立花隆著「宇宙からの帰還」 ― その5 宇宙からベトナム戦争の銃撃が見えた。いろんな神の名は人間が勝手につけただけ
立花隆著「宇宙からの帰還」 ― その5 宇宙からベトナム戦争の銃撃が見えた。いろんな神の名は人間が勝手につけただけ
立花隆著の「臨死体験」に続いて「宇宙からの帰還」を読んでいます。
「政治とビジネス」の「第三章 宇宙体験における神の存在認識」に入ります。
p271
「見える。驚くほどよく見える。たとえば、大洋を航海している船の航跡が見える。
中国の万里の長城が見える。どちらも、大した幅がないのに、よく見える。色彩と
明度のコントラストがあれば、相当小さいものまでみえる。 ベトナム上空では、
戦場で射ち合っている戦火が見えた」
「夜なら、小火器の銃火まで見える。ベトナム上空でパチパチ光るものを見たとき、
はじめは稲妻かと思った。・・・夜はまるで花火を見ているようだった。・・・」
==>> これはウォーリー・シラーのインタビューでの発言です。
宇宙からは地上の人間の愚かな戦争が、花火のように美しくしかみえない
らしい。そして、それがバカバカしいこととして宇宙飛行士の心には
残るようです。
p274
「衛星を破壊できるだけのレーザー兵器があれば、地上の基地から狙ったほうが有効だ。
衛星の軌道を常に把握しておけば、地上から射ち落とすのに五秒もかからない。」
「・・・この弱さがあるから、宇宙開発は平和を前提としないかぎりこれ以上進められない。
・・・戦争が起きたときには簡単に破壊されることを覚悟しておかねばならない。」
==>> これを読んである意味ほっとしました。
「宇宙戦争というのは、空想の産物だ」ともシラー飛行士は述べています。
p282
あなたが得たもので、何が一番大きかったのか。
「神の存在の認識だ。 神の名は宗教によってちがう。 キリスト教、イスラム教、
仏教、神道、みなちがう名前を神にあてている。 しかし、その名前がどうあれ、
それが指し示している、ある同一の至高の存在がある。 それが存在するということだ。
宗教はすべて人間が作った。・・・・」
「・・(サーナンは船外で一昼夜以上過ごしたことになる。)宇宙船の中に閉じ込められて
いるのと、ハッチを開けて外に出るのとでは、全く質的にちがう体験だ。宇宙船の
外に出たときにはじめて、自分の目の前に全宇宙があるということが実感される。
宇宙という無限の空間のどまん中に自分という存在がそこに放り出されてあるという
感じだ。・・・・それは大きなちがいだ。」
==>> これはジーン・サーナン飛行士の言葉です。 カトリックの信者であると
述べています。 サーナンが特定の宗教の神を持ち出していないのが
非常に理性的でうなづける点かと思います。
p285
「・・・すべてのことが現にいま起きているのだと思うと何とも感動的だ。しかも地球
の上で時間が流れていくさまが目で見える。夜明けの地域と日没の地域が同時に見え、
地球が回転し、時間が流れていくさまを観察することができる。それはまさに神の眼で
世界を見ることだ。・・・」
p288
― そうやって、無限の宇宙を見、無限の宇宙の中にある地球を見たということが、
あなたの宇宙体験の主要部分なのか。
「いや、それよりも、見る対象よりも、もっと重要なのは見る主体である私の存在だ。
私がそこにいて、それを見ていたという事実だ。 永遠の時の流れの中における
まさにその時点に、無限の空間の中におけるまさにその場所に私がいてそれを見ていた
という、その事実、歴史的存在としてのその事実の主体が私であるということ。
その認識、自分の存在の認識が何よりも重要だったのではないか。
==>> ここでのサーナン飛行士の言葉は、まるで詩のような表現に見えます。
私が今まで読んできた本に出てくる言葉でいうならば「クオリア」と
いえるかもしれません。 純粋経験の主体としての自分です。
p292
「エド・ミッチャルの場合にしても同じことだが、ジム・アーウィンの場合にしても、
彼らが宇宙体験によって意識が変えられたのだとは思わない。二人とも、宇宙にいく前
あら、ああいう考えを持っていた。 考えとははっきりいえなくても、そういう性向と
いうか、フィーリングを持っていた。それが宇宙体験によって強化され、明確な形を
とって外部にあらわれるようになったというのが正しいと思う。・・・もともとその
人間がどういう人間であったかによって、その表れ方が決定されるからだといいたいのだ」
==>> このサーナンの受け止め方は非常に理性的であると思います。
私がもしそのような宇宙体験をしたら、それこそ神の啓示だ、などと
言い出すかもしれませんが、いままでのところはそのようなスピリチュアル
な体験とは縁が遠いようなので、そのような性向としてどう出るのかに
興味はあります。
p295
「宇宙人への進化 ― 第一章 白髪の宇宙飛行士」
・・・しかし、取材した宇宙飛行士の中で、宇宙体験は心理的にも精神的にも自分に
いかなる変化ももたらさなかったとキッパリ断言した人が二人いる。
一人は、アポロ・ソユーズに乗り組んだディーク、スレイトン。 もう一人は、
スカイラブ2号のポール・ワイツである。
p301
宇宙体験の結果、精神的に大きな影響を受けて宗教的になったというケースを、
ジム・アーウィンの場合など幾つか知っているが、あの連中は別に宇宙にいったから
宗教的になったのではなく、いく前から宗教的だったのだ。 ・・・その他の例にしても、
その人に何らかの精神的変化はあったのかもしれない。しかし、それと宇宙体験との
因果関係は証明されていない。 あの男は前と変わった。月にいった後で変わった。
だから月にいったことが原因で変わったのだろうと、本人も、周囲の人も、時間的
先後関係と因果関係を混同している、という見解なのだ。
==>> これはスレイトン飛行士の言葉です。
著者によれば、このスレイトン飛行士は、「即物的な側面のことになると、
いくらでも答えてくれるのである。ところが、話が人間の内面のことに
なると、困ったような表情を浮かべて、何も答えられなくなってしまう」
とそのインタビューの場の雰囲気を書いています。
そして、その原因としては、スレイトン飛行士の場合は、「忙し過ぎた」
ために、「宇宙とか人間存在とかに関して省察をくわえること」ができな
かったのだろうと述べてあります。
つまり、宇宙船の中で、ぼんやりと宇宙を眺めるような時間がなかった
ということです。
p306
特にワイツのような考えを持っていればそうだろう。 無神論的不可知論というのは、
おそらく日本では多数派だろうが、アメリカでは絶対的少数派である。
不可知論者たることを公言して、かつ宗教を話題とすることをいとわなければ、
年がら年中人といさかいを起こしていなければならないことになる。
では黙っていればどうということもないのかというと、どうもそうではないらしい。
・・・宗教生活が社会の一部ということもあり、たとえその立場を公言しなくても、
何かと住みにくいことになる。
「この社会では、何か信じていたほうが、何も信じていないより、ずっと生きるのが
楽だから」
==>> このことは、フィリピンで生活してみて実感としてわかりました。
日本の外務省のサイトによれば、
「ASEAN唯一のキリスト教国。国民の83%がカトリック、その他のキリスト教
が10%。イスラム教は5%(ミンダナオではイスラム教徒が人口の2割以上)。」
とされています。
私が部屋を借りている家の大家さん家族はカトリックですが、年中行事は
ほぼ全てがキリスト教がらみですし、一般的にも教会を中心とした
コミュニティーとの繋がりが重要であると見えます。
また、ほとんどの集まりでは、まずお祈りが欠かせません。
日比友好イベントなどでも、まずはお祈りで始めないと格好がつきません。
また、戦前のフィリピンでの日本人・日系人の歴史を紐解くと、
キリスト教の信者になることが商売などをする場合においても、重要で
あったようです。 郷に入っては郷に従えということです。
p318
あるとき、何かの手順のちがいで、夜間、船外にポカンと一人で浮いていなければ
ならないときがあった。 宇宙の夜の部分の暗さといったら、ほんとの真暗闇で何も
見えない。・・・たった一人でそこに浮いている。 そのとき何ともいえぬ気味の
悪さに襲われた。・・・光がなく、何もなく、私以外何も存在していないという世界の
気味の悪さ。
p319
あらゆる宗教が神とはいかなる存在で、かつ彼がいかにしてこの世界を作ったかを
詳細に語っている。 しかし、宇宙で私が感じたのは、そんなことはどうでもいいじゃ
ないかということだ。 宗教の細かな教義などどうでもよい。目の前に宇宙は美しく
ある。それだけで充分じゃないか。
==>> これはエド・ギブスンが述べた話です。
この人ははじめて科学者の間から選抜された人であり、物理学者として
スカイラブ4号に搭乗したようです。
実は、上記の真暗闇の中でのポカンと浮いた状態というのを体験したくて、
この著者である立花隆さんも体験したというアイソレーション・タンクを
私も体験してみたのですが・・・その体験記はこちらでどうぞ:
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/11/blog-post_26.html
しかし、このギブスン飛行士の「どうでもいいじゃないか」という一言は
私も賛成したくなります。
p321
宇宙船の窓から見ていると、ものすごいスピードで地球が目の前を回転していく。
何しろ九十分でひとまわりしてしまうので。 いまキリストが生まれたところを通り
すぎたと思ったら、すぐにブッダが生まれたところにさしかかっている。 国の数と
同じくらい多くの宗教や教派がある。 どの宗教も、宇宙から見ると、ローカルな
宗教なのだ。 ・・・・それぞれの地域ではもっともらしく見えても、宇宙からみると、
それがほんとの普遍的精神的指導者、指導原理であるなら、そんなに地域地域で
バラバラのはずがないと思えてくる。 ・・・この下で百幾つの国家が分立して
互に対立抗争しているというのが、全く滑稽に見えるのと同様に、諸宗教間の対立が
バカらしく見えてくるのだ。
p322
根源的な「なぜ」、存在論的な「なぜ」に、科学は答えることができない。 科学は
さまざまの法則を発見したと称する。しかし、なぜその法則が成立するのかについては
説明できない。 なぜ宇宙は存在するのか。 科学は答えられない。
==>> このギブスン飛行士の考えかたに私は同意します。
宇宙飛行をしなくても、それは分かります。
そして、科学が上記の「なぜ」に答えられないと同じように宗教も
答えられないと私は思います。
神さまが絶対的存在だと言ったとしても、「なぜ」に答える神さまは
いままで読んできた本の中には探し出せませんでした。
科学も宗教も究極的な「なぜ」に答えられない以上、人類のコミュニケーション
を支えることができるものは検証ができるものという意味においては
宗教よりも科学であろうと思います。
実際に、宗教間での対立は何千年も続いているわけですから。
p327
宇宙から地球を見た時、誰でも大気層のひ弱さにショックを受ける。環境とエコロジーへ
の配慮なしには、人間が生きていけないということがよくわかる。 しかし、だからと
いって、私は環境論者やエコロジストの主張を全面的に受け入れているわけではない。
環境論者には二種類ある。科学的環境論者と非科学的環境論者だ。前者は科学的根拠に
もとづいて環境を心配し、科学的な解決を求めようとする。 しかし、後者はまるで
迷信を信じると同じように環境を心配し、解決はあらゆる文明活動にストップをかける
こと以外にないと思っている。
==>> 私はこのジェリー・カー飛行士の意見に賛成です。
人類が縄文時代に戻ることは出来ないし、皮肉な言い方をすれば、人類が
進化して文明・科学活動を進めるのは神が決めたことだからです。
ひとつの例を揚げるとするならば、グレタ・トゥーベリさんでしょう。
彼女の主張の中で、私が一番素晴らしいと思っている言葉は下のような
言葉です。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4333/
「私の声は聞かなくていいので、科学者の声を聞いて下さい。」
そして、もう一つの言葉は、
「説得することに興味はありません。(環境問題は)あなた次第で信じるか信じ
ないかを決めるものではありません。科学を知って受け入れるか受け入れない
かの問題なのです。私は科学を語り、知らしめることによって関心を高めようと
しているだけです。」
「将来の世代の目は、全てあなたたちに向けられています。裏切る選択をする
ならば、私はこう言います。あなたたちを絶対に許しません。」
・・・今の若い世代、将来の世代に、取返しのつかない地球環境を押し付けるな。
その為に科学者の言うことを真面目に聞いて、今すぐに実行しろ、ということ
です。 至極もっともな主張だと思います。
p329
「人間が考えるように地球が何か特別の存在であるというのは、単なる人間の思い込みに
すぎない。 人間は地球の上で大した存在ではなく、地球は宇宙の中で大した存在では
ない。」
「生命が地球の上にしか存在しないという考えには全く根拠がない。 宇宙に充満して
いる無数の星はすべてもう一つの太陽だ。・・・・つまり、宇宙における無数の星の存在
と、宇宙創成以来の時間の長さとを考えてみれば、この宇宙には、無数の生命が、あらゆる
発展段階において存在すると考えるのが、一番妥当だろうと思う。 地球上の生命が
最高の発展段階にあるなどというのは、人間の勝手な思い込みにすぎない。」
==>> 私がいままでに読んだ科学的宇宙論の本の中には、無限の宇宙には、無限の
素粒子があり、一方で一人の人間を構成する素粒子が限られた数の素粒子で
構成されていることを考えれば、私という人間とまったく同じ構成を
もつもう一人あるいは複数の私がいるということになるとも書いてあり
ました。 ただし、物質的な構成上の組み合わせの問題ですが。
まあ、それほど、生命が他の天体にもいる可能性があるという話です。
p330
「それ以前は私の信仰内容はファンダメンタリストのそれで偏狭だったが、宇宙体験
以後は伝統的教義にあまりこだわらないようになった。 はっきりいえば、他の宗教
の神も認めるという立場だ。 アラーもブッダも、同じ神を別の目が見たときにつけ
られた名前にすぎないと思う。」
「・・・この世に起こるすべてのことを管理しているような存在でもない。 だいたい、
この世のすべてを支配している全知全能者がいたら、人間に自由はない。 人間が
自由意志を持つ自由な存在であるということと矛盾するような神は存在しないと思う」
p331
「宇宙においては万物に秩序があり、すべての事象が調和し、バランスがとれており、
つまりはそこに一つのパターンが存在するということを発見した。・・・つまり、存在
しているのは、すべてがあるパターンに従って調和しているという一つの現実であり、
あらゆる神はこの現実をわかりやすく説明するために案出された名辞にすぎないという
ことだ。」
==>> これはジェリー・カー飛行士が語った内容です。
前段の神様の名前がバラバラなのはその通りだと思います。同じ魚の名前が
それが獲れる地域によって異なることと同じようなものだと思います。
中段の「自由意志」については、その定義にもよりけりですが、
このカー飛行士のいう通りであることを願いたいと思います。
私自身は、人間に自由意志というものが本当にあるかについては
やや懐疑的です。 遺伝子によって操作されているのではないかという意味で。
後段の「パターン」と「調和している」という言葉から、「完全調和の世界」
を前提とする「素領域論」「神の物理学」を思い出させます。
p334
生まれたときから無重力状態で育ったら、地球人とはちがう肉体を持つようになる
のは必定だ。 何世代か後には、人類とは別の生物と思えるくらいに、形質上の
変化があらわれてくるかもしれない。 ・・・・肉体がそれだけ変化するくらいだから、
意識も大きく変化する。 宇宙人は地球人とは別の価値体系を持ち、別の文化を持つ
ようになるのは、ほとんど避けられないと思う。
==>> これはまったくその通りでしょうね。
進化というのが環境に合わせて自在に変化をしていくということに
なれば、今の人類とはほとんど異なる生命体になっていくのでしょう。
そして、地球上という狭いところですら、さまざまな文化があるのですから、
それが宇宙ともなれば、それこそお互いに理解不能な文化が起こることは
簡単に想像できると思います。
おそらくそういう空間においても、理解しあえるコミュニケーション・ツール
としては科学というものだと思います。
p337
宇宙飛行士個々人の変化を通して、我々は人類全体の意識の変化の方向を見通すことが
できるのだろうか。 実をいうと、宇宙飛行士たちの中に、そういう問題意識を持って、
自分たちの経験を総括しようとした宇宙飛行士がいた。 彼らの思索はやがて一種の
新しい進化論に向かおうとする。
==>> さあ、この立花隆さんのつなぎの言葉は、次の章でどのように展開して
いくのでしょうか。
次回は、「第三章 宇宙からの超能力実験」を読んでいきます。
=== 次回その6 に続きます ===
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