大角修 訳・解説「法華経」を読む ― 8  これは営業マニュアルか? 不軽菩薩と折伏というやり方

 

 

大角修 訳・解説「法華経」を読む ― 8  これは営業マニュアルか? 不軽菩薩と折伏というやり方

 

大角修 訳・解説「法華経」「無量義経・妙法蓮華経・観普賢経」を読んでいます。

すべて現代語訳になっています。

 


 

p283

 

また、他の人に「行って妙法蓮華経を共に聞こう」と誘い、一時でも聞けば、その功徳

により、その人は身を転じて、如来の聖なる言葉の威力のもとに陀羅尼を得た菩薩と

ともに生きる者となります。 その人の心は明晰で智慧に開かれ、顔つきも姿もすがすが

しくて、すべての人に好まれます。 そして、世世に仏とともにあり、教えを聞いて、

よく信受するでしょう。

 

 

p286

 

男であれ女であれ、この法華経を受持し、もしくは読み、もしくは誦し、もしくは解脱し、

もしくは書写する者(五種法師)ならば、その人は眼に八百の功徳を得るでしょう。

・・・・その功徳によって、眼と耳と鼻と舌と身と意の六根は荘厳にして清浄となります

 

==>> この辺りは完全に営業あるいはリクルート編になっているようです。

     要するに会員拡大マニュアルのような感じです。

     信仰は人それぞれの心の問題だと思うんですが、宗教となると団体組織に

     なりますから組織を維持するためには勧誘も必要ってことでしょうか。

 

     ところで、「五種法師」については、こちらの解説をどうぞ:

https://kotobank.jp/word/%E4%BA%94%E7%A8%AE%E6%B3%95%E5%B8%AB-501412

     「法華経の所説によって分けられた五種類の法師。受持法師、読経法師、

誦経法師、解説法師、書写法師をいう。」

・・・五種競技のようにすべてをやるのではなく、どれかひとつをやれば

いいように見えますが、それで六根が清浄になるんでしょうか。

 

 

p296

 

「六根清浄」という言葉は修験の山伏が入山したときに「六根清浄 お山は晴天」とか

「さんげさんげ(懺悔懺悔)六根清浄」と唱えて歩くことで知られている。

 

p297

 

修験道は神仏習合してうまれた日本独自の山岳仏教である。 明治の神仏分離で衰退する

までは、きわめて民衆的な広がりをもっていた。ふだんは農や町人が富士講、大山講などを

つくり、時おり御師とよばれる世話人に案内されて登山した。 

・・・山道でひと休みして立ち上がるときに「六根清浄」と言ったのが「どっこいしょ」

なったともいわれている。

 

==>> 修験者と見える人たちを見るのはもうテレビを通じてぐらいしかありませんが、

     一度だけ観光ツアーで吉野の桜を観に行った時に見かけました。

     私が幼かった頃には、托鉢をするお坊さんがたまに我が家の前に立ったことが

     ありますが、最近は上野の駅前、アメ横側で見るぐらいになりました。

 

 


    上野駅の前に佇む托鉢のお坊さん



 

 

p306

 

智慧の菩薩を理想として修行するのは出家専修の僧侶の道である。 日本の六綱(律令の

定めにより僧尼を統率する奈良の高僧たち)も涅槃を求めているが、そのように世間から

離れていて、どうして多くの人々を思いやることができようか。

 

増上慢の比丘や人々に礼拝して、石を投げつけられようとも「あなたがたは未来に仏に

なれます」と告げた不軽菩薩のように、万人を救う一乗の仏道からはずれることなく・・・

 

p308

 

大乗戒壇の設立は、「常不軽菩薩品」に説かれている増上慢の比丘たちがはびこる像法の

著法(教義や儀式の形にとらわれること)からの解放という点で非常に大きな一歩だった。

最澄の主張は後世、さらに発展して煩悩即菩提(煩悩がそのままさとり)という考え方

や、だれでも本から覚っているのだという本覚法門をうみだし、山川草木悉皆成仏

(山も川も草も木もみな仏)といった感覚を広めた。

 

ちなみに、最澄と同じころ、即身成仏(人と仏が一体の境地になること)を説く

空海(真言宗の開祖/774~835年)も出家と在家に本質的な違いはないとした。

 

==>> 「不軽菩薩」が気になるので、チェックしましょう。

https://kotobank.jp/word/%E5%B8%B8%E4%B8%8D%E8%BB%BD%E8%8F%A9%E8%96%A9-79794

     「『法華経』に登場する菩薩の名。彼は人をみると「私はあなた方を尊敬して

決して軽くみることはしない。あなた方はみな修行して仏陀となる人々だから」

といい,人々にはずかしめられ打たれると,その場を逃げ,離れた場所から再び

同じ言葉を繰返したという。そこでこの名がある。」

 

「【折伏】より

日本において,これを継承展開させたのが日蓮である。日蓮も,化導の方法に

摂受,折伏のあることを認めるが,邪智謗法(ほうぼう)の者の充満する末法に

おいては,折伏を優先することを強調,実践し,智顗が安楽行品を摂受の依拠と

したのに対して,同経常不軽菩薩品(じようふきようぼさつぼん)にみえる

常不軽菩薩が迫害をうけ,それにたえながら人びとを救おうとしたことを

もって,折伏実践の典型とした。日蓮の折伏実践は,折伏がよびおこす迫害を

甘受することにより自己の過去の重罪を消すことができるという懺悔滅罪

(ざんげめつざい)の意識に支えられていたから,迫害受難はいっそう折伏実践

を行わせることになった。

 

・・・「折伏がよびおこす迫害を甘受することにより自己の過去の重罪を消す

ことができるという懺悔滅罪(ざんげめつざい)の意識」というのは、

周りにいる人たちにとっては迷惑な話ですねえ。

 

「折伏」に関する解説はこちら:

https://kotobank.jp/word/%E6%8A%98%E4%BC%8F-75851

仏教における教化法。摂受(しょうじゅ)の対語。衆生(しゅじょう)教化の方法

に摂受、折伏の2種があり、折伏は相手の悪を指摘し屈伏させて正信に導き入れ

る方法、摂受は相手の善を受け入れ、摂(おさ)めとって、徐々に浅から深へと

導いていく方法。」

 

・・・・ひょんなところで「折伏」という言葉が出てきました。

私がまだ若かったころに、この折伏が社会問題になったことを思い出します。

二十代の頃、私は米系の石油メジャーの日本法人に勤めていたのですが、

その会社はタンカー一杯いくらというような卸での商売をしていましたので、

非常に贅沢な職場環境で、営業職は一人一人がカーペットが敷かれた個室で

仕事をしていました。

私はその頃は経理マンでしたが、カーペットが敷かれた部屋で、立派な大きな

木製の机と布張りの椅子で仕事をしていました。

 

私と同年代の社員は数名でしたが、その中にお金持ちのお嬢様がいまして、

「うちで某宗派の勉強会があるんだけど、一度参加しませんか」と

お誘いを受けました。

彼女は美人でしたし、お嬢様という噂を聞いていたので、どんな家に

住んでいるんだろうという下世話な好奇心で行ってみることにしました。

その当時は、すでにその宗派が折伏で問題になっていることは知っていました

ので、少々緊張の面持ちだったのですが、好奇心の方が勝ったわけです。

 

そして、その数名があつまった勉強会に参加して、どんな折伏をされるのかな

と興味もあったのですが、結局その頃私が読んで感動したショーペンハウエル

の本から学んだことなどを一方的にしゃべってしまって、「凄いですね」と言わ

れて終わってしまいました。

今となっては、その時にどんな話し方をしたのか覚えてはいませんが。

折伏のシャの字もなく終わってしまったのには、ちょっと拍子抜けでした。

 

いずれにせよ、 上にある「不軽菩薩」のような人が実際に現れたら、私は

キョトンとしてしまうでしょうし、仮に「折伏」をされたとしたら、

屁理屈を並べて、「折伏は相手の悪を指摘し屈伏させて正信に導き入れる方法、

摂受は相手の善を受け入れ、摂(おさ)めとって、徐々に浅から深へと導いていく

方法。」のうち、私なら摂受の方がいいですねと反論するかもしれません。

批判されるより、褒められて伸びる性格ですから、とか言いながら。

 

p322

 

法華経には真理・真実が説かれているのだという。 このことに多くの人が戸惑うの

ではないだろうか。 とくに第二部の虚空会では、説法の場が霊鷲山の上空に移り、

集会の人々も空中に引き上げられる。 そんな話のどこに真理があるのだろう?

 

p325

 

法華経では、だれでも阿耨多羅三藐三菩提を得て仏になれるという。 それを法華経

では「作仏」というが、一般にいう成仏と同じである。

だれでも作仏できるといっても、ひとつの重大な条件がある。 それは仏に出会うことだ。

このばあいの仏は、一人の人間の師ではなく、究極の「無上のさとり」のありかを

指し示す光のようなものである。

 

p326

 

その光が見える。 それを灯明としてあゆむなら、いつか阿耨多羅三藐三菩提を得る

ことができる。 しかしそれは、すぐのことではない。 これから先、世世に転生して

数多く仏と出会い、恭敬し供養してからのことだという。 

 

それを歴劫成仏というのに対し、娑婆即寂光土(この世が仏の国)といわれるけれど、

現実の世界は静かな寂光土というわけにはいかない。

しかし、如来の光が消えることはない。 そこに「化城喩品」(けじょうゆ)の偈の

「願わくは此の功徳を以って普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」

いう願いがあり、各宗の勤行で回向文として唱える言葉になっている。

 

==>> ここは「法華経の真理」という解説の章なんですが、やはり法華経の中の

     どこに真理があるのかを理解するのは難しいようです。

     そして、無上のさとりを得るためには、結局「光」を見なくてはならない

     らしい。 ・・・おそらくそれは、多分、なんらかの啓示みたいなものを

     いうのでしょう。 それを得るのには何度か転生しないとだめかも、という

     ようなことが書かれているみたいです。

     そして、そういう願いを、各宗の勤行で唱えているということらしい。

 

     下の化城喩品のたとえを読むと、要するに「幻の城」を見せられているという、

つまり方便によって導かれているという話のようです。

 

「化城喩品」

https://kotobank.jp/word/%E5%8C%96%E5%9F%8E%E5%96%A9-490051

「法華七喩の一。法華経化城喩品に説く。苦しい悪路を行く隊商の指導者が、

途中で幻の城を現して部下たちに希望を抱かせさらに目的地への旅を続けさせ

というたとえ。小乗の悟りは大乗の悟りへ導く方便であることを表す。」

 

p337

 

宿王華よ。 星々の力をもつ菩薩よ。

もし発心して阿耨多羅三藐三菩提を得たいと望むのであれば、手の指あるいは足の指

のひとつでも灯明として仏塔を供養しなさい。 それは王国を捨てて三千大千世界の

国土の山林・河・池・その他もろもろの宝物をささげるのに勝ります

また、三千大千世界に七宝を満たして仏と大菩薩・縁覚・阿羅漢に供養すといえども、

法華経の四句偈のひとつでも受持する者の功徳には及びません

 

p339

 

この法華経は炬(かがりび)が暗闇を除くように、衆生をして一切の苦、一切の病痛を離れ

しめ、生死の束縛から解き放ちます。 もし、この法華経を聞くことを得て、みずから

書写し、あるいは人にも書写せしめるならば、その功徳の大きさは、仏の智慧をもって

量ることができないほど限りないものです。

 

==>> 「供養」という言葉の意味なんですが、

     https://kotobank.jp/word/%E4%BE%9B%E9%A4%8A-56127

     「仏と法と僧(教団)の三宝(さんぼう)や死者の霊などに、行動(身)とことば

(口)と心(意)の3種の方法によって供物(くもつ)を捧(ささ)げること。原意

は「奉仕すること」「供え仕えること」。」

・・・とされています。

 

つまり、上記の部分は、どのように奉仕したりお供えすればいいかという

ことなんですが、「国土の山林・河・池・その他もろもろの宝物」やら

「七宝」やらという莫大な高価なものと比較しながら、「偈のひとつでも受持

する」とか「法華経を聞いて、書写し、あるいは人にも書写せしめる」と

いうことをする方がもっと凄いんだよと言っているのは、貧乏な庶民を

相手に、法華経を広めなさいということを言いたいのでしょうね。

法華経じゃありませんが、私も時々般若心経を聞いて、読んで、写経やら

瞑想の真似事をしております。

 

 

p343

 

大乗仏教では阿弥陀仏などの諸仏、観音菩薩などの諸菩薩に祈りの対象は豊かに拡大し、

法華経では久遠の釈迦牟尼仏を諸仏の根源に置く。 また、塔を中心に仏像などへの祈り

も拡大し、(賛歌)や陀羅尼(短文の唱句)が数多くうまれた。 そこには当然、読経

を伴う儀礼の発達があった。 法華経が「塔を起てて供養せよ」とくりかえし説き

法華経の一偈一句を聞くだけでも無限の功徳が得られると説くのは、その儀礼において、

人は仏や神々の世界と結び付けられるからである。

 

==>> 私自身は、以前からの素朴な疑問として、日本のあちこちのお寺で、お釈迦様

     が教祖である仏教なのに、なぜお寺ごとに様々な御本尊があるのかが

     不思議でなりませんでした。

     まあ、おそらくインドの伝統的な仏や神々がいたからそういうことに

     なってしまったのだろうとは想像はつくのですが、真言宗のように

     大日如来が中心というのは、まだまだ合点がいきません。

     もちろん、空海さんが「大日経」が一番だと思ったからそうなったのでしょうが。

     その点では、法華経が釈迦牟尼仏を根源に置くというのはもっともだと

     思えるわけです。

 

p347

 

浄華宿王智如来妙音菩薩に告げました。

 

善き求法者よ。 では、その国をさげすむことのないように心せよ。

かの娑婆世界の地は高く低くゆがんで、平らではない。 土と石におおわれて山は

多く、穢れと悪が満ちている。 仏の身体も小さく、菩薩の姿もまた、ひどく小さい。

それに対して、そなたの身の高さは四万二千由旬、我が身体は六百八十万由旬である。

そなたの身は、もっとも端整にして百千万の長所をもち、光明は殊に優れている。

それゆえ、娑婆世界に行って、その国にさげすみをもってはならない。娑婆世界の

仏や菩薩に軽蔑の思いをおこすことのないよう、心せよ。

 

==>> 妙音菩薩の身長は、42,000由旬で、浄華宿王智如来の身長は

6,800,000由旬だそうです。

で、由旬がどういう単位かが問題ですね。

ゆじゅん【由旬】

https://kotobank.jp/word/%E7%94%B1%E6%97%AC-145109

「〘名〙 (yojana の音訳) 仏語。古代インドで用いた距離の単位の一つ。

約七マイル(約一一・二キロメートル)あるいは九マイルという。

帝王の軍隊が一日に進む行程といわれ、中国では六町を一里として四〇里

または三〇里、あるいは一六里にあたるとされる。」

 

1由旬=11.2キロメートルですから、

妙音菩薩の身長は、42,000 x 11.2 = 470,400km

ということになります。                                                                                 

浄華宿王智如来にいたっては、その162倍の身長ってことになりますね。

地球の直径は、およそ12700kmとされていますから、妙音菩薩の身長は

地球の直径の37倍ってことになりそうです。

「どんだけ~~~~」って話です。

・・・ああ、こんな計算をしている私がアホに思えてきました。

やめます。

 

p351

 

妙音菩薩の身体は、ここに見る姿だけではありません。菩薩は種々の姿をとって、

もろもろの衆生のために、この経典を説いてきたのです。

ときには世の主神たる梵天の王、ときには神々の帝王たる帝釈天、ときには破壊と

恵みの神たる自在天、ときには天の大将軍にして財宝の神たる毘沙門天、ときには

転輪聖王の身を現して、この経典を説き、人々を守護してきました。

あるいはまた王の姿、長者の姿、あるいは居士、宰官(官吏)、・・・・比丘・・・

童子・童女の身を現して人々を導いてきました。

 

・・・神々と聖霊の姿をとり、人の姿や人ではないものの姿を現して、この経典を

説いてきました

 

p353

 

こうして釈迦牟尼仏と多宝如来の塔への供養を終えた妙音菩薩は、本土に帰って

いきました。

 

==>> まあ、要するに、どんなものにでも姿を変えて現れるということですね。

     従って、私たちの周りにいる人たちや草木なども妙音菩薩の化身だという

     ことになりそうです。

     

     下の解説をみると、妙音菩薩は、本部の広報官みたいな感じです。

     「みょうおん‐ぼさつ〔メウオン‐〕【妙音菩薩】

https://kotobank.jp/word/%E5%A6%99%E9%9F%B3%E8%8F%A9%E8%96%A9-640156

東方の一切浄光荘厳国に住み、霊鷲山(りょうじゅせん)に来て法華経を聴聞した

菩薩。美しい声で十方(じっぽう)世界に教えを広めるという。」

 

 

p354

 

三昧の原語「サマーディ」は一つの対象に精神を集中して心が乱れない状態、つまり

瞑想をいう。 禅定(ディヤーナ)と似た用語であるが、ディヤーナは「静慮(静かに

思惟すること)」とも訳されるのに対し、三昧は読経や種々の祈禱を伴う形で発達し、

一定の期間を定めて修する「法華三昧」「常行三昧」の行法などが生まれた。

密教ではサマーディを「三昧地」と表記し、瞑想や護摩をはじめ種々の修法をおこなう。

 

==>> これはまさに比叡山の「にない堂」(法華堂と常行堂)での三昧ですね。

     https://tabi-mag.jp/sg0080/

     「仁寿元年(851年)、天台密を修めて唐から戻った円仁(慈覚大師)が、

日本最初の常行三昧堂(常行堂)として比叡山に創建したのが始まり。

現存する常行堂、法華堂は、1595(文禄4)年の再建。」

 

観光ツアーでここに行った折には、ガイドさんが、今でも時々お坊さんたちが

このにない堂で修行をされているので、その時は、黙って静かに通り抜ける

のだと言っていました。

 

p355

 

日本での伎楽は「日本書紀」に大陸から伝来した仮面劇として記されている。

その後、仏教の隆盛とともにさかんになり、四天王寺などの大寺には伎楽の歌舞集団が

置かれた。 また、声明と総称される音楽法要が比叡山を中心に発達したほか、説教節・

念仏踊り・盆踊りなどの民俗芸能を含めて種々に展開した

 

盆踊りは、もとは魂鎮めの舞踏で、室町時代に爆発的に流行し、暴動を恐れた幕府が

禁令を出すほど熱狂的なものだった。

 

==>> 「伎楽」と「雅楽」の違いが分からないので、こちらでチェック。

     https://nekorin.hatenablog.com/entry/2017/10/01/161638

     「伎楽(きがく)

一番古い記録では5世紀に大陸から伝来したそうです。またそれとは別に、

「伎楽」という仮面音楽舞踏劇も伝わり、呉舞ともいわれ、長江下流の呉

(中国長江下流域)から伝わったとされ、今も毎年薬師寺で伎楽の奉納が行われ

ています(平成4年から復興した)。この中に獅子が出てきますが、獅子舞の

原型とも言われているとか。」

・・・伎楽の動画はこちらでどうぞ・・・・

https://www.youtube.com/watch?v=V8AOIsKRxWU

 

雅楽

8世紀(奈良時代)には、「雅楽寮(うたまいのつかさ)」が701年に創設され、

「和楽」のほか唐楽、三韓楽(朝鮮半島)、伎楽、ベトナム、タイの音楽などが

学習されていたが、30年ほど過ぎたら「和楽」は縮小され、外来音楽(唐楽を

中心にしたもの)が中心になったらしい。」

 

ついでに、声明も・・・・

声明

736年、インドのバラモン僧が仏教儀式音楽「声明(しょうみょう)」を伝えた。

これは宗教だけでなく、日本の音楽にとっても非常に大きな出来事であった。

日本仏教サンスクリット語や中国語を正式な声明としていたが、次第に日本

語を使って歌うようになり、それが様々な形で日本の芸能に影響を与えるよう

になったのである。」

 

・・これらの動画を見て比べると、伎楽が一番庶民的という感じでしょうか。

雅楽は宮廷音楽という先入観が入ってしまっていますが、8世紀はどんな

感じだったのでしょう。

声明は「仏典に節をつけた仏教音楽」とされていますので、基本は読経ですね。

 

ちなみに、親鸞聖人750回大遠忌の音楽法要というのが動画でありました。

いろいろな音楽が使われています。

https://www.youtube.com/watch?v=jqkwF4_NK3M&t=3s

 

この法要は2011年の東日本大震災の後に開催されたようです。

たまたま、この750周年の折に、私たち夫婦も、西本願寺を観光ツアーで

訪れて、ちょっとだけ勤行に参加しました。

その時はまだ一応名ばかりの浄土真宗だったのですが、今は真言宗のお寺の

準檀家になっています。

 

 

=== その9 に続きます ===

 大角修 訳・解説「法華経」を読む ― 9(完) 「法華経」は仏教の布教マニュアルか? ちょっと盛り過ぎじゃない?? (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

     

 

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