高田英一著「手話からみた 言語の起源」を読む ― 2: 日本語と手話は別の言語、文法が異なる、 難聴の赤ちゃんには自然言語の手話が必要?

高田英一著「手話からみた 言語の起源」を読む ― 2: 日本語と手話は別の言語、文法が異なる、 難聴の赤ちゃんには自然言語の手話が必要?

 

 


 

高田英一著「手話からみた 言語の起源」

「第2章 手話の再生」に入ります。

 

 

p043

 

例えば、ろう者が手話通訳者を求めても、福祉窓口は「ろう学校では、お口で話し、目で

お口を読み取る口話教育をしているでしょう。 それに反対することはできません。

あなた方もお口で話す努力をして下さい」とお説教します。 ろう学校の生徒と成人ろう者

を混同して平然と発言する福祉窓口に人権感覚はうかがわれませんでした

 

あえて手話通訳者を求めると、「それなら紙に字を書いてお話ししましょう。 ろう学校で

は、言葉を教えているでしょう」と文部省(当時)の教育方針が福祉窓口の手話拒絶の

口実に利用されるのです。

 

笑われながら下手な音声で話し、紙に字を書くような面倒な問答では誰も、役所の窓口

で話す気も、要求する気もなくしてしまいます。ろう学校の口話教育はまさに、福祉関係

機関が手話通訳者の設置を拒否する口実を与えていたのです。

 

==>> これは戦中そして戦後のろう者に対する福祉窓口の実際を、8歳で聴力を

     失った当事者として書いています。

 

     私自身は、身の回りにろう者の知人友人はいませんので、どのようなご苦労が

     あるのかはほとんど知りませんが、一度だけろう者の方と筆談をしたこと

     があります。 それは確かに「紙に字を書くような面倒な問答」と言える

     会話でした。 

 

p045

 

1966(昭和41)年に開催された「全国ろうあ青年研究討論会」には、日頃の職場

や地域や学校などでさまざまな差別に悩み、苦しむろう者の若者たちが京都からの

呼びかけに応え、全国から集まりました。

ここに、結成されたばかりの「手話学習会・みみずく」が討論会の計画段階から参加、

共同して準備を進めて、討論会自体にも参加して、さらに手話通訳としても活躍しました。

 

・・・この京都の経験を生かして、それぞれの郷里に帰ったろうの若者たちは、地域で

手話サークルの結成に動きました。

 

・・・手話サークルが全国に拡大していくなかで福島県、京都府、奈良県議会などで

手話通訳を含むろう者に関わる議員質問が相次ぎました。

 

==>> ここでは、さまざまな差別に苦しんでいた若者たちが、手話サークルを

     通じて、行政に対して行動ができるようになったことが述べられています。

     そこには「手話を学び、ろう者の友となり、ともに力を合わせて、住みよい

     社会を築こう」という目的があったとのことです。

     つまり、健聴者がろう者の立場でともに歩くということのようです。

 

     1966年といえば、私が高校生の頃ですが、私が手話というものがあるの

     を知ったのもその頃であったように思います。

 

p048

 

「手話I~II」・・・というガリ版刷りの冊子にまとめられています。

そこには明治時代に思いを馳せて「教えられなければ人と語ることを知らず、思考する

ことも知らず、一般社会とのコミュニケーションは不可能に近い」ろう者は、その集団

があったとしても、「「自分たち自身」、「手話」を発達せしめ得たか疑わしい」と書かれ

ています。

 

教育したのは普通人であり、されたのは聾啞者であった。 そうするならば、やはり

この「手話」の成立についても彼らを教育した人々の創作やアドヴァイスが相当入って

いるのではないだろうか」と判断され、古河太四郎などの功績に触れています。

 

==>> 手話が自然言語のひとつだと言うためには、赤ちゃんの周りに手話ができる

     人たちがいなければ難しいという例がこちらのサイトに書いてありました。

 

     「人工内耳と自然手話、日本手話と日本語対応手話」

     https://www.meiseigakuen.ed.jp/medaka/type

     「日本手話と日本語対応手話

聞こえない、聞こえにくい赤ちゃんの母語となる唯一の言語が日本手話です。

日本語とは異なる独自の言語で、形や動きを表すCLや助詞や副詞、疑問詞など

を現すNM、話者や対象を交代するRSなど音声言語とはまったく違う文法構造

をもっています。一方、日本語対応手話は、日本語を手や指を表わすもので、

日本語を獲得する前の聞こえない、聞こえにくい赤ちゃんにはわかりません。」

 

     ここでは、日本手話=自然手話、日本語対応手話=人工手話という位置づけで

     書いてあるようです。

 

     こちらのサイトでは、動画を含め、日本手話と日本語対応手話の違いを

     詳しく説明しています。

     【動画付き】日本手話と日本語対応手話の違いとは?

https://www.onlineshuwa.com/post/%E3%80%90%E5%8B%95%E7%94%BB%E4%BB%98%E3%81%8D%E3%80%91%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%89%8B%E8%A9%B1%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E6%89%8B%E8%A9%B1%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%8F%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%EF%BC%81-%EF%BC%83%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E6%89%8B%E8%A9%B1%E5%A4%A7%E5%AD%A6

 

 

 

p052

 

これまで、手話を評価してこなかった行政ですが、社会的な大きな動きで手話について

の関心が広がっていくと、さすがに手話の必要性、その福祉に関わる役割を再検討せざる

を得なくなりました。 このようにして、厚生労働省のろう者に関わる福祉行政は文部科学

省のろう教育指針に追随する傾向を改め、自立するようになっていきます。

 

1970(昭和45)年、厚生労働省は初めて国の補助事業として「手話奉仕員養成事業」

を施行しました。

 

==>> ここで初めて、手話が公的に認知され、手話通訳者が認知・普及していく

     契機になったことが述べられています。

     世界でのろう教育の歴史については、こちらのサイトに簡単なものがあり

     ました。 日本のろう教育も世界の動向を反映しているように見えます。

     サイトの一番下にある「舞台通訳」はおそらく日本語対応手話による通訳で

     あろうと思います。

     手話がどのような感じで受け取られているかが少し理解できます。

     「ろう教育の簡単な歴史(世界と日本)」 

     http://nomurakouju.sakura.ne.jp/syuwataiken.html

     「現在のろう教育

     現在では手話が否定されることなく、ろう教育現場では手話(教育手話?)が」使われています。生徒の使う会話手話と先生の使用する教育手話では異なる

(個人的な見方)ので、冗談とか人間同士としての会話にならないことが多い

ように感じています。生徒と対等な会話が出来る先生は非常に少ないのが現状

です。」

 

 

p056

 

たとえば、日常生活、家族内や親しい友人同士などのコミュニケーションには

「方言手話」が使われていますが、不特定多数や公的な場面では「標準手話」

使われます。 このような使い分けのある事実を説明するなどして、両者の共存関係

が成立するように努めました。

 

このような努力を積み重ねた結果は、やがて劇的な形で表われました。

1997(平成9)年に全日本ろうあ連盟は日本手話研究所の編纂による、初めて

用例を付けた見出し語数8,320語の「日本語―手話辞典」を発刊しました。

 

==>> この辞書をアマゾンで検索してみたら、こちらが出ました。

     日本語‐手話辞典 単行本 – 1997/7/1

米川 明彦 (監修), 全日本聾唖連盟日本手話研究所 (編集)

https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E2%80%90%E6%89%8B%E8%A9%B1%E8%BE%9E%E5%85%B8-%E7%B1%B3%E5%B7%9D-%E6%98%8E%E5%BD%A6/dp/4915675513

     「日本語のどの意味、どの用法が手話にどう対応するのかを個別的、具体的に

挙げて表した、世界初の用例手話辞典。明解なイラストで、8000例を掲載。」

 

・・・・日本語との対応ができるように書いてあるので、おそらく

日本語対応手話の辞典ということでしょうか。

     しかし、別のサイトの説明では、

「「日本語対応手話」は、日本語とかなりリンクした手話になります。

使用する手話単語の表現も、日本手話のものと一緒で、その単語を日本語の語順

のまま用いて表現する言語になります。」

https://syuwafriends.com/415.html

・・・と書いてありますので、単語自体は同じであるようです。

 

     手話に関するいろいろなサイトを読んでみると、やはり手話は自然言語の

     ひとつだなという感じがします。

 

p061

 

手話はあるがそれに対応する日本語が分からないという場合もあります。

 

このような手話はろう者のコミュニケーションから自然というしかない方法で生まれた

ですが、実は誰が、いつ、どこで、どうして発明したのか分からない手話です。私たち

はこれら地域、また全国でろう者の間で今も使われ、保存されている手話を「保存手話」

と名づけています。

 

p063

 

手話は身振りをもとにするとはいえ、それが手話に昇華できたのは、そもそもの初めに

日本語を表現するために身振りの型を決めていったからです。

 

それなのに、なぜ日本語と意味のずれた手話ができたのでしょうか?

文レベルでは、日本語と手話ではかなり違うので、それは手話の特性、それが手話文法

といえるでしょうが、単語レベルでは、それは手話の特性と言い切ることは困難です。

 

==>> この前段の部分については、違和感があります。

     「日本語を表現するために身振りの型を決めていった」という点は腑に落ち

     ません。 手話というものがろう者の間で自然に発生した自然言語だと

     するならば、その辞典というものもすでにろう者の間で使われている

     単語を収録するというのが一般的なのではないかと、門外漢の私は考えて

     しまうのです。しかし、この著者の立場は、手話の単語を意識的に増やして

     いくこともあり、それを辞書に追加してろうコミュニティーの語彙力を

     拡大することにもあるのでしょうから、その意味では理解できるような

     気もします。

 

     いずれにせよ、「保存手話」という自然に生まれたものこそが自然手話と

     呼ぶにふさわしいもののように思います。

 

p066

 

多くの人の集まる会場での挨拶や講演をするろう者、あるいはテレビで話すニュース

キャスターのろう者はどうしても日本語の語順に近い「フォーマル手話」になることが

多いのです。

一部のろう者からは、そのような「フォーマル手話」は分かりにくいという意見はあり、

分かり易い手話表現を研究する必要は確かにあります。

 

p067

 

フォーマル手話が難しいという問題は、手話やその話し方の問題だけではないのです。

挨拶、講演、ニュース解説などでは、その内容が必ずしも一般的ではない専門的、時事的

な知識、語彙を必要とする場合、予備知識を必要とする場合が多いからです。

健聴者でも講演やニュース番組も内容次第では、よく理解できない人は案外多いのでは

ないでしょうか。

 

==>> これは確かにそのとおりだと思います。

     専門知識とかちょっと深い一般常識や外来語を知らないと、理解できない講演

     やニュースは多々あります。

     音声の場合は、それを文字に落として、辞書に説明を載せていけばいいわけ

     ですが、手話の場合は、手話の形を決めなければならないという手間が

     あるわけですから、新しい単語を増やしていくのは非常に困難な作業に

     なると思います。

 

p070

 

「書き言葉」の日本語を口で話しながら手話で同時に並行的に話すのは本当に難しい

です。手話と日本語の違いという特有の問題に加えて、手話も変化期にあるのでいろいろ

とおかしな意見も出てきます。

 

その一つに、コミュニケーション手話を新しい手話として「日本手話」、日本語の

「書き言葉」のような語順で話すフォーマル手話を間違った手話として「日本語対応手話」

と命名、分類するろう者や手話関係者が一部にいます。

 

p072

 

シスコムを「手話付きスピーチ」と翻訳する方が、「日本語対応手話」「手指日本語」などと

翻訳するより意味としてより近いかもしれません。

本来のシスコムは「音声語と手話を同時に使うコミュニケーションあるいはスピーチ」の

意味なので、それができるのは日本語と手話のどちらも同じように練達している場合だけ

です。

 

==>> ここで、著者がどのような意図でこれを書いているのかは分かりません。

     しかし、インターネットで手話を検索すると、既に上にいろいろとリンクを

     張ったとおりで、「日本手話」「日本語対応手話」という言葉は、あちこちに

     出てきています。

     私のような門外漢の健聴者にとっては、そのような表現の方が解り易いと

     思いますが、ろうコミュニティーの中でさまざまな活動をされている著者に

     とっては、なんらかの主張があるものと思います。

 

 

p074

 

「言語の起源」は身振りか、音声かのいずれか? に求める議論がありますが、それは

後代の考え方でしょう。 原始の時代、太古の時代、遅くともエジプトで絵文字、

ヒエログリフが用いられた時代までは、その言語コミュニケーションは身振りか、

音声かの区別はなかったのです。

そこでは身振りと音声の両方を同時に、あるいは相互補完的に、統一的に用いる

シスコムでのコミュニケーションが普通だったと確信出来ました。

 

==>> 「身振りか音声かの区別はなかったのです」「シスコムでのコミュニケーション

     が普通だった」と著者が断定しているその根拠が私には分かりません。

 

 

これで「第1部 手話」を読み終わりました。

次回からは「第2部 言語の起源」に入ります。

 

私がこの本を読みたいと思ったのは、第2部の「言語の起源」の中に、「意味とは何か」

のヒントがあるんじゃないかと思ったからです。

 



=== 次回その3 に続きます ===

 高田英一著「手話からみた 言語の起源」を読む ― 3: 文字を持っていないピダハン族とチンパンジーとシジュウカラは何が違うのか。 洞窟壁画から始まった? (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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