辛島昇著「インド文化入門」を読む ― 2 玄奘は見た、カーストの秘密。 あなたはカースト制度を誤解している?

 

辛島昇著「インド文化入門」を読む ― 2 玄奘は見た、カーストの秘密。 あなたはカースト制度を誤解している?

 

 

今回は「インド文化入門」を読んでいます。

 


 

 

 

「3. カーストとは何か ―― その発生と行方」に入ります。

 

p046

 

カーストという言葉が、・・・ヴァルナとジャーティの両方の語に対して用いられ、

そこで混同が起こるからである。

 

・・・バラモンは司祭・宗教階層、クシャトリヤは王族・戦士階層、ヴァイシャは

商人階層、シュードラは隷属階層で、この四つの身分区分をヴァルナと言い、後代の

カーストの基となったものである、といった説明が見られる。

それはそれでいいのだが、・・・・・

 

p047

 

ヴァルナとは元来、「色」を表す語であるが、それが何故身分の区別を表すようになったか

といえば、紀元前1500年くらいにインド亜大陸に進出したアーリア民族が、自分たちの

皮膚の色が白いのに対して、先住民の色が黒かったことから、色によってその区分を表した

ことによっている。

 

==>> 一応日本の教科書などでは「カースト」と呼ばれていて、それが日本では

     一般的な名称になっているんですが、このカースト制度は上記のような

     身分制度だと一言では言えない複雑さがあるんだそうです。

     

     ポルトガル人がインドの社会を観察して、その奇妙な集団を「血統」「種類」

     という意味の「カスタ」と呼んだものが、英語の「カースト」になったそうです

     が、インドではそのことをヴァルナ、ジャーティと別の言葉で呼んでいたので、

     それが混乱の元になったらしい。

 

p049

 

ジャーティとは「生まれ」の意味なのであるが、この集団は基本的に内婚集団、すなわち、

その集団メンバーの中だけでしか結婚しない集団であり、メンバーシップは生まれに

よってのみ与えられるのである。 さて、そのような集団がインドに幾つあるかとなると、

・・・3000あるとも4000あるとも言われる。・・・ヒンドゥー教徒の人口を

八億だとすると、シャーティの平均人口は20万人ということになる。・・・・

 

==>> そして、このジャーティの特徴には、

     内婚をする、 職業と結び付く、上下のランキングがある、地域性がある

     となっていて、ヴァルナとも関係づけられながら、ヴァルナは全インド的

     なのに対して、ジャーティは地方限定で、複雑に入り組んでいるんだそうです。

 

p052

 

ジャーティの上下関係には、穢れの観念が結合していて、その穢れは、身体的接触によって

うつるのであるが、食物の授受、あるいは一緒に食事をとることによってもうつるので

ある。 したがって、上のジャーティの者は、下のジャーティの者と一緒に食事を

したがらない。 

 

p054

 

インドの農村には、ヒンドゥー教徒主体の村の場合、大体20から30くらいの

ジャーティが住みついている。 ジャーティは職業と結び付いているのであるから、

ジャーティの数はほぼ職業の数に一致し、その数が少ないと、村としての生活が成り立た

ないのである。 もっとも、ある職種は隣の村にあればそれで用が足りるといったことも

多いのだが・・・・

 

==>> 上記を読むと、インドの「穢れ」というのは、もっぱら食べる物に関わっている

     ように見えますが、下を読むと「血」なども関係するようです。

 

「穢れ」に関しては、wikipediaでは、

     「穢れの観念は民間信仰はもとより、多数の有力宗教にも見られる。ユダヤ教で

は古くから様々な穢れの観念が事細かに規定され、これは食タブーなどに関し

てイスラム教にも影響を与え、現代でも多くの人々の生活様式に影響を残して

いる。バラモン教の穢れ観念は現代のヒンドゥー教に受け継がれ、また仏教にも

影響を残した。月経や女性を穢れとするのは古代インドの思想とその影響を受

けた仏教由来のものである。」

 

日本においては、

仏教、神道における観念の一つで、不潔・不浄等、理想ではない状態のことで

ある。併せて「罪穢れ」と総称されることが多いが、穢れは死・疫病・出産・

月経、犯罪等によって穢れた状態の人は祭事に携ることや、宮廷においては朝参、

狩猟者・炭焼などでは山に入ることなど、共同体への参加が禁じられた。」

 

神道と仏教で「もっとも異なるのは、死そのものに対する考えで、神道では死や

血を穢れとするが仏教では神道のようには死を穢れとみなさない」

 

 

ジャーティが職業の数を決めていて、それが共同体で欠かすことのできない

職業ということになると、それはその地域での生活を安定的に運営するための

ひとつの知恵だったのかもしれませんね。

近代・現代のように、科学技術によって多くの職種が必要になってからは、

その限定された職種が時代に合わなくなってきているとは思いますが。

 

 

p055

 

七世紀にインドの滞在した玄奘の「大唐西域記」によると、「インドには浄行(バラモン)、

王種(クシャトリヤ)、商売(ヴァイシャ)、農人(シュードラ)という四種姓があり、

それぞれ全く別個な社会集団となっている」とあるが、ここで注目すべきは、シュードラ

が農人とされていることである。

 

・・・アーリア民族と先住民族の間の混血も進み、かつての隷属民シュードラは、農耕民

の中核として成長し、新しい農村社会が築かれるようになってきたのである。

この変化は恐らくジャーティ制度の成立と関連するものであるが、それは同時に、不可触民

制度の出現とも関連したと考えられている。

 

11世紀にインドを訪れたガズニ朝の文人アル・ビルーニーは「インド誌」の中で、

シュードラの下に最下層として、靴作り、猟師、職布工、屠場職人、その他の人びとが

いて、四つのヴァルナに属する人々の住む村や町の外側に住んでいることを述べている。

 

p056

 

カースト制度と言うときは、大枠としてのヴァルナに支えられながらジャーティが重要な

機能を果たしている社会的身分制度であることに注意しておいていただきたい。

 

==>> p046には、シュードラは「隷属階層」と書いてあったものが、ここで

     玄奘さんの旅行記によって「農人」階層ということになっているんですね。

     そして、その昇格に合わせて、新たに「不可触民」という差別が生まれたと

     いうことになりそうです。

    

p057

 

1947年インドが独立すると、カーストに基づく差別は憲法によって禁止されることに

なった。 それまでは、入学願書とか、就職試験の際などにカースト名を書かされていた

のであるが、それが禁止されたのである。 人々がカーストを話題にしなくなったのも、

そのような状況下においてである。

 

==>> この憲法によって、カーストの特徴の内、上下のランキングは消滅しかかり、

     職業も強制的なものではなくなり、地域性も失われてきているそうです。

     しかし、内婚については、まだまだ残っているとの記述があります。

     もちろん憲法で禁止されたことが一番大きいと思いますが、おそらく

     近代・現代の技術革新によって、職業の種類が増え、工場労働者のような

     人たちが地方から都市などへと出て行ったことも、古代からの制度を

     変化させていく要因になったのではないかと思います。

 

     現代の日本を振り返っても、終身雇用や大企業の安定感もほぼなくなり、

     通信手段は電報から電話、そしてスマホになり、職場での仕事の仕方も

     手書きから和文タイプ、そして今はパソコンやスマホの時代ですからねえ。

     戦前は、その当時アジアの中でも一番の好景気だったフィリピン・マニラに、

     日本の若い女性たちがタイピストとして高級な仕事をするために渡ったと

     いう話が残っているくらいですから、職業というのは時代に大きく

     影響され、いまからもさらに変化していくのでしょう。

 

 

 

「4 新聞の求婚広告 ―― バラモン社会の変動」

 

p060

 

インドでは、大きな新聞の日曜版に結婚の相手を求める広告が載る。

・・・独立前からあったことはあったのだが、1960年代から次第に数が増えはじめ、

現在では毎週大体一面全体がそれで埋められる。 多いものでは10頁にも及ぶものが

ある。 

 

==>> ここで「求婚広告における宗教とカーストの内訳」というのが掲載されて

     いまして、宗教別の人数はヒンドゥーが圧倒的に多くて179人、

     カースト別の人数は、 

     バラモン    132

     クシャトリヤ    2

     ヴァイシャ     3

     シュードラ    36

     指定カースト    1

     不明        5

     と書かれています。

     つまり、バラモンという最上階の人たちが相手探しに苦労しているってことに

     なりそうです。

 

p066

 

ヒンドゥー教社会で占星術が日常生活に大きな大きな意味を持っていることはよく

知られているが、結婚に際しても、それは重要な条件の一つとなる。 返事に誕生星

を記してほしいという広告、あるいは、自分の誕生星を記している広告は、それを

物語っている。

 

誕生星の数は全体で27あるが、人は生まれた場所と時間によって、そのどれかの誕生星を

もつことになり、それとその天球上の位置が、その人間の運命を左右することになるので

ある。

 

==>> おやまあ、インドで結婚するのはいろいろと制約があって大変なんですねえ。

     古代からの文化や宗教やら制度やら慣習やらと、伝統的なものがあるという

     のは外から見ているぶんには興味深くて面白いんですが、その中に住んでいる

     人たちにとっては、なんともやりきれない思いもあるんじゃないかと思います。

 

     私自身は、なんとなく日本社会の息苦しさを感じて、過去15年もフィリピンで

     生活してきたんですが、外国で生活するとよそ者であるという寂しさも少し

     ありながら、それ以上によそ者だから許されるという解放感もあって、

     自分が好きな事、やりたい事をやれるという環境が作れます。

     もっとも、日本の経済力があってこそそれが可能になるという前提も忘れて

     はいけませんが。

 

 

「5 インダス文字の謎 ―― コンピューターによる解読」

 

p076

 

インダス文字は、未だに解読されていない世界の文字の中では、恐らく最も重要なもので

あろう。 文字が刻まれている遺物の主なものは凍石製の印章で、そのハラッパー遺跡

からの発見は十九世紀にさかのぼるが、それが脚光を浴びるようになったのは、1920年

代のモエンジョ・ダーロの発掘によって、 インダス文明(ハラッパー文化とも表現される)

がインド亜大陸に独自の古代文明であることが認識されるようになってからのことである。

 

p084

 

これらの文法的特徴に合致する言語として、彼らはドラヴィダ語を挙げる。 他に候補と

して挙げられる諸言語のうち、インド・アーリア語、 ムンダー語は、・・否定され、

シュメル語、フルリ語、エラム語など西アジア諸言語の場合は、・・・によって否定される

のである。

 

p086

 

(フィンランドの)彼らもまた、「判じ絵」解きの手法を多用して個々の文字を解釈して

いて、ソヴィエト・チームと同様に星の重要性を中心に据え、インダス文明の神々と

後代ヒンドゥー教の神々を結び付けようとしている

 

==>> インダス文字についての概要はこちらでサクッとチェックしましょう。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%B9%E6%96%87%E5%AD%97-818888

     「インダス文明に用いられた文字。400種近くの文字が知られている。ロシア

連邦、北ヨーロッパ、インドのチームがコンピュータを用いて解読作業を進行中

であるが、まだ解読されていない。おそらくは音標文字に近いものであったと

思われ、その言語は原ドラビダ系と推定される。」

 

・・・ここで何故このインダス文字の解明が重要なのかといえば、

この後にいろいろ出てくるんですが、さまざまな歴史的記録を探ろうと

すれば、この文字を解読しないと前に進めないという事情があるようです。

 

     ところで、話は日本に飛びますが、一部では「神代文字」というのが古代の日本

     にはあったのだという説がありますね。

     それをチラッと紹介しているYOUTUBEがありましたので、興味のある方は

     どうぞ。(ちょっとおふざけ気味の動画ですが・・・)

     もし、このような話が本当だとしたら、それこそ日本の歴史はガラッと変わって

     しまうでしょうから、上記のインダス文字の解読がいかに重要かが分るという

     ものですね。

     「古代文字「神代文字」は白村江の敗戦で抹消された!?古代都市伝説編」

     https://www.youtube.com/watch?v=H1hu9LGjUuM&t=450s

 

いっぽう、コトバンクには以下のような解説があります。

https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%AD%97-82200

     「漢字の渡来および〈かな〉の成立に先だって,上古の日本にかつて行われた

と称せられる文字。〈神字〉と書いて,〈かんな〉とも呼ぶ。そのような固有の

文字が存在したとする説は,おそくとも室町時代から神道家の間にひろまって

おり,江戸時代においては,平田篤胤をはじめ国学者のうちに,その存在を主張

する者が少なくなかった。一方,伴信友のように,それを否定する者もあって,

議論が沸いたが,明治になって後は,学者としてその存在を信ずるものは

ほとんど影をひそめるにいたった。」

 

 

次回は、この文字の問題がどのようにインドの歴史発掘に重要なのかが語られて

いきます。 「6 石造ヒンドゥー寺院壁の刻文 ― 王朝史・社会史を解く」

 

 

=== その3 に続きます ===

 辛島昇著「インド文化入門」を読む ― 3 不可触民アンベードカルの闘いと新仏教、 「梵我一如」と大日如来 (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

===============================

コメント

このブログの人気の投稿

ホテルでクレーマーになってしまう私 草津温泉と伊香保温泉・湯治旅

埼玉県・芝川サイクリングコース、荒川・芝川水門から大宮公園・氷川神社までの橋をすべて?撮影してみた

2023年を 自作の狂歌で 振り返ってみる ー 妻の病気とフィリピン・バギオからの帰国