辛島昇著「インド文化入門」を読む ― 7(完) マハトマ・ガンディーの失敗?
辛島昇著「インド文化入門」を読む ― 7(完) マハトマ・ガンディーの失敗?
今回は「インド文化入門」を読んでいます。
「15 マハトマ・ガンディーの試み ―― 糸車をまわす」
p242
ガンディーは1869年10月2日ポールバンダルに生まれた。・・・父親は小さな
藩王国の宰相をしていた。 元来はモード・バニヤーといって食料品を扱う商人カースト
のヒンドゥー教徒の家系であったが、・・・・断食を含めて、自己犠牲をいとわない敬虔
なヒンドゥー教徒としてのよき伝統を、ガンディーはその母から受け継いだといわれて
いる。
p243
ガンディーは16歳のときに父を亡くしたが、19歳のとき一族の栄誉を担ってイギリス
に留学する。 ・・・弁護士資格試験を目指した・・・
p244
ロンドン滞在中に彼はヒンドゥー教の古典に接し、「バガヴァッド・ギーター」の素晴ら
しさに打たれる。それと同時にキリスト教の聖書、仏教についての著作を読んで、それら
にも深い感銘をうけている。
弁護士資格の方は3年目に試験に合格・・・
ボンベイで兄から母の死を知らされる。
ボンベイで弁護士となるが、ぱっとせずにいたところ、南アフリカに住む兄の友人から
訴訟事件の依頼をうけ、一年ほど滞在のつもりで、ナタールに向かう。
この南アフリカ滞在中に有色人種に対する厳しい差別に遭遇し、ガンディーの運命は
大きく変わることになった。
==>> さて、日本人的にはインドと言えばガンディーなんですが、私自身はほとんど
ガンディーがどういう人かは知りませんでした。
そこで、こちらのyoutubeを知人から教えてもらいましたのでご紹介します。
なかなかよく調べてあって、しっかりまとめてあると思います。
ちょっと長いんですが・・・・
https://www.youtube.com/watch?v=jHmIr78Lw38
この動画には、元々ほとんど知らなかった私にとっては驚きだったにですが、
南アフリカでのガンディーの行動がかなり詳しく描いてあって勉強になり
ました。
p246
彼が編み出したのは、全国一斉のハルタール(ストライキ)であった。 これは単なる
ストライキではなく、皆が自分の仕事を休み、集会を開き、断食を行ない、インド独立
のための祈りを捧げるというものであった。
・・・そこに起こったのが、アムリトサルの大虐殺であった。
ガンディーは逮捕され、釈放後も彼は政治活動からは身を引いて、糸を紡いで布を織る、
不可触民制度を撤廃する、ヒンドゥー・ムスリムの対立を解消するなどの「建設的
プログラム」の遂行に尽力した。
==>> マハトマ・ガンディーのことで私が知っていたことはほとんどないんですが、
断片的にはこのようなことを知っていました。
しかし、ガンディーのこのような尽力にもかかわらず、事態はあまり
彼が望んだようにはならなかったようです。
そこで障害になったのは、やはり宗教や民族やカーストの問題があったよう
です。
アムリットサル事件についてはこちらで:
「1919年4月,インドのパンジャーブ地方アムリットサルで起こった独立運動
弾圧事件 イギリスが第一次世界大戦中に約束したインドの自治承認を
戦後破棄し,これを不満とする民衆をローラット法を施行して弾圧した。」
p250
1947年8月、インドとパキスタンに分かれて独立は達成されたが、デリーでの
独立式典にガンディーの姿はなかった。
彼はその間にも、流血の嵐の吹き荒れるカルカッタにあって両教徒を融和させる努力
を続けていたのである。
・・・1948年1月30日、逗留していたブルラの邸で夕べの祈りに行く途中、
狂信的ヒンドゥー教徒の手で暗殺された。
暗殺に理由は、彼が余りにもムスリムに譲歩し過ぎるというものであった。
==>> 結局、ガンディーの努力も虚しく、インドの統一された形での独立は
できなかったわけですね。
そして、同じヒンドゥー教徒によって暗殺されてしまった。
宗教とは本当にやっかいなものです。
p251
彼によれば「日本にはためいているのは実はイギリスの旗」なのであって、日本はすでに
イギリス風になってしまったと、哀れんでいる。 それはガンディーの目ざすインドの
独立ではなかった。
p252
彼が求めたのは、インドをイギリスの支配から単に政治的に独立させるということでは
なく、機械に象徴される近代文明の悪からインドを守り、新しい社会を築くことであった。
==>> これは、日露戦争に勝った日本を見習って、インドを改革し、軍隊を持ち、
世界に栄光を示そうというインド人青年に対する言葉ということになって
います。
「イギリス人抜きのイギリス統治」を持ちたいということを批判する言葉
ということです。
さて、日本は明治維新にどうしたのかを振り返れば、この意味は自ずから
分るのではないかと思います。
今の日本の伝統的保守と言われる知識人が、どの時点を日本の理想としている
のか私には理解できていませんが・・・・
p254
「我々は糧を得るために働かねばならないのです。 額に汗して得たものを食べねば
ならないのです。」 「機械を使えば、容易に事が運ぶのは間違いありませんが、
だからといってそれが幸福をもたらすとは必ずしも言えません。堕落するのは簡単
ですが、危険でもあります。」
==>> この辺りのガンディーの考え方は、現代の科学技術の発展の歴史を思えば、
ほとんど非現実的なもののように感じます。
一方で、ハラリ著の「サピエンス全史」や「ホモ・デウス」を読むと、
人類がこの先、人知を超えた領域に入ってしまう危険性を感じるのも
事実です。もう、その領域に入っているようですが。
ハラリ氏の警告もその点にあるのだと思います。
p256
機械文明は恐らくガンディーの予想をはるかに越えて、ジェット機、テレビ、コンピュータ、
スペース・シャトルと進んでしまった。 しかし、それとともに、ガンディーが予想し
心配していた近代文明、機械文明の「悪」が、われわれの生存を脅かし始めているのも
また確かである。
==>> この本の出版は2020年となっていますが、最初に書かれたのは2000年
であるようですから、その20年の間の科学技術の進歩は、ここに書かれている
予想をはるかに越えたものになってしまっています。
やっと、読み終わりました。
私がこの本を読もうと思ったのは、初期仏教・阿含経に関する本を読む前に、今のインドの
民族的、宗教的、文化的な現状がどうなっているのか、そしてそれらが歴史的に
どのような変遷を辿ってきたのかを予備知識として持っておきたいという理由でした。
その意味において、この本は、特に仏教とバラモン教・ヒンドゥー教との歴史的関係を
知る上では大変参考になりましたし、インド社会の中で紀元前からの民族的、宗教的
関係が今も現実の社会に深く根を下ろしていることが分かりました。
そして、その一部が、仏教思想などを介して、今の日本にも繋がっていることを思うと、
なにやらジワリと迫ってくるものを感じます。
今後は、「初期仏教―仏陀の思想をたどる」や「阿含経入門」などを読んでいこうと
予定しています。
=== 完 ===
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