高田英一著「手話からみた 言語の起源」を読む ― 5(完): イメージ言語は壁画? 洞窟壁画での指差しが言語を産んだ?? 身振りが先か、声が先か
高田英一著「手話からみた 言語の起源」を読む ― 5(完): イメージ言語は壁画? 洞窟壁画での指差しが言語を産んだ?? 身振りが先か、声が先か
高田英一著「手話からみた 言語の起源」
「第6章 最初の遠征」に入ります。
p250
歴史年代を簡単に記すと、
1. BC3300年 世界最古のシュメール文字(絵文字――>楔形文字)
2. BC3150年 エジプト最古の文字(絵文字=ヒエログリフ)
3. BC200年 ヒエログリフー>デモティクー>表音文字(古代ギリシア文字)へ
移行完成・ロゼッタストーンが証明
という順序になります。
p251
最初に絵文字があり、それは表意文字であり、それがあってこそ文字は後に表音文字に
進化できたことは、甲骨文字が漢字に進化した例でも、多くの人が知っています。
・・・原類人猿の時代から「音」ではないけれど「音声」はあったので、その音声を
そのまま表音文字にすればよかったのです。 それを避けてわざわざ絵文字を創り、その
絵文字をさらに元の音を表わす表音文字に戻す、というような複雑な手間ひまを掛けた
作業がなぜ必要だったのでしょうか?
==>> ここは、著者が絵文字が軽く扱われているということをいいたいようです。
そして、「この絵文字の先行が何を意味するか、絵文字の以前に、または以後
に何があったのか、この視点で考え、具体的に説明をした人はこれまで
いないようです。」と書いています。
私は、この著者が脳の中の「イメージ」を重視していることから言うならば、
それが「絵文字」につながることは納得しやすいと思いますが、漢字のような
例も挙げているように、絵文字から次第に抽象化されて、それがカタカナや
ひらがなへと表音文字になったことを思えば、自然なことのように感じます。
ですから、著者が「音声をそのまま表音文字にすればよかった」というのは
少々矛盾しているような気がします。
p258
アマゾン源流域には、今もヤノマミ族など文明に毒されない少なからぬ民族が住んで
います。 彼らは文字はもたないが、身振りと音声でコミュニケーション、恐らくシスコム
ができるということは、アマゾン河を遡ったラスコー洞窟群等の子孫であることを物語
っています。 彼らの現在の生活環境を損なうことなく保存できれば、彼らの生活を
通じて太古の生活、太古の言語を知ることができるでしょう。
==>> ヤノマミ族をチェックします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%8E%E3%83%9E%E3%83%9F%E6%97%8F
「ブラジルとベネズエラの国境付近、ネグロ川の左岸支流とオリノコ川上流部に
住んでいる。人口は1990年時点でブラジルに1万人、ベネズエラに1万5000
人の計2万5000人ほど、現在合わせて約2万8000人といわれる。他、3万8000
人との調査もある。この人口は、南アメリカに残った文化変容の度合いが少ない
未接触部族の中では、最大規模の先住民集団である。」
・・・インターネットで検索しましたが、文字についてはなんの記述も
ありませんので、おそらく持っていないのでしょう。
シスコムについてはp072で「シスコムは「音声語と手話を同時に使うコミュ
ニケーションあるいはスピーチ」の意味」と著者が説明しています。
p259
これらの年代が正確だとすると、1万年前頃、北アフリカ・エジプトのナイル河流域に、
エジプト文明の母体となる農耕村落、古代共同体が出現、8千年まえに一部がサハラに
進出して壁画(この場合は岩絵)を残したのでしょう。 するとその出自の原始共同体も、
ラスコー洞窟群から拡散した「壁画教室」の子孫ということができます。
・・・旧クロマニョン人といえども、先祖に「壁画教室」の経験を持たなければ
「イメージ言語」すら知らず、コミュニケーションそのものが成立しません。
・・・しかし、少なくとも「イメージ言語」を持ち文化能力が高く、従って高い作戦能力
をもつ新着のクロマニョン人に、先住民は対抗する術はなかったでしょう。
・・・人種の違いではなく、言語の有無が敵味方の識別信号となったとも考えられる
ことは悲劇でした。
==>> この辺りは、考古学的にどこまで解明されたことなのかは分かりませんが、
著者の興味は言語が生まれたであろう「壁画教室」の役割が重要であると
いいたいようです。
そして「イメージ言語」ですが、インターネットで検索しても、そのような
言語についての説明はほぼありません。
著者は「人は「イメージ言語」(イメージを模写した壁画と音声と身振りの
セット)を脳に記録、記憶として保存し、どこでも使うようになります。 その
時に壁画そのものでなく、「壁画教室」システムも一緒に脳に保存して移動でき
たでしょう。」
・・・と書いていますので、「壁画教室」が前提となるようです。
著者がイメージ言語を重視するのは、言語の起源を考える上では自然なこと
だと思います。 そして、著者自身がろう者であることが、それを強調する
理由になっているのかもしれません。
古代の視覚障碍者は、壁画を見ることは出来ないわけですから、イメージ言語
は無理だということになるのでしょう。
「イメージ言語」とはちょっと違うのですが、こちらにこんなサイトが
ありました。
「イメージ入力」と「言語アウトプット」
https://studyhacker.net/Image-input-and-language-output
「「右脳」でイメージしながら覚えたことを「左脳」で言語アウトプット――
いわゆる書き出すことで、両方の脳がバランスよく働くそうです。」
・・・もし、この右脳で発生する「イメージ」がそのまま思考に使えるので
あれば、それは恐らくフォトグラフィック・メモリーを使える人なのでしょう。
それこそ、「壁画教室」不要の脳内での「イメージ言語」と呼べるのかも
知れません。
p246
アンデス文明は文字を持たないことで、エジプトなど四大文明と区別されていますが、
「壁画教室」はもっており、それはマヤ文明などに絵文字として伝えられました。
==>> アンデス文明をチェックします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%B9%E6%96%87%E6%98%8E
「文字を持たない。
これは、旧大陸の四大文明や新大陸のメソアメリカ文明とは異なる最も大きな
特徴である。代わりに縄の結び目で情報を記録するキープというものがあった。」
「キープは単なる記号以上の複雑な体系を持ち、言語情報を含んでいることが
近年の研究によって明らかにされている。王や役人は人民の統治に必要な情報
などをキープに記録し、その作製および解読を行うキープカマヨック(キープ保
持者)と呼ばれた役人がいた。キープカマヨックはインカ帝国統治下の各地に
おり、人口、農産物、家畜、武器など資源についての統計や、裁判の判例なども
記録した。」
・・・これを読むと、単純に「アンデス文明は文字を持たない」とはいえない
ように見えます。
壁画やヒエログリフとは異なる形で言語を表現していたとみるべきなので
しょうね。 あえて言えば「表紐言語」(ひもで表す文字)なのかもしれません。
「単色、もしくは複数に彩色された紐で作られ、さまざまな形の結び目がついて
いる。」と説明がありますから、かなり複雑な表現もできたようです。
結び目だけだったら視覚障害や聴覚障害があっても使える文字ということに
なりますが、色も使っているようですから視覚障碍者には不便ですね。
p266
このような銅鐸を造った人はラスコー洞窟群等の直系の子孫かもしれません。 すると
弥生時代にもラスコー洞窟群等を経てユーラシア大陸から渡った縄文人がこの地方で
有力な地位を築いていたとも考えられます。
表音文字である漢字は中国の黄河文明を起源としますが、弥生時代より後に朝鮮を経由
した渡来人と一緒に移入されました。 そこで在来の「イメージ言語」と漢字という
文字の統合が始まりましたが、大勢を制する縄文人にはしっくりいかない部分があったの
でしょう。
==>> これは日本の歴史の部分についての記述です。
この辺りの論の進め方は、かなり著者の空想・妄想の類かなと感じます。
どのような研究成果にもとづく推測なのでしょう。
「「イメージ言語」と漢字という文字の統合が始まりました」と著者は書いて
いるのですが、その前提となる日本古来の言語を推測させる「壁画教室」
はどこにあるのでしょうか。
ちなみに、日本語での文字使用の歴史は、おおむけこちらのサイトに
書かれているとおりかと思います。
https://jpnculture.net/kanji-hiragana-katakana/
「万葉仮名は、漢字の表わす意味とは無関係に言葉の音に当てはめたものです。」
これは五世紀には使われていたようです。
一方で、日本には神代文字というものがあったという説がありますが、
定説にはなっていないようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%AD%97
「神代文字と称されるものには、神話や古史古伝に深く結びつき神代に使用され
た文字であると主張されているものと、後代になって神代文字の一種とみなさ
れるようになったものとがある。
主に神社の御神体や石碑や施設に記載されたり、神事などに使われており、
一部の神社では符、札、お守りなどに使用するほか、神社に奉納される事もあっ
た。また、機密文書や武術の伝書のほか、忍者など一部の集団で秘密の漏洩を
防ぐために暗号として使用されたという。江戸時代の藩札の中には、偽造防止の
ため意図的に神代文字を使用したものもある。」
・・・著者の言う「「イメージ言語」と漢字という文字の統合が始まりました」
の前提にこの神代文字があるのかどうかは分かりませんが。
p267
筆者は・・・イメージを外化した壁画、身振り、音声の3点セットが生まれた「壁画教室」
の段階で言語が誕生したと考えています。 それが「イメージ言語」であり、そこでは
壁画が文字なのです。
==>> ここで著者の主張のまとめが出てきました。
上に書いた右脳・左脳の話にからめていうならば、右脳で発生する画像イメージ
がそのまま壁画として描かれ、次に言語脳と言われる左脳が働いてその画像を
音声言語として組み立てるという順番でしょうか。
そこに、どの壁画のことを話しているのかという指し示すための身振りと
いうものが介在するということになりそうです。
人間の認知というのは、一番最初は言葉以前の未分化の状態なのでしょう
から、それは右脳的な画像イメージなのかもしれません。しかし、それが
進化していくと音声に比重が移り、私の場合は、頭の中の音声で考えて
いるような状況にあるのかもしれません。
p275
言語は「イメージ」と表現手段の統一体です。「イメージ」は表現手段のうちで形として
確認でき、より確実に保存され、より広く共通認識の可能なそれぞれの時代における文字、
と統一されて初めてその時代における言語となります。
具体的には「イメージ言語」は「壁画」と、「ヒエログリフ言語」は「ヒエログリフ」と、
「音声言語」は「表音文字」と、「手話」は「表手文字」と統一されることが言語の
前提です。
したがって、それぞれの言語の起源は文字の完成によって始まります。
たとえば、「壁画」を、あるいはヒエログリフを音声語あるいは手話で話すということ
はあり得ないことです。 それは音声を表音文字抜きでは、あるいは身振りを
「表手文字」抜きでは音声語あるいは手話という言語に昇華できないことを意味します。
==>> この部分の前段に異論はないのですが、後段の「言語の起源は文字の完成に
よって始まります」以下の部分は腑に落ちません。
それは単純に文字をもたない言語が現実にあるからです。
そのことは、この著者も自ら書いていることなんですが・・・・
表音文字で音声語に昇華し、表手文字で手話を昇華するということについては、
音声語の場合はかなりの部分が自然に進化するのに対し、手話の場合は
著者が実際に苦労してきた手話の開発があったからという違いがあるの
ではないかと思います。
==============
「第3部 座談会」
「手話と音声言語の対話」
ここでは、著者の高田英一氏の他に、社会言語学の本名信行・青山学院大学名誉教授、
および手話言語学の大杉豊・筑波自術大学准教授が座談会をしています。
p291
(高田) チンパンジーの身振りと人間の身振りは似ているが違う。その違いはどこにある
かといえば、人間の身振りには「自動車」、「鬼」、「あれ(指示代名詞)」のような名詞や代
名詞にあたる身振りがありますが、チンパンジーの身振りにはまったくそういうものが出
てこない。
・・・語彙こそ手話と身振りの分水嶺なのです。
p293
(大杉) 人間なら、指差しの先にコップがあるということはすぐに伝わるのですが、パン
は、僕の指先は見るのだけれども、指の指す方向を見ようとはしませんでした。 これは
チンパンジーのパンにとって、理解しがたい課題だったようです。
・・・人間は指差しができる、それはすごいことだということを実感できました。
そして、身振りとしか見られない「指差し」から、手話の単語や語彙、そして文法
と言えるものがたくさん産み出されてきたのだろうと推測できます。
==>> ここでは人間とチンパンジーの身振りに大きな違いがあることを述べ、
さらに「指差し」の持つ意味が大きいことが人間に特有であることも
述べています。
p297
(本名) たぶん身振りと音声はほぼ同時に発生したと思われます。なぜなら、人間が立ち
上がったときに、音声器官の発達がうながされたからです。 つまり、人間が二足歩行でき
る段階で、なんらかの音声語らしきものが発達したと推測されるからです。
さらに手を動かすことは、頭脳の非常に重要な働きの一つです。・・・手を動かすことが
できるというだけで、相当の認知能力が発達していたと考えることができます。
==>> ここでは二足歩行を要因としてあげていますが、こちらのサイトでは別の
要因を解剖学的な視点から提示しています。
http://www.fnorio.com/0080evolution_theory1/acquisition_of_language1/acquisition_of_language1.htm
「言語を獲得する前の人類は2足直立歩行して体形は現生人類とおなじでも
全くサルと同じだった。たんなる大型哺乳類の一種だったのだ。いつ頃人類が
言語を獲得したかははっきり解っていないが、4~5万年前に起こった人間へ
の大躍進の原動力は言語を獲得したことだ。(J.ダイアモンド著「人類はどこ
までチンパンジーか」新曜社 等参照)
そのきっかけになったのは、おそらく数十万年前に生じた咽頭腔と喉頭腔の
遺伝的変異だろう。そのときすでに直立歩行をしていたことが、その遺伝的変化
の選択圧になったのは間違いないだろう。それにより、口腔と咽頭腔が直角に
なり、咽頭が下に移動した。これこそ、大躍進の要因となる複雑な話し言葉を
を可能にする解剖学的な構造変化だった。」
・・・二足歩行で音声器官が発達したのか、はたまた咽頭腔と喉頭腔の変異
によるものなのか。 解剖学の視点からの説の方が説得力があるような
感じがします。
ただし、上記のリンクの中でも、二足歩行の後にこれらの変異が起こったと
しています。
もし、これが真実であるならば、音声よりも身振りの方が一足早くコミュニケー
ションの手段になっていたのかもしれません。
p298
(本名) 現代では、何億、何兆、何京という量の単語が必要になるでしょう。 するとそれだけの量の情報を現在の大きさの脳にはしまっておけません。 だから、脳はそれを代用
させて処理しているのです。 それがメタファーと呼ばれる、認知と言語を可能にしている
装置なのです。
最近の認知言語学では、そのような考えが強く主張されているのですが・・・・
==>> ここでメタファーという言葉が出て来ました。
人間は喩えを頻繁に使いますが、その喩えがメタファーだそうです。
そして、メタファーによって言語と思考が豊かになっていると書いている
本もあります。
近い内にメタファーに関する本を読みたいと思います。
もしかしたら、メタファーというものが意味を表わしているのかも
しれないと、最近思うようになりました。
p299
(本名) 高田さんが日本手話の起源を京都府盲唖院が設立された1878年であると
いうのですが、私はとてもそうは思いません。
もっと以前から手話はあったと思います。 ずっと前からあった。 高田さんも書いている
ようにプラトンだって手話について論じています。 それだけでも紀元前に遡る話です。
プラトンは「ろうあ者が使うジェスチャー」と言っている。 今から言えば、プラトン
のいうジェスチャーは「手話」と言っていいと思います。
==>> 私もこの本名氏の意見に賛成です。 手話が自然言語の一種だとする
ならば、かなり大昔からあったはずだと思います。
たしかに、ある地域で手話を産み育てることは非常な困難を伴うもの
だと思いますが、高田氏の意見は、当事者としての思い入れが大きすぎる
ようにみえます。
p301
(大杉) 人間の認知能力という視点から見ると指差しができるようになるのは年齢
が1歳を過ぎたころからです。 歩けるようになり、母親から少しずつ離れ始める時期
ですね。それまでは人間の子どもでも実際にものに触れる方法をとらないと、何を
指示しているかを相手に伝えられません。
==>> これは人間の成長過程が進化を辿っているということのひとつでしょうか。
上に書いたことと合わせると、人間の1歳まではチンパンジー並みだと
いうことになりそうです。
p304
(本名) あれだけの絵画を描くことができた初めのころの人間には、健聴者の数が
多かった。 だから当時から音声言語が発達していたと考えられるわけです。 そういう
意味では、指差しも重要なんだけれども、指差しがどういう役割を果たしたのか、まだ
見えてこないし、すくなくともこれが物事の出発点であるということは言い難いなと
思います(笑)。
(高田) そこは健聴の本名先生とろうの私の違うところですね。僕を含めてろう者は
手話を使う。 だから「指差し」からスタートしている。 その考え方の発想に違い
があるのはやむを得ないかもしれませんね(笑)。
では音声語は何からスタートしたのでしょうか?
==>> ここは3名が指差しの件について率直に意見交換をしているのが分かります。
私は健聴なので、本名氏の意見の方が理解しやすいですが、
「では音声語は何からスタートしたのでしょうか?」に対しては
著者の言う「イメージ」ではないかと思います。ただし壁画ではなく、目に見え
る実物のイメージ、実物のライオンのイメージということです。
もちろん、目の前にライオンが現れたら、声を出すよりも指差しで
仲間に教えるかもしれませんが、 ちょっと遠くに離れている仲間に
危険を知らせる意味では、声だろうと思います。
それは、シジュウカラの言語でも分かることではないかと思います。
「文法を操るシジュウカラは初めて聞いた文章も正しく理解できる」
https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2017-07-28
「シジュウカラは、異なる意味を持つ鳴き声(単語)を文法に従って組み合わせ、
文章をつくることが知られるヒト以外で唯一の動物です。
本研究グループは、同種・他種の鳴き声から合成した人工的な音列を聞かせる
ことで、シジュウカラが初めて聞いた文章であっても文法構造を正しく認識し、
単語から派生する文意を理解する能力をもつことを明らかにしました。」
全体的な議論の中身としては、既に読んだこちらの議論の方が腑に落ちました。
正高信男・辻幸夫共著「ヒトはいかにしてことばを獲得したか」を読む: 今の子どもは、 言葉なしで思考している? (sasetamotsubaguio.blogspot.com)
「p038
言語の起源は身振りか音声か
音声言語は聴覚に依存するのではなく、身振りに依存するという考えも出されています。
脳の系統発達的な側面から言えば、おそらく音声によるコミュニケーションの方が先で
あったのではないかと推測されますが、聴覚障害があっても言語は視覚など別のモード
の助けを得て問題なく実現されます。 ですから、そういう感覚・運動モードを超えた
能力として進化してきている・・・・」
p316
(大杉) 奄美大島で不就学のろう者がコミュニケーションの中心にいる集団を調査
したとき、「見えない概念」を表わす手話が作られていることに、衝撃を受けたことが
あります。
「首を人差指で指して、両手で何かをちぎる」ような表現が「年」を表わすと聞いて、
どうしてそういう表現が生まれるのかさっぱりわからなかったんです。
話を聞くと、
「お正月に豚を刺し殺して料理をこしらえ、また餅をついてちぎって餅を作る」
という意味で正月を表わす、その表現が短くなって「年」を意味する手話単語になっている。
「見えない概念」に対応する手話単語が生まれる過程にはそういう人間の思考がある
ことがわかって、なるほどなと思いました。
==>> これはまた、なんとも凄い発想ですが、奄美大島の人たちにとっては
かなり具体的なイメージが手話に発展したということでしょうか。
具体的なイメージを組み合わせて抽象的な手話ができる。
こういうのがある意味でのメタファーなのかもしれません。
p318
(本名) 人間というのはチョムスキーがいう通り、言語をいうものを持って生まれて
くるということ。 言語というのは獲得せざるを得ないもの、学習せざるを得ないもの
であるということです。
だから、仮に失聴しても言語能力がある以上、言語として手話というものが自然に
出てくるという事実です。
==>> 最後にチョムスキーの名が出てきました。
チョムスキーといえば「生成文法」なんですが、その入門みたいな本は
こちらで既に読みました。
福井直樹著「自然科学としての言語学:生成文法とは何か」
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/03/blog-post_25.html
「piii
生成文法理論の根幹をなす主張は、言語の研究とは人間が言語を獲得し話せる
ようになる「(認知)能力」(そしてその「(認知)能力」をつかさどる脳内メカ
ニズム)の科学的研究である、というものである。 「言語生物学」的アプロー
チとでも呼ぶべきこの視点は、生成文法理論を従来の伝統的言語研究からもっ
とも尖鋭に分け隔てる点であると同時に、様々な分野の研究者の興味を言語に
引きつけ、二十世紀後半における言語研究を真に学術的なものとした原動力で
あったと言えよう。」
人間は生物学的にすでに言語能力を持っているということから推測すれば、
何らかの障害を持っていたとしても、何らかの別の形で言語能力を実現
しようという自然の作用が働くということのように思えます。
この本は、著者の主張がやや強すぎて、腑に落ちない部分も多かったのですが、
「言語の起源」を眺めていくうちに、「意味とは何か」を考えさせてくれた本でもあったな
と思います。
今は、「意味とは何か」から「メタファー」が意味とどう関係するのかが知りたくなりま
した。
=========== 完 ============
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