ムーギー・キム著「そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか」を読む ―2― 水に流す武士道vs死後も追いかける儒教、 秀吉のツケが今も残る、「記憶にございません」vs「謝罪しろ!」
ムーギー・キム著「そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか」を読む ―2― 水に流す武士道vs死後も追いかける儒教、 秀吉のツケが今も残る、「記憶にございません」vs「謝罪しろ!」
「第2章 なぜ韓国人は過去にしつこく、日本人は無責任なのか?」に入ります。
p110
私の幼少期の思い出のなかで印象深いのが「祇園祭」だ。
・・・しかし大人になり、山鉾巡行に祀られているなかでも重要な「御神体」が「神功皇后」
であり、その神話が両国間の集団的記憶に落とした甚大な影響を知るにつれ、無邪気な
気持ちで祇園祭を楽しめなくなっていくのであった。
==>> 私にとっては「祇園祭」も「山鉾巡行」も遠くからぼお~~っと眺めている
古都京都のお祭りでしかないのですが、たまたま今年の山鉾巡行をテレビで
じっくりみていて思ったのは、飾られているのは多くが中国由来、そして
もっと遠くの西域辺りのものなんだなという感じでした。
そして、その中でかろうじて日本神話のものがここで述べられている神功皇后
ということのようです。
こちらのサイトに山鉾の種類と説明がありますが、それによれば
https://kyoto-design.jp/special/gionmatsuri/yamahoko
「占出山 (うらでやま) 【舁山】
神功皇后を祀る安産の山。くじ順でこの山の巡行が早い年は、お産が軽いといわ
れている。唯一、黒松を立てている。」
「船鉾 (ふねほこ) 【鉾】
「日本書紀」の神功皇后の新羅出船に因んでいる。
船頭に「鷁(げき)」と呼ばれる想像上の瑞鳥を飾っている。」
神功皇后の神話というのは、下のサイトで確認しておきましょう。
https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E5%8A%9F%E7%9A%87%E5%90%8E-81528
「記紀や『風土記(ふどき)』などにみえる伝承上の人物。」
「『古事記』では、父は開化天皇の玄孫で、母は新羅(しらぎ)国の王子天之日矛(あめのひぼこ)の5世の孫にあたるという。」
「『書紀』にはさらに多くの日朝関係記事が記され、なかには干支(かんし)二運
(120年)を下げれば史実と考えられるものもある。また4か所にわたって
『魏志(ぎし)』や『晋書(しんじょ)起居注』が引用され、編者が神功を倭(わ)の
女王(卑弥呼(ひみこ))に比定していたことは疑いない。」
「いわゆる三韓征伐物語の中心人物。「記紀」によると仲哀天皇が熊襲を討つた
め九州に赴き筑紫の橿日宮(→香椎宮)で急死すると,同行の皇后は妊娠中にも
かかわらず,武内宿禰とはかり新羅に遠征,新羅降伏後筑紫に帰ってホンダワケ
ノミコト(応神天皇)を産んだという。この遠征の結果,百済と高句麗も日本に
帰服した。」
・・・つまり、この神功皇后の三韓征伐物語というのが、神話でありながらも
特に朝鮮半島を日本が侵略する口実に使われたことが穏やかならぬということ
なのでしょう。
p112
政治などの特定のコンテクストでは、両国の伝統的価値観の影響による差異が色濃く
見受けられる。 過去からの正当性にこだわる儒教の影響からか、韓国は過去の歴史
を巡るこだわりが強いのだ。
p114
韓国は、地域分断や二大政党の対立が激しいので、相手勢力の正当性を失わせる
ために「真相究明」「積弊の精算」という形で、過去をほじくり返すことが多々ある
のだ。
p115
また韓国では、近代史の独立闘士の子孫とされる人をいまさら表彰したりしているが、
これらは何も、正義感といった純粋な動機だけではない。
韓国は「支持者の正当性」を高め、「反対派の正当性」を傷つけるための作業に
余念がないのだ。
儒教では「過去に遡った正義と正当性」が非常に重要なのである。
==>> 二大政党制といえば、まず私の頭に浮かぶのはアメリカの政治です。
そして、その左右へのブレ幅が、特にトランプ政権によってとんでもない
ブレになって、正統派共和党が消えそうな勢いにまでなっています。
それと同じようなことが、韓国では歴史的に頻繁に起こっているという
話のようです。
もしも、このような韓国式の政治的対立が日本国内であったらどういう
ことになるのでしょうか。
天皇の正当性はもとより、明治政府の正当性や、ひいては薩長閥vs
幕府閥の政治的対立が現代にまで及んでいたかもしれません。
p116
韓国のメディアを見ていて気づくもうひとつの特徴的な表現が「道義的優位性をとる」
というものだ。
この言葉がこれほどメディアで使われる国はない。 私はいろんな国のニュースを
聞いているが、「道義的優位性を見せるために・・・」などと言っているのは韓国
ぐらいだ。
p117
ちなみに2021年から2022年初頭の韓国大統領選でも、「私のほうが道徳的な
リーダーだ」という論戦が、大統領候補者間のディベートで目についた。
==>> 韓国の大統領選では相手候補のスキャンダルを暴くキャンペーンが多い
ように見えるので、この道義的優位性の争いも大変なんだろうと思い
ますが、そういう争いを是非日本の政治家の間でもやってもらいたい
ものです。
ちなみに、今現在は、「統一」という言葉がキーワードになって
政治家の道義性が問題にされているようですが・・・・
p119
韓国ではこのように、原理原則論や道徳的優位性にこだわるからこそ、妥協なき
明確な謝罪獲得に躍起になることになる。
たとえば韓国のように、さまざまなトピックに関し、「反省せよ! 反省せよ!
謝罪せよ!」と群衆が叫ぶデモをあれほど大規模かつ頻繁にやっている国は、ほかに
ない。
p120
また謝っても、「チンジョンソンインヌンサジェ」(真の感情がこもった謝罪)である
ことが求められるので、形式的な謝罪は逆に怒りに火をつける。
==>> ここで著者は、「真相究明」「道義的優位性の確認」「謝罪の要求」の
3点セットが、韓国人の民族的ドーパミンを放出させる「3大トリガー」
ではないかと書いています。
p123
儒教の世界では、「死後もその魂はこの世に長らく存在しつづける」と考えられていた。
・・・「悪いことをしたのだから、罪を徹底的に償うべきだ」というように、子々孫々の
代まで徹底追及してくる。
・・・「死ねば皆、天に行く」という仏教的な思想や、過去を水に流す武士道の思想と
対立すると、双方の違和感につながるのだ。
==>> つまり、儒教的にとことん追求する韓国と、腹を切ってさっぱりと浄土に
往く日本の違いが決定的にあるようです。
これでは折り合いがつくというわけにはいきそうにもないですね。
p127
天皇が無条件降伏を告げれば、民衆も従う。 GHQの軍政に対して、義兵闘争
(朝鮮王朝末期、日本に対して朝鮮全土で起こった、数千回を数える民衆蜂起)
みたいなものは日本では起きない。
ここからは「水に流す」のみならず、「長いものには巻かれよ」「勝ち馬に乗れ」
「勝てば官軍」という言葉があるように、よくいえば現実主義、悪くいえば
過去にこだわらない国民性が見て取れる。
・・・700年近くにわたって武家支配が続いたことから、正義や道徳観念の議論
ではなく、「最後は力あるモノに従わざるを得ない」という現実的判断が染みついて
いるのだろう。
==>> 確かに、武家支配というのは今でいう軍事政権ですからねえ。
今現在でも、世界のあちこちで軍事政権があるわけですが、そのような
政権が長い間続いていた日本ですから、上記のような現実的な判断に
なるのでしょう。
しかし、そうだとすると、アメリカとなぜ戦争をしたのかという疑問が
残りますね。現実的な判断じゃないですからね。
アメリカの力量を単に見誤ったということでしょうか。
p132
「責任をとる」=「自死」という武士道の伝統は、責任の取り方が極端なだけに、
組織的な失敗の責任回避の文化につながっているように思える。
日本人は失敗を極度に恐れることでも有名だが、それは武士道において、失敗の
結果として自死という極端な選択をする歴史が存在したからではなかろうか。
これが西洋文化のように「教会で白状したらドンマイ!」で許されるという文化で
あれば、失敗してもそれを公に謝罪し、やり直すという文化がもう少し根付いたはず
である。
p133
日ごろ正直な日本人も、罪や過ちを犯したときには、「記憶にございません」か嘘を
連発して言い逃れに躍起になるのは、そういう源流があるからかもしれない。
==>> 日本の場合は、武士道があるとは言いながら、責任者が腹を切らずに、
部下に腹を切らせたり、ひとしれず自死に追い込まれたりする事案が
過去にたびたびあったように思います。
武士らしくない武士が増えているのでしょうか。
p134
実質的意には強制でも、「自発的」という建前をつくって「強制したわけではないから
私たちに責任はない」という論法を、日本の政治家は好んで使う。
「そのような状態になったことは胸が痛むが、自発的に望まれたことで、組織的な
強制という証拠はなかった」という、無責任な論法を使うことがじつに多いのだ。
==>> はい、実に多いと思います。
今現在進行中のコロナ対策もその一例でしょう。
もし強制にしたら、財源も政権ももたないというのが現実的な結果なので
しょうが、正直で真面目で善良な零細企業の経営者にそれを自主的にやらせる
というのは悪代官のやることと同じじゃないかと思えます・・・・・
p136
16世紀の終わりに豊臣秀吉が行なった文禄・慶長の役と日本で呼ばれる「朝鮮出兵」。
この戦争は朝鮮半島では「壬辰倭乱」、後に「壬辰戦争」と呼ばれ、その悲惨さが民間
伝承や文学などでも民族的記憶として後世に伝えられてきた。
この壬辰戦争は、じつは当時、世界最大級の大戦争であり、朝鮮側にとっては
青天の霹靂でもあった。
p139
この戦いで、日本国内では豊臣秀吉や加藤清正が英雄扱いされるが、朝鮮側としては
民間人、女子どもも大量に虐殺された悲劇として歴史に深く刻まれている。
当時、戦功を示すために首を持ち帰る習慣が日本にあった。
しかし、外国から首を持ち帰るのは重いので、耳と鼻を削いで、何十万人もの
耳と鼻を塩漬けにして日本に持ち帰った。それを埋めた耳塚が、秀吉を祀る京都の
豊国神社のすぐ傍にいまでもあるのを、ご存知であろうか。
とくに悪名高いのが、秀吉軍が老若男女、赤子に至るまで大虐殺した、南原城の
戦いである。
==>> 壬辰戦争で検索してみたところ、こちらに論文がありました。
(日韓文化交流基金のサイトです)
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)研究の現況と課題
https://www.jkcf.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/11/2_1_2j.pdf
「 6) その他(降倭、被虜人、民衆の生活相など)
・・・壬辰倭乱を理解するためには、投降日本軍の問題(降倭)、
朝鮮被拉人の問題、民衆の生活相、朝鮮の被害状況、壬辰倭乱の政治・
経済・社会的影響など様々な分野の研究が行なわれなければならないが、
まだ充分ではない。
当時日本軍によって多くの文化財が焼失したり略奪された朝鮮は大きな
被害を被った。 一方の日本は、連行した学者を利用して儒学者を養成
して学脈を形成した。 また、陶磁器産業を育成して大きな発展を
遂げたにもかかわらず、これらについての本格的な研究が充分でない。
・・・・」
ここで思い出すのは、長崎県の対馬で起こった仏像の盗難事件です。
日本国内では単なる盗難事件であるのにもかかわらず、韓国の国内では、
秀吉の時代なのかははっきり分かりませんが、倭寇によって韓国から
略奪されたものだという主張があったようです。
対馬の盗難仏像返還訴訟 韓日の寺が異なる主張
https://www.wowkorea.jp/news/korea/2022/0817/10360333.html
「原告の浮石寺は、韓国人の窃盗団が2012年に観音寺から盗んで韓国に持ち
込んだこの仏像について、数百年前に日本の倭寇(わこう)に略奪されたもの
と主張している。17年1月の一審判決では、仏像の中から見つかった記録など
を根拠に「浮石寺の所有と十分に推定できる」として同寺への引き渡しが命じら
れた。
1951年に仏像から見つかった像内納入品の中には、1330年ごろに瑞州
(瑞山の高麗時代の名称)にある寺に奉安するため制作されたと読み取れる内
容が記録されていたが、韓国政府側の検察は、記録が実際に高麗時代末期に作成
されたことを立証する資料がなく、記録の信ぴょう性は高いとはみなせないな
どと主張し、控訴した。」
それから、陶磁器産業については、九州のあちこちにある有名な陶磁器
の産地は、多くが秀吉時代に朝鮮半島から連れて来られた陶工たちに
よって始まったとされています。
ちなみに、佐賀県の有田焼のサイトには下のように解説があります。
https://www.arita.jp/aritaware/
「16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮出兵を命じた際、派兵された鍋島氏は、朝鮮人
陶工:金ケ江三兵衛(いわゆる李参平)らを連れて帰りました。」
たまたま検索にひっかかってきた北朝鮮のラジオ放送のサイトの記事が
ありました。
(urlが長すぎるので、「癒えない壬辰倭乱の傷痕」で検索してください。)
「癒えない壬辰倭乱の傷痕
久しい前から朝鮮を虎視眈々と狙っていた日本侵略者は、1592年4月13日、
15万8千7百人の陸軍と数万の水軍で朝鮮に対する不意の侵略戦争を起こしま
した。日本で文禄・慶長の役というこの侵略を朝鮮では壬辰倭乱、つまり「壬辰
の年の倭による乱」と言います。
この侵略は朝鮮人に甚大な被害を与えました。戦争期間、日本侵略者は虐殺と
破壊の限りを尽くしました。緒戦で釜山城と東莱城を落とした侵略者は、老若男
女を問わず手当たり次第に殺しました。当時、朝鮮封建王朝の都であった漢城だ
けでも、城を1年近くも占領していた侵略者は3回に亘って数万人の民衆を
残酷に殺害し、退却を余儀なくされると城内の住民を皆殺しにしました。
豊臣秀吉は「城を必ず占領し城内の住民を一人残らず殺せ」と命令を下しま
した。」
・・・これらがどこまで史実なのか分かりませんが、史実だとすれば、
北であろうが南であろうが被害者であった朝鮮半島の人たちの恨みは
伝説となって当然だと思います。
日本人も戦争時代の被害はきちんと後世に伝えていますが、加害の部分は
ほとんど聞きませんからねえ。そういうもんですね、人間なんて。
私は、そのような戦争被害の話を、学校の歴史の時間にではなく、
フィリピンに長期滞在している間に知ることになりました。
それは、多くは日系人の人たちからの情報でした。
p143
韓国側からしてみれば、プーチン氏よりそれこそ秀吉のほうがよっぽど多くの殺人を
行なっており、世紀の大悪人なわけである。
p149
それにしても、壬辰戦争にしても征韓論にしても、ただでさえ契丹やらモンゴルやら
女真族から攻め込まれて苦労が多いのに、明や清など中原(中国の華北平原一帯を
指す)王朝が弱体化するたびに日本からも攻め込まれては、朝鮮側が日本に歴史的
警戒感をいだくのも当然であろう。
==>> 確かに朝鮮にしてみれば、海に囲まれた日本と違って、地続きでどんどん
侵略してくるわけですから、うかうかして居られません。
朝鮮半島の戦争・侵略の歴史については、こちらでどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
p158
660年に百済が新羅と唐に滅ぼされると、663年に倭国は百済復興のために参戦
し、白村江の闘いで大敗する。
その後、668年に高句麗も、新羅と唐の連合軍に滅ぼされた。
有史以来、何百年も友好関係を築いてきた、多くの渡来人にとっての故国が滅ぼされた
ときの脅威たるや、凄まじいものがあったことであろう。
たとえばアメリカにとって、「えーっ! イギリスが滅ぼされたん!?」くらいの衝撃
だったかもしれない。
==>> 百済との関係については、天皇陛下も下のようなことを述べられました。
天皇陛下お誕生日に際し(平成13年)
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html
「私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に
記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が
深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,
武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。」
p171
「菊」に象徴される天皇は、いまでも日本人にとって、ナショナルアイデンティティの
重要な位置を占めているのだ。
これに対し、現代韓国や朝鮮半島の、国民統合の象徴を探すには、結構難しい。
なにせ国民一人ひとりが国家の主体で、国花(木槿)が象徴するのも政治指導者ではなく
国民一人ひとりだ。
そもそも選挙のたびに「地域分裂の葛藤を克服し、国民の統合を・・・」などと訴える
わりに、伝統的な地域対立に保守と革新の対立が結びつき、そこに世代間対立や性別間
対立が加わり激しく戦っているのが韓国政治の実態である。
==>> 韓国の選挙は激しいなあというのが私の感想ですが、いろいろと複雑な
要素が絡み合っているんですね。 国民一人ひとりが国家の主体という
ところや、二大政党制であることも含めて、かなりアメリカ的で
あると思います。近年のアメリカ政治の混沌たる状況も含めて似ている
ように見えます。
日本における天皇制は、やはり日本人の国民性に合っているのかなという
感じがします。 天皇に政治的なものを求めてはいけないわけですが、
政治家がどうにも胡散臭くなってしまっている時には、韓国じゃないですが
道徳的優位性なるものの象徴としての役割を見るような思いがします。
p174
神武天皇が生まれたことになっている2700年前に遡れば、まだ日本には仏教も
稲作も青銅器もない縄文時代から、同じ皇室が続いているといいうことになる。
まだ新石器時代の話で、文字も伝わってきていないわけだが、そもそもそんな時代の
ことをどうやって記録したのだろうか。
p175
どちらの国も遡れば移民の国だが、「うちがオリジナル」と言うために、建国神話
を必要としたのだろう。
・・・たとえばアイヌと朝鮮と中国を嫌悪する人ほど、日本人のルーツに関する
DNA鑑定結果よりも、神武天皇などの神話を信仰する傾向にあるようだ。
==>> 私も一応DNA検査を一度だけやってみましたが、どうも大陸の渡来系で
あることは間違いないようです。 それに、中国に観光旅行に行ったときに、
中国人のガイドさんから、「あなたの顔は中国南部の顔だ」と言われました
ので、おそらく当たらずとも遠からずだろうと思います。
日本神話はなかなか過激でエロチックで面白いですから、あった方が楽しい
と思いますが、それを実際の歴史だと言い張るのはどうなんでしょうかねえ。
それを言うなら、まずは皇室と関係があると目されている古墳などを
徹底的に調査するのが第一歩じゃないかと思います。
p182
じつは私は、上智大学に講演に来られていたローマ教皇御一行様に偶然出くわした
ことがある。
教皇をとり囲む群衆が「パパ! パパ!」と熱狂状態にあったのだが、天皇に対して
見られるのは、そのときに感じたのと同じ「神聖な熱気」である。 おそらく
サウジアラビアのメッカもこのような感じなのだろう。
p183
・・・世界中で一国のロイヤルファミリーは元来、神聖視されてきた。
それに加え、・・・日本の天皇家は、どの天皇まで遡るにせよ、歴史が非常に長いので、
国民の敬愛の度合いもひときわ高い。
==>> 私は日本では一般参賀にも行ったことはありませんし、国内で直接
遠目にでも天皇皇后両陛下を見たことはありませんが、
たまたま2016年に両陛下がフィリピンを訪問された折に、
一言二言陛下と言葉を交わす機会をいただきました。
その時に記録はこちらです:
天皇皇后両陛下のフィリピンご訪問 - 宿泊されたホテルの様子
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2016/02/post-38bc.html
私の率直な感想は、皇室というのは大変な仕事なんだなあということ
でした。 確かに日系人の人たちの熱狂は歴史的な背景もありますから、
神聖ということばが実感としてあるのだろうと思いましたが、
私自身は戦後教育を受けた世代でもありますから、陛下は非常に
真面目な方で、美智子妃はちょっとお茶目なところがある人なんだなと
多くの参加者と話されている会話の様子から感じました。
では、次回は「第3章 なぜ隣国とは永遠に揉めつづけるのが当たり前なのか?」
に入ります。
===== 次回その3 に続きます =====
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