橋爪x大澤x宮台 「おどろきの中国」 を読む ―5― 中国は毛沢東だけが残る、天と天子だけが残るシステム

橋爪x大澤x宮台 「おどろきの中国」 を読む ―5― 中国は毛沢東だけが残る、天と天子だけが残るシステム

 

 

第2部の「7 毛沢東は伝統中国の皇帝か」に入ります。

 


 

 

p148

 

毛沢東は、どう考えてもかなりたくさんの失政を行なっていますよね。 その失敗の

度合いも、半端ではない。

しかも、ヒトラーなんかだと、とてつもなく誤ったことを行なっているのですが、

側近たちは彼に帰依していました。

しかし、毛沢東の場合、身近にいた者ほど、毛沢東が誤ったことをやっているこど、

愚かなことを成し遂げようとしていることに気づいていたと思う。

また、彼らは、毛沢東が道徳的にもいかがわしく、人格的にも尊敬に値しないと

感じていたのではないか。

 

粛清されてしまった彭徳懐や劉少奇は、まちがいなく、毛沢東をそのように見ていた。

 

p149

 

周恩来は、毛沢東の周辺グループにあって、めずらしく最後まで失脚しなかった

けれども、彼こそ、毛沢東が間違っていることを最もはっきりと自覚していた

はずです。 もちろん、毛沢東の死の間際に復活した鄧小平だって、同じです。

 

==>> こういう話は初めて読んだので、非常に驚きです。

     そして、そういう毛沢東が40年ぐらいも、共産党を動かしていたというのが、

     さらなる驚きです。

     そして、今の中国のトップは、そのような毛沢東を復活させるような

     方向性にあるらしい。

 

     習近平の「毛沢東回帰」変革をめぐってネット上で奇妙な攻防

     https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66866

     「李光満は、昨年(2020年)のフィンテック企業アントグループの上場停止

事件からエンタメ芸能界規制強化に至るまでの一連の政策は「まさに革命、社会

主義の本質への回帰」だと論評。この文章が、人民日報、新華社、環球時報を

含む中国主要紙の電子版に一斉に転載された。」

 

習近平が目指しているのは改革開放からの逆走路線であり、毛沢東回帰、社会

主義の初心への回帰であり、「富裕層を打倒せよ」という階級闘争への誘導で

あり、一種の革命、文化大革命2.0ではないか、という論はチャイナウォッチャ

ーの間ではよく指摘され、私もそういう見方に沿って今の中国で起きている

現象を分析してきた。」

 

体制内の対立する意見を反映したものなのか、観測気球なのか。あるいは、

もっと深淵なメッセージが込められているのか。いろいろ想像力は働くのだが、

一つ言えることは、文化大革命の歴史に対する共産党の罪悪感が、習近平政権に

なってから、かくも薄れているということだ。」

 

・・・さて、こういう動きが今後どのように展開していくのでしょうか。

 

 

p151

 

毛沢東の共産党政権は、党組織の末端を村に伸ばした。どの村にも党書記を置き、工作隊

を送りこんで、土地改良(再分配)、合作社、人民公社などの政策を実施した。

 

152

 

単位とは、まあ、職場だと思って下さい。工場、病院、学校、商店、バス会社、政府

機関、・・・など、どれもが単位。都市は、単位の集まりである。そして、労働者は

必ずどれかの単位に所属する。 中国に独特に制度です。

 

p153

 

社宅みたいだが、社宅とちがって、退職したあとも住み続けられる。

・・・だから単位は、運命共同体みたいなものなのです。

 

p154

 

農民も、都市生活者も、こういうふうに、生活手段を握る共産党に首根っこを

押さえられている。

 

==>> ここでは、皇帝と毛沢東との違いについて述べているのですが、

     皇帝はここまで、人びとの生活の隅々までに権力を及ぼすことは

     なかったということです。

     その上に、最近は、ITによる管理体制も進んでいるようですから、

     さらに権力を及ぼす範囲は、広く深くなってきているのではないかと

     感じます。

 

 

p162

 

日本の場合、しばしば一番の人は実力がなくて、二番から十番ぐらいまでの人が

合議で決めて、責任がはっきりしない・・・

中国はそういうことは許されず、一番の人は必ず実質的な意思決定をしなければ

ならない。

 

p163

 

ロラン・バルトは、日本社会にあっては、中心(天皇)が空虚だ、と言っておどろく

わけですが、中国においては、中心は、必ず実質がある、というわけですね。

 

==>> 天皇が中心であった時代においても、日本は中心が空虚な、無責任体制

     であったと言うことのようです。

     民主主義の国だから、日本はそうなのだ、ということでもなさそうです。

     アメリカなどでは、それぞれのポジションに、それなりの責任が付与され、

     会社組織においても、その職責の範囲で決断ができるようになっている。

     だから、米、中、韓などの企業の判断は速いということもたびたび聞きます。

     日本人は、「持ち帰って検討する」になってしまう。

 

 

p169

 

・・・打倒されて、一生うだつが上がらない。

こうした摘発の根拠になる恐ろしいシステムが、個人档案(とうあん)です。

 

p170

 

档案は、公文書という意味なのですが、そのひとつに個人档案というのがある。

これは、履歴書みたいなものです。

 

書いたり見たりできるのは、上司です。そして農民にはなくて、都市戸籍の人、とくに

役人や知識人にはあります。 大学に入学すると、入学と同時に個人档案が教務課に

つくられて、成績が書き込まれる。 そのほかクラブ活動の様子とか、共産主義

青年団で活躍したとか、ガールフレンドと問題をおこしたとか、・・・いろんなこと

が書き込まれるんですね。

 

大学の教務課から紡績向上の人事課に、档案が送られる。

 

この仕組みを仕切っているのは、中国共産党の組織部というセクションで、档案を

資料に、組織をまたがった抜擢人事を行なうことができる。

 

==>> これは初耳です。 本当に恐ろしいシステムですね。

     いわゆる内申書がずっと付きまとうわけですから。

 

     

p171

 

台湾とはいまでも内戦状態にあるから、いわば戦時なんです。 人民は潜在的に

スパイだと考えなければならない。 そこで、こうやって個人情報を管理している。

こういう仕組みがある限り、政治的自由はえられにくい。

 

 

p173

 

個人的カリスマとは無関係に、カリスマ的ポストが存在しないとだめなんです。

この点が疑われるとどうなるかというと、社会が流動化する。 伝統中国をみると、

社会にはゾル状態(ドロドロ)とゲル状態(プリプリ)があって、交替するんです。

 

人びとがところをえて、それぞれのポストにおさまり、争いが少ないのがノーマルな

状態なんだけど、それがいったん揺らぐと、人びとが自由に自己主張を始めるので、

社会は流動化し、混乱を招き、血が流れ・・・

中国は、これの繰り返しだと思う。

 

p174

 

日本人はそういう想定をしていないという点で危機意識が足りない。そして政治力も

足りないから、中国人と面と向き合うと必ず負ける。 一対一では必ず負ける。

 

==>> 国土も広大で、多くの民族が集まっていて、自己主張の強い人たちが

     住んでいて、幇(ほう)のような強力な共同体があって、・・・

     そういう世界で自然と鍛えられている人たちがいる。

     そういう人たちがバラバラにならないように、管理社会、監視社会の

     システムが必要になったということなんでしょうか。

     民主主義社会になる日は、ほとんど絶望的な気がしてきます。

 

 

p177

 

個人档案が有名無実化しつつある。 一般企業ではこの傾向は、とどめられない。

 

だけど、中国共産党から言えば、抜擢システムがその本質ですから、抜擢を可能にする

ための情報を、中国共産党が握っていなければいけない。 かりに個人档案の名前が

なくなっても、かたちを変えて存続すると思う。

 

p180

 

日本のほうがなお愚かだと思う。

 

なぜ、財務省が省益ばかりを考えて、日本国のことを考えないでいられるかと言えば、

中国共産党がないから。 中国共産党は、国家を指導する唯一の組織で、国家を構成する

個々のパーツの局部的な利害を、必ず越え出ている。

 

・・・大臣を死刑にしたりできるし、中国のどんな組織だってバッサリ切ることが

できる。中国共産党が生き残るということは、中国が生き残ることとほぼ同じなんです。

 

==>> 日本の政治・行政においては、いつも国よりも省益を追求しているという

     話が聞かれますが、その意味では、中国の方が合理的であると述べています。

     そして、トップを抜擢するシステムとしての個人档案というものも、

     実質的な権力と責任をもつ者を選ぶという仕組みとしては合理的だと

     語っているのです。

 

     日本の政治家を選ぶ方法は、もちろん選挙なんですが、最近の政治家に

     ついては、その質が問われるようなゴタゴタがたびたび起こっています。

     もし、中国のような内申書があったらどうなるのでしょうか。

     選挙する市民・国民に立候補者ひとりひとりの内申書を見せて欲しいくらい

です。

 

 

p195

 

日本が盧溝橋事件(1937年)をきっかけに、中国に大兵力で侵攻してきた。 

独立の危機である。 西欧列強は、植民地をもぎとったが、独立を脅かそうとまでは

しなかった。 そおういう危機のなか、共産党ゲリラが勢力を伸ばし、国民党に

匹敵する勢力に成長していく。 そしてついに、中国革命の主導権を握るのです。

                                                        

==>> これは、日本にとっては、非常に皮肉なことになったわけですね。

     中国全土を我が物にしようとして、かえって独立を強化させたってことで。

     無責任体制の中で、やり過ぎて、元も子も無くしてしまった。

 

p197

 

世俗の権力であれば、人命がもっとも大事であると主張するけれど、理想主義的で

あれば、理想がもっとも大事なのであって、理想のために命を捧げるのは尊いわけ

だから、・・・・

 

「殺す」ことが理想主義的で、道徳的であるという場合もあるのではないか。

 

たとえば、大躍進で大勢の餓死者が出た。 不適切な政策だったかもしれないけれど、

動機は、経済大国になって、人民を生かすためなんです。

 

p198

 

ここが、殺すことを目的にしている、たとえばヒトラーやナチズムとは違う。

 

p199

 

数年前に、人民解放軍の幹部が、人口が13億もあるのだから8億人程度が死んでも

中国の運命は盤石である、といった発言をして、インターネットで話題になっていました。

 

==>> 確かに、理想主義の怖さはそこにあると思います。

     13億人中8億人が死ぬことになっても屁でもないって・・・・

     日本人が8回死ななきゃいけなくなりますね。

 

 

p203

 

経済が政治に従属するのは、中国の深い伝統で、二千二百年前からいままで、

ずっとそうだ。 それは政治組織がうまく機能しすぎるからなんですけど、

日本の経験とはたいへん異なる。

 

たとえば、幕藩制。 幕藩制は、中央政府あほとんど機能せず、存在しないに等しくて、

ローカルな官僚組織ががんばって藩の経営をした。

 

そういう意味で、経済は政治に従属せず、経済は自律しているというのが、平均的な

日本人の感覚なんです。 ・・・・ここが中国とたいへんちがう。

 

==>> 2200年前からずっと・・・という点は詳しく書いてないので

     分からないのですが、具体的にはどんなことだったんでしょうね。

     いわゆる統制経済がそんなに昔からあったとは考えが及ばないんですが。

     そういう中で、日本と中国は、政経分離の国交をやってきたことに

     なっているわけですよね。

 

p204

 

この文化大革命をピークとする毛沢東の政治運動は、大きな意味で、中国の人びとの

考え方や行動様式をたしかに変化させた。 ・・・中国は決定的な変化を経験し、

日本の近代化に匹敵する近代化の道を驀進できるようになった。

 

 

p205

 

文化大革命は近代史上の謎のひとつと言ってもいい・・・・

公式見解からすると、「封建的文化、資本主義文化を破壊し、社会主義文化を創造する」

ということなわけですが、とても、そんなお行儀のよいスローガンには解消できない

ものが、この運動にはある。

 

==>> そもそも文化大革命って何、ってところをこちら確認しましょう。

https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD-128350

     「毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)主席の主導下で1965年秋から10

間にわたって全中国社会を揺り動かした政治的・社会的動乱。」

「とくに1966年夏に「造反有理」のスローガンを掲げて突如として出現した

紅衛兵運動や相次ぐ政治指導者の失脚、そして毛沢東の絶対的権威の確立

いう一連の事態は、だれもが予想しえなかった政治的大変動であった。」

 

「この「革命」の最大の目標は、社会主義社会における階級闘争の貫徹にあり、

当面は「党内の資本主義の道を歩む一握りの実権派」を根こそぎ打倒することが

最大の課題だとされた。」

 

「文化大革命は、一貫して中国共産党内部の権力闘争としての本質と、こうした

党内闘争の大衆運動化という内容をもっていたが、そこには、政治的側面と

イデオロギー的側面および社会的側面という三つの面があった。」

 

19816月の中国共産党第十一期六中全会による「建国以来の党の若干の

歴史的問題に関する決議」では、文化大革命が党の決議として公式に否定された

今日、「文化大革命」は一場の悪夢として公式には括弧(かっこ)付きで引用され

るに至っている。」

「文革を正式に否定すると同時に,毛沢東の誤りも認めた。文革は社会に混乱を

もたらしただけでなく,中国経済の停滞をまねくことになった。」

 

66年に始まった文化大革命は,試行錯誤を繰り返しつつ一定の成果をあげて

きた文芸活動を〈修正主義〉としてトータルに否定した。文芸出版物は,出版す

ることも読むことも禁じられ,すべての文芸団体は活動を停止し,作者たちは

闘争にかけられ,強制労働に追いやられた。

 

・・・・私はこの文化大革命が起こった時は、15歳だったので、

ほとんど政治には興味もなく、知らなかったのですが、「造反有理」と言う言葉

だけは、なぜか記憶に残っています。

おそらく私が天邪鬼だったからなのでしょう。

もし、私がその当時に大学生だったとしたら、おそらく全共闘なんかに

かなり感化されていたのかもしれません。

 

全共闘wikipediaでチェックしてみると、以下のようなことが書かれてい

います。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%AD%A6%E5%85%B1%E9%97%98%E4%BC%9A%E8%AD%B0

全共闘の最大の特徴は、文化大革命に影響を受けたと思われる暴力の賛美に

ある。東大の教官だった、作家の柴田翔は、全共闘の暴力について、次のように

書いている。

ゲバルトが出始めた時には、その意味が十分判っていなかったという気がする。

僕がそのとき考えたことは、ゲバルトは国家の暴力装置に対抗するための対抗

暴力として出てきたと理解した。僕はたとえ対抗暴力であってもゲバルトには

反対だったけど、現象としてはそう理解していた。ところが・・・・」

 

 

p207

 

労働者ではない。 党員ではない。 大人ではない。そして、紅衛兵世代は新中国

になってから学校教育を受けた。 旧社会の汚れをもっていない人びと、「毛沢東的

好孩子」(毛沢東のよい子ども)なんですね。

 

日本にも昔、皇国少年というのがいたけど、昭和ひと桁ぐらいで、尋常小学校が

国民学校に変わって皇民教育をうけた人びとで、なんとなく似ている。

 

==>> 皇国少年で思い出すのは、我が亡き母とバギオで話を聞いた日系人です。

     亡母は、戦前戦中は鹿児島出身ということもあってか、熱心な皇国婦人だった

     ようです。 敗戦でよほどのショックを受けたためか、戦後は東京で

     洗礼をうけてクリスチャンになったと東京の叔母から聞きました。

 

     バギオの日系人の方は、まさに少年時代で、将来は航空隊に入って

     闘おうと、志願したけれども年齢が足りないと言われたそうです。

     

     また、戦時中にバギオに住んでいた日本人少年も、バギオ市役所の上空を

     至近距離で飛ぶ日の丸の戦闘機のパイロットと、敬礼を交わしたそうです。

     パイロットの顔がはっきり見えたということでした。

二人の少年たちは、それほど戦闘機のパイロットに憧れていたと聞きました。

 

おそらく、もし私が当時の少年だったら、間違いなく皇国少年になっていた

でしょう。 私の性格から判断すると、極右か極左になるように思います。

     しかし、生来のナマケものなので、思想だけで終わりそうですが・・・

     実際のところ、今は、日和見主義です。

 

p210

 

文化大革命を主導していた人たちは、結局全員打倒されてしまうんです。

トップでも、地方でも。 打倒されなかったのは毛沢東だけだと言っていいくらい。

 

p211

 

ぼくがある意味で伝統中国がいいなと思うのは、科挙制度のようなものがあって、

少なくとも知的な能力については実力主義であることです。

ところが、文化大革命というのはものすごい反知性主義。 ものを考えること自体が

悪いことだ、みたいな感じです。

 

p212

 

文革が、いったん伝統を無化してしまい、更地のようなものを作ったおかげで、

今日の、改革開放も可能になったのではないでしょうか。

・・・中国人の行動に非常に大きな自由度が生み出された

 

これは、究極のアイロニー、「理性の狡知」です。 なぜなら、文革は、資本主義の

文化を廃して、社会主義の文化を創るということが、公式の目的だったわけですが、

実際には、文革のおかげで、今日の中国の、短期間での「資本主義化」がうまく

いったと考えられるからです。

 

==>> ほんとうに、これはアイロニーとしか見えませんね。

     今や中国は日本以上に資本主義って感じですからねえ。

     もともと、中国人は日本人より商売は上手らしいし。

     日本の方がよっぽど社会主義向きのおとなしい国民性をもっていると

     常々思ってきましたけど・・・

 

p213

 

たとえば、ドイツ人の多くはそう思っていると思うんだけど、ナチス・ドイツの悲劇

があったから、自分たちのいまのドイツの未来に対する責任のような概念の共有が

あったりとか、それを前提として、近代国家の枠を超えるような努力――たとえば

ナチ戦犯についての時効停止、ナチ礼賛的な表現の禁止、個人からの請求があれば

賠償に応じる個人補償制度などーーを積み重ねて信頼を醸成してきて、それゆえに

現在のEU内でのポジションがある、という事実があります。

 

 

p216

 

中国の知識人のみなさんが、毛沢東の体制であれ、改革開放(中国共産党の一党支配

は続いている)であれ、どう思うか。

日本から見れば、不合理で非民主的で、なんだこれはということになりますが、

中国の常識として、さっき言ったゾル状態とゲル状態があるから、政治秩序が安定

していることはとりもなおさずよいことだ、という共通感覚がベースにある

これを全取っ替えはできないから、ならば、改良・改善していくしかない。

これが知識人の、そして平均的な大多数の人びとの考えであろうと思う。

 

==>> さて、上記のドイツや中国に比べて、戦後の日本は何が根本的に

     変わったのでしょうか。

     ドイツのような名誉あるポジションが構築できたでしょうか。

     アメリカ統治の下で、平和憲法ができた。

     しかし、日本人自身は、戦争を具体的に反省・分析・検証したのか。

     それを戦後の世界の中で、特に近隣諸国の中で、議論を詰めたのか。

     そして、平和ボケと言われるほどに平穏な時代が続いている。

     隣国でミサイルが飛んでも、へえ~~ぐらいにしか思わない。

 

     私は戦後生まれですから、貧乏であったにせよ、その後の経済発展の中で、

     な~~にも考えずにぼ~~っとして生活してくることができた。

     誰かが上手くやってくれるだろうと高をくくっている。

 

     しかし、原発事故にもみられるように、無責任体質は、変わっていない

     らしい。 誰かが上手くやってくれるだろうとは思えなくなってきた。     

     日本独自の航空機やロケットが失敗した。日本の何かがおかしい・・・・

 

     そんな中、WBCで日本チームが感動的な勝利を収めた

     そして、大谷翔平のインタビューには感動した。

     https://news.nifty.com/article/world/china/12181-2242313/

     「大会MVPに選ばれた大谷は、インタビューで「日本だけじゃなくて、韓国も

台湾も中国も、その他の国も、もっともっと野球を大好きになってもらえるよう

に、その一歩として優勝できてよかった。(アジアの野球界が)そうなってくれ

ることを願っている」と述べた。

これについて記事は「優勝の歓喜に沸く中で、日本以外の他のアジアの国にも

頑張る気持ちになってほしいという考えが持てるなんて、大谷はどこまで完璧

なのだろうか」と驚きを示し、「大谷の言葉は、アジアのチームで8強入りした

のが日本だけだったことを残念がるニュアンスだった」と伝えている。」

 

・・・・本当に大谷選手のこの地球を俯瞰したような発言には驚くしかない。

日本のリーダーのみなさんには、是非ともこういう広い視野と感性をもって

もらいたいと心底思う。

 

 

p217

 

毛沢東はいくつもの大きな失敗をしたのにいまだに崇拝されているということが

一方であって、他方では、あんなに権勢を誇った人が全部失脚するという事実がある。

 

天と天子をもっているシステムというのが、中華帝国においては一番執拗に残る

もっとも核となる文化要素で、それさえ残しておけば、他のものはいくらでも否定

できるということが、文革で証明されたのではないか。

 

 

p219

 

毛沢東は共産党を残しましたけど、奥さんや子どもにとても冷たく、つらい扱い

をする人で、王朝を残さなかった。 これは朝鮮労働党と比べてみると、ずいぶん

ちがうところなんです。 金日成は、何の革命の実績もないのにトップにすえられた。

 

 

==>> ここで中国という国の文化の核心というところが出てきました。

     「天と天子をもっているシステム」がそれだと言うわけです。

     では、翻って、日本はどうなのか。

     神々の子孫が天皇である。 そして国民はその天皇の子どもである。

     よって、国民は神々の子孫である。 という日本書紀や古事記で構想された

     神話が核になっていると、社会学的には言えるのでしょうか。

     

     敗戦後も、天皇は残された。アメリカによって戦犯は処刑・投獄された。

     しかし、その後、アメリカの都合で、投獄されていた戦犯はアメリカへの

     協力をするという意図のもとに政界に戻った。

     中国のように、天皇だけが残って、政治のトップがすべて消えたという形

     にはならなかった。

     天皇は象徴天皇になった、そして、中身が「空」になった?

     政治は無責任な「空」の体制が、戦前から戦後へと継承された??

 

 

では、次回は 「第3部 日中の歴史問題をどう考えるか」を読んでいきます。

 

 

===== 次回その6 に続きます =====

 橋爪x大澤x宮台 「おどろきの中国」 を読む ―6― 日中の歴史問題、 日本は自分がやったことが何だったのか理解していない (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

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