七大陸のうち、最初の六つの大陸の名は、それぞれその大陸に生える草木の名に由来
する。 ジャンブ洲はその名をそこに生えるジャンブ樹に負い、プラクシャ洲は・・
プラクシャ樹に負う・・・・ ジャンプ樹というのは仏典で「贍部樹(せんぶじゅ)」と
いわれる木である。 プラクシャ樹は菩提樹の別名である。
==>> ちなみに、贍部樹がある贍部洲(せんぶしゅう)という国は我々人間が
住んでいる国ということになっています。須弥山世界のところで読みました。
ところで、この「せんぶじゅ」というのが何の木なのかを探したのですが、
別名は「えんぶじゅ」と呼び「閻浮提の雪山 (せっせん) の北、香酔山 (こう
すいせん) 南麓の無熱池 (むねっち) のほとりに大森林をなすという大木。」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E9%96%BB%E6%B5%AE%E6%A8%B9/#jn-26855
と書いてあって、結局何の木だか分かりません。
「想像上の大樹」とか「インド各地にある落葉植物」との説明もあります。
p77
四番目の海のインド名「サルピス」は日本の清涼飲料水の商品名「カルピス」のもとに
なっている。 仏典でサルピル・マンダといえば醍醐と訳されて、その味(醍醐味)は
最高の味を意味する。 この清涼飲料水を売り出した社長が「サルピス」に
「カルシウム」を組み合わせて「カルピス」の名前をつくったという。
==>> カルピスにこんな仏典からの由来があるとは知りませんでした。
ここで四番目の海というのは、あくまでもヒンドゥー教における世界観に
出てくる海のことなんです。
別の意味合いがないかと思って探してみたら、こんな語源のことが書いて
ありました。
https://digital.asahi.com/articles/ASM4G4VTJM4GUDCB002.html
「サンスクリット語で牛乳を精製すると4番目にできるものを表す「サルピス」
とカルシウムを組み合わせてカルピスと命名した際には、仏教学者の渡辺海旭
(かいきょく)から語源面でアドバイスを受けたという。」
そして、「4番目」の意味については、こちらのサイトに書いてありました。
https://jpnculture.net/calpis/
牛乳 ― ヨーグルト ― 生バター ― 精製バター ― チーズ(醍醐味)
つまり4番目というのは精製バターのことだそうです。
p87
ジャンブ洲九国のうちの一つ、バーラタ国は、バラタの子孫たちの住む国である。
バーラタ国というのは事実上のインドである。 インド人以外が「インド」と呼んでいる
国をインド人自身は「バーラタ」と呼ぶ。 インドの郵便切手にはいまでもBharataという
文字が記されている。
・・・ただ、プラーナのバーラタ国の形は東西に長すぎるようであるが、西紀二世紀の
ギリシャの地理学者プトレマイオスが記述したインドの形がまさにこれである。
==>> ここではあくまでも宗教的な意味での世界観を書いてあるのですが、
実際に以下のように自分たちのことを「「バーラタ」と呼んでいるようです。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%88-598276
「(Bhārat) インド人によるインドの呼称。古代インドの伝説上の王バラタ
(Bharata)の領土を意味するサンスクリットのバーラタ(Bhārata)に由来する
ヒンディー語で、一九四九年、インドの正式の国号として採択された。」
・・・これは、日本について考えると、他の国の人たちがJAPANと呼んで
いる国を私たちは日本と呼んでいるようなものでしょうか。
一方、「日本」という国号の由来については、日本書紀が最初であるようです。
「中国との国交が約120年に渡って中絶した後、7世紀初期に再開された時
には、『日本書紀』では「東の天皇が敬いて西の皇帝に白す」、『隋書』には
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」とする国書を
日本側が渡した記述があり、従来のように倭と称する事を避けている。
中国側では『旧唐書』の「東夷伝」に初めて日本の名称が登場し、「日本国は
倭国の別種なり。其の国、日の辺に在るを以ての故に、日本を以て名と為す」
「或いは曰く、倭国自ら其の名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本と為す」
「或いは曰く、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併す」のように、倭が名称を
日本に変えた理由を説明している。また、『新唐書』においては「国日出ずる所
に近し、以に名をなす」とあり、隋書の「日出処天子」と共通している。」
・・・ということは、インドの場合のような神話や伝説に基づくものでは
なさそうです。 どちらかと言えば、外交的・政治的な意味合いに見えます。
p93
意外にもこの地下の世界は一種の楽園である。 わが国の「竜宮」を想起させる。 地界から天界へもどったナーラダ牟尼は天神たちに語ったそうである。 「地下界(パーターラ)
はインドラ(帝釈天)の世界より楽しかったぞ。竜神たちがすばらしく美しい宝石で
身を飾っているあの地下界に比べられるものがなにかあるだろうか。 ・・・かわいらしい
娘たちが歩きまわり、・・・あの地下界で歓喜しない人間がいったいいるだろうか。
・・・すばらしいご馳走を食べ、強い酒をのみ、・・・・池には蓮の花が咲いている。・・・」
p94
七層の地下界の下に「シェーシャ」(竜神の一人)の形態をもつヴィシュヌ神がいる。
シェーシャは根本実在のなかの暗黒(タマス)という特質から発現しているが、その
すばらしさをダイティヤもダーナヴァも表現することができない。 シェーシャは
アナンタ(無限)とも呼ばれ、聖者や神々からも敬われている。
千の頭をもち、その一つ一つに卍(スヴァスティカ)の印がついているーーコブラの
斑紋を連想されたいーー。
==>> おお、なんだか最近の宇宙物理学にでてくる暗黒物質(ダークマター)を
彷彿とさせる表現ですね。
ヒンドゥー教では、地下界に地獄ではなく極楽があるようです。
まさに竜宮城の趣ですね。
そのまた下には、「暗黒」という特質から出て、「無限」とも呼ばれる
ヴィシュヌ神が変身した竜神のようなものがいるという哲学的な存在を
創っているようです。
この本を読んでいると、膨大な資料からの記述があって、ヒンドゥー教の
神話というのか伝説が、複雑で深い哲学性を含んでいることに驚きます。
p96
地下には地獄(ナラカ)もある。・・・「ヴィシュヌ・プラーナ」には二十八の地獄
の名があげてある。
(3) スーカラ(豚)
バラモン殺し、金の窃盗者、飲酒者、およびこれらのものと交わったものが陥る。
「豚」がどのような責め苦を意味するのか説明がない。
(8) ラヴァナ(塩)
師の言葉に従わぬもの、目上の人に乱暴な口をきくもの、ヴェーダ聖典を罵るもの、
等が陥る。
(15) アドームクハ(逆しまの頭)
不法に物をうけとった人が陥る。 占星術をおこなう人も同様である。
(16) プーヤヴァーハ(膿の流れ)
米と肉をまぜて食べたもの、ラック、肉、酒、ゴマ、塩を売ったバラモン、暴力を
ふるったものが陥る。 猫、鶏、山羊、犬、豚、鳥を育てたものも同様である。
p99
・・・人が犯す罪の種類の多さに応じて、さまざまな地獄がある。 階級の義務を守ら
ないものは、それが身、口、意のいずれにおいてであろうと、地獄におとされる。
==>> いろいろと罪状が書かれているんですが、どのような責め苦があるのか
具体的なことは書かれていないそうです。
上記の( )の中に書かれているのが責め苦の言葉のようなんですが・・・・
(豚)ってのはどんな責め苦なんでしょうかねえ。
豚に舐められて笑い続けるような責め苦でしょうか?
「占星術をおこなう」というのはどのような意味があるのでしょうか。
お釈迦さんは、占いやおまじないはダメだと言っていましたが・・・・
(16)がこの中では一番不思議な感じがします。
その当時の背景にある事情がどのようなものだったのか、興味が湧きます。
これによれば、 日本人のようにカレーライスを食べたり、ペット好きの
人たちはみんな地獄ゆきですね。
p101
地獄の主としてヤマ(仏典の閻魔)がいる。 ヤマは審判者である。「パドマ・プラーナ」
によると、地獄には記録官チトラグプタがいて、死者の生前の行為が記録されており、
それにもとづき死者の行くさきが天または地獄に振り分けられる。
==>> 閻魔さんに関しては、国によっていろいろと変化したようです。
https://kotobank.jp/word/%E9%96%BB%E9%AD%94-448212
「冥界(めいかい)を支配する死の神の名称。サンスクリット語ヤマyamaの音写
で、閻魔王(ヤマラージャyama-rāja)ともいう。・・・ヤマとは罪人を縛する
という縛(しばり)の義、つねに苦楽の二つの報いを受けるという双世の義、
・・・・ベーダ時代のインド神話では、妃(きさき)ヤミーと双生神で、正法
(しょうぼう)の神、光明の神とされたが、人界最初の死者であったために冥界の
支配者と考えられた。仏教においては、餓鬼界(がきかい)の主、地獄界の主と
なり、・・・・・地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の化身(けしん)であるともいう。中国で
は道教の思想と結合して、冥府で死者の生前の罪業を裁くという十王の一に
数えられた。密教では天部(てんぶ)の一衆とされ、温容な姿で示される。」
・・・まあ、いろんな変化をする方ですねえ。わけが分からん・・・・
p102
太陽の軌道からその上方の北極星までは「スヴァル・ローカ」という。「天界」と訳して
よいだろう。
「スヴァル・ローカ」には種々の天体が存在する。 まず太陽の軌道から100,000
ヨージャナ上方に月の軌道がある。 ・・・・そのさらに200,000ヨージャナ上方
にブダ(水星)がある。 そのさらに上方200,000ヨージャナにシュクラ(金星)
がある。・・・・・
p103
太陽からドルヴァ(北極星)までの距離は1,400,000ヨージャナとのべられている。
==>> ここには、太陽の軌道の上に月、その上に星宿(ナクシャトラ)、その上に
水星、その上に金星、その上に火星、その上に木星、その上に土星、
その上に七仙人(大熊座)、その上に北極星などと書いてあります。
また、「ドルヴァはあらゆる天体の公転の軸である」と書いてあります。
これを読んでいると、いかにも科学的・天文学的な描写のように見えます
ので、当時としては、「へえ~~、そうなのか」と常識になっていたの
でしょう。
そして、さらにさらに、この北極星の上方に、神々が住むという様々な
世界・領域が述べられています。
p104
馬車に乗る太陽神。 太陽が馬車に乗って天空を巡るという思想はリグ・ヴェーダ時代
からある。
・・・太陽の馬車が図に著されたものとしてはインドよりギリシャに古いものがある。
==>> ヒンドゥー教の前がバラモン教ですが、これをもたらしたのはアーリア人だと
されています。 そして、そのアーリア人はwikipediaには「前15世紀以降に
イラン集団(イラン・アーリア人)が拡大していったと言われる。その後は
テュルク・モンゴル民族の勃興と中央アジア・北部インド・西アジア
支配に
よりさらに細かい複数の集団に別れそれぞれが次第に独自の文化を形成して
いった。現存する近縁の民族としてはパシュトゥーン人、ペルシア人、タジク人、
北部インドの諸民族などがあり、彼らはアーリア人の末裔である。」と
されていますので、太陽神についての思想の元はギリシャ方面にあったの
かもしれません。
この「ヴィシュヌ・プラーナ」というのはコトバンクによれば、
「パラーシャラ仙と弟子マイトレーヤの対話の形で述べられ,世界の創造,
マヌの世紀,日種および月種に属する王族の歴史,クリシュナの伝説,世界の
破滅などの古伝,古い物語が説かれ,全般にクリシュナ崇拝の傾向が顕著で
ある。」とされているのですが、ヒンドゥー教の聖典という宗教の書で
ありながら、ここまで宇宙の構造を事細かに書いているのか不思議で
なりません。宗教であるまえに神話・伝説であるにしても、ここまで詳しい
のは何故なのでしょう。
p109
夜はウシャーと呼ばれ、昼はヴィウシュタと呼ばれ、両者の中間(朝と夕)はサンディヤー
と呼ばれる。 ・・・・魔神(ラークシャサ・・・)たちが太陽を食おうとし・・・
日の出を阻もうとするのだが・・・・毎日死闘がくりかえされる。
このとき敬虔なバラモンたちが密語オンカラ(=オーム)で浄めた聖なる水をふりまき、
魔神たちを退散させる。 ・・・オンカラは至高のヴィシュヌ神である。
==>> ここでは、神話らしい神話、そしてバラモンという宗教者の霊力が描かれて
いますので、宗教書らしくなっています。
p115
ヴェーダ時代の月の名を見ると、二か月ずつ名が組をなしている。 これは二か月が
一つの季節に対応することに関係があるだろう。
なお、仏教では一年は三季節(寒際、熱際、雨際)に分けられるのが普通である。
・・・インドの伝統的なカレンダーには、同じ日付が二度続いたり、ある日付が脱落
したりする現象がみられるが、これは・・・・ティティという特定の日にもとづいた
計算によるのである。
==>> ここでは長々と「日常的な時間」についての記述があるのですが、
一年=3季節というのは雨季と乾季の2季節とするフィリピンと異なり、
また日本の四季とも異なりますが、おそらく北インド地方の季節を物語って
いるのではないかと思います。
こちらの観光サイトでは、
https://www.jtb.co.jp/kaigai_guide/report/IN/2017/05/delhi-climate-clothing.html
「デリーは、インドの中では北に位置しているため、冬はコートやマフラーが
必要なほど寒く、けれど暑い時期には50°C近くにまで気温が上がる気温差
の激しい街です。・・・・インドには大きくわけて3つの季節があります。乾季、
暑季、そして雨季です。」とあります。
=== 次回その4 に続きます ===
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