渡辺正峰著「脳の意識、機械の意識」を読む ― 3  プロ野球選手は0.4秒でボールを打てる? 自由意志は錯覚だ 

渡辺正峰著「脳の意識、機械の意識」を読む ― 3  プロ野球選手は0.4秒でボールを打てる? 自由意志は錯覚だ 

 

 

渡辺正峰著「脳の意識、機械の意識」

なぜ人間は感じるのか? 「意識の問題」とは?

人工的に意識は作りだせるのか? ・・・・を読んでいます。

 

 


 

「第3章 実験的意識研究の切り札 操作実験」

 

 

p129

 

操作実験とは、脳活動を人工的に改変し、それが脳機能に及ぼす影響を調べることで、

両者の間の因果的関係性を明らかにする手法だ。 この操作実験を意識の実験科学に持ち

込むことにより、・・・「意識に連動する脳活動」の枠組みを超えて、NCCとより一層

迫っていくことができそうだ。

 

 

==>> NCCとは既に書いたとおり「直訳すれば「固有の感覚意識体験を生じさせる

のに十分な最小限の神経活動と神経メカニズム」ということになっています。

感覚意識体験はいわゆる「クオリア」であるようです。

 

 

p130

 

TMSとは、経頭蓋磁気刺激の頭文字をとったものだ。 ・・強力な電磁石によって、

頭蓋の上から脳に磁場を加え、そこから発生する電流でニューロンを直接刺激するもの

である。 もっぱら感覚刺激と知覚報告に頼って心の仕組みを紐解こうとしてきた

実験心理学にあって、その自由度を広げる革命的なツールとして、1990年代中盤

以降から広く用いられるようになった。

 

==>> 要するに、このような機器が出て来たことによって、サルの頭を開いて

     電極を直接取り付けるようなことはしなくてよいようになってきたという

     ことだと思います。

 

p132

 

彼は次に、部屋の明かりを消してコイルを私の後頭部にあてがい、私の第一次視覚野

に狙いを定めた。 電圧を充填しボタンを押すと、今度は、何もないところに白い閃光

(フォスフィン)が走った。 頭では理解していたつもりでも、我々の意識が、脳の

電気活動にすぎないことをまざまざと見せつけられた瞬間であった。

 

==>> ここは、著者本人がTMSの実験台になっているところのようです。

 

 

p134

 

ここからが「下條流心理学」の真骨頂でもあるが、二人は次に、TMS刺激であいた穴の

中身が何であるかに興味を抱いた。あいた穴は、格子模様の背景と同じ灰色に知覚される

が、それは、過去と未来、どちらからきているのだろうか

 

・・・なんと、スコトマの中身は未来を先取りしていたことになる。

いったい、どのような仕組みで、未来の背景が知覚像の穴に滑り込んだのだろうか。

そもそも、意識と時間の関係性はどうなっているのだろうか。

 

==>> なんだか、哲学的な臭いのする話になってきました・・・・

「スコトマ」については、wikipediaに以下のように記述があります。

     https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B2%E8%A6%96

     「脳の視覚情報処理は、いくつかの段階を経て行われる。脳における最初の視覚

皮質である一次視覚野の損傷は、破壊された皮質部位に対応する視野位置に

おいて盲を生じる。盲が生じている領域はスコトマ(scotoma)と呼び、これは

損傷した半球とは反対側の視野に生じるもので、視野の一部分から、視野全体

にわたることもある。

一次視覚野(V1)を損傷した場合、スコトマに提示された刺激について意識する

ことはできなくなる。しかし、Lawrence Weiskrantzらが1970年代に示した

研究によれば、スコトマに刺激が提示されたかどうかを推測するよう被験者に

強制すると、チャンスレベル以上の正答率で応答するものもいたという。観察者

が意識していない刺激を検出できる、というこの能力は、刺激の弁別でも可能で

あった(たとえば、スコトマに提示されたのが'X'なのか'O'なのかを応答する

課題)。こうした一般的な現象は、"盲視"と名づけられた。」

 

 

p135

 

意識の時間と実際の時間との間には、どの程度のズレがあるのだろうか。

・・・あらゆる神経処理には一定の時間がかかる。 たとえば、視覚情報が高次の視覚

部位に到達するまでには0.1秒超の時間を要する。 

 

・・・しかし、リベットが計測した時間の遅れは、この予想をはるかに上回るものであった。

 

p136

 

その結果、面白いことがわかった。 中程度の伝記刺激強度では、刺激が0.5秒以上

持続しなければ、一切の皮膚感覚が生じないことが明らかになったのだ。 

 

p137

 

二つの刺激を同時に開始した場合、素直に考えれば、皮膚刺激のほうが早くかんじられる

はずだ。 電気刺激に対する知覚は、刺激の開始から0.5秒後にようやく発生すること

がわかっているのだから。

しかし、驚くべきことに、両者は同時に知覚される

 

p138

 

第三に、いざ知覚が発生した時には、刺激発生のタイミングまで遡って感じること、

である。 この第三のポイントを彼は「主観的時間遡行」と名づけた。

ただ、ここまでの受動的な枠組みでは、その必要性を説明することができない。

 

==>> ここでは、皮膚刺激と電気刺激の速さの違いを実験しているのですが、

     理屈では、皮膚刺激の方が早く感じられる筈なのに、電気刺激と同じく

0. 5秒遅れてしまう結果になったようです。

     そこで、受動的ではなく、能動的に働きかけたらどうなるのかという

     方向に思考は向かっていきます。

 

p138

 

プロ野球の投手が160キロメートル/毎時の速球を投げると、ボールはわずか

0.4秒で打者に到達する。

 

p139

 

問題は、打者の視点から先の瞬間を捉えたときだ。 バットを振る判断をしたのは、

あくまで自身である。 この判断の時刻は、当たり前ではあるが、ボールが自身のもとに

到達する以前、すなわち、投手の投球から0.4秒以内ということになる。

また実際のスイングの開始時刻も同様に0.4秒以内だ。 ボールが自身に到達する

以前にスイングを開始していなければ、バットがボールを捉えることは到底ありえない。

 

実際には、スイング開始からバットがボールを捉えるまでの時間差を考慮に入れれば、

スイングの開始時刻は投球から0.3秒くらいと見積もるのが妥当だろう

そして、当然、スイングを行なう判断はそれよりも前に行ったことになる。

 

==>> プロの選手というのは、凄いことをやっているんですねえ。

     いろいろ検索してみたら、東京大学のこんな研究論文がひっかかってきました。

     野球をやっているかたはどうぞご覧ください。

     「野球のバッティングにおけるタイミング制御」

     https://www.jstage.jst.go.jp/article/jnns/24/3/24_124/_pdf

 

 

p142

 

実は、我々の感覚意識体験が、意識の「今」からすれば「未来」の影響を受けることを

示している。 二回のタップを感じた意識の「今」からすれば、三回目のタップは

「未来」に相当するからだ。 ただ、ここで注意が必要なのは、意識の「今」からの「未来」

は、現実にはすでに過ぎ去った「過去」であるということだ。

つまり、意識の時間は、現実から遅れているだけではなく、そこから未来の方向へと

雲のように広がっていることになる。 それにより、いまだ意識にのぼっていない事象

(三回目のタップ)が意識の今の事象(二回目のタップ)の知覚に影響を及ぼすことになる

のだ。

 

==>> ここで「タップ」と言っているのは、「叩く」ということなんですが、

     二人でできる簡単な実験が説明されているんです。

     腕の上に B,A,C,という三つの点を決めておいて(Aが真ん中)、

その人は眼をつむり、もう一人の人が その腕を AABとかAACと素早く

3回叩いて、目をつむっている人が2回目にABCの何処を叩かれたのかを

言うという実験なんです。

     ・・・まあ、これはしっかり本書を読んで試してみるしかないですが。

 

p143

 

では、球筋を見極め、スイングすることを決め、バットにボールを当てたのはいったい

「誰」なのだろう。 すくなくとも、自身の意識ではない可能性が高い。なぜなら、

それでは、とても間に合わないからだ

「果たして我々に、意識のもとの自由意志はあるか」。

リベットのもう一つの問題作は、まさにこの疑問に答えようとしたものだ。

 

p144

 

物議を醸したのは、脳波の立ち上がりの時刻だ。 被験者が手首を動かそうと思い立った

時刻のはるか0.3秒も前から、脳波の捉える脳活動が上昇しはじめている。

・・・これを素直に解釈すれば、私たちは、意識のもとの自由意志をもたない

 

==>> おやおや、とんでもない話になってきました。

     意識より前に脳波が動いて何らかの準備をすでに始めているという話です。

     なので、「意識のもとの自由意志をもたない」という言葉が出ているわけ

     です。 じゃあ、自由意志ってどこから出てくるの??

 

 

p146

 

ポイントは、この最初のきっかけ、すなわち、「ごく少数のニューロンに生じる、ほんの

わずかな発火率の変化」が意識にのぼることは、ほぼありえないということだ。

そのもとで、意識のもとの自由意志を担保しようとすると大変なことになる。 

意識とは、脳活動を自在に変化させることのできる、脳活動以外の何か、ということに

なってしまうからだ。

 

これはまさに心と身体が別物であると考える「心身二元論」に他ならない。

 

・・・実を言えば、・・・デカルトは心身二元論者であった。彼は、この世のものではない

意識との交信役に、脳の松果体をあてている。

 

==>> ここで、著者は一応古い時代の考え方としてこの二元論を出しているんですが、

     「今日でも、決して無視できない数の哲学者がこの心身二元論を支持している」

     とも書いています。

     おそらく最近流行っているらしい「汎心論」などの哲学者の中にもそういう

     二元論の人たちはいるように見えます。

 

     汎心論については、こちらで:

     https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%8E%E5%BF%83%E8%AB%96

     「汎心論は、心あるいは心に似た側面が現実の基本的かつ遍在的な特徴であると

する。また、「心は宇宙全体に存在する世界の基本的な特徴である」とする理論

とも表現される。 汎心論者は、我々が自らの経験を通して知っているタイプの

精神性が、様々な自然体に何らかの形で存在しているとする。」

 

ここで、もしかしたら西田幾多郎の「純粋経験」と繋がってくるのではないか

という感じがします。 ハズレているかもしれませんが・・・

https://tetsugaku-life.com/2019/06/12/%e8%a5%bf%e7%94%b0%e5%b9%be%e5%a4%9a%e9%83%8e%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%89%e8%a5%bf%e7%94%b0%e5%93%b2%e5%ad%a6%e3%82%92%e5%ad%a6%e3%81%b6%e6%ba%96%e5%82%99%ef%bd%9e%e4%ba%8c%e5%85%83%e8%ab%96%e3%81%ae/

「この辺りは微妙なのですが、西田は「主観と客観が分かれる以前の経験」から

出発すると述べています。これが有名な「純粋経験」です。

真に実在するのは純粋経験であり、その純粋経験から主観および客観が分離

して現れてくるのだというのです。」

「広い意味での意識現象から、狭い意味での意識現象(主観)と物理現象(客観)

が出てくると言っているに過ぎません。」

 

・・・私個人としては、どっちからのアプローチでもいいんですが、

心身二元論が一元論に統合されることを期待しています。

 

 

p147

 

あなたには、意識のもとの自由意志がないと言われても、なかなか納得できないだろう。

自分の意識がものごとを決めている、との揺るがし難い感覚が、我々にはあるからだ。

ところが、その感覚自体が錯覚であることを示唆する興味深い心理実験がある。

 

p149

 

二人の結果は、短時間のうちになされる意思決定の脳メカニズムと、その意思決定の理由

を語る脳メカニズムの繋がりが、極めて希薄であることを物語っている。 あたかも、

最初に選択を行なう無意識と、後付けで選択の理由を語る意識が、二人羽織をしている

ような状態だ。

 

この心理効果を選択盲と名づけた。

選択盲は、実際には存在しないはずの「意識のもとの自由意志」を、我々がなぜ信じて

疑わないかを説明してくれる。 答えは簡単だ。 自由意志という「壮大な錯覚」を

我々に見せているからだ。

 

==>> おやおや、いろんな実験をして話が進んでいるんですが、

     どうも「意識のもとの自由意志」というのは「錯覚」らしいですよ。

     ってことになると、無意識の中に自由意志があるってことになるんでしょうか。

     そうなると、利己的な遺伝子が我々に自由意志があるような錯覚を見せて

     いるってことになるのかな?

 

p152

 

脳の神経配線には、行きがあれば必ず帰りがある。 つまり、低次の視覚部位から

高次の視覚部位へと視覚信号が流れるのみならず、その逆、高次から低次への視覚情報

の流れも存在する。

 

この・・・流れにより、高次の視覚部位を刺激すれば、中低次の視覚部位もその活動を

上昇させることになる。

 

p154

 

パスカル=レオーネとウォルシュは、以上の実験結果をもって、感覚意識体験には、

トップダウンの意識情報による第一次視覚野の活動が不可欠であると、結論づけた。

 

==>> つまり、感覚意識体験=クオリアになるには、眼球から脳への一方通行

     だけの刺激だけじゃダメで、脳の高次の部分からのフィードバックが

     ないといけないということのようです。

 

 

p157

 

新たな操作手法とは、オプトジェネティクス(光遺伝学)と呼ばれる手法である。

・・・「光刺激で開閉する人工のイオンチャンネル(光感受性イオンチャンネル)を

ニューロンに形成し、ニューロン種ごとに自在に活動を操作する手法」と定義される。

 

p158

 

オプトジェネティクスの最大の特長は、その操作の時間精度と空間精度である。

 

p168

 

つまり、マウスの場合にも、ターゲット刺激が意識にのぼるためには、70~80ミリ

秒の持続的なニューロン活動が必要だということになる。 そしてこの持続性の

ニューロン活動こそ、我々の求めるNCCであると捉えられる。当然、次なるステップ

は、このNCCが脳のどこにあるかを突き止めることだ。

 

==>> オプトジェネティクスの登場によって、時間的にも空間的にもより

     精度の高い実験ができるようになったということです。

     それによって、NCC(「固有の感覚意識体験を生じさせるのに十分な最小限の

神経活動と神経メカニズム」)がどうやら分ってきたという話です。

 

 

それでは、次回は「第4章 意識の自然則とどう向き合うか」に入ります。

 

 

=== 次回その4 に続きます ===

 渡辺正峰著「脳の意識、機械の意識」を読む ― 4 サーモスタットに意識が宿る? 人工ニューロンに置き換えてクオリアを見る (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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