馬場紀寿著「初期仏教―ブッダの思想をたどる」を読む ― 1 もしかして、釈迦は唯物論を知っていた? 六師外道とデモクリトスの原子論

馬場紀寿著「初期仏教―ブッダの思想をたどる」を読む ― 1 もしかして、釈迦は唯物論を知っていた? 六師外道とデモクリトスの原子論

 

 

私の「ツンドク」には、仏教関連の本が4冊ありまして、先日読んだ「インド文化入門」

に続き、今後感想文を書きたい「初期仏教」、「阿含経入門」そして「インド宇宙誌」

控えております。 近々、「阿頼耶識」の入門本も届く予定です。

 

今の私のテーマは、「意識とは何か」と「科学的に意識はどのように説明されているのか」

ということです。 出来れば「意識に志向性があるのは何故か」を知りたいと思っています。

「臨死体験」の本を読んでいるのも、その一環という位置づけです。

ということで、今回は馬場紀寿著「初期仏教―ブッダの思想をたどる」を読んでいきます。

 

====

 


 

pii

 

まず初期仏教は、全能の神を否定した。ユダヤ教、キリスト教やイスラム教で信じるような、

世界を創造した神は存在しないと考える。 神々(複数形)の存在は認めているが、

初期仏教にとって神々は人間より寿命の長い天界の住人に過ぎない。・・・もし「神」を

全能の存在と定義するなら、初期仏教は「無神論」である

 

piii

 

さらに、初期仏教は、人間の知覚を越えた宇宙の真理や原理を論じないため、老荘思想

のように「道」と一体となって生きるよう説くこともない。 主観・客観を超えた、言語

を絶する悟りの体験といったことも説かない。 それどころか、人間の認識を超えて

根拠のあることを語ることはできないと、初期仏教は主張する。

 

==>> いきなりに「無神論」であるとか、「言語を絶する悟りを説かない」などと

     出てくると、驚いてしまうんですが、これは「スッタニパータ」(ブッダの

ことば)を読んだ折りにもう既に驚きましたので、二度目は驚きません。

     

     「スッタニパータ」にどんなことが書かれていたかは、こちらで:

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/08/post-cdd1.html

     「(27) 釈迦は宗教を否定?

「教義によって、学問によって、知識によって、戒律や道徳によって清らかに

なることができる」とは、わたくしは説かない。 「教義がなくても、学問が

なくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることが

できる」とも説かない。 それらを捨て去って、固執することなく、こだわる

ことなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。(これが内心の平安で

ある。)

家を捨てて、住所を定めずにさまよい、村の中で親交を結ぶことのない聖者は、

諸々の欲望を離れ、未来に望みをかけることなく、人々に対して異論を立てて

談論をしてはならない。

「祭祀や儀礼が宗教にとって本質的なものであるという見解に従うならば、

原始仏教は宗教を否定しているということになる。」

 

     つまり、ブッダは形而上学を訊かれても答えなかったとされていますので、

     その意味においては、かなりの現実主義であったのではないかと思います。

 

piii

 

初期仏教は、それに代わって、「個の自律」を説く。 超越的存在から与えられた規範

によってではなく、一人生まれ、一人死にゆく「自己」に立脚して倫理を組み立てる。

さらに、生の不確実性を真正面から見据え、自己を再生産する「渇望」という衝動の

克服を説く。

 

==>> 著者は、このような初期仏教のあり方は、現代の先の見えない社会状況の

     中で、その意味を増しているのではないかと見ているようです。

 

pv

 

第三の歴史的読解とは、仏典を歴史的文脈で読み解く作業である。 ・・・恣意的な

解釈を慎み、文献学的に正確な読解を目指す。

・・・本書は、この第三の読解を目指している。

 

==>> この著者は、このようなスタンスで、宗教的解釈ではなく「歴史的」に

     初期仏教を探っていくという態度であるようです。

 

p4

 

インダス川上流の五河地域に達してからガンジス川流域に進出して国家形成に向かう

約1000年のあいだに、アーリア人は聖典「ヴェーダ」を編纂し、口頭で伝承した

当時、文字はまだ存在していない。 ヴェーダはサンスクリット語で伝承された。

 

p5

 

ヴェーダとは、神祭りにかんする聖典である。 ・・・四ヴェーダから成る。 

各ヴェーダは、祭文の集成である「サンヒター」、祭式について解説する「ブラーフマナ」

「アーランニャカ」、哲学的思考を展開する「ウパニシャド」から構成され・・・・

 

p6

 

ヴェーダにもとづくアーリア人の信仰を一般に「バラモン教」という・・・・

 

p7

 

聖典名の「ヴェーダ」という語は、「知識」を意味する。 アーリア人の世界理解を示す

このテキストには、その時間意識と空間意識が表れている。

 

==>> 恥ずかしながら、「ヴェーダ」という言葉や「ウパニシャド」については、

     漠然としか知りませんでした。特に「ウパニシャド」哲学というのが

     インド文化の中でどのような位置づけであったのかを知ったのは、これが

     初めてです。

 

p8

 

この「天界における再死」という問題に対する解決策として、ヴェーダの新層である

ウパニシャドでは、宇宙原理ブラフマン(梵)と自己(我)との一致が提示される。

自己が個人の属性を捨て、宇宙原理に合一することによって、「天界における不死」が

実現するのである。 これが、有名なウパニシャド哲学における「梵我一如」に他なら

ない(「生命エネルギー循環の思想――「輪廻と業」理論の起源と形成」)。

 

==>> おお、「梵我一如」はウパニシャド哲学が出処だったんですね。

     それが仏教の「即身成仏」に発展したのでしょうか。

 

     「自己が個人の属性を捨て、宇宙原理に合一する」というのは、読んだばかりの

     立花隆著「臨死体験」に出て来た体験者の話に通ずるものがありますし、

     湯川秀樹博士の「素領域論」を展開している保江邦夫著「神の物理学」に出て

くる完全調和の宇宙にも似ていると思います。

 

     ここでふと思ったのは、バラモン教におけるウパニシャド哲学は、

     大乗仏教における龍樹の「中論」という位置づけになっていくのでしょうか。

 

     ウパニシャドは:

https://kotobank.jp/word/%E3%82%A6%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%89-35053

    「古代インドの神秘的な哲学説を記した聖典。「奥義書(おくぎしょ)」とも訳され、

・・・ウパニシャッドの名をもつ文献は優に100種を超え、紀元前500年以前

にまでさかのぼれるものから、10世紀以後につくられた新しいものまで雑多で

ある。」

 

     中村元著「龍樹」-「ナーガールジュナ(龍樹)の生涯」 「空」=「ゼロ」

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/11/post-54b6.html

     「p5

仏教の伝統的用語では「空」の思想を「空観」とよぶ。空観とは、あらゆる事物

(一切諸法)が空であり、それぞれのものが固定的な実体を有しない、と観ずる

思想である。

結局これが結論みたいなものなんでしょうが、その歴史について以下のように

あります。

ー すでに原始仏教において説かれていた。

ー 大乗仏教初期の「般若経」で発展、基本的教説となった。

ー 龍樹がこれを哲学的・理論的に基礎づけた。

ー 日本において「八宗の祖師」と呼ばれる。」

 

p10

 

「マヌ法典」は、行為規範の論拠として、「リグ・ヴェーダ」から継承した世界創造の

神話を示す。 最高神ブラフマンの頭から、祭式を行なう祭官(ブラーフマナ、婆羅門)が

生じ、腕から武人(クシャトリヤ)が生じ、眼から生産活動に従事する庶民(ヴァイシヤ)

生じ、足から隷民(シュードラ)が生じたと説くのである。

 

・・・それぞれを姓(ヴァルナ)といい、この四つの序列が四姓である。

・・隷民(シュードラ)としてアーリア人社会の最下層に位置づけられたのは、おそらく

先住民であろう。

 

==>> この四姓というのが、いわゆるカースト制度のことですね。

     つまりは、侵略したアーリア人が作った神話に基づいて、先住民を統治する

     制度になったということのようです。

     

     この四姓のカーストの外、最下層に置かれたのが、いわゆる不可触民ですが、

     詳しくはこちらでどうぞ:

https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E8%A7%A6%E6%B0%91-123760

     「アスプリシュヤという社会階層概念は紀元前後に成立した『マヌ法典』には

みられず、それより少し後の『ビシュヌ法典』に初めて現れる。紀元後400600

年の成立とされる『カーティヤーヤナ法典』には、アスプリシュヤに関するより

詳細な規定がみられるから、このころには、被差別諸集団を一括して不可触民

する考え方が定着してきたのであろう。」

 

それでは、日本の古代における身分制度とは、どんなものだったでしょうか。

「士農工商」は誰でも知っていますが、それよりずっと前はどうだったん

でしょうか。

「古代の身分制度」

https://koukounetzemi.com/456

律令制度のもとでは、天皇以外の全ての国民は5つに分けられました。

官人(役人)・公民(農民)・品部or雑戸(技術者)、そして奴隷です。奴隷以外

4つをまとめて良民と言い、奴隷は賤民(せんみん)と言いました。」

 

こちらのサイトでは、邪馬台国の時代にもあったと書いてあります。

https://kotobank.jp/word/%E8%BA%AB%E5%88%86%E5%88%B6%E5%BA%A6-872533

「日本においては邪馬台国 (やまたいこく) の大人 (たいじん) ・下戸にすでに

みられ,氏姓制度や律令国家の官人,良・賤の別などが定められている。鎌倉・

室町時代にも武士の進出という過渡期で明瞭ではないが,身分の別は存在した。」

 

==>> 日本の場合は、中国の制度のコピーだったということでしょうか。

     少なくとも、神話がもとになっているという話は聞いたことがないですね。

 

 

p12

 

ギリシアでソクラテスやプラトンが活躍したまさにこの時代に、帝国に支配されず、多彩な

小国家が並存していたガンジス川流域でも、多様な思想が花開いた。・・・紀元前三世紀

この地域は、アケメネス朝ペルシアの影響を受けて成立したマウリヤ朝によって統一され

ることになる。 ・・・やがて巨大な帝国に統一されるまでのわずか200年前後しかない

この時期に、仏教は誕生したわけである。

 

==>> さて、仏教が生まれたころのペルシアとインドの位置関係を確認しておき  

     ましょう。 こちらのサイトに地図がありました。

 

     「インド 仏陀の時代~マウリア朝」

     http://yosaburo.web.fc2.com/coin/others/budda.html

     「その当時のインドは、十六大国時代。国の数は16という数よりはるかに多く、

その中からどの国をベスト16に入れるかは定説を見ないようである。

ゴータマ・シッダールタ(釈迦)は、マガダ国とコーサラ国に挟まれた小国の

王子に生まれた。仏陀としての布教活動もガンジス川中流域であった。」

 

 

p14

 

農耕による余剰生産物は、ガンジス川を交易路として、流域における商業の発展と都市

の成立を促した。 マガダ国の都ラージャグリハ(王舎城)、コーサラ国の都シュラー

ヴァスティー(舎衛城)、・・・・。 

 

さらに仏典では、「庶民」はしばしば「家長」と言い換えられた。 「家長」とは具体的

には資産家を指している。 また、商人や高級娼婦が仏教教団に対する園林の寄進者

して登場する。 都市では庶民のなかから富裕層が台頭していたのである。

 

==>> 宗教と言えども、ちゃんと資金を出してくれる富裕層がいないと無理という

     ことのようですね。 特に、ブッダの時代は、修行者は何も持たないことが

必須条件なんですが、乞食(こつじき)をしないと死んでしまいますからね。

それにしても、高級娼婦が寄進者のなかにいるというのは恐れ入りました。

 

p17

 

アーリア人の伝統的価値観では、ガンジス川流域は不浄な土地だった。 しかし、まさに

その地から、都市の成立を背景として、虚無主義、唯物論、運命論、懐疑論などを説く

思想家たちが現れた。 彼らの作品は伝存しないが、仏典にはこうした新思想の担い手たち

が記録されている。 彼らは仏教側から「六師外道」と呼ばれた

 

==>> 唯物論もインドで生まれたということでしょうか。しかし、文字がなかった

     時代とはなんとももどかしいものです。

     

     「六師外道」をチェックしておきましょう。

https://kotobank.jp/word/%E5%85%AD%E5%B8%AB%E5%A4%96%E9%81%93-152634

     「ゴータマ・ブッダ在世当時に活躍した,6人の代表的なインドの自由思想家

たち。王権が伸張して旧来のバラモンの威信が次第に衰え,また貨幣経済が発展

し,物質的生活が豊かになっていった時代を背景に現れた思想家たちであるが,

彼らを総称して,「つとめる人」 sramaa (→沙門 ) と称する。これらのなかで

「六師」と呼ばれる思想家たちは,

道徳否定論を説いたプーラナ・カッサパ,

7種の要素をもって人間の個体の成立を説いたパクダ・カッチャーヤナ,

輪廻の生存は無因無縁であるとし決定論を説いたマッカリ・ゴーサーラ,

唯物論を主張したアジタ・ケーサカンバラ,

不可知論を唱えたサンジャヤ・ベーラッティプッタ,

ジャイナ教の祖師であるニガンタ・ナータプッタ (→マハービーラ ) である。」

 

唯物論の発祥がどこであるかは分かりませんが、こちらのサイトでは

このような記事があります。

 

唯物論という名称は18世紀に成立したものであるが、その考え方は

初期ギリシア哲学にすでにみられるデモクリトスの原子論によれば、原子と

空間以外には何物も存在しない。・・・霊魂の作用も、原子の作用の一種と考え

られていた。ソクラテス、プラトン以後、さらに中世を通じて唯物論は衰退した

が、近世に至り、F・ベーコン、ガッサンディを先駆者として、18世紀イギリス、

フランスにはそれぞれ独自の唯物論が発展した。」

 

==>> このデモクリストをチェックしたところ、面白い記事が

Wikipediaにありました。 

 

デモクリトス(・・・紀元前460年頃-紀元前370年頃)は、古代ギリシア

の哲学者。ソクラテスよりも後に生まれた人物だが慣例でソクラテス以前の

哲学者に含まれる。」

「レウキッポスを師として原子論を確立した。アナクサゴラスの弟子でもあり、

ペルシアの僧侶やエジプトの神官に学び、エチオピアやインドにも旅行した

伝えられる。」

・・・これから憶測を巡らせば、唯物論は レウキッポスからデモクリトス、

そしてインドを旅行した時にインドの「六師」となんらかの接触があったの

かもしれません。(ただし、釈迦が実在した時期が、「紀元前7世紀、紀元前6

世紀、紀元前5世紀など複数の説があり、正確な生没年は分かっていない」と

ありますので、どうなんでしょうか。)

 

 

p20

 

所有を認められている在家信者は、こうした出家を支援し、死んで転生した後のいずれか

の生存で解脱できるよう功徳を積む。 ジャイナ教は商人階級に支持者を得て存続し、

今日もインドで大きな影響力を維持している。 信者数はインド全人口のわずか1%に

すら満たないにもかかわらず、インド政府の所得税収の約四分の一がジャイナ教徒により

支払われている。

 

==>> ジャイナ教と仏教はかなり似ているという話も聞きますが、インドにおいて

     なぜジャイナ教が生き残り、仏教がほとんど姿を消したのか、何故なんでしょう。

     

     https://todaibussei.or.jp/izanai/03.html

     「仏教とジャイナ教の間には、かなりの共通点があります。それもそのはず、

両者が生れたのは同じ時代、同じ地域だったのです。 さらには、仏教の開祖で

ある釈迦とジャイナ教の開祖マハーヴィーラは、同じく王族階級の出身でした。

その結果、たくさんの共通点が生れました。 それらは、信者が守るべき戒め、

開祖の呼び名、お経の登場人物、お経に出てくる表現や比喩など、様々な点に

認められます。 特に、お経に出てくる表現の類似は、非常に興味深いものが

ありますので、・・・」

「しかし、両者には相違点もたくさんあります。一例を挙げると、仏教は、大乗

仏教の誕生などの大きな展開を見せ、中央アジア、中国、朝鮮半島を経て、日本

にまで伝わりました。 他にも、チベット、モンゴル、東南アジアなどに広がっ

ています。しかしながら、インド本国では13世紀頃に衰退してしまいました。」

 

このジャイナ教と仏教の違いは、おいおい出てくるかと思います。

 

 

 

=== 次回その2 に続きます ===

 馬場紀寿著「初期仏教―ブッダの思想をたどる」を読む ― 2 阿羅漢果を得た高級娼婦はお釈迦様のスポンサーだった (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

 

 

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