アーサー・C・クラーク著「2001年宇宙の旅」を読む ― その3(完) ― 人類もいずれ肉体から脱け出すのか、モノリスの正体
アーサー・C・クラーク著「2001年宇宙の旅」を読む ― その3(完) ― 人類もいずれ肉体から脱け出すのか、モノリスの正体
映画「2001年宇宙の旅」の小説版を読んでいます。
「第五部 土星衛星群」に入ります。
p250
サイモン博士の理論を、ボーマンはすなおに信じることができた。 プログラムの矛盾が
ハルのうちに無意識の罪悪感をつくりだし、地球との通信回路を断つ行動に走らせたと
いう見方である。 また彼はーーこれまた証明は不可能だろうがーーハルに殺意はなか
ったと思いたかった。 ハルはただ証拠の隠滅を図ったにすぎない。
・・・あとは間抜けな犯罪者が偽証に偽証を重ねて身動きとれなくなるように、パニック
を起こしてしまったわけである。
==>> これはまあ、そのように理解するのが穏当なところなんでしょうが、
ひとつ気になるのは、AIであるHAL9000に、絶対に人間を殺すような
ことをしてはならないというプログラムがなかったのかという疑問です。
まあ、そういう判断をする前段階で、狂ってしまっていたという話なので
しょうが。
しかし、狂ってしまうということが、コンピューターにあり得るのかという
のも気になります。 たんなる物理的故障というのなら分かりますが。
p252
TMA・1と土星系とのつながりに疑問を持つ者はいない。 だが、モノリスを立てた
生物がそこに発生したとみる科学者はおそらくいないだろう。 生物のすみかとして、
土星は木星よりさらに条件が悪く、たくさんの月はいずれも零下百五十度という永遠の
冬の中で凍り付いている。
・・・とすれば、遠い過去に地球の月を訪れた生き物は、地球外のどころか太陽系外の
出自と見てよさそうである。
==>> TMA・1というのは月面で見つかったモノリスのことです。
そのモノリスを作ったのは誰なのか。 宇宙人が作って、置いていった
ものなのか。 その謎は最後まで残りそうです。
p256
科学知識が進歩するにつれ、遅かれ早かれ生物は、自然が与えたもうた肉体という住みか
から逃れでるだろう。 ・・・自然の肉体がすりきれたらーーいや、それどころか、
すりきれないうちにーー金属やプラスチックの部品と取り替え、そうして不死をかちとる
のだ。 しかし脳は有機組織の名残として、しばらくとどまることになるかもしれない。
==>> これは、宇宙人とはどういう存在なのかという話の延長で書かれているの
ですが、今現在の人間も、ある意味で既にこのような現実の時代に突入して
いるように見えます。
先に読んだ半村良著の「妖星伝」では、宇宙人である補陀洛人は、すでに
肉体から解脱して、霊的あるいは知的生命体になったという設定でした。
そして、その補陀洛人が地球の古代において、その遺伝子を地球上の生命体
に残して出て来たのが鬼道衆でありそのリーダーが外道皇帝というような
話になっていました。
ドーキンスさんの「利己的遺伝子」とか「肉体は遺伝子の乗り物」であるという
発想を展開したような小説でした。
p257
だがそれが終局だろうか?
神秘主義に傾いた少数の生物学者は、さらにその先へ進んだ。 多くの宗教にある信念
を手がかりに、彼らは精神もいつかは物質の束縛を逃れるだろうと推測した。
ロボット身体も、血と肉の身体と同様にたんなる踏み台であって、やがては人びとが
遠いむかし“精霊”と呼んだものに至るのかもしれない。
==>> さて、ここで出て来ました。 いずれ霊的存在になるという発想。
これは、アメリカという国は、日本人が考える以上に、非常に宗教的で
ある人が多いということからも出てくる考え方ではないかと思います。
過去に読んだ本にこのようなものがありました。
伊勢田哲治著「疑似科学と科学の哲学」
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2021/02/post-255ecd.html
「p12
創造科学というのは、この創造論の主張を科学的にサポートしようという考え方
である。 つまり、聖書の物語の地質学的・生物学的部分を取り出して、その
部分に対する「科学的な」証拠を提示しようという試みである。 このような
創造論・創造科学がアメリカを中心に結構根強い支持を集めていて、教育の現場
などにも影響を与えている。」
このようなアメリカの実状は、政治的な分断にまで発展してしまって、
民主党vs共和党の陰謀論をも含んだ危険な状態になっているように見えます。
世界の科学をリードしてきたアメリカが、いかにも非科学的なものを一方で
抱え込むとは、小さい頃からアメリカに憧れて育って来た私には、信じられ
ません。 それだけ、底知れぬ自由がアメリカにはある、とも言えますが。
p267
大きくなるヤペタスをながめ、船がますます速度をゆるめながら必然の出会いへと
近づくにつれ、ボーマンは、うちに芽生えた穏やかならぬ思いを意識するようになった。
管制室とのやりとりーーというか、こちらからの実況解説――では、おくびにも出した
ことはない。 いえば、妄想がはじまったと思われるに決まっている。
だが、まさに妄想なのかもしれなかった。
衛星の黒っぽい地表をバックに白く映える楕円が、近づく彼を見つめる巨大な
うつろな目のように思えて仕方がなかった。
==>> ヤペタスというのは、「ヤペタス (Saturn VIII
Iapetus) は、土星の第8衛星」
とされる星です。
「小説版「2001年宇宙の旅」ではイアペトゥスの変光性に注目し、「目玉のよう
な明るい地域の真ん中に巨大なモノリスが立っている」設定が登場する。(日本語
版では「ヤペタス」と表記されていた) 明るさの等級の変化についても記述され
ており、物語のミステリアス性を高めるのに一役買っている。しかし、映画版で
は土星の輪を当時はうまく映像化することができなかったためクライマックス
の舞台は木星に変更され、イアペトゥスも登場しなくなった。」
・・・上記にあるように、映画ではこの「ヤペタスの目」は出てきません。
Wikipediaの写真をみると、このヤペタスには様々な表情があるようですから、
それが「目にみえる」というのもあり得るでしょう。
「目玉のような明るい地域の真ん中に巨大なモノリスが立っている」とwikipedia
にありますが、小説の中では、
「ようやくボーマンは楕円のちょうど中心に小さな黒い点があるのに気づいた。
だが詳しく調べる余裕はなかった。 最終行動のときがせまっていたからだ」
となっていまして、「モノリス」を認識したとは書いてありません。
・・・しかし、小説のその後に、出て来ました。
p270
・・・また白い区域の上空に出た。 三周目だ。
・・・ハロー! 例のものはビルディングに似ている。 ――まっ黒でーーよく見えない。
窓もなければ何の特徴もない。 ただの大きい直立した板だ。
・・・高さは何百メートルとあるだろう。 まるでーーそうだ! 月でみつかった
やつとそっくりだ! こいつはTMA・1のでっかい兄貴なんだ!
==>> ということで、月面にあったモノリスよりも大きいので、ビッグ・ブラザー
という名前になりました。
じゃあ、そのモノリスはそもそも何なのか・・・・
p270
三百万年間、それは土星の周囲をめぐりながら、もしかしたら永遠に来ないかもしれ
ない運命の瞬間を待ち続けてきた。
・・・太古の実験はクライマックスに近づいていた。
はるかな昔、この実験にとりかかった生物は、人間ではなかった。 ――人間に似た
ところはどこにもなかった。 だが彼らもまた血と肉からなる生き物であり、宇宙の
深淵を見はるかすとき、やはり畏怖と驚異と孤独を感じるのだった。
p271
そして銀河系全域にわたって、精神以上に貴重なものを見出すことができなかった
彼らは、いたるところで、そのあけぼのを促す事業についた。 彼らは星々の農夫と
なりーー種をまき、ときには収穫を得た。
==>> ここで、モノリスを作った宇宙人について語っているのですが、
この構図は、半村良著の「妖星伝」とかなり似ているように思えます。
もちろん、「妖星伝」が後に書かれていますので、「妖星伝」の方が
「2001年・・・」に似ているわけですが。
妖星伝では「はるかな昔、この実験にとりかかった生物は、人間ではなかった。」
のは、宇宙人・補陀洛人でした。
そして、その補陀洛人も元々は「血と肉からなる生き物」だったのが、
既に肉体を解脱して霊的・知的生命体になっていた。
そして、「彼らは星々の農夫となりーー種をまき」というところは、
「妖星伝」では、補陀洛人が、遺伝子という形で地球上の生きものに潜り込み
進化を促進した・・・となっていました。
こちらを読むと、宇宙人が必ずしも血と肉をもっていなくても
いいんじゃないかと思うのですが・・・・
半村良著「妖星伝」―黄道の巻―この地獄のような星は清掃しなければならない。
https://sasetamotsubaguio.blogspot.com/2022/04/blog-post_27.html
「p797
「・・・・遠い昔の人間は、山や石、あるいは川といったようなものにも、そこ
に宿る霊を見たではないか。 それがいまでは、無機なるものには生命がなく、
したがって霊もあり得ないと断じてはばからない。 ・・・・・おのれの生命の
仕掛けもろくに知らぬものが、なぜそんなことをいえようか。 ・・・・一木
一草もない岩だらけの世界にも、知恵ある者が存在するかもしれぬではないか」
p798
「・・・・はじめおのが肉を愛し、肉あることで悦びにひたっていられた生命も、
いつかはおのれの肉を否定したくなる。 肉が苦悩をもたらすからだ。 煩悩・・
それは肉あることが招き寄せる生の煩悩ではないか」
p272
長い歳月をかけて、研究・調査・分類がおこなわれた。 知りうるかぎりを学びとると、
彼らは修正にかかった。 陸地や海に生きる多くの種の運命に干渉した。
・・・答えを知るには、あと少なくとも百万年が必要だった。
p273
だが機械生命の時代は急速に終わった。 休むことなく実験を続けるうち、彼らは、
空間構造そのものに知識を蓄え、凍り付いた光の格子のなかに思考を永遠に保存する
仕組みを学んだ。 物質の圧制を逃れ、放射線の生物になることが可能になったのだ。
当然の成り行きとして、彼らはほどなく純粋エネルギーの生物に変貌した。
・・・いまや彼らは銀河系の覇者であり、時すら超越していた。
==>> いやはや、これはまさしく「妖星伝」の補陀洛人ですね。
しかし、後段の「光の格子のなかに思考を永遠に保存する」ことに
よって知識を蓄えるというものが「モノリス」だということなんですね。
この後にも詳しくでてきますが、モノリスというのは、受信機であり
発信機であり、そして巨大なメモリーであるってことのようです。
ここにおいては、地球人に関する情報を収集して、それを蓄積し、
それを空間に再現して見せ、体験させることまでできるようです。
まさに、今の仮想現実のような感じですね。
p274
―――まともな観測もできやしない。
だから計画の承認をほしい。 スペースポッドには、直地して帰船できるだけの
デルタVはたっぷりある。 EVAをして物体を近くで観察したい。 安全なようなら、
そのそばーーいや、てっぺんにでも着陸してみよう。
p277
いまボーマンは、この何か月か住み慣れた金属の家を、おそらく永遠に離れようと
していた。 たとえ帰らなかったとしても、船はその義務を果たし、地球へと計器の
読みを送りつづけるだろうーーー回路に究極の破壊的な故障が起こるまでは。
p279
いま、ちょうど真上に来た。 百五十メートル上空にいる。 ・・・ディスカバリー号は
もうすぐ隠れてしまう。 これから屋上に着陸する。
ちょっと待ってくれーーー変だなーーー
p280
「なかはからっぽだーーどこまでも伸びているーーそしてーーーしんじられない!
―――星がいっぱいだ!」
p281
スター・ゲートは開いた。 そしてスター・ゲートは閉じた。
==>> ついに、ボーマン船長はモノリスに着陸・・・したと思ったら、その
竪坑のような空間に入ってしまったわけです。
しかし、その中は「空っぽ」「星がいっぱい」という空間なわけです。
これまでのストーリーの流れからいえば、それが宇宙人がいままでに
収集してきた知識によって作られた仮想現実の立体映像という
べきものでしょうか。
p286
星空の膨張がはっきり見てとれるようになった。 まるで星々が想像を絶する速さで
こちらに突進してくるという感じだ。
・・・それは空間だけにかかわりあっているのではない。 彼はとつぜん気づいた。
ポッドの小さな計器パネルにはめこまれた時計も、おかしな動きを見せていた。
==>> これが、映画の中では、延々と続く星の流れというか、タイムトンネルと
いうのか、ワームホールの中を通り抜けるような映像ですね。
かなりしつこいまでの映像でした。
時間と空間を飛び超えているという表現なのでしょう。
p290
あの残骸は、いったい何万年前から、この荒涼としたチェッカー盤の世界に横たわって
いたのか、と思う。 ――― また、あの船で星の海をわたっていたのは、どんな生物
なのだろう?
・・・唯一、人間の目に異質さを感じさせないのは、その色だった。 もしそれが
確固とした人工物であり、幻覚ではないのなら、その建造者にも人間と共通する感情が
いくらかはあるにちがいない。 ・・・・紡錘形宇宙船は、どうやら黄金製らしいのだ。
==>> おやおや、またまた「妖星伝」を連想させる表現がでてきました。
「宇宙船は黄金製らしい」という部分です。
「妖星伝」に出て来たのは「黄金城」というものですが、それが宇宙船に
なるという設定なんです。
その黄金の宇宙船に、補陀洛人である外道皇帝やら鬼道衆、そして
二人の僧などが霊化して乗り込んで、宇宙を飛び回るのでした。
p291
これは一種の宇宙的な操車場―――時空の超次元を介して星間の交通をさばく巨大
装置にちがいない。 いま彼が通っているのは、いわば銀河系のグランド・セントラル・
ターミナルなのだ。
p296
―――おそらく百万年前には。 いまはどこを見わたしても、活動の痕跡は見あたら
ない。 この広大な宇宙港は月と同じく死の世界だった。
==>> なんだか、急にSFっぽくなってきました。
もちろん、この小説はSF小説なんですが、私には、どうしても
映画の芸術的表現が頭にこびりついているものですから・・・・
結局、ボーマン船長が見せられているのは、何百万年前かにある宇宙人の
文明が残した残骸ということのようです。
いわば、その遺跡を案内する案内板がモノリスだったのか?
p304
そこは地球のどんな大都市にでもありそうな上品なホテルの続き部屋で、スペースポッド
はそのつややかなフロアに降りていた。 目のまえにはリビングルームがあり、コーヒー
・テーブル、ソファー、十脚あまりの椅子、デスク、さまざまな照明器具が見えた。
・・・たとえ気が狂ったにしても、幻覚はみごとに構成されていた。 すべてが真に迫って
おり、背を向けても消えなかった。
p306
表紙には見慣れた活字で「ワシントンDC」とあった。
・・・適当にページをひらき、ぱらぱらとめくった。 どのページも空白で、
紙によく似たぱりぱりした白い物質でできていたが、紙でないことはたしかだった。
p307
みんな三年以上まえの本で、知的レベルはあまり高くない。 だが、それは問題では
なかった。 本は棚から抜くこともできなかったからである。
==>> 映画の中で、なんとも異様な幻想的な映像になっていたシーンです。
この小説では、あの映画のシーンが何だったのかの説明が書かれています。
要するに、人間の世界を表面的に撮影し、それを再構成してみせている。
単なる仮想現実ではなく、手で触ることができる。 しかし、中身は
ない物体がそこにある。
p309
ヘルメットがはずれると、ほんのわずか持ち上げて密閉状態を解き、おそるおそる
一息吸った。 どう考えても、まったく正常な空気だった。
・・・かけらを口に入れると、よくかんで吞み込んだ。 おいしいが、風味はどう
形容してよいかわからないほどとらえどころがなかった。
・・・餓死の心配はこれでなくなった。
p312
どの番組も、およそ二年前のものだった。 ちょうどTMA・1が発見された時期であり、
偶然の一致とは思えなかった。 地球の電波がモニターされていたのだ。
例のまっ黒な物体は、予想以上にいろんな機能を果たしていたらしい。
==>> その異様なホテルのような空間にあるものは、見た目は似ていても全く
味が異なる食べ物や、テレビ番組は月面にあったモノリスから送られてきた
と思われる番組であったり、少なくとも、空気は宇宙服がなくても生きられる
というように、ボーマン船長は、ある意味で歓迎されているような場所で
あるようです。
p313
眠ったまま、デイビッド・ボーマンはしきりに身じろぎした。 目がさめたのでも
夢見ているのでもないが、いまはまったくの無意識ではなかった。 霧が森のなかを
這うように、何かが心に侵入してきた。
p314
その啓示というか幻影はひとときで終わった。 つぎの瞬間、平面と格子の澄み切った
ながめ、動く光が結ぶ透視図の連なりはまたたいて消え、デイビッド・ボーマンは、
人間がいままでだれひとり経験したことのない意識の領域にはいった。
はじめは、時間そのものが逆行しているように思えた。
・・・記憶の源泉が汲み出されている。 ・・・彼はふたたび過去を生き始めていた。
・・・彼の人生がプレイバックされているのだ。
p316
地球から二万光年隔たった二重星の、その業火のまっただなかに浮かぶ空っぽの部屋で、
赤んぼうが目をひらき、うぶ声をあげた。
==>> これが映画のあの最後の場面です。
映画では分からなかったんですが、あの赤んぼうはボーマン船長だったんです
ね。私はボーマンではなく、人類の誕生を描いているのかと思っていました。
「人間がいままでだれひとり経験したことのない意識の領域」と書いてあり
ますから、理論的にも説明できない意識の世界という意味なのでしょう。
創作上の架空の意識の領域と言うべきでしょうか。
「地球から二万光年」という宇宙空間にどのような意味があるのかは分かり
ません。
p317
赤んぼうは、故郷にもどったことを知った。 このモノリスから、人類を含む多くの種族
が誕生したのだ。 だが同時に、ここに長くはとどまれないことも知った。 すぐあとには
いままで以上に不思議なもうひとつの誕生が待っている。
その瞬間がきた。 かがやく模様には、もはやモノリスの奥にひそむ謎のこだまは
見えなかった。
忘れられたスペースポッドの金属とプラスチックが、またかつてデイビッド・ボーマン
と名乗っていた生命体の衣服が、一瞬に炎と化した。地球との最後の絆はなくなり、
個々の原子へと融け去った。
p318
無敵の肉体は、心がえがきだす現在の彼のイメージであり、これほどの力を得たいま
でも、自分がまだ赤んぼう並みであることは知っていた。
とすれば、新しい形態をとる決心がつくまで、あるいは物質にたよる必要がなくなる
まで、いまの姿でいるだけだ。
p319
この定かならぬ混沌は、遠くで燃えたつ霧に照らされ、ふちがぼんやりと浮かびあがって
いるにすぎないが、それがまだ星にならない物質、いわば将来の進化の原料であることを
彼は知っていた。 そこでは<時>はまだはじまっていない。
p320
ふたたび自信を得ると、彼は度胸をすえたスカイ・ダイバーさながら何光年もの
かなたへ一気に跳躍した。 心の枠におさまっていた銀河が、彼に向かって炸裂した。
==>> 「このモノリスから、人類を含む多くの種族が誕生したのだ。」とモノリスの
正体が明らかにされています。
宇宙人の実験装置から人類は生まれたという設定であるようです。
しつこいようですが、ここでまた半村良の「妖星伝」を連想しました。
「妖星伝」では、宇宙人が地球にやってきて、遺伝子という形で生物の
進化に潜り込み、宇宙の異変を知らしめるために、黄金城が変化した
宇宙船に外道皇帝や鬼道衆たちそして二人の僧を乗せて、霊船としての
宇宙船が宇宙を駆け巡るという話でした。
肉体から解脱した宇宙人である補陀洛人が、まだ肉体から離脱できずに
煩悩に苛まれている地球人を解脱させようとするような展開でした。
この小説では、ボーマン船長自身の霊的あるいは知的生命体としての
赤んぼうが、新たな宇宙空間で新たな生命の歴史を始めようとしている
ように見えます。
「2001年宇宙の旅」は、これで完結しました。
小説では、上記のような終わり方になっているんですが、映画版で続編である
「2010年」を見たところ、その最後の場面は、木星の表面に無数のモノリスが
発生して、まるでウイルスのように急速に増殖するような動きで、爆発するという
結末でした。
映画の続編と小説では、結末の部分でかなりの差異が出ているのではないかと
感じました。
「2010年宇宙の旅」については、映画と小説があるようですが、
私は映画DVDでみました。
こちらのwikipediaに書かれている「あらすじ」とはちょっと違いがあるようでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/2010%E5%B9%B4%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E6%97%85
結論的な感想で言いますと、
映画は、映像と音楽で描かれた芸術であり、
小説は、文字で表現されるため、説明的にならざるを得ないので、SF小説だな
という感じでした。
そして、その小説は、半村良さんに大きな影響を与えたのではないか。
「妖星伝」は「2001年宇宙の旅」の日本版なんじゃないか、という感じがしました。
========== 完 ===========
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