高田英一著「手話からみた 言語の起源」を読む ― 3: 文字を持っていないピダハン族とチンパンジーとシジュウカラは何が違うのか。 洞窟壁画から始まった?

高田英一著「手話からみた 言語の起源」を読む ― 3: 文字を持っていないピダハン族とチンパンジーとシジュウカラは何が違うのか。 洞窟壁画から始まった?

 

 


 

高田英一著「手話からみた 言語の起源」

「第2部 言語の起源」に入ります。

 

 

p105

 

私は音声語の起源は難しいが、比較的歴史の浅い手話ならその起源を求めることは容易

だろうし、それが分かれば、それをヒントに音声語の起源が分かるかも知れないと考えて

いました。

 

p108

 

ダーウィンの「種の起源」が発表されて後に国際言語学会が言語起源論を禁止したこと

です。 フランスのパリでの国際言語学会は1866年に創立されましたが、その時に

採択された決議「言語起源に関する一切の論文を採択しない」とした伝統は、暗黙のうち

に今も脈々と受け継がれています。

 

これは、国際言語学会がその宗教的信念から進化論に影響されて言語論が動物の段階に

踏み込むことを恐れたからということでしょうか。 あるいは・・・・

 

==>> 一応、この本には上記のようなことが述べられているのですが、

     Wikipediaには以下のような記述がありまして、1990年代以降は

     言語の起源に関する研究が増加しているようです

     ちなみに、この高木英一さんの本は2013年に発行されています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90

     「1990年代初頭以降、「言語の起源」の解明に新しい方法でとりくむ言語学者、

考古学者、心理学者、人類学者その他の専門家の数が増加している。

「言語の発生はヒトの先史時代にまで遡るので、関連する発展は歴史的痕跡を

残していない。今日同等の過程を観察するのも不可能である。それにもかかわら

ず、近代において新しい手話―例えばニカラグア手話―の発生が、言語の発生に

必然的に伴う発展の段階と創造の過程に関する知見をもしかしたら供給して

くれるかもしれない。」

 

・・・ここには、言語の発生の痕跡をさぐるのは非常に難しいが、手話の

発生を研究することで、分かるかもしれないという著者と同じ考えが

述べられています。

 

     研究史はこのように書いています:

     「言語の起源の問題は系統だったアプローチでは近づきがたかったようで、1866

年にパリ言語学協会が言語の起源に関する討論を禁止し、答えることのできな

い問題とみなしたのは有名である。」

     「独立した分野としての「言語の起源」は神経言語学、心理言語学、人類の進化

の研究から生まれてきた。1988年には『言語学の書誌』で「言語の起源」が独

立した見出しで心理言語学の下位分野として紹介されている。進化言語学の専

門の研究機関は1990年代にのみに起こっている今日の現象である。」

 

・・・これを読むと、著者の認識は言語学の分野での停滞について書いている

ようですが、神経言語学、心理言語学、人類の進化の分野からの研究が増加

したということのようです。

 

p110

 

この著者は現代における世界史研究の第一人者とされるJ.M.ロバーツですが、彼は音声語

から文字が生まれたことを当然の前提としています。 すると音声語から文字が生まれた

なら、それは表音文字のはずです。 それがなぜヒエログリフなどの絵文字になったので

しょうか?

 

p113

 

ろう者とは発音も聴音も困難な人ですが、それでも自然に手話を獲得し、文字を学習

し、それによって高い読み書き能力も獲得して弁護士、医師、大学教授などの専門職

として活躍している人は世界の大勢います。

 

p116

 

イメージはそれぞれの人の脳に保存され、外からは見えません。 外部からは分からない

ので、それを外部に表現する人間に特徴的な手段として音声、身振り、文字があるのです。

ヒエログリフは、イメージを外部から見て分かる形で表現する手段、アウトプットとして

外部に表した最初の文字、表意文字です

 

==>> 著者はここで、ヒエログリフ=表意文字・絵文字であるという認識なのですが、

     Wikipediaのこちらの説明によれば、必ずしもそうではないことが書かれて

     います。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%95

     「ヒエログリフは象形文字と呼ばれるように絵に似ているが、その見かけに反し

て、表意文字よりも表音文字が多い。表意文字の音を借りることもある。漢字で

いえば仮借の使用法に近い。」

・・・このwikipediaの論が正しければ、著者の論は成り立たなくなります。

しかし、もしヒエログリフが元々は絵文字だったということが証明されれば

著者の論は生き返ることになります。

 

p117

 

普通は赤ちゃんが音声を発することを発語といい、言葉獲得の初期としていますが、赤ちゃ

んの脳には発語に先立って口に出さなくてもイメージが蓄積されています

例えば、赤ちゃんは発語はできなくてもお母さんを他人と識別できます。それは発語に

先立って赤ちゃんの脳には既にお母さんの臭い、感触、音声、身振りをとおしてその

イメージが形成されているからです。

 

・・・だから、言語にとってイメージこそ根源的なものなのです。

 

==>> イメージと呼ぶかどうかは別にして、それに元づいて音声なり身振りなり

     言語以前のものが出てくるのだろうという推測はできます。

     そのイメージなるものが意味とどのように関係してくるのか、それが

     知りたいポイントです。 イメージ=意味なのでしょうか。

 

p118

 

それは、イメージ、音声、身振り、文字はそれぞれ単独では言語とならず、音声、身振り、

文字の全部あるいはそのいずれかがイメージとセットになってはじめて言語となること

を表わしています。

 

p119

 

もし、動物が文字を獲得すれば言語コミュニケーションができることになります。

すると言語に関する限りは人と動物との差異はなくなるので、文字の有無が決定的な

役割を果たしていることが分かるでしょう。

ところが、現在言語を話しながら文字を持たない人々、民族はいます。

 

==>> 例えば、視覚障害の人の場合は、イメージがどうなるのか分かりませんが、

     音声とイメージがセットになったら言語と言えるということなのですが、

     そのイメージとはどのようなものなのでしょうか。

     脳の中にある「意味、概念」と音がセットになるというのなら理解できます。

     そして、後段の「文字の有無が決定的」とあるのですが、例えば

     日本の場合に、大和言葉はあったけれども文字が無かった時代はどう

     考えたらいいのでしょうか。文字が決定的とは言えないように思います。

 

     それに、シジュウカラにも文法があるという研究もありました。

https://www.nhk.jp/p/zero/ts/XK5VKV7V98/blog/bl/pkOaDjjMay/bp/p0XWGW8MX7/

     「このようにして証明された鳥の「文法」。鈴木さんは、シジュウカラたちの

言葉がここまで進化したのは、森という生息環境が影響したのではないかと

考えています。

「シジュウカラはうっそうとした森の中で群れているんですが、鳥と鳥との

距離が結構離れているんですよ。10メートル20メートル離れてることも

よくあって。だからお互いに目で見えないんです。目で追えないような間隔で

情報を伝え合うには、ただ『来て』とかだけじゃなくて『天敵がいるから警戒し

ながら近づいて』とか、ちょっと複雑な情報を同時に伝える必要がある。

(それに対して)例えばヒマラヤのあたりには、すごく開けた場所にすんでいる

シジュウカラの仲間がいて、お互いを目で確認できる。彼らはどういうふうに

鳴いてるかっていうと、かなり単純な声しか出せないんです」(鈴木さん)」

 

 

p122

 

まさか音声語が突然現れて0,1,2,3と増えていくことを考えられません。

音声から最初の音声語が生まれ、それが少しずつ増えていったと考えるか、あるいは

動物の非言語コミュニケーションから次第に言語コミュニケーションが育っていったと

考えることが妥当です。

 

まず音声(音声語ではない)コミュニケーション、あるいは非言語コミュニケーション

から考えていかなければなりませんが、その前提として当然、音声と音声語を区別して

考えることになります。

 

音声と音声語を区別して考えるなら、音声はそのコミュニケーションに人も、鳥を含む

動物も共通に使っています。すると言語の最初のスタートは人類が原類人猿と枝分かれ

する時点にあると考えることが妥当でしょう。

 

==>> 著者は、音声と音声語を区別して、動物は音声であり、人類は音声語である

     という分け方をするようです。 その場合、上記のシジュウカラの文法は

     どういう扱いになるのでしょうか。

     著者の文章をみると、それは動物行動学などの分野の話だとなって、言語と

     いう分野には入らないのかもしれません。

 

 

p129

 

直立二足歩行は脳を背骨の真上に置くことになるのでその発達を可能にし、手を歩行

から解放してコミュニケーションの手段、工作手段とすることを可能にし、喉頭を下げて

発音器官改善の力となりました。 このようなことでヒトは類人猿と離れ、その

コミュニケーションは主に音声と身振りに移っていきました

 

==>>ここで類人猿との比較が出てきましたので、チンパンジーのコミュニケーション

     能力がどのようなものかをこちらのサイトでチェックしておきます。

     音声と身振りならチンパンジーもやっているみたいですが・・・・

     https://doc-owl.com/archives/819

     「カチャはさまざまなグループのチンパンジーを観察することで、世界初の

チンパンジー辞書を作成したいと考えています。トワイクロス動物園のチン

パンジーは、研究に役立つグループです」

     「しかし、チンパンジーのジェスチャーは、単なる顔の表情よりもはるかに繊細

なものです」

     「しかし、世界中のチンパンジーが持つ発声のレパートリーは限られていますが、

チンパンジーは常に新しいジェスチャーを発明し、お互いに共有しています」

     「チンパンジーがお互いのジェスチャーを真似るという説から、霊長類学者の

中にはこの行動が太古の人類の祖先にもあったのではないか、そして現在私た

ちが使っている言語につながっているのではないかと考えている人もいます」

 

     ・・・これを読む限り、ジェスチャーと表情というコミュニケーション手段を

     持つチンパンジーは、確かに文字がないだけで人間に限りなく近いという

     ことが言えそうです。

 

     そこで、現代の未開地に住む民族のことをちょっと検索したところ、

     こんな本があることが分かりました。

     ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観 単行本 – 2012/3/23

     「とにかく驚きは言語だけではないのだ。

ピダハンの文化には/左の概念や、数の概念、色の名前さえも存在しない

神も、創世神話もない。この文化が何百年にもわたって文明の影響に抵抗できた

理由、そしてピダハンの生活と言語の特徴すべての源でもある、彼らの堅固な

哲学とは……?

 

     https://book.asahi.com/article/11643630

     「1日3食、夜に寝、朝に起きるという常識も、もちろんピダハンに通じない

食べ物がある時にたくさん食べ、なければ幾日もじっと耐える。ぐっすり寝るよ

うな夜も彼らにはない。夜に交わす挨拶(あいさつ)が「寝るなよ、ヘビがいる

から」なのだから。

守り神も、民族の優越性を意味付けるような創世神話もピダハンにはないのだ。

言語は文化によって育まれ、文化や価値観を物語る。「彼らの言葉を話すのは、

彼らの文化を生きることだ」と、布教するために入ったはずの著者は、そんな

文化を持つ彼らを理解するようになるにつれ、無神論者になっていった。」

 

・・・この本は是非読んでみたいです。意味と言語の繋がりがどのような

ものなのか、そして神話も無いということはメタファー思考もないと

いうことなのか。そこが知りたい。

 

なお、「ピダハン語」については、こちらで:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%80%E3%83%8F%E3%83%B3%E8%AA%9E

     「ピダハン語は口笛にも鼻歌にもでき、音楽として記号化もできる。ダニエル・

エヴェレットの元妻で言語学者のカレン・エヴェレット(以下、カレン)は、

現在の言語研究は言語の韻律にはほとんど注目しないために、その意味を多く

見逃していると考えている。もしかすると子音と母音はすべて省略でき、意味は

音の高低やアクセントやリズムの変化によってのみで伝えられるかもしれない。

カレンによれば、母親は子供に、同じ音楽的パターンを歌って言語を教えると

いう。」

     ・・・なんだか、小鳥のさえずりみたいで興味深いですね。

 

 

p136

 

たとえば狩猟をめぐるチームワークや協力は、環境を構成する要素を個々に命名し、

それ(命名)による情報の交換を前提としてはじめて高い効率をあげうる、という具合

である。 ・・・・つまり言語を生み出すと考えるのである。

 

・・・単独行動、集団行動を問わず狩猟では音を立てないことは重要ですが、集団行動

では合図や指示がなければ協働による効果的な狩りはできません。

 

 

p139

 

「コミュニケーション起源説」を言語発生の動機とすれば、「環境命名説」は、動物も

環境を構成する一部なので非言語が言語に転化する分岐点という意味での起源といえます。

 

==>> 著者はいくつか書いているのですが、「言語の起源はこれまでの何々説の

     一言で説明し尽くせるものでなく・・・・」とも書いています。

     

 

p141

 

環境命名論の最初の提唱者はプラトンでした。

・・・ベトナムの哲学者チャン・デュク・タオ・・・の見解を要約すると、

「言語の起源を意識の発生と関連づけて問題にしようとする。 彼は言語の特徴を

「対象指示性」に見ている。 それは指で対象を指し示す「身振り」に見る。

なぜなら指示の「身振り」は、対象を外的対象として行動主体に直面させる点で

意識の構造と共通するからである」としています。

 

p147

 

獲物に対して共通認識となる「指差し」という対象指示が発端となって、初めて食料

確保がより確実となり、独占と分配という二つの対立物をこの時点では矛盾なく

統一できるようになってきます。 この価値判断の正しさこそ人間と動物を分かつ

分水嶺であり、今日の知性の芽生えではなかったでしょうか。

 

・・・しかし、ポイントは、音声はただちに対象を具体的に特定できないことです。

「指差し」によって対象を特定した後の命名によって、音声による特定が可能になった

のが順序です。

 

==>> 著者は、ここで、指差しという身振りの重要性を人間の狩猟活動の中に

     見いだそうとしています。 そしてそれが人間と動物の分水嶺だと

     言うのです。 

     音声よりも前に身振りがあるということになります。

 

p152

 

洞窟壁画は動物を題材としたものが多く、それらはヒエログリフによく表れる動物と

一致することも多いのです。 このようなところから、ヒエログリフは洞窟壁画から

発展したものと考えます。

 

==>> ここで著者は、ショーヴェ洞窟、アルタミラ洞窟、ラスコー洞窟

     有名な洞窟について語っています。

     ここからヒエログリフの関係の部分が、著者が強調したい部分では

     ないかと思います。

 

p157

 

人間の「指差し」は、自ら意識を集中することを表わし、さらにそれによって他人の

注意を喚起して、自分と認識を共有する、共通認識を求めたことが発生の動機です。

「指差し」は、まず自分、そして他人、さらに第三者である対象という三つの事物を

区別し、意識し、理解し、認識する契機になりました。

 

 

p159

 

NHKの人気番組「ジェスチャー」・・・・

 

p160

 

それは身振り、ジェスチャーと手話の違いでした。 「ジェスチャー」こそ原初時代、

手話以前の身振りコミュニケーション場面だったのではないかと気づいたからです。

 

p161

 

「ジェスチャー」は、放送回数を重ねるうちに共通に表現、理解できる「イメージ」と

「身振り」のセットが自然と確定していきました。

・・・イメージとセットになった「身振り」が名詞として定着していくと、これはもう

手話の単語となり、それらの集積は手話語彙を形成していきます。

 

 

p162

 

そうしないと簡単に表現し、理解できるようになるので番組の面白味がなくなっていく

からです。 それは身振りが手話に昇華していく過程でした。

・・・手話に昇華した身振りの限界が「ジェスチャー」の限界、番組終了となってしまった

と思います。

 

==>> NHKの番組「ジェスチャー」は、1953年から1968年までの15年間

     続いたのだそうです。

     私が3歳から18歳までのことですから、私はジェスチャーで育ったような

     もんです。本当に面白い番組でした。

 

     たしかに、15年もやっていれば、身振りの定型ができてしまって、

     常連の解答者には簡単すぎるようになっていったと思います。

     そして、その境地が、手話の境地であるということのようです。

 

p165

 

・・・ヒエログリフに先立つラスコー洞窟の生活時代、あるいはヒエログリフの時代

でも、コミュニケーションは音声よりも身振りコミュニケーションが優勢ではなかった

か、ということです。 

もし、音声あるいは音声語コミュニケーションが優勢なら表音文字が先に表れたはず

です。 しかし、ヒエログリフのような絵文字、それに先立って壁画があらわれたのは、

当時のコミュニケーションは身振りが優勢だったことを表わしていると考えます。

 

p168

 

まとめると壁画はまず、コミュニケーション・情報伝達・メッセージの役を担う「絵文字」

をメインとしながら、さらに祈願・信仰対象、そして鑑賞し感動を味わう絵画「美術」、

などが一体化して未分化の状態であったとみることが正解に近いかと思います。

 

==>> すでに書いたように、ヒエログリフは表意文字であるよりも表音文字と

     されていたという研究結果がありますから、それはしばらく置くとして、

     壁画を指差ししていたという状況はあり得るなと思います。

 

     上記の「まとめ」の部分については、壁画と絵文字というのは、まあそう

     だろうと思いますが、祈願・信仰・鑑賞ということについては

     著者の主張ということかなと思います。

     上記の「ピダハン」という民族の例もありますので、民族によって

     いろいろなのかもしれません。

 

 

p171

 

注目すべきは、古代エジプト王国のヒエログリフを見ていくと、洞窟壁画よりも写実性

が乏しく、個性が感じられず、みんな同じように様式化、パターン化していることです。

・・・・メッセージの文字として大衆化の方向に発展していったことを示していると

思います。

 

==>> この記述内容からいえば、ヒエログリフが絵文字を通り過ぎて

     表音文字に変化していたという見方もできるかなと思います。

     写実的なものから、抽象的・簡略化という方向ですから、漢字から

     ひらがなやカタカナになったような感じとも受け取れます。

 

 

p178

 

洞窟に描かれたのは獲物の動物ですから、狩猟の打ち合わせ、相談、今風にいえば

作戦会議となったこともあったでしょう。 それに先だって必要なのは、対象とする

動物の壁画を共通の音声と身振りでワンセットにして固有名詞、すなわち言語、

「イメージ言語」にすることでした。

 

p179

 

イメージが音声と身振りとセットとなる名詞は家族・血縁集団ごとに違い、共通と

限らなかったのです。 だからそれらのセットを共有する必要、つまり名詞の共有化

が重要になってきます。

名詞共有化の必要性が壁画として、岩壁に固定され、それを成員の目で確認できるように

描いた。 否むしろ描かなければならなかった動機でしょう。

 

==>> この描写は確かにあり得るなと思います。

     洞窟壁画の動物を指差しながらその動物の名前を固定してグループで

     共有するという手順はあったでしょう。

     そこで音声が動物の名称として単語になり、さらに表音文字ができた

     可能性も否定できません。

 

p180

 

人は「イメージ言語」(イメージを模写した壁画と音声と身振りのセット)を脳に記録、

記憶として保存し、どこでも使うようになります。 その時に壁画そのものでなく、

「壁画教室」システムも一緒に脳に保存して移動できたでしょう。 だから、単語を

確定し、教育などを図る「壁画教室」システムも多少頼りない形ながら拡散、普及して

いきます。

 

p183

 

なお、「イメージ言語」はラスコー洞窟群等時代に話されていただけではありません。

つい最近まで「壁画」と同じように事物を模写した絵を使い、音声と身振りの「イメージ

言語」でシムコムでコミュニケーションをしていた民族はいたのです。

・・・オーストラリアの先住民アボリジニなどです。

 

==>> これは確かに考えられますね。壁画のある洞窟が学校になるということ

     ですね。 絵を描くのがうまい者が先生だったかもしれません。

 

 

さて、次回は「第4章 エジプト」に入ります。

 

 


===== 次回その4 に続きます =====

 高田英一著「手話からみた 言語の起源」を読む ― 4: 脳の中の「イメージ」とは意味なのか? ヒエログリフはどのように音声言語と結びつくのか (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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