定方晟著「インド宇宙誌 ― 宇宙の形状、宇宙の発生」 ― その5 仏教は機械論的なものからヒンドゥー教的なものになった
定方晟著「インド宇宙誌 ― 宇宙の形状、宇宙の発生」 ― その5 仏教は機械論的なものからヒンドゥー教的なものになった
定方晟著「インド宇宙誌 ― 宇宙の形状、宇宙の発生」を読んでいます。
「ヒンドゥー教の宇宙観 ― プラーナの宇宙観」
「終末と世界消滅」から読んでいきます。
p143
さて、どんなふうに道徳が衰退するかというと、階級(ヴァルナ)や四住期(アーシュラマ)
の制度がすたれる。 「サーマ・ヴェーダ」「リグ・ヴェーダ」「ヤジュル・ヴェーダ」に
規定されている儀式が守られなくなる。 師弟のあいだ、夫婦のあいだの規律もないがしろ
にされる。 神々を火で祀ることも忘れられる。 どんな家の生まれのものでも、金さえ
あれば、どんな家の女でもめとるようになる。
・・・在家は布施をいやがり、比丘は有力な庇護者を求め、王侯は人民から搾取することに
専念し、ヴァイシャは己れのつとめ(農業・商業)を捨て、シュードラは生活の糧をえる
ため比丘に姿をかえる。
右の「シュードラ、云々」については、仏教が階級制度を無視して信者を増やしたことに
対する批判が含まれていよう。
==>> ここでは一種の破局のひとつとして道徳の消滅について書いてあります。
上記にもあるように、いわゆるカースト制度を批判する仏教勢力の拡大に
対するバラモン教側からの体制を守る反撥がここに表されています。
特に釈迦がその時代にどんなことを言っていたかというと、
「スッタニパータ」には以下のようなことが書いてありました。
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/08/post-4c5c.html
「<お釈迦様は信仰、仏教をどう考えていたのか>
1.
仏陀本人はバラモン教時代のインドにあって、自ら仏教の開祖になると
いうようなことは考えてはいなかった。最初期の仏教は<信仰>なるものを説かなかった。 何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき
相手の人格もなかったからである。
2.
洞窟や木の下で座禅・瞑想し、真理を求め、解脱することを願う修行僧
たちに、解脱の方法を問われるままに教えていた。
9. 解脱の意味が、バラモン教では死んでから行くところだったものが、仏教
においては精神的な解脱の意味になった。
11. 釈迦にあっては、信仰は「理法に対する信頼」を意味しており、
個人に対する熱狂的服従ではない。
32. 釈迦は徹底した自力の立場を表明した。わたくしは世間におけるいかなる
疑惑者をも解脱させ得ないであろう。 ただそなたが最上の真理を知る
ならば、それによって、そなたはこの煩悩の激流を渡るであろう。
28. 釈迦は 従来の宗教を否定していた。
一切の戒律や誓いをも捨て、(世間の)罪過あり或いは罪過なきこの
(宗教的)行為をも捨てて「清浄である」とか「不浄である」とかいって
ねがい求めることもなく、それらにとらわれずに行え。
--安らぎを固執することもなく。
31. 祭祀をすることは煩悩である。
供犠に専念している者どもは、この世の生存を貪って止まない。
かれらは生や老衰をのり超えていない、とわたしは説く。
伝承によるのではなくて、いま眼のあたり体得されるこの理法を、
わたしはそなたに説き明かすであろう。 その理法を知って、よく
気を付けて行い、世間の執著を乗り超えよ。」
==>> つまり、このような釈迦の考え方が、祭祀や階級制度を基盤とするバラモン教
の考え方と真っ向から対立するものであったということですね。
p146
ヒンドゥー教徒にとって苦難の時代は、仏教徒にとってはむしろ繁栄の時代であった
だろう。 外国からの「蛮族」たちは、かれらを拒むヒンドゥー教の階級制度よりは、
仏教の平等主義に対して好感をもったはずである。 ギリシャ文化と結び付いて、ギリシャ
式宗教美術(ガンダーラ美術)を生みだしたのも仏教であった。
==>> ガンダーラという名称は、日本人にとってはなんだか憧れの地のような
響きがありますが(私だけ?)、 元々釈迦は偶像崇拝を良しとしなかったのに、
仏教の拡大には大きな効果があったようです。
その辺りの経緯については、すでに読んだ本に以下のような記述がありました。
馬場紀寿著「初期仏教―ブッダの思想をたどる」
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/11/blog-post_3.html
「p66
インド本土で各部派が伝承していた三蔵は、今日では大半が失われている。
しかしそのなかにあって、説一切有部は、例外的な部派だった。
・・・上座部大寺派がバーリ語で三蔵を伝承したのに対し、サンスクリット語で
三蔵を伝承し、カシュミール地方やガンダーラ地方など北西インドを中心に
大きな勢力をもっていた。
説一切有部の仏典は、北西インドから中央アジアを経て、東アジアにもたらされ、
また、北西インドからチベットへも伝えられた。 完本あるいはほぼ完本が
残っているものとして、漢訳の「中阿含経」「雑阿含経」「十誦律」、
サンスクリット写本、漢訳とチベット語訳がある「根本説一切有部律」がある。」
p153
「絶対者ヴィシュヌ」
すでに宇宙の創造や消滅の説明のなかで何度も注意したことであるが、かの壮大な空間や
時間が実在すると誤解してはならない。 それらはすべてヴィシュヌのうちの出来事なの
である。 星も森も海もみなヴィシュヌにほかならない。 かれは在るもののすべてであり、
在らぬもののすべてである。
山、海、大地等の区別は分別知(ヴィジュニャーナ)の作りだす妄想である。欲望の所産
であるそれら森羅万象は欲望の消失するとともに消失する。 物とはなんぞや。たえず
変化してやまぬ物にいかにして「実在性」があろうか。 ・・・・人は自らの業に犯されて、
偏見に閉じ込められ、物は実在すると思いこんでいる。
・・・・誤った認識の最たるものは「自我あり」とのそれである。
==>> 「山、海、大地等の区別は分別知(ヴィジュニャーナ)の作りだす妄想である。」
という言葉は、非常にショッキングでありながら、そうかもしれないという
思いに引き込まれます。
トンボの複眼に見えている世界と人間の眼に見えている世界は異なる見え方
であるでしょうから、たまたま人間にはある一定の見え方で世界を感じている
にすぎないわけですね。 それに、おなじ人間といっても、同じように見えて
いるわけでもなさそうです。 視力や色覚は人それぞれであるようですし、
相対している人の顔などをどのように捉えているかも個人差があるらしい。
おまけに、頭の中で何かを考える時に、例えば本を読む時に、音声で理解する
私のような人間もいれば、フォトグラフィック・メモリーのような映像で
理解する人も実際にいるらしい。
そんな認識の違いがあるのに、そこに物が実在すると妄想しているってことに
なりそうです。
p155
実際、われわれの肉体を構成しているもろもろの原子は、いずれも以前には他人の
肉体を構成していた原子であり、植物や大地を構成していた原子である。 宇宙を
原子の海と考えれば、バラタならずとも「駕籠をになっているのはだれか」と反問
したくなるだろう。 科学の発達した今日の人間ならば理解しやすいこの考え方を、
二千年前のインド人が示したということに私は驚きを禁じえないのである。
==>> はい、まさに私も同感です。
「駕籠をになっているのはだれか」という言葉は王と駕籠かきのバラタ
の間の会話なのですが、王が乗っている駕籠がフラフラと走るので
駕籠かき達に文句を言ったところ、駕籠かきの一人であるバラタが
めっちゃ哲学的なことを言うものだから、王がひれ伏すというエピソードが
書かれているのです。
p157
インド思想の立場からいえば、自我は発見されるものではない。 自我は発明されるもの
である。 ・・・・発明は存在していないものが作りだされることである。自我はもともと
存在しないところに作りだされる。 しかも誤って作りだされる、というのがインドの
思想である。
p162
人間は知によって「自我」の観念を妄想する。 しかし、また知によって、その過ちを
知り、至高の真理に到達する。いずれにしても、すべてが知(=ヴィシュヌ?)の中に
ある、と。
==>> この部分は、私にはちょっと理解が困難です。
この前段には
「西洋人、および西洋の思想を祖述することしかしらない日本の知識人は
インド思想が否定するそのような個々の「自我」に対して絶対的な
信仰をもつ。 ・・・「自我に自覚」とか「魂の発見」という表題の
書物がきりもなく刊行されるゆえんである。」という記述があります。
そして、さらにその前には、
「「自我」は真の自我ではない。真の自我(アートマン)は宇宙と同一であり、
存在すべて(梵、ブラフマン)そのものである。
・・・「純粋精神」(プルシャ)が「自我意識」(アハンカーラ)を自己と
錯覚するところから、もろもろの苦が始まる。」と書いてあるのです。
・・・つまり、梵我一如を日本人は理解していないんじゃないかと
この著者は言っているのでしょうか・・・
要するに、真の自我は宇宙そのものだから、それは発見されるべきもので
あるが、「誤って作られる自我」という身近な自我は、自分で発明するべき
ものだと言うことなのでしょうか。
p160
このエピソードには称名と救済のテーマが示されているが、これは仏教の称名念仏を
想起させる。 仏教ではヴィシュヌの代わりをするのはアミダ仏である。 仏教の浄土思想
に対するヴィシュヌ教の影響が学者によって論ぜられているが、それは決して不当では
ない。 ちなみに、「ヴィシュヌ・プラーナ」には神々の名としてアミターバ(無量光)
が見出される。
==>> ここでは、日本の浄土宗や浄土真宗の阿弥陀信仰の元になるものが
すでにみられることを述べています。
「そこでは、先天思想と修行主義が過去のものとして捨てされれつつある
思想状況が如実にみてとれる。」と書かれています。
「苦行などによる贖罪より、クリシュナ神への帰依のほうがはるかにすぐれて
いる」ともありますので、修行から帰依・信仰への流れがあるようです。
私が今まで読んで来た本で感じたのは、法然の浄土宗までは戒律や修行の
宗教であって、親鸞の浄土真宗から信仰になったということです。
それも、阿弥陀一神教のような宗派です。
p163
「仏教の宇宙観との比較」
p163
ヒンドゥー教の宇宙観と仏教の宇宙観には幾多の共通点がある。しかし、相違点も多い。
p164
しかし、なんといっても大きな違いは・・・・
ヒンドゥー教の宇宙はヴィシュヌ神の顕現であり、同時にヴィシュヌ神の「創造物」で
ある。 それに対して、仏教の宇宙観に創造神はなく、宇宙はすべて「衆生」の「業」に
よって生成し、消滅する。 つまり、ヒンドゥー教の宇宙観は汎神論的であり、
仏教の宇宙観は機械論的である。
もっとも、右にのべた「仏教の宇宙観」は小乗的なものである。大乗仏教の宇宙観に
なると、ヒンドゥー教の宇宙観とのこの点における相違はかなり縮小する。大乗仏教の
宇宙観においては、宇宙は仏(毘盧遮那仏)の顕現とされ、汎神論的色彩が濃厚に
示される。
p165
仏の名「毘盧遮那」はサンスクリット語「ヴァイローチャナ」の音訳語で、その意味は
「あまねく照らすもの」(遍照)であり、太陽の神格化(仏格化)であることは明らかで
ある。 この仏がのちの密教の「大日」如来(マハー・ヴァイローチャナ)であること
を知れば、ヴィシュヌ神と毘盧遮那仏が共通の思想的基盤の上に誕生した存在であること
に疑いをさしはさむ人はいないだろう。
==>> ここに書かれていることで、今まで何冊も仏教関連の本を読んできた内容が
すっきりと理解できます。
釈迦の言葉「スッタニパータ」が原始仏教・初期仏教であって、小乗仏教・
部派仏教と言われるものがそれに近いとすれば、確かに「機械論的」あるいは
かなり唯物論的とも見えるからです。
少なくともお釈迦さん自身は、形而上学は語らなかったとされていますので
さもありなんという感じです。
そして、空海さんの密教に到っては、これはもうほとんどヒンドゥー教かと
見えますし、大日如来がヴィシュヌ神ということも納得できます。
p165
ヒンドゥー教では「要素の消滅」は宇宙の完全な消滅であるのに対し、仏教では
「大の三災」は宇宙の一部を残す消滅である。 この点、仏教の宇宙観のほうは徹底
さを欠くようにみえる。
・・・・古代人が山上に海中生物の化石を発見したとしたら、かれらがそれを説明
するために大洪水を想像したとしても不思議ではない。 宇宙が水に没して滅びる
という考えはノアの洪水を連想させる。
p166
メシア思想も双方にみられる。 ただし、この思想はヒンドゥー教においても、仏教に
おいても、それぞれの正統的宇宙消滅論の体系のなかに外からまぎれこんだ形のもの
である。 ヒンドゥー教ではそのメシアはカルキンである。 仏教では弥勒菩薩である。
・・・弥勒は将来、衆生の救済のために下界に下るまで、兜率天に待機することになって
いる。 釈迦もこの世に下るまでは兜率天に待機していたのであって、それが仏たちが
たどるお定まりのコースである。
==>> すでにこの本のあちこちで、古代インドにおける他の文明との交流が
述べられていますが、宇宙の消滅やらメシア(救世主)についても、
影響があったようです。
兜率天についていえば、おそらく過去に成仏された人々が兜率天で順番を
まっていらっしゃるのでしょう。
いずれ、私もその列に並べるよう精進しましょう。
ヒンドゥー教や仏教における時間は途方もなく無限に近いようですから、
慌てることはありませんしね。
p167
兜率天の四千年は人間界の4,000x{400x(30x12)}年になる。
この結果えられる答えは漢字で表せば「五億七千六百万年」である。
つまり弥勒の降下は弥勒がこの寿命を終えたあとと説明されたのであろう。
一般に流布されている説、すなわち「弥勒は釈迦滅後五十六億七千万年に降下する」という
説は、おそらく右の数字が誤伝された結果おこったものにほかなるまい。
==>> 一般に知られている説は間違っているそうですよ。
ちなみに、wikipediaでも「弥勒は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)
の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後
56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済する
とされる。」とあって、その後に、「後代になって5億7600万年が56億7000万
年に入れ替わったと考えられている。」
と但し書きがあります。
p173
バラモン教とヒンドゥー教は一連の宗教で、前者が発展していつしか後者になった。
・・・おおざっぱにいって、バラモン教は僧侶中心の宗教、ヒンドゥー教は民衆中心
の宗教であるということができよう。 また、前者においては、祭祀や儀式が重視され、
後者においては神への熱烈な信仰が重視される。
神についての観念お、古い時代の自然神的、多神的傾向のものから、人格紳的、一神教
的傾向のものへの移行がみられる。
・・・バラモン教の聖典が「ヴェーダ」だとすれば、ヒンドゥー教の聖典は「プラーナ」
である・・・・
「プラーナ」とは「古い物語」を意味し、「古潭」と訳される。
一種の疑似歴史書で、わが国の「古事記」のごときものといえよう。神代の宇宙創造から、
歴史時代の王統史までたどられる。
==>> 僧侶中心から民衆中心へという流れは、小乗から大乗へ、そして、
日本での国家護持の宗教からいわゆる鎌倉仏教、つまり民衆の救済を唱えた
法然、親鸞、一遍、日蓮、栄西、道元などの新しい宗派が広まったことと
同じ道といえるかもしれません。
次回は「第二章 タントリズムの宇宙観」を読んでいきます。
=== 次回その6 に続きます ===
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