ノーム・チョムスキー著「誰が世界を支配しているのか?」を読む ― その3 人権 外交の国が 拷問でテロリストを産む
ノーム・チョムスキー著「誰が世界を支配しているのか?」を読む ― その3 人権外交の国が 拷問でテロリストを産む
ノーム・チョムスキー著 大地舜 神原美奈子 訳
「誰が世界を支配しているのか?」を読んでいます。
「第二章 「世界」に追われるテロリストたち」
p067
米国とイスラエルの犯罪を擁護する人々は、真面目に次のように説明する。 アラブ人は
意図的に市民を殺す。 だが、米国とイスラエルは民主主義社会なので意図的には殺さない。
つまり、米国とイスラエルによる殺しは“事故”だという。 だから、敵であるアラブ人
テロリストなどの邪悪さとはレベルが違うというわけだ。
・・・言い換えるなら、犯罪は三種類に分類できる。 意図的殺人、事故による殺害、
人が死ぬことは事前にわかっているが、特別な意図がない殺人。 イスラエルと米国の
残虐行為は、三番目に分類されるケースが多い。
==>> 歴史を振り返ってみると、ニュースの論調としては、確かにそんな扱いだった
ように思います。 死者の数としては圧倒的にアラブ人側のほうが多いよう
です。
p069
2008年から2009年にホワイトハウスが公表した拷問についてのメモは、衝撃と
憤慨と驚きを呼び起こした。 特に上院軍事委員会における証言が衝撃的だった。
「ほとんどの時間はアルカイダとイラクのつながりを見つけるために費やされたが、
何も見つからなかった。 上層部は欲求不満を募らせ・・・上から“即効性のある方法”を
使え、という圧力がどんどんかかってきた」
―― “即効性のある方法”。 つまりは拷問だ。
p073
この公印は、・・・米国が生まれた頃の「米国の理念」を絵で表現したものだ。
・・・当然ながら、北朝鮮の金日成なみに崇拝される“野蛮な殺し屋で拷問者”である
レーガンの背景画にもぴったりだ。 ・・・政権の座にいた頃、中央アメリカや他の
場所でも悪名高い多くの犯罪を指揮している。
この公印は、初期の時代における「人道主義的介入」の宣言だ。
・・・米国最初の陸軍長官ヘンリ-・ノックス将軍は「先住民の徹底的な撲滅が、北部
諸州のもっとも人口の多い地域で進んでいる」。 これは「先住民にとって、
メキシコやペルーの征服者による搾取よりも、もっと破滅的だ」と述べている。
==>> ここでは、アメリカが不法な拷問を実行していたという事実が軍事委員会で
公にされたことを述べています。
そして、それは、歴史的にみれば、建国初期から、元々アメリカ大陸に住んで
いた、いわゆるアメリカ先住民を徹底的に撲滅していったことにも表れて
いるということのようです。
このような先住民への迫害は、日本でもあった話ですが、今の日本の軍事的な
分野でどうかというのは、一応防衛省という名前ですから、あり得ないと
思いますが、入管での外国人の扱いについては、最近問題にされていますので、
日本では全く問題ないと言い切るのは憚られます。
p075
1898年にキューバへの「人道的介入」に成功したあと、神の導きによる次の
ステップはフィリピンの「すべての救済されたい人々に、自由と文明の恵み」を与える
ことだった(ロッジによる共和党綱領)。 だがこれには少なくとも、残忍な猛攻撃、
広く使われた拷問など、多くの残虐行為が伴っていた。
p076
幸運なフィリピン人たちは、米国が設立したフィリピン警察の哀れみに恵まれることと
なった。 そこには新たに考案された植民地支配モデルが適用された。 植民地支配は
よく訓練された治安部隊に頼っており、治安部隊には洗練された監視、威嚇、暴力の装備
が与えられていた。
似たようなモデルは他の多くの場所に適用されており、米国は残忍な国防軍や部隊を
押し付けている。 その結果については、もっと広く知られるべきだ。
==>> これは、アメリカとフィリピンの間での戦争のことかと思いますが、
Wikipediaには以下のような記述があります。
「アメリカ合衆国との間に米比戦争が勃発する。翌1899年1月23日に
アギナルドはマロロス憲法を公布しフィリピン共和国(第一次共和国)を樹立、
初代大統領に就任した。1900年には当時の首都マロロスが陥落し正規軍は解散、
ゲリラ戦を展開するが、翌1901年3月、イサベラ州パラナンでアギナルドは
米軍に捕らえられアメリカの主権を認めざるを得なくなった。1902年までに
アメリカ軍がフィリピン主要部を占領し、アメリカ合衆国の植民地となった。
「フィラデルフィア・レジャ」紙は、米比戦争の二年間でルソン島住民の六分
の一が殺されたと当時報道しており、これは約61万6000人にのぼる。」
フィリピンは、スペインにおよそ330年間、アメリカには約40年間、
そして日本には4年間ほど植民地にされたわけですが、ごく一般的には
スペインはキリスト教、アメリカは教育を残したのに、日本は残虐さの印象
しか残さなかったと思われているようです。
フィリピン人の知人から聞いた話では、日本が太平洋戦争を始める前に
唱えていた理想は良かったけれども、実際は言っていることとやっている
ことが正反対で酷かった・・・ということでした。
そして、日本の場合は、沖縄のことを忘れてはいけませんね。
沖縄は 1945年から1972年までは、アメリカだったわけですし。
https://www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/hewa/rekishi/nenpyo/index.html
沖縄がアメリカだった時代には、当然のことのように、フィリピン人が
米軍として沖縄で働いていたようです。 フィリピンには最大の米軍基地
があったからでした。
しかし、そのフィリピンも今のドゥテルテ政権においては、かなり反米的
な姿勢を示しているようです。
なぜ大統領が反米的なのかの理由については、いくつかあるようですが、
上記のような歴史的事実もそのひとつかもしれません。
https://imidas.jp/jijikaitai/d-40-149-20-03-g513
「ドゥテルテ大統領は19年4月21日にカバドバラン市で行った演説で、2012
年に中国の実効支配を許した「スカボロー礁事件」の例を挙げ、「アメリカは
(中国との戦争に巻き込まれるのを)恐れていた。彼らは、こんな小さなものを
めぐる戦争には価値がないことを知っていた。もし中国が攻撃してきて
アメリカが我々を助けようと決断したら、世界戦争を引き起こすかもしれない
からだ。核戦争になれば、世界には何も残らない」と語った。」
・・・かなり先を読んだドゥテルテ大統領の判断なのかもしれません。
p078
エドワード・ハーマンによるさらに膨大な研究では、驚くことでもないが、米国の援助は
ビジネスのしやすい環境と密接に結びついているのがあきらかにされている。
労働者や小農民を組織する人々や人権運動家などを殺すことで、ビジネスを行ないやすい
環境が生まれる。 その結果、援助と“呆れるほどひどい人権無視”の相関関係が生まれる
のだ。
これらの研究はレーガン政権時代の前に行われた。 だが、今ではこれらの相関関係が
あまりにもはっきりしているので研究に値しなくなっている。
p079
マッコイが指摘するには、洗練されたCIA拷問プログラムは1950年代から
60年にかけて、「KGBのもっとも破壊的な技術」をもとに膨大な費用をかけて
開発された。 これは精神的な拷問が中心で、肉体を痛めつける野蛮な方法ではない。
後者は“従順な人間”を創るのに、あまり効果的ではないと考えられている。
・・・米国の解釈では感覚の剥奪や自傷行為は拷問に含まず、こうした拷問技術を
CIAは莫大な費用をかけて洗練していたのだ。
1994年にクリントンが米国議会に国連条約の承認を求めたとき、その中に
レーガン政権の保留条件を含めていた。 つまり大統領と議会は、拷問条約から
CIA拷問プログラムの核心を外していた。
==>> アメリカと言えば、「人権外交」というのがひとつのパターンなんですが、
私のような政治的素人さんはコロリと騙されてしまっているわけですね。
フィリピンでも、さまざまなNGO関係者が神隠しにあうように姿を
消してしまうということがあるようです。 様々な援助の陰には、
そのような政治的抹殺のようなことが起こっているようです。
実際にバギオ市でもフィリピン人の友達からそのような話を聞いたことが
あります。
p082
拷問がテロリストを生み出す
情報を引き出すのに拷問が効果的かどうかについては議論が絶えない。
この議論は、もし拷問が効果的ならば正当化することを想定している。
p083
キューバにも同じことがいえる。 カストロ政府がケネディ兄弟を捕獲できたなら、
米国流に彼らを拷問しても正当化されるだろう。
・・・このような考察は、公開討論などの場で取り上げられることがまったく無いようだ。
はっきりしているのは、拷問に効果があるからといって正当化はできないことだ。
==>> なるほど。 確かにそういう理屈になりますね。
p083
キンズレーは、彼らによる一般市民攻撃は“ある基準”を満たすならば正当化できると
説明した。
キンズレーの言う“ある基準”とは、「賢明な政策で費用対効果分析のテストに合格するもの」
だ。 分析対象は「つぎ込まれる血と悲惨の量と、その後に民主主義が発生する可能性」
であり、「民主主義」の姿は米国のエリートが決めることになる。
==>> 広島と長崎の件は、この「民主主義が発生する可能性」というテストに
合格した明白なケースという話になりそうです。
そして、そのような考え方は、今でも米国においてはしっかりと国民の間に
定着しているようにみえます。
p084
アレクサンダー陸軍少佐はブッシュ政権による過酷な尋問手法を侮蔑している。
・・・何百回という尋問の中でアレクサンダー陸軍少佐が発見したのは、外国の戦士たち
が、グアンタナモやアブグレイブにおける虐待に反発してイラクに来ていることだ。
外国の戦士だけでなくイラク国内の戦士たちも、虐待に反発して自爆テロに走っている。
p085
チェイニーとラムズフェルドが推奨した拷問方法によって、無数のテロリストが生まれた
多くの証拠がある。
2008年3月に爆弾を搭載したトラックを運転してイラク軍の宿舎に突っ込んだ。
彼も死んだが13人のイラク兵も亡くなった。
ワシントンポスト紙は「元グアンタナモ囚人による、もっとも凶悪な暴力」だという。
アル=アジミの弁護士は、監獄での虐待が直接的な原因だという。
道理をわきまえた人ならば、当然だと思うだろう。
==>> 拷問を受けたことに対する反発としてテロを行なうようになるという
ケースがどれほどの件数あったのか原因と結果というように単純には
繋がらないとは思いますが、どうでもよい理由で逮捕されて拷問を受けた
とするならば、その恨みは深くなることは想像できます。
p085
拷問に対するもう一つの言い訳は、ブッシュが“9.11”後に宣言した「テロとの戦い」
だ。 テロは伝統的な国際法を時代遅れにしたと、のちの司法長官アルバート・ゴンザレス
はブッシュ大統領に言っている。 この考えはその後、評論や分析で何度も強調されて
いる。
実のところ、米国が直接攻撃されたのは1814年に英国軍が首都ワシントンを焼き尽く
して以来のことだ。
p086
フランスは植民地化を「文明化の使命」と呼び、フランスの軍事大臣は、アルジェリアの
「現地人を抹殺せよ」と呼びかけた。 英国の高貴さは「世界の新種である」と
ジョン・スチュアート・ミルは宣言した。 同時にこの天使のような勢力がインド解放
にこれ以上グズグズしてはならないとせき立てた。
ミルの古典的な道義的介入論が書かれたのは、1857年のインド反乱を、英国が残虐な
手段で抑圧したことが公になったすぐあとだった。 インドを征服した主な目的は、
英国の巨大アヘン密売産業のためにアヘン貿易の独占権を得ることだった。
==>> 欧米各国が世界中で植民地化を進めた時代には、当然のことのように
「天使のような勢力が」様々な国を「解放」するために、残虐行為を意図的に
行ってきたということですが、国と国との戦いであったものが、相手の姿が
見えない時代に入ってしまったということであるようです。
ちなみに、フィリピンはスペインによって、アジアの中での唯一のキリスト教国
として「解放」されたわけですが、その同時代に、日本は戦国時代真っ盛りで、
武力によって「天使の勢力」を一掃することになりました。ただし、その相手は
伴天連という外国人も含んだものの、ほとんどは日本国民であったわけです。
もし、米国の拷問政策が、米国民への攻撃の原因になっていることが
明らかになった場合には、米政権は「普遍的な道徳の規準からみて、
有罪になる可能性がある」と書かれています。
p086
このような「例外主義」の考えが根深くあると、歴史が歪んで伝えられ、多くの
恐ろしい犯罪が忘れ去られてしまう。 たとえば、南ベトナムのソンミ村虐殺事件だ。
この事件は、テト攻勢以降の和平工作プログラム中で米国が行った、膨大な残虐行為の
ほんの一例にすぎない。 だが、米国民の憤激はこのひとつの犯罪のみに集中されて
いる。
==>> この虐殺事件については、wikipediaでどうぞ:
「ソンミ村虐殺事件は、ベトナム戦争中の1968年3月16日、アメリカ軍兵士
がクアンガイ省ソンティン県ソンミ村で非武装のベトナム人住民を虐殺した
事件。ソンミの虐殺はベトナム反戦運動のシンボルとなり、また国外でも大きな
批判の声が起こって、アメリカ軍が支持を失うきっかけとなった。」
・・・
この事件は1968年ですから、私が高校3年の時でした。
上記のサイトに書かれているように「べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」
というのがあって、私の同級生も活動をしていました。 私はもちろんノンポリ
で、な~~にも知らない受験生した。
それでは、次回は「第四章 権力の見えざる手」に入ります。
=== 次回その4 に続きます ===
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