高田英一著「手話からみた 言語の起源」を読む ― 1: ヒエログリフは文字じゃない? 漢字は表意文字じゃない?? 手話教育と口話教育
高田英一著「手話からみた 言語の起源」を読む ― 1: ヒエログリフは文字じゃない? 漢字は表意文字じゃない?? 手話教育と口話教育
高田英一著「「手話からみた 言語の起源」は、地元の図書館で借りてきた5冊目の
本です。
私の今の読書テーマのひとつは「意味とはなにか」ということなんですが、先に読んだ
こちらの本で、手話も自然言語のひとつであることを知りました。
正高信男・辻幸夫共著「ヒトはいかにしてことばを獲得したか」
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/06/blog-post.html
「p116
手話は音声言語と同様に自然言語なわけですから、それを第一言語、つまり母語と
して習得する聴覚障害をもつ子どもは、聴児(耳の聞こえる子ども)と同じように
手話による喃語があるということで、古くはペティートらが指摘しています。
手の形や位置と動きがあって、音節に相当する分節がある。 これは意外に一般には
知られていないことかと思います。
p117
自然発生的に、人間は耳が聞こえないがために音声言語を習得する機会を失うと、
手を使って言語表象をするという本能がある。 それが手話というものの背景になる
わけです。」
この著者である正高信男氏は、wikipediaによれば、
「正高 信男は、日本の比較行動学・霊長類学・発達心理学者、評論家、元京都大学霊長類
研究所教授。専攻は認知神経科学、ヒトを含めた霊長類のコミュニケーション研究。」
また、辻幸夫氏は、こちらのサイトによれば、認知言語学が専門であるようです。
https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201501015701002540
一方で、今回読む「「手話からみた 言語の起源」の高田英一氏は、8歳の時に失聴し、
当事者として手話に関連する活動をされ、いわば手話の現場で自らの実体験と研究を
もとにこの本を書かれたようです。
ということで、音声言語と手話言語の比較で「意味」の姿が少しは見えてくるのではないか
と思ってこの本を読んでみます。
ただし、高田氏がこの本を出版した理由は、学術的というよりも、組織のリーダーあるいは
聴覚障碍の当事者としての立場のものかと思います。
では、私の興味の視点から読んでいきます。
=====
p017
語彙とはある範囲、ある条件のもとにおける単語の数のことです。
日本の身振りの数は百単位程度といえるでしょう。 このように少ない身振りでは
コミュニケーションに狭い限界がありますから言語にはならないのです。だから語彙の
多少によって手話と身振りは区別できます。
p021
ろう学校はコミュニケーション手段として身振りに着目します。 そして共通する身振り
の数を意識的に拡大しようと、身振りを分かり易く絵に表した手話「イラスト」・・を
作ようになりました。 また身振りを日本語文字で、その意味や動きを説明するように
なります。
==>> ここでは、身振りと手話の違いについて述べているのですが、
共通の身振りの数が意識的に拡大できて語彙の数が共同体の中で一定の
多さになった場合に手話となると考えているようです。
ちょっと気になるのは、手話は人口言語なのか自然言語なのかという点です。
p022
「イラスト」は意味を表わす身振りの模写です。
それによって「イラスト」は、ちょうど音声語における表音文字に相当する役割を
果すことができたのです。
音声を表わすのが表音文字、意味を表わすのが表意文字とすれば、身振りを表わす
「イラスト」は手話を表わす意味で表手文字といえるでしょう。
「イラスト」は身振りを手話に昇華させた原動力であり、「イラスト」の発明は手話の
起源になりました。 それは、今からほぼ140年前、1878(明治11)年のこと
でした。
==>> ここでは、「イラスト」というのは手話の形を絵で描いたものですから、
「意味を表わす身振りの模写」だけれども「表意文字」ではなく、
「表手文字」だと呼ぶことにしています。
p024
明治のろう学校創設から大正末期までは、ろう教育者とろう者が手話を絆として
教育とコミュニケーションの発展につくした人権回復を目指した、ろう教育とろう者
の黄金時代でした。
しかし、この黄金時代は戦雲ただよう昭和年代の経過のうちにまもなく終わりを告げ、
口話教育にとって代わられます。
口話教育の時代は手話を差別し、したがって手話を使うろう者の先生をろう学校から
追放するなどろう者差別を強化させた暗黒の時代でした。
==>> この部分は、ろう者の当事者としての著者が、歴史の中でのろう教育が
どのようなものであったかを描いています。
ろう教育のリーダーとして切実な問題であったことがわかります。
p026
人間の身振りと類人猿の身振りは似ているようでも、そこには既に決定的な違いがある
のです。 人間の身振りには・・・肯定あるいは否定を表わす「首振り」、挨拶を表わす
「さよなら」「やあ」など意思表示の身振りがあります。
・・・これらの身振りは、人間ならろう者であろうが、健聴者であろうが、どちらも
自然に同じようによく表す身振りです。 そしてこれらは物体模写、あるいは架空の
怪物を表わす身振りです。
==>> ここでは、人間にしか出来ない身振りのことを述べています。
もっとも、人間以外の動物には動物の、人間には理解できない、動物の意思表示
をする身振りというものはないのかな、という疑問は残ります。
それは、動物学者などの研究を調べてみるしかなさそうですが。
つい最近、こちらのようなテレビ番組がありました。
世界初! 「鳥の言葉」を証明した“スゴい研究”の「中身」
https://www.nhk.jp/p/zero/ts/XK5VKV7V98/blog/bl/pkOaDjjMay/bp/p0XWGW8MX7/
「なんと最近、「シジュウカラ」という小鳥において、「言葉」を操る能力が科学
的に証明されたのです!
巣箱で子育て中のメスが『チリリリリ(おなかがすいたよ)』と鳴くと、オスは
『ツピー(そばにいるよ)』と答えて食べ物を持ってくる。天敵を指す言葉は、
その対象ごとに『ヒーヒーヒー(タカ)』、『ピーツピ(カラス)』『ジャージャー
(ヘビ)』と、ちゃんと使い分けている。」
・・・・話がややこしくなるので、ここでは人間の話だけを前提に考えて
いきましょう。
p029
世界最初の文字といわれるエジプト古代王国の文字、ヒエログリフは表音文字ではない
ので、文字とは評価しないのが大勢です。
・・・現在の世界の音声語文字はすべて基本的に表音文字に分類できます。
漢字を表音文字に分類することに抵抗を感じる人はいるでしょう。 漢字は意味を表わす
形から始まりましたが、今ではその形を見て意味を理解することは困難です。
しかし、その形には意味と音韻が隠され、それらは学習によって習得されます。
漢字を見れば音韻が分かる、少なくとも音韻が分かるようになっているのは現代言語は
音声がメインだからです。
==>> 「ヒエログリフは文字とは評価しない」というのは驚きですが、
「漢字を表音文字に分類することに抵抗を感じる」のはまさに私のことです。
そこでヒエログリフとは何かをこちらで確認しておきます。
「聖刻文字ともいう。古代エジプト文字の一つで,その起源は前 3100年頃に
さかのぼり,4世紀末まで使用された。絵文字の原形をほぼ完全にとどめる象形
文字で,おもに碑銘に用いられたため,ギリシア語の「聖なる」 hirosと「彫る」
glūphoからこの名称が生じた。この書体からのち神官文字 (ヒエラティック) ,
民衆文字 (デモティック) が発達した。ヒエログリフ,デモティック,ギリシア
語が並記されているロゼッタ石の発見が端緒となって,1822年フランス人 J.
シャンポリオンによって解読された。」
・・・ということで、一応ヒエログリフは聖刻文字であり古代エジプト文字で
あり象形文字だと呼ばれているようですから、文字でいいんじゃないでしょ
うか。
そして、問題は「漢字は表音文字」というところです。確か私の年代、
つまり60年くらい前の義務教育世代は、「漢字は表意文字」であると
学んだように記憶しています。
そこで、こちらで再確認しましょう。
表意文字
https://kotobank.jp/word/%E8%A1%A8%E6%84%8F%E6%96%87%E5%AD%97-121199
「シュメール (スメリア) 文字が,知られるかぎり最古の表意文字で,そのほか
エジプトの象形文字,ヒッタイト象形文字,中国の漢字がよく知られている。」
ただし、一方で・・・・
「ところが、漢字は一面からみれば、音節文字である。漢語の基本語彙(ごい)は
すべて一音節語で、したがって漢字の各字は音としては1音節を表示する
(ゲルブI. J. Gelbのいう表音文字である)。」
とも書いてあって、単純に表意文字とは呼べないという説があるようです。
・・・それはともあれ、私が実際に日本語の文章を読む際には、カタカナ語
よりも漢字で書かれている語彙の方が意味を想像しやすいという点において
は表意文字だよなあと思うわけです。
p031
もともと事物の模写は音声よりも身振りが先行します。 だから身振りで表す事物の模写
ができたからこそヒエログリフが創られたので、ヒエログリフはイメージと音韻だけで
なく、当然身振りも含みます。
また漢字「馬」が身振りを含むとは奇妙に思われるでしょう。しかし、文字を学び、手話
を知る人は誰でも漢字「馬」の身振りは分かるのです。
・・・音声語にせよ、手話にせよ、基礎的なところ自然に、正確にいえば意識的な学習
努力なしで自然に身に付きますが、文字は意識的な学習努力なしでは身に付かないのです。
そこに「音声語と手話」と「文字」の大きな違いがあります。
==>> 「ヒエログリフはイメージと音韻だけでなく、当然身振りも含みます。」と
いうところは、すぐには理解できませんが、この後の話の展開の中で
徐々に具体的なイメージができるような説明が出て来ます。
それは古代の洞窟の壁画がどのように使われていたかの推測からの
類推になっています。
上記の中でちょっと気になったのは、「音声語にせよ、手話にせよ、基礎的な
ところ自然に、正確にいえば意識的な学習努力なしで自然に身に付きます」
と書いてあるところです。 これは「自然手話」が「意識的な学習努力なし」
で身に付くということを言っているように見えます。
著者が、この本の中で、手話教育の重要さを述べている中で、この部分は
相反しているような気がします。
p032
「イメージ」、音韻、身振りのこれら3つの共通点を揃え、セットとして表し、あるいは
含むものは、その見かけに関わらず文字として基本的な機能を備えています。だから、
表意文字、表音文字、表手文字の3種の異なった文字は紛れもなく文字なのです。
このようなことから、文字の起源はただ一点、すなわちヒエログリフに収斂すると考え
られます。
==>> おそらく、イメージ、音韻、身振りのセットの中で、意味を担うのはイメージ
だろうと思うのですが、ヒエログリフに関しては、こちらのサイトで
下のようなことが書かれていますので、ヒエログリフは必ずしも象形文字や
表意文字ということではなく、表音文字であるようです。
文字
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%AD%97
「古代エジプトのヒエログリフは、実は、基本的にはヨーロッパのアルファベッ
トと同様に「表音文字」である(それに誰も気づかなかったので、解読が非常に
難航した)。一見すると、絵が並んでいて表意文字のように見えるが、実は、
基本的には表音文字である。(ヒエログリフが基本的に表音文字であることを
日本人にも分かるようにざっくりと説明すると、「鳥(とり)」の絵を描いておい
て、それを「と」と読ませるようなやりかたで、もともとは具象物を表していた
図を表音文字として使っている、のである。)ただしヒエログリフは、文脈によ
っては、まれにもとの意味を表す表意文字として使われることもある(しかし、
表意文字としての使用の頻度は低い)。」
・・・これは、日本語において、漢字を意味でとらえていたものを、漢字の音
を借りてカタカナやひらがなを作った発想と同じように思えます。
p036
ろう者が最初にコミュニケーションに使うのは身振りだというのは、日本だけの現象で
なく、世界的な現象です。 「ろうの子ども」が学校の創立などで組織されると身振り
を母体として手話が発達します。 それは身振りをコミュニケーションに使っていた
原始時代から伝わる「言語」の眠れる遺伝子の自然な発現といえるかもしれません。
p037
教育側は手話を言語と認識できず、音声語の補助手段にとどめておくことしかできな
かったのです。 それは残念ながら健聴者による教育の限界でした。
一方、ろう者側はその機会を利用してろう学校卒業生を中心とする「ろうコミュニティ」
(ろう共同体)を形成して、身振りを手話に発展させていきます。 この世界で「手話」
と「ろうコミュニティ」は、相互促進的に発展していきました。
==>> 世界における手話のコミュニティーの発達は国によって様々であるようです。
しかし、その中には島ごと手話が共通語という特殊なケースもあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E8%A9%B1
「マサチューセッツ州にあるマーサズ・ヴィニヤード島にはマーサズ・ヴィニヤ
ード手話と呼ばれる、独自の村落手話(英語版)がある。この島は米本土に近い
が、以前はなんらかの理由で本土との交流が少なく、半ば隔離され閉塞された
環境だったため、近親婚が行われ、元来からの聴覚障害遺伝子が拡大し聾者が
多く出生した。これに伴って独自の発展をとげたのがこの島独自の手話である。
この現象はいわば「自然のもたらした言語学的、社会学的実験」だった。ここで
は家族、親族の中に必ずろう者がいるという特殊な社会的条件から、聴者も流暢
に手話を使い、しばしば音声語と手話は併用されていた。彼らにとって手話は
特別な物ではなかった。」
・・・手話の現存する最古のものは、こちらのサイトではこのように書かれて
いますが、音声言語と同じように、それがいつから始まったのかを特定するのは
音声の手話も文字によって記録がされないかぎり不可能ですから実質的に
特定は不可ということでしょうが・・・
「手話はこうして誕生した その歴史」
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/053000312/
「1620年、ボネットは現存しているものとしては最古の聴覚障害者向けの教本
を出版した。そして、聴覚障害者も言葉の発音を学び、さらに意味のある文章の
組み立て方を段階的に学ぶよう勧めた。その第一歩として考案したのが、右手で
形を作ってアルファベットを一文字ずつ表現する指文字だ。」
p038
一般的にろう学校で手話を活用すれば、それはすなわち手話教育と思われていますが、
そうではありません。 手話教育には理念、理論、技術が必要ですが、それは平成の
現在でもまだ未完成で、日本で実践された経験は、実はないのです。
・・・口話教育とは、ろう者といえども「読舌、発音」、つまり対面する相手の唇を読み
取り、口で発音することを強制する教育です。同時に手話を差別し、それを使うろう者の
先生をろう学校から追放するなどろう者差別を激化させた教育です。
==>> ここにはろう教育のリーダーあるいは当事者としての主張がはっきりと述べ
られています。
特に戦時中は、「右翼的、国粋的な国語論からみて、手話は異端の言語」と
され迫害された歴史について書いています。
そういえば、口話教育の中の「唇を読み取り」というのは、昔のスパイ映画や
「2001年宇宙の旅」で見たことがありますが、最近は見なくなりました。
p040
提唱された新しい教育方針がトータルコミュニケーション論です・・・
・・・しかし、これには大きな嘘が含まれています。 そもそもメインとなるべき手話を
使おうとしても、手話を使いこなせる先生(健聴者)がほとんどいないからです。
このようなまやかしの教育論は、間もなくかえりみられなくなります。
しかし、トータルコミュニケーション教育論の功績は、曲りなりにもろう教育に手話の
必要性を認めさせたことでした。
==>> これで「第一章 日本手話の起源」 を終わります。
著者の高田英一氏は、社会福祉法人・全国手話研修センター日本語手話
研究所所長の立場で、この本を出版されたようですが、財団法人・全日本
ろうあ連盟参与などの組織のリーダーとして様々な運動をされたよう
です。
そのような立場から、ろう教育を取り巻く状況を批判的に書かれているもの
と思います。
では、次回は「第二章 手話の再生」から読み進めます。
==== 次回その2 に続きます ====
====================================
コメント
コメントを投稿