辛島昇著「インド文化入門」を読む ― 5 差別を描く社会派映画、 インドと日本

辛島昇著「インド文化入門」を読む ― 5 差別を描く社会派映画、 インドと日本


今回は「インド文化入門」を読んでいます。

 

 


 

「11 ベンガル派の絵画と日本 ― タゴール、岡倉天心の交わり」

 

p176

 

岡倉天心がインドの地を訪れたのは、彼が東京美術学校校長の職を追われ、根岸に

日本美術院を興してから三年ほどたった、1901年のことであった。

彼は有名な詩人ラビーンドラナートを擁するタゴール家に寄寓するような形で

ほぼ一年をカルカッタですごした・・・・・

 

p177

 

彼らがおかれた歴史的状況自体の中に、政治的には日本とインドの知識人を結びつける

一つの絆があり、また、美術の面においても、日本とインドを結びつける共通の事情が

あったからである。

 

==>> 岡倉天心は大昔に教科書にも出てきました。

     まず、その教科書にはどのように書かれているかを確認しておきます。

 

     「政府は初め工部美術学校を開いて、外国人教師に西洋美術を教授させた。

     しかし、アメリカ人フェノロサや岡倉天心の影響のもとに、伝統美術育成の

     態度に転じて工部美術学校を閉鎖し、1887(明治20)年には西洋美術

     を除外した東京美術学校を設立した。

     ・・・一因には、当時、ヨーロッパにおいて日本画が高い評価を受けていた

     こともあった。

     (「詳説日本史・日本史B」山川出版社 2016年検定済)

 

     そして、こちらのサイトで岡倉天心を読んでみますと、

https://kotobank.jp/word/%E5%B2%A1%E5%80%89%E5%A4%A9%E5%BF%83-17633

     「明治期の美術行政家。美術界の指導者。美術史家,思想家

     31年の東京美術学校騒動後,同校および帝国博物館を辞職し官職は離れたが,

創作美術,古美術保護,美術史研究に関する活動は続けている。そしてこの後の

天心の活動に顕著となるのが,思想家としての活動である。26年中国,34

インドに旅行し,37年からはボストン美術館に勤務して日米を往復。英文著作

『東洋の理想』(1903,ロンドン),『日本の覚醒』(1904),『茶の本』(1906,ともに

ニューヨーク)を次々に刊行し,日本東洋の美学を多分に政治論的,文明論的に

論じながら西欧世界に紹介した。」

 

・・・美術家かと思っていたら、美術行政家とか思想家の方だったんですね。

官職についていたとも書いてありますので、行政家ということにもなるので

しょう。 美術思想家というのが一番近いような感じがします。

 

p179

 

天心は単なる模倣としての洋画教育の導入に反対し、日本古来の伝統を生かしつつ

新しい美術を創造すべく日本美術院を結成していた。 それと同様にタゴール家の人々

が求めていたものも、西洋から押し付けられたり、西洋を模倣するのではなく、インド

古来の伝統に根ざしながら、なお新しい文学、新しい芸術を創造していくことであった。

 

p181

 

天心は、アバニーンドラと出会うと、彼らと自分たちの抱えている状況が同じである

ことを即座に理解し、彼らに助力すべく、また、彼らからインド美術の伝統を学ぶべく、

1903年には日本美術院の高弟、横山大観と菱田春草の二人をインドに送り込んでいる。

 

==>> ここで、この二人がアッサム地方の王宮での壁画を描く仕事に行こうとして

     いたとき、イギリス官憲の妨害にあったことが書かれています。

     そこで、その当時の政治的背景をwikipediaで確認したところ、以下のような

     記述がありました。

     「20世紀初頭の日本の大国としての台頭はインドでは肯定的に捉えられ、

アジアの復活の始まりとして象徴化された。インドでは、戦後の日本の経済の

立て直しと素早い経済成長に対して大いなる称賛の声があがった。両国の著名

な人物はその時から増え、歴史的書物によれば、日本の哲学者岡倉天心とインド

の作家ラビンドラナート・タゴール、岡倉とベンガルの詩人プリヤムヴァダ・

バネルジーの間に友情が芽生えた。大英帝国の一部であった時代、多くのインド

人がイギリスの統治に憤っていた。

 

・・・つまり、インドの独立運動の機運が高まっていた時期でもあったようです。

 

 

「12 映画に見るインド社会 ―― 映画と政治の関わり」

 

p193

 

1997年辺りから日本でもインド映画ブームといった現象が起きてきて、・・・・

性愛聖典に主題をとり愛の秘儀を描く「カーマスートラ」は少々例外であるとしても、

ヒンドゥー・ムスリムの対立を描く「ボンベイ」、かつての不可触民と上位カーストとの

対立を描く「インディラ」のような、インド自体で大きな社会問題になっているテーマを

正面から取り上げた社会派の映画も上映されるようになり、それよりさらに驚くのは、

これぞまさに「インドの」娯楽映画といった「ラジュー出世する」「ムットゥーー躍る

マハラジャ」のような、歌と踊りをふんだんに取り入れた3時間ものの活劇までが

上映されるようになってきたのである。

 

p194

 

「大地の歌」にはじまり、「大河の歌」「大樹の歌」と続くこのオブーを主人公にした、

いわゆるオブー三部作は、ベンガルの農村と都市に広がる貧しさの中に生きる人々を

描き、世界にレイの名を知らしめ、カンヌ、ヴェネチア映画祭での受賞に輝いた。

「大地の歌」は、ベンガルの農村に住む落ちぶれたバラモンの一家の生活を描く。

 

==>> インド映画を観たことはありませんが、確かに「躍るマハラジャ」が話題に

なっていたことは覚えています。

     それでは、こちらのyoutubeでちょっとだけ観てみましょう。

     https://www.youtube.com/watch?v=nlmiwwbtUBA

 

     ちなみに、「カーマスートラ」はこちらです:

     https://eiga.com/movie/66369/

 

     すでに読んだように、カースト制度は1950年の憲法によって、差別すること

     が禁止されていますが、「カーストそのものは禁止対象ではない」という実状が

     あるようです。

     上記の「大地の歌」は、その最上位のバラモンの一家の没落ということになって

     いるのですが、すでに読んだ中に、反バラモン運動によって地域によっては

     バラモンが生活できなくなり他の地域に出ていかざるをえない状況にもなった

     ようです。

     制度の中で差別していた側が、社会運動や憲法制定によって、今度は差別

     される側になったということですね。

     階層が上であろうが下であろうが、結局は個人の才覚で生きて行くのが基本だ

     ということでしょうか。

 

     

p196

 

第二次世界大戦中のベンガルの大飢饉をテーマに、カルカッタが日本軍侵入の危機

さらされ、米がなくなったときに示される人間性を描く「遠い雷鳴」、1856年に

アワド王国が併合される前夜、日がなチェスに興ずる貴族の姿を通し、没落していく

アワド王国の悲哀と、それを併合しようとするイギリスの醜さを対比的に描き出す

「チェスをする人」

 

 

インド人ファールケーが自ら映画の制作に乗り出す。 神話を題材にした映画を作ろう

としたのだが、苦労したのは女優であった。 当時、女役者は娼婦と考えられていて

なり手がなかったのである。 「マハーバーラタ」から題材をとった第一作

「ハリシュチャンドラ王」(1912年)で女性を演じたのは女形であったという。

 

==>> 1912年に「当時、女役者は娼婦と考えられていて」という状況だったん

     ですね。 最近のインド映画のリストをこちらでみてみると、そのような

     事情はさすがに変化しているように見えます。

     https://filmaga.filmarks.com/articles/3167/

 

     とは言いながら、日本でも、50年ぐらい前には似たような雰囲気は

     あったように思います。 俳優、役者などは少なくともまともな仕事じゃないと

     思われていたと思います。 女優については、おそらくロマンポルノ等の

イメージの影響も大きかったのではないかと思います。

 

     話が飛びますが、「1945920日、沖縄戦の後からアメリカの軍政下に

あった沖縄本島の収容所で行われた市会議員選挙で、女性に参政権が認めら

れ選挙が行われた。」・・・と、女性参政権が日本で認められたのが、戦後、

それも進駐軍が日本をコントロールしていた時ですからねえ。

 

     ちなみに、選挙権のほうをみてみると、今年2021年は女性が投票ができる

     ようになって75年なんだそうです。

     https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210410/k10012967761000.html

     「政治分野での日本の男女格差は依然として大きく、世界各国の議員たちで

つくるIPU=列国議会同盟によりますと、各国の議会では女性議員が占める

割合が全体で25%を超え過去最高となる中、日本の衆議院の女性の比率は9.9

193か国のうち166となっています。」

 

https://theworldict.com/rankings/parliament-woman-ratio/

こちらのデータは2020年のものですが、ここでは193カ国の中で

日本は147位となっていますので、2021年は166位へとガクンと

落ちたことになります。

一方で、インドは157位、フィリピンは61位となっています。

 

欧米はどうかというと、7位―スウェーデン、 9位―フィンランド、

13位―ベルギー、 14位―スペイン、 15位―ノルウェー、

17位―ニュージーランド、20位―ポルトガル、ここまでが20位内。

離れて気になる国は、

32位―フランス、 35位―オーストラリア、43位―カナダ、

48位―ドイツ、 OECD平均は50位、 51位―イギリス、

75位―中国、 82位―アメリカ、 アジア平均は117位

129位―韓国、 中東平均は135位、 138位―ロシア、・・・・・

 

女性を差別するというイメージの中東のイスラム諸国の平均でも135位で、

日本は147位ですからねえ。どんな国なんですかね、日本という国は。

 

 

p199

 

50年代からの南インドにおける映画産業と政治の関わり・・・・

それはタミルナードゥを中心に行われたドラヴィダ運動と映画とのつながりである。

・・・それは、最上位カーストであるバラモンによる非バラモンの社会的搾取を打破

しようという非バラモン運動の発展したもので、1916年の「非バラモン宣言」に

よってはじまった。

 

・・・37年マドラス州政府によるヒンディー語教育の導入政策をきっかけに、

非バラモンであるドラヴィダ民族による、北インドのバラモンを中心としたアーリア民族

に対する戦いへと変化していった。

 

・・・人々に知ってもらうための手段として、映画を利用したのである。

・・彼らの映画には「対話」と呼ばれる韻を踏んだタミル語でなされる社会批判

スピーチも採り入れられた。

 

p202

 

67年のアンナードゥライ以降、歴代の首相は全て映画関係者であり、タミルナードゥ

における映画と政治の結びつきがいかに強固なものであったかが理解できよう。

 

==>> インドの歴代の首相が映画関係者であるというのには驚きますが、

     アメリカでもフィリピンでも元映画俳優が大統領というケースもあります

     から、まあ世界を見わたせば割と普通ということでしょうか。

     それに比べると日本は別の意味での普通ということになるのでしょう。

     

     日本人の某映画監督から聞いた話なんですが、アメリカで映画製作の勉強も

     した彼が言うには、ハリウッド映画の内容は、何年か後には現実になるものが

     あるとの話でした。 また、フィリピンの映画界は政治家にかなり近いとの

     話もありました。

     日本ではあまりそういう噂は聞きませんが、金持ちが映画を作るという意味

     では、政界とのつながりが多くなるというのは自然なことかもしれません。

 

     そこで、日本におけるいわゆる「社会派」映画には、どんなものがあるのかを

     こちらのサイトでチェックしてみましょう。

     https://cinema-rank.net/list/31?sub=3001

     ここに挙げられている14作品の解説から判断すると、

     介護問題、医療問題、地域医療、刑事事件、中年男性の孤独、原発誘致、

     医療ミステリー、沖縄米軍問題、裁判と権力、サリン事件報道、誘拐報道、

     占領混血児、ニートとブラック企業、アイヌ民族問題となっています。

 

     確かにこれらは社会問題を扱っていて社会派映画といえると思います。しかし、

     インドの映画を観ていませんからなんとも言えないんですが、これらの日本の

     映画が、インドのように国を二分するような思想的あるいは民族的な大問題

     を直接扱っているかといえば、どうもそこまで重大な題材ではないように

     見えます。 つまり、日本はそれだけ政治が安定している、あるいは宗教観や

国民性が均一化しているということなのかもしれません。

 

p204

 

その第一作がこの「インディラ」であった。

 

この映画は、カースト差別、女性差別という二つの差別を主題にしている。 

・・・スハーシニ監督は、女性を主人公にすることによって、その両差別との戦いに

勝利を呼び込もうとする。 ・・・歌や踊りもとり入れながら、新しい社会への希望を

若い女性に託す、新しいタミル映画である。

 

==>> 私が言いたいのは、上に書いたように政治的な意味では安定しているん

     だけど、女性差別というのはどうなんだろうってことなんです。

     上に「女性を差別するというイメージの中東のイスラム諸国の平均でも

135位で、日本は147位ですからねえ。」と書きました。

193か国中の147位、2021年には166位なんです。

これは日本に男女が半々いると考えた場合、人種問題や民族問題にも

匹敵するほどの大問題なんじゃないかと思えてくるんです。

それが日本では外から言われないと気が付かないほどに麻痺しているって

ことになりそうです。あるいは、気が付かないふりをしているのか。

 

そこで、日本映画の中には、差別問題を扱った映画がどのくらいあるのか

を検索してみました。

「差別問題を描いた日本映画」

https://www.cinematoday.jp/page/A0004053

大島渚は、在日コリアンへの差別問題を長年にわたって提起してきた。」

今井正監督もまた、・・原爆症の少女をヒロインにした『純愛物語』、

在日コリアンの漁師の目を通して日韓問題を描いた『あれが港の灯だ』

・・被差別部落をテーマにしたことで大きな話題を呼んだ映画『橋のない川』」

     「朝鮮学校の女学生と日本人学生との恋を井筒和幸監督が描いた映画

『パッチギ!』」

     「窪塚洋介が在日コリアンの学生を演じた宮藤官九郎脚本、行定勲監督の映画

GO』」

     「崔洋一は、・・・在日コリアンとフィリピン女性との恋をテーマにした映画

『月はどっちに出ている』やビートたけしが在日韓国人の暴力的な父親を

演じた『血と骨』、そして江戸時代の身分階級では最下層とされた身の上の

忍者・カムイを主人公とした『カムイ外伝』」

     「ホームレス襲撃事件が起きる現代。路上生活者の男性に3年間密着して撮り

上げたドキュメンタリー『あしがらさん』 飯田基晴監督」

     「飯田監督は・・東日本大震災で被災した障害者にフォーカスした映画

『逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者』」

     

     

     ・・・これらを見ると、差別問題としては、在日コリアンが多いのですが、

     広島・長崎の原爆症患者、被差別部落、路上生活者、被災障害者なども

     題材になっています。

     在日コリアン問題は、歴史の長さの違いはあるにしても、インドのアーリア系と

     先住民族系との間にある構図と似ていなくもありません。インドの場合は、

     その上に、言語問題や宗教問題が絡んでいるように見えます。

 

p205

 

夫君マニラトナムの話題作「ボンベイ」は、田舎から駆け落ちしてボンベイに出てきた若い

男女の生活を通して、ヒンドゥー・ムスリムの宗教対立を描く。

 

p206

 

アヨーディア事件に端を発したヒンドゥー・ムスリムの対立と暴動を真正面から描いた

作品で、制作過程でいろいろの妨害をうけたらしい。 検閲によって一部変更を余儀なく

されたところはあったようだが、・・・・・

 

p207

 

スハーシニ監督にインタビューしたとき・・・

「インドでは俳優は普通の人にとって大変に身近な存在で、困ったことがあると、親戚

に相談するよりも、俳優のところに助けを求める。」

 

・・・俳優の方でも、それを当然のように面倒をみるらしい。

 

==>> マニラトナムとスハーシニは夫婦で監督、そしてスハーシニは元大女優なんだ

     そうですが、上記のように政治的な映画を作ると同時に、庶民にとっての

     相談相手ということのようです。

     日本でいうならば、まさに政治家のように庶民の相談を受けるということなの

     でしょうか。 もっとも、日本では、庶民の相談を受ける政治家という話は

あまり聞いたことがないんですが・・・

     その意味では、「他人様に迷惑をかけない」という意識レベルは、インドや

     フィリピンとはかなりの差があるように思います。

 

 

=== その6 に続きます ===

 辛島昇著「インド文化入門」を読む ― 6  インドの植民地化、ヒンドゥー教における女性蔑視と女神崇拝 (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

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