大角修 訳・解説「法華経」を読む ― 4 西方浄土の阿弥陀様の他は どうなってんの? 智勝如来の弟子、十六人の菩薩
大角修 訳・解説「法華経」を読む ― 4 西方浄土の阿弥陀様の他は どうなってんの? 智勝如来の弟子、十六人の菩薩
大角修 訳・解説「法華経」「無量義経・妙法蓮華経・観普賢経」を読んでいます。
すべて現代語訳になっています。
p110
わたしの弟子スプーティ(須菩提)は未来に三百万臆の仏に見えて浄く修行し、みずから
作仏(仏になること)します。 その仏の名は名相如来(月の光)・・・・人々は宝玉の
楼閣に暮らし、修行者たちは千万億を無限に倍したほど多く出現します。
==>> 毎度の壮大な数が次々に出てきます。 三百万臆、千万臆x無限、
つまりは修行者が無限に出てくるという話ですね。
ちなみに、話は最先端の宇宙物理学のぶっとんだ多宇宙論の仮説になり
ますが、ある人間の身体はある一定の数の素粒子で出来ているとして、
無限の数の素粒子が、無限の数の宇宙にあると前提すれば、
ある人間の身体を構成する素粒子の同じ組み合わせは無限にある筈だって
ことになるので、このインド人の発想は必ずしも馬鹿げたことだとは
言えないってことになりそうです。
ちなみに、wikipediaによれば、「無限」の歴史について、以下の記述が
あります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E9%99%90
「紀元前400年から西暦200年頃にかけてのインド数学では、膨大な数の概念
を扱っていたジャイナ教の学者たちが早くから無限に関心をもった。教典の
一つである「スーリヤ・プラジュニャプティ」(Surya Prajnapti)では、すべて
の数は可算、不可算、無限の3種類に分類できるとしている。」
p122
・・・上方五百万億の諸梵天の王が智勝如来のもとに来て天の花々を降らし、仏を讃え
ました。・・・
・・・「過去無量の劫は空しく過ぎて仏を見ず、十方は闇に沈めり。 地獄・飢餓・畜生の
三悪道は増長し、修羅道も盛んにして、天の聖衆(天人たち)であれ死せば悪道に墜ち、
天衆は次第に減ぜり」
「願わくば、この功徳をもって、あまねく一切におよぼし、我らと衆生と皆ともに
仏道を成じさせたまえ」(この文は日本の各宗で勤行の回向文にもちいられる)
==>> おやおや、天人であっても悪道に落ちて、天の人口が減ってしまったようです。
極楽往生が出来たとしてもうかうかしていられませんね。
後段の「願わくば・・・」という言葉は、私も我が市の錫杖寺で行われて
いる阿字観会(月輪観と阿字観をする瞑想会)や写経会で毎度唱えています。
勤行には般若心経も入っていますので、それも一緒に唱えます。
p127
智勝如来の弟子であった十六人の菩薩は、今みな無上のさとりを得て仏となり、現在は
八方の国土において法を説いています。
そのうちの二人は東方にあります。 歓喜国に在す阿閦仏(あしゅくぶつ)と須弥頂仏
(しゅみちょうぶつ)です。
p128
そのほか、西方の阿弥陀仏など、各方角において次々に仏となり、・・・・
その十六番目の仏が、われ釈迦牟尼仏です。 私は、この娑婆世界において無上のさとりを
得ました。
・・・妙法蓮華経をもって、この人々を順次に至高の仏道に導きます。なぜなら、如来の
智慧は難信難解であり、段階を経なければ信じることも理解することもできないからです。
==>> へえ~、お釈迦様の師匠は智勝如来だったんですねえ。
西の阿弥陀様の名はよくききますが、東のお二人の名は私は初めて知りました。
しかし、それにしても、ここでもまた、「如来の智慧は難信難解であり、段階を
経なければ信じることも理解することもできない」だそうです。
法然さんが「法華経は凡夫には無理だ」と言ったのも納得です。
p128
比丘たちよ、如来は人々が清浄となって信解ゆるがず、とらわれのない空において心を
定めたと知るならば、すべての菩薩たちと、あらゆる声聞たちを招集して妙法蓮華経を
説くのです。
p132
しかし、はじめから一仏乗を説けば、人々は「仏道ははるかに遠い」とあきらめて、
その道を進もうとしません。 仏は人々の心が弱く、気後れして貧しいところになじむ
のを知り、方便の力をもって、生死の道の中途に休息の場をつくりました。
いわゆる涅槃(煩悩を滅した境地)にも段階を設けたのです。
==>> 「人々が清浄となって信解ゆるがず、とらわれのない空において心を定めた」
ときになって、やっと法華経を教えてもらえるんだそうです。
私のような疑い深くて信仰心のない輩は死んでも無理みたいです。
おまけに、段階を設けたなんて、困ってしまうなあ。
サラリーマンの出世競争みたいで嫌だなあ・・・・
p133
四諦と十二因縁
智勝如来の説法にある四諦の諦の原語「サティヤ」は真理・真実という意味である。
苦・集・滅・道の四項目をいうのだが、言葉の意味は理解できても、その境地に達する
ことは容易ではない。
p134
十二因縁は、縁起を十二項目にまとめたもので、事物の因・縁・果の連鎖、または人生の
十二段階と解釈されている。
==>> これらについては、仏教の本にはたくさん書いてありますので、
パスします。
p135
平安末期に法然(1133~1212年)が浄土宗をひらいた。 法然は法華信仰を
否定したわけではなく、末法の日本では口に念仏をとなえる専修念仏以外に救いはない
という。 末法とは釈迦の滅後、・・・・教えはあってもまともに修行できなくなる
時期で、一万年もつづくという。
・・・阿弥陀仏の四十八願には「自分が仏となる以上は、我が国(極楽)に生まれたい
と願って、乃至十念(一回から十回の念仏でも)すれば、必ず生まれるようにしよう」と
ある。 ・・・観無量寿経には、「五逆十悪の愚人でも南無阿弥陀仏と称せば、一念を
となえるごとに八十億劫の生死の罪を除く」・・・とあるなど、どんな悪人でも
極楽に迎えられると説かれている。
p136
それにたいして日蓮は・・・・法然の専修念仏は法華経への帰依をさまたげて無間地獄
に人を堕とすと批判した。 しかし、化城喩品に阿弥陀仏が西方の仏として登場する
ように、法華経そのものは阿弥陀仏を排除していない。 日本では平安時代に法華信仰
と浄土信仰は一体のものとして発展した。
==>> ここでは日蓮と法然の論争を述べています。
もともと生身のお釈迦さんは経典みたいなものは作らなかったわけで、
死後何百年もの間に大乗仏教のさまざまな経典が出て来たわけですね。
そして、その多くの経典を読んで、その中でこの経典が一番いいなというものを
それぞれの読者である僧が、いわば自分にとって都合のよいことを書いてある
経典ということで、選んでいるんですね。
ですから、宗派の違いというのは、私が好きな愛読書はこれですという人たち
のグループの違いほどのことではないかと思います。
いうならば、三島由紀夫か川端康成か、はたまた村上春樹かカズオ・イシグロか
というぐらいの、どの作品が自分の好みかってことですかね。
「宗教は虚構だ」とか「神は妄想だ」とか言われると、それもそうだなと
分ってはいるのに、お互いにその妄想を命ほどに信じて、それで誹謗中傷したり
血を流したりするっていうんですから、人間とは本当に不思議な生きものです。
p137
比叡山は最澄が法華一乗の寺として延暦寺(天台宗総本山)をひらいた霊場だが、
平安時代には諸宗兼学の道場として発展した。
・・・源信は「往生要集」を実践するために・・・念仏会を営んだ。 午前中は法華経
を誦し、午後から念仏を始める。 その念仏は「南無阿弥陀仏」だけではない。
==>> 比叡山延暦寺はいわゆる仏教の総合大学ですから、親鸞の師である法然も
この総合大学で天台宗などを学んでいるんですが、その法然の師が誰かと
言えば、wikipediaによれば、「師(叡空)から法然の号を授けられた」と
ありますから、叡空さんということになりそうです。
Wikipediaによれば:
「叡空(えいくう、生年不詳 - 治承3年4月2日(1179年5月10日))は
平安時代後期の天台宗の僧。」
「良忍から大乗戒をうけて密教・浄土教を学び・・・・1150年(久安6年)に
は浄土宗の祖法然が入門し、天台教学・浄土教学を指導し、大乗戒を授けている。」
そして、その良忍といえば、
「良忍(りょうにん、延久5年1月1日(1073年2月10日)? - 天承2年
2月1日(1132年2月19日))は、平安時代後期の天台宗の僧で、融通念仏宗
の開祖。」
で、延暦寺を開いた最澄さんは:
「最澄(さいちょう766年〈天平神護2年〉もしくは767年〈神護景雲元年〉
- 822年〈弘仁13年〉)は、平安時代初期の日本の仏教僧[2][3]。日本の天台宗
の開祖であり・・・」
・・・ということで、なかなか最澄さんから法然さんまでの師弟関係を辿る
のは無理みたいです。
一方の日蓮さんですが、wikipediaでは:
「清澄寺にはこれらの疑問に答えを示せる学匠がいなかったので、日蓮は既存
の宗派の教義に盲従せず、自身で経典に取り組み、経典を基準にして主体的な
思索を続けた。」
「遊学の中心は延暦寺で、滞在したのは比叡山横川の寂光院と伝えられる。
比叡山での研鑽の結果、日蓮は「阿闍梨」の称号を得ている。比叡山で日蓮は、
妙法蓮華経(法華経)を中心とする文献的な学問と、いわゆる天台本覚思想を
学んでいる。恵心流の碩学・俊範を比叡山における日蓮の師とする説もあるが、
日蓮は俊範から学んだとは述べておらず、実際には俊範の講義に参加していた
程度と考えられている。」
・・・これを読むかぎり、日蓮さんは、かなり独学者のタイプのようですね。
一応比叡山延暦寺でも学んでいるようですが、今でいうなら聴講生のような
感じでしょうか。
p146
釈迦の滅後まもなく、その教えを唱えあって確認する仏典結集という集会が催されたとき
に五百人の比丘が集まったと伝えられている。 経典で多数の比丘の数はしばしば五百
と表現され、それが野仏としても親しまれている五百羅漢の由来ともなった。
・・・アルハット(阿羅漢)は供物をうけるにふさわしい尊者のことで、応供とも訳され
仏の尊称の一つである。
==>> いわゆる原始仏教とか初期仏教とか言われているものの年代をここで
確認しておきます。
Wikipediaによれば:
「仏教は、約2500年前(紀元前5世紀)に釈迦が、インド北部ガンジス川中流
域のブッダガヤで悟りを開き、サールナートで初転法輪(初説法)を行ったこと
に起源が求められている。」
「多数ある経典の中で最も古いとされている『スッタニパータ』の中には、
ゴータマ・シッダッタが語ったとされる初期の言葉が伝えられている。」
「伝承されてきた教えがはじめて文字として保存されるようになったのは、
前一世紀頃だといわれている。入滅は前383年と考えられているので、
ゴーダマ・シッダッタの死から200年以上は文字としての経典は成立して
いなかったことになる。」
・・・仏教で一番古い、お釈迦さんの言葉に一番近い経典は何なのかと
いうことで、「スッタニパータ」を以前読んだのですが、他にも阿含経が
あるよというインターネット上の情報もあるので、一応こんな本も買って
みました。
しかし、この「初期仏教」の本はさまざまな角度から初期仏教を解説して
いる本なので、阿含経そのものの本がないかと思っていろいろ検索しましたが、
全部読むとなると3巻とか5巻ぐらいの膨大な量になりそうなので、
「阿含経入門」という本をちらっと覗いてみることにしました。
こちらのサイトには、阿含経とスッタニパータのことが少しかかれていました。
https://kosonji.com/buddhismepisode/sb3.html
「阿含(あごん)というのはアーガマの音写で、
パーリ語やサンスクリット語
で「伝承された教説」という意味です。
その名の通り、お釈迦さんの直説とみなされる経典が数多く含まれています。
お釈迦さんの言葉に最も近いとされ、近年の仏教研究の進展により、日本でも
注目されるようになりました。」
「原始仏教経典の中でも最古のお経と言われています。
スッタ(sutta)は「たていと」、つまり「経」の事を意味し、ニパータ(nipata)は
「集成」を意味します。
「経の集成」という名の通り、お釈迦さんと弟子達の会話が綴られた70余りの
小さな経が集めたものです。」
ちなみに、私がかなり前に読んだスッタニパータの感想はこちらです:
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/08/post-4c5c.html
== その5 に続きます ==
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