高田英一著「手話からみた 言語の起源」を読む ― 4: 脳の中の「イメージ」とは意味なのか? ヒエログリフはどのように音声言語と結びつくのか
高田英一著「手話からみた 言語の起源」を読む ― 4: 脳の中の「イメージ」とは意味なのか? ヒエログリフはどのように音声言語と結びつくのか
高田英一著「手話からみた 言語の起源」
「第4章 エジプト」から読み進めます。
p187
ヒエログリフに先立つ保存性のある記録としてシュメールに現れたのは粘土板や石版に
掘られた楔形文字とされています。
このシュメール文字は最初は絵文字として現れ、後に楔形文字に変化したことが分かって
います。
==>> 楔形文字についてはwikipediaではこのような解説があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%94%E5%BD%A2%E6%96%87%E5%AD%97
「楔形文字(くさびがたもじ、せっけいもじ)とは、メソポタミア文明で使用さ
れていた古代文字である。」
「文字の種類としても、代表的なシュメール語・アッカド語の文字は表語文字と
音節文字の組み合わせであるが、ウガリット文字はアブジャドであり、古代ペル
シア楔形文字はアルファベットである。」
「シュメール語が使用されていた時代には専ら楔形文字で表記された。最も
古い文書の中にはまだ楔形の形態を取らない絵文字(古拙文字)で表記された
ものも存在する。」
p191
現在使用されているのは表音文字ですが、歴史的には表意文字、別の言い方として象形
文字が先というのが事実です。 ここに言語、具体的には音声言語、音声語の起源に
関わる鍵が隠されていると筆者は考えています。
p192
ナルメル王のパレットに描かれた絵はヒエログリフというよりも、洞窟壁画をパターン化、
様式化したもので美術性は乏しくなりますが、コミュニケーション性は進歩しています。
ラスコー洞窟群等に描かれた絵にはいくつか類似性はあるとしても、同一の作品は二つと
して描かれていませんが、パレットはそこに描かれた個別の絵はもとより、パレットも同一
あるいは類似のものをいくつも作れる可能性を持っています。
==>> ここに出てくるパレットというのは、マリア・カルメラ・ペトロの「図説、
ヒエログリフ事典」にでてくるナルメル王の奉納用パレット(化粧道具)で
あると書いてあります。
p193
完成型のヒエログリフがパレットのそれと違う特徴は、単語と文がより明確に分離して
いること、つまり二重分節がみられることです。ナルメル王のパレットは二重分節の
前段階で単語と文が未分化な絵本の状態です。 その発展を通じて、ヒエログリフの
単体あるいは単語が量産できるようになって、それらの組み合わせでより複雑な単語、
文を作る仕組みができていったと考えるのが順序でしょう。
p198
「ラーという言葉の語源はわかっていない」というより、ここで太陽を表わす「ラー」
という音韻が確定したことで、「「ラー」を語源とする「太陽」が誕生した」という
言い方ができるでしょう。
言語、この場合は名詞単語の音韻は最初に自然的な発音があったとしても、それが
語源となるためには社会的合意が必要です。 語源は社会的合意によって初めて
対象とする事物とその音韻、さらに身振りのセットが確定するのです。
==>> 確かに共同体のメンバーによって合意されなければ意味を固定すること
は出来ないわけですから、上記は当然と言えるでしょう。
しかし、そもそも言語の定義は何なのでしょうか。
こちらのサイトで探してみます。
https://kotobank.jp/word/%E8%A8%80%E8%AA%9E-3198
「世界中の言語をみると、音声のみあって文字をもたない言語はあっても、その
逆の場合はなく、一個人をとってみても同じことがいえる。したがって、言語の
媒体は、一次的には音声ということになる。しかし、一部の聾唖(ろうあ)者の
ような特殊な場合には、音声抜きで文字言語が習得されることがある。また、
普通の言語とまったく同じというわけではないが、手話もある。」
意味―音声、意味―文字、意味―手話の形、のいずれかがメンバーによって
固定されれば言語ということになるのでしょうか。
そして、いままで読んできた中でいうならば、その意味というのは
脳の中の「イメージ」で代表されるのでしょうか。
しかし、その「イメージ」とは映像なのでしょうか概念なのでしょうか。
映像だとすれば、それは生まれながらの視覚障害の人にはどうなのかという
疑問が湧きます。では、概念というのはどんなものなのか・・・・
ところで「二重分節」という言葉が出てきているんですが、
インターネットで検索して、やっと具体的な説明が出てきました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1241244117
「たとえば「私は家でサラダを食べた」という文は
まず、「私/は/家/で/サラダ/を/食べ/た」のように形態素に分けられ
ます。(品詞ごとにバラバラにできる=第1次分節)
次いで、それぞれの形態素は、「食べ」が / ta,be / に分けられるように音素に
分解できる。(その言語の、発音できる最少単位=音素。これ以上分けて発音
することはできない、という単位=第2次分節)
・・・おそらく、「ナルメル王のパレットは二重分節の前段階で単語と文が
未分化な絵本の状態です。」という意味は、言語としての条件を満たして
いないということではないかと思います。
p199
当時の人々は太陽を抽象化して神になぞらえた太陽神を創りたいという願いがあります。
このような場合は、まずヒエログリフ「太陽神」を創らなければなりません。
でも、これは頭に浮かぶ観念ですから人によってイメージも異なり、どのようなヒエロ
グリフを描くか大いに議論が沸騰したでしょう。
「ラー」に怖いが反面畏敬の対象ともなるコブラなどを加えるなどしていくつかの
試作モデルができて・・・・・日輪を頭につけて座る神「太陽神」を決めます。
==>> これは抽象語がどのようにヒエログリフに表現されたかの一例をあげて
います。 実物の太陽はメンバー全員にとって同じイメージになりますが、
抽象的な意味の太陽神に関してはバラバラなイメージであることは分かります。
そこに一種の比喩的な表現が出てくるということでしょうか。
意味というのはもしかして比喩的なもの、メタファーなのかもしれません。
p202
単語を目に見えない意味、音声、身振りの3点を背っととして確定するより、目に見え
視認できるヒエログリフに意味、音声、身振りをセットした4点をワンセットで議論して、
確定する方が確実に記録に残り、語彙を拡大できます。
p203
これらの例は、知らずして手話創作の方法と同一でした。 手話ではこのようにして、手話
単語を並べて「新しい手話」を創作する方法を「組み合わせ」と呼び、その結果は意味の
異なった単語になることもありますが複合語になる方が多いのです。 それはイメージの
模写であるヒエログリフは異なるヒエログリフを一つの枠内に収められますが、身振り
の模写である「イラスト」では順次にならべることになる違いがあるからです。
==>> ヒエログリフが実物の模写のような壁画に近いものであれば意味を理解
するのは容易だと思いますが、ある程度抽象化が進んだものになると
ヒエログリフと言えども表意文字から抽象化がすすんで表音文字に
なっているという話なので、身振りの模写である「イラスト」であっても
実物からはかなりの抽象化がされているわけですから、手話と意味との
すり合わせはなかなか難しいだろうと想像できます。
p209
言語は「イメージ」が内容、身振りと音声という表現手段が形式になります。
語彙が拡大することで言語に変化があるとはいえ、この時代環境では、内容は相対的
に変化が少なく、変化は音声、身振りの表現形式、具体的には方言的な語彙の拡大と
して表れます。
p211
「ヒエログリフ言語」は、2千年前頃まで話されていただけではありません。 つい最近
までヒエログリフと同じような絵文字を使い、音声と身振りのシムコムでコミュニケー
ションしていた民族はいたのです。 ・・・それはアメリカの先住民(シャイアン族、
スー族などほとんどの先住民)それにオーストラリアのアボリジニなどです。
==>> ここに書かれているアメリカの先住民の言語については、「メソアメリカの文字」
というのがありました。
「アメリカ先住民諸語とは、南北アメリカ大陸の先住民(アメリカ先住民)に
よって話される言語の総称である。エスキモー・アレウト語族を除いてアメリ
カ・インディアン諸語ということもある。」
上記の中で、一番人口が多いとされるナバホ語については、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%90%E3%83%9B%E8%AA%9E
スー族の「スー語」については、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E8%AA%9E
・・・いずれの言語についても、文字についての解説は見当たりません。
また、アボリジニについては、下のサイトで面白い記述があります。
https://zinart.jp/syugyou/dotoart.html
「先住民アボリジニがいた。彼らには文字を書いたり読んだりする習慣がない。」
「文字を書いたり読んだりする習慣がなく、彼らは絵を壁に書いて相手に伝え
ると言う事をしていた。」
「絵の中で動物や魚の食べてはいけない部分などをしめしたり、記号を使って
ブーメランはブーメランの形の絵、男は縦線、女はUを反対にした形などの
記号を使い、人や場所、物などを表現していた。」
こちらのサイトではアボリジニの文字については、このように書いています。
(「アボリジニ文字」で検索するとでてきます)
「アボリジニには読む、書くの文字がありません。
なので、このシンボル
マークを使ってコミュニケーションをはかっていました。
シンボルマークには
それぞれ意味があります。
まとめ 実はアボリジニは、 文字を持たない種族 で
した。 文字の代わりに
絵 を使って色々なコミュニケーションをとっていたの
です。
その「絵」が アボリジナルアート です。」
・・・こういうものをヒエログリフと呼んでいいのかどうかは分かりませんが、
少なくとも文字といえるようなものではなさそうです。
しかし、少なくとも、なんらかのシンボルマークを使うことで、文字に代わる
役割をもたせているようです。
p212
ヒエログリフの組織的、規則的かつ精密な秩序だった体系は言語工学の成果であることを
明確に示しています。 ・・・言語こそは人為的な産物であることを何よりも明確に
示しているといえるでしょう。
p213
現代の国立国語研究所はもはや言語工房とはいえず、自然に発生、普及したかにみえる
言語の調査、研究、判断、さらにカタカナ語などの日本語への言い換え、それらの結果
の広報と世論調査などを主な業務としています。 それは音声語がすでに普及、定着
した時代の流れでもあります。
==>> 著者は「本格的な言語工学の現場は、・・・世界でただ一カ所、「新しい手話」
を創作する日本の全国手話研修センター・日本手話研究所だけではないかと
思います。」と書いています。
==>> この部分は、著者の強い主張が出ていると思います。
しかし、世界中の言語がここに書かれているような「言語工房」がなくては
存在しえないかと言えば、ほとんどすべての言語がそうではなかったと
言えるのではないでしょうか。
おそらく、手話に関しては、相当の努力がなければ言語としての役割が
できないという実状はあるかと思いますが、音声言語に関しては
自然発生的に形成され日々変化しているものではないかと思います。
「言語こそは人為的な産物である」というのは無理があると思います。
p216
「健聴の子ども」は教える必要もなく生まれて間もなくイメージを会得し、発音し、
音声で話される環境の中で自然に言葉、音声語を使えるようになります。 そして就学
して初めて音声語とセットとなる文字を教わる教育システムが定着しています。
==>> これは私も納得できます。
著者がこれを言うのであれば、少なくとも健聴者に関しては言語が自然に
身に付いていくことを認めているわけですから、手話での苦労とは区別
するのがいいのではないかと思います。
聴力に障害のある赤ちゃんには、できるだけ早く周囲の人たちが手話を
教えていくのが良いという記事もありました。
p223
エジプト王国の末期に、ヒエログリフそれからデモティクを経て、より合理的な進化を
果した表音文字の古代ギリシア文字が採用されるようになり、それが普及する中で
ヒエログリフは終焉を迎えたのです。
ロゼッタストーンによってヒエログリフが解読され、エジプトの歴史解明に繋がったこと
は重要です。 しかし、もう一つロゼッタストーンには大きな意義がありました。
それは、なぜ最初の文字が絵文字なのか、それがなぜ表音文字に変化したのか、それこそ
言語の変遷、言語起源への鍵を示していることの意義です。
==>> ここでロゼッタストーンがなぜ重要かを確認しておきましょう。
「上段,中段,下段にヒエログリフ(聖刻文字),デモティック(民衆文字。
ヒエログリフの略書体),ギリシア文字で同一の内容の文(プトレマイオス5世を
たたえる神官団の布告)が刻まれている。」
「ロゼッタ・ストーンを手がかりに,シャンポリオンによるヒエログリフ解読が
なされた(1822)。通常この年をエジプト学成立の年とする。」
・・・要するにたまたま同じ内容の文を三つの文字で書いてあったので、
ヒエログリフの解読が出来たということですね。
そして、その中で、ヒエログリフが象形文字だけのものではなく、表音文字
でもあったことが解明されたそうです。
こちらのサイトにそのことが書かれています。
「ヒエログリフ(神聖文字)は、古代エジプトで用いられた象形文字の一つにな
ります。」
「実はヒエログリフの解読が困難とされた原因が、文字にさまざまな意味が
加えられていたためです。その文字数の多さもさることながら、表意文字として
用いられることもあったため、研究者たちは混乱し、解読は難航していたの
です。」
「表音文字として使われる文字もあれば、表意文字に切り替わる文字など、文字
の判別だけでなく、解読の手がかりとなる書物もない状態で、まさに「未解読の
古代文字」としての地位を確立しつつありました。」
・・・つまり、ヒエログリフは、象形文字でもあり表意文字でもあり表音文字
でもあったために解読が非常に困難であったということだそうです。
p227
かくて役目を果たし終えた表意文字すなわちヒエログリフは、後事を表意文字に変わる
「何か」に託しました。 音声の部分は表音文字に託され実用化の道を歩みはじめますが、
身振りの部分は、それは他ならぬ手話「イラスト」つまり表手文字ですが、それははるか
後世に委ねられることになったのです。
ただし、ヒエログリフを失っても「身振り」はしばらくはそのまま使われたでしょう。
それは決してなくなることなく、その精鋭はしたたかに生き残り、今でも現役で活躍
しています。
==>> ヒエログリフが抽象度を増すに従って、表音文字になったことは理解でき
ます。 しかし、表手文字についてはすこし違和感があります。
ひとつは、手話に関しては歴史が短いという話になっているのですが、
もしかしたらかなりの昔から極限られた地域で手話の共同体は存在
したのではないか。
もうひとつは、「身振り」が決してなくなることなく・・・という部分に
ついては、「視覚障碍者」についてはどう考えればいいのかという点です。
視覚障碍者は身振りは見えないわけですから、音声に頼らざるをえません。
その場合に、脳の中のイメージとは何なのか、それがどのように音声と結び
付くのか。 洞窟壁画の中の牛とそれを表わす音声をどのように結び付け
ることができたのか。
つまりは、脳の中のイメージをろう者は表手文字(手話)に落とせるわけ
ですが、 視覚障害者は どのようにそのイメージを創るのか・・・・
特にそのイメージというのが意味を表わすのであればなおさらです。
p232
ヒエログリフと手話「イラスト」の違いは、前者は「ライオン」のイメージの模写、
対して後者は「ライオン」の身振りの模写の違いです。
すなわちイメージと身振りのどちらを表わすのかの違いです。このヒエログリフと手話
「イラスト」の違いに言語の進化の差があらわれています。
さらにいえば、ヒエログリフの「ライオン」はイメージを表わしていますが、身振りと
音声は隠されています。 他方、手話「イラスト」の「ライオン」は、身振りを表わして
いますが、イメージと音声は隠されています。
==>> ここはちょっと分からない点があります。
ヒエログリフでは「身振りと音声は隠されている」のは分かります。
しかし、手話イラストでは「イメージと音声は隠されている」のが
ひっかかります。
目は見えるわけですから、手話イラストもライオンのイメージも分かるん
じゃないでしょうか。 手話イラストとライオンの写真を並べておけば
いいだけの話ですから。
健聴者にしたって、実物のライオンをみるチャンスは動物園に行かない
限りはテレビや写真や絵本でみるしかないのは、ろう者と同じでしょうから。
もし、手話「イラスト」に写真も絵も載っていないとすれば、それは
少々不親切という話になりそうです。
p243
さらに言語を記憶、思考手段としてみれば、文字が前面に出て身振りと音声はその
バックアップ役を果たすことになり、それはモデル18にように表せます。
ただし、文字がなければ記憶、思考ができないということではありません。
環境や人によって、文字が消える場合もあり、音声と身振り、あるいは触覚が記憶、
思考の手段となることもあるからです。
それでも、時空間を越えた彼方には必ず文字の記憶があると考えられます。
例えば文字を持たない民族がそうですが、彼らの祖先は必ず文字をもっていたのです。
<モデル18>
+――イメージ(意識、概念)
言語 ――I
+――表現手段――文字――音声
+―身振り
==>> ここでは上のようなモデル18が描かれています。
記憶、思考手段としてはイメージ、 表現手段としては前面に文字を置き、
そのバックアップとして音声と身振りを置いています。
しかし、私自身の頭の中を、今つぶさに観察すると、どうしても頭の中の
音声で考えているようにしか思えません。世の中にはフォトグラフィック・
メモリー、つまり画像で考える人がいるそうですが、たぶん圧倒的に
音声ではないかと思います。
もちろん、ワープロや紙に書く場合でも、頭の中に音声があって、
それがキーボードを叩き、あるいは手にボールペンをもって動かして、
文章を書くことになります。
一方で、ろう者の場合に、それがどうなるのかを考えると、頭の中の音声
ではなく、文字というより手話の形が前面にでるんじゃないかと想像するの
ですが、当事者である著者が文字が前面に出るというのですから、そうなの
でしょう。
「彼らの祖先は必ず文字をもっていた」というのは理解ができません。
何を根拠にしているのでしょうか。
p244
触手話は、手話を受ける感覚器官が視覚から触覚に変わりますが、手話そのものは
基本的に変わらないで、手話と同等と考えるのがよいでしょう。
モデル19を説明すると「言語はイメージ(意識、概念)と表現手段の統一体であり、
言語には音声語と非音声言語がある。 非音声言語には手話・触手話が含まれる」という
ことになります。
==>> 触手話というのは視覚障碍者が使う手話であると思います。
言語に音声語と非音声語を含めた場合のモデル19の図は、
表現手段として音声(聴覚)、身振り(視覚及び触覚)、文字(平面文字、立体
文字)の三つが同じレベルで並んでいて、どのひとつも前面にでることは
無いと表現されています。
触手話などの視覚障碍者のコミュニケーション方法については、こちらの
サイトに解説があります。(ろう者も含めてあります)
http://www.comit-k.org/handbook/HB000006.html
「触手話
聴覚障害者が使っている手話を基本としています。手話を使う相手の両手に
軽く触りながら触読するところから、「触手話」と呼ばれています。
指文字
相手の手のひらに、指文字(50音やアルファベットを手の形で表せるように
したもの)を綴って会話する方法です。受け手は手のひらを軽くすぼめて、指の
形が分かるようにしたり、手のひらへの当て方で、文字の形が識別できるように
するなど、若干の工夫が必要です。
手書き(手のひら書き)文字
相手の手のひらに指で直接文字を書く方法。特別な技術を身につけなくても、
誰にでもできるのが利点です。多くの盲ろう者が理解できますが、かな文字を
使う人、カタカナ文字を使う人、漢字も含め、どんな文字でも大丈夫な人、読む
のが早い人、遅い人、様々であるので相手に合わせることが大切です。」
いずれにせよ、特に視覚障碍者の場合に、イメージ(意識、概念)の部分が
どのような形になるのかが気になります。 イメージと呼ぶとどうしても
画像が頭に浮かぶので。
次回は、「第6章 最初の遠征」に入ります。
==== 次回その5 に続きます ====
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