李在鎬著「認知言語学への誘い」を読む ― その4(完) これは日本語教師にお薦めの本です。生成文法は全く別の次元の言語学です

李在鎬著「認知言語学への誘い」を読む ― その4(完) これは日本語教師にお薦めの本です。生成文法は全く別の次元の言語学です

 

 

李在鎬著「認知言語学への誘い ― 意味と文法の世界」を読んでいます。

 

 

「第7章 文法現象へのアプローチ」

 

 

p129

 

認知言語学は客観主義的言語観を批判的に捉え、認知主体の知のメカニズムから

言語現象を捉えようとするアプローチである。

 

・・・認知言語学は従来の言語観が支持する二分法的発想から脱却し、言語構造と

言語運用を連続的に捉える。 そのため、言語現象の意味論、語用論、統語論に至る

あらゆる側面に対する包括的な記述・説明を目指すアプローチである。

 

さらに、用語基礎モデルからも示唆されたこととして、言葉を生きた文脈の中で

捉えるべきと考えている。

 

==>> この解説に関しては、元日本語教師としても、今現在の「意識と志向性」

     に対する興味からも、納得できますし、期待しています。

 

     ここでちょっと、頻繁に出てくる「統語論」の意味について、確認しておきます。

     https://kotobank.jp/word/%E7%B5%B1%E8%AA%9E%E8%AB%96-580215

     「単語から文にいたる過程を研究する分野を従来から〈構文論〉〈統語論〉など

と呼んでいる・・・。単語がいきなり文をつくりあげるというより,なんらかの

中間的なもの(〈句〉とか〈節(せつ)〉とか呼ばれるものや,〈文節〉などと

呼ばれるもの)を形成し,それが最終的に文を構成するといった状態にあるので,

どのような中間的なものがあり,それがどのような範疇(〈名詞句〉とか〈述語〉

とかは,このような範疇の存在を主張する術語である)に分属しているかと

いったことが,この分野の中心的研究対象になる。」

 

・・・この統語論から私が連想するのは、「総合情報理論」というものです。

 

マルチェッロ・マッスィミーニ/ジュリオ・トノーニ著

「脳の謎に挑む総合情報理論、意識はいつ生まれるのか」

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2020/11/post-249733.html

「p111

統合情報理論とは、・・・・意識の謎を解く鍵である。この理論の肝となる事実

は、まさにわれわれの主観的な経験をダイレクトに観察することで得られた。

哲学であれば、さしずめ「現象学」といったところだ。

統合情報理論の基本的な命題は、ある身体システムは、情報を統合する能力が

あれば、意識があるというものだ。」

 

・・・脳の構造と機能に沿った形で、言語学の統語論というものが

説明できれば、意識や意味というものも何らかの結論が出せるのでは

ないかなと期待しています。

 

p131

 

認知言語学では、すべての構文は必ずなんらかの(他に還元できない独自の)意味を有する

と分析しており、それは同時に何等かの(外部世界における)出来事に対応するものと

位置づけている。 

 

・・・四つのタイプを認めている。 ・・・動的事態・・・静的事態・・・知覚的事態

・・複合的事態である。

 

==>> 「構文は・・・意味を有する」ということについては、日本語教師として

     文型というのをさんざん使ってきましたから、それはそうだろうと思います。

     ただし、ひとつの構文だけでは意味が確定しないようなケースもあるので、

     その場合は文脈を見ることになるかと思います。

 

p135

 

各々の格助詞は動詞との関係、構文全体との関係で何らかの意味的機能を担っている

これを指して、意味役割または項役割と呼ぶ。 ・・・・こうした意味役割の多様性を

理解することが構文研究にとって重要であるという認識が広がった。

特に単なる形式の研究ではなく、意味の研究にとっては欠かせない要素である。

 

 

p139

 

・・・構文研究の分析枠組みとして構文文法というものがある。 その枠組みの

中心軸になっている考え方は、「言語のあるまとまった単位にはそれ固有の意味がある」

というものである。 また、その固有の意味たるものは個々の要素からは直接的には

予測できないという。

 

p140

 

(17)a. 今晩はパーティに行くことは行きますが、少し遅れると思います

 

・・・(17a)で言えば「定時にパーティーに参加してくれること」)を同時に打ち消す

効果を持つ。 ・・・・そして、・・・「少し遅れること」が明記されている。

 

・・・期待することを最低限にとどめさせるという発話行為的な意味の存在を認める

ことができるが、この意味は構成要素からは予測できない

 

==>> ここでは、上記の「その固有の意味たるものは個々の要素からは直接的には予測

できない」という文例を掲げています。

この後に、「構文の意味は単純に語句の意味を出し合わせただけでは得られない

という見方ができる。」

 

・・・・ただ、私が日本語教育で学んだことから言えば、

この「~~が、~~」という構文は、前文肯定・後文否定の形ですから、

「行きます」「遅れます」という予測は出来るんじゃないかと思うのですが。

ここに書いてある解説の意味がよく分かりません。

 

 

p145

 

・・・同じ構造を共有する以上、これらの文には意味的同一性が保証されていなければ

ならない。 しかし、これらの文に内在する意味の内実はかなり異なる

 

 

==>> ここに掲げられている文例は以下のものです。右側にその意味を私が

     追加しています。

 

     a.患者が診察室に消えた。 (診察室に入った)

     b.富士山が春霞に消えてしまった。(霞で見えなくなった)

     c.長崎市長候補者が凶弾に消えた。(殺害された)

     d.生活費が飲み代に消えた。 (使ってしまった)

 

・・・たしかに、このような文例を見ると、同じ構造をしていて、動詞も

同じなのに、意味はまったく異なるということですね。

 

p148

 

日常表現に見られる多くの現象では、構文と語彙の意味は未分解のものであることが

多く、 このような問題意識こそが構文文法が捉えようとする言語の本質的な側面で

あり、認知的構文研究が目指すべきゴールでもある。

 

==>> 構文と語彙だけじゃなく、文脈もかかわって意味が決まるような気が

     します。 そうなると、さらに難しくなりますね。

 

 

「第8章 最後に:これからの認知言語学」

 

p152

 

認知言語学が言語研究のパラダイムとしてもっとも貢献できる点は意味に関する

研究である。 これまで20年間近い研究の歴史で、蓄積してきたさまざまな知見が

成熟しつつある今こそ、さらなるモデルの精緻化が期待される。

 

意味に関する分析は、最終的には分析者の直感に頼ることが多いため、分析結果の

共有が難しい。

 

p153

 

認知言語学は、その本来の姿として学際的アプローチへの嗜好性が強く、研究の

動機としても言語の研究=人間の研究という位置づけでもって、研究を推進してきた。

 

・・・認知言語学は、関連分野の知見をより積極的に取り入れるべきであるが、今現在の

実体は必ずしもそうなっていないように思う。

 

==>> 「意味」というのは一体全体なんなのか、という疑問を持って、あちこちの

     本をつまみ食いしてきました。この本には「意味と文法の世界」と書いて

     あったので、かなり期待をしていたんですが、結局は私が期待していた点は

     触れられておらず、言語学の範囲内に収まっている感じでした。

 

     それはそれとして、この認知言語学の本は、今から日本語教育に入ろうと

     思っている人や、すでに現場で教えている日本語教師の方には、良い本では

     ないかと思います。

     

 

この本と相前後して、福井直樹著「自然科学としての言語学―生成文法とは何か」

読んでいるんですが、こちらの生成文法の方は、認知言語学よりもさらに学際的な

色合いが濃くなっていまして、「文法」というよりも、脳の機能としてどのような言語

処理がされているのかという、まさに自然科学の領域になっているようです。

文系や理系という垣根を超えた自然科学、科学的アプローチをしているということです。

つまり、数学的な考え方ができないとなかなか理解するのが難しい本です。

よって、私の理解を越えていました。

 

 

気が向いたら、この「生成文法」についても、感想文を書きたいと思います。

 

 

 

==== 完 ====

 

 

 

 

 

 

 

 

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