保江邦夫著 「神の物理学 甦る素領域理論」 を読む ― 2 「形而上学的素領域理論」と「唯心論物理学」とは
保江邦夫著 「神の物理学 甦る素領域理論」 を読む ― 2 「形而上学的素領域理論」と「唯心論物理学」とは
形而上学まで含むという保江さんの理論「神の物理学 甦る素領域理論」を
読んでいます。
p56
「形而上学的素領域理論」
アインシュタインが重力を空間の歪みとして理解しようとして一般化した
相対性理論(「一般相対性理論」と呼ばれる)では、宇宙空間における
物質の分布によってその近くの空間自体が「曲がる」と仮定されたのだが、
湯川秀樹博士の素領域理論においてはこの空間が「曲がる」ということを
被覆空間での素領域の分布が均一でなく偏ってくると理解すればよい。
==>> ここでは、アインシュタインの理論も、湯川秀樹の素領域理論
と喧嘩しないということを言いたいようです。
p58
マッハが描いた自画像には、まさにニュートンのいう「神の覗き穴」から神が
監視しているこの世界の中にある己の動体や手足とその背景が描かれては
いないものの、その「存在」を見事に暗示しているのだ。
つまり「私」とは「神」なのだ。 そして、「私とはなにか?」という究極の
問いかけに対する形而上学的な答としてマッハが描き遺してくれが「首のない
自画像」は、ここにきて湯川秀樹博士の素領域理論を理論物理学の枠組みを
超えて形而上学にまで拡張することを強く後押ししてくれる。
==>> ここで出ているマッハとは エルンスト・マッハのことです。
上に書いてある「自画像」については、下のwikipediaのページに
掲載してあります。
「オーストリアの物理学者、科学史家、哲学者。日本ではマッハ数
の由来でも知られる。」
「ニュートンによる絶対時間、絶対空間などの基本概念には、
形而上学的な要素が入り込んでいるとして批判した。この考え方
はアインシュタインに大きな影響を与え、特殊相対性理論の
構築への道を開いた。そしてマッハの原理を提唱した。
このマッハの原理は、物体の慣性力は、全宇宙に存在する他の物質
との相互作用によって生じる、とするものである。この原理は
一般相対性理論の構築に貢献することになった。」
「「物体」や「自我」などというのは本当は何ら「実体」などでは
ない、と指摘し、因果関係というのも、感覚的諸要素(現象)の
関数関係として表現できる、とした。そして「科学の目標というのは、
感覚諸要素(現象)の関数的関係を《思考経済の原理》の方針に
沿って簡潔に記述することなのだ」といったことを主張した。」
「マッハの、形而上学を超えようとする発想、現象的物理学や
統一科学の構想などは、当時の若手の哲学者・科学者らに多大な
影響を与え、ウィーン学団の結成のきっかけとなり、同グループ
による論理実証主義や統一科学運動の基礎を提供することになった。」
・・・これを読んでいると、マッハという人はちょっと現象学的
考え方だったように思えます。
p59
「神」の完全調和が自発的に破れて生じたものが「素領域」であり、従って
「素領域」そのものは「神」ではない。 一つの「素領域」は「神」である
完全調和に接している。 つまり「神」である完全調和はどの「素領域」の
様子も、それを取り囲むようにして「知る」ことができると考えてよい。
==>> ここで何度も「神」という言葉が出てくるんですが、
私は「神」=「完全調和である真空(の物理学)」と読み替えます。
したがって、ビッグバンにより真空の対称性が自発的に破れて素領域
ができ、その素領域は完全調和である真空に取り囲まれている。
だから、その真空は素領域の中の様子を知ることができる、
ということのようです。
素領域が集まったものが我々が住む宇宙空間ということなんですが、
その宇宙空間は完全調和の真空によって周りを包み込まれている
という話のようです。
p61
「自由意志問題と初期値問題」
特にニュートンやライプニッツ以降の微積分の導入による「力学」や
「運動学」の精密化を迎えることにより明らかとなったのは、ある時点での
すべての物体の運動が定まっているならば、その後のすべての運動は
「ニュートンの運動方程式」など「力学法則」に従って完全に決定される
ということだった。 つまり、宇宙開闢から現代に至るこの宇宙の中での
すべての出来事は、宇宙開闢の時点ですべてが決定ずみということになって
しまい、そこに人間の自由意志を発揮できる隙間などは残されていない
ことになる。
==>> 我々人間に自由意志というものはあるのかという問題なん
ですが、すべてのことが物理法則によって決まってしまうの
であれば、人間のやることなすことすべてそれで説明が
出来ることになってしまって、個々人の自由な意志なんて
ものはないんじゃないかという話です。
特に「人体は遺伝子の乗り物」というような話を聞くと、
我々は遺伝子に操られていて、自由意志なんてものは
元々ないんじゃないかという思いにも取り付かれます。
おまけに、普通に考えても、人それぞれに興味の赴く
ところは異なっていて、私自身も何故こんなもの、こんな
ことに興味が湧くんだろうと、ある一定の志向性があること
自体を怪しんでしまうわけです。
p62
数学的には微分方程式の「初期値問題」と呼ばれ、初期値が与えられるならば
その微分方程式は一意的に解を持つことが「解の存在定理」によって保証される
からだ。 これでは人間が物体である身体を動かすことによって「自由意志」で
何らかの物体の運動状態を左右することはできない。
これが物理学の側から見た「自由意志問題」の本質部分となっている・・・
この不可避の理論的困難に気づいたニュートンは、人間が「自由意志」を発動させる
ことができるのは、この世界で「自由意志」が行使されるところには「神の覗き穴」
があると考えた。
p63
・・・「自由意志」は、この世界の外に存在する「神」によって、この世界
の中に存在する我々人間に与えられたものとなる。
この世界の外の存在である完全調和が「神の覗き穴」としてこの世界である
「空間」の中に「神通力」を及ぼしているのは、それぞれの「素領域」と
完全調和の境界部分(素領域の「「表面」と呼ぶこともある」と考えてよい。
つまり、形而上学的素領域理論においては、「自由意志問題」を解決するために
必要となる「神の覗き穴」の概念が理論の根底に自然に組み込まれていること
になる。
==>> ここの部分がこの本の中では、私にとって、一番重要なところ
なのですが、なんといっても「ぶっ飛び過ぎ」な展開になって
います。
「自由意志」の問題というのは確かに私のようなど素人でも
感じる問題なんですが、それを説明するのに、宗教や哲学なら
いざしらず、物理学において「神の覗き穴」とか「神通力」などと
いうものを持ち出していいのか? という、まったく腑に落ちない
展開になっていると思います。
p65
「量子力学と観測問題」
この「神の覗き穴」という概念は、「自由意志問題」の解決に必要不可欠である
だけでなく、量子力学の定説に巣くう根本的な難問である「観測問題」の解決にも
導いてくれる。
どの素領域をもその内部に包み込んでいる完全調和としての「神」は、それぞれの素領域
に生成される復旧エネルギーとしての素粒子の動きを「神」の中での素領域の分布を
変化させることで、量子力学の法則に従っているかの如く操っているのだった。
これが形而上学的素領域理論に立脚した「神の物理学」が教えてくれる、量子力学の
原理的背景に他ならない。
==>> ここでまた「神」という言葉が出てくるので、私的には
「神」=「完全調和としての真空」と読み替えます。
素領域は真空に包まれている空っぽの領域ですが、その領域の
中にエネルギーが入るとそれが素粒子ということですね。
そのエネルギーがある素領域から別の素領域に移動していき
ながら変化しながら分布しているということのようです。
それが量子力学の法則に従っているように見えると・・・・
ここで、「形而上学的素領域理論」と呼んでいて、
「素領域理論による形而上学」とは言っていないところが
ミソですかねえ。
あくまでも、神の領域というのが形而上学であって、
素領域理論と言えども、完全調和である真空の物理学の
内容を語っているわけではなく、破れた結果できた素領域
及び素粒子で出来ている我々が住む宇宙のことを語っている
理論ですから。
p71
「観測」という過程や「測定装置」と「観測者」までをも量子力学で記述する
かぎり不可避的に現れてしまう理論的不具合となる。 従って、この「観測問題」
に真っ正面から取り組んだ物理学者は少ないのだが、天才数学者フォン・ノイマン
は名著の誉れ高い「量子力学の数学的基礎」の中で一つの解決策を提唱した。
p79
そこで、フォン・ノイマンは最後の最後に離れ業を放つのだが、それは量子力学の
数学的枠組みの外に、即ちこの世界の中で生じている素粒子複合系の物理現象の
すぐ側にありながらこの世界の外側に存在する「最終観測者」を仮定することだった。
それを「抽象的自我」と呼んだフォン・ノイマンは、返す刀で次のように結論づける。
・・・この「抽象的自我」はこの世界の外に存在するものであるため、それに対しては
この世界の中に存在する素粒子の運動を記述する量子力学の理論を適用することは
できない。
p80
我が国の理論物理学者である中込照明博士によって、「抽象的自我」を数学的に
精密に記述する「唯心論物理学」の一般的理論である「量子単子論」が提唱
されるに至って、「抽象的自我」による「観測」で波動関数が「収縮」する
数学的枠組みが具体的に示されたために、現在ではフォン・ノイマンと
中込照明によって「観測問題」が解決したと考えられている。
==>> 本当に「離れ業」ですねえ。
まあ、これがこの著者が説く素領域論の考え方に近い「外側」を
ノイマンさんが出してくれたから好都合であったのでしょうが、
そこに中込さんが「モナド論」をベースにした考え方で
解決?したようです。
とりあえず、観測問題について再確認:
「量子力学の観測問題」
https://defqon0ne.com/paradigm-shift/science-spiritual/observer-effect/
「『量子』は物質ではなく、波動性を持った状態でエネルギーとして
存在していて、外部からの観測のエネルギーを受けた瞬間に一点に
収縮した『粒子』となって出現します。」
「『量子レベルの物質』は実際に観測されたものだけが物質化しており、
観測されない限り『そこにあるかもしれないし、ないのかもしれない』
という『可能性の波』として存在しているということです。」
「人間の「意識」によって「波動関数の収縮」が引き起こされるとした、
フォン・ノイマンとユージン・ウィグナーが提唱したノイマン=
ウィグナー解釈」
「つまりは『観測』がもたらす量子の振る舞いが、実際に私たち人間が
人体に備わる『五感』を使って認知する事象に対してどのように影響
するのかは、科学的に明確化されてはいないということです。」
「光に頼る視覚や機器による計測など、対象に何らかのエネルギーを
与えて返された反応そのものを認識する行為である」
そして、フォン・ノイマンさんについては:
「ハンガリー出身のアメリカ合衆国の数学者。数学・物理学・
工学・計算機科学・経済学・気象学・心理学・政治学に影響
を与えた20世紀科学史における最重要人物の一人とされ、
特に原子爆弾やコンピュータの開発への関与でも知られる。」
「物理では量子力学を形式的に完成させた『量子力学の数学的基礎』
で知られる」
フォン・ノイマン著「量子力学の数学的基礎」については、
湯川秀樹博士がこの本の「序」を書いています。
https://www.msz.co.jp/book/detail/02509/
「このような不満足な状態を是正するために、Neumannはそれまで
物理学者には縁の遠かったHilbert空間の理論を基礎におくことに
よって、理論的に一貫し、数学者にも受け入れられる形に量子力学
を再構成することに成功した。今日では、量子力学系に対する直感的
な像を描くためにも、Hilbert空間はなくてはならぬ背景にさえなってしまった。」
【ヒルベルト空間 Hilbert space】とは:
https://kotobank.jp/word/%E3%83%92%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E7%A9%BA%E9%96%93-121837
「ユークリッド空間の概念を無限次元に拡張した空間。積分方程式
の問題に関連してD.ヒルベルトにより導入され,J.フォン・ノイマン
によって公理化された。」
「ユークリッド空間を無限次元に拡張した空間。ヒルベルトが
積分方程式を解こうとして着想。量子力学で、物質系の状態を
数学的に構成するのに用いる。」
・・・・この辺りで、私はほとんどギブアップなんですが、
分からないままに読み続けます。
p82
フォン・ノイマンが提唱した抽象的自我による観測という形而上学的な概念
の導入を認め、さらには抽象的自我による観測によって波動関数が収縮する
という考えに従うならば、確かに量子力学における観測問題は解決する。
しかしながら天才数学者といえども、この主張を何等かの理論的考察や
数学的証明によって示すことはできなかったために、最終的にはこれを公理
として認めるより他になかった。
それを世界で初めて数学的に証明してみせたのが中込照明博士であり・・・
p83
天才フォン・ノイマンですら最終的には観測系として「抽象的自我」と呼んだ
形而上学的存在、すなわち物理学の考察対象の外にあるものを持ちださざるを
えなくなったという事実は、そもそも観測系というものはこの世界の外側に
位置する存在でありそれを量子力学で記述することに問題の原因があったことを
強く示唆している。
p84
中込照明博士の「量子単子論」において観測問題が見事に解決されたのは、
観測系を「モナド(単子)」というこの世界の外側に位置するものとし、それら
モナドについては新しくモナドについての理論体系を用意したためである。
==>> さて、フォン・ノイマンも中込博士も、観測する側をこの宇宙の
外側においた、つまり形而上学のレベルに置いた、ということの
ようです。
そこで、この中込さんの本をネットで検索してみたら、これが
一冊だけかかってきました。
「唯心論物理学の誕生―モナド・量子力学・相対性理論の統一モデル
と観測問題の解決」
アマゾンの読者コメントを読んでみると、
「名著過ぎて人を選ぶ。
発売当初に買って読んで20年以上経過してやっと見えてきた。
生物は喩えるなら磁性体と同じ。どんな物質にも電子のスピン
から生まれる磁力はあるが、普通は打ち消し合う。意識もそう。
どんな物体にも意識はあるが、打ち消しあってる。」
・・・と言う事ですので、私には20年以上という読書期間を
掛ける余命もありませんし、能力も無さそうなので、
ギブアップします。
ただし、本のタイトルは私にとって非常に魅力的です。
ところで、モナド論というのは:
https://kotobank.jp/word/%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%83%89%E8%AB%96-646138
「ライプニッツの形而上学説。モナドは不可分の単純実体で、
非物質的本性を有し、表象と欲求とからなる。宇宙はこのモナド
から構成されているが、モナドは相互に作用しあうことがなく、
独立である。従って、宇宙の統一的な相互対応関係は神による
予定調和にほかならないとされた。単子論。モナドロジー。」
ライプニッツについては、
https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%97%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%84-146804
「ドイツの数学者・哲学者・政治家
数学では微積分法を発見。哲学では『単子(モナド)論』を著し,
予定調和の哲学を樹立。」
・・・とあります。 神学もやっていたそうですので、形而上学に
繋がっているのでしょう。
p85
・・・・たとえば測定系を構成する素粒子がどの素領域に存在するかを確率分布
として捉えるとき、素領域理論においてはそれを確率過程の数学的枠組みの中で
記述することができるため、物理学者ボーアによる量子力学のコペンハーゲン解釈
や数学者フォン・ノイマンによる抽象的自我解釈などで必要だった形而上学的な
観測系を持ち出す必要がなくなるのだ。
p89
量子力学の基礎を与える素領域理論の枠組みで「測定」を考察するならば
比較的単純な数学的考察によって簡単に解決してしまうことがわかる。
==>> つまり、素領域理論を使えば、この宇宙の外の話を持ち出さなくても、
この現実の世界を構成する素粒子の動きを数学的に捉えることが
出来るということのようです。
測定問題というのは、被測定系と測定系と観測系の3つがあって、
測定される物、測定する道具、そして観測する人間なんですが、
その観測系つまり観測する人間の部分が問題となっているよう
なんですが、その影響を取り除くには素領域理論を前提にすれば
いいんじゃないかと言っているみたいです。
p93
「抽象的自我とは何か?」
フォン・ノイマンはその「抽象的自我」の実体についてはそれ以上には踏み込ま
なかったのだが、中込照明博士による「唯心論物理学」においてはそれは
この世界の背後にあって唯一「選択」の自由を持つ「モナド」と呼ばれる存在だ
とされる。
実は、「唯心論物理学」の理論体系は湯川秀樹博士の「素領域理論」のそれと
類似の部分が少なくないのだが、特に前者において「モナド」と呼ばれる
この世界の背後に潜む要素は後者における「素領域」の外側に連なる「完全調和」
に対応する。
p94
あるいは、この世界のすべての素粒子の空間のなかでの運動は、素領域の外側
に広がる「完全調和」である「神」の部分に詳細な履歴を残しながら展開して
いるのだ。
==>> ここでまた、「神」=「完全調和の真空」と読み替えますが、
あくまでも形而上学を物理学として記述してもらいたい私と
しては、どこに連れていかれるのか心配と期待が混ぜこぜに
なっております。
p95
即ち、「完全調和」の「真空」中に「自発的対称性の破れ」によって
生まれた「素領域」が「空間」の構成要素として全体でこの世界を形作っているため、
「空間」の中を運動する「素粒子」には「素領域」から「素領域」へと転移していく
「エネルギー」という実体が伴っていた。
そのような「素粒子」の運動は・・・・「素領域」のその中での分布形態を規定
する「完全調和」の「真空」によって制御され、その結果としてシュレーディンガー
方程式を満たす「波動関数」が運動の詳細を記述するのだった。
p96
やはり既にみてきたとおり、「完全調和」の「真空」はまた、我々に「自由意志」を
発動させることもできる。
==>> ここで気に成る部分は、「「真空」によって制御され」という部分です。
まあ、この宇宙の外の「真空」の話ですから、どのような「制御」なの
かが知りたくなるわけですが、これは仮説でしょうからどのような
実証が出来るのかが疑問になります。
「完全調和の真空」はこの世のものではないわけですからねえ・・・
p97
「形而上学的素領域理論」においては、量子力学における「観測問題」を解決する
ためにフォン・ノイマンが見出した「抽象的自我」と、「自由意志問題」を解決する
ためにニュートンが見出した「神」とが同じもの、つまり「完全調和」の「真空」だと
いうことになる。
そう、「抽象的自我」は「神」に他ならなかったのだ。
p98
「人間に自由意志があるなら電子やクオークなどの素粒子にも自由意志が
なくてはならない」
ということだ。
一見してありえないことのように思えるのだが、実は既に量子力学の
数学的な枠組みの中で最近になって証明されてしまった。
==>> まあ、そういうことにはなるのでしょうが、「神」を出さずに
なんとかなりませんかねえ・・・・・
素粒子レベルに意識があるというのは、既に読んだ本に
書いてありましたので、そうかもしれないとは思っています。
こちらで読んだ中にありました:
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2018/02/post-1e42.html
「E03
さらに、ハミルトン博士は、意識は量子レベルで時空を超えて
存在するとも語っている。キリスト教などにおいては、死後、
人間の「魂」は天国や地獄に行くとされているが、博士の考えに
よれば、天国も地獄も存在せず、魂はこの世界に留まり続けると
いうことだろう。これは、「エネルギーは創造されもしないし、
破壊されもしない。ある形から別の形へ変わるだけである」と
語ったアインシュタインの物理学とも通底するように思われる。」
「E04
ランザ博士によると、意識は物質よりも根源的な存在であり、肉体は
意識を受信するためのアンテナに過ぎないという。
意識の問題を主題的に扱う哲学の一分野「心の哲学」でも、脳や
神経細胞といったレベルの構成においてはじめて生まれるのでなく、
宇宙の根本的レベル、つまりクォークやプランク長といったレベル
において原意識という形で存在するとされているという「汎経験説」
が提唱されている。」
「E09 (これは私が直接聞いた話です。)
フィリピンの伝統的助産婦であるヒーロットと呼ばれる人たちの中に、
いわゆる霊と呼ばれるものを見ることのできる人たちがいるんです
けど、そのオバサンたちから聞いた話では、あの世の亡霊とか幽霊
とかいう存在ではなくて、この我々と同じ空間に住んでいる
「生身の人間とは別の人たち」が一緒に住んでいるって言うんです。
これは世界中であちこちで聞かれる 精霊とか、もののけ、とか言う
類なのかもしれません。」
p107
空間的に離れた二つの場所で生じる物理的効果の間に同時性があるということは、
・・・アインシュタインの相対性理論における光速度最大という大前提に慣れ切った
物理学会には、未だに完全には受け入れられていない・・・
「タキオン」と呼ばれるそのような素粒子は理論的には存在しうるのだが・・・・
従って、現在では実験的に認められている量子力学の「非局所性」の効果の背後に
ある同時性のメカニズムを、理論的に説明することはできていない。
p109
通常の物理学の範疇においてはこの世界の外側に隠された構造についてまったく
考慮されることがなかったため、そもそも「時間」というものについての理解は
この世界の中での様々な周期現象の間の比較の域を超えるものではなかった。
形而上学的素領域理論においては、この宇宙空間の中でどれか一つの素領域から
近傍にある別の素領域へとスカラー光子である「クロノン」が転移する毎にすべての
素領域を取り囲む完全調和の部分が統一した影響をすべての素領域に与えることで、
それぞれの素領域が「今」の状態から時間が一刻みだけ進んだ新たな「今」の状態
になる。
==>> ここでは、現在の物理学会での現状と限界を述べているようです。
ただ、ここで私が思い出すのは、最近はやりの暗黒物質、ダークマター
と呼ばれるものの存在です。 まだほとんど解明されてはいないよう
ですが、この現実の人間が認識できる宇宙には、まだ認識できていない
ダークマターが9割前後あるとされていますので、もしかしたら、
この著者が主張している「完全調和の真空」となんらかの関係が出て
くるのかもしれません。
「タキオン」とは:
https://kotobank.jp/word/%E3%82%BF%E3%82%AD%E3%82%AA%E3%83%B3-92853
「特殊相対性理論に矛盾することなく光速度より速く動く仮想的な粒子。
相対論によれば光速度をこえる速さは存在しないと普通にいわれて
いるのは,光速度より遅い通常の粒子を連続的に加速して光速度
より速くするのは無限大のエネルギーが必要であり,その意味で
不可能であるというのであって,光速度より速いタキオンの存在
を否定するものではない。」
【暗黒物質】
https://kotobank.jp/word/%E6%9A%97%E9%BB%92%E7%89%A9%E8%B3%AA-184497
宇宙に存在する、光を放出も反射もしない未知の物質。銀河の回転運動
や銀河団内の銀河の運動から質量を推定すると、星や銀河として
光っている物質の質量の約10倍になる。大半を占める「見えない質量
(ミッシングマス)」の正体は明らかになっていないが、ニュートリノ
のように観測にかかりにくい素粒子や、褐色矮星のような明るく
輝かない星などが候補に挙がっている。2001年に打ち上げられた
宇宙背景放射探査機WMAPによる詳細な観測から、宇宙全体の物質
・エネルギーの割合は、約73パーセントが暗黒エネルギー、
23パーセントが暗黒物質、水素やヘリウムなどの通常の物質が
4パーセントと見積もられている。ダークマター。」
p117
そもそも時間というものはこの宇宙の中に存在しているものではなく、この宇宙の
外側である完全調和の真空の部分が完全にひとつながりになっていることから
生まれる素領域間の非局所的な完全同期によって、宇宙全体の素領域を貫いて
いる「あの世からの囁き」つまり「神の囁き」に他ならないからだ。
実際のところ、時間というものは実際には存在せず、「過去」は我々の記憶の中にのみ
仮想的に存在し「未来」は我々の希望の中にのみ仮想的に存在するということを
唱ったポルトガルのノーベル文学賞受賞者もいる。
==>> この部分の記述は、私は好きにはなれません。
「あの世」とか「神の囁き」という言葉が、理解を邪魔するからです。
あげくに文学者の表現をもってくるのは反則じゃないですかねえ。
文学は嫌いじゃないんですけど・・・・
私が過去に読んだ物理学系の本の中では、ビッグバンが起こって
その時から時間と空間が始まったと書いてありました。
「スティーブン・ホーキング著「ビッグ・クエスチョン」
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2021/05/post-8dfa9d.html
「p52
ここが決定的に重要なところだが、自然法則に従えば、宇宙は陽子と
同じく何の助けもなく自発的にひょっこり出現できるだけでなく、
ビッグバンは原因がなくても起こりうる、原因はいらないのだ。
この説明の背景にはアインシュタインの理論があり、・・・ビッグバンの
瞬間には、時間に途方もないことが起こった。時間そのものが始まったのだ。
時計がブラックホールに入ったとしよう。・・・時計は止まるだろう。
・・・ブラックホールの内部では時間そのものが存在しないので。 そして
時間の消失こそは、宇宙の始まりに起こったことなのだ。
ビッグバン以前には時間がないのなら、時間を遡ってもビッグバン以前には
到達できない。
p54
ビッグバン以前には時間が存在しなかったのだから、神が宇宙を創造する
ための時間もなかった。 それはちょうど、地球の端へ行くためにはどちらの
方角を目指せばよいかと尋ねるのに似ている。 地球は端のない球なのだから、
端を探すという行為には意味がない。」
・・・・もっとも、形而上学的素領域理論は、現時点での物理学の様々な
問題を解決することを目指しているのでしょうから、新たな発想があって
しかるべきとも思います。
== その3 に続きます ==
===================================
コメント
コメントを投稿