大角修 訳・解説「法華経」を読む ― 2 初七日などの法要もバラモンの葬送儀礼を起源とする

  

大角修 訳・解説「法華経」を読む ― 2 初七日などの法要もバラモンの葬送儀礼を起源とする

  

大角修 訳・解説「法華経」「無量義経・妙法蓮華経・観普賢経」を読んでいます。

すべて現代語訳になっています。

 


  

p26

 

世尊は語りました。「この経は諸仏の室宅の中から現出して一切衆生の発菩提心(さとり

をもとめる心)に至り、菩薩のおこないの中にある」と。

そして、この経には十の功徳(未来の幸せにつながる善)の力があると説示されたので

ございます。

 

・・・第六に、この経典を受持し読誦するならば一切の苦を断ずることができます。

 

==>> 上の言葉を主語と述語だけにしてしまうと「この経は・・ある」となり、

     どこにあるかと言えば「菩薩のおこないの中に」ということになります。

     だから、なんらかの行為の中にあるってことですね。

     そして、「この経典を読誦するならば」ということですから、「法華経」を

     読めば、「一切の苦を断ずる」ことができるのだ、と言っているわけです。

     要するに、読経をすることが必要であるってことになりそうです。

     

     ここで、やっとプロローグを終わりました。

     今から第一章に入ります。

 

 

p31

 

このように、わたしは聞いております。

そのとき世尊は、・・・霊峰グリドラクータ(霊鷲山)に一万二千人の比丘(僧)とともに

ありました。

 

いまだ修学中の者と学を修め終えた者は二千人がおりました。 かつてシャーキャ国の

王妃であった世尊の養母ら六千人のほか、世尊が王子であったころの妃、世尊の子の

ラーフラ(羅睺羅)の母ヤショーダラーら、今は尼僧である女性たちも数多く世尊のもとに

ありました。

 

p32

 

天界を統べる神々の帝王インドラ(帝釈天)は、その眷属二万の神群を引き連れて霊鷲山

の集会に参じておりました。 月の精霊チャンドラー・・・天の大将軍・四天王

地上の支配者にして吉祥なる大神シヴァ(自在天)・・・世の創造者にして世界の主神たる

ブラフマー(梵天)・・・  反逆の大神にして魔界を率いるアスラ(阿修羅)の諸王も

・・・天翔ける神鳥ガルダ(迦楼羅)・・・そして、霊鷲山が位置する大国マガダの王

アジャータシャトゥル(阿闍世)が幾百千の臣下を従え、集会に参じております。

 

==>> これはお釈迦様の説法を聞くための集会に集まってきた人々と神々のことが

     紹介されている部分です。

     それにしても、神々の帝王から魔界の阿修羅までとは、びっくりですね。

     こんな集会は仏教ならではって感じなんじゃないでしょうか。

     元々はバラモン教の神々なのでしょうが。

     (解説には、インド神話の神々・・・と書いてあります。)

 

     ところで、この集会には、上座仏教ではご法度であった女性たち

     大勢参加していることが書かれています。

 

     釈迦が生きていた時代に尼僧がいたのかどうかがちょっと疑問なんですが、

     原始仏教の「ブッダのことば(スッタニパータ)」にはこんなことが書かれて

     いました。

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/02/post-4878.html

 

    「ー 尼僧が登場しない。 西紀前300年ころにインドに来たギリシャ人

 メガステネースは、尼僧に言及しているから、当然それ以前の時期の段階を

示している。」

少なくとも紀元前300年ごろには尼僧はいたらしい。

しかし、スッタニパータの中では尼僧のことは書かれていない

サンスクリット語の法華経(妙法蓮華経)は「紀元前後,インドで成立したと

される。」とあるだけです。

釈迦は、「生没年不詳。紀元前463―383年説と、前565―485年説がある」

とされていますから、ギリシャ人がインドに来たのは釈迦が亡くなった後と

いうことになりそうです。

つまり、法華経に出てくる尼僧は、スッタニパータの釈迦が生きていた時代には

居なかった可能性が高いですね。

 

 

p33

 

その経典の名は、大乗経の無量義(無量義経)といいます。遠く奥深い意義をふくんで

菩薩の道をゆく求法者たちを導く教えであり、諸仏に護念せられた経典です。

 

世尊は、この経典を説き終えると‥‥深い瞑想に入り・・・

 

・・・天界の花々が降り注ぎ、・・・・神々と聖霊たちも、人も人以外の生きものも、

・・・一心に世尊を仰ぎ見ました。

 

すると世尊は、眉間の白毫(巻き毛)から光を放って、東方の一万八千の世界をくっきりと

浮かび上がらせました。 下はもっとも深い地獄の底から上は至高の天界にいたるまで、

くもりなく照らしだされたのです。 人々は、その光のなかに六道輪廻のあらゆる世界を

見ることができました。

 

==>> お釈迦様の凄さが描かれているんですが、インド人の発想は本当に奇想天外、

     荒唐無稽というのか、実にぶっとんでいると思います。

     見方をちょっと変えると、最先端宇宙物理学の多宇宙論みたいな凄さもある

     と思います。

     その意味では、六道輪廻なんていうのは、もしかしたら宇宙の85%を占める

     と言われている暗黒物質(ダークマター)の宇宙のことかもしれません。

 

p38

 

遠い過去の世に、日月燈明(太陽と月の灯火)という仏があり、・・・・

・・・

かの仏は、声聞を求める者、すなわち説き示された法則を頼りに聖者の道をゆく修行者

たちには、苦を脱する四つの真理である四諦を説きました。

 

辟支仏(びゃくしぶつ)、すなわち縁起の法則を頼りに孤高の道をゆく縁覚の修行者たち

には、すべては縁起による現象であり、そこには十二の要素があることを十二因縁の法

によって示しました。

 

常に人々と共に歩もうと志して菩薩の道をゆく求法者たちに対しては、布施・智慧などの

六種の完成すなわち六波羅蜜を標章として無上のさとりに導き、真実を見通す智慧を

授けました。

 

==>> ここでは、修行者を3つに区分して、どのような法を修するべきかを

     日月燈明という仏が説いたということになっています。

     この声聞、縁覚、菩薩について、空海さんはどのように解釈していたのかが、

     空海著の「般若心経秘鍵」に書かれていました。

     それによれば:

 

     「空海: 般若心経秘鍵」加藤精一編

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2021/02/post-079f26.html

 

     「第4段階:唯蘊無我心(ゆいうんむがしん)

      …声聞乗(固体の実在を否定してやっと無我を知る)

5段階:拔業大乗心(ばつごうだいじょうしん)

      …縁覚乗(根源的無知からただ一人だけで開放される)

6段階:他縁大乗心(たえんだいじょうしん)

 …法相宗、インド唯識派(他者の救済を知る大悲の自覚菩薩道の発生)」

 

・・・つまり、「秘密曼荼羅十住心論」の十段階の中での位置づけでは、

中間に位置する段階ということに解されています。

私などは、言うのもおこがましいのですが、敢えて自分がどの段階かを

考えてみると、せいぜい第3段階か第4段階レベルなんじゃないかと思います。

 

ところで、「日月燈明(太陽と月の灯火)という仏」って何者?

https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%88%E7%81%AF%E6%98%8E%E4%BB%8F-592025

「過去世にあって、釈迦以前に法華経を説いた仏の名。法華経によると、同名の

仏二万が相継いでこの経を説いたという。〔法華経‐序品〕」

・・・と書いてあります。

そして、今読んでいる本にも、この初代の日月燈明仏が入滅すると、何度も

入滅・誕生を繰り返して、同じ名前の仏さんが2万人も後を継ぐように

現れたと書いてあるんですねえ。 仮に一代が50歳としたら、100万年も

同じ名前の仏さんが出ては消え、消えては出たというお話です。

インド人は、妄想も宇宙規模でございます。

 

 

p40

 

そうして日月燈明仏は妙法蓮華経を説き終えると、神々と人々に告げました。

「諸法の実相は、すでに語った。私は今夜、入滅して、完全な涅槃に入るであろう。

皆は一心に精進して放逸を離れよ。 仏に会うことは難しく、億劫の時に一度という

ほどなのだから

神々も人々も入滅の予告を聞いて悲しみ、心に悩みをいだきました。

 

==>> 「億劫の時に一度」ですからねえ・・・

     と言いながら「劫」って何?

     https://kotobank.jp/word/%E5%8A%AB-61344

     「仏語。きわめて長い時間。一般に、雑阿含経の説くところに従って、天人

方一由旬(四十里)の大石を薄衣で百年に一度払い、石は摩滅しても終わらない

長い時間といい、また、方四十里の城にケシを満たして、百年に一度、一粒ずつ

とり去りケシはなくなっても終わらない長い時間という。」

「 《〈梵〉kalpaの音写「劫波」の略。「ごう」とも》仏語。きわめて長い時間。

古代インドにおける時間の単位のうち、最長のもの。」

 

・・・つまり、無限に近く「会えません」ということですね。

 

 

p41

 

日月燈明仏の入滅ののちは、妙光菩薩が妙法蓮華経を保持し、八十小劫にわたって説き広め

ました。 

 

p42

 

弥勒よ あなたは知らねばなりません。

かの妙光こそ、過去の世の私でした。 そして求名は、あなただったのです。 あなたは

過去に多くの仏のもとにあり、今は世尊のもとにあって教えを受け、未来には仏になって

弥勒仏と呼ばれるでしょう

 

==>> これは、文殊菩薩が弥勒菩薩に語っているという形になっています。

     仏さんたちの名前はけっこうころころと変わるみたいですから、丹念に

     相関図を描かないとわけが分かりません。

 

 

p44

 

六道輪廻

初七日や四十九日の法要もバラモンの葬送儀礼を起源とし、もとは七日ごと七週間の

御霊送りであった。

仏教はバラモン教の支配的な時代に誕生したが、神々の国(天界)でも苦しみから脱し

きれていないとして、さらに上位に仏の世界(仏界)をおいた。 そして仏は数多くあり、

神々と同様にそれぞれの領国をもっているとされるようになった。

それを「仏国土」といい、清らかな幸いの国であることから「浄土」という。

 

==>> へえ~~、バラモン教からきたんですか。

      


      2021年5月25日撮影 曹洞宗 興禅院 十三仏

 

     地元にある曹洞宗・興禅院に十三仏を拝みに行ってみたんです。

     

     十三仏信仰というのがあるそうでして、下のような解説のサイトがありました。

     https://www.e-butsuji.jp/butsuji1-1.html

     「仏教では輪廻転生(りんねてんしょう)という考え方があり、命日から四十九

日の間に、故人が次に生まれ変わる世界(来世)が決まるとされています。

・・・・この間故人は七日ごとに、生前の行いに対して閻魔大王をはじめとする

十王からお裁きを受けるとされています。」

「十三仏は初七日から三十三回忌までの合わせて十三回の法要の守護仏です。

故人は十三の仏様に守られて極楽浄土に導かれ成仏するとされています。

十三仏は、

初七日 不動明王(ふどうみょうおう)、

二七日 釈迦如来(しゃかにょらい)、

三七日 文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、

四七日 普賢菩薩(ふげんぼさつ)、

五七日 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)、

六七日 弥勒菩薩(みろくぼさつ)、

七七日 薬師如来(やくしにょらい)、

百カ日 観音菩薩(かんのんぼさつ)、

一周忌 勢至菩薩(せいしぼさつ)、

三回忌 阿弥陀如来(あみだにょらい)、

七回忌 阿閃如来(あしゅくにょらい)、

十三回忌 大日如来(だいにちにょらい)、

三十三回忌 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ) です。

 

     ・・・つまり、十三仏というのは死んだ人の弁護士役みたいなものですね。

     閻魔さんなどの十王と呼ばれる裁判官がいて、13人の仏様が、極楽浄土に

送ってやろうと弁護をしてくれるみたいです。

     Wikipediaによれば、裁判は通常7回で、それで決まらないと追加で3回

     これを十王が担当するらしい。

     それを超えて裁判がある時は、さらに追加で3人の王が構えていて、

     合計で13人の王になり、それに十三仏が対応するってことのようです。

     この最後の追加の3人の王っていうのは最高裁ですかねえ・・・・

     それにしても、こんなに裁判が多いと、うかつに死ねないですね。

 

p45

 

釈迦が眉間から光を放って六道輪廻のさまざまな世界を見せたのだが、東方に光を放った

のは、十方と総称される全方角の最初に東方をあげる通例による。 以下の西方・南方・

北方などは省略されているのだが、ここで東方だけ記されていることは東海の日本が

仏法有縁の地(仏教がひろまる国)とされる典拠になった。

 

==>> この仏教の宇宙観がどうなっているのかを絵にしているサイトがありました

     ので、こちらのリンクからどうぞ。

     http://butsuzoua.blogspot.com/2014/06/blog-post.html

     「須弥山世界の図」というのをクリックすれば大きくなります。

 

     こちらのサイトでは、「倶舎論」に基づいて正確に描いたという絵があります

     http://tobifudo.jp/newmon/betusekai/uchu2.html

     

     まあ、それにしても、こういう世界というか宇宙が無限にあるというんです

     から、西欧の宗教とはとんでもなく違う宇宙を作りだしたもんです。

 

p46

 

弥勒菩薩は天空の兜率天にいて、五十六億七千万年後に弥勒仏として世に現れるという。

兜率天は次に仏となるべき者が住む世界で、釈尊も前世には兜率天に生まれたと伝えられ

ている。 ところが法華経では、弥勒菩薩が地上の修行者の群れに混じっている。

しかも、名利に執着して大切な経文さえ忘れてしまう者であったという。

 

法華経でも弥勒菩薩は「未来に弥勒仏になる」と語られているが、それはこれから無数の

仏のもとで修行してからであるというところに、一つの大きな特色がある。

 

==>> 人類は今後2~3百年で滅びるなんて話も出ていることだし、

     やっぱり仏様たちは人類のことだけを考えているわけじゃなさそうですね。

     猿人が400万年ぐらい前、旧人類が40万年くらい前、現生人類が20万年

     くらい前だそうですからねえ・・・

     我々の宇宙がビッグバンで生まれたのが137億年前、地球ができたのが

46億年前だそうですからねえ。

     やっぱり、仏様ってのは、最先端宇宙物理学でいう多宇宙論を前提にした

     空前絶後のインド人の物語ですねえ。

     言い換えれば、リチャード・ドーキンスさんの「神は妄想である」、あるいは、

     「サピエンス全史」を書いたユヴァル・ノア・ハラリさんが言うところの

     「虚構」(フィクション)ってやつですね。

     

     ハラリさんの本の内容をてっとり早く知りたい方は、こちらでどうぞ:

    【サピエンス全史②】〜貨幣も国家も宗教もこの世界は全てフィクションである

     https://www.youtube.com/watch?v=vEyOTqbio00&t=22s

 

p47

 

仏の智慧は深く、その智慧の門は、入ることも信じることも難しいものです。

その智慧は、自己の平安を求めて声聞・縁覚の道をゆく者が知るところではありません

なぜなら、諸仏はそれぞれ、過去の世において百千万億の無数の仏のもとで道を修し、

つとめはげんで、その名をあまねく知られるようになった者です。 深遠なダルマの成就

に到達した諸仏の言葉は、人それぞれの性格と境遇に応じて発せられます。ですから、

真理から遠いところにいる人々は、仏の言葉の真意をつかみとることが難しいのです。

 

p49

 

よく修行に励んで迷いを滅ぼした声聞・縁覚の阿羅漢で来世には仏に成ろうという者でも、

法の深遠を知ることは出来ません。 かれらが阿羅漢の聖者の境地に達して、その数が

諸方の国々で藪の竹のように多くなったとしても、だれ一人として、仏の真実を理解

できる者はいません。

 

==>> おお、なんと。 こんなことを言われてしまうと、一気にやる気を無くし

     ますよね。法然さんが、なぜ我々凡夫には無理だと言ったのかが、ここで

     推察できるというものです。

     その1の最初にも書いたことですが、法然さんが言ったことは下のような

     ことでした:

 

     https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2021/08/blog-post_25.html

     「p211

法然はここで、「法華経」によって仏になることができるとしている。一応は

「法華経」の価値を認めているわけである。 ところが、自分たちの能力は、

この経典を理解するまでには至っていないとする。 「法華経」は、あくまで

菩薩や声聞のためのもので、自分たち凡夫ではとても理解が及ばない。・・・

凡夫のものではないと解釈しているわけである。」

 

 

p50

 

わたしは、声聞と縁覚の道を求める者には、その人にふさわしく説いて苦に縛られた

ところから救いだし、聖者の平安に到達させました。 方便の力をもって三乗の教えを

説いたのは、人々が離れられずにいる苦しみから引き出すためでした。

 

==>> ここで「方便」という言葉がでてきました。

     そして、「三乗」という言葉もあります。

     https://kotobank.jp/word/%E6%96%B9%E4%BE%BF-132435

     「仏語。仏教で、下根(げこん)の衆生を真の教えに導くために用いる便宜的な

手段。また、その手段を用いること。法便。」

 

https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E4%B9%97-70827

「「三つの乗り物」の意を表す。

大乗仏教ではそれに声聞(しょうもん)(仏弟子の乗り物)、縁覚(えんがく)

(ひとりで悟った者の乗り物)、菩薩(ぼさつ)(大乗の求道(ぐどう)者の

乗り物)の三つがあるとする。」

「初期大乗経典の『法華経(ほけきょう)』では、三乗は一乗(仏乗、一仏乗とも

いう)に導くための方便であり、真実なる一乗によってすべてのものが等しく

仏になると説いている。」

 

・・・とりあえず、ここでは方便である三乗について書いてあるのですが、

おそらくこの法華経の最後では、「一乗」ということを説いていくことに

なるのでしょうね。

 

 

== その3 に続きます ==

 大角修 訳・解説「法華経」を読む ― 3 法華経は凡夫には理解できない? 教えるの教えないの? 結局一乗なんだけど・・・ (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

 

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