福井直樹著「自然科学としての言語学:生成文法とは何か」を読む ― その4(完) 権威なんてカンケーネーというチョムスキーさん。 その人物像とは。 構造主義と生成文法と認知言語学
福井直樹著「自然科学としての言語学:生成文法とは何か」を読む ― その4(完) 権威なんてカンケーネーというチョムスキーさん。 その人物像とは。 構造主義と生成文法と認知言語学
福井直樹著「自然科学としての言語学:生成文法とは何か」を読んでいきます。
==>> さて、いよいよチョムスキーさんとはどういう人なのかについて読んで
いきます。 すでにチョムスキーさんの「誰が世界を支配しているのか?」は
読みました。 しかし、チョムスキーさんは基本的には言語学者なんですね。
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/02/blog-post_18.html
「第六章: ノーム・チョムスキー小論」
p185
チョムスキーの言語学者としての最大の貢献は、言語学の対象を(その存在そのもの
が定かとは言えない)客体としての言語から、ヒトが言語を獲得し話せるようになる
能力へと大転換し、そのことによって言語の研究を人間の「心・知性」(脳・精神)の
研究の中核に位置付けたことにある。
==>> ひらたく言えば、つまり、文系の学問が理系の学問になったということにも
なりそうです。 脳や精神の問題を自然科学として研究するという話の
ようですから。
p186
言語学を考えるときのチョムスキーは徹底的に理性的である。 彼が学生であった当時
支配的だった行動主義心理学に基づく構造主義言語学の「エセ科学性」をいち早く
見抜き、それに代わる真の科学理論として生成文法理論を提唱し、それを圧倒的な
理性の力と情熱をもって推し進めたのである。
==>> まず、行動主義心理学をwikipediaで確認しますと、以下のような説明が
あります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%8B%95%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6
「行動主義(こうどうしゅぎ、(英: behaviorism)は、心理学のアプローチの1つ
で、内的・心的状態に依拠せずとも科学的に行動を研究できるという主張である。
行動主義は、唯物論・機械論の一形態であると考えられ、あたかもブラック
ボックスのような外からは観察ができない心が単独で存在することを認めて
いない。
多くの行動主義者に共通する1つの仮説は、「自由意志は錯覚であり、
行動は遺伝と環境の両因子の組み合わせによって決定されていく」というもの
である。」
そして、構造主義言語学はこちらです:
https://kotobank.jp/word/%E6%A7%8B%E9%80%A0%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6-62582
「言語はばらばらな成分の寄せ集めではなく,一定の構造・体系をもつもので
ある,という想定のもとに,その構造と機能を研究しようとする言語学。この
意味では,現在の言語学はほとんどすべて,多かれ少なかれこの観点に立って
いる。」
「現在注目を集めている生成文法は,方法論的に狭義の構造言語学とは対立す
るが,文を中心に言語の構造を解明しようとしている意味で広義の構造言語学
に入れることができる。」
「言語を体系としてとらえ,個々の言語の構造を解明することを強調する立場
をいう。その基礎をつくったのはソシュールとされるが,ブルームフィールド,
チョムスキーらのアメリカ構造主義,ヤコブソンらのプラハ学派構造主義の
業績も知られる。」
・・・チョムスキーが激しく対立したのは「行動主義心理学に基づく構造主義
言語学」とあるのですが、これらの辞書的な解説を読むと、チョムスキー自身
も構造主義者ということになっているようです。
そこで、構造主義と生成文法と最新の認知言語学の関係をこちらのサイトで
確認しておきましょう。
「構造主義,生成文法,認知言語学の3角形」
http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2017-01-30-1.html
「20世紀の近代英語学の主流を形成したのは,構造主義言語学 (structural
linguistics),生成文法 (generative_grammar),認知言語学
(cognitive_linguistics) の3本柱である.言語史上,この順序で現われ,台頭し
てきた.それぞれを支えている土台には互いに共通部分もあるが,著しく対立す
る部分もある.」
「構造主義は社会を想定するが,生成文法は社会を想定せず,究極の個人の生得
的な能力のみを問題にしている.また,特にアメリカ構造主義の帰納的で行動主
義的な方法論と,生成文法の演繹的な立場も鋭く対置される」
「言語の発生についても,生成文法では突如として発現したことが前提とされ
やすいが,一方,認知言語学では累進的進化という立場が採られやすい.」
・・・ここに、構造主義と生成文法の言語観と方法論の違いがあるようです。
素人である私の好き嫌いでいうならば、「生得的な能力」という点と、
「累進的進化」という点を取りたいと思います。
なぜかというと、「突如として発現した」というような神懸った感じはあまり
好きではないからです。
p189
政治・社会問題を論じる時、チョムスキーは徹頭徹尾「実証的」である。あらゆる
ドグマを排する彼は、空疎なイデオロギー的言辞は一切弄さないし、疑似科学的粉飾
をほどこして自説をもっともらしく見せることも全く行わない(むしろこれらは
チョムスキーが徹底的に批判する、支配勢力の利益を代表する「知的エリート」達の
著作に典型的に見られる特徴である)。
p190
広範で緻密な調査に基づいて得られた莫大な量の「事実」を呈示することによって、それら
の事実からどのようなパターンが浮かび上がり、社会、経済、政治、歴史等われわれが
生きているこの世の中に関して何を学ぶべきなのかをあくまでも事実そのものに語らせ
ようとする。
==>> これは、先によんだチョムスキー著「誰が世界を支配しているのか?」を
読めば分かることだと思います。
それにしても、アメリカの政治に関して、共和党であろうが民主党であろうが、
どちらの大統領であろうが、一刀両断にする書き方は、アメリカの左派リベラル
のメディアにとっても、辛辣であるようです。
p191
新聞、テレビ等へのチョムスキーの登場も非常に限られている。
ニューヨーク・タイムズ、ボストン・グローブ、ロサンジェルス・タイムズ等にごく
たまに載るチョムスキー関係の記事も全て他の人が(しばしばある種の偏見あるいは
意図をもって)チョムスキーを論じたもので、チョムスキー自身の言論活動は「主流」
メディアにおいては、ほぼ封じられていると言ってよいだろう。
・・・「民主社会における思想統制」を地で行くような支配層の対応は、まことに
迅速かつ適切であった。
チョムスキーは、あらゆる種類の権威、権力、階層・上下関係、力による支配、その他、
人間の自由を制限する全てのものに反対する。
チョムスキーのように党派性を嫌い、あらゆるドグマを排する人間に政治上のレッテル
を貼ることはほとんど意味がないが、彼のこのような人間観(そしてそこから派生する
社会観)をある種のアナキズムと呼び得ることは確かであろう。
==>> アナキズムについては、wikipediaのよれば、
「アナキズム、アナーキズムとも)は、国家権力や宗教など一切の政治的権威と
権力を否定し、自由な諸個人の合意のもとに個人の自由が重視される社会を
運営していくことを理想とする思想」
と書いてあります。
私がチョムスキー著「誰が世界を支配しているのか?」を読んでいる間、
この人は政治的な立場としてはどこに立っているのかを考えていたのですが、
結局「一切の政治的権威と権力を否定し」というところで、なるほどと
納得できました。
そして、この本を読んで、アメリカを民主主義の旗手として、理想の国だと
思いこまされていたものが、瓦解してしまいました。
p192
メディアにおけるプロパガンダ・モデルなどは時代と国情を越えて重要性を持つものだと
思うし、彼の「太平洋戦争論」(なぜ太平洋戦争は起こったか)、およびアメリカの
戦後植民地政策論(どのような意図を持ってアメリカは日本の植民地化を遂行したか)
などは日本の読者にとってもアピールするものなのではないかと思う。
どのような問題を論じる時でもそうだが、政治・社会上の問題を論じる時もチョムスキー
は歯の衣を着せない。 そして自らの理性にのみ基づいて議論を展開するので、ドグマや
党派性にとらわれている人達には、彼が「左翼」なのか「右翼」なのか、「進歩派」なのか
「保守派」なのか判断がつきかねることがあるようである・・・・。
==>> 確かに私もこのチョムスキーさんは政治的に左翼なのか右翼なのかと判断が
できませんでした。 そして、「結局そのような対概念には大した意味はない」
と書いてあるとおりだと思います。
上に「太平洋戦争論」の案内があるのですが、インターネットで検索しても
残念ながら日本語版の本はなさそうなので、「我々はどのような生き物なのか」
と言う本を買うことにしました。
その本の紹介には、「チョムスキーの二つの側面が、2014年来日時の連続講演と
インタビューを通して初めて一個の人格として像を結ぶ。」とありますので、
若干新しい本かなという感じです。
そしてもう一冊は、「メディア・コントロール ―正義なき民主主義と国際社会 」
という本です。
主流メディアからも煙たがられているチョムスキーさんが、民主主義の
行方をどのように見ているのかを覗いてみたいと思います。
私は懐疑主義者だと自分では思っているんですが、主流メディアには
ころっと騙されるたちなので・・・・
では、次回は、最終回で「第七章 日本の理論言語学 ― 教育と研究」に入ります。
・・・と思ったのですが、内容はほぼ大学教育や研究における理論言語学の現状と課題の
ようなものなので、これはスキップします。
今後日本の理論言語学をやっていこうという意志をお持ちの方には読んでいただきたい
内容になっていると思います。
よって、この本の感想文はこれで終わりと致します。
==== 完 ====
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