D.L.エヴェレット著「ピダハン : 言語本能を越える文化と世界観」を読む ― 1 ― 難産の妊婦は一人で死んでいった、 赤ちゃんは赤ちゃんではない、 精霊と村八分が法律なのか

D.L.エヴェレット著「ピダハン : 言語本能を越える文化と世界観」を読む ― 1 ― 難産の妊婦は一人で死んでいった、 赤ちゃんは赤ちゃんではない、 精霊と村八分が法律なのか

 

 

D.L.エヴェレット著・屋代通子訳「ピダハン : 言語本能を越える文化と世界観」

を読んでいます。 例によって、この本は古本でも高いので、地元の図書館から借りてきました。6冊目です。

 

ピダハン族については、先に読んだこちらの本で知りました。

 

高田英一著「手話からみた 言語の起源」― 文字を持っていないピダハン族

https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/07/blog-post_74.html

 

この本の内容は、大雑把にいうと、民俗学、旅行記、言語学の3つの興味に分かれるかなと

思います。 私の興味は「意味とは何か」というところにありますので、言語学っぽい

部分を主につまみ喰いしていきます。

 

 

 

p001

 

白衣をまとった研究チームが、天才科学者の指導のもとに勤しむものだけが科学では

ない。 たったひとりで苦闘し、困難な地に赴いて途方に暮れたり危険に直面したり

しながら、新たな知識を果敢に探りだそうとすることで求められる科学もある。

この本は後者のタイプの科学探求を描いたものであり・・・・

 

p004

 

彼はわたしの右手に立っていて、力強くて茶色い痩せたその体は、見ているもののせい

で緊張にこわばっていた。

「あそこにいるのが見えないか?」彼はじれったげに切り返してきた。

「イガガイー、雲の上の存在が川べりに立ってこちらに叫んでいる。おれたちが

ジャングルに入ったら殺すと言っている

「どこだ? 見えないよ」

「すぐそこだ!」一見何もみえない川辺を凝視しながら、コーホイは言い放った。

 

p005

 

わたしには、河岸には誰もいないとピダハンを説得することはできなかった。

一方彼らも、精霊はもちろん何かがいたとわたしに信じさせることはできなかった。

 

・・・ピダハンから教えられたように、自分の先入観や文化、そして経験によって、

環境をどう感知するかということさえも、異文化間で単純に比較できないほど違って

くる場合がありうるものなのだ。

 

==>> これはまだプロローグのページなんですが、この本の全体の中でも

     一番キーポイントになる部分が書かれているように思います。

     ひとつは、フィールドワークが大切であること、そして、言語学と

     言えども、言語が文化に大きく制約されるものであることを述べている

     ようです。

     それは、おいおい、チョムスキーの生成文法や普遍文法などの考え方に

     対する批判という形になっているようです。

 

p010

 

空を飛んでいくのは、ただ会いに行くためではなかった。 伝道師として赴くのだ。

経費と給料がアメリカの福音派教会から払われる。 だからわたしは、わたしが信じて

いる神を崇め、キリスト教の神を信仰することにともなう倫理や文化を受け入れるように、

「ピダハンの心を変える」ことに専念するのだ。

 

p011

 

これから訪ねていく人々は、世界でも最も研究されていないほうの部族で、世界の言語の

なかでもかなり特異な言葉を操るーー少なくとも失意のうちに去った何人もの言語学者や

人類学者、伝道団をみるかぎり、そのようだ。 ピダハン語は現存するどの言語とも類縁

関係がないという。

 

==>> こちらの著者の略歴にも書いてあるように、1977年に伝道師として

     アマゾンに入り、1985年にはキリスト教への信仰を捨てたと書いてあり

ます。 直接的に何が理由かは明確ではありませんが、ピダハン族の暮らしや

考え方を学ぶ中で、ミイラ取りがミイラになったようです。

 

     

 

p019

 

ピダハンは折にふれて名前を変える。 たいていはジャングルで会った精霊と自分の

名前を交換するのだ。

 

p022

 

言語学で言う「交感的言語使用」がみられない・・・・

「こんにちは」「さようなら」「ご機嫌いかが」すみません」「どういたしまして」

「ありがとう」といった表現は、これといった新しい情報を提供するものではなく、

むしろ善意を示したり敬意を表したりするものだ。 ピダハンの文化は、こうした

コミュニケーションを必要としていない。

 

ピダハンの表現はおおまかに言って、情報を集めるもの(質問)、新しい情報を明言

するもの(宣言)、あるいは命令のうちのどれかだ。

「ありがとう」や「ごめんなさい」に相当する言葉はない

 

p023

 

人から物を渡されたら、「これでいい」とか「これなら大丈夫だ」というようなことを

口にする者が多いけれども、それも「ありがたい」という意味ではなく、どちらかと

いえば「取引成立」という意味で言われているのだ。

感謝の気持ちはあとから、返礼の品とか荷物運びの手伝いといった親切な行為の形で

示される

 

==>> 名前を交換することについては、後から少し詳しくでてきますが、

     古い名前でその人を読んでも反応してくれないそうです。

     ただ単に名前が変わるだけではなく、別人になるような変化があることが

     その特徴であるようです。

 

     「ありがとう」や「ごめんなさい」に相当する言葉はない・・・という話に

     ついては、フィリピンのバギオ市で同じ話を聞いたことがあります。

     

     もう、20年以上も前の話ですが、私がバギオ市で大学の先生から個人授業   

     で、英語とタガログ語を習っていた時のことです。

     その時の話題は「なぜフィリピン人はありがとうとかごめんなさいを言わない

     のか」というものでした。

     そして、その時の先生の話は、

     フィリピン人は元々家族親戚の小さなグループで、バランガイと呼ばれる

     小舟に乗ってあちこちに移り住み、定住したあとも、血縁集団として生活

     をしていたので、「ありがとう」とか「ごめんなさい」などの言葉は無かった。

     そのような言葉の代わりに、なんらかの態度・行為で示していた。

     近年は、アメリカ式の生活習慣と英語の普及によって、特に若い世代では

     「サンキュウ」や「ソーリー」などを使うようになったが、フィリピン語には

     それに直接該当するような表現はない、とのことだった。

 

     これなどは、まさに、文化が言語を制約するという一例ではないかと思います。

     おそらく、ピダハンの場合も、これと似た生活集団の歴史があるのでは

     ないかと推測します。

 

 

p030

 

棍棒をつかんだわたしはタランチュラを叩き潰した。玄関にいたピダハンたちがそれを

見ていて、何を殺したのか尋ねてきた。

「ウーイー タランチュラ」と私は答えた。

「おれたちは殺さない。 タランチュラはゴキブリを食べるし、害はない」

 

 

研究者はまさに未知の文化に飛び込むことになる。 ・・・フィールドから疎外されて

いく危険性も大いにある。 ・・・新しい文化に長くいればいるほど、その文化が自分

自身の文化と違っていればいるほど、深い部分で捻じ曲げられていく。

 

==>> タランチュラと言えば、大きな猛毒のクモというイメージでしたが、

     ちょっと調べてみると、どうも大きな誤解があったようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%A9

     「この項目では、伝説上の毒グモについて説明しています。」

     「タランチュラコモリグモは、雌が体長約27 mm、雄が体長約19 mmとコモリ

グモの中では大型であるが、実際には毒は恐ろしいものではない。同じ地域には

人間にも危険な猛毒のジュウサンボシゴケグモ(Latrodectus tredecimguttatus

が生息しており、全長が約1cmのジュウサンボシゴケグモよりも、より大きな

タランチュラコモリグモの方が目に付きやすいため、誤解が広まったようで

ある。」

 

 

p036

 

おまけにピダハン語は、多くの言語に見られる要素が欠けていて、とりわけ文章の

つなげ方が恐ろしく難しい。 たとえばピダハン語には比較級がないので、「これは

大きい、あれはもっと大きい」というような表現が見つからない。

色を表わす単語もなく、赤、緑、青などなどと一語で言えば簡単なところを、

たとえば赤だったら「あれは血みたいだ」とか、緑だったら「まだ熟していない」

いうような説明的な表現になる。 

 

==>> ピダハン語は、言語学者にとってもかなり難しい言語であるようですが、

     その特徴については、wikipediaにこうあります:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%80%E3%83%8F%E3%83%B3%E8%AA%9E

     「現在知られている限りでは最も少ない音素体系の言語の一つであり、それと

対応して、非常に幅広い異音のバリエーションが見られる。」

「明暗以外に、色を表す抽象的な語が存在しない。ただし、これについては

ポール・ケイらによって、異議が唱えられている。」

     「ピダハン語の文法には再帰が無く、また過去形や未来形といったものが無い

いう言語学的特徴を備えて・・・・」

 

     ・・・いろいろと特徴があるようですが、色の話についていえば、日本語でも

     橙色、茶色、金色、すみれ色、などは、それぞれ果物のダイダイ、お茶、貴金属

     の金、花のすみれ、からきたものでしょうから、ある意味、言語はメタファー

(比喩)であるという説を証明するような話なのかもしれません。

     

p084

 

ピダハンの葬式には、当座の食べ物を料理してもってきてくれる隣人も親戚もない。

母親が死んでも、子どもが死んでも、伴侶が死んでも、狩りをし、魚を獲り、食料を集め

なければならないのだ。 誰も代わってはくれない。 ピダハンの生活に、死がのんびりと

腰を落ち着ける余地はない。

 

p085

 

・・・夜中に思いつめた目をしたピダハンの男に起こされたことは何度もある。

すぐにきて、病気の子どもや伴侶を見てやってくれないかと、その顔に刻まれた苦悩と

心痛は、ほかの何ものにも劣らず深いものだった。

だがピダハンが、必要なときには世界中の誰もが自分を助けるべきであると言わんばかり

にふるまったり、身内が病気か死にかけているからといって日課をおろそかにしている

ところは見たことがない。

冷淡なのではない、それが現実なのだ。

 

==>> ここでは、人が死んでも、葬式らしい葬式もなく、ただただ日々の日課が

     いつものように流れていくということを描いています。

     毎日、食事のための狩りを休むわけにはいかない。

     そして、医者も病院もないところでの病気の結末は、なんとも対応のしようが

     ないことを身に沁みて分かっているということのようです。

     その為に、疫病退散の祈禱をやるというような話もまったく出てきません。

     この本の中で、一番悲惨だなと思ったのは、妊婦が陣痛の痛みに耐えかねて

     叫び続け、そして死んでしまうという話です。

     しかし、それを手助けする、いわゆる産婆と呼ばれる役割の人もいない

     ようです。 妊婦が一人で川で赤ん坊を産み落とすということらしい。

 

p106

 

ピダハンの物質文化が、世に知られているなかでも最も簡素な部類に入るものであること

はわかっていた。 道具類をほとんど作らないし、芸術作品はほぼ皆無、物を加工すること

もまずない。 彼らが使う数少ない道具のうちでおそらく一番目につくのは、大型で

強力な弓(長さ2メートル以上もある)と矢(これも2メートルから3メートルと長い

ものだ)だろう。 

 

男たちが弓を作る間、妻や母親、あるいは姉妹が弦を作る。

 

使い捨ての籠を作る技があれば、長持ちする材料(柳など)を選びさえすれば長く使い

続けられる籠を作れるはずだが、そうしない。

・・・人の動きのほうに物を合わせようとする意志を感じる。

 

p107

 

ピダハンにとってはネックレスの美しさはおまけで、第一の目的は毎日のように見ている

悪霊を祓うことなのだ。ネックレスには羽根や明るい色の装飾が好まれる。そうすれば

ネックレスがよく目立って悪霊が不意をつかれずにすむからだ。 野生動物と同じで、

悪霊も不意をつかれたとき攻撃してくる。

 

==>> 本に掲載されている写真を見ればすぐに分かることですが、ピダハンは

     他の原始的生活をする民族にみられるようなボディーペインティングなども

     なく、装飾的なものはほぼないようです。

     また、家には壁もなく、ほとんどプライバシーもないようです。

     プライバシーが必要な場合は、ジャングルの中に入っていくらしい。

     そして、今日必要な食べ物は今日取りに行くという生活のようです。

 

 

p109

 

・・・もう自分たちで作れるじゃないかと言い返すと、「ピダハンはカヌーを作らない」

と言って行ってしまった。 ・・・この経験からわたしは、ピダハンが外の世界の知識や

習慣をやすやすとは採り入れないことを知った。

 

ピダハンは肉の保存法を知っている。 ブラジル人に会いそうな場所へ出かけようとする

ときには、肉がもつように塩漬け(塩があれば)か燻製にする。 けれども自分たちの

ために加工することは決してない。 ・・・ピダハンは狩りや漁をしたら、獲物はすぐに

食べきってしまう。 自分たち用に加工してとっておくことはしない。

 

==>> これはまったく徹底していますね。

     日本人のご先祖とは真逆の発想ですね。

     日本列島に住んでいた縄文人などは、外の世界の知識や習慣をどんどん

     取り入れて日本という国の基礎を築いたのでしょうし、季節ごとに獲れるもの

     を、季節に左右されないように、さまざまな形に加工して保存する方法を

     編み出したわけですね。

     日本人は未来のことを一所懸命心配する民族のようですから、このピダハン

     とは真逆の考え方になったようです。

     それも、風土という生活環境によって可能なあるいは制約される生活のスタ

     イルになったということなのでしょう。

 

p110

 

ピダハンたちが3日の間ほとんど休みなしに、狩りにも行かず漁にも行かず果実を

拾いにも行かず、もちろん備蓄の食料もなく、ずっと踊りつづけているのを見たことも

ある。 

 

ピダハン以外の人間がピダハンに比べてどれほどたくさん食べるものか、都会に行って

街の人間が食べる様子を目の当たりにしたピダハンの反応を見るとよくわかる。

 

・・・不思議そうな顔で、「また食べるのか?」と聞いてくる。

食べ物はあるときになくなるまで食べる、というピダハンの食習慣は、食物が常に

手の届くところにあり、決して尽きることがないという環境に来ると成り立たなくなる

のだ。

 

==>> この部分は、今どきの世界情勢を考えるとなかなか示唆に富む内容では

     ないかと思います。

     グローバル経済の中でサプライチェーンを使って、お金を持っている国の

     人々が世界中から美味しいものを集めるような国がいいのか、

     あるいは、食料安全保障も考慮しながら、地産地消で、その日その日に

     獲れる季節のものを食べる生活がいいのか・・・・

 

p111

 

ピダハンの男は午前の三時でも午後の三時やら午前六時やらと同じ調子で漁をする。

 

p112

 

朝の三時に誰かが魚を獲ってきたらそれが食事時になる。 家族の全員が起きて、

すぐさま魚を食べにかかるのだ。

 

p113

 

ピダハンには食品を保存する方法がなく、道具を軽視し、使い捨ての籠しか作らない。

将来を気に病んだりしないことが文化的な価値であるようだ。 だからといって怠惰なの

ではない。 ピダハンはじつによく働くからだ。

 

ピダハンは未来を描くよりも一日一日をあるがままに楽しむ傾向がある・・・

 

==>> ピダハンにはどうも体内時計ってはものはなさそうですね。

     獲物の種類によって、獲れやすい時間帯があるようで、それに合わせて

     狩りや漁をやって、それで食事の時間が決まるようです。

     昼も夜も関係なく食料を獲りに行くから、色の抽象的な名称が無いのかも

     しれません。

 

     しかしそれにしても、「将来を気に病んだりしないことが文化的な価値」と

     いう点は、これもまた日本人とは真逆と言っていいんではないでしょうか。

     「未来を描くよりも一日一日をあるがままに楽しむ傾向がある」という

     ところは、フィリピン人に共通するようにも思えます。

 

p117

 

誰かが死ぬと、死んだ人物は埋葬される。 ピダハンは亡くなったピダハンを決して

放置せず、必ず埋葬する。 死者の埋葬には儀式が付きものだが、ピダハンの場合、

儀式という名で呼べそうな行動はほとんどともなわない。 

 

・・・埋葬に関してはゆるやかな慣習めいたものは観られるのだが、儀式ではない。

 

p118

 

性と婚姻にも儀式と呼べるような行為は見当たらない。 

 

・・・ピダハンは動物を、どう生きるかのいい見本と考えているからだ。 性交は相手を

食べると表現される。 「彼を食べた」「彼女を食べた」というのは、「彼/彼女と性交

した」という意味だ。

 

・・・性交の相手は配偶者にかぎらない。 もっとも結婚している男女の場合は、配偶者

同士の性交がふつうだ。

 

・・・・ ふたりが村に戻ってきても一緒に居続けるようであれば、

前の伴侶とは離別し、新しい相手と結婚する。 婚姻は同棲することで認知される

 

結果がどうあれ、駆け落ち組が戻ってきたあとは、少なくとも表向きはそのことが

取りざたされたり、文句が言われたりすることはないようだ。

 

==>> ここでは、埋葬と結婚のことが描かれていますが、いずれも実に

     あっさりとしたものだと思います。

     皮肉にも、今現在の新型コロナの日本においては、図らずも、葬式と結婚が

     実にシンプルになってしまったように思います。

 

     上記の後半部分は、いわゆる「不倫」「駆け落ち」の話なんですが、

     その二人が数日間集落からいなくなって、戻ってきて一緒に住み続けたら

     それが離婚・再婚成立ということになるようです。

     そのような場合に、食料確保と分配がどうなるのかについては、なにも

     書いてありません。

     トラブルの仲裁などがどう行われるのかも記載がありません。

     それも精霊まかせなのでしょうか。

 

p119

 

ピダハンの営みで最も儀式に近いのは、踊りだろう。

躍りは村をひとつにする。村じゅうの男女が入り乱れ、たわむれ、笑い、楽しむのが

特徴だ。 楽器はなく、歌と手拍子、足拍子だけが伴奏になる。

 

p120

 

歌と踊りはたいてい満月の夜に催され、その間は結婚していない者同士はもとより、別の

相手と結婚している者どおしでもかなり奔放に性交する

 

 

p121

 

躍りに現れる精霊は、演じている男が出会い、取り憑かれている精霊だ。 ピダハンの

精霊にはすべて名前と人格があり、各々の行動はある程度予測がつく。

・・・儀式の意味は、人びとに強くなれと教え、身の周りの環境をよく知れと教える

ことだ。

 

ピダハンに儀式が見受けられないのは、経験の直接性を重んじる原則で説明できるのでは

ないだろうか。 この原則では、実際に見ていない出来事に関する定型の言葉と行為

(つまり儀式)は退けられる。

つまり登場人物が自分の演じる出来事を見たと主張できない儀式は禁じられるのだ。

 

==>> ここでは、歌と踊りの満月の夜のお祭りみたいなものが描かれています。

     ここでは、お酒のようなものがあるわけでもなく、シラフ状態での

     興奮状態が作られるようです。

     その興奮状態を作るのは、精霊に憑りつかれた男であるようです。

 

     また、この祭の夜に、アメリカ人であるこの著者とその妻は、

     ピダハンの男女と寝ないかと誘われたことも書かれています。

     さすがに、キリスト教徒である夫婦は断ったと書いてあります。

 

 

p122

 

ピダハンはどんなことにも笑う。 自分の不幸も笑いの種にする。 風雨で小屋が

吹き飛ばされると、当の持主がだれよりも大きな声で笑う。 魚がたくさん獲れても

笑い、全然獲れなくても笑う。 腹いっぱいでも笑い、空腹でも笑う。

 

このみなぎる幸福感というものは説明するのが難しいのだが、わたしが思うにピダハンは、

環境が挑んでくるあらゆる事態を切り抜けていく自分の能力を信じ切っていて、何が

来ようと楽しむことができるのではないだろうか。

 

p123

 

ピダハンは・・・・自分に厳しく、年配の者やハンディのある者に優しい

村にカアアーイ(ワニ)という年寄りがいて、足元がおぼつかなくなり漁にも狩りにも

いけなくなっていた。 彼は毎晩みんなのために、たきつけにする小枝を集めていた。

村人に、お返しに何もくれないカアアーイにどうして食事を提供するのかを尋ねてみた。

「おれが若いころカアアーイが食わせてくれた。いまはおれが食わせる」

 

==>> こういう話は、フィリピン人の国民性の話の中にもよくでてきます。

     先日観たテレビ番組でも、フィリピンの田舎町の路地裏で女性たちが

     集まって何やら話をしている場面がありました。 そこでは、ビンゴ・ゲーム

     を毎日やっている姿や何かの講の集まりのような場面でしたが、どちらに

     おいても、「笑っていればいいのよ」というようなことをおばちゃんたちが

     言っていました。

     基本的には「なんとかなるさ」という自信とも諦めともいうような思いが

     根底にあるような気がします。

 

p124

 

親族を表わす言葉はピダハンには次のあげる数語しかない。 世界でも稀に見る

あっさりした親戚関係だ。

 

(かなり省略して書きます)

「マイーイ」― 親、親の親、さらに一時的ないし恒久的に従属を示したい相手をさす。

「アハイギー」― 同胞(男女とも)

「ホアギー」― 息子

「カイ」― 

 

==>> 村落としては母方居住や父方居住がまじっていて、「ピダハンの社会のなるよう

     になれ主義と、ごく限られた範囲しか親族とみないことの産物だろう」と

     しています。

     

 

 

p128

 

何をもって子育てのゴールとするのか。 わたしはまず、見たかぎりでピダハンが赤ちゃん

言葉で子どもたちに話しかけないことから考えはじめた。 ピダハンの社会では子どもも

一個の人間であり、先人した大人と同等に尊重される価値がある。

子どもたちは優しく世話したり特別に守ってやったりしなければならない対象とは見なさ

れない。

 

p129

 

赤ん坊は切ったり火傷したりして怪我をすると叱られる(もちろん手当もしてもらえる)。

そして母親は怪我をした赤ん坊が泣くと、たいていはうんざりしたように低い声で

「ウムムム!」と唸る。 怒ったように(といっても乱暴にではなく)赤ん坊を抱きあげ

て、ぶっきらぼうに危険から引き離す。

 

==>> ピダハンは、いわゆる赤ちゃん言葉(喃語)を使ったりせず、大人に対する

     のと同じ話し方で子どもに接するそうです。

     そして、赤ちゃんが包丁で怪我をしても、火で火傷をしても、

     「かわいそう」などと慰めたりはせず、𠮟りつけて、「子どもが痛い目に

     あわないようにするにはどうしたらいいか、教えてやる」のだそうです。

     子どもを危険から遠ざけるようにする日本とは真逆の発想ですね。

p129

 

妊婦は自分ひとりで、あるいは親族の女性といっしょに川に入り、腰のあたりの

深さまで進んでそこにしゃがんで子どもを産みおとす。

 

p130

 

難産だった。 女性は苦しみ、「助けて、お願い! 赤ちゃんが出てこない」と

叫んだ。 

「死んでしまう! 痛いわ。 赤ちゃんが出てこない!」

女性は悲鳴を上げたが誰も答えようとしない。

 

だが、妊婦の両親はそばにおらず、他は誰ひとり彼女を助けに行こうとはしなかった。

 

朝になってスティーヴは、妊婦と赤ん坊が川べりで誰にも面倒を見てもらえないまま

息絶えたのを知った。

 

==>> これはまさに悲惨としか言いようがないのですが、医者も病院も産婆も

     いない原始的な生活の村では、「ピダハンが、人は強くあらねばならず、

     困難は自分で切り抜けなければならないと信じているがゆえに、死にゆく

     女性に手を差し伸べず見殺しにすることもあるとしることができる」と

     書いてあります。

     要するに、そのような村においては、人の手でどうしようもないことに

     ついては、自然に任せるしかないと達観せざるを得ないということでしょう。

 

 

p134

 

このような文章の区分けは、統語論的な意味での文法上の区分けではなく、むしろ観念的

なものだ。 思考のプロセスを辿っていると言ってもいい。 

 

p135

 

この物語を文化的な面からみると、語り手が罪の意識を排除しようとしているように

見えるところが興味深い。 妊婦を見棄てること自体はけしからぬことであるかのように

描かれ、そこは我々西洋人の感覚にも合う。だがそれでも、語り手もそのほかの登場

人物も女を助けに行こうとはしていない。 

 

誰であれ自分で自分の始末をつけることの大切さが、それがたとえ命に関わる場面で

あっても手出しはしないことの価値が、言葉ではなく目に映る行動そのもので示され

ている。 ・・・・言葉に表される価値と、現実の価値とを区別しているのだ。

 

==>> この物語というのは、上記のピダハンの妊婦が出産に失敗して死んだ事実を

     ピダハンから聞き取った物語として、伝道師・言語学者が採録したものとなって

     います。

     その3ページに渡って書かれている物語を読むと、非常にシンプルな文が、

まるで詩のように並んでいます。繰り返しが多い詩のような文章です。

このピダハン語に慣れていないと、意味を理解するのも難しい文章です。

     ほとんど事実だけを短く語っている文章です。

 

     見捨てるということに関しての罪の意識のようなものは感じられるが、

     誰も妊婦を助けに行こうとはしなかった、と西洋人の視点から解釈されて

     いるのですが、果たして罪の意識を排除しようという感覚なのか、あるいは

     医療的な環境が皆無の社会における生死は自然にまかせるという基本的考え方

     がこの物語に表れているのか・・・・

     おそらく、戦国時代の日本であれば、加持祈祷のようなことで神仏に祈る

     ぐらいのことしかできないのと同じなのでしょう。加持祈祷をやるということ

     は、具体的には打つ手がないということでしょうから。

     この点でも、精霊の持つ役割がないのかが気になります。

 

p138

 

墓穴を掘った。 赤ん坊を墓に納め、埋葬を見に来た3,4人のピダハンの前で穴を

土で埋めた。

 

ピダハンの立場からすれば最善と思われるやり方で始末をつけたにすぎなかったのだ

と思えるようになってきた。

 

医者のいない土地で、頑丈でなければ死んでしまうと分かっていて、わたしなどより

よほど多くの死者や死にかけた人達を間近で見ているピダハンには、人の目に死相が

浮かんでいることも、どういう健康状態だと死に直結するかも、わたしが気づくより

ずっと早く見抜けてしまうのだ。

 

==>> ここには、瀕死の赤ちゃんに対して、アメリカ人の伝道師のアイデアで、

     ミルクチューブでミルクを飲ませることをやろうとしたが、その赤ちゃんの

     父親は、自分の手で喉にアルコールを流し込んで安楽死させたことも

     書いてあります。

     現代の先進国では、最先端医療で、様々な病気を克服できるとも言われて

     いますが、人類としての自然な生命体をいろんな形で変化させることに

     よって、本来の幸福なるものがもたらされるのかどうか、非常に疑問に

     思います。 などと言いながら、私自身もその現代医療の恩恵にあずかって

     いるわけですが・・・

 

p141

 

ピダハンの子育てには、原則として暴力は介在しない。 ・・・・シャノンが生まれたのは

私が19歳の時だった。 未熟さとキリスト教的子育て観とが相俟って、鞭を惜しむと

子どもをだめにするという聖書の教えにしたがい、体罰は妥当であり効果があるとわたし

は考えていた。 

 

・・・シャノンはお仕置きはいらないと叫びはじめた。 すぐさまピダハンたちが

集まってきた、わたしたちが声を荒げるといつもやってくるのだ。

 

p142

 

わたしが家を出ると、ピダハンの子どもや大人たちが大勢ついてきた。負けたと思った。

ピダハンのいるところではもうお仕置きはできない。 ピダハンのしきたりに従わない

わけにはいかなかった。

 

p143

 

人生は素晴らしい。ひとりひとりが自分で自分の始末をつけられるように育てられ、

それによって、人生に満足している人たちの社会ができあがっている。この考え方に

異を唱えるのは容易ではない。

 

==>> これを読むかぎり、アメリカ人伝道師が信奉する神の教えよりも、ピダハンの

     精霊の教えの方が現代感覚にあった子育て法のようです。

     少なくとも、村の中で自分の子どもに暴力をふるうことはできない。

     一人一人が自分に責任を持てる強さがあるからこそ、「人生に満足している人

たちの社会ができあがっている。」という文化社会のようです。

いわゆる先進国の高等教育がそのような文化社会を作れるのかどうか、

はなはだ疑問に思えてきます。

     もちろん、ピダハンの社会のような数百人の社会と、何千万人という人口の

     社会を同列で語ることなどは無理なのですが。

 

p143

 

集団意識がいたって強いのにもかかわらず、村人に対して集団としての強制力が働く

ことはまずない。 ピダハンが別のピダハンに何かを命じるのは、親子の間であっても

稀だ。 時として、指図がましいことをする者はいるが、周りで見ている者たちは、

言葉やしぐさや表情で、感心していないことを態度で表す。

 

p152

 

乳離れした子どもはもはや赤ん坊ではなく、特別扱いされない。

母親のとなりで寝かせてもらえず、寝台で寝ている両親たちから決定的な距離をおかれ、

きょうだいたちに混じって眠らねばならない。

離乳したばかりの幼児は空腹を味わう。

 

乳離れすると、子どもは親に手ずから食べ物を口に入れてもらうことはないし、甘やか

されることもない。 男の子なら2,3年のうちに、父親や母親や姉たちが畑や狩りに

出ている間に魚くらい釣ってこられるようにならないといけない。

 

==>> 乳離れして2,3年も経つと、もう大人の仲間入りとして扱われる。

     生まれたときから、赤ちゃん言葉での子育てなどはない。

     乳離れしたら、いくら泣き叫んでも親はふり向いてくれない。

     自分で自分が食べるものを獲れるようにならなくてはいけない。

     まるで、野生の動物の子育てのように。

     先進国の赤ん坊は動物園で育てられていると考えれば、比較しやすいかも

     しれません。

     だからこそ、親子の間であっても何かを命じるというようなことがなく、

     自立的に生きることを当然のこととされるのでしょう。

     先進国なら、幼児労働・幼児虐待とか言われそうですが、何が本当の意味での

     生きる力を育てることになるのか・・・・

     

 

p160

 

日常よくある村八分の例は、しばらくの間食べ物の分け合いに混ざらせないという

やり方だ。 村八分が続くのは一日あるいは数日で、それ以上に長くなることは

めったにない。

 

一方精霊は、ああいうことはしていけなかったとか、こういうことをしてはいけない、

と村人に告げる。 村のなかの誰かひとりを名指すこともあれば、全体に話しかける

場合もある。 ピダハンは注意深く耳を傾け、おおむね カオアーイーボーギー(「早口」

という名の精霊)の忠告に従う。 精霊は、「イエスを称えるな。あれはピダハンではない」

とか、「明日は下流で狩りをしてはいけない」というような具体的な勧告をすることも

あれば、「ヘビを食べてはならない」というような共同体共通の訓戒をする場合もある。

 

精霊と村八分、食料分配に制限などを通じて、ピダハンは自分たちの社会を律している

 

==>> 要するに、村の安定を保つためには、村八分という兵糧攻めという具体的な

     制裁をするか、または、精霊を通じて忠告や訓戒などを出すということ

     のようです。

     しかし、この精霊の言葉というのが、どのようなルートで出されるのか

     についての説明までは書いてありません。そこはどうもブラックボックス

     になっているようです。

     長老たちが集まってその内容を決めるとか言うのであれば、分かり易いの

     ですが・・・・

 

さて、第六章までを読み終わりました。

 

ここまで読んで、私の興味の「意味とはなにか」について、なにか目新しいものが

あったかというと、ありませんでした。

しかし、現代の文化を批判的にみる視点というのは学べるように思います。

 

 

では、次回は 「第七章 自然と直接体験」から読んでいきます。

 

 

=== 次回その2 に続きます ===

 D.L.エヴェレット著「ピダハン : 言語本能を越える文化と世界観」を読む ― 2 ― 経験していない出来事については語らない、夢も直接体験である (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

     

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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