馬場紀寿著「初期仏教―ブッダの思想をたどる」を読む ― 2 阿羅漢果を得た高級娼婦はお釈迦様のスポンサーだった
馬場紀寿著「初期仏教―ブッダの思想をたどる」を読む ― 2 阿羅漢果を得た高級娼婦はお釈迦様のスポンサーだった
今回は馬場紀寿著「初期仏教―ブッダの思想をたどる」を読んでいます。
p21
ブッダとは、「目覚めた者」「悟った者」「覚者」を意味する言葉である。
・・・「そのようにやって来た者/そのように去った者」「真実に達した者」を意味する
「如来」とも、「幸いある者」を意味する「世尊」とも、呼ばれる。
p22
漢訳やチベット訳の仏典にもとづき、前448―368年頃に想定する仮説と、
バーリ仏典にもとづき、前566―486年頃に想定する仮説があって、決着していない。
・・・おおよそ紀元前五世紀前後と考えられている。
==>> ブッダが紀元前448-368年頃だとすると、デモクリトスの紀元前460
年頃-370年頃とほぼ同じ時期になりますから、唯物論がギリシアから
インドに伝わった可能性がありますね。
p23
ブッダの活動範囲はガンジス川流域だった。 支援者は多岐にわたるが、とくに出家教団
への土地の寄進者を挙げると、竹林精舎(王舎城に所在)となる園林を寄進したマガダ国
のビンビサーラ王、祇園精舎(舎衛城に所在)となる園林を寄進したコーサラ国の商人
のアナータビンディカ、さらに商業都市ヴェーサーリー(ヴァイシャーリー)の
高級娼婦であるアンバパーリーらがいた。
p24
ブッダの下で出家した弟子には、王族やバラモン祭官、・・・殺人を犯した罪人・・・
女性の出家を認めたのは、古代インドでブッダが最初である。
==>> スケベ爺である私としては、このアンバパーリーが気になるわけです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC
「ヴェーサーリー城外のマンゴー林に捨てられ、その番人に育てられたので、
アンバパーリーすなわちマンゴー林の番人の子といわれるようになった。
アンバパーリーは、遠くの町にまで名声が伝わっていた遊女で、美貌と容姿、
魅力に恵まれ、他にも踊りや歌、音楽も巧み、当然言い寄る客が引けを取らず
となって舞台等で莫大な稼ぎを得ていた。
釈迦仏に帰依し、その所有していた林を僧団に献納した。
『長老尼偈註』(ThigA.206-7)によれば、出家し高名な長老となった自分の息子
ヴィマラ・コンダンニャの説法をきき、みずからも出家、比丘尼となり、
阿羅漢果を得たとされる。」
「『大般涅槃経』では、リッチャヴィ(離車)族の公子らに先んじて釈尊を招待
している。公子らがその招待を譲り受けんと乞うも彼女は譲らなかったという。
その所有していた菴摩羅樹苑(マンゴー樹園)を僧団に寄進した。
後の天竺五精舎の1つ菴羅樹園精舎である。この件は諸文献に通じる
エピソードである。」
==>> おお、凄い女性ですね。
日本の五百羅漢さんの中に、その美貌を見ることはできないん
でしょうか・・・・拝みたい・・・
p30
出家教団には、出家教団全体を指す場合と、個々の自治組織を指す場合がある。
三宝のひとつとしての出家教団は前者であり、儀礼や会議を実際に担う出家教団は後者
である。
後者の出家教団には、「界」と呼ばれる、自治の単位の境界が定まっていた。 この「界」
を定めることが「結界」の本来の意味である。
出家教団には、出家した順に決まる序列はあるが、それは礼儀作法上のものにすぎない。
正式な構成員である比丘・比丘尼になると、全員が同等の資格をもつ。
「律」によれば、教団を統率し、特別な決定権をもつ僧院長や法王のような存在はなかった。
==>> 「結界」にはいろいろと意味があるようですが、多分、一般的には
漫画などでもでてくる悪霊や妖怪が入ってこれないように聖域を作る
イメージでしょうか。
https://kotobank.jp/word/%E7%B5%90%E7%95%8C-59537
「(ロ) 密教で、魔の障難を払うために、道場の一定区域を制限すること」
仏教は、出家者の間では、かなり平等で民主的だったようです。
p31
バラモン教・・・ヴェーダを全ての人に教えるということはなかった。女性や隷民に
教えることは許されなかったのである。
それに対し、仏教の出家教団には、出家者の生活規則を除けば、仏典を一般の人々に
教えることを禁じる禁則はなかった。
ブッダは「教師の握り拳」を否定したという記述が仏典にはあるが、 これは秘密の
奥疑の否定を意味する。ブッダの教えは、・・・あらゆる人々に開かれたものだったのである。
==>> おやおや、これを聞いたら、密教なんてありえないことになりますね。
初期仏教の視点からいえば、空海さんが最澄さんにイケズをしたのは
お釈迦さんの教えに反しているってことになりますね。
p33
バラモン教と同様、仏教は神々が暮らす天界を階層的な世界としてとらえている。
しかし、バラモン教においてブラフマンは最高神に位置づけられているのに対し、仏教
では、ブラフマンは天界のなかでも中程度の位置に暮らしていると見なすうえに、そも
そも神々は人間同様永遠不変ではなく、輪廻する存在に過ぎないと説く。
==>> 仏教での須弥山の世界を表した図がこちらにありました。
なにが何だか分かりませんが・・・・
p34
バラモン教のウパニシャド哲学では、ブラフマンに自己が合一する「梵我一如」に
よって梵天界への到達を説いていたのに対し、仏教は梵我一如を「一切を自己として」
という表現で継承しつつ、それを「利他」の心に転換している。 梵天界に生まれ変る
のは、祭式によってでもなく、梵我一如によってでもなく、利他心の修養によって
なのである。
==>> そうですか。 ってことになると、「梵我一如」を「即身成仏」とするのは
バラモン教的で、利他心による大乗仏教の方向性は仏教的方向性ということ
になりそうな気がします。
ブッダの時代からこの利他の考えがあったとするならば、大乗仏教になった
ことは自然なことだと言えそうですね。
「即身成仏」
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%B3%E8%BA%AB%E6%88%90%E4%BB%8F
「そもそも衆生と仏とが不可分であるとする真言宗のいわば汎神論的な世界観・
人間観からは「仏のもとに生まれ仏のもとに還る」といった人間観が成り立つが、
指方立相と凡夫往生を旨とする浄土宗の立場とは対極的といえる。」
そこで、「指方立相」ですが・・・
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%8C%87%E6%96%B9%E7%AB%8B%E7%9B%B8
「阿弥陀仏により具現化された仏身および浄土の有相が、釈尊により方角(西方)
と相を通じて説示されたこと。・・・・
善導は「是心作仏、是心是仏」に関して、「〈是心作仏〉と言うは、自の信心に
依って相を縁ずること作のごとし。〈是心是仏〉と言うは、心能く仏を想すれば、
想に依って仏身現ず。すなわち、この心、仏なり。この心を離れて、外、更に
異仏無ければなり」(聖典二・二六九/浄全二・四七下)と述べ、「是心」を
「自らの信心」として解釈し、「是仏」を「仏、自らの影現」として理解した
と考えられる。つまり善導は衆生の願往生心という阿弥陀仏を想う心そのもの
を、衆生と阿弥陀仏との接点であり、相互に知見する場所と捉えている。」
==>> ド素人には、結局同じようなものに見えるんですが、
自分の身そのものが仏そのもの、という考え方と、信じる心が
仏を見せてくれる、という違いなんでしょうか。
つまり、一体化して成るということと、仏に会うことで自らも
仏になるという違いなのか?
p46
紀元前には、こうした菩提樹や仏塔がブッダの象徴だったのに対し、紀元後一世紀になると
仏像が制作されるようになる。 北西インドではヘレニズム文化の下で神や王などの像が
すでに制作されており、仏教もその影響を受けたのである。この時期以降、ブッダの象徴
として、仏像が仏塔とともに主要な役割を果たすようになる。
p50
紀元後一世紀になると、おそらく書写を前提として、個人の作品が著されるようになる。
・・・個人の著作の成立と仏典書写の開始とは、密接に関わっていると考えられる。
下田正弘によれば、この時期に大乗仏教というあらたな思想が登場したのも、その仏典
が書写を前提としていたからである。 大乗仏典の代表ともいえる「般若経」や「法華経」
には、「般若経」あるいは「法華経」それ自体を書写するように勧める記述がある。
・・・初期仏典とは異なる伝達手段によっていたことを端的に示している。
==>> 仏像の登場と仏典著作と書写という伝達手段の変化が、大乗仏教への道を
大きく開いていったようです。
ちなみに、「法華経」の書写ということについては、先に読んだ「法華経」の本
に確かにそのような記述がありました。ほとんど宣伝マニュアルという感じ
です。
大角修 訳・解説「法華経」を読む ― 8 これは営業マニュアルか?
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/09/blog-post_27.html
「p283
また、他の人に「行って妙法蓮華経を共に聞こう」と誘い、一時でも聞けば、
その功徳により、その人は身を転じて、如来の聖なる言葉の威力のもとに
陀羅尼を得た菩薩とともに生きる者となります。 その人の心は明晰で智慧
に開かれ、顔つきも姿もすがすがしくて、すべての人に好まれます。
そして、世世に仏とともにあり、教えを聞いて、よく信受するでしょう。
p286
男であれ女であれ、この法華経を受持し、もしくは読み、もしくは誦し、
もしくは解脱し、もしくは書写する者(五種法師)ならば、その人は眼に八百の
功徳を得るでしょう。・・・・その功徳によって、眼と耳と鼻と舌と身と意の
六根は荘厳にして清浄となります。」
p52
また古代インドにおいては、記憶という行為そのものが学習に重要な意義を認められて
おり、知識の授受に文字が介在すべきではないという考えが存在していたことは、さらに
重要である。
・・・インドの大叙事詩「マハーバーラタ」によれば、ヴェーダを書写したものは地獄に
落ちるとされる。 聖典は記憶すべきであって、書写すべきではないという意識は、
現代人には創造がつかないほど根強かったのである。
知識は師から直接学ぶべきものだと考えられていた社会にあって、仏教もまた文字を
用いずにブッダの教えを伝承していた。
==>> 文字にせず、相手に合わせて口伝で説きなさいというのは釈迦の教えでも
あったようです。
苫米地英人著「人はなぜ、宗教にハマるのか?」
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2021/04/post-4fb67f.html
「p176
サンスクリット語は、礼拝用の厳格な言語ですが、文法的に複雑で、それが理解
できるのはカースト上位の出身者たちだけです。そこで、(釈迦は)一つ目の
注文として、自分の教えが誰にでもわかるように、生きた言葉で語って伝える
ようにしなさい、としたのです。
==>> この辺りのことは、例えば原始仏教の「スッタニパータ」
などで知るしかないのだと思いますが、「スッタニパータ」は
サンスクリット語から日本語に翻訳されたものしか出版されて
いないようです。 それに、ある本によれば、釈迦は文書にするな、
口伝にしなさいとも指示をしたとされていますので、膨大なお経に
なっていることに当惑しているかも」しれません。
p54
出家教団が仏典を組織的に口頭伝承している場合、ヴェーダと同様に、一言一句、
正確に伝承していたことは想像できる。 実際、現存するバーリ語の「長部」と呼ばれる
仏教集成と、漢訳された「長阿含」とのいくつかの対応経を比べると、スリランカと中国
という距離を越えて、驚くほどの一致を示すものは少なくない。
確かに、聞き手に応じ、内容を変えて伝承していたと考える場合、初期仏典は、音楽に
喩えるなら、クラシックよりも、演奏のたびに大胆なアレンジがあるジャズのようなもの
だったことになる。 実際、ガンダーラの写本では、同じ写本の表裏に同じ仏典が書写
されていても、その内容が異なる例が報告されている。
==>> 口頭による伝承はバカにできませんね。集団でやっている場合は、かなりの
正確さが担保されるようです。日本の稗田阿礼による古事記の場合はどう
なのでしょうか。
稗田氏に関しては、以下のような記述がありますが、稗田阿礼については、
実在したのかどうか疑問だとする説もあるようです。
https://kotobank.jp/word/%E7%A8%97%E7%94%B0%E6%B0%8F-1397457
「猿女とは古くは原始的呪的伝統をひく〈をこ〉(滑稽)なる歌舞をもって宮廷
神事に仕えた巫女で,アメノウズメの話はその職掌起源譚であった。稗田姓は
大和国添上郡の地名にもとづくもので,猿女氏と稗田氏は同族であったと
考えられる。」
上に「歌舞をもって」と書いてあったので、それからの連想ですが、インドでの
仏典の口伝というのも、韻を踏んだ歌のようなものも含まれているそうです。
そこで思い出したのが日本語を教えに行った西アフリカのベナン共和国での
経験です。
大統領府に行った時に、そこの職員らがテレビをつけて、踊りや歌などの
番組を聴いていたんです。 なぜ仕事中にそんな番組を視聴しているのかを
訊ねたところ、「政治的なアピールを歌や踊りで表している」のだという返事
でした。現代においても、文字に頼らずに踊りや歌で主張をしている国々も
あるということです。
p55
ブッダが没した後、仏弟子がその教えを仏典にまとめたという、「結集」の物語が
伝承されている。 この「結集」は、・・・・「仏典編集会議」などと意訳されるが、
もともとの意味は「共に唱えること」である。・・・仏典がもともと口誦されたものだと
仏典の伝承者たちが考えていたことを示している。
p56
アーナンダよ、あなた方のために私が示し定めた「法と律」が、私の死後は、あなた方
の師である。 (「大般涅槃経」)
ここにおける「法」とは、教えを意味し、「律」とは、出家者の規則を意味する。
==>> ここで、仏教教団における最初の「法と律」がブッダによって定められた
ようです。
「大般涅槃経」は大乗思想の経であるようですが、その内容は元々は上座部の
ものであるようです。
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E8%88%AC%E6%B6%85%E6%A7%83%E7%B5%8C-91882
「パーリ語で書かれた上座部経典長部に属する第 16経のこと。漢訳では,
長阿含第2経『遊行経』および『仏般泥 洹経』 (2巻) ,『般泥 洹経』 (2巻) ,
『大般涅槃経』 (3巻) がこれに相当する。釈尊の晩年から入滅,さらに入滅後
の舎利の分配などが詳しく書かれている。またこれに基づいて大乗仏教の思想
を述べた『大般涅槃経』という膨大な経典がある。」
=== 次回その3 に続きます ===
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