ムーギー・キム著「そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか」を読む ー1ー 儒教文化vs武士道文化、感謝を求める日本人vs謝罪を求める韓国人、泣いて謝る日本人vs泣いて怒る韓国人

 

ムーギー・キム著「そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか」を読む ー1ー 儒教文化vs武士道文化、感謝を求める日本人vs謝罪を求める韓国人、泣いて謝る日本人vs泣いて怒る韓国人

 

 

 

一言でこの本の感想を述べるとすれば、「なるほど、そうだったのか」、いままで

理由が分からずもやもやしていたものがスッキリした、という感じです。

 

 

著者の上記のような略歴は、よく練られたこの本の内容に反映されていて、両論併記と

いうさまざまな問題点を並べたやり方には好感が持てました。

 

ところで、私は一度も韓国に行ったことはありませんし、韓流ドラマなどのファンでも

ありませんし、韓国人や在日の友達がいるわけでもありませんし、そういう意味では

ごくフツーの何にも知らない平均的日本人かもしれません。

ですから、私が生まれてこのかた70年間ほどの間に見聞きしてきたものといえば

テレビなどで流れてくるさまざまな日韓の政治的トラブルのニュースが大半を占めて

いると言ったほうがいいかもしれません。

 

そして、韓国人の方に直接会って話したことがあるのは、覚えている限りで言えば、

下のようなエピソード記憶ぐらいです。

 

― 1996年ごろ、大分県の工場に単身赴任していた時、別府市の国際交流センターの

  イベントがきっかけで、別府に留学中の韓国人大学生2名と話をする機会があった。

  (男子留学生の留学生宿舎の部屋で、いろいろと話をしたのですが、内容はすっかり

   忘れてしまいました。)

― 2012年に、フィリピン・バギオ市の日本食レストランでたまたま会って、

  じっくりと話をすることができた韓国人男性の話が貴重だった。

  その内容は、こちらのブログに記録していました。

  兵役を終えた ある韓国人のつぶやき

  http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/10/post-a016.html

 

その他には、上のブログに少し出てくる日本語を教えた韓国人学習者や、バギオにおける

韓国人と日本人のビジネスのやり方の違いを調査していた韓国人女子大生、それに韓国人

が大嫌いだというバギオ訪問中の韓国系アメリカ人の男性、バギオでの韓国人会の会長

さんなどと少しだけ話をした記憶があります。

ちなみに、私が長く住んできた、長崎県、神奈川県、東京都、千葉県、埼玉県では、韓国人

の人たちと話をした記憶は一切ありません。

 

そのようなわけで、私としては、特に近現代の日韓間の歴史や政治的問題について本を

読んだり調べたこともほとんどありません。

ですから、近年の政治的・外交的なギクシャクがどんな背景・理由で起こっているのか

モヤモヤとしていたわけです。

 

では、例によって、文脈とはあまり関係なく、私の個人的な興味の赴くままに引用しながら

勝手な感想を書いてみたいと思います。

 

ちなみに、この本の目次は20ページもあって超詳しい目次になっているのですが、

大枠の構成は下のようになっているそうです。

 


  

===============

  

「第1章 日韓両国の文化的違いと、日韓関係の変化」

 

 

p011

 

本書は、思想や歴史認識が長年、左右両極端に凝り固まったオジサン同士の和解や変化を

目指すものではない。

 

本書は「まだ新たな視点を受け入れる変容力がある」という意味で、年齢に関係なく、

頭脳が若く知的な読者層を対象としている

 

==>> この本の意図が、まず最初にこのように前置きとして書いてあります。

     いきなり笑ってしまいました。

     わたしはれっきとしたオジサンですが、上に書いたように、なんにも知らない

     オジサンで、かつ、政治的には日和見主義の浮動票ですから、「頭脳が若く、

     知的な読者層」という範疇には入っていないにしても、フラフラと変わる

     節操のないオジサンの部類には入るかと思います。

 

 

p013

 

特定の政治勢力の正当化のために創作されたり、誤解と対立を激化させて売り上げ部数を

稼いだりと、嫌韓・反日ビジネスに結び付けようとするものもじつに多い。

 

p016

 

本書は学術論文から一般書、昔の本、時にはいわゆる「トンデモ本」まで、広範な

レビューにもとづき、根拠と付加価値のある一冊にしようと微力ながら尽力した

研究者は本の参考文献を見て、書籍のクオリティや信頼性を予想できるものだが、本書

引用している文献の幅の広さと情報の質に関しては、ぜひ安心していただきたい

 

==>> 確かに、本屋の店頭をざっと眺めてみると、いわゆる「売らんかな」の類の

     本が沢山あることに気づきます。そういう中で比べるのは良くないと思う

     ほどに、この本はしっかりと問題点を掘り起こしていると思います。

     40年間研究してきた重みを感じる本です。

 

 

p045

 

この人間関係の距離感の違いは、食事や言語、礼儀や家族関係、接客文化など、日常文化

や行動様式のあらゆる場面に表れる。

この距離感の違いから、韓国は喜怒哀楽すべて、感情表現がストレートな人が多いが、

日本では感情を公的には表に出さない文化が尊ばれてきた。

 

p056

 

ちなみにこの分かの違いは、かなり昔から続いている。

朝鮮王朝初期の15世紀に日本と琉球の歴史や文化が紹介された「海東諸国紀」(申叔舟編)

を読んでいても、日本の食器は木でできていて、スプーンを使わないことへの驚きが

記されているのだ。

なお、私は我慢できずに日本式味噌汁飲みの要領で、石でできたスープのお椀が少し冷めた

ころに直接口をつけてスープを飲んでは、野蛮人扱いされている。

 

==>> この著者は、在日3世であって、学校は普通の日本の学校で教育を受け、

     時々韓国の親戚を訪問するなどしていたようですが、まあ、3世ともなれば

     ほぼ文化的には日本人と同じなんだろうと思います。

 

p064

 

韓国語文化のなかでの人間関係の近さを理解するうえで欠かせないのが、時空を超えた

「ウリ意識」である。

ハングルでは、英語の「My」にあたるものも「Our」にあたるものも「ウリ」と

表現し、これは翻訳がしずらい独特の単語なのだが、なんでもかんでも「私たちの」と

表現する文化があるため、よくも悪しくも集団的な幻想を抱きやすい

 

・・・それが昔の出来事を「過去の世代の出来事」として切り離すのではなく、現在との

連続性を強く意識して捉える傾向にもつながっていると考えられる(そのわりに、

これは人類共通の性とも言えるが、都合の悪いことは「ウリ」の概念からはじかれがちだ)。

 

p065

 

韓国は「身内意識」が強く、「ネロナンブル」問題(自分がやればロマンス、他人がやれば

不倫の頭文字をとった略語」に象徴されるように、反対者は徹底的に糾弾し、身内は

徹底的に擁護するダブルスタンダードをとる傾向が強い・・・・

 

 

p068

 

とくに京都というハイコンテクストで重層的な「お礼」が求められるカルチャーで育った

私としては、「え!? ここで、お礼を言わないの?」と困惑することも多い。

例えば、韓国人は知り合って間もないのに人の紹介を頼んできて、善意で応じてあげても、そのあとに連絡やお礼がないことは、私の経験ではしばしばである。 これは感謝の表明

を重視する日本では、極めて無礼だと思われるだろう。

 

==>> ここで著者は、韓国の身内意識がとても強いことを述べ、その身内意識が及ぶ

     範囲の人たちに対しては、日本人的感覚からは理解できない無礼な態度をとる

     ことが多いと書いています。

     特に、著者自身が京都育ちであることも関係しているのでしょうが、私の

     ような長崎県出身の流れ者であっても著者と同じように感じるだろうと思い

ます。

 

p070

 

実際に、外見的にも文化的にも相違点が多い西洋人に対しては「少しの共通点」を見出して

称賛し、逆に共通点が多いアジア人に対しては「少しの違い」を見出して非難する傾向は

よく知られた現象である。

 

ともあれ両国の人間関係を円滑に前進させるために大切な心得は、韓国人は日本人に感謝

の気持ちをことさら伝え、日本人は韓国人に親しみを表現しつつも、「ウリ同士の近しい

関係」からは、お礼は期待しないということである。

 

p071

 

なお、韓国では口頭での「ありがとう」は少ないが、贈り物がやたらと多く、行動で

感謝を示す人が多いということも付け加えておこう。

 

==>> ここでちょっと頭に浮かんだのは、フィリピンとの比較です。

     フィリピンは何百年もの間スペインとアメリカの植民地になり、3~4年間

     は日本の植民地でもありました。

     韓国は日本の植民地になったわけですが、ウクライナがロシアに侵略されて

     いる今の状況を考え合わせると、隣国に侵略されて植民地にされた場合と

     顔かたちが異なる遠くの民族に支配された場合とでは何か意識的に異なる

     反応があるのでしょうか。

     一般的には近親憎悪などという言葉があるようですが。

 

     「ありがとう」は少ないという点では、フィリピンの例を思い出します。

     D.L.エヴェレット著「ピダハン : 言語本能を越える文化と世界観」

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/07/dl.html

     「p023

人から物を渡されたら、「これでいい」とか「これなら大丈夫だ」というような

ことを口にする者が多いけれども、それも「ありがたい」という意味ではなく、

どちらかといえば「取引成立」という意味で言われているのだ。

感謝の気持ちはあとから、返礼の品とか荷物運びの手伝いといった親切な行為

の形で示される。

==>> フィリピン人は元々家族親戚の小さなグループで、バランガイと

呼ばれる小舟に乗ってあちこちに移り住み、定住したあとも、血縁集団とし

て生活をしていたので、「ありがとう」とか「ごめんなさい」などの言葉は

無かった。そのような言葉の代わりに、なんらかの態度・行為で示していた。

近年は、アメリカ式の生活習慣と英語の普及によって、特に若い世代では

 「サンキュウ」や「ソーリー」などを使うようになったが、フィリピン語には

  それに直接該当するような表現はない、とのことだった。」

 

 

p073

 

公的な場で大の大人が涙を流して謝っているというのは世界的に珍しい。とくに感情を

表に出さない武士道・相撲文化の日本では、なおさら不思議である。

 

これに対し、韓国人は日本人に比べ、大げさに怒るし、怒るときにこそ泣く

韓国人は「感謝」には執着しないが、「謝罪」には強いこだわりがあるのだ。

また謝罪がなされても、そこに「真の感情」があるかどうかが厳しく問われる。

 

==>> これは確かにそうだなあと思います。

     一番有名な男泣きは、山一證券が倒産したときのこれでしょうか。

     https://bunshun.jp/articles/-/11593

     それに、その次に有名な男の涙は、このトヨタ社長の涙でしょうか。

     https://www.youtube.com/watch?v=MnRvO6225gQ&t=9s

     この時の世界的な反響としては、特に海外向けには企業の責任者は涙を

     見せてはならないという論調でした。

 

     そして、上記の後段の部分については、日韓の外交問題のすったもんだに

     関して、たしかにそのような韓国側の反応があったなと思います。

 

p074

 

たとえば悲しむときも、韓国ドラマの登場人物がやたらと大声で怒っているのを

見たことはないだろうか。 時代劇を観ていても、日本の姫は静かにしているが、韓国の

王妃はほぼ毎回、怒鳴っている

 

「ああ、こんなに大声で怒っているのは、我が家だけじゃなかったんだ」

と、ある意味ホッとしたものである。

ちなみに私の妻が覚えた最初の日本語は、私に対する「謝れ」であった。

 

==>> つまり、著者はここで、日本人は大げさに謝り、韓国人は大げさに怒ると

     書いています。 お互いにそこは割り引いて受け止めた方がよいそうです。

 

     しかし、この著者本人はほとんど日本人ですが、家の中には、なかなか

     厳しい韓国を抱えているようですね。

     国際結婚というのはなかなか大変なことですね。

 

p076

 

しかし、カメラがなくなると、デモ自体は影を潜め、その周りで食べ物や飲み物が

配られるなどして、楽しそうにダンスをしている人も少なくない。

 

「もはや韓国のデモは、健康か何かのためのスポーツの一環ないしコミュニティ活動、

はたまたストレス発散のお祭り騒ぎとして怒っているのでは」と思えるくらいである。

 

これは、感情のなかでもとくに怒りの感情を隠す日本とは対照的な文化的特性と言える

だろう。

 

==>> ここでは、韓国での政治的デモ、そしてそれを報道するメディアの裏側を

     解説しています。 日本のニュースで流れている韓国でのデモには、この

     ような実態もあるということを心得ておくのがいいかもしれません。

 

 

p079

 

日本人に対しては謙遜の姿勢を示すことでこそ敬意を得られるし、逆に少しでも傲慢な

態度を見せれば、「この人は傲慢でも仕方ないよね」と別枠認定でもされない限り、

たいていは非常に強い反発を買うことになる。

 

これはしゃちょうや会長は、それらしく振る舞わなければ舐められると思われがちな

韓国とは、ある意味対照的だろう。

 

==>> この辺りは、企業風土にも関わる部分だと思いますが、今までにさまざまな

     情報として理解している限りで言えば、おおむね上記の通りだろうと

     思います。 

     私がフィリピンで聞いた韓国人のビジネスのやり方は、日本人と比べると

     利益優先で判断もかなり素早いようです。

     事業や店舗をどんどん転売するという話は、なかなか日本人には出来ないこと

     なのではないかと思います。

 

 

p080

 

儒教道徳の多くは過去のものになりつつあるとはいえ、親子の関係や長幼の秩序はいま

でも重視されることが多い。

初対面ではやたらと年齢を聞かれ、それに応じて話し方が大いに変わる

 

私も韓国語で韓国人相手に話すときは、年下に間違ってタメ口を使われると、正直

言って内心頭に血が上る

英語だと許せるのだが、また外国人だと仕方ないのだが、・・・・・

 

==>> これは私も経験したことです。

     あまり気にしたことはないのですが、フィリピン人の学習者に挨拶の言葉を

     教えていた頃、「おはよう」と「おはようございます」の両方を教えるのですが、

     朝の授業開始前に「おはよう」と言われると、内心ムッとしたのです

     これは、私の生徒が日本で挨拶の仕方を間違えると、特に日本企業の先輩や

     上司などからいらぬ低評価を受ける危険性があるなと思ったものです。

     それ以来、私は出来るだけ敬語を教えるように心がけました。

 

 

p081

 

韓国では対内的に目上を呼ぶときも敬称だし、とくに父母については対外的に話す

場合はとくに敬語を使う。 たとえば、「うちのお父様がおっしゃったのですが・・・」

と言った具合だ。

 

自分や身内を低めて相手を高めるという謙遜文化は、武士道日本では必須でも、儒教国

韓国では比較的希薄なのだ。

 

==>> これは元日本語教師としては、非常に興味深い話です。

     日本語の場合は、内言葉・外言葉を教えなくてはいけないのですが、

     この内外の観念が韓国語とはかなり違うんですね。

     

 

p082

 

「結婚式の違い」である。

日本では親族は出入口に近い末席に座るが、韓国の結婚式では、ステージの前の一番

いい特等席が父母の席である。

他人のお客様よりも、身内の父母を尊重する文化なのだ。

 

 

p097

 

より文化的側面やマクロの数字に目を向けてみれば、韓国の世界一低い出生率(0・81

2021年12月韓国統計庁)、OECD加盟国一高い自殺率、そして夫婦相談所や夫婦

精神クリニックの多さは異様である。

 

・・・家庭内での役割も、しばしば五分五分以上の分担を強いられるうえの、共働き

でもヘルパーさんを雇う費用もすべて男性に降りかかりがちだ。

 

p098

 

・・・あくまで一般論としては古くからある儒教文化の影響か・・・・

「~あるべき思想」が強く、自然体でありのままを受け入れようという姿勢が弱いのは、

韓国文化のじつにしんどい特徴である。

 

p099

 

日本は多少金がなくても住める安価な賃貸アパートが多く、若者向けの仕事も多くて

エリートでなくてもそれなりに結婚して育児ができる環境があるが、それに比べて

韓国は、かなり高プレッシャー社会だといえよう。

 

==>> 韓国は儒教の国だというのは良く聞く話なのですが、そのことが現代の

     若い世代には非常に大きなプレッシャーとなっていて、日本に比べても

     なかなか住みにくい国になっているようです。

     経済的には日本を追い越したとも言われている韓国ですが、その内容は

     まだまだ韓国の方が厳しいようです。

 

p100

 

男性は妊婦に、まるで女王に接するようにかしずくし、常に妊婦のエスコートが求め

られる。 たとえば日本の産婦人科は女性だけが来ていて、男性が付き添ってきていない

ことに韓国人女性は驚くのである。

 

 

p104

 

韓国社会は変化が早く、多様性に富んでいるので、少し前の韓国のイメージが、もう

浦島太郎の話のように昔話になっていることも少なくないのである。

 

==>> ここでは、「激変する男女関係」という章の話が書いてあるのですが、

     儒教文化であるためか女が共稼ぎをしていても男一人の稼ぎで家庭を

     支えなくてはいけないという、男への期待値は下がっていないことが述べ

     られています。

     しかし、そのような変化は、今の状況であって、今後もいろいろと変化して

     いくだろうとの著者の読みであるようです。

 

 

 

さて、これで第1章を読み終わりました。

 

次回は「第2章 なぜ韓国人は過去にしつこく、日本人は無責任なのか?」

に入ります。

 

===== 次回その2 に続きます =====

 ムーギー・キム著「そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか」を読む ―2― 水に流す武士道vs死後も追いかける儒教、 秀吉のツケが今も残る、「記憶にございません」vs「謝罪しろ!」 (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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