定方晟著「インド宇宙誌 ― 宇宙の形状、宇宙の発生」 ― その2 蓮華は凄い。ユングが見つけた曼陀羅の効用。
定方晟著「インド宇宙誌 ― 宇宙の形状、宇宙の発生」 ― その2 蓮華は凄い。ユングが見つけた曼陀羅の効用。
定方晟著「インド宇宙誌 ― 宇宙の形状、宇宙の発生」を読んでいます。
「第二章: 大乗の世界観 蓮華蔵世界観」
p34
小乗の世界観では、仏の世界と迷いの世界とは区別されている。
これに対して、大乗の世界観では、仏は世界に遍在するという考え方が基本になる。
この考えが進むと、ついには仏=世界という図式が成立する。
・・・信者は過去の歴史的事実にとらわれることなく、仏を神格化する傾向へと
走った。 「法華経」では永遠の仏(久遠実成の仏)の存在が説かれ、歴史上の
仏はその一顕現にすぎないことになった。
「華厳経」になると、多数の仏が同時に宇宙に存在するという思想が顕著になる。
==>> バラモン教への批判という釈迦の運動では、いわば宗教を否定する立場、
あるいは形而上学を語らないという釈迦の姿勢があったわけですが、
それが数百年を経るにしたがって、釈迦の神格化に留まらず、ヒンドゥー教
との競り合いの中で、多数の仏を想定するようになったようです。
「ブッダのことば」 (40) 「信仰を捨て去れ!」って、どうよ・・・
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/08/post-58dc.html
「1146 (師ブッダが現れていった)、ヴァッカリやバドラーヴダや
アーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を
捨て去れ。 そなたは死の領域の彼岸に至るであろう。 ピンギヤよ。」
「法華経」については、既に読んだ本の中に、このような記述がありました。
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/09/blog-post_19.html
「p17
読経や写経では、経文の意味は考えずに、ひたすら読み、書写すべきだといわれ
るのも、人はその行為によって仏の近くにいることができるからです。
儀礼テキストとしての性格は仏教経典にかぎらず、「聖書」や「コーラン」など
の聖典の本質にかかわることです。 それを無視して思想・教義の面のみで解釈
するならば、仏の国は瑠璃の大地に七宝の樹木が並び立っているとか、十方の
諸仏や神々が参集するといった記述は解釈の埒外になり、法華経が伝えようと
する広大な諸仏の宇宙は消滅します。
なかでも、法華経のなかで「法華経というすばらしい経典がある」とくりかえし
説かれているのが奇妙です。 しかも、すばらしい経典だという法華経の中身は
最後まで明かされることなく終わってしまいます。」
・・・信仰というのは元々そういうものなのでしょうが、釈迦の神格化に
とどまらず、多くの仏が現れたのも、人々の期待に応えてのことだったの
でしょう。 一方には一神教もありますが・・・
p51
種の中の可能性についてはすでにウパニシャドに次のような問答がある。
・・・「なかになにが見えるか。」
「なにも見えません。」
そこで父は息子に語った。
「息子よ、種のなかの目に見えないこの精髄からまさにこのような大樹が生じるのだ。
・・・目に見えない、微妙な精髄が全宇宙の精神なのだ。 それこそ実在なのだ。
それこそアートマンなのだ。 汝がそれなのである。」
ちなみに蓮の種は千年も発芽力をもちつづけるそうである。
==>> 蓮の凄さが書かれているのですが、こちらのニュース記事によれば、
その発芽力は物凄いもののようです。
https://www.sankei.com/article/20180620-347B2TSZ7RMPVK2X2O2GWIFT2I/
「古代ハスは、千葉市の遺跡で約2千年前の地層から発見された種を発芽させた
花。種子は2千~3千年前のものといわれ、植物学者の大賀一郎博士が蘇らせた
ことから「大賀ハス」と呼ばれる。」
p53
・・・経には多少の省略はあるが、全体的には同じ構造の文章が何度も何度もくりかえ
される。 これは仏典に共通の特徴で、これが仏典をしばしば冗長ならしめ、現代人
を仏典から遠ざける原因にもなっている。 ・・・・似たような音のテーマがくりかえ
されるのを聞くうちに、頭は軽い疲労と快い麻痺をおぼえ、壮大の音のなかに酔いしれる。
仏典の作者はそのような効果を狙ったかもしれない。
==>> 古代は口承伝承が当たり前だったそうですから、繰り返すことによって
覚えてしまうことや、大勢でその音を繰り返すことで、ここに書かれている
ような一定の効果があるのでしょう。
特に、敦煌の石窟寺院のような閉鎖された内部では、音が響き渡って
さらに効果が増すのではないかと思いました。
p55
このようにすばらしい華蔵世界は、実は、毘盧遮那仏が作ったものである。
すなわち、かれが「世界海微塵数」の劫において修行し、一々の劫中において「世界海
微塵数」の仏に親近し、一々の仏のところで「世界海微塵数」の大願を浄修した結果、
その力によって華蔵世界が実現したのである。
「華蔵世界のありとあらゆる塵の一つ一つに法界がみられる。」
「如来は十方の国土に姿を現わし、しかもその本体は一つである。・・・」
以上で、「蓮華蔵世界海」の説明を終えたが、世界海はこれだけではない。
==>> 知らない言葉「蓮華蔵世界海」を調べてみると:
https://kotobank.jp/word/%E8%93%AE%E8%8F%AF%E8%94%B5%E4%B8%96%E7%95%8C-152072
「蓮華蔵世界
仏教用語。蓮華の象徴的意味から発展した世界観。『華厳経』の華蔵世界品では,
この世界が具象的に精緻に描かれている。その大要は,世界の最底に風輪があり,
その上に香水海があり,そこに咲く蓮華の上に世界が網の目のように広大無辺
にあり,その中心に仏が出現する。その世界を哲学的に解釈し,独自の世界観を
打立てたのが華厳宗の法蔵である。」
「真言系では大日如来の浄土を,浄土教系では阿弥陀仏の浄土をこう呼ぶこと
もある。」
「華厳宗で説く、円教の仏土の三類の一つ。詳しくは「蓮華蔵荘厳世界海」と
いう。」
・・・ああ、要するに極楽浄土のことを意味しているわけですね。
小乗仏教の世界観が須弥山であるのに対して、大乗ではこの蓮華蔵世界という
ことになっているようです。
こちらのサイトに蓮華蔵世界の図がありましたので、ご参照ください。
「華厳経の宇宙観・蓮華蔵世界」
「蓮華蔵世界は華厳経に書かれている宇宙観。小乗仏教の宇宙観に蓮華の
イメージを取り入れ、毘盧遮那仏を宇宙の中心にすえた世界。
毘盧遮那仏の前世の願行によって創造された世界とされる。」
p57
蓮華を座とする世界像として、右のほかに「梵網経」所説の「蓮華台世界」がある。
これによると、一つの巨大な蓮華があり、その上に廬舎那仏がいる。 蓮華には花弁が
千葉ある。 一葉が一世界を構成する。廬舎那仏は千の釈迦に変身して、千葉の一つ
一つに宿る。
さらに、一葉の世界のなかに百億の須弥山世界がある。 釈迦は菩薩釈迦に変身して、
百億の須弥山世界の一つ一つに、一つずつ宿る。 こうして、一つの廬舎那仏、
千の釈迦、千百億の菩薩釈迦が存在することになる。
・・・この蓮華台世界は、ヴィシュヌのへそから千葉の蓮華が生じ、その上に
ブラフマー(梵天)が座り、ブラフマーから世界が生まれたという、ヒンドゥー教の
説に類似していることが指摘されている。
==>> 仏教というのは、ヒンドゥー教の中では多くの神仏のひとりという位置づけ
だそうですし、大乗仏教はヒンドゥー教との競い合いの中で、いろいろなもの
を取り込んだようですから、特に密教の場合は類似していて当然なのかも
しれません。
いずれにせよ、平和共存ができているというのは良いことです。
p60
さて、右の二種の蓮華蔵世界のうち、「梵網経」のそれは東大寺の大仏の構想のモデル
になったことで有名である。
東大寺の大仏は蓮華の上に座しており、もちろん廬舎那仏を表す。
==>> その東大寺の大仏については、こちらに詳しい説明があります。
本来なら膨大な数の蓮華の花弁や菩薩釈迦などがあるはずですが、そんな
ものは実際には造れないので、実物の仏像ではかなり省略した形に造られ
ているそうです。
「東大寺大仏蓮弁蓮華蔵世界図・・・・」
https://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/70780e94556cddf350430703e065b069
「大仏蓮弁蓮華蔵世界図は大まかに言って上下二つの部分からなり、
上半分には説法図の如来像(釈迦如来)が大きく刻まれ、その左右に
十一体の菩薩像が対象的に、かつ群像として見事に描かれています。」
p62
巨大な仏の思想はアフガニスタンのバーミヤーンにすでにうかがわれるが、このような
宇宙大ともいうべき仏像の制作の伝統は中国の雲岡や日本の東大寺にまで伝わっている。
・・・マンダラ的なものの起源にだけあえてふれてみよう。
マンダラとは仏の世界を幾何学的構成で表したものである。 仏教の最も古いマンダラ
がどの時代に現れたかを私は知らない。 たくさんの仏の姿を描き出しただけのもの
なら、・・・ラホール美術館の「舎衛城神変像」がある。
・・・それにたいしてアフガニスタンのバーミヤーンには幾何学的構成で示された仏の図
がある。 私はこの図の起源として切子杯の存在を考えたことがある。
==>> 幾何学的なマンダラは、日本のお寺さんを廻ってみても、あまり見ることは
ないように思います。テレビなどで見る幾何学的なものはチベットの
砂でつくるマンダラぐらいでしょうか。
なので、こちらのサイトを覗いてどんなものなのかをチェックします。
「曼荼羅(マンダラ)とは 〜曼荼羅の深い世界〜」
https://care-heart.net/mandala-artkara/
「曼荼羅(マンダラ)とは
サンスクリット語で、「円・輪及び中心との関係」という意味を持ちます。
語源は、「本質のもの」の意味とされています。また「丸い」という意味も
あります。」
「曼荼羅の構造は、創造と宇宙の調和を表し、内部にある小宇宙とその外部に
ある大宇宙をつなぐものになっています。」
「曼荼羅の原型は、インドのバラモン教やヒンドゥー教の宗教儀礼にあります。
幾何学模様や、神の姿を描いていました。あらゆる神々を招いて供養すると
ともに、祈願することを行っていました。その儀礼が、仏教にも取り入れられる
ようになってきたというわけです。」
「曼荼羅の原型には、宇宙感が示されているのですが、日本においては、仏教の
世界観が表されているのが特長です。日本での曼荼羅は、主に密教曼荼羅を
指しています。」
「静けさの中で、僧侶たちが鮮やかな色彩の砂を用いて描く曼荼羅があります。
これを作成せるのは、仏教の中でも独自の文化として築き上げてきた、チベット
にあるのです。」
そして、さらに、心理学的な治療に関連してこのようなことも書いてあります。
「それは、ユング自身の心の治療に大きな影響を及ぼしました。そして、それは、
曼荼羅にとても似ていたのです。その経験があって、ユングは心の治療に
「マンダラ」を見出したのでした。」
==>> このユングの話は、すでに読んだ本の中にも出てきました。
村本治著「神の神経学―脳に宗教の起源を求めて」
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2021/04/post-31d1bf.html
「p50
ユングはフロイトのように宗教をただの幻想として片付けず、宗教の起源を人類
共通の意識下にある心理構造、すなわち彼の用語でいう「集合的無意識」に
求めた。 人間は教育や文化を超えて、共通の心理的体験や行動パターンを示す
ことに彼は注目し、これは人間の進化に伴い、人間の無意識な心の中に、歴史的
に組み込まれたものと考えた。 かれはこれを「元型」という用語でも表現して
いる。
・・・彼の「集合的無意識」や「元型」という概念の中に、脳の進化、遺伝子
発現などの現代の概念が内在していることは否めないと思われる。
==>> ユングの心理学や、「集合的無意識」や「元型」については、
こちらのサイトに解説があります。
http://www.counselor-mental.com/theory/jung.html
「ユングが、こうした元型が人類共通のものであるという確信を得た理由として、
東洋の曼荼羅(マンダラ)があります。曼荼羅とは、仏教において儀式や瞑想に
用いられる、お釈迦様が描かれた絵のこと。まるい円の中に描かれたお釈迦様の
絵が、さらに大きな円の中に、秩序よく配置されています。この曼荼羅こそ、
ユング自身が描いた集合的無意識の概念図とそっくりだったのです。
ユングはこうした理由から、西洋でも東洋でも、過去でも未来でも、人類に共通
する無意識、つまり集合的無意識が存在すると考えました。
ちなみに、ユングはこのことをきっかけに、東洋思想の研究にも没頭していく
こととなります。」
次回は「ヒンドゥー教の宇宙観」を読んでいきます。
=== 次回その3 に続きます ===
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